有名人の性格を霊視する◆3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
タイトル通り霊視するので、有名人の名を挙げてほしい。
安価で複数人募集→霊視して結果を書く、を繰り返していこうと思う。
条件
●顔出しで活動している人
●検索すると顔がはっきりわかる画像や映像が複数出てくる人
NG
●仮面やマスク、常時サングラス、常時白塗りの人
●架空の人物
補足
●故人でも存命でも可(ただし不鮮明な写真は難しい)
※挙げられた有名人への迷惑行為や叩き行為は控えてください >>511
山岸先生も霊感をお持ちらしく「丑寅の方よりまうずー」は実体験だったとか仰ってましたね
入鹿のキャラクター造形すごく良いですよね
顔にいろいろな人の面影が覗いていて「…ああ…」という気持ちにもなる
聖霊会しかも法隆寺ですよね!
奇跡的なタイミングなので再々々々(ry)読したくなりましたw >>515
基本的には生まれ変わる時点で前世のことをほぼ忘れるようだから、結構保っているのでは?
魂自体は全ての経験を蓄積して行ってるけどね 桐谷さんの師匠は米長邦雄ではなく、升田幸三ですよ。 升田幸三の弟子だが米長邦雄に傾倒して「もう一人の師匠」と言っても過言ではない時期も確かにあった。
「好きだったからこそ余計に憎しみが湧いてきた」という感じがある。 「名人なんてゴミみたいなもんだ」
「名人がゴミならキミはなんだ」
「さよう、ゴミにたかるハエでしょうか」 (昭和53年の名人戦第1局・仙台にて)
大山「剃っちゃったの?」
森「ええ」
花村「私に断りなしに剃っちゃいけない」
大山「坊主頭が3人になっちゃった」
一同「・・・・・・・・・」
大山「髪の毛がある人は、いろいろな髪型に出来ていいんですよ」
一同「・・・・・・・・・」
大山「我々には、それが出来ない!」 「東海の鬼」花村元司も味わい深い棋士だった。
60歳でA級返り咲きを達成。
きょうびは羽生クラスでもB1に降級してしまうご時世で「還暦A級」は
加藤一二三以来出ていない。佐藤康光がA級を維持しているが、将棋界を
席巻した羽生世代が60になった時、何人A級にいられるか。興味がある。
そのころの名人は藤井聡太(竜王も)だと思う。 佐藤康光は会長として恐ろしく有能。
まさかこんなに仕事が出来る男とは思わなんだ。それでいて独裁者タイプでない。十分過ぎるほど頑張っているから、掛ける言葉は
「気楽にのんびり行こうぜ」としたい。 二上達也は会長としてはわずかに大山康晴の在任期間を上回ったようだ。
現役時代、大山康晴に散々コンプレックスを植え付けられ、軽く見られていたようだが、最後は退陣に追い込まれた15世名人と異なり、決して独裁者にはならず、
大内延介との2頭政治を前面に押し出し、無害キャラが幸いして会長としては、
ちょっぴり大山康晴に勝った。
「人徳のガミさん」の勝利である。一度でいいから名人になって欲しかった・・・ 大山康晴vs藤井聡太
一度は見てみたい幻の対決だが、大山康晴が得意の盤外戦術で嫌がらせをしても
藤井くんは気が付かないのではないのだろうか。 「兄貴はアタマが悪いから東大に行った」は米長邦雄の発言とされているが実際は
芹沢博文による創作であるらしい。
いかにも米長邦雄が言いそうなセリフなので、長期間だまされた。
四男・邦雄よりも6歳年長の長兄・泰さんは「アタマが悪くなければ、アレの兄は
務まりません」とコメントした。
さすがは年の功、兄貴の貫録。泰さんは1953年に山梨県名人戦で優勝。
全日本アマ名人戦に16歳で山梨県代表で出場している。
米長家は5人兄弟。邦雄は兄3人妹一人のきょうだい構成。 加藤一二三の師匠は以前は南口繁一だったが、還暦になった頃、
師匠を剱持松二に変えた。
剱持氏は1934年の3月生まれで、1940年1月1日生まれの加藤一二三とは
6つしか違わない。さらに言えばプロ棋士になった順番は加藤一二三の
ほうが早い。本当ならば成立しない師弟関係である。
剱持門下になりたいというよりも南口門下でありたくない、が本音で、
南口繁一の悪口の類いは一切言っていないが、何か恨むような感情が
加藤一二三にあったのではないかと思われる。
将棋世界誌では「妻と私の長年の願いだった」みたいに書かれていたから
高校時代の同級生である加藤一二三夫人も南口九段のことを快く思って
いなかったことが窺われる。 伊藤果は加藤一二三よりも先に師匠を変えている。
「どうしても人間的に尊敬出来なかった」
所属を関西から関東に。師匠を南口繁一から高柳敏夫に変更。 伊藤果・・・・・・なんて読むんですか? と聞かれて「いとう・はてな」ですよ、ととぼけて応えていたという、いとう・はたす。詰将棋の名手。 南口繁一は芹沢博文にビンタを食らわしたこともある。芹沢博文の師匠・高柳敏夫が仲裁役に立ってなんとか和解したようだ。 高柳敏夫は人格者に間違いない。最初の頃は血気盛んで、口の利き方の悪い弟子の芹沢博文に腹を立て、ナイフを投げつけて「お前はどうして師匠のナイフをよけるのか!」
と怒鳴りつけたそうである。これは90年代の将棋世界誌で、本人が「投げたのは、菜っ葉包丁で、当然芹沢に当てるようには投げ付けていない」とコメントしていたが。 >>486
この人気になってた。YouTubeでも最初の方は変なスピに騙されるなっていうスタンスだったのに、最近は異様に高いパワーストーン売ったり霊能者育成スクールみたいなことやったりと違和感あった。
そもそも霊能力ってそんなお金払って修行しても開花するものじゃないですよね? 金(こん)易二郎・名誉九段門。八重子夫人は金名誉九段の娘。夫人も将棋アマ三段の実力者。元A級だが結核を患ったこともあり、棋士としての盛りは短かった。
加藤一二三に敗れA級復帰ならず。18歳2か月の史上最年少A級棋士が同時期に
誕生。
「オレももう駄目だな。もたもたした将棋指しがいつまでも現役にしがみついているのは、みっともない」と自らに厳しく、それから数年後に引退してしまった。
むしろ引退後の人生が華やかだったと言える高柳敏夫名誉九段。 「高柳先生は芹沢のワルさに呆れて、芹沢と全く正反対に育てたら中原が出来上がった」
こんな噂が流れた時に高柳師匠は大笑いしたが
八重子夫人はキッとした表情になって
「冗談じゃありません! 確かにマコちゃんは可愛かったけど、セリちゃんだってマコちゃんに
負けないくらい可愛かったんです!」 「Yさん、今日は私に投了させてください」
佐藤大五郎がいるところで、Kがわざとらしく、佐藤大五郎とA級昇級を争っているYに言った、とある(河口俊彦の著者より) 藤井聡太対局中。評価値はいつの間にか63%のプラス。 藤井聡太待望のA級入り。
佐藤大五郎のB1の時は「こんな男が名人になったら大変なことになる」と
嫌われ度が半端ではなかったというが、竜王の場合「こんな強いのがB1に
いたら、たまらん。早くA級に行ってくれ」という空気は確かに感じられた。
盤に向えば真剣勝負でも、苦しくなったら、どうしてもクソ粘りは出来ない。 >>502
そう、ガンダムだわあのスケール感は笑
502さんは太子様と繋がりを持たれた方なんですね
こういうお人柄だということは確かにこうして自分から見ようとしなければ
一生分からなかったかも
存命の人で名前のみの霊視は経験があるんですが、顔も分からない歴史上の偉人
なんて自分には無理、みたいにハナから決め込んでたところがあるんで今回すごく
良い経験になったなと思いました
こちらこそリクエストありがとうございました! >>503
前者ですね、良い事と悪い事の区別がつかなくなる感じです
客観性を失って自分本位になる事で都合よく善悪の捉え方を曲げたり、
自分は良い事だと思っていたものが悪い事に転じるような経験が重なったり、
理由は様々ですが良い事と悪い事の区別があいまいになっていく感覚です
悪いと分かっててもやっちゃう、みたいなのは「標準に逆らう価値観」という風な
表現のものが当てはまるかな >>504
実際の言動などにもやはり変化が見られるんですね
天川さんが強く勧める般若心経の読経習慣とか、
良いものも多々あるなーって昔いくつか見た時に思ったので
良い方向へ進んでほしいなと思う人でもあります(何様って感じですが)
個人的には、相方の坂本さんが他人の感情を吐かせて流せるような人だったらなぁとか
思うんですけどね
数年前と変わってなければ逆に天川さんより露骨に激情型かなと思うので二人合わせると
より過剰になりやすいのかなぁなんて
参考にしていただけたとのことで、とても嬉しいです
こちらこそリクエストありがとうございました! >>510
こちらこそ労いの言葉もありがとうございます
依頼者さんも書かれてましたが、普通の人間の葛藤が太子様にもあったんですね
こちらの世から想う気持ちも伝わっていると感じますよ
聖霊会というタイミングにも重なってたんですねぇ
恥ずかしながら何も知らずにやってました >>512
ここぞとばかりに踊らせてるな!とにやけつつ惚れ惚れしました
喜んでいただけて何よりです〜 >>513
丁寧なフィードバックありがとうございます!
自分にとっては完全初見のお二人だったので、実際に動画や活動を目にした人に
とって霊視結果がどう映るのかというのはすごく参考になります
特にヒロ氏の悪に対する心のありようは他に見たことのない特徴を示していたので
断定して良いのかなー、でもそう見えるんだよなー、みたいな迷いもあったんですが
見えたものと擦り合わせた解釈を信じて良かったとホッとした気持ちがあります
こちらこそリクエストと返信をありがとうございました! >>515
保っているんだなぁ…っていうのが初めて亡くなった方の潜在意識の霊視をした時の
感想でした まだどこかにその人がその人として在るんだ、みたいな
516さんの言うように魂と今ある意識・今世での人格は別の存在で、でも二つがあって
初めて一人の人間であるという解釈でいます
亡くなった後の意識や人格がいつまで存在するのか、その時の魂はどこに?とかは
自分も探求中ですね >>541
こんばんは510です
聖霊会をご存知なく霊視してくださっていたのもすごく運命的で信頼度マシマシwだと思いましたよ
日出処の天子は素晴らしい名作ですのでご興味がありましたらぜひご一読くださいませ >>532
あらららそんな感じの活動になってるの!?
初期の詐欺的霊能者を痛スピと呼んで叩き潰すみたいに言ってるのも過激だなぁと思ってた
もちろん詐欺は許すまじだけど、世間一般から見たら天川さんのやってる事だって
一緒に見えるだろうっていう客観性がないし
騙されないよう非霊能者側に何を伝えられるかが肝心でしょう、と当時思ってた
開いてない霊感を修行によって開けるのかは自分には分かりません
ただ霊能の自発的な開花を促すのは自分の中で注意すべき霊能者の特徴として
心に留めてます
お金儲けか、強い自己顕示欲や承認欲求の表れがほとんどだと思う
霊感はそもそも無くていいし、必要なら開けるし、あってしんどい事もたくさんある
経験があればこそ人に霊能開発なんて勧めるかいな、と個人的には思ってます
ポジティブに「やってみたい!見えるかも!」とかワクワクして出来るなら
良いんですけどねー 「こういう将棋を指している人と何年も同じクラスにいると思うと嫌になる」
C級2組時代の先崎学が言った。その対象にされた人は桐谷広人。
話が当人の耳に入り、桐谷広人は先崎学に恨みの感情を持つ。
先崎学の師匠とも冷戦状態になったが、その弟子とも抗争関係に。
しかし、同じく米長門下生の中川大輔は「昔から真面目で正義感が強い」と
断固として桐谷さんを擁護。
桐谷ブームの隠れた仕掛け人であるという。
なお中川大輔は師匠の米長邦雄と感情の面でもつれがあり、晩年は断絶状態。
関係が修復しないままに師匠が他界してしまう。 晩年の米長邦雄は残念ながら「独裁者」になってしまった。
弟子の中川大輔のほうがまともだったということなのだろう。
正論を吐くと煙たがられてしまうということは、どこの世界でもあるのかも知れない。 90年あたり「横歩も取れない男に負けては先祖に申し訳が立たない」と南芳一を挑発
していた頃は、さんざん中川大輔を持ち上げていた師匠だったのだが・・・・・ 「米長さん、今日は私に投了させてください」
佐藤大五郎がいるところで、米長邦雄の対局相手の北村昌男がわざとらしく言った。
昭和46年3月。
この時しか、佐藤大五郎とイニシャルYがA級昇級を争っている年はなく、Yの最終
Kに該当する人物が北村昌男しか当てはまらなかった。
Yはすぐ米長邦雄と分かったが(山田道美はA級だったし、そもそも前年に亡くなっている)Kは加藤一二三はA級だし、加藤博二も該当しなかった。
佐藤大五郎が敵を多く作った要因は口が悪かった(例えばB2以下はアマチュアなどと公言)ことに尽きる。
また同い年の河口俊彦をからかって、腕相撲を「両手で来い(俺は片手でやってやる)」というエピソードも書かれている。 佐藤大五郎は中年以降は凄く丸くなって、悪口が聞かれなくなっていったようだ。
目を悪くして引退を決めた時にC1からB2に上がる先崎学を呼び止めて
「昇級おめでとう。キミと対戦するのが楽しみだったんだけど、仕方ない。
キミは才能があるんだからこれからも頑張れよ」と励ましてくれたらしい。
若い頃からこういう人柄だったら、万人から愛されるキャラクターになれたような
気がしてならない。 >>545
無知をさらしたようで恥ずかしくもあるんですが笑
日出処の天子、概要だけ見てきましたが興味湧いてきました
今回の件で縁も感じるし読んでみようと思います! 先崎学もC2に8期いたのが響いた。
桐谷氏に対するコメントは羽生や佐藤康光や森内ならば絶対にしない。
不必要なことを言って、実は怒らせたら怖い人を本気で怒らせてしまった。
先崎vs桐谷のC2順位戦は、と金を3枚も作ってジワジワとなぶり殺す
ような展開に。体力のある桐谷氏にとって、長引かせれば勝ちが自然に
転がり込んでくる展開に持ち込めたのは、最高の勝利パターン。
「ミスだけは絶対にするなよ。この憎たらしいガキに痛い目に遭わせてやる」
と自分自身に言い聞かせていたことだろう。
先崎学はタイトルに手が届くだけの才能が十分あったと思うが、羽生ら同世代
が鬼のように強い連中が集まったという理由のほかにも本当の最盛期にA級に
いなかったことと、周りに「上がらせたい」という空気が希薄だったことが
響いた。 「聖の青春」読んだ人ならば灘蓮照のことを嫌いになるのは自然。
個人のエゴで村山聖の奨励会入りを白紙にしてしまった大悪人。
森信雄の弟子になったことで村山聖は救われた。
あと広島の将棋センターの篠崎とかいう奴も大嫌い。聖の青春を読むと分かる。
森信雄は「男の中の男」 93年秋に亡くなった森安秀光の死因は将棋世界にも書かれていない。
恐らく向こう50年はないだろう(-_-;) あまり知られていないが森安秀光の兄もプロ棋士(正幸)
双子の畠山兄弟の師匠で弟の鎮(まもる)の弟子が名人戦連続挑戦の斎藤慎太郎の師匠 畠山兄弟は兄の成幸が以前は眼鏡を掛けていたためにあまり顔が似ていないと
感じたが歳を重ねるごとに顔がそっくりになってきた。
若い頃は、もっと尖った雰囲気だったのに、二人とも丸くなった感じがする。 では今日の分書きます
>>6
彩咲ちゃんねる 咲
広く情報を集めることがなく客観性に欠ける。
また思考を含めた精神に重くのしかかるもの(後述)があり、それによって判断や結論が
常識から外れたところへどんどんズレていく。
咲氏にのしかかるものは、
過去世からのいわゆる負の業(カルマ)とこれまでの経験や選択による”認知の歪み”とも
言うべき偏った捉え方や思想とが合わさったもの。
経験や選択、考え方の癖や方向性にそもそも負の業からの影響があり、それらを克服できず
飲まれているような状態に見える。
続きます 木村義雄14世名人の三男で昨年86歳で亡くなった木村義徳九段は、ある時
京セラの株を130万で買って、売る時には2400万になっていたという。
内藤國雄は「若い時は貧乏なほうが勝つが、歳がいったら金持ちのほうが勝つ」と
コメントしていたようだ。 1972年2月18日。B級1組順位戦。
佐藤大五郎七段対H八段。
先手のH八段、佐藤陣の7四にあった歩を駒台の上に置いて、パチパチ、と盤の上に
空打ちをしてから7五の時点に自らの歩を置いた。7四の歩を取ったのだから、
H八段の指し手は▲7四歩でなければ辻褄が合わない。それが7五の地点にある。
「おかしいよ、これ」
佐藤七段のアピールにより
「なんや、うっかりしてしもうた」
H八段は自らのミスを認めて反則負けを受け入れ、感想戦を始めた。
と、そこへS八段が入室してきて、H八段に耳打ち。さらに長老格のベテラン棋士が
入室。
「大五郎! お前は、そんなにまでして勝ちたいのか!」と何故か佐藤七段を非難。
結局、H八段のうっかりということで、先手の歩は7四の地点に置かれてから対局を
続行。佐藤七段が勝ち、A級昇級につなげた。
隣りの将棋の記録係を務めていた桐谷広人・当時奨励会会員は最初、佐藤が負ければ
いいと思ってみていたが、
「いくらなんでも、あれは酷いじゃありませんか!」
と長老格のベテラン棋士に抗議したそうである。
H八段とS八段が誰なのか、については想像がつくが、
「大五郎! お前は、そんなにして勝ちたいのか!」
と言ったベテラン棋士が誰なのか、が分からない。 原田泰夫先生は昭和46年3月に13年ぶりにA級カムバック。
一度B2まで落ちてからの二階級カムバックは現在に至るまで原田先生しかいない。
「48歳の抵抗」と言われ、将棋村では話題になった。
一緒にA級に上がったのはのちの名人であり、永世棋聖になる米長邦雄。
北村昌男七段に勝ったのだが、相手側に「勝とう」という気持ちが希薄だったように
思える。
昭和46年度のA級順位戦は原田先生は4勝4敗の指し分けでA級の地位を死守。
これで1期+7期+2期となりA級在籍通算10期を達成。次の期でA級から陥落
したが、普通の人ならとっくに衰えが来る時期に再浮上したのだから見事なもの
だった。 「さわやか流(米長邦雄)」「自然流(中原誠)」「自在流(内藤國雄)」「火の玉流(有吉道夫)」
「カミソリ流(勝浦修)」「怒濤流(大内延介)」「ダルマ流(森安秀光)」
このあたりの名付け親は、全て原田泰夫だと思う。
あと「神武以来(このかた)の天才(=加藤一二三)」の名付け親も原田泰夫。 youtubeで佐藤大五郎とH八段(当時)の将棋がUPされていたが、そこでは
「花村元司八段」と実名で紹介されていた。
進行役のユーチューバーは花村八段のことは擁護していたが、花村八段を
そそのかして対局を続行させたS八段については、「極悪人のS八段」と
思い切った表現で批判していた。
それよりも佐藤七段(当時)に「大五郎! お前はそんなにまでして勝ちたいのか!」
などと言ったベテラン棋士のほうがワルだろう。
このベテラン棋士は丸田祐三ではないか、と言われているが、証拠がない。
S八段については、関根茂の可能性もあるが、しっくり来ない。
「チョメチョメ先生」と呼ばれ、昭和62年に51歳で亡くなっているS九段
の可能性が非常に高い。
記録係に「君は黙っていろ!」と口出しさせなかった、と本人が雑誌か何かで
語っていたとも言っているそうだが、私はその内容を見ていない。 >>558
咲氏の霊視前の事なんですが、少々批判的な分析になるのでご注意ください。
霊視直前の目を閉じている時、背を向けていて少しだけ後ろを覗くようにこちらを
うかがう咲氏が現れました。
その背中には大きなコウモリの羽が生えていて、咲氏本人も茶色がかったグレーに
染まっていました。異様な絵面ですが一瞬で『あ、コウモリだ』と思いました。
これは何の表れだ、と探ると『咲氏の本質を表す姿』がコウモリだと。
種類にもよると思いますが、目がほとんど見えていなくて超音波で感知するという
代表的な特徴は『現実世界をよく見ずに霊能に傾倒している』点をなぞらえているのだと
感じました。
それからコウモリについて『鳥無き里の蝙蝠』という諺があり、これを見た時に強く
ビリッとした感覚が来ておそらくこの諺は咲氏の本質をよく捉えているのではと思います。
実際霊視に移ると先述した結果であり、現実的な知識や情報を集めることをせず
自分の霊能力と経験に頼っているのではないかと分析しています。
ご本人も『経験則です』みたいな文言をそこかしこに書いているのでその通りなのかなと
いう感じですね。
経験則による見落としや視野の狭さについては自分には無いもののように感じてる風なのが、
諺に沿っている部分かなと。
以上のように分析しました。 >>6
彩咲ちゃんねる 彩
思考の長さが標準の三分の二ほどで、これは小学生くらいの子供を霊視した時と
同じ特徴である(成人した方ではかなり稀)。
少ない情報で素早く大雑把な答えを出すが、外に示すタイミングをうかがうため
内に秘めていることが多い。
ただ、全体として幼い思考なのでタイミングを見極められているとは言い難く、
少々出しゃばりだったり目立ちたがっているなどと受け取られることも多い。 今日は以上です
自分は前世や過去世について他人のそれを見るようなことは出来ません
なので咲氏についての霊視で過去世からの業、因縁だと伝わってきたのは少々
戸惑う部分もありました
思考にのしかかるものがあって歪んでいるのは、ジイジこと古田氏と構図としては
同じですね
でもその重さや強さは圧倒的に咲氏の方が大きいものでした
一方で咲氏が動画で語る事は、自分としても頷ける内容が多かったです
生まれる場所を選んでくる子供は稀だよとか霊障が起きても気にしない事とか
経験則だからこそ非常に身近でTIPS的な知識を得るには良いんじゃないかと思います
が、やはり自分に対して客観性が欠けていたり誤魔化しが多い人かなという印象はあります
では今日はここまでにします
お疲れさまでした〜 >>558
依頼者ではないけど、乙でした
霊能力はあるとは思うんですが
その能力ゆえに、子供の頃から
異端児扱いされたり、色々な苦労があっての
認知の歪みなのかなと読んでいて思いました。 >>566
依頼したものではないですが、生まれる場所を選んで生まれる子供って稀なんですか?
選んでない場合でも過酷な環境に生まれてきた子供って一体なんなんでしょうか… >>566
今日も乙でした
横からですが日出処の天子、私が一番好きな漫画なので私からもお勧めしてみます笑 >>568
横からだけど、むしろ逆じゃないですか?
魂はみな次の人生で学んだりカルマを解消するために、自ら最適だと思える親を選んで生まれて来るのが基本だと聞きますしね >>566
彩咲ちゃんねるでよく出てくる天界って本当に存在するんですかね? >>566
今宵も乙ありがとう
面白く読んでいたところ>>493が凄すぎて驚愕した
超メジャーな古代の人物にまで逢ってきちゃうなんて羨ましすぎる
>>511さんの聖霊会だから特別ゲストってレスもあたたかくて良いなあ
そして同じく横からだけど>>545さんと>>569さんに便乗して日出処の天子をお薦めするw
あなたが下級霊の話をしていたときにこのマンガに出てきた魑魅魍魎とそれを追い払うシーンを思い出していたんだよ
鳥なき里の蝙蝠って詩的というか牧歌的だけど辛辣な諺だよねw
今後も楽しみに待つわ♡ 芹沢博文(1936.10.23 ~ 1987.12.9)
佐藤大五郎(1936.10.19 ~ 2010.9.1) 遮断機の降りていた踏切を強引に渡り轟沈してしまった大野源一
升田幸三と大山康晴の兄弟子。 屋敷伸之は2011年3月11日に松尾歩との直接対決に勝ってA級入りを決めた。
一時対局が中断した将棋だった。 屋敷はA級に上がるのが10年遅かったなあ・・・・・・・
50歳になった今でもB1にいるのはよく頑張っているけれど。。。 藤井聡太がA級に上がった。
これにより、タイトル経験者でA級未経験者は福崎文吾・中村修・中村太地・高見泰地の4人に。 >>514
素直と言うか屈託の無さそうなドアマットボンボンキャラが良いですw
先生の月読とかも好きです
>>538
ガンダム大好きっぽいですよw
すみません、ちょっとスレ主さんを試す感じになっちゃった
陰謀論界隈で言われているようなフ〇ーメー〇ンとかじゃないよね
と思っているのでダークヒーローっぽい側面が腑に落ちないというか
ちょこちょこ先出ている、いわゆる聖徳太子です、な霊視も違うしちょっと視てもらおうかなと軽い気持ちで
性格ドンピシャで、おおお~と
つい何年か前まで、聖徳太子は触れてはいけないといわれていたらしいですが
封印されてたのが綻びはじめたのかな
この人にかけられてる何重もの偽レイヤーを突破できてご尊顔を拝することができると楽しいね
本当に無茶ぶりに誠実に対応してくれてありがとう
信頼度強い!
>>572
意外と静かにお笑いを取りにくるタイプだと思います
他人にかけられた聖人レイヤーを外したら普通の人なので
末長く愛でていける時空間を越える最強の推しですw 丸田祐三の息子の丸田祥三氏が子供の頃、升田幸三が出てきて
「お前さんは可愛げがあって、いいな。きっとお母さんのほうに似たんだな」と
声を掛けたら、物陰から丸田夫人(祥三氏の母親)が出てきて、
「全く、その通りでございますわね」
ヒゲの大先生、ニタニタしながら退散したらしい。 大山康晴が中原誠に名人を取られた直後「ヤマさんもこれで終わりだな」と
丸田祐三が言ったというが、誰かの創作にハメられた可能性が高い。
本人の大山康晴への評価は変わらず高かったからだ。
大山と丸田の間に気まずいものが生じ、それまでの友好関係にヒビが
入ったとされる。 青野照市の次男は元・高校球児。慶應義塾高校在学時の2008年に補欠選手ではあったが、ベンチ入りして、甲子園の土を踏んでいる。 中原誠の母校は春の選抜優勝経験高校。
大山康晴から名人を奪取した年。
谷川浩司の母校は高校3年の春夏と甲子園出場。甲子園に応援に行ったらしい。 戦前生まれは中卒が当たり前だった。
戦後生まれ(昭和22年)の石田和雄は「私は中卒ですけど、将棋界は高学歴な人の
ほうがコンプレックスを持っている不思議な世界ですね」とコメントしていたが、
なるほど、と思った。
大成出来るかどうか自信のない人がプロ棋士になれなかった時の保険として、学歴を
つけておこう、と考えたのが昔の将棋界のようだ。 >>578
まさかオカ板で聖徳太子推しに出会えるとは思わなんだw
依頼してくれてありがとうございます! >>578
自分にまでレスくださりうれしい
素晴らしいリクエストとあたたかいお言葉に感謝♡どうもありがとう
末永く愛でていける時空を超える最強の推しって素敵すぎる
そして紙幣の肖像を聖徳太子に戻して欲しいとずっと思っていたので時空を超える最強の推しって猛烈に腑に落ちたw 中学生プロ棋士5人の中で加藤一二三だけが大学に行った。
中卒が王道の将棋界で、中学の段階で職業を得た男がなんで大学まで行ったのか不思議だったが、のちに師匠を南口繫一から剱持松二に変えた時に理由が分かった。
京都に居たくなかったのだ。
早稲田大学進学は、南口繫一から離れる格好の理由になった。
谷川浩司・羽生善治・渡辺明は高卒。藤井聡太は高校自主退学。 加藤一二三は早大二文に入学したが卒業はしていない。
タモリも早大二文中退
吉永小百合は珍しく早大二文卒業
加藤一二三は20歳で中学校の同級生と結婚している 谷川浩司(滝川高校卒)の実兄は灘高→東大→リコーと進んだ俊昭氏で17世名人の5歳年長。
昭和後期の将棋界の最強アマチュアで、今ならプロ編入試験を受けてプロ入りする選択肢もあったのかも知れない。 晩年のアニー伝説に触れないあたりオールドファンの鏡だな 「アンタ、どこの組の者だい?」
何故か組関係の者に間違えられてしまった若き日の真部一男が
「日本将棋連盟です」
「組長は誰だ?」
「会長は塚田正夫です」
と応えて、なんとか災難を免れたと聞いた。 酒を愛しすぎた人は長く生きられなかった。
昔はヘビー・スモーカーも多かった。
升田幸三は1日300本もタバコを吸っていた時期があるという。
ただ「ロッキード事件で田中角栄がパクられた頃、タバコをやめた」という本人の
コメントがある。イメージに反して、残りの約15年は喫煙はしなかった。
酒は晩年は「焼酎のお湯割りをチビチビと」飲む程度だったという。 大山康晴は昭和34年頃、タバコをやめる。持久力が落ちて来るのを感じたかららしい。
自分を律することが出来たのが長所。 こってりしたビーフ・カレーを2杯食べ、ビフテキにサラダ。
「もっと、じゃんじゃん持ってきなさいよ」
対局相手の前でガンガン食べて、無言の威圧を掛ける15世名人。
盤外戦術の鬼を現代によみがえらせてみたい。 親戚筋の囲碁の世界は食の細い人が多いみたいだけど(最近はそうでもないらしいが)
将棋界は「食べないともたない」と考える人が多く、健啖家に強い人が多いこともあって、その伝統が脈々と受け継がれているようだ。
大山康晴に言わせると「加藤(一二三)さんが最強。あの人には負けます」と
大食漢最強は加藤一二三であると強調していた。
現代ならば、丸山忠久と永瀬拓矢は毎回凄いようだ。藤井聡太も相撲部屋に一日体験
した時は、ちゃんこなど相当に食べていた。この方面でも頼もしい。 糖尿病薬なかったらどうするかは別として取材依頼のコンタクトはあるらしいじゃん
コーラのグッズ収集に忙しい3T転けネイサン 丸田祐三が「キミ、今期はチャンスだね。たとえ日帰りでもいいじゃないか。(A級に)
行ってきたまえ」と木村義徳を励ましてくれたらしい。79年の話。 木村義徳は最初で最後のチャンスを見事に生かしてA級入りした。勝負強さは父親譲り。 対局しながら二人で声を合わせて歌を歌っていた時期もある大山康晴と丸田祐三 昭和48年に規定が変わり、九段が大量に増産された。
九段は、それまで塚田正夫と升田幸三しか名乗っておらず、この年に大山康晴が
無冠になって、一時的に「九段」を名乗っていた。イメージ的に「元名人」と
いった趣があり、それだけ権威があった。
その権威が徐々に揺らぐようになる。
九段を量産したのには、親戚筋と言われる囲碁界が多くの九段を抱えていたこと
が理由と思われる。囲碁界とのバランスを取ったのだ。
昭和48年に九段が一気に増えた時に升田幸三は猛反対した。
「丸田などは九段じゃなくてB級1組七段の格だ」などと毒づいたが相手にされなかった
ようである。 竜王を取られた翌日にミス川崎と婚約した初代竜王・島朗 現役反社と指名手配犯に利益供与する現役国会議員が詐欺師が丸儲けするだけだろう。
カルト一派だと思ってるのが産まれてくるんだから、嫌な思いあるんだろうな
あと
5キロ痩せるとかそのレベルじゃねえなと確認したいのかな アルマードの今のうちに貯金増やすんだろ
今日ヒラメのフライもあったのも山下のでさえ4パーとか顔だけなんだ >>417
免許の年齢変わらない子と触れ合う事で社会復帰を目指す
おっさん擬人化 婚約した直後は新竜王となった羽生善治と一緒に周りから「おめでとう」と
言われていた島朗。
「失ったものよりも得たもののほうが遥かに大きい」との評価も。
目の覚めるような美人の結婚相手だったが死別
鈴木環奈の母親と死別した同志で再婚。 室谷由紀→谷口由紀→室谷由紀
名前が変わった理由はよく知らない。 MVPはやはりというか、この人以外、ありえない。藤井聡太竜王。 居飛車穴熊の田中寅彦も引退か。
ちょっと淋しい感じ。 糖質抜いても
地方に住んでるのか
世代間の価値観
こんな問題がという気分 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています