千葉県高校興亡史

このスレに残して置くね。
@前公立時代
〜昭和41年頃
都立校全盛期
都市部の優秀層はこぞって都立を目指した。日比谷、両国、上野)
県千葉のみが(やっと)進学校、県船・東葛は都立滑り止め(というか諦め組の受け入れ先)で
目立たなかった。(恐竜全盛期の哺乳類?)
おそらく、農村部の経済力がいまよりあったろうから田舎御三家(長生、木更津、匝瑳?)やもっと活気があた
銚子の高校は実績がよかったと思う。(調べてない。)
A公立全盛期
昭和42年(1967)
都立校学校群制度始まる。突如、都立進学校が没落し始める。
千葉県民は県内を目指す。
県千葉の躍進、東大合格者平成2年62名(1990年、10位)、同5年56名(1993年、9位)
これ以後、2018年に日比谷が入るるまで、公立のトップ10入りはなし。
B渋幕の出現
無風地帯の千葉県に渋幕が開校し、2012年にトップ10(10位49名)に入り
以後、2018年まで連続してトップ10内に留まる。
C中高一貫校の普及
都内神奈川に多かった中高一貫が千葉県にも広がる。県千葉に中学併設、
市川の共学化と中学生の割合増、東邦の完全中高一貫化、東葛に中学併設
もはや渋幕を頂点に公私入り乱れての群雄割拠時代。
ライバル不在の東葛飾が振るわないのは都内流入が便利な地理的位置か?
Dセンター試験廃止後時代
中高一貫と高校のみと、どちらの教育が時代に合ってるか試される。
県船に中学併設あるか。
もう有名私学の付属校は県内に来ないのか。