【1984年】ロサンゼルス五輪【アメリカ】
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ソ連の反対を押し切ってルーマニアは参加
しかしルーマニアの独裁者チャウシェスク夫妻は5年後革命により公開処刑された ロス五輪開会式は神!
正にアメリカを表現した非常に派手なセレモニーだった 中国は参加したんだよな
しかもいきなり日本より多く金メダル獲ってるし ハリウッドのお膝元ロサンゼルス開催のせいか、
とにかく派手でショーアップされた大会のイメージ
前回のモスクワが全く逆の大会だっただけに、
近代五輪の転換期になった大会だった 男子バレー
アメリカ代表
半端なくカッコ良かった! メアリー・ルー・レットン
体操女子個人総合
アメリカ史上初の金メダル獲得 レットンは種目別メダルゼロじゃないでしょ
跳馬で銀メダル 段違い平行棒と床で銅メダル取ってる 中華人民共和国
オリンピック初出場でいきなり金メダル15個獲得の大躍進 中国男子体操は前年の世界選手権で絶対王者ソビエトに団体で史上稀に見る接戦で競り勝った。
李寧、楼雲、童非、許志強と役者が揃っていた。 >>25
マジで
それは知らなかった
ソウルでは惨敗したけどな
中国体操 中国男子体操がソ連に肉薄したのが83年、85年からはソ連の独壇場。 >>27
なるほどね
ていうかロスの男子団体は中国が優勝ってことか
今更知ったわ 83年の世界選手権優勝の中国、3位の日本を押さえてアメリカが優勝
UCLAホーリーパピリオンはUSAの大合唱でしたな。 アメリカが優勝したのか
体操男子団体
これ最初で最後だよな
今の所
地元age露骨過ぎるだろ 個人総合は具志堅、種目別では中国が4種目で優勝した。 東欧諸国でモスクワにもロサンゼルスにも出場していいとこ取りしたルーマニアとユーゴスラビア
ユーゴスラビアは84年に冬季サラエボ五輪も開催 しかしその数年後
手痛いしっぺ返しを喰らう
ユーゴスラビアとルーマニア ユーゴスラビアはチトー大統領が亡くなったから
ルーマニアはチャウシェスク大統領が居たから チトーはまともだが、
チャウシェスクは悪名高き独裁者 高校生だったレスリングフリーの赤石選手が、2回戦でプエルトリコの選手にフォール勝ち。筋肉隆々の外人選手が赤石にがっちり抑え込まれ、ブリッジで悶絶し息絶えた。凄まじい試合だった。 本当ならもう少し金は取れたんだが・・・
重量挙げの真鍋と砂岡
柔道の中西と野瀬
真鍋は手首の故障
砂岡は実力通りなら金だったがスナッチで予想外の失敗が痛かったプレッシャーもあった
中西は試合中に肋骨を骨折
野瀬はバカな審判に泣かされた ロサンゼルス 【全米日系人博物館 ? JAPANESE AMERICAN NATIONAL MUSEUM】
http://know-how-tree.com/archives/481 それは禁止薬物の成分に無頓着だったチームドクターが
善意で処方した漢方薬のせい。 ---
【柳沢敦 引退】 2008年天皇杯決勝での鹿島アントラーズと最後の別れの挨拶:
https://www.youtube.com/watch?v=ez2QpYA6XSo&list=UUncFHKa8Bg3zzfBTl-v4Rkg&index=4
--- レスリンググレコ57キロ級決勝で江藤正基が相手をニヤフォール中、相手はブリッジしながら江藤の睾丸を掴みまくった。江藤が睾丸を守るため腰を浮かせた瞬間、フォールの体勢から逃れて優勝。明らかに相手の反則勝ちだった。 斉藤仁さん がんで死去 54歳 柔道で五輪2大会連続金メダル
84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪の柔道男子95キロ超級で2大会連続金メダルを獲得した斉藤仁氏が20日午前2時56分、大阪府東大阪市内の病院で亡くなった。54歳。
全日本柔道連盟などが明らかにした。青森県出身。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150120-00000080-spnannex-spo あなたもネットで告発しませんか?
ビッ苦カメラ札幌店 佐藤伸弦 暴行事件 五輪開会式史上のベスト入場シーンは
ロス五輪〜カメルーン、カナダと続く行進・・・
モントリオール五輪でも使用された行進曲が圧巻! 少し前の「想い出のメロディー」で、柔道の山下と決勝で当たった
ラシュワン(エジプト)がゲストに出てきてワロタ >>68
9位です
すでに30歳を越え、とうの昔に全盛期は過ぎていたから仕方ありません JOCのロゴって、この大会からパクったのを未だに使い続けてるよな
今更ながら
重なる☆に疾走線→基本、日の丸に変えただけ
慣れとは恐ろしいが、今導入されたなら、また佐野物件かと確実に叩かれるレベル メアリーデッカーとゾーラバットって何であんなに対抗心丸出しだったん? 前年の第1回世界選手権の中距離2冠(1,500m、3,000m)優勝者で
地元期待の星だったデッカーに対して、バッドは当時アパルトヘイト政策
により国際大会から締め出されていた南アフリカ出身で、無理やりイギリス
に国籍変更して出場にこぎつけた経緯もあって、欧米ではヒール役のような
印象を持たれていたような記憶があります。 バッドのすぐ後にひたすら食らいついて走り
倒れた瞬間にバッドのゼッケンをむしり取ったデッカー
なんてひどいことをするヒステリー女だろうと思った 確かに、あの一件でデッカーのイメージも悪くなりましたね。
バッドのほうが擁護されていたような。 走り幅跳び決勝のカール・ルイスは、優勝を確信して3本飛んで、残りは棄権したんだっけ。 ルイスの幅跳びは昔から前半で記録残して後半はパスし通す王者の試合運び 8mの後半をコンスタントに跳べる選手は彼くらいしかいなかったよね。
今の五輪でも優勝ラインは8m30〜40だから、いかに突出していたかがよく分かる。 男子体操の平行棒でアメリカのビドマーが片手倒立したので観客が大拍手
日本側は「あんな技は日本の中学生でもできるのに」とあきれてた
当時のアメリカは体操競技にはまったく無関心であったからね >>79
でもロスの団体って日本はアメリカに負けたよなw この大会は着地がピタリと決まれば10点だった印象がある。ところで森末の鉄棒の実況の、スワンのダブルって、なんでああ実況したんだろう? アメリカはロス五輪開催が決まった70年代後半から強化。
79年の世界選手権ではソ連、日本に次いで団体3位に躍進。
個人総合でもトーマスが3位に入った。
80年代に入り中国の台頭もあり、実力的にはソ連、中国、日本や東独に
次ぐ位置だったが、日本は転げ落ちるように下降線をたどっていたから
地元の歓声を味方につけたアメリカに負けることも想定の範囲内だった。 そんなアメリカもソウル、バルセロナ、地元アトランタと大コケだったよなw >>82
ルーマニアにも負けたんだっけ日本
男子のルーマニアってあんま印象なかったけどな >>85
当時のルーマニア男子は実力的には全然じゃなかったかな。
入賞すらしていなかったと思う。
84年ロス五輪男子団体は
金・アメリカ、銀・中国、銅・日本の順 >>84
当時のアメリカはロスをターゲットにして、UCLAの学生主体にチーム強化を
図っていたと思う。70年代後半からメンバーが比較的固定されていた。
トーマスやビドマー、ゲイロードにコナーあたりと。
目先の強化に追われ、若返りが出来なかったんじゃないかな。
日本も同じようなものだったけど。 そう言えばロス大会だけだったと思うけど、
水泳でB決勝方式が実施されていたね。
コンソレーションレースとも呼ばれていたけど。
B決勝で世界記録を出した選手がいたと思う。 >>86
五輪初出場の中国に負けたんかw
しかも採点競技で
これはいかんね
次のソウルでよく中国に勝てたよな日本 中国は前年の世界選手権でソ連を破って初優勝。
ロスでは団体優勝の本命だった。
地元びいきとはいえ、米国に負けたのは予想外。 中国団体は昔から成績にムラがあるよね。
世界選手権で圧勝したかと思うと、翌年の五輪ではメダルにも届かなかったり。 極端な世代交代を敢行するからな中国は
どのスポーツでも
だからメンタルが大きく影響する競技では大会毎に波があるね 重量挙げのいさおかりょうじは、今なら大人気になったかもしれないな。当時から女のファンも多くいた。 何となく覚えてる。
自己ベストを越える重さで一発逆転の賭けにでて失敗し、銀メダルだったかな? 重量挙げは東側の不参加でレベルの低下を指摘されていた競技の筆頭だったけど、それを抜きにしてもこの大会以降、日本男子は世界から大きく遅れをとっていますね。 挙げれば金、落とせば銅、銀はいらないというチャレンジしたんじゃなかったっけ。 >>98
NHKが放送したロス五輪のハイライト番組でほんの少しだけ触れられていた
のを思い出した。
「陸上女子では多くの種目でロスを上回る記録が出た云々〜」と松平アナの
ナレーションが入っていた。
リンクを改めてみると陸上投てき種目は東側の圧勝だけど、水泳なんかは
そうでもないんだね。 wikiにも書いてあるように、東側諸国による代替五輪といった感じで
報道されていたから、アメリカや日本からも参加しているとは知らなかった。
日本の金メダル一つって何だろう?と思って調べてみたら、卓球男子ダブルス
なんだね。小野誠治(79年男子単世界王者)と阿部博幸だそうだ。長期間に渡り
東側の各国で開かれていたようで、卓球はピョンヤンで開催されている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています