今回はその一端を提示したい。
今回私にメールを寄越した方は、親族のAが教会を継ぎたいと言っており、
それに反対をしておられる天理教の未信者の方からであった。
どう考えてもAが教会を継ぐ経済的、人間的な素質はなく、
親族はみな反対している状況のようである。
しかし会長は、Aと教会設立ができるように裏でコソコソと話を進めているようである。
私が聞く限り、会長の頭には、
この節目に教会を設立できるという外部評価がチラついているようである。
親族から反対されてまで設立する教会に何の意味があるのだろうか。
天理教の節目だから、反対される中でこそ設立することに意味があるという、
いつも通りのナルシストだろうか。
個人を特定できないように伏して公開したい。