終末において、飢饉、飢餓、貧困、飢えに関する言及箇所

ヨハネの黙示録6章5−6節
小羊が第三の封印を解いた時、第三の生き物が、「来なさい」と呼ぶのを聞きました。すると、黒い馬が現れました。
その馬にまたがる者は、秤を手にしていました。四つの生き物の間から、声が聞こえました。
「小麦一リットルも、大麦三リットルも一デナリ(一日分の賃金)。オリーブ油とぶどう酒を大切にしなさい。」

大本神論 火の巻 大正元年旧10月5日
此世がきた折には、世界中の困難となりて、何方の国にも、金銭の入用のは程知れず、金融はだんだん逼迫になるし、
何う為様も無きやうに、一旦世界中は火の消えたやうに成るから、斯うなりた折には、
元の其儘のまことの神が現れて、二度目の世の立替を致さねばならんから、此方が世に落されたのも、御都合のことであるぞよ。

大本神論 火の巻 大正6年旧11月23日
日本の国丈でも是丈持余して居りて、他の国の事ども構ひ立する暇は有りもせむのに、肝腎の足元は、宣い加減な事に致しておいて、
「終には共倒れに成る」と云ふ事に気の附かむ様な明盲であるから、〇〇の国は一日増しに押詰りて来て、食物は段々と欠乏になるなり。
菜の葉一枚でも大切な事に、今に成りて来るぞよ。何程金を貯て歓んで居りても、正可の時には金銀では生命が継げんぞよ。

貧困・飢えといっても、食べ物が無くなる飢えだけではなくて、情報を得られなくなるという「ことばの飢饉」も預言されている。
アモス書8章11−14節
「時は近づいている。その時には、この地にききんを送る。パンや水のききんではない。主のことばを聞くことのききんだ。
人々は海から海へと至る所を歩き回り、主のことばを探し求める。だが、あちこち探し回っても見つからない。
美しい娘も、りっぱな若者も、神のことばを渇き求めて弱り、疲れはてる。サマリヤ、ダン、ベエル・シェバの偶像を拝む者は倒れて、二度と起き上がらない。」