さて、ここで問題なのはこの大教会長たちが、天理教衰退の原因であるのに、
責任を問われることなく世襲制という輪番でしかないという点である。
さすがに彼は大教会長のことを無能と表現しなかったが、
私は経営者として無能だと思う。
天理教がここまで衰退した責任を誰かが取らないといけない。
少なくともこれまでと同じような方法ではいけないはずである。
しかし天理教の経営は、京大で理工学を学んだ人間や、
大学を4年以上かけて卒業した人間が相も変わらず偉そうに信者に説諭している。
外部から見て、経営能力がない人間が権力を握っている。
これほど滑稽で無責任なことはない。