私は神の存在を信じたいという希望はある。
田川のいうように神を思考すればするほど神は人間仕様に変容される。
しかし、それでも私は神は存在すると思う(天理教の親神かどうかは置いておいて)。
それは、より純粋に形而上学的に神の存在を認めたいということである。
かといって私自身には、神の存在を証明する知識も経験もない。
神が存在すると考える方が豊かに生きられる気がすると思う程度である。
しかし一方で天理教人による神の証明も怪しいと思っている。
ここで言う天理教人は、私の知り合いのごく一部の天理教人であり
天理教全体ではないことを注意してほしい。
その上で私は天理教人のいう神の存在には賛同しない。
まず私のモットーとして、「自分が信じている人が信じているものを信じる」ことに」
している。私が持つ神の信仰に対する希望というのは
「私が信じている人が、神を信じていれば、私も神を信じる」ということである。