問題は複雑であるという見識があるならば、
その複雑性を担保した結論を出さないのはなぜだろうか理解に苦しむ。
天理教が持つ「天理やまと文化会議」というシンクタンク的組織がありながら、
こういった貧弱な結論しかでないのは天理教の知的リソースの部分は
すでに死んでいるといっても過言ではない。
「天理やまと文化会議」なるものの実態は分からないが、
アカデミックの作法がある人間はこのような無作法な断定はしないはずである。
なぜならアカデミックの使命は人類の発展だからである。
その点は天理教の金科玉条である陽気ぐらしと背馳するものではない。
以前、天理大学に哲学専攻を作るべしといった私のアイデアが再燃しそうである。