ついでにもう少しだけ書く事とする。
天理教は多産である。何故だかお分かりだろうか?
教勢衰退を出産によって喰い止めようとしているのだ。
そして、将来の教会後継者のみならず、将来の信者(収入源)を自前で生産しているのだ。
しかし、それでも人心はどんどん離れる。身体はどんどん逃げる。
メリットと言えば、自分の子供に訴えられる事は(余程の事が無い限り)無いという事だ。
だから、天理教のトラブルは一般社会には漏れにくい。
その結果、天理教の悪い噂が立たず、多くの日本国民は「天理さんなら悪い噂も聞かないし、安心だ」
という評価をする。
しかし、実際は内部の人々が我慢の上に我慢を重ねた事によって成り立っている砂上の楼閣のようなものなのだ。
こんな馬鹿げた、世間体ばかり気にして生きる姿を陽気暮らしと呼べるのだろうか?
外面(そとづら)は笑っているが、心は病んでいる仮面鬱みたいな人間を増産して、人間の尊厳を踏みにじる。
それが現在の天理教だ。