天理教組織から一歩引いて見ている私の言葉よりも、重みが異なる生の言葉だと思う。
私にコメントやメッセージを寄越した方すべてが、ネガティブな反応をされる。
私はそういった天理教のネガティブな点を知らないわけではない。
むしろ、天理教のダークサイドを数多く教えていただける。
しかし、私が知るダークサイドが天理教の姿なのか、
多くの天理教人に当てはまるのかは分からない。
私が知る天理教人をみても、人として尊敬できる方もいれば、
「本当に信仰者なのか?」と思う方もいる。
天理教の将来像について想像し言語化すると、
どうしても教義解釈の仕方や教義史実闘争になるきらいがある。
申し訳ないが、私は天理教研究者ではないので教義解釈や史実闘争は理解が及ばない。
そして、天理教人が布教する社会の人間にとっても
天理教の細かい教義史実なんてどうだっていいだろう。
信仰者にとって教義というものは、とても大切なものであることは理解できる。
一方で行動レベルでの実践は手薄であるように思う。