>>831
 見て分かるとおり、“広告” というのが ほとんど無いんですよね。
 『指輪物語』みたいな中世ファンタジーだったら広告が無いのは構わないんですけども。

 現在とつながりを持つSFだったら、つまり現在のこの社会が科学が発展して空中都市が出来てっていう、
今の社会と一応の繋がりを持つような未来SFだったら、町の あらゆる所に広告があるはずなんですよ。

 たとえば『ニュー・シネマ・パラダイス』っていう映画は、イタリアのシチリア島にあるパラッツォ・アドリアーノっていう村が舞台なんですけども。

 その村で、トトっていう7歳か8歳ぐらいの男の子がだんだん大きくなって、青年になると。
 それで青年になったトトは、その村を出る時が来る。

 それで振り返って見た村が、めちゃくちゃキレイなんですね。
 本当にシチリア島の中の田舎でロケをしたんですよ。

 それが、トトが中年になって自分の田舎に帰ってきたときに、あの美しかった町並みが本当に広告だらけになってるんですよ。
 俺、覚えてるんですけども、駅の まん前 に、でっかいファンタの広告がドーンとあって、「台無し!」って思ったんですけども。

 つまり、古き良きイタリアの田舎から現代生活に移る哀しみ みたいな事が描かれているんですけども。

 それは『ニュー・シネマ・パラダイス』の中で描かれているのは、昔トトが住んでいた
まだ中世を残したシチリア島の風景から、現代へ移る象徴になっているのが多数の広告だったんですね。

 “広告” っていうのは何かっていうと、「消費社会になっちゃった」という事なんですよ。

 それで “アイアンシティ” っていう町が現代の常識とか繋がりが全く無い超未来の社会だったら、僕は別に文句も無いんですけども。

 ところがアイアンシティっていうのは、自分の体を含む あらゆるものが金で手に入るって世界なんですね。
 完全に消費社会なんですよ。

 ・・・

 だから消費社会だから、広告がないとおかしいんですね。
 矛盾していると。

 しかし監督のロバート・ロドリゲスはパンフレットの中のインタビューで
「カッコ良くないんだよね。 もっとサイバーパンク風にゴチャゴチャさせたいって言われたんだけど」と。

 カッコ良くないからという事で、全部、取っちゃったんですよ。

 結果、見て分かるとおりデザインセンスはあるんだろうけども、広告を削除してしまったから、町の描写が何かペラペラでリアリティが無いという。

 こういう事を言うと「SFは架空の世界だから、ペラペラになっても しょうがないんじゃないか?」という人もいるんですけども、そうでもないんですよ。

・・・