最後に彼は、大教会長が権力を手放すか、
勘違いを正さなければ天理教の未来はないと断言して別れることになった。
教祖130年祭に向けて、意気軒昂に勇まなければならないのは現場の天理教人ではなく、
大教会長であることを記す。
大教会長という権力の適正化を望むばかりである。