>>624
615を投稿した者です。

自分も洒落怖に投稿されたものをいちいち否定するつもりはないが、あなたは『神』という言葉を聞いて、どういうイメージを持ってる?どういうものを神だと認識してる?

人智を超えた力や、この宇宙を生み出した正体不明の力を『神』と名乗っているのか、それとも、古事記のように名前を持つものを存在しているとみなして『神』としているのか。

『信仰』というものは、時に人を救い、時に破滅を生むこともあるということは、霊が見えても見えなくてもしっかり覚えておかなければならない事実だと思う。

昔の人間は神を信じるというよりも『依存』していると言った方が近い。化学が発展していない時代は何か惨事があると神のせいにし、何か奇跡が起こると神のおかげだと言う。祠や神社に、人が「願い」をそこに置いていくことで色んな人の念を併せ持つ塊が生まれる。

祟りというものは、その神が元々そこにいて自らの意志で引き起こしているものと捉えられがちだが、見てみると神ではなく長い時を経て積もり積もった人の邪念(欲望や憎悪)が引き金だったということが多いらしい。

あと、人は定期的に起きる予測不可能な自然現象(地震・噴火)や不幸な出来事を神の祟りと呼びがちであるが、これも人間が間違って信じている迷信らしい。例えば、代々病気で短命が多い家系は呪われているのではなく、そもそも遺伝子的に体が弱い体質で祟りとは何も関係のない場合が多いとか。最近怪我が多いとかも、霊や祟りが起因しているものはほとんどない。疲れが溜まって不注意になっていたり、鬱病の初期症状で判断力が鈍るとかもあるらしい。

つまり友人が言うのは、何でもかんでも霊や神のせいにすると、その恐れる念が自分自身に災いを起こしかねないということだ。

洒落怖は創作も含まれる可能性があるため全ての話を事実と断定することはできないし、自分がその話をどうと言える立場ではないが、怖がって精神的に衰弱して二次被害、三次被害を生むようなら、気付け目的でお祓いに行くのは効果があるらしい。

神の話に戻るが、悲惨な死に方をしたり、多くの人を救って生涯を全うした人の霊魂は、後世でも大事にされるためにあえて『神』の名を与えることもあるとか。

まぁ、信じるか否かは読んでいる人次第だな。