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雑記【予兆総合検証
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0001本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 18:12:48.08ID:jYcAT69s0
常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。
アインシュタイン
0002本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 18:20:31.48ID:jYcAT69s0
・宇宙からのエネルギーは、富士山に降り、地下でふたつに分かれ、東京と伊勢に流れている。富士山の上にアヴァター(神の化身)が浮かんで見える。 ーベラ・コチェフスカ
0003本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 18:28:45.48ID:jYcAT69s0
1874年、ロシアのペテルスプルグで生まれたニコライ・リョーリフ(ニコライ・レーリッヒ)は、本業の画家のほかに舞台美術家、作家、教育家として活躍する一方で、東洋思想に傾倒します。

ロシア革命以後、インドのマハートマー・モリヤに師事しながち、移住先のアメリカでさまざまな精神的・文化的運動を推進しました。

1925年から5年半にわたり、シャンバラを捜し求めて、中央アジア一帯を探索します。

1925年にリョーリフは師モリヤの足跡をたどり、巨大なキャラバンを率いてチベットに入りました。


1928年5月、リョーリフはチベット奥地の砂漠地帯を進んでいたとき、現地のポーター(運搬人)が歩みを止め、そこから先は禁足地なので入ることはできないと語りました。

リョーリフは深夜に1人で禁足地に入り姿を消し、翌日リョーリフは帰ってきましたが、その表情はただならぬものであったといいます。

リョーリフはシャンバラ・ゲートを発見しシャンバラ人に選ばれシャンバラへと移動しましたが、シャンバラで見たことは生涯語りませんでした。

https://i.imgur.com/S27O9gt.jpg
0004本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 18:32:44.50ID:jYcAT69s0
リョーリフの行程はまず北西インドのスリナガルからカラコルム山脈を越えて中央アジアに入り、ロシア領のバイカル湖にいたって南下、チベット高原を通って北東インドのシッキムにいたる行程でした。

その踏破した距離は1万kmにもおよびました。
その探索行においてリョーリフはさまざまな不思議体験をするのですが、彼自身はシャンバラに到達したとは語っていません。
ただしその記述からは、リョーリフがただならぬ世界にかかわったことが読みとれます。
0005本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 18:36:57.81ID:jYcAT69s0
リョーリフは何を見たのか詳細は不明ですが、その内容は1947年12月に西チベットのナガルで他界するまで明かしませんでした。
多くの人々はきっとリョーリフはシャンバラの入り口に辿り着き、一瞬ではあったかもしれませんが、シャンバラに入ったに違いないと噂になりました。

研究家によれば、一行が野営したのは現地の言葉で清めを意味するチベットのヒマラヤ山脈東端にある世界最長のヤルツァンポ峡谷(ヤルツァンポ渓谷)」だった可能性があるといいます。
ヤルツァンポ峡谷周囲は、高い山々に囲まれていて、現詳細な調査がされたことがほとんどない秘境地帯です。

https://i.imgur.com/fAZV31a.jpg
0006本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 18:41:45.63ID:jYcAT69s0
ヤルツァンポ渓谷については1627年にステファノ・キャセラとヨハネス・カブラルのイエズス会士が、ブータンから中国に抜けるルートを探索していたときに地元の人々から聞いた話として、こう記録に残しています。
「チェンベラとよばれる国が実在するという。
そこはソグポとよぶ渓谷と接する場所から入るという。」
チェンベラとはシャンバラのことで、ソグポともよばれるヤルツァンポ渓谷にはその入り口が存在するというのです。
状況から見てリョーリフがシャンバラの入り口に到達したのです。

彼は日記に記しています。
「目の前には幅10mの縦穴を中央にして、外界との境を示す『白い巨石の板』が3本建っていた。
外界との境とは、まさに地底王国シャンバラの入り口を指すと見て間違いない。
その入り口には、巨大な目印の白く巨大な石板の柱が建っている」

同じ物を別の箇所で、リョーリフはこうも記しています。
「われわれもシャンバラの3個の白い標識の1個を見つけた」

どうやらチベット奥地のソグポ渓谷には、明らかな人工物として3つの巨大な板状の石柱が建っているらしいのです。
これこそ伝説の地底王国シャンバラの入り口を示す門のような印です。
しかし、現在ソグポ渓谷一帯への立ち入りは中国当局によって厳しく禁じられています。
インドと国境を接する紛争地帯であるのが表向きの理由ですが、実際は中国共産党の幹部および軍の上層部はシンバラの入り口を知っているのです。

中国当局がシャンバラの三本石柱を最終的に確認したのは1993年で、シャンバラが実在することを確信した中国政府は軍事的な最重要地帯であるとして、辺り一帯を完全封鎖してしまったのです。
0007本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 18:55:01.78ID:jYcAT69s0
ソグポ渓谷で謎の白い三本石柱を目にしたリョーリフは、以後、神秘的な絵画を描き始めます。
多くは現在、ニューヨークのリョーリフ博物館に収蔵されていますが、その中の一枚にヒマラヤ山中の小さな湖を描いた作品があります。
湖の中央には島があり、そこにはとぐろを巻いた蛇が鎮座し蛇は島全体を取り巻いています。

https://i.imgur.com/dv93ceS.jpg


富士山の上にアヴァター(神の化身)が浮かんで見える。 ーベラ・コチェフスカ


須彌山(しゅみせん)説ー仏教宇宙観

出典は、紀元5世紀、インドで集大成された『倶舎論』。古代インドの人々の考えていた地球の構造。

https://i.imgur.com/h5Po1b3.jpg


神霊と言ってもイメージが浮かばなかったが、霊能者や古代の経典、シャンバラ到達者の話を総合するに我々には見えないだけで巨大な存在が自然の中に鎮座している?
0008本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 19:13:01.77ID:jYcAT69s0
予言者ミタール・タラビッチ

1829年〜1899年にセルビアのクレモナという町に生まれ、文盲の羊飼いだったが、神父である叔父が代筆をして予言を書き残した。

彼の予言はセルビアではとても有名で、一家に一冊はかならずあるということ。


「人々は都市から逃げ出し、田舎に避難する。人々は十字が3つ並んだ山を探す。

その中では人々は生きていくことができる。

その中に逃げ込んだ者たちは、自分も家族も救うことができる。

しかし、それも長くは続かない。なぜなら次にものすごい飢饉が世界を襲うからだ。

この飢饉は通常の飢饉ではない。町や村には十分に食べ物がある、だがそれらは汚染されている。

飢えた人々はそれを食べるが、食べると死んでしまう。」
0009本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 19:18:32.50ID:jYcAT69s0
中国と同じく社会主義国家を目指すソ連もまた、シャンバラ伝説を調査しました。
ロシアの領土をそっくり引き継いだソ連もまたスターリンの指導のもとシャンバラ伝説の探究を行っていたのです。
直接的なきっかけはチベットから送られてきた密使である高僧クンゴ・ジグメの出現でした。
彼はダライ・ラマ13世の死後、遺言に従いソ連へ接近しました。
地政学的に中国やイギリスを牽制することで、チベット独立に協力してくれるよう願い出たのです。
0010本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 19:20:34.59ID:jYcAT69s0
毛沢東と同様に宗教は有毒と考えるスターリンでしたが、シャンバラ伝説には深い関心を寄せていました。

スターリンは以前にロシア人だったニコライ・リョーリフと会っており、このときシャンバラからの手紙を受け取っているのです。
手紙の具体的な内容は不明です、それはスターリンを苦しめるものだったらしいです。
この一件以来、スターリンのシャンバラに対する憎悪は高まる一方でした。
そこへチベットからの密使が中国共産党に気づかれずやって来たのです。

ダライ・ラマ13世の側近でありシャンバラの情報を知っているクンゴ・ジグメは、シャンバラの情報を知りたかったスターリンには重要人物でした。
スターリンはクンゴ・ジグメを丁重に扱いながらも軟禁しほとんど幽閉同然にして、クンゴ・ジグメからシャンバラの秘密を聞き出そうとしました。

クンゴ・ジグメの世話役のプーシキンはシャンバラに関する情報を聞き出し、シャンバラへの入り口を見つけるためプーシキンはクンゴ・ジグメを連れ出しシベリアの奥地へと向かいました。
彼らは北上を続け北極海にまで来て、シャンバラにかかわる重大な「クンゴ・ジグメの遺物」とよばれる岩場の遺跡を発見しました。
発見したときクンゴ・ジグメとプーシキンは子供のようにはしゃぎ抱き合って喜んだと伝えられています。
クンゴ・ジグメによれば、これこそシャンバラの住民が残した聖なる遺跡で道標のような物で、この先にシャンバラの入り口があるといいます。

遺跡の存在を確かめたプーシキンはスターリンへ報告しましたが、スターリンは激怒しクンゴ・ジグメをシベリアに幽閉しました。
なぜならクンゴ・ジグメの遺物の先にあるのは氷に閉ざされた北極海だけなので、スターリンはクンゴ・ジグメにだまされたと思ったのです。
神の助けもなく高度科学知識もないスターリンはここにシャンバラがあるとは思えなかったのです。
しかし実際はシャンバラは確かに「クンゴ・ジグメの遺物」の先に存在するのです。
0011本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 19:24:44.81ID:jYcAT69s0
リョーリフを有名にしたのは、汎米連合(Pan American Union)(現・米州機構)に加盟するアメリカ合州国と20か国の加盟国を文化財保全を目的とした初期の国際条約である「リョーリフ条約(国際文化財保護条約)」です。
リョーリフ条約の目的は戦時下の文化財保護で、戦争状態にあっても互いに敵国の文化財を攻撃対象としない約束です。
リョーリフの提唱がアメリカで認められたのは1933年で1935年に調印されました。
リョーリフは条約のシンボルは白地に赤い円を描き、その中に3つの赤い丸点を三角形に配置した物で「文化赤十字」とよばれます。

https://i.imgur.com/wrH4cze.jpg
https://i.imgur.com/lf5eWH6.jpg
0012本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 19:28:19.56ID:jYcAT69s0
この文化赤十字はリョーリフのシャンバラを題材にした絵画にもしばしば登場する。

この絵画にはイエス・キリストの象徴としてキリスト教美術に頻繁に見られた「キリスト」のギリシャ語Χριστοςの最初の2文字 Χ (キー)・ Ρ (ロー)を同じ形のラテン文字に置き換えたものであるモノグラム ☧ (キーロー)が描かれていて、この人物はクリスチャンであることを示しています。

文化赤十字の印は、チベットで「シャンバラの聖印」として伝わっています。
クンゴ・ジグメが奥シベリアで発見した岩場を、シャンバラの遺跡であると断定したのは、そこに「シャンバラの聖印」が描かれていたからなのです。


https://i.imgur.com/YEF4yAt.jpg
https://i.imgur.com/VCNgxyh.jpg
0013本当にあった怖い名無し
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2024/01/21(日) 19:59:26.69ID:jYcAT69s0
十字が3つ並んだ山とはシャンバラの聖印のある場所?
特定の場所でなく世界各地の山が何らかの導きによりシャンバラの入り口の様になる?
しかしそれなら一時は救われるものの、更なる飢饉が起これば影響を受けるとはどういう事だろう
シャンバラはある種の半霊半物質の空間ではないという事か?
0019本当にあった怖い名無し
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2024/01/22(月) 09:04:18.94ID:WT+Bnvi60
セックス相手が淫魔だってバレるシチュエーション、気づいたら角と羽が(隠すの忘れて)出てるパターンと気持ちよすぎてメリメリメリって出てくるところを見ちゃうパターンとどっちが好き?
0022本当にあった怖い名無し
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2024/01/27(土) 12:14:43.49ID:WbFpKfMY0
河野デジタル相「マイナカードと一緒に避難して」発言…「停電ならただのカード」「まだ言ってる」SNSで批判殺到 [煮卵★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1706233124/

能登地震の被災者把握でマイナカードを断念、「Suica」で代替--「リーダー用意できず」と河野大臣 [煮卵★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1706244512/
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