高校野球で審判の誤審を見逃すルール無視の慣習と天理教の教会が類似しているとして、
教会を「垂直的構造」と表現されていることに同感します。
言い換えれば、教会はルール(教理)ではなく「タテ構造」の
日本的慣習で成り立っているからです。
教祖は「身分や立場の差別なく体内に入り込んで生命を守護する神」を
教えられたのですから、一列平等の水平的構造がルール(教理)なのです。
その水平的ルールは、修養科や学生生徒修養会では守られていますが、
一旦おぢばを離れると、地方では垂直構造の教会系統に所属することになります。
本部自体も表面は水平的なルール(教理)を説いても、
実質は垂直構造に違いありません。
まさに建前(ルール)と本音(儒教的?慣習)の二重構造の組合わせで
成り立っているのが天理教の実態といえます。
そうした古い垂直的構造を現在も固守している官僚制度は、
今やさんざん批判の的になっています。
なお「源治郎」さんへ。
「竜頭」という言葉は、原典「おさしづ」の中では教会長ではなく
本部(真柱)に対する厳しい諭しが出典ですので、ご理解ください。