カルマの法則は真実だろうか?
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初めまして、メグと申します。
スピリチュアル板でもカルマの法則に関してご質問をお受けしていたのですが、こちらでもお受けすることにいたしました。
需要があるか分かりませんが、こちらでもカルマの法則に関するスレを立てさせて頂きます。
何かご質問があればお願いいたします。
他、カルマの法則や、この世に存在すると感じられる法則に関する意見交換など、ご自由に発言して頂ければ幸いです。
派生元スレ 貯金ゼロまで寄付してみたらこの世とあの世の仕組みを一部教えてもらえた(ただ寄付のみやるのは推奨しません)
↓
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/ 僕の考えるカルマの法則の概要についてお伝えします。
カルマの法則は人間の精神成長のベースとなっている法則です。
その過程では『自身のした行為が自身に返ってくる』などの原理も観られます。
例えば、誰かの悪口を言う→自身が人から悪口を言われやすい人格になる→悪口を言われるような振る舞いをする→悪口を言われるという流れがあります。
このように自身の行為の影響はまず自身の人格に返ってきます。
良いも悪いも自身の過去の行為により自我が形成され、その自我を解消するために未来・現在の出来事が起こってくる、という流れとなります。
※分かりやすいので悪口を例にしましたが、人に対する指摘には良い場合もあり、逆に、褒め言葉に関しても悪い場合もあります。
褒め言葉の場合ですと、親が子供の容姿ばかり褒めてしまった事で、”容姿が醜いと自分には価値が無い”と子供が信じこんでしまった場合、それは未来にコンプレックスとなり悩みの元になります。
こうした事もありますので、実際は、褒め言葉=良いというわけではありません。 普通、親にしろ子供だの言うのは自分と同じ方の同性相手なんだけどよ
息子なら分からんことがあったら母親に相談はするがな
分からんからよ >>4様
ご意見を頂きとても嬉しいです!
本当にありがとうございます。
>>2で用いた、親と子供の例は、漠然と母親と娘、父親と娘といったイメージで書いております。
>>息子なら分からんことがあったら母親に相談はするがな
そうですね。
僕も分からない事があれば、今でも母親によく聴きます。 >>17様
20くらいまでレスがつかないと早く落ちてしまうんですね。
保守頂き本当に光栄です!
5ちゃんのルールを教えて頂けて、とても心強いです。
この先、僕も何かの形で少しでもお役に立てれば幸いです。 保守を兼ねて派生元のスレから重要と感じる情報を引用させて頂きます
↓
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/
「なぜ優しさが大切なのか?」について、カルマの法則における観点からお伝えいたします。
優しさというのは【無自覚に働く知性】と言えます。
心優しい人は無自覚にカルマの法則(精神の成長)にとって最善な行動を取り、結果としてもっとも良い道を選べます。
愛がよく知性と同等に扱われるのは、愛のある人は道を踏み外さない賢さがあるからです。
いかに知能が低かったとしても、愛のある人は賢い選択をすることになるでしょう。
人を害すことで自分も人も損失を被ることが無自覚に理解できているからです。
この世においては知能の高い人が注目される傾向がありますが、知能とは扱いが難しいものです。
知能が高いばかりに誤った選択をしてしまうこともあれば、知能が高いばかりに人を見下すことで人格を汚したばかりに、後に苦渋をなめなければいけなくなることもあります。
また、知能は仮の自我にとって都合の良いことばかりを追い求めやすいため、仮の自我から脱却するにあたり障害になってしまいがちです。
知能をうまく扱うには、その分だけ、大きな知性を要すると思います。
(知能は仮の自我由来のもので、知性は実体や潜在意識由来のものです)
知能は低い善を追い求めやすいです。
例えば、愛国心も過ぎれば他の国を蔑み、その排他的感情は戦争にもつながります。
1つの派閥の利益を増やすために10の派閥に損失をもたらすような、そんな理にもかなわないことが容易に行われます。
(それでは、長期的に観ると、他ならぬ自身の損失が10倍に膨れ上がってしまいます)
一方、知性は大きな善を追い求めます。
この世どころかその後の世界における良い選択をする長期的視野があります。
そのため、世界全体で様々なものを分け合おうとします。
国境や人種に囚われず、個々の人の内面や様々な事情を理解しようとする賢さがあります。
精神成長によって大きく伸びるのは知性(愛)です。 保守を兼ねて派生元のスレから重要と感じる情報を引用させて頂きます
↓
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/
下記「嫌いな人間との関係の根底にある原理・現実は精神構造の投影」というテーマについて
自分の主義を押し付けてくる人物が嫌いな場合、その人は「こうあらなければいけない」と、自分自身に何かの主義を無理に押し付けているケースが観られます。
相手は人に対して狭い考え方を押し付ける欠点があるが、自分には、自分自身に狭い考え方を押し付ける欠点があるという点で、欠点が本質的に一致します。
もちろん、人に押し付ける方が欠点としては大きいのですが、この世においては、大きい欠点をもつ人がそれよりは小さい同様の欠点を持つ人にちょっかいを出す事で、精神の成長が促進されるということが多いです。
(認めたくはないですが、嫌いな人が持つ性質は、潜在的性格において同様の性質が少しばかりあります。環境さえ違っていたら同じことをしていた危険性が自分にまだあるという点で、嫌いな人を通じて潜在的性格が直されたりします)
このように、自身の精神構造が世界に投影された結果、様々な人と出会うことが多いです。
他の例では、学歴が無いことに罪悪感を持つ人であるほど、その罪悪感が具現化したように学歴が無いことで馬鹿にされたり・損をしたりなどの経験をしやすくなります。
これはカルマの解消過程でもあり、その罪悪感の根源を超え、より真実に近い見識を身に着けるため成長へと導く法則の一つです。
学歴の罪悪感は「学歴が無いとダメだ」といった偏見と盲信から生まれています。
嫌いな人物にはこうした要素が含まれていて、偏見と盲信が解除されるほどに、嫌いな人物と縁が無くなるか、そもそも嫌いではなくなっていきます。 保守を兼ねて派生元のスレから重要と感じる情報を引用させて頂きます
↓
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/
下記「人間に備わる想念の力」というテーマについて
想念について理解するのに分かりやすいのが、
【なぜか、相手の見たとおりに振る舞ってしまう原理】ではないでしょうか。
例えば、自分を信じていない上司や親の前では、なぜかミスばかりをしてしまうことってあると思います。
「〇〇さんの前ではついこんな風にふるまっちゃうんだよな....」ということです。
これは相手の想念が自身に影響したのが大きな原因の一つです。
人間は人それぞれ世界観を持っていて、それは、世界全体に大きな影響力があります。
例えば、人間は優しいものと固く信じていれば、優しい人に出会いやすくなり、出会った人を優しくしていくでしょう。
逆に、人間は裏切るものと固く信じていれば、裏切る人に出会いやすくなり、裏切るつもりの無かった人も裏切ってしまいやすくなります。
このように、意図的に念じた思い以外にも、無自覚に信じていることまでもが想念になっています。
世界観はその人の生まれ持った精神や肉体的性格・親類との関わりなど、様々なものが複合されて形作られます。
好むも好まないに関わらず、自身の世界観は世界に影響を及ぼしています。 >>22様
興味深いご意見を頂き本当にありがとうございます!
おっしゃる通り、循環するか・しないかというのは物事の判断基準において大きな違いが出ると思いました。
とても参考になります。
循環を僕なりに定義すると、「最初に出発した物・付属物が終着点に還り、また出発するという繰り返し」となりました。
この定義からカルマの法則を捉えると、まさに過去の行為により人格に何かが付属され、また現在を出発するという”循環”に当てはまるように思います。
逆に、循環が無い場合ですと、【出発した物が終着点に到達し、もう出発しない】あるいは【出発した物が終着点に一向に辿り着かないが動き続けている】ということだと思います。
ビリヤードの玉を打って出発点と違う場所を終着点として止まった場合、それは循環しないという事になるのだと考えました。
ただ、この玉が100万年放置された場合、何らかの形でその玉は分解されたり、他の何かと同化したりすることもあるかもしれません。
この場合、玉は動きとしては循環しないけれども、存在としては循環する可能性を秘めているのかもしれません。
同じ物体や出来事であっても循環する領域は異なって存在する面もあるのかもしれません。
循環という概念を教えて頂き感謝いたします。
いつもは考えなかった事ですので参考になりました。 >>24様
ご意見を頂きとても嬉しいです!
ありがとうございます。
これを機会に「カルマ」という言葉の意味を調べてみました。
おっしゃる通り、カルマという言葉は仏教用語のようです。
カルマの法則を検証するために色々してきましたが、カルマという言葉自体に詳しくありません。
調べるきっかけを頂き感謝いたします!
今後も何か気になることがあれば、教えを頂ければ幸いです。 ここまで読んで、
例えばある人物なり出来事に怒りや憎しみを感じたとします。
その想いを浄化しなければ「想い」というカルマは発生して そこからまた望まない人生の状況を創造してしまいますよね?
改善のための具体的な方法や考え方をご存知でしたらお聞かせください。 >>26様
書き込み頂き本当にありがとうございます!
サマルとさんはスピリチュアル板の「霊界の隙間からこんにちは」スレにおられる方でしょうか?
もし、そうでしたら、僕はその方とは別の人間です(^^) >>27様
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
少しでもお役に立つことができれば幸いです。
長くなりましたので、二つに分けて回答を投稿いたします。
結論から言うと、誰かに対する怒りや憎しみの想いをすぐに解消・浄化する方法は無いと考えています。
というのもそれらを生じさせる元である”自我”はすぐに無くせるものではないからです。
ただ、根本的に負の想いを除去するための方法は存在すると考えています。
【自身の精神的欠点を克服する】というものです。
例えば、自身を抑圧する性質(欠点)を持つ人であると、人から感情的に当たられやすくなる傾向があります。
その際に相手に怒りや憎しみが生じることがあると思います。
この場合ですと、『自身への抑圧を外す行動を日頃から行う』という事が、想いの解消・浄化のための根本解決法になります。
相手を許そうと頑張ることもプラスに働く面はあるのですが、その出来事自体が”自身に対する抑圧”を原因として起こっていますので、自身への抑圧を解消することが根本解決になります。
抑圧の少ない自我になると、「過去の自我(以前の自分)」では許せなかった人への感じ方が変わり、相手への想念も変わります。
(この段階でその相手との縁が切れたり、様々な変化が現実に及ぶことが多いです)
抑圧を外すと一言で言っても、個性の数だけ様々な具体的な方法があるのですが、一例としては
・人前で夢(やりたい事)を語れなかったなら、人前で夢を語るように意識してみる
・一人で行くのに気後れしていた場所があったら一人で行ってみる
・暗い服ばかり無意識に選んでいたなら、明るい服を選んでみる
など、様々あります。
人に対する悪想念の元である抑圧(自我)を外す行動であるほどに、そこには心理的抵抗が伴います。
もちろん、人に対する明らかな悪い行為は良くないのですが、そうでない場合、心理的抵抗を破って抑圧を外す行動をする方が良い結果になりやすいです。 ちなみに、相手に直接、感情的に言い返すことも”自身への抑圧が極端な人(人に嫌われたくない恐れが強い、など)”であれば、そこまで悪い行動ではありません。
ただ、根本的には、必ず過去・前世において自身がした過ちと今回の出来事は繋がっているがゆえに、今、相手に対し感情的に反撃するということは過去と同じ轍を踏む行為になってしまうため、長期的には報われにくいと思います。
今回は自身に対する抑圧を例にしましたが、これらの事例は多いものの一例であり、人間同士のトラブルには他にも様々な性質が絡んでいます。
『問題が起こった根本の理由』をできるだけ把握して、その根本原因を解消するアプローチが有効だと思います。
これを自分で探る場合は、”〇〇さんとのトラブルは自分に何を教えようとしているのか?”と普段から念じる事が良いです。
周囲の出来事を通じて、何かしらの答えへと導きがもらいやすくなります。
例え、正確な答えに辿り着けなくても、根本解決が出来なくても、このように『問題を通じて根本原因を探ろうとした姿勢』そのものが長期的に大きな良い影響をもたらしますので、まずここをクリアできるだけでも長期的には想念の浄化(精神の成長)に繋がると考えています。 丁寧な返信 本当にありがとうございます
長年自分なりの考え方で浄化しているつもりでした。しかし抑圧されたモノは他人や外部の状況を通して見ることになり それを見てまた文句タラタラの状況が続いていました。
こうなると悪意は移動しているだけで その他人の悪意でさえ自分の担当すべき課題に思えて 「まとめて祈る」というような心境なってから初めて心が落ち着きを取り戻している感じです。
今回メグ様のスレタイと丁寧な語り口を見つけ感じるところがあり書き込みさせていただきました。
良スレに成るよう期待します
また書き込みさせて下さいね。 >>31様
こちらこそ、ご質問を頂き本当にありがとうございました。
ご縁を頂けて光栄です。
31様の過去のあらゆる努力や忍耐も、長期的には必ず報われるものだと思います。
それで、カルマの法則を検証してきた結果、人それぞれ、道を開くための選択肢は必ずあるのだと感じています。
今後もお力になれたらとても嬉しいです。
この先も、お気軽にご質問を頂ければ幸いです。 魂が成長に執着するのはなぜですか?
カルマとはあまりにも人間にとって好都合な解釈がされていますね。分かりやす過ぎると言いますか良くも悪くもいかにも人間が考えつくような思想のように感じます。 >>27
或(ほる) 或(おる) 病(ある) 刀(ない) 有る(るる) 無い(のい) >>33様
素晴らしいご意見を頂き本当にありがとうございます!
”成長に執着する”という言葉に非常に感銘を受けました。
斬新な見識をお持ちですね。
おっしゃる通り、僕のお伝えしているカルマの法則は人間的視点に寄っていると思います。
僕自身、その外側の世界を観たいと考えていますので、33様のようなご意見はとても嬉しいです。
実は、僕自身、向上心に溢れた人であっても、ある一定の段階で成長への執着を断つことになると考えています。
ただ、人は仕事・恋愛・様々な人間関係においても『より良い選択』を目指す気持ちを抑えきれ無いとも思っています。
これは見方によっては、成長への執着なのですが、消えないことにもそれなりの意味があるのだと思います。
動植物が自然と体が成長する作用があるように、魂にもそれがあるのかは別として、成長への執着が消えない場合、その”執着が消えない理由”は僕もこの先詳しく理解できたらいいですね。
より良い選択を日々目指す(成長を目指す)・目指さない(より良い選択をすることに囚われない)
のどちらにも相応の可能性を感じます。
ただ、そうなると気になるのは、僕のお伝えしているカルマの法則が実際に存在するのか?という点です。
例えば、>>2にあるような誰かの悪口を言う→自身が人から悪口を言われやすい人格になる→悪口を言われるような振る舞いをする→悪口を言われるといった流れがあります。
これらの原理が実存するのかどうかが大切になると思います。
というのも、これらが存在するのであれば、その法則は人間にとって”電気”を活用できるようになるような恩恵に繋がると思います。
電気も元々は見えない力として自然に働いているものでしたが、人類の中の誰かがそれを解き明かして、人間は自身の力へと換えることに繋がっています。
これと同様に、実際にこの法則が存在する可能性がある場合、ひとまずそれを探究することも理に適うように感じます。
そのため、ひとまずは徹底的にカルマの法則に沿った行動をしていき、その結果、僕の生活・人格が破綻するか、それとも、その逆を行くのかを観察してみます。
また、33様の思想にはとても価値があると思いますので、”成長が無い”という前提で徹底的に掘り下げていったとしても、観えるものが多いかもしれませんね。 >>34様
素晴らしいご意見、とても参考になります。
【魂に成長が無い】という視点は僕にとって新しい世界を開くことになるかもしれません。
現状、まずはカルマの法則に沿った生き方を徹底的にするのですが、それにより何か大切なものが破綻した場合、魂に成長が全く無いという思想も徹底的に検証してみたいと考えています。
実は、僕自身、>>1に記載した前スレにて”成長を目指さない”ことの大切さに気付き、現状、その思想による恩恵も受けている状態です。
ただ、この場合、まずは精神的欠点の克服や他者への貢献により知性が向上しないと、「成長を目指さない」ことによって人の生活・人格が破綻(不幸)に向かう恐れが強いものとして考えてはいます。
果たして”成長を目指さない”ことが、どの時点で有効なのかが僕も関心のある所です。
魂に成長がなんて無いという思想も検証する価値があるものだと思います!
良いご意見を頂き本当にありがとうございます。 >>36
よく魂は成長を目指して輪廻転生を繰り返すと言われていたので、あらゆるSNS等で同様の質問をしまくりました。こちらは微妙にスレチだったと思うんですが真摯なレスありがとうございました。
その手法なり法則なり原理を身をもって探究されてる方なんですね。私もスピ系は大好きだったので色々試していた時期があります。私の場合、悪口を言わない→話していて楽しくないと思われることが多かった、という結果が得られまあまあまあって感じでしたね。人の悪口を共有すると他者との距離がグッと近付くか拒絶されることから、もしかすると類友とはこういうカラクリなのかもしれませんね。
脱線失礼しました。 >>38様
優れたご洞察をされていて驚きました。
”悪口を共有する事で人との距離が近づき、類友(悪口を言うという点で)ができる”
というのは、僕もカルマの法則が大きく関わっているように思います。
長期的に観ると、その人間関係からは誰かへの不当な悪口を言った分の負の部分が大きく出てくる傾向がありますね。
おっしゃる通り、実際は、悪口で躊躇なく盛り上がれる方が人から見てとっつきやすいように感じられる事もまた事実でしょう。
悪口を言わない人は”本音”まで隠すことが多いので、その部分が人から見てとっつきにくく感じる面なのかもしれません。
ただ、悪口という概念は物事を分かりやすく解説するのに良いのですが、実際はその”悪口”の内容は様々あり、言った本人に返ってくる影響も様々ですので、詳しく観ていく場合は一人一人の言動・その影響による人格を分析しないと分からない面が多いように感じています。
(褒め言葉でも相手に対する影響が良くない場合もありますので)
ぜひとも、また疑問があれば書き込んで頂ければ幸いです。
このご縁を頂き本当に光栄です。 メグ様のスレがあるスピリチュアル板を見てきましたが汚いコピペの荒らしが酷いですね
このような行いをする者にはどのようなカルマの法則が働くのでしょうか? >>40様
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
結論を先にお伝えすると、荒らしの方は『迷信と錯誤の世界』へと向かっていきます。
そこでは人にそうしたように、見たくも無いものを多く目にするでしょう。(荒らしの内容が誰かへの悪口であれば、未来には自身も多くの誹謗中傷を受けるでしょう)
ただ、その分、過去の過ちを払拭した際には、より多くの知恵が得られるものだと思います。
コピペの荒らしに関するカルマは、様々な点から生じます。
主に1【5ちゃん運営側】2【スレ主】3【スレをご覧になる人】に対するカルマです。
5ちゃん運営側は”匿名掲示板の自由度”を重んじているがゆえに、荒らしをあまり規制はしていないので、その分、運営側に対するカルマは減っています。
ただ、それがゆえに、荒らし本人が荒らし行為を止める機会が作れていないという点で、運営側にもカルマが生じ、荒らしの方にもより多くのカルマが生じている状態です。
次に、2の場合ですと、これはそのスレが何らかの思想を”特定の人が”伝えるスレである場合にカルマが大きくなります。
その思想が多くの人にとっての人生に良い影響を与えるものである場合、荒らし行為によるマイナスは大きく本人に返ってきます。
しかし、この場合、スレ主が、荒らされる危険性を持つ5ちゃんという場所をわざわざ選んだ事がありますので、そうした自由意志による判断分は荒らしの人に対するカルマは減っています。
(戦場の混乱の中で人を殴るのと、平和な道の路上で人を殴るような違いがあります)
3の場合ですと、荒らしによりスレの内容への理解が滞った場合、また、それによる機会損失分のカルマが荒らしの方に生じます。
人を不当に不快にした分のカルマなども生じてくるでしょう。
これらが複合的に合わさり、荒らしの方は『迷信と錯誤の世界』に入っていく事になります。
これとは逆に、誰かに対して丁寧に回答したり、相手を元気づけたりするほどに『真相の世界』に入っていく事にもなるでしょう。 某預言書によるとそういう法則は宇宙レベルではあるのだが、悪神が支配していた世の中だから
因果応報が起こらんようになってたっぽい >>42様
興味深いご意見を頂き本当にありがとうございます!
『悪神』についてはあまり良く知らないのですが、人間の欲を媒体にしてこの世界に干渉する霊的存在は知っています。
それはこの世では悪魔と呼ばれていますが、種類も様々であり、それらすべてを”悪魔”と呼ぶのは難しいように考えています。
それで、”善行に対する物的見返り”という意味では因果応報はあまり見られないように思います。
どちらかというと、悪魔崇拝のような禁忌を超える行為の方が物的見返りが得られる要素が大きいのが現状ではないでしょうか。
ただ、因果応報は『行為の結果が人格に返ってくる』『その人格に見合った”精神の保護”がこの世で得られ・死後、人格に見合った世界に行く』という形では働いているように思います。
善行に対する物的見返りが少ないと寂しい気持ちになると思いますが、その行為が良くて物的見返りが無いほどに人格へのプラスの影響が大きい事から、物的見返りがあまり無い方が精神成長の場としてこの世が優れている面もあるかもしれません。
人類の精神成長に伴い、カルマの法則は物的見返りの側面が強くなるだろうと僕自身は考えています。
42様の表現を拝借すれば”悪神の手から世界が離れるほどカルマの法則が物的に顕現する”といった形でしょうか。
この世界は本当に興味深いと思います。 カルマってのは第三者が決めるのでは無く
自分がどれだけ悪い事をしたかという意識で決まる
当然悪を働いてもそれを悪いと思わなければカルマは発生しない
でも潜在意識は全部知ってて善悪を覚えてる
顕在意識で感じる悪事は今生でカルマが返ってくるのに対し
潜在レベルでの悪事は今生では難しい
これによって多くの場合「やり逃げ」に見える
これに気づいた賢者達は不当な苦しみを喜びと捉えた
人間は多次元存在と言える
少なくとも異なる時間軸を持つ二つ以上の意識を有しているので
こういった複雑なことが起こる 私は単純に人間も自然の一部だと思ってる
人間社会でのお約束事は必然だけどそれだけの事
火曜、水曜が燃えるゴミの日だから守りましょうねって言うのと同じ事
カルマって実証方法がなくない?分かれ道の片方を選び進んだ場合の事しか知り得られない >>45
実証方法あるしあるから間接的に干渉してるんだよ。悪魔とか >>46
例えば今回の虐め事件
被害者はどんなカルマの元あんな酷い仕打ちを受けなくてはいけなかったの?
加害者にはどんな将来が待っているの?
因果を結びつけられる確証はあるの?あったとしてそれが何になるんだろう >>47
知らんよ。例として魂は死んだら消滅する世界がいい霊的なものもいるが魂が影響力がある外界に出たらふるぼっこにされたりとかそれぐらいじゃね? >>47
横から済みません 旭川の事ですよね?
私も考えたのですが あの事件だけでなく理不尽な数々の事件は おそらく見ている我々に問い掛けられているのだと思います
いじめはニュースにならないだけで何処にでも自身の周りにあった筈です。
その時自分は何を考え何をしたのか?
いじめる側か、いじめられる側か、見ている側か
その経験を踏まえてこれからどうするのか?
悪魔が居たとしてその悪魔に好き放題やらせる神様ってなんなの?
私達の怒りにも似た神への想いも私は悪いものだとは思いません。
真剣な想いは必ず次に繋がると思うのです
被害者は前世の悪業でこうなったのでしょうか?
それならこのようなニュースを私達が知る必要はあるのでしょうか?
ここには何らかの意味が隠されているのであり それを考えないで済まして来たことで いよいよコロナが世界を殺しにかかって来た様に見えます。
私にはまだ確証は無いのですが、おそらく「そうだろうな」と思う考えがあり それを実践中です。
一人ひとりがそうなんだろうと思います 例えばさー
人間が生きてるだけで、たくさんの生き物が死ぬよね
別に悪意がなくてもさ、地球上の食事をする生物は
ほかの生物に苦痛を与えないと、生存すらできない だからといって、食われたり殺されたりするのは
みんな嫌だし、自我を持つ生き物が
そういう事をされれば嫌になるよね カルマって
なんかすごく自我を持つ生物特有ぽくないですかね
なんていうか、思い込み、こだわりなんだけども
それが事実だと思うと機能しちゃう感じ 一人の人間が、殺人を犯したとする。
その人間の生まれ育った環境、親、資源、前世、エネルギー状態
などなど多次元に渡る領域まで責任を追及すると
そもそも、こんなもの、誰がどう裁けるというのか 例えば超完璧な演算能力を持つ
超宇宙人みたいな人がいたとして
その人は、どうしたら自分が完璧に正しいと
証明できるのか。
これは仮説ですが
カルマというのは疑わしい設定や思い込みや傾向に
過ぎないのではないでしょうか >>54
最後の三行に賛成します。
あらゆる全てを見て考えて認識している側の問題なのだと。 44だが基本的な事を一つ
何を得てもどんな喜びも魂を満たす事は出来ないんだ
例え高次元な意識でも存在でもそれは同じ
ただ凪だけが満たす事が出来る
静寂或いは沈黙は神の創造の中でも特に優れてる 神が世界を創造しようとした時
同時に創造されたもの全てが神に戻ろうとする力が生じた
その内知識は特に動きが多く神から最も遠く離れていた 世界は器で宇宙も星も生命も器だ
神の性質を独自に体現するための。
しかしそれら全てに境界を置き個々に区別することでカルマが生まれた
つまりカルマとは世界そのものなんだ この世界は因果と信仰心により創られて成り立っているんじゃない?
因果は視えませんか? >>49
> 私達の怒りにも似た神への想いも私は悪いものだとは思いません。
> 真剣な想いは必ず次に繋がると思うのです
これは私もそうあってほしいと思ってる
あんな凄惨な事件をカルマで片付けてもらっては堪らないよ
長い目で見て意味があることだとしても当事者にとっては本当にどうでもいい事
被害者は全人類の意識改革の為の生け贄だから仕方ないって言ってるように聞こえる いじめられた人の過去やいじめた人の未来が観えると
どうなるだろうね 殺した人と殺された人、過去世では同じ当人同士が逆の立場だったという宗教家の説
その両者は両者の立場を認識したはず? MOXの放射能で高速回転でのろいにする
のろいと放射能は、関係がある 外歩いてたらカラスにフンを落とされて、
さらに車にもイタズラでフンを落とされていた
完全にナメられている
動物にすらナメられている
何か悪いことをした記憶も無い
路肩のアンケートでも道を尋ねられる時も、
人間関係のいじめにしても、相手の態度の取り方にしても
真っ先にこちらがターゲットにされるし、
こういうのってカルマ的な解釈ではどうなるんだろう? 被害妄想をカルマの法則のせいにするのは甘えだと思います。 甘えというよりも、
せっかくオカルト板に書き込んでいるんだから、カルマの法則を通しての解釈を頂きたかっただけなのだが、、 何の関係もないことをひとまとめにしてカルマ云々とは甘え。
虐められたくなければ体を鍛え、知性が足りなければそれを補う。
それをせずにカルマの法則のせいにしようとは怠惰そのもの。 まず人は、
道を訪ねる時は優しそうな無害な人間(よく言えば親切な人)
を選ぶし、
パワハラを起こすのも、
相手を怒鳴りつける時も、
説教をする時も
人をからかう時も
町内会の役員を選ぶ時も
反発しなさそうな、"無害そうな" 人を選ぶ
この世のありとあらゆる人間が
何気ない選択を行うときに起こる原理は、
無差別殺人で犯人が"無意識"に反撃されなさそうな人を
選ぶのと同様であると思う
何気ない選択でおこる、無意識下のこうした加害者と被害者の関係のカルマは何なんだろう? つまり、カラスは関係ないということになる。
そして、反発しそうにない人を選んでいる時点で
それは無意識ではなく意識的な選択に他ならない。
すべて前提や設定が結論ありきの残念な話。 われわれ人間のありとあらゆる行為・行動にカルマの法則が働くのであれば、
特定の事象を取り出して、それが特定のカルマによって引き起こされていると
考えることは傲慢に過ぎる。一体どれだけのカルマが原因となっているかは
調べようがないはずです。 このスレ主さんのいわれるカルマの法則とは、
「自分がしたことはいずれ自分自身に還ってくる」
というもののようです。
ならば、連続殺人犯は10人、50人と無辜の民を
殺害したことにより、その後、10回、50回と殺される来世が
待っているのでしょうか。
連続殺人犯といえども存命中に功徳を積むことにより
カルマを少しでも解消できるというのでしょうか。
ならば、連続殺人犯を死刑に処すことはその犯人に対する
魂レベルの救済となりましょう。少なくとも1つその犯人のカルマを
解消してあげたことになるのですから。
この考え方はあのオウム真理教が採用していた「ポア」の概念です。 確かにそうですね
貴方の仰っている言葉には隙が無い、感心した
答えてくれてありがとう カルマの法則に関する議論が活発化して、とても嬉しいです!
議論の邪魔をしないように、僕自身が全ての方に返信するという形はストップさせて頂きますね。
(名指しでご質問を頂ければお答えさせて頂きます)
『カルマの法則がそもそも存在しない』という思想も非常に興味深く、大きな可能性を感じます。
ただ、この思想に関しても”論理”にしろ”現象による根拠”にしろ、それらが無ければ発展しづらいように思います。
この場合、検証するためには人道的に観て明らかに悪い事・明らかに良い事をした際に、自身に対してどのような影響があるかを分析するのが分かりやすいかもしれません。
行為の影響が人格(自身)に返らず、その後の精神に何も影響が及ばないのであれば、カルマの法則は無いと思います。
自身の行為の影響は自分に波及しなかった(自分のした事が自身に返って来なかった)のですから。
ただ、自身の行為の影響が人格に返り、人格の変質によって過去と違うような現象が起こる回数が有意に多いのであればカルマの法則があると思います。
その回数が有意に多いのであれば、そこには何らかの原理があると考える、というのが裏付けにあたって重要だと考えました。 >>73で検証方法について書かせて頂いたので、僕自身の検証結果の一部をお伝えしていきます。
カルマの法則を検証するためにまず始めたのは当時の職場の人に日々、食べ物を差し入れたらどうなるか?ということでした。
これは自身の人格に”コミュニケーションの積極性”にプラスという影響を感じ、物的には食べ物や遊びの誘いという形で返ってくる事が多かったです。
ただ、ある所までやると、「悪いからもういらないよ」と言いう人が増えたので中止しました。
次はお金を無償で人に分け与える行為(寄付)によって検証を始めました。
簡潔には書けない様々な経緯があり、自身の人格に”自立心”や”思い切り”、”思考力”がプラスされ、結果的に自営業が上手くいきました。
(しかし、その後、寄付行為には物的な見返りはあまりないものと考えています※ただ、条件しだいではあり得るとも考えています)
次に、人に人を紹介してみたら自身の人脈は増えるのか?という検証をしてみました。
これはかなり増えました。
人格に対しては”積極性”や”ユーモア”や”無責任さ”といった性質がプラスになったように思います。
他には、人に知識を与えたら自身に知識で返ってくるのかという検証をしてみました。
その結果、単的に言うと、相手に与えた知識の分野と同質の知識がより増えるという結論が得られました。
ただ、知識の増加以上に、根本の思考力の向上効果があるように感じました。
他にも様々な検証をしてみたのですが、その結果、自身のした行為は自身の人格においても物的にも、大きな変化を及ぼすと結論づけています。
しかし、それはあくまでも僕の結果です。
他の方々にも同様の原理が働くのか?という点が、カルマの法則の存在の有無を決定づけるものだと考えています。 ホームレスの人に5000円あげたら、
その日のうちに母から5000円貰うという変なことはあった >>73
その行為の反響だと判断する理由を教えて下さい
なにもしなかった場合と比較できないところがカルマ立証のハードルだと思う スレ主さんの実践した具体的な事例を読むと、
職場の方に食べ物を差し入れたらお返しがあった。
しかし相手の負担(重荷)になるから中止になったので
カルマの法則としてはどうなのでしょう。
次に、お金を寄付することにしたら精神面にプラス効果があったが、
寄付した金額に見合うだけのリターンはない。
他者に人を紹介することを実践すると人脈は増えたとありますが、
こちらは当たり前のことではないかと思います。
精神面でもプラスがあった半面、トラブルは発生しなかったでしょうか。
自分の持つ知識を他者に与えることを実践したら、自分が持つ知識と
同ジャンルの知識が増えたとあります。これは単純に相手との
コミュニケーションが増した結果ではないでしょうか。 >>76様
興味深いご質問を頂きありがとうございます。
これは分析を進める上で、とても大切な視点だと思います。
自身のした行為による相手の直接的な反応・また、その行為による記憶がその後の行動に影響を与えていれば、それはその行為の反響と観ています。
”過去の記憶を元に未来の行動する”というのは人間の精神活動にとって当たり前なのですが、僕はこれほどにカルマの法則が当たり前に働いていると結論づけております。
例えば、カルマの法則を検証するために、周囲に愛情深い言葉をかけてみるというのを実行してみました。
当時の僕はニートも同然でしたので、母親に対して「今はこんな感じだけど、いつか楽をさせてあげるからね」と勇気を持って言ってみました。
(当時の僕にとってはこういう事を言うのが勇気のいる事だったのです)
父親にも「守ってくれてありがとう(経済的な意味で)」という言葉を伝えました。
その結果、親との関係が良くなり、親との関係で”言った方が良い事を言えるようになった”という体験は、なぜか、他の人間関係に効果が波及しました。
他の人に対する愛情が湧きやすくなり少し人から好かれやすくなりました。
その背景には”親に対して愛を表現した”という記憶が大きく影響していて、このように、記憶を元に何らかの感覚が広がれば、それはその行為による反響と観ています。
寄付なども同様に、”お金を無償で人に与えた”という記憶が、その先に自営業にとって重要な「相手目線」(相手の立場で考える)という事に繋がれば、それは寄付行為の反響であると観ます。 >>77様
疑問に思う事を明らかにして頂けると、とても助かります!
本当にありがとうございます。
>>職場の方に食べ物を差し入れたらお返しがあった。
しかし相手の負担(重荷)になるから中止になったので
カルマの法則としてはどうなのでしょう。
周囲の人に対して食べ物を与え続けるのは、完全に良い行為では無いので、しだいにそれがストップされるように人生展開が生まれるのはカルマの法則に適っていると考えています。
>>お金を寄付することにしたら精神面にプラス効果があったが、
寄付した金額に見合うだけのリターンはない。
寄付により”生活費より過剰な収入を得たい”という事であれば、寄付によるリターンが無かったという事になります。
(ただ、当時の検証の場合は、結果として過剰な収入に繋がっていましたが)
過剰な収入が得られたか?という判断基準であるとそうなのですが、寄付行為による快感の記憶により『もっと人に何かを与えられる存在になりたい』『生活費も少ないのに寄付しちゃってどうしよう』という想いが同時に強くなった結果、”お金を稼ぐ力”の方を身に着ける結果になりました。
お金と比べると、当然、お金を稼ぐ力の方が価値がありますので、それが得られた事には繋がっていると思います。
ただ、その後、お金を稼ぐ力より価値があるのは、『お金を節約を楽しめる気持ち』であり、さらに価値があるのは『お金に囚われない精神(貯金残高が幸福度に影響しない)』ことだと結論づけています。
不要なものを過剰に増やすより、不要なものを不要と観れる視点の方が真実に近く、価値は高くなります。
寄付行為はその質が良ければ良いほど、お金より本質的に価値のあるものが手に入る傾向があると考えています。 長くなりましたので、>>79の続きを投稿いたします。
>>他者に人を紹介することを実践すると人脈は増えたとありますが、
こちらは当たり前のことではないかと思います。
精神面でもプラスがあった半面、トラブルは発生しなかったでしょうか。
”当たり前”と思われる返報性の部分にも、僕はカルマの法則が働いていると思います。
もし、「人に与えたものが相手から返してもらえるのが当たり前」と判断するのであれば、逆に、それはカルマの法則が働いていると判断するのが良いと思います。
(実際は、直接与えたものと同質のものが相手から返ってこない事は多いと僕は考えています)
幸い、僕が観た限りでは大きなトラブルは発生していないのですが、食べ物を与える行為と同様に、ずっとやり続けるほどに完全に良い行為とは思えませんでした。
まだやっていない人は、実行してみても良いと思いますが、終生やり続けられるものではないと思います。
>>自分の持つ知識を他者に与えることを実践したら、自分が持つ知識と
同ジャンルの知識が増えたとあります。これは単純に相手との
コミュニケーションが増した結果ではないでしょうか。
これに関しては、手段がネットを通じた情報配信だった事もあり、相手との交流はほぼありませんでした。
そのため、コミュニケーションによるものでは無いと思います。
かなり感覚的な言い方になるのですが、人に情報を与えるほどに、なぜか、自身の思考が動き出し”現象から情報を見出し、それを人に提供する”ということがやりやすくなりました。
人に知識を与える事は、自身の根本の思考力の向上効果があると感じたのはそのためです。
ちなみに、人に知識を与えると異様に記憶に定着しやすくなるのは、いくらかカルマの法則との関連を示すものの一つな気はしています。 >>78
レスありがとう
行為の直接的な反響ですが、それをカルマだと大仰な言い方で表現しているのかな?
周囲に愛を表現する行為に付随した効果は原因と結果であってカルマと呼ぶには至らないものではありませんか?
思ってもいない形に変換され自分に返ってくる業のようなものをカルマだと認識していたのであのような質問になりました
人道的な思考、選択とはあくまで人間の視点にすぎませんから、都合のいい解釈をもって物事に意味を見いだす行為は自己満足に他ありませんよね
カルマについてですが、犬の躾と一緒でいけない行為はその場で正さなければ時を隔てて叱ったところで関連つけられず理解できないことと同じではありませんか? >>79
カルマの法則とは、「自分がしたことはいずれ自分に還ってくる」だったはず。
それがなぜか、「よい行為でない場合はそれがストップされるように展開する」
という解釈?になっており不適当では?
スレ主さんがいう「お金を寄付したことが収入アップに直結する」という根拠がどこにもないのです。
カルマの法則とは、いつになるか不明なものの、「いずれ自分がしたことが自分自身に還ってくる」
でしょうから故意に何かを期待して原因を作るというものではないはずですが、いかがでしょうか。
カルマの法則とは打算的・即物的なものではないと理解しています。ですから
カルマの法則を期待して誰かを蔑んだり、自分の未来を期待するものではないと思います。
打算的な思いはカルマの法則によって打算的な結果をもたらすからです。
スレ主さんの目的とその行為は、「呪い」に通じるものだとわかってきました。
呪いの代償を先に払うことで呪いを現実化しようとすることに通じます。 >>81様
引き続きご質問を頂きありがとうございます。
とても良いご質問が多いので感銘を受けました。
81様の仰る【思ってもいない形に変換され自分に返ってくる業のようなもの】というカルマの法則の観点は正しいと思います。
事実、人間が論理で追える部分が1に対して、1万以上の部分が上記のものに該当するのではないかと考えています。
こうした議論の場では論理で追えるテーマに限ってお話した方が良いかと思い、特定の行為が未来に特定の影響を及ぼす事が確認できることを立証する一つとして”過去の行為により出来た記憶により、自身の人格に変化が加わり、未来の行動に変化が出る”(自身の行為の影響が自身に返ってくる)という部分をお伝えしていました。
ですので、カルマとは思ってもみない形で返ってくる事の方が多いのは間違いないと思います。
これに関しては、https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/のスレで多くを解説させて頂いております。
(もちろん、書かせて頂いているのは、現状の僕の思想の範囲での事です)
もし、僕の考えるカルマの法則における、身近な人々のやり取りの中での原因と結果以外の部分をお聞きになりたい場合は、ご質問を頂ければお答えさせて頂きますね。
それで、カルマをどのように捉えるかは人により様々なのだと思います。
僕の場合ですと、身近な人とのやり取りにおける原因と結果という部分から、前世の行いと今世の報い、自我からの脱却、といった遠大な部分まで含めてカルマの法則の範疇で考えております。
人道的な思考については人間の視点なのですが、人間の行為に対し”人間を超えた存在や原理による、何らかの効力がある”とすれば、それは人間の視点による行為と切り捨てられない事情が出てくると思います。
81様の仰る通り、カルマの法則が仮に存在するとして、人間が定める人道的に良い行為に報いるとは限りません。
検証するにあたって分かりやすいという理由から、人道的に明らかに良いか悪い行為による影響から分析するのが良いという考えを書かせて頂いた次第です。 >>82様
ご質問を頂き本当にありがとうございます!
少し文字数制限に引っ掛かりましたので、2つに分けて書き込みしますね。
【自分がしたことはいずれ自分に還ってくる】という事と、【よい行為ではない場合はそれがストップされるように展開する】という事は両立しえるものだと思います。
というのも、自分がした事がいずれ自分に還ってくるのは人間の進歩を促すための原理であると僕は考えておりまして、何らかの学びが一定に達すれば、過去の”善行と思っていた行為”のマイナス部分を自発的に理解できるか、理解できるように人生展開が起こると考えているからです。
それで、寄付についてなのですが、僕は寄付したことが収入アップに直結するという主張はしていないつもりでした。
僕自身は”風が吹けば桶屋が儲かる”のような様々な因果関係が働き、結果として収入アップに繋がったかもしれませんが、寄付=収入アップ、はまずあり得ないと僕も考えています。
以前、僕は200人前後の人と寄付による効果を分析した事があるのですが、その際に多かったのは「過去に関心を持っていた事に関心が無くなったこと」や「過去に偏見を持っていた対象に対して、偏見が少なくなる」(偏見対象であった存在と近い状態に自身がなる)といったことが多かったです。
ただ、僕の経験のみの根拠でしか無いのですが、寄付先の選定と寄付の動機や実践環境しだいで、その影響は異なるように思います。
>>「いずれ自分がしたことが自分自身に還ってくる」
でしょうから故意に何かを期待して原因を作るというものではないはずですが、いかがでしょうか。
これに関しては様々な人の見解がある点なのではないでしょうか。
僕個人としては、見返りを期待する気持ちが少しあっても相手のためにやってあげたければやった方が良いと思います。
というのも、カルマの法則には”見返りを期待する弱さ”までも除去していく原理があると考えているからです。
僕自身の経験上では《見返りを期待するのは良くないから、その気持ちがあれば人の為になる事はしない》というのも、保身(打算)が入るように感じました。 >>スレ主さんの目的とその行為は、「呪い」に通じるものだとわかってきました。
これは考えた事も無い、斬新なご意見でした!教えて頂き本当にありがとうございます。
理解しがたい面が多いので、差支えが無ければ”呪い”の定義について教えて頂いても宜しいでしょうか?
僕の呪いの定義は”他者に対して損害を与えるために超常的な力を用いること”です。
82様の呪いの定義が分かれば、82様の思想を掘り下げて理解することができるように思います。 >>85
自分が幸せになりたいと願うことと、他者が不幸になってほしいと願うことは
「願う」という行為においては同じなのです。ただ、願いの内容が異なるだけです。
呪いとは自分を呪う人もいるかもしれませんが、他者を呪うことが通常です。
自分はこうしてほしいと願うことにおいて、他者に不幸が訪れてほしいと願うのです。
そして呪いには代償が伴います。「人を呪わば穴二つ」がそれです。
呪いを成就させる超常的な存在はその見返りを期待しているわけです。 >>86様
とても参考になります!
ただ、正確に理解できているかは分かりませんので、もう一度質問をお願いできますでしょうか?
(もし、お忙しいようであれば、スルーして頂いても結構です)
『自身への恵みを望むのは、他の人が損失を被ることなので、自身の未来の恵みを期待し原因を作ろうとするのは呪いを実践する事である』ということでしょうか? >>87
その通りです。
私も過去に何度か密教系の僧侶に呪詛を依頼した経験があります。
「有能で人望のある同僚が目障りだから蹴落としたい」
「私を毛嫌いする女を懲らしめて懇ろな仲になりたい」
「私を左遷させた上司に失敗させ、そのポストに就きたい」
などは他者のマイナスを自分のプラスに転嫁させる類の願いですから、
それなりの金額という代償を支払うことによって呪詛が成就しました。
超常的な存在が代償として命を要求してくるのは、呪詛する相手に対して
致命傷をもたらすことにより我欲を成就させるような場合に限られます。
ですから復讐を呪詛する場合は致命傷が相応ならば「人を呪わば穴二つ」
とはなりません。呪術者が頼る超常的な存在の種類にもよりますがね。 >>88様
『自身の恵みを望む事は他者の損失を望む事』という着眼点が実に見事だと感じました。
人生経験に裏打ちされた素晴らしいご意見です。
僕も物的な面に限れば、人間の願望成就に際しそのような面があるのが事実だと思います。
ただ、僕の場合、カルマの法則は精神面での見返りが主であり、物的見返りに対してあまり報いないと考えています。
82様の仰る通りの理由で、自身の行為が他者の損害に繋がる場合、心に優しさを持つ人であるほど潜在意識によるストップか・その行為が失敗するように導かれる傾向があります。
これはカルマの法則による人格面での保護作用のためと考えていまして、カルマの法則に期待できるとすれば人格面の見返りが主になると思います。
この場合は自身の恵みを望むことが他者に損害を与えるものではありません。
例えば、感情的なAさんが「自身の感情をコントロールできるようになりたい」と願い、それが叶えられる事はAさんの周囲の人の幸福につながることだと思います。
過去、自身や他者を分析してきた結果、カルマの法則は”自分と世界全体にとって真に価値のある事が得られるよう後押しする法則”でもあると考えています。
あらゆる幸福は恵みは精神(人格)より生まれるため、恵まれた物的環境よりも”幸福や恵みが生じやすい精神”の方が価値が高く、得られやすくなります。
またそれは他の誰かの幸福に必ず繋がるようになっているように思います。
ただ、物的な願望を持ち、その成就のため精神(人格)を磨くプロセスは誰しも必ず存在しているのもまた事実だと思います。
例えば、消極性の高い人が夢を叶えるために”積極的な行動”を勇気を持って行い、自身の精神を進歩させることは善の一つの形だと僕は考えています。
その願望の質により他者に与える影響は様々でしょうが、0か100かのような判断ではなく、その行為の評価点が10であっても、人間は徐々に全体にとって良い形を目指すことができると思います。
(本能的に、人間は全体にとってより良い選択を目指す傾向があるので長期的にはそうなると思います) >>88
目障りだから、毛嫌いされているからの理由で大金払って呪い飛ばすとかヤバない?
スレチになっちゃうけど気になって。あなたのレスを聡明で常識のある方なんだろうなって読んでたんだけど、いきなり呪いときて「!?」となりました笑 >>90
一見こいつは聡明で常識のあると思うだけで実際は「闘将!!拉麵男」の怒雷拳士みたいな奴だで
凄いことを言っているように思えるだけで実際は現実が視えてないし大して霊的な力も無いよ
貯金ゼロまで寄付してみたらこの世とあの世の仕組みを一部教えてもらえた(ただ寄付のみやるのは推奨しません)
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/
590メグ2021/03/18(木) 10:05:42.15ID:qy7qZhz6>>593
>>583様
素晴らしいご意見を頂き本当にありがとうございます。
583様のご意見はとても正しいと思います。
このタイミングでご指摘頂けて非常に良かったです。
おっしゃる通り、当時の実践法は間違っていたと思います。
なぜ、その間違いが生じたのかを僕なりに分析しお伝えします。
当時(29〜30歳まで)の僕は野心が強すぎて外の成功ばかり追い求めていました。
妻のことを大切にするという信念はあったのですが、人前で”ハーレムを作る”とか公言したり、非常に問題のある行動が目立っていました。
(複数の女性を同時に大切にできると思っていたようです)
それが寄付の額を多くして見た結果、性欲が薄くなりハーレムを作ることに虚しさを感じ始め、妻との関わりや育児が楽しくなってきました。 こいつのYoutubeチャンネル見ていても「なんだこのおっさん!?」ってギャップに驚くで
839メグ2021/04/12(月) 17:12:24.84ID:SkQNShN5
本日からyoutube上でカルマの法則に関する動画を配信することにしました。
youtube上で「oneworld カルマ」と検索すると、僕が話している動画が見つかると思います。
たかひろと名乗っていますが、それは僕の本名の名前です。(メグ=たかひろ)
文字だけだと難解になりやすいので、動画では資料を用いて分かりやすく伝えられたらいいなと思っています。
今後も5ちゃんねるでカルマの法則について広めたり、内容を議論したり、誰かのご相談に乗ったりなどは続けていきますので、今後とも宜しくお願いいたします。 メグは実際は羊の皮を被った狼だからスピリチュアル関係で金儲けをするのは向いているよ
俺は現実離れした壮大な綺麗事で金をせしめたりすることに良心の呵責を覚えるもん >>93,92,91様
僕のチャンネルまでご覧頂けていたようでとても嬉しいです!
外見に気を使うのが苦手でして、ご不快に思われる点があれば大変申し訳ないです。
もし、そのような点があればご指摘頂ければ幸いです。
ちなみに、ハーレムのくだりを改めてみると、ちょっとおもしろいですね。 >>95様
ご指摘を頂き本当にありがとうございます。
リンクまで掲載して頂きとても光栄です!
oneworldって単語はイルミナティと関係があるんですね。
初めて知りました.....
貴重な情報を頂き本当にありがとうございます。
名付けた際には”一つの世界”という意味を意識しておりました。
英語に詳しくないし、別に単語の意味が間違っていてもいいやと名付けたら、イルミナティと関連する単語だったんですね。
「これはあくまでも僕という個人の思想」(思想の多様性は素晴らしい)という想いを込めておりましたが、今後、不快に思う人が多ければチャンネル名の変更を検討しようと思います。
教えて頂き感謝いたします。
95様は単語と秘密結社の関係性など、よくご存じですね。
また何かあれば教えて頂ければ幸いです。 >>91
>>90はスレ主のことじゃないよ。
YouTubeでの顔出しって内容的に必要性感じないんだけどなにか理由があるのかな。正直言って二番煎じ三番煎じの目新しさのなさが伸び悩む敗因だと思います。 >>97様
率直にご意見を頂けてとても嬉しいです!
非常に参考になります。
youtubeでの顔出しの理由については、特に、顔を隠す理由が無かったためです。
僕の場合、保身の余地があると潜在意識から上がってくる情報が少なくなるという認識があるため、どちらかといえば、顔出しの方が保身が少なくなるかなと判断しました。
保身を無くすなら本名も明かせば良いと思ったのですが、以前、ネットで本名により活動をしていたので、こうしたカルマの法則に関する活動が”以前の活動に対する宣伝”のように思われる可能性が高いため、本名を明かしていません。
(本名については以前の活動で関わった人が多いため、その誰かを通じて明かされる結果になると思いますが)
目新しさの無さはとてもよく分かります。
ゼロから初めてプロになるのは5年〜20年かかる分野も多いと思いますので、動画もそのぐらい長期で試行錯誤を繰り返していけたらと思っています。
ただ、youtubeのプロを目指すこと自体は目的では無いので、手段に拘らず、少しでも誰かの役に立てる道を日々模索してます。 >>90
私は「聡明で常識がある」からこそ呪術によって困難を克服してきたのです。
現代においても権力者は権謀術策を実行する際に呪術を併用するのですよ?
庶民は知らないでしょうが、権力者は能力の高い呪術師に伝手があります。
私は権力者の縁戚なので密教系の高僧を紹介して貰えたというわけです。
現実世界における困難を克服するための道具として呪詛を用いることは、
超常的な存在を知っている者のみに与えられた特権だと思っております。 >>98
自分にはハマらなかったけど誰かの為に活動がんばって下さい。
>>99
あなたに謎の選民意識があるのは分かった分かった。 >>41
荒らされる前のスピ板なんて偽善者と統失が傷舐めあってるようなゴミスレばっかりで大して価値なかったぞ めぐさん初めまして。私は20年くらい前に会社の同僚にいじめられて、そこからうつ病になり、回復してきた現在も楽しい•嬉しいという気もちがわきません。
カルマだとすれば何をすればこのつらさが治りますか? めぐさん初めまして。私は20年くらい前に会社の同僚にいじめられて、そこからうつ病になり、回復してきた現在も楽しい•嬉しいという気もちがわきません。
カルマだとすれば何をすればこのつらさが治りますか? >>100様
youtubeについて素晴らしい助言を頂き感謝しております。
はい!微力ながら、一生涯を通じて尽力していきたいと思います。 >>101様
そうなんですね!
5ちゃんねるに詳しくないものでして、教えて頂きありがとうございます。
匿名掲示板のやり取りを拝見すると、様々な角度からの意見が折り重なり、真理のような物が垣間見える事があります。
荒らしという行為も含めてとても興味深いです。 変態佐藤一家が動物殺害した後
コイツの空き家に何故か糞みてーな変な植物が生える
エイリアンみたいな雑草やバケモノみたいな木
更に木が突然倒れた事もある
ケガレた土地には変な物が生え、木が倒れる あのう、私は>>82を投稿した者ですが、ID:vd+1CsfH0の人物と同一ではありませんのでご注意ください。
ID:vd+1CsfH0は、「鈴木嘘松」と命名されておる無職のオッサンです。
私のマネをすることに人生を奉げている可哀そうな輩ですのでご注意ください。
> 205 本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2020/08/26(水) 23:54:33.41 ID:1HOeihul0
> 199
> 物部直系の清和源氏〇〇一族の末裔であるこの俺に高みから偉そうな口を利くな
> 二千年以上にわたって高潔な血統を汚すこと無く継承してきてるんだ、判るか?
負の霊団や悪魔について 令和その3
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1593778000/
> 592 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2020/09/07(月) 23:02:17.34 ID:f2wDoWM90
> 586
> ありがとうございます、ご相談があればお聞かせください。
> 私は拝み屋さんとは異なり、荒行を経て加持祈祷の免許皆伝でございます。
> 霊障の類を法力によって退散させることが出来ますので遠慮なくどうぞ。 うつ病の相談であれば医師に相談しましょう。カルマはまったく関係ありません。
虐められたこともまたカルマとは関係ありません。
なんでもカルマのせいにするその心根が諸悪の根源だといわれております。
虐められて凹む人は単純に運動不足だと聞いた覚えがあります。
何かの参考になればと思います。 >>87
>『自身への恵みを望むのは、他の人が損失を被ることなので、自身の未来の恵みを期待し原因を作ろうとするのは呪いを実践する事である』
↑ということではありません。たとえば、「(自分が)結婚できますように」と願うことと、
「アイツが事故にあって死にますように」と願うことは行為として同じだという意味です。
呪いをかけることと、願望成就の祈願をすることは同じことだと述べました。
めぐさんはカルマの法則を願望成就の手段としているように私は受け取ったのです。
ですからそれは呪いと同じだということです。 >>102 由季様
由季様、初めまして。
ご相談を頂き本当にありがとうございます。
少しでもお力になれれば幸いです。
うつ病の辛さを乗り越えてこられた事に敬意を表します。
由季様の場合ですと、幼少期に築かれた性質である”自身が何をしてもダメだ”という諦めの性質を解消するプロセスを行っているように思います。
これは家族関係などで「自身の言った事が相手に理解されなかった」という体験によって形成されたものだと思います。
いじめはうつ病の直接的な引き金かもしれませんが、重要なのは根底にある原因へのアプローチです。
それで改善の方法として取り組みやすいのは、まず、『自己主張を当たり前にできる人間になりたい』と願う事だと思います。
これは由季様の場合ですと、願うほどに長期的には確実に叶っていくものだと思います。
次に大切なのは、108様も仰るように、運動、後、栄養管理なども大切だとは思います。
しかし、これはうつ病であるとハードルが高すぎる場合があるため、やる気が起きない場合は、意味は分からずとも上記の言葉を念じる事が良いと思います。
それでもっとも強力な改善の方法となるのは、他のうつ病の人と交流したり、その相手を励ます事だと思います。
閉塞感を生じさせる精神構造を大きく変える事になるのですが、ややハードルの高い事だと思いますので、長期的に観て、やる気が起きた際に出来たら良い事だと思います。
何かのご参考になれば幸いです。
もし、実情と異なる部分がありましたら、遠慮なくおっしゃって下さい。
修正する中でより良い選択支を見つけられるかもしれません。 >>109様
あれはファンの方による発言だったのですね。
それで、109様の仰る事も非常に興味深いです!
ぜひ、その思想を理解させて頂けたらと思いました。
「結婚できますように」「相手が事故にあって死にますように」と願う事は、”願う”という点において同じである事は理解できました。
この場合ですと、”自身の利益を願う行為が呪い”ということなのでしょうか?
もし、そうであるなら、大部分の人は”自身の利益を願う行為”を元に生活しているがゆえに、ずっと呪いを続けている事になります。
おそらく109様もその全てを呪いと観られるわけではないと思いますので、呪いとそうでない行為の線引きがあると思うのですが、そこの判断基準などがあられるのでしょうか?
過去、触れた事が無い思想ですので、それを理解できる機会に出会えて嬉しく思います。 >>111
>この場合ですと、”自身の利益を願う行為が呪い”ということなのでしょうか?
そういうことになります。
「呪い」と書いて「のろい」とも「まじない」とも読めますからね。
「あの女を振り向かせたい」と願うのは「まじない」となり、
「あの男に仕返しをしたい」と願うのは「のろい」となります。
どちらも「自分の意図する結果に相手を誘導したい」と願う点が共通しますね。
その際に「得られる結果に相応しい代償を要する」という点も共通しています。
私は呪術師に相応の金銭を支払うという代償で済む程度の呪いを依頼しました。
それらは現世における商取引として成立したものですからカルマとは無縁です。 >>110
お返事ありがとうございます。
完璧過ぎる程に当たっていました…
私の両親は厳しすぎたのと、子供(私)をバカにして笑うような人間でした。
私はうつ病から発達障害がわかり、他の人は努力しなくても簡単にできたことが沢山あり、ヤル気さえなくなり、頑張ってもできないし、世間からはバカにされるしで、実の両親からもヒマさえあれば殴られていたので大人になってからも話すことができず自閉症の診断が下っていました。
つづきます。 >>112様
興味深い回答を頂き本当にありがとうございます!
参考になります。
呪いとそうでない行為の違いは【他者を自身の意図する結果へと誘導したいと願うかどうか】という点に見出しておられるんですね。
また、その場合、得られる結果に相応の代償を要する.....という認識があられるという事、理解できました。
色々教えて頂き感謝いたします。 >>113様
あまりにも辛い境遇を乗り越えてこられたんですね。
その強さに頭が下がる思いです。
過去の困難の全ては必ず報われるものなのは間違いありません。
未来にはご自身がどれほどの強さ・賢さを手にしていたのかが分かる時が来ると思います。
大部分の人は華やかな成功を望みますが、無力感を乗り越える事に比べればその価値は些細なものです。
ご自身に何も無いように感じても、精神的欠点を把握し、克服につとめる人間をあらゆる面でサポートする法則がこの世にはあります。
あまり気負わずに、ゆっくり前進すれば今回の人生を最高のものにできると思います。 >>114
呪いというのは、いわゆる"他人を祈る"だとか"他人を思いやる"等の行為の正反対に当たるものである、と私は考えています。
メグさんの考えている通り、人の想念は大変強いものであり、扱い方を間違えれば他人だけで無く自分をも犠牲にします。
私の経験上、人にはそれぞれ念が飛ばしやすい人や念が上手く飛ばしにくい人が居ることが分かっております。
「呪ってやりたいのに念が上手く飛ばせない!」と思った昔の念を上手く飛ばせない人達は、呪ってやりたい人を人形や紙などに見立てて、悪い念を飛ばしていたようです。(丑の刻参り等々)
只、念を上手く飛ばせない人は相手の念も感じとりにくい為、結果的にはプラマイゼロと言う事になります。
また、カルマの法則なのか、人を"呪う"など自身の思念を相手に送ると自分の気や幽体などが減ってしまう為、病弱になったり寿命が減ったりしてしまうようです。
念は物などに籠もる事もあり、特に手作りの物や中古の指輪などは長く身に着けていることで、それを持っているだけで悪い事が身の回りで起こることもあるので注意が必要です。 >>116様
とてもお詳しいのですね!
人間の想念は本当に興味深いテーマだと思います。
【念を飛ばしやすい人】と【念を上手く飛ばしにくい人】というのは、あまり考えた事の無いテーマでした。
僕はエネルギーを感知する性質が少なく、エネルギーに対する理解が乏しいと思います。
ですので、116様のお話、とても参考になります。
人を呪うと気や幽体が減るというのも興味深いお話です。
ちなみに、116様は、想念が人に作用するのと同様に【自分自身に対する想念】については、何か作用があると考えておられますか? >>117
そう言って頂けると嬉しいですな!(*´ω`*)
エネルギーとしての"気"は誰しも心身共に無くてはならない物です。気には主に陽気と陰気が存在し、よく心霊スポットなどの廃墟では不気味な感覚がありますよね。そういう所では陰気や邪気が多い為、自然と感じてしまうのです。
念というのはその気を飛ばすための媒体だと私は考えています。ただし、陰キャや陽キャなどその場に居てもそういったオーラなどが溢れている人が居るように、自然と人は気を出しているものです。
その悪い気を身体から出し、良い気を取り込む事で健康長寿でいると言う中国の健康法を"気功"と言います。軟気功とも言いますが、毎日15分程で出来るので良かったら調べて見ては、いかがでしょうか?
良い気や悪い気の感覚を知ることで得るものもあると思います。そして相手に良い気を与える事で病気などを治す人の事を気功整体師と言います。一応、超能力で言うヒーリングと言うものです。
蛇足にはなりますが、陽気の代わりに陰気を相手に与えると、かえって身体の病気が悪化してしまいます。また、気を出し過ぎると気が赤字状態になってしまいます。
気を出す者の精神状態に左右して気の質が変わって来るのも気功の特徴です。
幽体に関しては、幽体離脱後の世界であるアストラル界での肉体の様なものです。呪う人はこの幽体及び生霊の一部(思念)を相手にぶつける事でいわゆる"呪う"ことが出来ます。
"〇〇さんの肩に不気味な手が乗っている"等の心霊写真も幾つも現実に存在しますが、あれも誰かの幽体(思念)なのかもしれませんね。
このように呪いというのは様々な物が複雑に絡んでいると私は考えています。
念というのは、4次元的であり時間や時や場所を超えて伝わります。
つまり"自分自分への想念"と言うのは過去の自分にも未来の自分にも送る事が出来、それをその時の自分は無意識に感じ取っています。
なので辛いときや悲しいとき、何か成し遂げた時や嬉しかった時は自分に対して念を送ってみて下さい!
応援しております!(◡ ω ◡) >>118,116様
様々な事を教えて頂き誠にありがとうございます。
軟気功について調べてみます!
念が時間や時や場所を超えて伝わるというのも興味深いですね。
また、未来の自分にも想念を送れるという考えを前提にしてみると、様々な面において新たな視点が得られる気がしています。
潜在意識から上がってくる情報は”時間”という概念を超えていると感じる時がありまして、もしかしたら、118様の仰る事とも関係があるかもしれませんね。
様々な事を教えて頂くに加えて、応援のお言葉まで頂き、本当に嬉しいです。
ありがとうございます。 >>119
こちらこそ、様々な情報を教えて頂きありがとうございます!
気功を始めるにあたって一つ私がアドバイス出来る事は、気功にも宗教の様に様々な宗派があり中国の長い歴史の中で手法も多様化して来たことです。
気功をやるための1つの手段として誰かに習うと言う事も挙げられますが、これはあまりオススメ出来ません。
と言うもの最近では、気功師を名乗ってお金を搾り取ろうとする輩まで沢山出てくる程です。なので縁が無ければ良い師匠には出会えません。(´;ω;`)
なので、最初は"気の出し方"などを調べて、ある程度感覚を身に着けてから1,000円程で売っている様な書籍などを買ってはいかかでしょうか?
露骨な宣伝では有りますが、"気功革命"と言う書籍は初心者向けであり、やりやすいです。
私自身これを持って毎日励んでおります。
(。•̀ᴗ-)✧
また、"少林内頸一指禅功"と言うある気功法は"気功師になるための気功"とも言われ、中々大変では有りますが、訓練次第では並大抵の人よりも気のレベルが高くなります。<( ̄︶ ̄)>
一応、オカルト板やスピリチュアル板でも気功について幾つかスレが立っていたのでそちらも覗いてみてはいかがてしょうか?
メグさんの気の陰陽のバランスが整えられるよう、重ねて応援させて頂きます!(*´ω`*) >>120様
日々、鍛錬していくと通常では観えない世界が観れそうですね。
気功革命やスピリチュアル板での気功に関するスレを少し覗いてみました。
僕自身、全くもって疎い分野ですので、とても面白いなと思います!
”気の陰陽のバランス”という概念も非常に興味深いです。
僕自身、陰陽については無の境地(あらゆる行動の発端が無動機になる状態)を目指すにあたって意識しているのですが、気という概念でそれを捉えたことはありませんでした。
ただ、朧気ながら感じるのは、行動に対し動機がある状態は一方向に自身が固い意識(エネルギー)を発している印象があり、無の境地を保てている際には全方位に柔らかい意識が広がっている感覚は少しあります。
エネルギーが感知できるようになると理解できる事が増えるのかもしれませんね。 再度質問です。
私の両親が毒親だったので愛を知りません。
また、親友だと思っていた友達に裏切られてから愛という感情が一切ありません。なるべく他人に優しくしようと心がけていますが、優しさという
ワケではなく、優しくすることが責任に思えるんです。
うつ病とかでは現在ないのですが、凄く生きづらかったり、他人との繋がりを全く感じません。
メグさんのアドバイスの自己主張もしていますが自分が空っぽというか、みぞおち辺りが重く生きている感覚がない為、自分がわからない状態です。普通に精神科に通っていますが、めぐさんからアドバイス頂けると幸いです。 "あなたには聞いていない"
と思われるかも知れませんが、一応私からもアドバイスさせて頂きます。
恐らく由季さんは過去の出来事から自分に自信が無く、"もっと〇〇が良かったら"や"〇〇であったら"と考えているのでは無いでしょうか。(´;ω;`)
私も似たような性格なので、何かトラブルが起こった時などは頼れる人がおらず辛いです。
みぞおち辺りが重いのは恐らく、そこにある第
三チャクラが閉じているからでは無いでしょうか?(*・〜・*)
第三チャクラが閉じてしまうと、今の自分の生き方に不満を持ったり、何に対してもやる気の無い無気力感が出てきてしまうようです。
"どうせこの世は不幸だらけだ"
と言う様なマイナス思考まで現れるようです。
まず大切なのは自分の感情を溜め込まずに、何処でも良いので吐き出してみて下さい。由季さんの場合は、自分の感情を溜め込む癖がある様です。( ̄ヘ ̄;)
また、第三チャクラを活性化させる為にも火の近くに居ることや、みぞおちに手を当てるなどをしてみても良いと思います。(*^^*)
私から言える事はこの程度ですが、これからはもっと自分を大切にして、生きてみて下さい!(^o^) スレ主さんの掲げる法則については何とも言えませんが、カルマについて漠然と思っていることはあります。やはり人の行為が未来に作用するのは間違いないのではないかと。人の仕草や行為等は儀式だと思うのです。食事や睡眠、入浴、歯磨きに至るまで生活のひとつひとつは小さな儀式を繰り返しているのだと感じています。例えば飯テロというものがありますが、人の行為が他者に影響を与える様に自分の行いが未来に影響するのは当たり前ですよね。やはりカルマを語る上では日頃の行いに立ち返ることとになります。昔の人は偉かった。
余談ですがたまに目が離せないような、オーラと言うものかものすごく惹かれる他人の仕草ってありませんか?特別その人のことを好きだとかいったようなことはなく、なぜだか目が離せない仕草。きっと念力の高い方なのではと睨んでいますが、どうでしょう。 >>122 由季様
引き続きご相談を頂き本当にありがとうございます。
幼少期の辛い経験がありながら、”人に悪い事をしない”だけでもそれは十分に誇れる事だと思います。
それは平和で愛のある幼少期を過ごした人が当たり前に人に優しくする事よりも、大きな精神の力を要することです。
《自己主張できる人間になりたい》といった願いは続けていくと、それは力を持ち始め、ご自身の外側から人生に作用してくると思いますので、引き続きやる事が大切だと思います。
それで、やった方が良いことは沢山あるのですが、それをご自身で見出すための判断基準があると良いのだと思いました。
現在の心境を生じさせているのは、過去の記憶や行為により生じた自我です。
基本的には『現在の自我(自分)ではあまりやりたくないけど、何となくやった方が良いと思っている事をやる』というのが大切になると思います。
それが散歩などの運動や娯楽であれ、何らかの立ち振る舞いであれ、現在の自我を超えることが大切になるでしょう。
また、”現在の自我が生じた原因となった人物に対する想い”はご自身の未来とも直結する面があると思います。
それはご両親だと思うのですが、表面的にでもご両親の幸せを祈る言葉を心の中で唱える事は、ご自身の良い変化に繋がるものだと思います。
これは現在の自我を超えるという意味では、かなり大きな行動でして、もしそれができるなら大きく前進できるのは間違いありません。
しかし、できない場合でも、問題があるわけではなく、上記にあるような自我を超えるような行動を少しずつでも出来てくれば、現在の自我が薄れ、その自我に付随した辛い気持ちも薄れていくことになります。
掃除などが億劫だと思ったら、それをやるなど、身近にできる事から少しずつ取り組むことが良いと思います。
些細な事なのですが、1年間だけでも確実な変化に繋がり、3年経てば過去から解放され、10年経てば全てを最善と思える超越的な境地にいたる事ができるような道のりです。 >>84
現世では見返りを期待できなくても死後や来世では期待してるんだからお前は綺麗事をほざいてるだけだろ 横からスマソが見返りがあったにせよ必ずしも現世的な利益に繋がるものとは限らないと思うぞ?
たとえば、君らが全ての財産を投げうって困っている人たちに尽くしたとしよう
そして返ってきたのは金銭的見返りでも社会的な成功でもなく子どもたちの笑顔だけだった
卑近な例を挙げれば、伊達直人運動のような身元を明かさないボランティアでは
こういうことは十分あり得る話だろう
要は、それが物質的欲求を満たす結果に繋がらなくて残念がる人もいれば
子どもたちの幸せを感じられることそれ自体に黄金の価値があるという人もいるわけだろ
だいたい、神の視点で考えればお金や成功なんて善でも真の幸福でもなんでも
無いんじゃないの?
むしろ生きる為に必要以上のことを求める物質的な成功など悪徳だろう。 臭い偽善じみた綺麗事を吐いているがそれが対価と代償を暗に要求しているだけだってわかんねえのかな >>128
精神的にせよ物質的にせよ“良きこと“の見返りを期待するのは当然だと思います。
仮に寄付をすれば地獄に行くと分かっていたら普通なら誰もしないでしょうし、
悟りを得た賢者にしか純粋で下心無しの善行は無理なんじゃないでしょうか。 真の善行・絶対的な善なぞ証明できないし人間なんて所詮その程度だと思った方が良い
本音では対価等を求めているだけと思っていた方が自分が「正しい」と思い込まなくて済むからな
ついでにメグの言っている事も現実に証明できない以上気休めだと思って話半分で聞いてた方が良い 「何億年」とか軽々しく出してバカじゃないかと思ったわ [5億年ボタン]みたいに適当な事ほざいてんだから
885名無しヒーリング2021/04/23(金) 15:01:06.56ID:DE23UYh1
>>881
>879様もご自身のスピリチュアルの定義で全ての人の見識が統一された方が良いという観方はされておられないのだと思います。
進化は人の数だけあると思います。
別に宗教的な行法をしなくても、音楽家であれ、主婦であれ、トラックの運転手や職人さんであれ、カルマヨガを通して進化する方法はありますよ、気の遠くなるほどの転生を繰り返し人間として初めて悟りを開いたといわれる釈迦も最後は「難行苦行は修行にあらず」と申しておりますね
だからこの世でいう悪人であれ、それはそれでその人の進化の途中なので、いつかは必ず人は悟るのだと思います。地上の時間で何億年かかるかわかりませんがね(笑) >>114
>>112は別人による妨害ですよ。
呪術が事実であれば、客からカネをとることなく別の方法によってカネを生み出します。
密教にはそのような方法があります。
ゆえに、商取引として呪術を行う輩などおりません。論理破綻ですからね。
ちょっと脱線しますが、殺し屋に殺害を依頼した人がその対価を前払いするときに
その殺し屋に殺されてカネを奪われたという笑えない話があります。
呪術師とやらが依頼人からカネをとるのはこの話が参考になるでしょう。
また、商取引でもカルマの法則は働くはずです。人間の行為すべてに働くもののはず。
密教の行者が呪殺を引き受けるときは依頼者に同情するからだそうです。
行者は加持祈祷中に絶命することがあるそうです。しかも一日24時間体制でそれを行う。
そして呪殺が成功した暁には行者もまたその反動(カルマ)があるそうです。
そこで絶命する行者もおるそうです。
ゆえにカネ儲けのために自身の命を犠牲にするのは矛盾するのです。
これによって呪い代行業者なるものが如何にペテンかわかるでしょう。 >>132
仮にも仏の道を進む人が呪殺など引き受けるのでしょうか
それが本当なら密教って恐ろしくないですか >>133
密教にはあります。
大陸由来の呪術が平安時代に空海と最澄によって日本列島に導入されたものです。 死後・来世に対して見返りを期待する以上、それは偽善ではないか?というテーマで少し議論が活発化していますね。
とても興味深い議論になって嬉しいです。
それで、この議論に際して、僕にとって興味深いのは
【なぜ、見返りを求めてはいけないという”発想”がそもそも大多数の人に存在するのか?】
という点です。
「見返りを期待することは偽善」という言葉を口にする人もいる事から分かるように、そこには、見返りを求めないことを真の善として認識している感覚が根付いているように思えます。
これはテレビなどの外部情報によって刷り込まれたものか、親などとのコミュニケーションによって身に着いたものか、それとも、人間の精神にはそもそも”善の判定基準”が備わっているのか?
このあたりはとても関心のある所です。
仮にテレビなどの外部情報によって刷り込まれただけの感覚であれば、善行に対し見返りを求めてはいけないという概念はテレビ由来のものであり、さほど重視する意味は感じません。
ただ、善の判定基準がそもそも精神に存在し”見返りを求めてはいけない”という感覚が、真の善の存在(その善を探究することで、真に良い道に進める可能性の存在)に由来する可能性があるならば、かなり考慮する必要があるように思います。 見返りを求めることは取引をしていることと同じです。
カルマの法則は「取引」ではないと思います。
他者を傷つけた者はいずれ自分も同等の経験をするのがカルマの法則でしょう。
ここにどのような見返りを見出すというのでしょうか。 どのような見返りを見いだせるかといいましたら、相手を傷つけたカルマが浄化される見返りでしょうか >>135
見返りを求めずに行うことは大きな勇気や決心や覚悟が必要なことが多いので、その結果より大きな成長ができるため、その点で有効なのではないでしょうか
だから、カルマの法則を知っていてそれを活用しようと見返りを求める場合、見返りは求めずに行うこともテクニックかも?!
そもそもカルマの法則を活用しないでも成長できる次元があるかもしれないです >>136様
ご意見を頂きありがとうございます!
取引と見返りを関連づけた考え方、掘り下げる価値の大きいものだと思います。
長くなりましたので、2つに分けて投稿します。
(結論にいたる思考過程まで明らかにしようとすると、どうしても長くなってしまい申し訳ございません。
これを省くと、途中の因果関係が抜けた結論のみに読む人の思考が縛られ不自由になる恐れがありますので、極力、思考過程は明らかにするようにしています)
136様も”見返りを求める事は取引をしていることと同じ”と表現されている通り、取引と見返りには違う側面があるように思います。
まずはこれを明確に線引きしてみたいと思いました。
僕なりに取引を定義してみると『自身の求める対象を得るために、自身が持つ物と相手が持つ自身の欲しい対象を交換する行為となりました。
また、取引の場合、相手が自身の欲しい物を持っていることをある程度、認識して行うという状態だと思います。 見返りを定義してみると『何らかの行為により、自身の求める対象に”近い物”が得られること』となりました。
ただ、見返りの場合ですと、欲しい物を指定する・指定しない、また、欲しい対象が得られることを確約してもらう・しないという両方の場合まで含めて指した言葉であり、見返りという言葉を使う人は、このような曖昧な部分まで含めてその言葉を使っているのだと思います。
この点を考えると、カルマの法則に対して取引を持ち掛けたような状態(それが得られるかは別にして)は、「〇〇をしたのだから、欲しい〇〇が返ってくるはず」と、それが確約されたものであるかのような心境なのだと思います。
次に、カルマの法則に対して見返りを期待する状態は「〇〇をしたのだから、欲しい〇〇・あるいはそれに近い物が手に入るかな・入らないかな」という”揺らぎの状態”が多いものと思います。
カルマの法則は不明点が多い性質上、必然的に、後者の見返りのような”揺らぎ”のある心境の人が多いのだと思います。
このような”得られるかどうか分からない”といった状態は、日常生活においても”今やった事が正しいかどうか分からない”といった形で良く観られるため、見返りを期待しようとしまいが、その状態はあまり変わらないのではと感じています。
また、誰もがするように、仕事における努力で成果を期待するなどの部分が、他者への善行の成果が人生により何らかの形で得られることにフォーカスが移っただけであるため、この両者にそこまで大きな差は見受けられないと考えています。
ただ、カルマの法則に対して取引を持ち掛けたような心境「〇〇をしたのだから、この〇〇が得られる」というのは、当てが外れる可能性が極めて高いことが僕の経験上では明らかでした。
ですので、136様が仰る通り、取引相手としてはカルマの法則は不適切だと僕も感じています。 >>138様
ご意見を頂きありがとうございます!
実は、僕自身も138様のご意見と近い認識を持っています。
物的見返りが無い状態で何かに誰かのために行動を起こすには決心や覚悟を要し、また保身の気持ちが減る事により、原理は正確に把握できていないものの顕在意識・潜在意識の両方の認識範囲が向上(成長)しやすいと”経験上”考えています。
ただ、カルマの法則とは別の部分で成長に繋がる道筋がある場合、それも明らかに出来たらいいなと思っています。
僕個人としては、それは存在するのではと信じています。 >>139-140
メグさんのお考えを拝読しますと、それは「カルマの法則」ではないと思います。
さまざまなカルマが時々刻々と発生するなかで、ご自身の心境ひとつで
何かが狙った通りに発生するわけでもないですし、意図した結果を創り出せるわけでもない。
カルマの法則(プラスの面で)を日本のことわざに置き換えるならば、「情けは人の為ならず」です。
他者に掛けた情けが巡りめぐって自分にかえってくるということであり、いつそれがかえってくるかは
わかりません。ですから取引はもちろん、望んだ結果がもたらされることも不確定です。 貴重なご意見を頂き本当にありがとうございます。
僕自身、僕の知らない法則を知りたい気持ちが強く、このようなご意見をとても嬉しく思います。
僕の場合も『特定の〇〇が欲しいので、人に〇〇を与える』といった形での意図した結果は引き起こせないという観点は142様と共通だと思います。
ただ、普遍性の高い概念(より広い範囲に通用する概念)に対しては、それが得られやすい傾向があるなと考えています。
例えば、”よりお金が欲しいので人に対して無償でお金を与える”といった寄付の場合ですと、より多くのお金は得られにくいです。
しかし、お金よりも高い概念である、地道にお金を稼ぐことを苦にしない心、お金に執着しない心といった、お金を超えた概念など、結果的にお金を得ることにも繋がる普遍性の高い概念が身に付きやすいなど、【与えた物の種類に応じた普遍性の高い概念】が身に着く作用はあるように感じています。
とはいえ、これは僕の経験則ですので、これが真実かどうかは僕では無く世界が明らかにするのだと思います。
それで、142様の思想をより深く理解するにあたって一つ質問をさせて頂いて宜しいでしょうか?
142様は『カルマ』に対して、どのような定義をされているのでしょうか?
僕の場合ですと、”行為の結果により自我が形成され、その自我が解消され、より大きな自我を得るための出来事が引き起こされる過程”とひとまず定義づけています。
(実際は、この定義よりカルマは遥かに壮大な意味を持つと思っていますが、こうしたやり取りの中でその定義をより正確にしていきたいと思っています)
まずはお互いのカルマの定義を明らかにした上で議論が出来れば、お互いの知らない真相に辿り着けるのではないかと思っています。 >>144様
保守頂けてとても光栄です!
個人的には、このスレを通じ、思想の多様性により多くの真相を明らかにできたらいいなと思っています。
匿名掲示板って面白いですね。 >>143
カルマとは思考や行動全般による因縁のことです。
「自我」云々は関係ないと思います。
難しい話ではなく、因果応報だということ。ただそれだけです。 >>146,142様
素晴らしいご意見をお聞かせ頂きありがとうございます。
貴重なお時間を割いて返信頂き、感謝いたします。
とても参考になります!
【思考や行動全般による因縁】の”因縁”という言葉の中身が少々曖昧になりやすいので、より深く理解したいのでもう一つご質問させて頂いて宜しいでしょうか?
(もちろん、差支えが無ければで結構です)
因縁とは”一つの事象が次の事象を引き起こす過程”のことを指しているのでしょうか?
例えば、AさんがBさんを殴ったら、殴られた記憶・痛みなどがBさんに生じ、その生じた要素をきっかけに、Bさんの精神傾向に基づく反応をAさんに返すといったような形です。
この場合ですと、AさんのBさんへの行為による反応がAさんに返ってきている形になるのですが、こうした事を因果応報と定義づけておられるという理解で宜しいでしょうか? >>147
掘り下げる必要はないと思います。
カルマの法則とは「因果応報」のことです。
善因善果、悪因悪果です。
カルマの法則は個人だけでなく、社会集団である民族や国民、
あるいは国家という単位でも発動するといいます。
ですから自我云々は不要な議論です。 >>148,142様
ご回答を頂き本当にありがとうございます!
掘り下げる必要は無いというお言葉、とても興味深いです。
物事に対して自我意識による理解を最小限にするのは、関心のあるテーマでしたので尚更です。
142様の”掘り下げる必要は無い”というお言葉は、人知を超えた神の御業を知識化する事で、却って見識が制限されるので、事象を取り巻く原理などについては掘り下げずに曖昧なまま認識した方が良いという事でしょうか?
ちなみに、僕の考えですと、自我に関しては、事象に対して精神傾向に応じた反応を返す性質が人間にあるので、精神傾向(自我)はカルマの法則を究明する上で必須なテーマだと思っていました。
自我という部分が抜けてしまうと、カルマの法則における進歩という概念までもが消失するように感じています。
ただ、142様は善因善果、悪因悪果というお言葉を使っておられるので、物事の良し悪しの基準が存在すると考えておられるのだと思います。
物事の良し悪しを自我や自我の成長(自身の成長)を基準にするのでない場合、自我ではない別の所に、物事の良し悪しの基準を求めておられるという事でしょうか。 >>149は簡潔に書きすぎて少々分かりづらいかもしれませんので、内容を補足させて頂きたいと思います。
誰の目にも明らかなよう因果関係について順を追って書いているつもりなのですが、客観的には理解しにくいであろう表現がありました。
長くなりましたので、補足を二つに分けて投稿いたします。
問題なのは
>>自我という部分が抜けてしまうと、カルマの法則における進歩という概念までもが消失するように感じています。
ただ、142様は善因善果、悪因悪果というお言葉を使っておられるので、物事の良し悪しの基準が存在すると考えておられるのだと思います。
物事の良し悪しを自我や自我の成長(自身の成長)を基準にするのでない場合、自我ではない別の所に、物事の良し悪しの基準を求めておられるという事でしょうか。
の箇所です。
なぜ、自我というテーマを抜きにすると、進歩という概念が消失すると考えているのかについて簡潔に補足します。
僕の場合は因果応報は自我に対する教育的要素が多い現象だと考えておりまして、そのため、自我というテーマを抜きにカルマを語ると進歩という重要な概念が消失すると考えました。
142様は因果応報が存在すると考えておられるようなのですが、”因果応報の原理は自我に対する学びとしての意味は無い”とお考えなのかという点に僕は関心を持ちました。
もし、自身の行為による影響を自分が回収する事に教育的要素は無いとするなら、仰られている事がよく理解できます。 ただ、142様は善因善果、悪因悪果というお言葉を使っておられ、その表現はカルマについて自我まで踏まえた表現であるように感じました。
というのも、行為に良し悪しをつけるとすれば自我を中心にした尺度が通常だからです。
・自我の”世界”に対する変化の良し悪し(自我が周囲の出来事に対しより良く適応できるようになる・ならないなど)
・自我の欲望が叶うような出来事が起こる・起こらない
・何らかの行為により自我による世界に対する理解が深まる・逆に狭まる
など、自我や世界を取り巻く要素を、行為の良し悪しの判定基準にするのが通常ですので、善因善果、悪因悪果というお言葉を使うという事は、人間の自我を中心とした尺度を前提としているように感じました。
その点に合点がいかず、どうも142様の思想を深く理解する妨げになっています。
仮に、善因善果、悪因悪果という言葉が人間の自我を中心にした尺度により善悪と判定づけているのでなければ、別の何かにより判定づけているという事になります。
その『何か』について知りたく思い、>>149のようなレスになりました。
もし、それが分かれば僕の認識は大きく拓けるかもしれません!
ちなみに、下記のお言葉に関してレスをしておりませんでした。
大変申し訳ございません。
>>カルマの法則は個人だけでなく、社会集団である民族や国民、
あるいは国家という単位でも発動するといいます。
ですから自我云々は不要な議論です。
【カルマの法則が民族や国家に働く可能性がある】のと、【カルマを理解するにあたって自我というテーマは必要無い】というのは直接関係が無い事柄のように感じました。
ちなみに、”自我の存在しない大きな集団にもカルマの法則が働くのだから、カルマの法則は個人の自我と関係がない”という意味で発言されたのでしょうか?
もし、そうである場合であれば、一つの考えとして理解ができました! >>152様
窘めのお言葉を頂き感謝いたします。
お陰様で少し冷静になれました。
(ちなみに、これは統合失調症の方を蔑視した発言ではありません。
事実と異なる事を思い込むという問題自体は診断の下った方、そうでない方の誰もが抱えている問題だと考えています。
当然、僕も同様です)
142様の思想の理解をしたい気持ちが先行し、少し興奮してしまいました。
過去、”理解しづらい思想”を理解するほどに世界が広がりましたので、つい質問しすぎたかもしれません。
大変申し訳ございませんでした。
以後、気をつけたいと思います!
もし、142様も僕との議論に付き合うのが疲れる場合は、いつでもスルー頂ければ幸いです。 あったとしても一般常識として刷り込まれた善悪とカルマの善悪は別物だろな >>154様
僕も”カルマの善悪”に関して、154様の仰る通りの側面があるなと思います。
例えば、一般的には禁欲は良いとされやすいのですが、禁欲に囚われているがゆえに人に共感できず視野が狭まる人も多いです。
この場合、ストイックさを解いて少し欲を解放する方が、カルマ上良いと感じる場面は多かったです。
他には、一般的には勉強は良いとされやすいのですが、立派な人間でありたい願望の強い人が、偉人の本等で知識を得て”より立派であらなければならない”と強迫観念を強くしてしまう結果になり、実際は誰かと飲みに行ったり、ゲームが苦手な人であればテレビゲームでもした方が全体的に上手くいくという事がよくあると思いました。
(この際、カルマの法則により、自身と反対の価値観を持つ人が配置されているケースが多いように感じています)
こうした事から、常識的な善悪とカルマ上の善悪が少し違うのは現実味のあるご意見だと僕も思います。 カルマの法則と「自我」は関係がないと思っています。
カルマの法則は人間のみならず、ペットなどの動物にも働くと考えています。
ゆえに自我という概念は持ち出す必要がない。
ペットにもよりますが、ペットに注いだ愛情に彼らはこたえてくれますからね。
あくまでもペットによるのですが。 >>156様
ペットに対するカルマの法則は興味深い着眼点ですね。
参考になります。
それで【自我が無いとみられるペットにカルマの法則が働く】【カルマを考えるにあたって自我というテーマは不要】の両者に直接的な関係を見出せないように感じています。
これは一つの国の一人の人間が犯罪をしたから、他の国民も犯罪傾向が高いのであろうと判断するのと似ていて、A(全体)の状態を現わすのに”特定のB(個体)がそうではないから”というのは、論証としては少し心もとないかもしれません。
この場合、B(ペット)を通じてA(人間)の事情を推定するのではなく、Aの因果関係はAを取り巻く事実関係により分析する必要があると思います。
また156様は『愛のある行為に対して愛のある反応が返ってくる』という点にカルマの法則を見出しておられるようなのですが、ペットですら愛情に対して”何らかの自我”を元に、愛のある反応を返すか異なります。
人間であれば尚更でして、愛のある行為に対して愛を返すかどうかが”相手の自我”によって異なる以上、カルマの法則を究明するなら人間の自我の成り立ちにまで考えを及ばせる方が自然な気がしています。
ただ、156様がカルマに対して自我というテーマを入れる必要が無いと考える事は自由であり、仮に、論証ができないものだったとしても、その価値が低いという事はありません。
議論というのは論理や現象による根拠を元に為されますので、どうしても、論証ができない方の価値が低く見えがちな傾向があります。
論証がどうであろうと、156様の思想の価値は高いものだと思いますので、その思想を大切に、それに則って生きることもまた価値のあるものだと思います。 陰徳を積みなさい
12年ぐらいすると通常の三倍の速度で運気が上がり始める
若い頃に不陰徳(人の心を著しく傷つける行為、呪詛)をした者の晩年は必ず悪い 運気を高めるために陰徳を積めということに矛盾を感じない人は
アタマの悪い方だと思っています。
運気を上げるために○○をやれというセリフは霊感商法にもよく見られるものです。
他人に指図する、それも匿名でそれをやる輩は総じて下劣な品性です。 >>157
やたらと「自我」に固執する点を何度も見ると、メグさんにとってその「自我」が
現在のメグさんの抱える問題と密接に関係しているのではないかと思われます。
苦しい状況にあるのであれば、まずは精神科や心療内科を受診ください。 >>159
そこに打算が含まれていようが他人の役に立つなら良いんじゃないかと
人間である以上、全て慈悲による行為だけをせよということまたも難しいし
ボランティアでもなんでもやってるうちに下心から真心が生ずるという
逆転現象はあるだろう
それが打算であっても動機づけを認めてやらなければ何も貢献しようとしないやつは
死ぬまで何もしないので永遠に善良な人間にはならないからなぁ 死ぬまで何もしなくても「天国」に行けるそうです。
誤解を招くかもしれませんが、ホームレスとしてこの世を生き抜いても死後は
立派な天国の住人となれるそうです。
また、身体が不自由な状況(重度障害)で生き抜いても同様だそうです。
寿命が尽きるまで生き抜くことがこの世に生まれてきた最大の理由です。
陰徳を積み、他者に尽くした結果、自殺に至る人もいますが、それだと天国へは行けず、
別の階層に訪れるそうです。ですから他者に貢献する云々は妄想の類いです。 誤解を多分に招くことを書いてしまったのでもう少し補足します。
具体的に何が自殺になるかという点が世間一般の認識と異なるのです。
やむを得ず自ら人生を終わらせる場合は自殺になるのかということです。
この世から逃げることが自殺になるのだそうですが、その状況に追い込まれた
理由が考慮されるそうですから必ずしも「自殺」として死後の境遇が決まる
わけではないようです。 >>160様
ご親切なお言葉を頂きありがとうございます!
もしかしたら、160様の仰る通りかもしれませんね。
結果的に、自我に関する議論が長引く事になってしまい大変申し訳ございません。
160様が宜しければ、今回の議論はここまでにしておきましょう。
(160様は、僕とカルマと自我に関して議論をさせて頂いた156様でしょうか?
もし、そうでない場合は156様から声が上がると思いますが) このままでは死ぬとわかっていながら何も対処しようとせず、
最期を迎えてしまうことも「自殺」とみなされるのだそうです。
しかしこの世では病死や事故死等という扱いです。
アルコール・薬物依存やワーカホリックもそれに該当しませんか。
無理をすることが「自殺」につながると考えます。このとき、自殺の
範疇が世間一般のそれとは異なっていることにご注意ください。
自堕落のまま何もなさずとも死ねば、無事に天国へ行けるそうなのです。
しかし無理に無理を重ねて他者のためなどと思いながら過労死でもすれば、
それは緩やかな自殺となりましょう。 快楽に浸りすぎても苦行に浸りすぎても悟りを開くことはできないと
お釈迦様は説いておるそうです。何事も中道が肝要であると。 >>167様
そうなんですね。
議論にお付き合い頂き本当にありがとうございました!
162以降の投稿も非常に興味深いです。
貴重な内容、参考にさせて頂きます。
もし、何か僕の思想に対して疑問があれば、名指しでご質問頂ければ直接お答えさせて頂きますね。
特に名指しでない場合は、僕の思想に対する懐疑的なご投稿であったとしても、僕からの返信はしないよういたします。
よほどの誤解が見受けられる場合であれば、直接、意見を書かせて頂く事はあるかもしれませんが、基本的には僕の思想に対する懐疑的なご意見はご自由にお書き頂ければ幸いです。
こうした貴重な書き込みを頂けてとても嬉しく思っています。
様々な人が議論をする中で、誰もが観えなかった真相が見えやすくなるかもしれませんね。 >>163
「死後の生がある」などという不確かな前提に立ってる時点でなんの論証にもなってない >>169様
死後の生があるという前提の意見はあっても良いと思うのですが、論理の飛躍が大きくなりすぎ議論としての発展は見込みにくいのもまた事実だと思います。
死後の世界の論証は極めて難しいテーマですが、事象を取り巻く様々な原理を見出し「これらの原理があるのだから、死後の世界はあると考えるのが自然だろう」といった結論にいたるのが理解として最上の形だと考えています。
それを踏まえると、カルマの法則に関する議論のテーマに良いのは【人間の幸せとは何か?】といった事だと考えました。
大部分の人の共通項に、自身の幸せを意識的・無意識に願っている、という事があると思います。
仮に、カルマの法則を突き詰める事で、人間の長期的な不幸に繋がるなら議論も実践の価値も相対的に低いものになります。
また上記の点を踏まえて発想の転換をすると、『長期的な幸せに繋がる行為とは何か?』という事を掘り下げていけば、自然と、カルマの法則に関する答えが出てくるように感じています。
そもそも、長期的な幸せに繋がる行為とは何かを理解することが大切であって、本来、カルマの法則そのものは重視しすぎない方が良いと考えています。
幸せというと、”お金があれば幸せ”と考えたくなるのですが、今もって物的な充足が人間の長期的な幸せとの”完全な繋がり”は証明されていません。
人間の幸せを解き明かすには、どのような行為が自身の記憶や精神に良い影響を与え、また、幸せを感じられる範囲を広げるのか?という事が大切だと思っています。
ですので、今後『長期的な幸せに繋がる行為とはなんだろう?』という部分を掘り下げるのはいかがでしょうか?
(あくまでも個人としての提案ですので、気乗りしない方はスルー頂き、ご自身のご意見を自由に書いて頂いて結構です) >>170
>「これらの原理があるのだから、死後の世界はあると考えるのが自然だろう」
どういう原理に基づいて死後の世界があると考えるのが自然となるのだ?
さっぱり分からないし少なくともそんなのは一般論ではないよな
だいたい、死後の話をわざわざ持ち出したりしなくても人間の幸福について
考えることは十分可能だろう
そうやって根拠のわからないことを正当化してると主張の全てについて
説得力が失われてしまうよ >>171
アメリカ大富豪であるロバート・ビゲローは今年の一月に
「死後の世界を証明した者に、1億円以上の懸賞金を出す」と発表しましたが、
未だにその懸賞金を手に入れた人はいません。
それ程までに死後の世界を証明する事は難しいのです...
なので私としては、このスレッドでは死後の世界があると仮定して、
幾つかのテーマを皆さんと掘り下げていきたいです。
何卒よろしくお願いいたします... 前世療法の世界的権威であるブライアン・ワイス博士の研究など、
死後の世界と生まれてくる前の世界が実在するという前提のもとに
催眠療法等の実践と研究が行われているそうです。
参考までに: https://tocana.jp/2021/02/post_200512_entry_2.html UFO問題と同じことになるのですが、死後の世界(生まれてくる前の世界)に関して、
それを思わせる具体的な現象がたくさんあるので根拠のない妄想ではないのです。
そして、その現象を扱うことは非科学的ではないのです。
事実を扱うのですから非科学にはなりません。
というわけで、>>169は無知なだけだと思います。
不確実なことを根拠にしてはいけないというのであれば、実証することが難しい
宇宙論などは成り立ちません。 >>162
ただ寿命まで生き抜けば天国に行けるとか本当に馬鹿みたいだね >>171様
誤解されるような書き方をしてしまったようです。
大変申し訳ございません。
僕自身も171様と同様『死後の話を持ち出さなくても人間の幸福について考えられる』と思っています。
>>170は、この世の事象から様々な原理を見出したり、それらを検証した上で、自然と死後の世界について結論づけられる方が良いかも、という意味で書かせて頂きました。
上記の考えにいたった理由を書きますと、仮に死後の世界が存在しない場合だと、死後の世界を前提にした考えは、この世における行動ミスを誘発し続けることになります。
しかし、この世の事象を取り巻く原理などの理解を深めて、その結果、自然と死後の世界に気が付くのであれば、”思考の前提の誤り”による行動ミスは生じません。
また、仮に死後の世界の行き先がこの世の生き方によって算出されるものだった場合、この世の事象を学ぶ事に集中した方が良い結果になるでしょうし、この世を生きる上でも現実に対応しやすくなるので、総合して考えるとこの世の事象を取り巻く原理などを見出すことを優先した方が、死後の世界がある場合・無い場合のどちらであっても良い結果になるだろうと考えています。
事象を取り巻く原理を見出すための一つとして【人間が長期的に幸せになれる行為とは何か?】を考えるのが有益という考えを書かせて頂いた次第です。 >>174
なら、それが教科書に載ったのかい?確実な科学的な裏付けが取られてるなら
世界中の教科書を書き換えられてるハズだよな
そうなってないってことはエビデンスレベル糞以下
個人の戯言ってことだ
お前の個人的な信仰を勝手に一般化して他人を無知扱いとか
高卒は笑わせてくれるのう >>174
>>177
やめなされ、そんな無益なレスバはやめなされ >>174様
>>177様
これは【事実】という概念について深く考える良い機会かもしれません。
両者ともに一理あるように僕は感じます。
・174様は前世療法などでの世界各地の証言があった事実があるゆえに、このテーマでの議論は十分有益であろう
・177様は上記のような証言は”死後の世界”が真実かどうか客観的な裏付けが取れないので、これを元に議論をするのはどうか?
と両者が考えているという前提で考えると、確かに174様の事実は客観的な裏付けが取れていないがゆえに、その事実が仮に間違いであった場合、後に導き出される結論も間違いになりやすいリスクをはらんでいます。
ただ、一般化されるほどに検証された事実のみを扱うという事にも同様にリスクをはらんでいるように思います。
誰がやっても再現性のある知識を体系化したものを”科学”と言うと思うのですが、再現性を見出すためには”不確実な知識”を参考にする中で、徐々に再現性を見出す必要があります。
ですので、再現性を見出すためには不確実な事実を元に考え、検証するプロセスが必要であり、そうでなければ、自身を狭い世界に押し込めてしまうリスクもはらんでいるでしょう。
しかし、世界各地の前世療法などでの証言は客観的な裏付けが乏しいゆえに、因果関係を辿って真相に迫ることが極めて難しい点が否めません。
このまま議論を行うと、「私はこのような知識を知っているので、これが正しい」「私が知っているのはこっちの知識なので、それは正しくない」といった自己主張の連鎖ばかりを呼び、議論としての発展は見込みづらいように思います。
まるで海を挟み歩み寄れない島々の間で”あなたの方がこっちに来てくれ!”と言い合い、協調できず、何も進まないような状態です。
これを回避して死後の世界に関する議論を実りあるものにするなら、自身の知識を一旦脇において【死後の世界に関する知識の合理性】を検討しあうのが良いと考えます。
一例を挙げると、僕の”人格に相応した死後の世界に行く事になる”という持論に疑問点がある場合、それを論理立てて書いていけばこのテーマの議論も実りがあるように感じました。
仮に死後の世界が存在しなくても、因果関係を辿って論理を組み立てるという経験はあらゆる分野の成功を呼ぶという点において、実りが得られるように思います。 大晦日に母が急死、会話中に自分の目の前で発作を起こして自分の腕の中で呼吸を止めた、心マがキチンと出来なかったのか蘇生出来ずそのまま
今日、俺の弟のような甥っ子のような、かあさんの忘れ形見のような、うちの末期癌の猫が逝った
最期側に来てくれて腕の中で死んでいってくれた
どちらも腕の中で命が消えていくのを感じた、人も猫も皆同じだと
体温を感じにくい虫でも同じだろう、動きの少ない植物でもそうだろう
無心で見つめてるととにかく感じた
何が正解だったのか、わからん、祈りも想念も瞑想もせずただ見つめてやれることを見極めてやってきたのに、なんで落ち度の無いいい奴から先に、苦しんで逝くのか
俺も苦しい、皆苦しい、なんだこれ >>180
お、おい...
元気だせよ...(´;ω;`)
少なくとも、今までやってきた事は間違いではないと思う。
とりあえず、逝った後の霊はしばらくはこの世界に近い層に居るから、何かしらの念を送るのは止めておいた方が良い... ただ愛しい、骨壺になっても今までみたいに声掛けてその時々で居心地良さそうな場所に居てもらって水とご飯も用意して一緒に飯食ってる
今日休みで朝からさっきまでまったり二度寝してたらかあさんと猫と会えた、けど二人ともこっちの世界と同じように発作を起こしたり体調崩して際の際にあたったりしてた
あっちの世界でも母が倒れたときテンパって119の前に110してしまっていた、猫も助けてあげられんかった
ごめんなさい >>180,182様
とてもお辛い気持ち察するに余りあるものだと思います。
この世を去ったお母様や弟分の猫さんの状態などに関して、潜在意識からの情報提供を試みる事は可能だと思いますが、いかがでしょうか?
場合によってはお母様から180様にお伝えしたい事が分かる事もあるかもしれません。
実は、投稿があった時からそれが得られるか試みているのですが、現時点では得られず、この場合は180様の許可がいるように感じました。
実際得られるかどうかは不明ですが、まずは試みてみる事が大切だと思い、180様にこの件についてご希望されるかをお聴きしたいと思い、この書き込みをさせて頂きました。 " アカシャの蛇"と言うはアカシックレコードの事かな?
wikiによると、アカシックレコードはアカシャ(アーカーシャ)あるいはアストラル光に宇宙の記憶が全て刻まれているという。
因みにアストラル光(エーテル体)は初期の霊的世界において蛇として象徴されたものらしいね。
ワイの解釈が間違っているのであれば申し訳ない。 >>172
>コンテストの参加資格は少なくとも5年間、死後の世界について研究していること。研究実績などに関する予備審査を通過した人だけが論文を提出できる。論文の締め切りは8月1日で、専門家らの審査を経て最終結果は11月1日に発表される予定だ。
ニッポンジュソだそうと おりゅうただすが シカクきびしすぎ。 >>185
そうだよ
中国神話によく出てくる女カと伏キも双子の蛇の様な姿をしていたようですね >>183
何かあれば本人から直接聴けると待ち構えてまして、猫からはちゃんと世話してよ!って怒られてしまいましたが母からは最近は特に何もないです
メグさん経由でも何かあるのでしたら是非聴きたいのでお願いします >>188様
承知いたしました。
情報が得られるかどうか定期的に試みてみますので、今後、何か情報が入ってくる事があればお伝えさせて頂きますね。
また、情報が得られない場合でも書き込みをさせて頂きます。
ご家族との離別は辛い面が多いと思いますが、何かのお役に立てれば幸いです。 メグ(たかひろ)さんは具体的な文章を読まなくても
相手の心情や背景や記憶を
潜在意識からの情報提供として読み取ることが出来るのですかね? >>190様
ご質問を頂きありがとうございます。
ここ数年は潜在意識からの情報提供を受ける形で、様々な人のご相談に乗っていました。
情報が得られる事も多いのですが、その場の条件次第では得られない事もあるようです。
また、得られる場合は、”その人の精神的欠点の克服に関わる情報”に多くは限定されていると僕は考えています。
(ただ、情報が得られる範囲は厳密には分かっておりません。カルマの法則の知識も、元は潜在意識からの情報提供により知った部分が多いので、そうした知識も得られる範囲にあるようです) ネット越しに相手の潜在意識を読み取るとかできるわけねえじゃん 思い付きで適当な事を言ってるだけだな >>188,180様
何らかの情報が入ってきたのでお伝えいたします。
お母様からは『息子(180様)からの愛はいつも伝わってくる。とても嬉しいです。優しい子に育ってくれて嬉しい。家に関しては自由にしてくれて構わない。面倒な処理を任せる形になってしまいごめんなさい』といった内容でした。
ちなみに、180様がお母様に意識が向けすぎると、かえって、お母様が180様に近づきにくくなるため、自身の事など別の事に意識を向ける方が良いようです。
180様は家の今後を決める立場にあられるのでしょうか?
その事に対してお母様が痛く気にしているように感じましたので。
また、生前から、自身(お母様)にとらわれずに180様には自由に生きてもらいたいと強く思われていたようです。
もし、180様が家の処理を決める立場に無いのであれば、この情報には信憑性が薄れますので、僕を通じて情報を得られなかったのだと考えて頂ければ幸いです。
実際に相手に伝えるまでは情報の真偽が僕にも分からない点、申し訳なく思います。
ちなみに、猫さんに関してはご家族との日々により知性(人格のような洗練された意識)が芽生えており、ある程度文化的な暮らしを営んでおられるようです。
また、肉体の制約が亡くなった事もあり、言葉を話せるようにもなっていると思います。
猫さんには様々な事情によりお母様はまだ会っていないようですが、じきに再会できると思います。
この情報が正しいものかは分かりませんが、何かのお役に立てれば幸いです。 >>192様
もしかしたら、仰る通りかもしれませんね。
その場合、こうした活動を通じて僕の間違いを証明できますので、それは世界にとっても素晴らしい事だと思います。 >>193
ありがとうございます
家については遺品の整理等の事だと感じました。ありがとうございます >>192
一応、リーディングやチャネリングなどの霊能力は訓練次第で身に付けることが出来ます。
ただ、潜在意識(実体)も我々と同じ様にきちんとした意思を持っている為、誰しもが上手くいくとは限りません。
例えば、怠け者で何もかも中途半端で終わるAさんと、努力家で決めた事をやり遂げるBさん。
あなたはAさんとBさん、どちらをサポートしたいかと言われれば、当然 Bさんの方です。
Bさんの様に自分自身の潜在意識を味方につけると願いが叶いやすくなったり(自身のアストラル体が1つに融合する為)、言霊の力が上がったりするそうです。
しかし実際は自身の幼少期のトラウマなど(メンタルブロック)によって少し複雑化しているのですが、ここでは割愛させて頂きます。
また、これらを踏まえた上でメグ様は潜在意識について どの様な定義を持っているのか、詳しく書き込んで頂ければ幸いです。 メグさん、これまでのレスにあまり熟読できていなくてごめんなさい
カルマの法則を利用した精神成長だけでなく、目的も結果も求めず行動することも真の自由を得るための手段としていいそうです >>177
教科書は根拠になりません。教科書は適宜書き換えられてゆくものです。
あなたの反論としては論外になります。
私は>>174において事実を述べたまでです。 公教育で用いられる教科書をそのまま信奉するようでは、
それは経典を信じて疑わぬ宗教の信者と同じことです。
科学は信じることから始まるのではなく、疑うこと、懐疑することから始まります。
そこからブレイク・スルーが生まれるのです。 >>195,180様
情報の真偽は定かではないのですが、僕個人としては死後の世界は存在していると考えています。
ですので、お母様と猫さんとの再会は必ず出来ると思います。
(自死などはかえって再会を遠ざける危険性が非常に高いのですが)
この度はご縁を頂きありがとうございます。
何か抱えきれない思いが生じたら、また書き込み頂ければ幸いです。 >>196様
とてもお詳しいのですね!
僕の場合は、潜在意識と実体の定義は分けておりまして、
潜在意識の定義は
『自我意識じゃない所から生じる思いや知恵の源に存在する何か』といったものです。
ただ、僕が潜在意識という言葉を使う際のイメージとしては窓口のような捉え方です。
ですので、潜在意識=叡智という感覚ではなく、叡智になるかどうかは次の、実体の質によると考えています。
実体の定義は
『死後の統合先である自我』
となります。
この世における自我の”精神年齢”がおおよそ、死後の世界における自我の大きさだと考えています。
大きいほどにより多くの自我が統合されており、また、死後にはより多くの前世や他世界における記憶が戻ってくるという認識です。
また、その統合先の自我(実体)の影響は今世においても存在していまして、自我意識の外側から現れる知恵や情報の一部を、実体による知恵と呼んでいます。
ただ、この世における表面的自我の殻を破れていない場合ですと、自我意識の外側から現れる思いや知恵などは、守護霊と呼ばれる存在からか、別の存在、さらにはこの世においては悪魔と呼ばれるような存在からと、幅広くあるものだと考えています。
ですので、自我意識じゃない思いや知恵を受け取る場合ですと、論理や動機の分析などにより審神者を行うことが大切だと思います。 >>197様
素晴らしい書き込みを頂きありがとうございます。
”目的も結果も求めずに行動する”というのは、何かしら意図のある行動をしないという事でしょうか?
実は、僕自身も無動機での行動を心がけていて、自身に意図がある状態ではできるだけ行動しないようにしています。
これと同じ概念だとしたら、体験的にその意味が少し分かる気がします。
(ただ、こうした行為は自我意識による判断基準を取り除く行為ですので、極端に客観性を損ないやすく、ある程度精神の成長を果たすまではおススメできない方法として認識しています)
※精神の成長の目安は、保身の思いが湧きづらい度合い・他者の言動に感情が揺さぶられない度合い・この世の事象に対して善悪の二元論的な意識から脱している度合いなどを考えています。
真の自由は面白いテーマですね。
一時の物的自由を求めても”かえって、物的に自由ではない時間が苦しくなる”といった形で、精神の自由は得られなかったりします。
僕の経験上では、不労収入により経済的自由を得ても働く事への苦痛や恐れが増したり、精神の自由に行き着けなかったりしますね。
『真の自由とは何か?』は議題に挙げる価値のある興味深いものだと思います。 >>201
とても丁寧なレスをありがとうございます。
メグ様の仰る「自我の大きさ」と言うは、死後の霊体の考え方と似ていますね。
この世で良い人格を作る(霊格を高める)と、死後の霊界では霊格に比例して自身の霊体も大きくなるようです。
これは霊格の高い人の霊体は大きく、地獄に落ちる様な人の霊体は実に小さいと言う事です。
例えば、世界中の神話で共通している事は、仏や神は普通の人よりも大きく描かれる事が多いですよね。
神と呼ばれるような人達は霊格が非常に高いので、この様な描写も霊的に見れば決して間違いでは無いようです。
ただ、霊格が高くなると自身に与えられる試練(困難)もより大きな物になるので、一概に"霊格を高くするだけする"というのも良いとは言えません。
今後もまた、興味深い情報を共有出来たらと思っております。 >>203様
>>メグ様の仰る「自我の大きさ」と言うは、死後の霊体の考え方と似ていますね。
そうなんですね。
今回も様々な興味深い情報を教えて頂きありがとうございます。
それで【霊格が高くなると与えられる試練も大きくなる】というのは、面白い観点だと感じました。
改めて考えると、霊格とは定義が難しいものですね。
一般的には、愛情深い人や感情が揺らがない人などを霊格が高いと評される事が多いように思います。
これを前提にして考えると、筋力の強い人の筋力を向上させるにはより大きな負荷が必要なのと同様に、愛や感情の揺ぎ無さが不動のものである人ほどより大きな負荷が必要になるという論理には頷ける面があります。
僕自身もそのような事例を何度か見てきたので、その説には論理・実例の面からしても信憑性を感じます。
ただ、霊格は非常に難しい概念ですね。
他者に奉仕した事で自身の霊格が高まったと信じ、他者を見下して傲慢になる事があれば、それは霊格の低さを証明する事になるように思います。
(愛情深い人や感情が揺らがない人などを霊格が高いと定義した場合の話ですが)
実際は、世界に対して真に良い事が出来ている場合、その善行は自尊心を上げるのではなく、”自尊心に影響されてしまう不安定な自我”ごと除去される方向に行くのだと考えています。
人間の進歩の道のりが永遠にあるなら誰が霊的に上か下かなどは幻想に等しい概念なのですが、実際はその幻想が機能してしまっている実情もあるかもしれませんね。
人間には真に上下などありはしないと思うのですが、上下どちらの立場の経験も未来の糧になるのだと考えています。
こちらこそ、いつも素晴らしい情報を頂き感謝いたします。 >>204様
>>202に書かせて頂いた僕の解釈と近い概念なのですね。
様々な感情をやり過ごした末に”無動機での行動”が生じるのですが、この行動は長期的に良い結果になりやすいと考えています。
感情の絡んだ自我による短絡的な行動を防げるという事が理由の一つだと思います。
ただ、感情の揺らぎの根源である自我そのものを除去せずに、感情をやり過ごす事ばかりをしていると、【全ては無であり全ては錯覚である】という所に行きつき、身動きのできない状態になりがちだと思います。
この場合ですと、”全ては無であると信じ込む自我”に囚われている状態なのですが、この盲信の状態を生じさせる根源である不安定な自我が少ない状態であれば、無動機の境地は潜在意識からの情報をより一層受けるために良いように働くと考えています。 >>206
全ては無であるという境地に至ったことがまだないのですが、詳しくありがとうございます メグさん、いま世間から袋叩きにされている小山田圭吾がカルマの法則を
これ以上ないほど明確に証明する事象だと思います。
およそ40年前の悪逆非道が現在の大舞台直前になって自身に還ってきたのです。
それも自身の行為が何百倍・何千倍にもなって還ってきているのです。 「それも自身の行為が何百倍・何千倍」って大仰すぎてバッカじゃねえのと思うわ
村山 富市みたいに97歳になっても大したツケが回ってこない奴は死後や来世はもっと悲惨なんだろうな? >>208様
小山田圭吾さんについて存じ上げなかったのですが、調べてみました!
【1994年の1月の雑誌での障害者に対するいじめの告白が話題になり、オリンピック・パラリンピックの開閉会式の楽曲制作陣から辞任する事になった】
という事があったんですね。
この事例を元にカルマに関する考察を書こうと思い、少し長くなりましたので、数回に分けて投稿いたします。
この一件でカルマについて考察する場合、過去にした他者を害する行為により、現在、社会的な損失をこの方が受けておられるという点において事実だと思います。
仮に、これが障害者の方への奉仕活動など”明らかに人道的に良いと観られる行為”であれば、この方はオリンピックの楽曲制作を続ける事もできたのは間違いない所でしょう。
この点から考えるに、今回のような、様々な人達からの批判が生じるかどうかは、人道的に良いか悪いかという基準で決まりやすい事が、この現象から明らかになっていると思います。
(この人道的という物の見方が何から生じているかについては今回は考察の対象にしないようにします)
ただ、その一方で、同様の事をしている人間は小山田さん以外にも沢山いて、その人達に、小山田さんのような困難が生じているわけではないという事実もあるでしょう。
これに対して、僕の場合ですと、【過去の悪い行為により、見に見える困難が生じていない人達には人格面にその影響が蓄積され、その人格を克服するための困難を今世にせよ来世にせよ経験することになる】という理論をお伝えしていました。
今回の事例は、”過去の他者を害する行為に対して、巡り巡って自身が様々な損失を受ける事がある”という事が証明されているのですが、僕の理論までも証明するものではないのが事実でしょう。 ちなみに、この一件で僕が気になったのは【いじめの告白に対する25歳時点での脇の甘さ】【小山田さんから直接損害を受けていない人までも、小山田さんを責めている現状は何を意味するか】の2つです。
まず前者についてです。
通常、大多数の人がエグいと感じるようないじめの内容を告白する事で、自身の立場が危うくなると発想するのが一般的なのですが、彼の場合はそうではなかったようです。
僕の考える所では、挫折経験の少なさが背景にあるように思います。
音楽の才能がある事、家系上、芸能面でのコネなど影響力のある環境で育ってきた事がまずあり、挫折経験の少なさが”いじめは卑劣な行為”という認識を、少なくとも25歳まで根付かなかせなかった原因の一つであるように感じます。
僕がカルマ的に解釈するのであれば、他者に対する共感力を人格に養うための挫折経験(社会的に下の立場による経験)が、自身の才能や環境により得にくかったことがあるように感じました。
他には、先天性のサイコパスという見方もあるのですが、サイコパスに関しても一括りにできない概念だと思います。
おおまかには、サイコパスは他者の苦痛に対する共感性の無さを主とする、精神の特殊性を指すのでしょう。
小山田さんの場合ですと、仕事に関わる部分に関しては、その仕事をやっていけるほどに様々な人との交流もこなしていた事実があります。
この時点で、仕事上に関わる共感性がある事は明らかになっているのだと思います。 ちなみに”その業界における立場が強すぎるのでやっていけた”という考えもありますが、仮にそうであれば、周囲により自身の価値観について指摘される事が少なく、自身の人格を矯正する事は難しく、ソシオパス(後天的に形作られた他者の苦痛に鈍感な性質)のような傾向が増していた事になると思います。
仮に先天的にサイコパスな性質を負ってしまっていたのであれば、この方の責任能力は少し落ちますので、カルマの埋め合わせにより潜在的性格における進歩・純化が進むと思います。
また、それを放置した周囲の人(主に親族など)の責任が高まり、その影響は周囲の人の人格面や物的環境に及んでいるでしょう。
(※ただ、サイコパスな性質を生まれながら負う場合においても、偶然ではなく、深い部分にカルマが働いていると僕は考えています)
次に、僕の気になった点の一つである
【彼から直接損害を受けていない人までも、この彼を責めている現状は何を意味するか】
についてです。
論理(客観性)を突き詰めれば、直接損害を受けた相手ではない、いじめの件に関係の無い人達が小山田さんに非難を向けるのは理に適わない行動です。
しかし、その一方で、そうした声が無ければオリンピックの楽曲に小山田さんが携わり続けた可能性が高いのもまた事実でしょう。
また、過去の障害者の方へのいじめの卑劣さはパラリンピックの開会式で小山田さんの楽曲を使い続ける方が難しいというレベルであり、仮に、携わっていたら『オリンピックのコンセプトの一つである多様性と調和に真っ向から反する事を、明らかにやっていた人』による楽曲が開閉会式に使われる事になっていた事実もあります。
これは明らかに不自然であり、小山田さんと直接関係の無い人からの非難の声の多さが、自然な方向へと導いているのも確かです。 個人視点では小山田さんに過剰な非難を向けるのは理に適わないのですが、全体視点ではそれが理に適うように流れが作られているように感じます。
しかし、だからといって、小山田さんから直接被害を被ったわけではない人が責めていいかと考えると、個人単位では良くない影響がみられるのが事実です。
というのも、「抵抗できない障害者の人をいじめる行為」と、「自身の遠くにいる抵抗できない人を遠隔で責める行為」は本質的に同質だからですね。
この行為は自身の人格に悪影響(見識を狭めるなどの影響)を残し、未来には狭まった見識を広げるための困難を乗り越える必要が生じるため、個人単位で観れば明らかに良くない行為となります。
自身の精神に穴を作り、その穴を埋めるための困難を未来に作るのは、性質としては自傷行為に近いように思います。
ただ、全体としてはこうした小山田さんのような話題が上ることで、徐々に、個人へのいじめは少なくなる方向へと向かうとは思います。
大多数の人が特定個人を攻撃する事で、大多数の人に作られてしまう”正義を自身と直接関係の無い他者に振りかざす性質”(正義感による実質的ないじめの性質)は、全体的には個々の卑劣ないじめ(自身の欲を満たしたいだけのいじめ)を減らすのですが、根本的には多様性を認める社会には繋がらないので、いつかは断ち切られる必要のあるものだろうと僕は考えています。
ちなみに、『人間の肉体本能にはいじめを誘発するようなものがあるので、いじめは消えない』という考えはあるのですが、人間の精神は肉体本能にのみ影響を受けているわけではないと思っています。
むしろ、肉体の本能にいじめを誘発する性質があるからこそ、それを意識的に抑える事ができれば、精神により強い力を得る事ができ、それは肉体本能を超越できるという認識があります。 小山田圭吾さんの事例に関する考察をしっかり書こうと思ったら、かなり長くなってしまいました(^^;)
大変申し訳ございません。
考えの筋道を一つ一つ明らかにしつつ、短く書くのは中々難しいことですね。 >>209様
過去の行為による影響が自身に今、目に見える形で返ってきたとして、それが一見、別の種類の事象で返ってきた場合に、過去の行為が自身にどの程度返ってきたかを測れるか?というのは興味深いテーマだと思います。
【いじめた人達への影響】と【自身の築いてきた信用やブランドが崩れる】という事は、天秤にかけたらどちらが重いのか?と考えてみるのも、新たな見識が得られるような気がします。
考えるに値する重要なテーマだと思いました。
僕が思うに、カルマの法則は自身の行為による世界への悪影響から、実際はかなり割り引かれて自身の身に苦難が返ってくるのだと考えています。
(おそらく、この辺りは、行為の動機によって大きく変わる部分だと認識しています)
そうでなければ、人間は過ちを繰り返すばかりで成長していく事は難しいですし、実際に成長できる以上は『過去の行為の悪さ以上に、現在の良い行為が報われやすい事』が根底にあると思っています。 >>213
昨今の異常な不倫叩きも同様の陰湿さを感じます。
と同時に不倫した芸能人へのバッシングが苛烈すぎて
一般人も不倫を控えるような風潮になってきたのは
怪我の功名なのかもしれません。
有名人が先にこっ酷く叩かれ、一般人が後に我が身を振り返るという構図を見ると、
聖人君子でも無い限り、こんな時代に下手に名を売ると、致命傷を負いかねませんね。 >>212
>論理(客観性)を突き詰めれば、直接損害を受けた相手ではない、いじめの件に関係の無い人達が小山田さんに非難を向けるのは理に適わない行動です。
このくだりは誤っていませんか。犯罪的な虐待行為を知ってそれを非難する行為は
正常な反応だと思いますよ。
他人がレイプされても自分は関係ないから知ったことかなどという人がいたら、
私はその人の人格を疑います。
小山田が五輪の関係者だから批判されていることと、小山田が過去にやったことを
批判されていることが混同されていませんか。 >>213
>というのも、「抵抗できない障害者の人をいじめる行為」と、「自身の遠くにいる抵抗できない人を遠隔で責める行為」は本質的に同質だからですね。
これも誤りだと思います。被害を受けた障碍者は抵抗できるけれど、それがうまくいかない。
それゆえにハンディキャップをもつ弱者という位置づけです。
それに対して、小山田は社会的には成功者であり強者です。強者に対してイジメは成立しません。
社会悪に対する強烈な拒否反応として小山田バッシングが起きているのでは? カルマの法則は、個人のカルマが最適なタイミングで発動するといいます。
今回の小山田に関しては、もはやこれまで同様の活動は不可能となるでしょうから
築き上げてきたキャリアがこれにて破綻したと思われます。
まさに因果応報(カルマの法則)です。しかしこれでも懲りずに弱者を嘲笑いつづけるのであれば、
その都度、負のカルマが発生し、絶妙のタイミングで痛い思いをするのでしょう。
そうやって少しずつ自身の行為を修正してゆく作用がカルマの法則にあるのでは? めぐさんの言っているコト当たっていてビックリしました!
よろしければ下記の質問にも答えて下さると嬉しいです。
@私はいつ(何歳頃)どんな病気で亡くなるか?
A私は解脱できるか?
B安楽死は自殺に値するのか?
です。 >>220
メグ様の使うリーディングの様な方法などで、この先のご自身の未来を見る場合は注意が有ります。
それは、見た未来が必ずしも当たる保証はないということです。
と言うのもリーディングや占いでは、一番起こる確率が高い未来が優先して写されます。
それに加えて誰がいつ、どうやって死ぬのかをピタリと当てるのはかなり難しく 他人のオーラや潜在意識を読み取るため、当然リスクも有ります。
未来は決して一方向ではなく、幾つもの分岐があって並行世界も存在しています。
なので、あまり過度な期待はなさらぬようご注意を。
由季様の今後のご活躍を切に願っております。 人は想像したものに寄せていきます
あなたは100歳の誕生日に沢山の子供や孫達に囲まれながら幸せに眠るように逝きます。
解脱するもしないもあなたの自由意思のままです カルマをつくりだしてるのは高次元のネガティブETの存在のせいだよ
その存在と宗教を出しに契約するからカルマが起こる
契約破棄して自由になれよ
洗脳をみずから解くんだ 「抵抗できない障害者の人をいじめる行為」と、「自身の遠くにいる抵抗できない人を遠隔で責める行為」は本質的に同質だからですね。
自分はこの部分に同意です。
強者に対していじめは成立しないということはないと思いますし、バッシングの域を越えた抹殺です。
それにこの敵意が何者かによってコントロールされたものだったとしたらどうでしょうか
最新の邪悪の形って表面的には「正義」のようなことを言って「敵意」で大勢の人々をコントロールするのです
その予行演習のようで気味が悪いです >>216様
僕も、世間で頻繁に起こる過剰なバッシングは全体的には良い方に少し働いている面があっても、最善には程遠いものだと思います。
人間が誰かを非難する際の思考プロセスの最初の方に『相手の行為を自身の価値観に照らし合わせる』というものがあります。
これは相手を自身の価値観に近づけようとする”コントロール”の性質が強くて、特に、自身に直接害をもたらした存在ではない相手に対する非難行為は無意識に、支配できない相手を支配しようとする性質に近づけてしまうものですね。
その結果、日常生活の中で「なんで相手はこういう行動(自身の価値観に沿わない行動)をするんだ」などの葛藤を抱える自我が強まり、これにより最終的には自身を苦しめる結果になってしまいます。
ただ、自身の価値観にそぐわない相手を責める非難ではなく、客観性に基づく分析による指摘をしたり、意見を出すという事であれば、その行為に客観性が含まれている分だけ自身を苦しめるような”狭い自我”は生じないと思います。
人類の進歩のためにも、影響力の強い有名人の問題行為は問題行為として意見を出す存在は必要なのですが、その問題を起こした有名人の責任を超えた範囲まで安易に責めてしまうのは客観性(論理)に欠きやすいと思います。
人間一人の問題行為には先天的に負ってしまった性質・幼少期からの環境や、接してきた文化の性質まで多岐に渡りますので、責任はそれらのものに分散されているので、個人を感情的に非難すれば、それら”問題の根本原因となったもの”を放置する結果になりがちですね。
また、相手は問題行動だけを繰り返す存在ではなく、未来まで観ればより良い行動を取れる可能性が大きいのですから、有名人の行為を論じる場合、そうした部分も分析する必要もあるように思いました。
そうした他者に対する客観的な分析(論理に基づく分析)をしようとする事は、自身をより賢くし自身の人生を良くしますので、この点も因果応報・カルマの法則が働いているように思います。 >>217様
僕の考察にご意見をお寄せ頂きとても嬉しいです!
>>論理(客観性)を突き詰めれば、直接損害を受けた相手ではない、いじめの件に関係の無い人達が小山田さんに非難を向けるのは理に適わない行動です。このくだりは誤っていませんか。犯罪的な虐待行為を知ってそれを非難する行為は
正常な反応だと思いますよ。
”多くの人が現状とっている行動”という点では正常だと思うのですが、良い行為かと言われるとそうではないというのが僕の認識です。
>>小山田が五輪の関係者だから批判されていることと、小山田が過去にやったことを
批判されていることが混同されていませんか。
この点が少し理解しかねますので、差支えが無ければ少し補足して頂くことは可能でしょうか?
僕自身もこの小山田さんの一件に対する理解が十分ではない可能性があります。
僕はこの一件を【小山田さんは5輪の関係者であるがゆえに、過去の過ちの告白が今話題になり(過去も話題にはのぼっていたようですが)、5輪の楽曲制作陣から辞任するにいたった】という形で捉えています。
そのため、考察においては、小山田さんの一件によるオリンピックなどを含む国民全体への影響・過去の行為が起こった性質はどのような物か、などの観点を含め、また、スレの性質もありカルマに関する考察をしたつもりでしたが、混同している部分はまだ分からない状態です。
この”混同している部分”に関して教えを頂ければ幸いです。
間違いがある場合、その訂正の機会を頂けるのは素晴らしい事だと思います!
貴重なご指摘をありがとうございます。 >>226
>”多くの人が現状とっている行動”という点では正常だと思うのですが、良い行為かと言われるとそうではないというのが僕の認識です。-@
この文章の意味がわかりません。小山田の残虐な行為に怒りを表明することは当たり前の反応であることを
メグさんは正常だと評価したと理解しますが、ならばその反応が善悪における善ではないとする認識が理解不能です。
文章が矛盾しています。
>>>小山田が五輪の関係者だから批判されていることと、小山田が過去にやったことを
>批判されていることが混同されていませんか。
小山田を五輪に起用した組織委員会に対する批判と、小山田自身に対する批判のことです。
ですから@と以下Aのメグさんの主張は理解しがたいのです。
>論理(客観性)を突き詰めれば、直接損害を受けた相手ではない、いじめの件に関係の無い人達が小山田さんに非難を向けるのは理に適わない行動です。-A
組織委員会は小山田の過去の残虐行為の発覚により、その職を解任していますが、それ自体が
善悪における善ではないということになりますよ。 >>228,217様
こちらの質問に応じて頂き本当にありがとうございます。
返信が遅くなりまして大変申し訳ございません。
真っ当な素晴らしい着眼点ですね。
返信が長くなりましたので分けて投稿いたします。
>>”多くの人が現状とっている行動”という点では正常だと思うのですが、良い行為かと言われるとそうではないというのが僕の認識です。-@
>この文章の意味がわかりません。小山田の残虐な行為に怒りを表明することは当たり前の反応であることを
メグさんは正常だと評価したと理解しますが、ならばその反応が善悪における善ではないとする認識が理解不能です。
文章が矛盾しています。
小山田さんを非難する事は”多くの人が通常やるであろう事”という意味では、217様の仰る正常な反応という言葉の意味に近いと思います。
ただ、通常やること(正常な対応)が最善とは限らないという趣旨の発言でした。
身体に悪いものを食べるのが通常だったとして、それが、身体のために良いわけではないのと同様です。
小山田さんを多くの人が感情的に非難するよりも良い対応はあるだろう、ということです。
簡潔に書きすぎたようです、大変申し訳ございません。 >>組織委員会は小山田の過去の残虐行為の発覚により、その職を解任していますが、それ自体が
善悪における善ではないということになりますよ。
これは『小山田さんを大多数が非難することを正常な反応と認めながらも、それを良い行為ではないとするなら、大多数の非難を考慮しての解任が自然(良い)とするのは矛盾がある』という事でしょうか?
(実際は組織委員会による解任ではなく、小山田さん自身で辞任をしたということですが、この議論にあたってそれはあまり重要では無いので、あまり掘り下げないようにします)
結論からお伝えすると、非難により小山田さんが解任される事は自然なのですが、それ自体は全体にとって大きな成果ではないと考えています。
理想論なのですが、仮に、小山田さんの行為の根本原因を分析され、その責任を超えた分まで責めない世論が大多数になった場合においても、解任はされていたと思っています。
※ただ、僕のカルマの法則に関する考えでは、質の高い世論が当たり前に形成される場合であれば、そもそも小山田さんは過去のようないじめ行為をせずに済んだであろうという認識がありますが、これは議論に挙げるのに相応しくない見解なので、考察に入れていません)
僕の考える所では、全体にとって大きな成果に繋がるのは【世論が小山田さんの過去の行為の根本原因に目を向けられ、次に起こり得る同様のいじめが未然に防がれる事】【個人の負った罪がどの程度かを冷静に見極めずに責める風潮が少なくなる事】といった事だと思います。
解任されるかどうかに関しては、解任されるのが自然と考えるものの、それだけではそれほど全体にとっての善にはなり得ないと考えています。
小山田さんの明らかになった悪い行為は「障害者を持つ方数人に対する過去のいじめ」であり、それは何千万もの人が集中して叩くのに値する事なのか?
また、その行為にいたった小山田さんの根本原因は幼少期のどの辺りにあったのだろう?
その根本原因は自身や他の人にも見受けられ、改善を要するのではないか?
と、より多くの人が考えられる所まで、小山田さんの過去の行為に関する世論の質を高める事が出来たなら、それが理想と考えています。
僕の場合はこれを善として考えているので、微力ながら今回のような考察をさせて頂きました。 >>218,217様
祝日による長期連休は育児が忙しく、返信ができませんでした。
僕自身も障害を持つ子供の親なのですが育児は中々の大仕事ですね。
ただ、育児は10何年と集中して取り組むに足る非常に面白いテーマでもあります。
引き続き217様の僕の考察に対する疑問に返信をさせて頂きます。
大変お待たせいたしました。
>>小山田は社会的には成功者であり強者です。強者に対してイジメは成立しません。
僕の場合は【相手に不当な扱いをする事】がイジメの定義であるがゆえに、相手の物的環境・社会的地位を考慮していません。
仮に、小山田さんの成功基盤が”小山田さんの過去の行為を非難する人”から奪い取った物であれば、奪い取られた人が小山田さんを責めるのが不当である度合いは下がり、その責めは【イジメ】では無くなると思うのですが。
そうでない場合ですと、『お金が沢山ある事や社会的地位がある場合、その人を非難する事はイジメにならない』と考える根拠は僕のいじめの定義からは見つからないように思います。
差支えなければ、217様のイジメの定義を教えて頂いても宜しいでしょうか?
人それぞれ言葉に対する定義は異なりますので、それに応じて、結論も変わるのだと思います。 >>219,217様
>>まさに因果応報(カルマの法則)です。しかしこれでも懲りずに弱者を嘲笑いつづけるのであれば、
その都度、負のカルマが発生し、絶妙のタイミングで痛い思いをするのでしょう。
そうやって少しずつ自身の行為を修正してゆく作用がカルマの法則にあるのでは?
事実関係に見合った素晴らしいご洞察と感じています。
おそらく、僕と217様では【痛い思い】の中身を異なって捉えていると思うのですが、人生上の出来事を通じて自身の行為を修正していく作用に関して、僕も同意いたします。 >>220様
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
僕の潜在意識からの情報提供は絶対ではありませんが、お役に立てたようで良かったです。
では、ご質問にお答えいたします。
>>@私はいつ(何歳頃)どんな病気で亡くなるか?
これに関しては情報が得られません。
知ると人生上の判断や成長に常に悪影響を及ぼす内容であるためです。
>>A私は解脱できるか?
僕の場合【解脱】は、”過去の行為により作られた自我を破り、地球人類の常識から逸脱するほど大きな自我を獲得する事”と定義しています。
ですので、地球人類が信じる中心的な概念を逸脱した、また、世界にとって良い行為をするほどに解脱できるものと考えています。
例えば、資本主義社会においては、金銭を他者のために使うというのはリスクが多いという常識的観念があります。
それゆえに他者のためにお金を使う行為はより一層、地球人類としての自我を破る事に繋がります。
その過程では、地球人類としての自我が分厚いほどに苦しみが生じますし、あまり歓迎できないような出来事が起こりますが、自我を破り大きな意識を得る事に繋がると思います。
地球人類としての自我は資本主義に囚われていますが、その自我が薄くなると、”経済力による安定”ではなく、『法則による安定』の方に現実味を感じるようになります。
”現状の自我を破る事ができる行為”は様々な種類があり、自我を破る行為が出来るほどに220様は解脱できるものと思います。
ちなみに、他者のために金銭を与え続けるのが善であり続けるわけではなく、段階によって「その方法が良いかどうか?」も変わりますし、周囲の人と財産を共有しているならば、自由に使えるお金以外の面においては、その周囲の人の自由意思を尊重し、”他者のために使うこと”に関して同意を得る必要があると思います。
こうした自我を破る事によって得られる諸々の学びなども解脱する過程で大切なのだと考えています。
(自我を破るための行為は身近なものから大きなものまで無数に存在しています)
>>B安楽死は自殺に値するのか?
状況やその行為の動機によるのですが、全体的に判断すると自殺に該当する事が多いと思います。 >>224様
興味深いご意見、とても感銘を受けました。
>>この敵意が何者かによってコントロールされたものだったとしたらどうでしょうか
最新の邪悪の形って表面的には「正義」のようなことを言って「敵意」で大勢の人々をコントロールするのです
メディアからの情報によって人間が敵意を持つ対象が決まってくると思うのですが、メディアの成り立ちからして公平性は乏しいゆえに、当然、『メディアから情報を得る人にも公平な視点は宿りにくい』という事があるように思っています。
公平性をメディアに期待するのは難しいので、自身の行為のどこまでが正義なのか・煽られた敵意によるものかを極力公平に考える事で、公平な視点が身に付き、物事の真相が観えやすくなるのではないかと考えています。
また、公平な視点を持つ人達が増すほど、メディアはその公平性に応じざるを得なくなるのかもしれませんね。 メグ様、初めまして。2点きいてみたいことがあります。
。
仕組みを教えてもらえた、とのことですが、神様的な存在?とお話できるような感じなのですか。それとも、メグ様の実感として分かってきたという感じでしょうか。
稚拙な質問ですみません。
それと、私は亡くなった人のことで後悔があり、どうしても過去に戻りたい、時間を巻き戻して一緒の時間をもう一度過ごしたいと思っています。
時間を巻き戻して人生をやり直す、なんてことは可能なのかとか、それについてどうお考えかきいてみたいです。 >>221ありがとうございます。
他人の潜在意識を読むってリスクがあるんですね。知らなかった。
リスクがあることを質問してしまい、スミマセン。 >>233
的確な回答ありがとうございます。
@未来の病気について
私は以前見つかりにくい病にかかってしまい、 本当に苦しんだ為、聞いてしまいました。
ありがとうございます。
(凄くつらい事が度重なり起こったのですが、神社にお祓いにいったところ、ピタリとやみました。)
その為聞いてしまったのですが、私にとって修行する意味が病気にはあるんですね。
考えさせられました。 >>229
メグさんはまたしてもおかしな論理となっています。
これは「詭弁」または「誤謬」だと思います。
>小山田さんを非難する事は”多くの人が通常やるであろう事”という意味では、217様の仰る正常な反応という言葉の意味に近いと思います。
>ただ、通常やること(正常な対応)が最善とは限らないという趣旨の発言でした。
>身体に悪いものを食べるのが通常だったとして、それが、身体のために良いわけではないのと同様です。 ←特にこの具体例が詭弁。
一般人の「正常な反応」をメグさんは善ではないと述べました。その理由が上に引用した箇所です。
「正常な反応」を「多くの人が通常やるであろう事」と言い換えていますが、このように少しずつ
本来の意味からニュアンスや意味を変更しているのはよろしくありません。
身体に悪いものを食べることは正常な反応とは言いません。毒を食らうことは規制されるものです。
ですからメグさんの詭弁が目立ちます。詭弁を使うということはその時点でメグさんの主張が誤っている
ことを認めたも同然です。
>小山田さんを多くの人が感情的に非難するよりも良い対応はあるだろう、ということです。
感情的に非難することが正常な反応であり、それに対応することはまた別の話です。
ということでここでも論理のすり替えといった詭弁が見つかります。 >>230
>これは『小山田さんを大多数が非難することを正常な反応と認めながらも、それを良い行為ではないとするなら、
>大多数の非難を考慮しての解任が自然(良い)とするのは矛盾がある』という事でしょうか?
この文章も混乱が見られます。無理にこじつけないでください。詭弁が根拠になっていると、
このような意味不明なことになってしまうのです。
>結論からお伝えすると、非難により小山田さんが解任される事は自然なのですが、それ自体は全体にとって大き
>な成果ではないと考えています。
「最善」や「質の高い世論」といったメグさんの主観的な判断ばかりが強調され、何を仰っているのかわかりません。
前提が論理的に破綻している(それゆえに詭弁を弄している)ので結論も誤っていると考えます。
メグさんのお話が以下のようにすぐに「全体が」といった抽象的なものになるばかりで、
話をごまかしている印象ばかりを受けます。
【世論が小山田さんの過去の行為の根本原因に目を向けられ、次に起こり得る同様のいじめが未然に防がれる事】
【個人の負った罪がどの程度かを冷静に見極めずに責める風潮が少なくなる事】 >>231
以下も詭弁といいます。
>僕の場合は【相手に不当な扱いをする事】がイジメの定義であるがゆえに
相手に不当な扱いをする事すべてをイジメと呼ぶのであれば、相手が納得しないこともすべて
イジメとなってしまいます。
メグさんの主張にはこのようなご都合主義的な言動が目立ちすぎです。
権力者等の不正を追及するマスコミは日々、イジメをしているとは言いません。
これが現実ですからお間違いなく。 要するに因果応報を唱えているのだろうが、
この世界、他人を踏みにじる、あるいはコスズルい事をしてる奴らほど
上手く財も地位にありついてるのが現状である。
というか、この国のトップにいる、政治家、官僚は基本的にそう。
それはどうなってるのか?
電通だの、竹中抜き平蔵のパソナだのはいい加減
酬いを受けるべきだ >>235様
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
>>仕組みを教えてもらえた、とのことですが、神様的な存在?とお話できるような感じなのですか。それとも、メグ様の実感として分かってきたという感じでしょうか。
実感として分かってきたという表現の方が正しいと思います。
自我を削るほどに潜在意識(僕が実体と呼ぶ存在による意識)の方が優位になるのですが、それに伴い、実体由来の知識が意識の表層に上がってくるようになってくるのだと思います。
>>私は亡くなった人のことで後悔があり、どうしても過去に戻りたい、時間を巻き戻して一緒の時間をもう一度過ごしたいと思っています。
僕が知る中では時間を巻き戻してやり直す事はできないように思えますが、一つの仮説として、人間は進歩のかなり上段まで来ると、数々の人の”過去の”意識に潜り込む事で、行動を修正するように働きかける事もあるかもしれないと考えています。
根拠となるのは、あくまでも僕の主観に留まりますので、仮説の域を出ないのが実情ですが。
潜在意識が優位になると、未来からの情報と思われるものが頻繁にあるゆえに、”過去や未来などの時間軸を超えた存在がいるかもしれない”と考えている事が、朧気な根拠となります。
それを持って「過去と同じ状況でやり直す事ができる」とするには、根拠に乏しすぎますので、現状では不安定な仮説だと思います。
ただ、人間はやり直したいと思う事に関しては、今世や来世の内に、【一見形は違うけど本質的に同様な状況】が用意され、乗り越えることは必ず起こると思います。 >>238,217様
素晴らしいご質問の数々、とても嬉しいです。
こうしたご質問を頂くとより一層、スレをご覧になる方々にとっても有益だと思います。
僕自身、217様のご質問は想定していなかったものが多いので、非常に参考になります。
>>「正常な反応」を「多くの人が通常やるであろう事」と言い換えていますが、このように少しずつ
本来の意味からニュアンスや意味を変更しているのはよろしくありません
実は、僕自身も心身を害すような反応は正常な反応とは思いません。
正常な反応についてしっかり定義した上で話を進めようかと最初思ったのですが、僕自身の定義で話を進めるとより一層理解が困難になりそうなので「通常、多くの人がする行動」を正常な反応という形で話を進めてみました。
ただ、それがゆえに、理解しにくい状態になってしまった事にお詫びを申し上げます。
正常な反応についての僕自身の定義は【真相に見合った反応や行為】の事です。
真相とは何か?について膨大な論証を要するので、僕自身の正常な反応に対する定義を元に議論しない方が良いなと思い、僕自身の定義を使用しないようにしておりました。
それで、上記の僕自身の定義でいくと、身体に悪いものを食べるのは身体の働きの真相に対して見合っておりませんので、正常な反応にはならないと言えるでしょう。
(これは精神とは別の、肉体面での正常な反応という点に限っての話なのですが)
同様に、「相手の責任を超えた範囲まで非難する事は自傷行為に等しい」と僕は考えますので、僕自身の正常な反応の定義からすると、それは正常な反応ではないとするのが事実です。
ただ、僕自身の定義ではなく、217様は社会悪に対して非難をする事は正常な反応だと考えておられるので、この”社会悪に対して非難をする行為”に対して、正常な反応とした上で話を進めていったのですが、それが分かりにくさを生んでいたようです。
実際は僕自身が非難を浴びせる行為を正常な反応と思ってない上で、非難するのが正常な反応という定義に合わせて話を進めたゆえに、『正常な反応だが、良い行為ではない』という理解の難しい表現になってしまったのだと思います。
217様のご指摘はごもっともでしょう。
次回からは単語に対する意味を極力設定した上で、話を進めるようにしますね。 >>238,217様
引き続き217様の疑問に回答させて頂きますね。
>>小山田さんを多くの人が感情的に非難するよりも良い対応はあるだろう、ということです。
>感情的に非難することが正常な反応であり、それに対応することはまた別の話です。
ということでここでも論理のすり替えといった詭弁が見つかります。
この場合、「ニュースを受けての対応」というものに定義を定める必要があると思います。
217様は感情的に非難するという事を対応と分けて考えておられるのだと思いますが、ニュースを観て怒りがこみ上げた状態が”非難する”という事なのか、知人やSNSなどに”小山田さんは酷い奴だ!”と言う事が”非難する”の範疇に入り、対応は別の事として考えるのかを明白にすることで、この議論にとって大切だと感じました。
僕個人の意見としては、知人やSNSで発言した段階で、それは他者の意識に影響を与えるので、対応の範疇だと考えています。 >>243,217様
引き続き217様の疑問に回答をさせて頂きますね。
メグ>>僕の場合は【相手に不当な扱いをする事】がイジメの定義であるがゆえに
217様>相手に不当な扱いをする事すべてをイジメと呼ぶのであれば、相手が納得しないこともすべて
イジメとなってしまいます。
これに関しても簡潔に書きすぎたようです。
不当かどうかは”相手や自分の心理”によって決まるのではないと考えています。
その出来事を取り巻く事実関係から導かれる道理(Aの事実が成り立つなら、B事実も同時に成り立つという事実関係の繋がりの集合体)に照らし合わせて、不当かどうかを判定するのが良いと思っています。
行為をする人・その行為を受ける人のどちらかの心理によって不当かどうか決まるのであれば、行為を受けた側が不当と主張すればそれがいじめになってしまう危険性があるためです。
そのため、いじめとはどちらも思っていない場合でも、それはいじめに該当しているケースは多々あると思います。 >>235
本当に過去に戻りたいのであれば、「タイムリープのやり方教えてくれ」等のスレを見るのをオススメします。
コピペの為、大変恐縮ですが 私からもタイムリープする1つの方法として、このスレに書き込ませて頂きます。
"> 1に感動したので特別にマジレス。
幽体離脱して過去に魂だけ飛ばして自分の体をのっとるなりでもして過去に戻ればいい。
未来はパラレルワールドになるだけだから自分は消えない。
そうすれば息子さんにも会えるだろう。ただ、禁忌だから何度もやるなよ。
なんで禁忌かっていうといたずらに時を乱すからとかリセットだからズルイとかではなくて、
普通の人がこれをやると、いろいろあって魂が疲れすぎて寿命がほとんど残らないうえ、
失敗すると自分が消えてしまう場合もあるし、できる人でも好き好んでやりはしないそのくらい危険な方法だからだ。
遊び半分でやるとまず失敗すると言っておく。命を懸ける覚悟でもないとまず成功はしない。
幽体離脱や他人(自分)の体に乗り移る方法、未来・過去への行き来の方法は自分で調べてくれよ。
まぁ一番大変なのは一番重要でもある他人の体に乗り移る方法だ。
たぶんこれは誰に聞いても教えてくれないし情報もまったくないはずだし、自分もいたずらに簡単に教えたくはない。
百戦錬磨の悪霊にでも聞いたほうが早いかもしれないな。
未来過去は才能があれば初離脱した時予備知識なくとも行けてしまうかも、行くだけなら。
理論だけ書き述べたようなもんだが、
これが重大なヒントなのかそうでないか信じるのは見た人次第だ。
誰かに方法を聞く時はくれぐれも失礼のないように。死ぬなよ。
息子さんに会えるといいな。"
過去に戻れる方法を、知ってる人いますか?スレより
この他にも幾つか方法はありますが、ここではとても書き切る事が出来ないため、詳しくはタイムリープスレにてご参照下さい。
235様のお力に成れたらと存じます。 >>239,217様
申し訳ございません。
下記の疑問に対する回答が漏れていたようです。
スレの内容が充実するような、とても良いご質問ですね。
>>結論からお伝えすると、非難により小山田さんが解任される事は自然なのですが、それ自体は全体にとって大きな成果ではないと考えています。
「最善」や「質の高い世論」といったメグさんの主観的な判断ばかりが強調され、何を仰っているのかわかりません。
前提が論理的に破綻している(それゆえに詭弁を弄している)ので結論も誤っていると考えます。
メグさんのお話が以下のようにすぐに「全体が」といった抽象的なものになるばかりで話をごまかしている印象ばかりを受けます。
僕自身は一つ一つの出来事が及ぼす影響を辿った上で、全体に与える影響に関する意見を出していたつもりだったのですが、曖昧な感じになってしまっているのかもしれませんね。
曖昧を避けるためには、全体と言わず、個人のこの行動がどの立場の人間に影響があるかを語った方が良いのかもしれませんが、ここに言及すると話がズレる一方かつ、特定の団体などの至らない面を不必要に責める結果になりがちなので少し避けております。
おそらく、”必要と感じた場合を除き”この方針を僕が変える事はありませんので、全体という形に言い方は留まってしまうかもしれません。
ちなみに、何が最善か質の高い世論なのかに関しては、僕の主観ではなく、様々な人による議論を通じて決まる方が良いと思います。
ただ、意見を出さない事にはそれが始まりませんので、僕の主観ですが、何を最善とするのか、質の高い世論とは何なのかに関する意見を出すようにしています。
僕の考えが誤りである可能性は常にありますが、その場合、議論を通じて修正されるのは素晴らしい事だと思います。
そのため、217様にとっての最善・質の高い世論とは何かについてお考えがあれば、意見を出して頂くと、僕の主観的な意見に関して、改善が得られるかもしれません。
様々な人達が意見を出し、比較検討する中で、より真相を明らかにできるのは議論の醍醐味だと考えています。 >>241様
素晴らしいご質問を頂きありがとうございます。
これは多くの人が疑問に思う所なのではないでしょうか?
良い行為をする=人格の向上をベースにカルマの法則を考えておりますので、財や地位の大小は大きなテーマとして観てはいません。
ただ、財を私利私欲に使うほどに人格が”利己的性質”(僕が良くないと定義している性質)に偏りやすい事からも、財や地位は無関係というわけではないのも事実だと思います。
また、僕自身としては「賢く使えないほどの財や地位を手に入れてしまった人」に対しては、悲劇に見舞われてしまった人という認識があります。
それで、【因果応報があるなら、なぜ、ズルい事をしている人ほど財や地位にありつく事が多いのか?】について僕の見解をお伝えしますね。
結論からお伝えすると、人間の常識的観念は”疑似の法則”を生じさせる力があり、資本主義には資本主義を取り巻く法則が生じていて、それ自体をカルマの法則が許容しているためだと考えております。
「他者を蹴落としてでも富めばいい・自由競争は善であり発展に必要」と信じる人が多いほどに、真のカルマの法則が物的には顕現しづらくなる事が一つの理由でしょう。
この場合ですと、優しい人ほど他者を利用してお金儲けする事に抵抗を感じますし、競争には負けやすいです。
しかし、カルマの法則自体は働いておりますので、人格面での向上やそれに付随した物的保護なども働くようになっていると思います。
とはいえ、善行をする(より良い世界のための行為)=人格が向上する=過去の誤った行為により形成された”狭い自我がほどかれるための困難が生じる
などの原理もあり、善行をした人が物的には報われにくいなどの影響は、この先も長い期間続くものだと思います。
ただ、ズルい事をした方が富みやすい物的な環境の中では善行の価値が大きくなり、強い精神を得る事に繋がりやすいと考えています。 >>241様
>>248に関して、補足のために過去スレの文章を投稿しようと思いました。
『善行をする(より良い世界のための行為)=人格が向上する=過去の誤った行為により形成された”狭い自我がほどかれるための困難が生じる』
という箇所に関してです。
下記は前世と今世まで含めたカルマ解消の一つの例えです。
(実際はさらに複雑なようですが、現状、僕が表現できるのはここまでです)
------------------------------
例えば、僕の今世がAで、B、C、Dという前世があった場合、BとCはおおよそ良い生き方をしていて、Dの前世で”善人”を不必要に何人も殺めたとします。
その行為が精神の深部に存在する暗い自我を形成しAという今世においても、認識しづらいほど奥に残っています。
すると、DによるカルマはBとCの”おおよそ良い生き方”で解消されていない場合があり、善人であるAの人生において自身が何らかの犯罪に巻き込まれ死にいたることがあります。
それで、善行というのは「過去のカルマの解消を速める」「より安楽に解消できる」という性質があるため、善行をするほどにこの世で良い事があるというよりは、過去や前世のカルマの解消が速まるために「様々な困難」が起こってくるということです。
ただ、善行(他者を助ける行為)によって引き起こされた困難は、苦労1で前世の過ち10〜100が解消できるといった、かなり大目に見られた形でカルマを解消しているのが真実に近いと思います。
この世で一人の人間を救うという事は、前世の一生涯の過ちを償うのと同等の価値があり、それゆえに、人間はいかに過ちが大きくても他者への貢献の価値にこの世で気がつけば大きく前進できます。
しかし、人間的自我(地球的自我)が残っている場合ですと、真の善行を行うほどに前世の過ちの償いを速めることになるので、その分、困難に見舞われやすくなります。
その様をこの世の人間から見れば「良いことをしても報われない」と判断されることが多いのでしょう。
------------------------------------ >>243
どうやらメグさんの思考パターンは改善の余地がなさそうで残念です。
>正常な反応についての僕自身の定義は【真相に見合った反応や行為】の事です。
万事、↑の調子では話が噛み合いません。「正常な反応とは・・・・・・」を議論するつもりはありません。
常識的なことを掘り下げる必要がないからです。しかもすでにメグさんは以下のように述べてもいます。
>多くの人が現状とっている行動”という点では正常だと思うのですが、
「相手の責任を超えた範囲まで非難する事」などはこれまでのやり取りで一切触れていません。
このような論述の仕方も詭弁になります。
>「相手の責任を超えた範囲まで非難する事は自傷行為に等しい」と僕は考えますので、
僕自身の正常な反応の定義からすると、それは正常な反応ではないとするのが事実です。
>>244
>この場合、「ニュースを受けての対応」というものに定義を定める必要があると思います。
事の発端はツイッターです。ニュースになったのはそのあとです。
「非難する」ことを掘り下げる必要もありません。論外です。グダグダです。 >>245
>不当かどうかは”相手や自分の心理”によって決まるのではないと考えています。
もうやめましょう。常識的な判断で充分なところを無理やり自説の展開に持ち込むのは不毛です。
>>247
>僕自身は一つ一つの出来事が及ぼす影響を辿った上で、全体に与える影響に関する意見を出していたつもりだったのですが
メグさんのお話は詭弁を重ねているだけなので説得力がないです。
詭弁をこれだけくり返すということは他者と議論する能力がないということです。
メグさんは長文を書いているうちに何が何だかわからなくなっていませんか? >>250,217様
>>253は投稿ミスです。失礼いたしました。
僕にとって、217様のような疑問点を書き込んで頂ける方は貴重です。
217様との議論は僕にとって楽しいものなのですが、もし、217様がこの議論を終えたい場合はご遠慮なくおっしゃって下さいね。
>>正常な反応についての僕自身の定義は【真相に見合った反応や行為】の事です。
>万事、↑の調子では話が噛み合いません。「正常な反応とは・・・・・・」を議論するつもりはありません。
常識的なことを掘り下げる必要がないからです。しかもすでにメグさんは以下のように述べてもいます。
>>多くの人が現状とっている行動”という点では正常だと思うのですが、
僕自身の正常の定義の解釈に疑問がおありで僕がそれに応えるという流れでしたので、それは正常な反応とは何か?について議論が及んでいるものだと考えていました。
ちなみに、【常識的な観念】を元にすると議論の価値は乏しいものになってしまうと思います。
そう思う根拠としましては、常識の尺度は人それぞれ違うからです。
議論の上ではここを掘り下げ、定義せねば、違う尺度を元に自己主張が続き、質の高い共通認識に辿り着かないのが常だと思います。
また、小山田さんの一件など様々な社会現象は常識的な尺度を元に展開された結果【今の状況】がありまして、それゆえに常識的な事の真偽を掘り下げねば、結局、現状に甘んじつづける結果になると思います。
ちなみに、”多くの人が現状とっている行動”という点では正常だと思うのですが、良い行為かと言われるとそうではないというのが僕の認識です。という言い方をしている理由については、>>243に書かせて頂きました。
僕自身の定義で話を展開しない方が良いかと思い、217様の仰っていた”社会悪に対して非難するのは正常な反応”に合わて話を進めていて、僕自身の正常の定義は違っているがゆえに、あのような言い方になっておりました。 >>250,217様
下記に関して、全くもって217様の仰る通りだと思います。
>>「相手の責任を超えた範囲まで非難する事」などはこれまでのやり取りで一切触れていません。
このような論述の仕方も詭弁になります。
>「相手の責任を超えた範囲まで非難する事は自傷行為に等しい」と僕は考えますので、
僕自身の正常な反応の定義からすると、それは正常な反応ではないとするのが事実です。
217様の仰る通り、相手の責任を超えた範囲まで非難する等の発言はされておられませんね。
大変失礼いたしました。
誤った発言だと思います。
申し訳ございませんでした。
それを踏まえて考えますと、217様は『社会悪に対して多くの人が非難を浴びせる事は、行為者の責任を超えた範囲の非難にはならない』(その人の罪以上にその人が裁かれてしまう結果にはならない)と考えておられるのでしょうか? >>250,217様
>>この場合、「ニュースを受けての対応」というものに定義を定める必要があると思います。
>事の発端はツイッターです。ニュースになったのはそのあとです。
「非難する」ことを掘り下げる必要もありません。論外です。グダグダです。
>>224の文脈上、事の発端が何であったのかについては不要と思い、考慮していませんでした。
【より多くの人が小山田さんの一件が知り、何らかの反応を返すであろう媒体】として、何となくテレビのニュースやネットニュースを想定した発言でした。
ちなみに、>>238にて「感情的に非難することが正常な反応であり、それに対応することはまた別の話です。」
と仰っていたので、この言葉が非難することが対応なのか、非難することと対応するのが別なのかが理解しがたくて、まずそれを明白にした方が良いかと思い、議論の上では定義することが不可欠かと思いました。
この点、論外として、定義しない方が良い理由があられるのでしょうか?
上記は217様が仰っていた”感情的に非難することが正常な反応”という概念が、世界に対してどのような影響を持つのかを明らかにするにあたって、大切な内容だと思います。
今まで僕の説に対する疑問を挙げておられたのは分かるのですが、217様の説そのものはまだ判然としない状態であり、その説がどのように世界に影響をもたらすのか?といった分析が、議論の上で難しい状態です。
『多くの人が小山田さんを感情的に非難することが不当ではない根拠』が明らかになれば、僕の説である『小山田さんを感情的に責める風潮は”問題の根本原因を見過ごす結果になり、小山田さんにとっても大多数の人にとっても有益ではない』という説と、道理を元に比較検討することが可能になると思います。
僕の説に対する疑問を挙げるのも議論の上で有益だと思いますが、217様の説を裏付けるための論証なり、根拠なりを挙げる事が、議論を進める上で大切だと思います。 >>251,217様
>>不当かどうかは”相手や自分の心理”によって決まるのではないと考えています。
>もうやめましょう。常識的な判断で充分なところを無理やり自説の展開に持ち込むのは不毛です。
僕としては、やめるのは構わないのですが、やり取りの流れ上、217様が>>218にて
『>>213
メグ>というのも、「抵抗できない障害者の人をいじめる行為」と、「自身の遠くにいる抵抗できない人を遠隔で責める行為」は本質的に同質だからですね。
これも誤りだと思います。被害を受けた障碍者は抵抗できるけれど、それがうまくいかない。
それゆえにハンディキャップをもつ弱者という位置づけです。
それに対して、小山田は社会的には成功者であり強者です。強者に対してイジメは成立しません』
と仰っていて、僕や217様の>>218での真偽を明らかにする意味でも、議論の上ではいじめの定義を明らかにする必要があるとして、今までの議論があったのと思うのですが。
217様は『いじめに対する常識的判断』を上記の説(成功者や強者相手にいじめは成立しない)で定義したほうが良いというお考えなのでしょうか?
それはそれで一つの考え方なのだと思います。
ただ、そうでない場合、217様のいじめの定義はどのようなものなのでしょうか?
217様のいじめの定義と僕のいじめの定義を道理(事実関係の繋がり)に照らし合わせて、比較検討して僕達の共通認識にするのが良いように感じました。
なお、これに関する議論をもうやめるという意見も尊重いたしますので、もし、答えたくない場合はスルーして頂いても結構です。
>>メグさんは長文を書いているうちに何が何だかわからなくなっていませんか?
その可能性もあると思い、読み返してみたのですが、説の真偽はどうあれ論理上の矛盾点は見受けられないように感じました。
もし、その点があれば、今後もご指摘頂ければ幸いです。 >>252様
新たな問題提起をありがとうございます。
これは多くの人に関心のあるテーマなのだと思います。
僕の主観とは別の客観性を掘り下げた場合の見解としては、『コロナワクチンの効果・長期視点での副作用』は、客観的に検証する事が難しい点が否めません。
ですので、コロナワクチンの是非については脇に置き、政府や他の国々の報道の仕方に信用ができ、コロナウイルスにかかるリスクよりも、ワクチンを打つメリットの方が大きいと感じた場合、打つのが良いと考えています。
(商売に例えると、購買対象の性質が分からない場合、販売者の性質から購買対象の性質を推測するのと同様だと思います)
仮に、公平かつ調査力のある団体が、長年にわたってコロナワクチンの影響を調査すれば、おおよそのワクチンの影響は分かります。
ただ、それが政府であると「ワクチンは善」という立ち位置から始まっているので、政府からの情報は常に公平性に欠きますので、長年の調査による結果を政府に関わる団体が発表した所で、それは信用にたる情報にはなり得ないと思います。
現時点では、あらゆる団体が検証のためにいくら予算をかけようとも時間の概念は超えられず、ワクチン接種後の時間経過による影響を知ることはできません。
ですので、その不明な時間経過による影響を許容し、政府のコロナワクチンに関する態度が信用に足るものであれば、打つのが良いと考えています。 >>258について言葉足らずだった点があり、補足をさせて頂きますね。
>>コロナウイルスにかかるリスクよりも、ワクチンを打つメリットの方が大きいと感じた場合、打つのが良いと考えています。
と書かせて頂いたのですが、ワクチンは”かかる事”ではなく重症化を防ぐための物という認識が一般的であり(真偽はどうあれ)、この場合、コロナウイルス重症化のリスクと長期視点での副作用が不明という事を天秤にかけて判断するのが大切だと思います。
端的にお伝えしすぎてしまった件、言葉足らずで申し訳ございません。 皆様の議論を感心しながら読んでいる者です
俗っぽい意見になるかもしれないけどずっと疑問に思っていたことと類似点があるので書き込ませてください
怒りをもって人を攻撃しない方がいいという事と(納得できる考え方です)
それをしてしまうと世の中で革命や革新などの進歩が起きなくなってしまい
一部の悪人たちが善人をだまして甘い汁を吸い続ける世の中のままになってしまうのでは?という矛盾です
今回の小山田さんオリンピック事案でいうと
過剰に加害者(小山田さんがわ)を攻撃するのはもちろんよくないですが
義憤にかられた人々の攻撃や非難がなかったら解任とならずうやむやのままごまかされ
小山田さんが報酬をうけとっていたということです
現に発覚してからもトヨタがCMを降りたり海外で騒がれるまでオリンピック委員会は小山田さんを擁護して続行する意思を見せていました
オリンピック始まりのエンブレムがパクリだった事案からも
常にいわゆる上級国民による隠蔽された搾取が行われており
それが明るみに出て廃止に追い込まれるのはいいことだと思うんです
一方でも「正義の暴走」って奴もたくさん目にしてもううんざりしてるんです
近々だと女子のウエートリフティングの競技に元男性の心は女性の方が出場し1位を取りまくってるとか…
これ「体は男性なんだから男性に出ろや!」って言おうもんなら
「君は心は女性の彼女を差別するのかね!」ってなるんでしょ?
もうモヤモヤするし頭こんがらがっちゃいますよこんなの 例が俗っぽくて申し訳ないんですがアルプスの少女ハイジって昔のアニメに
車いすの少女クララが立ち上がる勇気が待てず親友のハイジが「クララのバカ!もう知らない」って泣き出し
それを追いかけようとしたクララが立ち上がるとても好きなシーンがあるのですが
ここで過剰な正義の人がひょこり現れて
「君は車いすの障碍者の方に馬鹿といったね?差別だ!」って言い出したらどうでしょう?
一見正しいですからハイジは丸め込まれて反省してしまうかもしれません
そしてハイジは立ち上がらないクララの車いすを一生押し続けました…すっきりしませんよね
平和で素晴らしい世界の様ですがクララ自身の立ち上がる喜びを知る機会を奪っている
教師の体罰問題の時武田鉄矢さんが言っていたんですが
教師が怒りで体罰をふるうのがよくないのでは?って意見に対して
生徒のことを本気で考えてるから怒りが沸くんだ 本気の怒りのない指導で生徒の心が動きますか?
とおっしゃっていてなるほどなと思いました
絶対正しい指導をするロボットに説教されたら生徒はだるいとしか感じないでしょうね
ハイジが「馬鹿」と怒ったことを人間は中道が一番だから怒りを持ってはいけないよというのは酷だろうと思うのです
クララにとっても酷いと
話が取っ散らかってしまって申し訳ないです
怒りってよくないけどなかったことにするのもよくないのではないか?ということです
あと最近思うんですけど「本当の意味で良いこと」をするのって難しいな…って思います
長々すいません あと一つだけ
メグさまに質問させてください
カルマの法則は科学や物理の法則のようにかっちりした融通の利かないシステムの様な物なのでしょうか?
いわゆる「お天道様はいつも見てますよ」的な少しは融通の利くものなのでしょうか?
というのもネットで見かけた記事なのですが
ある獣医さんが不幸な野良猫を減らすボランティア活動をしておられて
初めは無料で避妊手術をしその猫を希望の方にもらってもらう活動をしておられたそうなんですが
そうすると「病気みたいだから他の猫と変えてほしい」とか「あまりなつかない猫だったから公園で放したまた新しいのをください」
といった理不尽な人が多々おられたそうです
命をなんだと思ってるんだって腹の立つとともに
人間はそこまで金銭損得で世の中を見てる人が多いのか?とガックリ来る話ですが
その獣医さんは一計を案じられ避妊手術の実費費用だけ真らうようにしたそうです
そうしたらおかしな人はかなり減ったそうです
無料であるがゆえにもらってあげてるとか損したくないという心理が働いていたのでしょうか
変な人にはがっかりしたけどこういう素晴らしい獣医さんがいるのだなと希望にも感じました
そこでこのことをカルマの法則に当てはめると
実費を受け取らなかった善行より実費を受けっとった善行は何段階か劣った善行になってしまうのでしょうか?
それともお金が目的ではなくトンチを効かせただけだから劣ってないよ!っておまけしてもらえるのでしょうか?
個人的にはおまけしてもらいたいですが凄く優しいお医者さんだと思ったので >>261様
素晴らしいご意見を頂き本当にありがとうございます。
261様の仰る「怒りで人を責めるのは良くないけれど、そうでなければ小山田さんの待遇は不相応なままであったという点に矛盾が生じる」という点、とても分かります。
これに関しては、僕の場合ですと、怒りに任せずとも、客観性のある視点を持つ人が多くを占める世の中であれば、小山田さんの過去が明るみになった時点で”小山田さんの過去を過剰には責めないが、オリンピックには不相応”という意思表明をする世論が起き、同時に、小山田さんをCM等で起用している会社も小山田さんをCMから降ろす結果になっていたと考えています。
ただ、僕の見解ですと、これほどに客観性のある視点(道理に基づく判断力)の人が多いのであれば、そもそも小山田さんが起用される事も無かったのだと思います。
小山田さんの記事そのものは過去に話題になっていたゆえに、仮に、”客観性のある意見が世論の中心になる世の中”の影響を組織委員会が受け、人選について客観的に判断したのであれば後に問題になることは明らかでしたので。
間違いが起こった時に非難によって収束する文化に甘んじるよりは、問題が未然に防がれやすい文化を目指す方が人類に益すると僕は考えています。
とはいえ、『感情では無く、道理に基づく判断をする人が大多数になる』という事自体は、現状では理想論ですし、それのみで良い世の中になる保証はありません。
実は、僕個人としては、決してそれ自体が最善であるとは考えておらず、画一的な判断ばかりをする人間ばかりの世の中は”多様性による価値が減ずる”という意味で損失を生むと思います。
しかし、感情的に非難する風潮が一般的なのであれば、現時点においては、道理に基づいて個人の責任範囲を考え、大多数で個人を責めすぎない方が良いと考える人が増えた方が、未来の人類のためになるように考えています。
また、地位の高い悪人が善人から搾取するのを防ぐという意味でも、道理に基づく判断力を持つ人が増えることは不可欠でしょう。
個人的には、真に良い世の中というのは人知を超えた性質があるゆえに、一人の思想に沿った世の中は最善たりえないと思います。
そのため、様々な人で”真に良いことって何だろうか”という議論や意見交換が成される必要があると考えています。 >>264様
素晴らしいご洞察の数々、感銘をうけています。
数回に分けて回答を投稿いたしますね。
>>カルマの法則は科学や物理の法則のようにかっちりした融通の利かないシステムの様な物なのでしょうか?
いわゆる「お天道様はいつも見てますよ」的な少しは融通の利くものなのでしょうか?
途方もないほど厳密に働く法則でもあり、途方も無く柔軟な法則でもあるように思います。
なぜ、この相反する概念が両立すると考えるのかと言いますと、カルマの法則が『人間の自由意志を尊重し多様性が広がる方向へと原理を作用させている』と感じているからです。
僕の主観的な根拠に留まりますが、育児を一例にすると、親の理想を子供に押し付け自由意志を阻害した場合、どんな形であっても、例え、それが「人に奉仕をしなさい」という一見良いものであっても、必ず、カルマの法則は親に対して狭い自我が生じるよう作用するからです。
これは人間の多種多様な自由意志をカルマの法則が許容し、自由意志に応じた働きをしている事の一つの証明と捉えています。
例えば、『医者になりなさい』と子供に理想を押し付け自由意志を阻害した場合ですと、それが親の自我が持つ権威への盲信(医者という権威への盲信)による行為であった場合、その盲信は深まっていきます。
その結果、今世・来世において度々、権威に騙される事によって目を覚ます(盲信を生む自我が除去される)必要が生じてくるのですが、これは人間が持つ多種多様な価値観に対して起こっていると僕は考えています。
これはカルマの法則が人間の多種多様な価値観に対して柔軟に対応し、かつ、厳密に働いていることを表す一つの根拠になりえるように思っています。 >>263様
>>実費を受け取らなかった善行より実費を受けっとった善行は何段階か劣った善行になってしまうのでしょうか?
それともお金が目的ではなくトンチを効かせただけだから劣ってないよ!っておまけしてもらえるのでしょうか?
個人的にはおまけしてもらいたいですが凄く優しいお医者さんだと思ったので
僕のカルマの法則の解釈ですと、”他者からお金を受け取る”という行為そのものには、その行為の価値を減少させる要素は無いように思います。
というのも、お金のやり取りを通じて学べるものは非常に多く、無償・有償で人に何かを提供する、無償・有償で人から何かを受け取るの両方とも重要な学びがあるからです。
したがって、そのお医者様が実費を頂く事で、里親の方の意識が向上したのであれば、それは良い行為をしたと言えるのではないでしょうか?
とはいえ、里親が”実費を払ったのでもったいないからこのまま飼い続けよう”と考える事で、かえってその猫が虐待される毎日を送る危険性も残るので、里親への継続的なフォローなど、真の最善とは何かはずっと探っていく必要のあることだとは思いますが。
(ちなみに、上記の理由から猫の虐待があった場合でも、里親が猫を貰うことへのリスクを説明している限りは、お医者様への負のカルマはわずかだと思います)
基本的には、カルマの法則は、勇気を持って世界のために行動した人に対して、その行為が結果的に世界に悪影響を残したとしても、その分は免除・許容するような作用があるように感じています。
ただ、人間の”世界のための行動”の内訳には様々な思いが存在していて、その思いに私利私欲が入るほどに行為に歪みが生じるように思います。
例えば、心配性の親が子供を心配するのは子供のためと考えますが、それは自身の不安と向き合うのが嫌なだけな場合があります。
この場合ですと、現実として子供からの反発なり、親の関わりによる子供の人格への悪影響が観られますので、それらを元に自身を改め、自身の行為を修正していくことが大切だと思います。 度々失礼いたします。
>>265の冒頭の264様は、263様の間違いでした。
申し訳ございません! メグさま
素早いお答えと丁寧な分かりやすい解説ありがとうございます
オリンピックのお答えですが問題が起こる前に未然に防がれるのが一番いいですよね
人類が全員同じレベルで内面に目を向けてくれたらいいのですが
悪い人ってほとんど自らの内面や行為を顧みる事をしてないみたいで
出てくるセリフが漫画やドラマのべたな悪役みたいな感じで驚きます
そういう人が自ら目覚めて気が付くって期待ができなと攻撃につながるのかな?って思いました
悪い人ってそもそも自分の内面を考えるって物差し自体が無いっぽいので期待薄ですしね…
どうしても矛盾は残ってしまいそうです
そういえば怒りはその人が自分の思う正しいことをしない時に起こるというお話をどこかのお寺のお坊さんに聞いて
「うわ!本当だ!」と思ったことがあります
子供を自分の分身のように扱ってコントロールする親がいるのもそうですね自分も身につまされる話です
自分は親の抑圧にゆがめられた側でですね…
アメリカインデアンの言葉で「親は弓で矢は子供 弓である親は子供を放つが 矢である子供がどう飛ぶかは矢の性質であってコントロールしてはならない」ってのを読んだことがあります
自分もどうしても怒りは沸いてきてしまいますねコントロールしたいと思ってしまったのかな?って反省もしますがなかなか難しいですね 獣医さんのお話もありがとうございます
>>基本的には、カルマの法則は、勇気を持って世界のために行動した人に対して、その行為が結果的に世界に悪影響を残したとしても、その分は免除・許容するような作用があるように感じています。
よかったですやったぜそうでなくっちゃ!って思いましたうれしいです
>> 途方もないほど厳密に働く法則でもあり、途方も無く柔軟な法則でもあるように思います
ものすごい法則の完璧なシステムがゆえにどんな微細なパターンにも対応できてるって事ですよね?これはある意味では神様って事でもあるようで面白いです
自分は面白い事が好きで自分が面白いと感じるということは
漫画であれ小説であれ4コマ漫画であれなにか大切なことが含まれてるからそう感じるのだと思っており
ここでの皆様の書き込みも面白いと思って読んでいるのですが
ここのレベルが高すぎて今一全てを理解できてはいないと思います
ですので自分が書き込んでいいのかな?と思いつつも長年の疑問であったため書き込んでしまいました
とても丁寧に教えていただきありがとうございました
あと
>>そのため、様々な人で”真に良いことって何だろうか”という議論や意見交換が成される必要があると考えています。
ここで大人にこそ道徳の授業が必要だと思いました
子供の時は正直なんだこの授業…と思っていました
また長々と書いてしまって申し訳ありません本当にありがとうございました! > そういえば怒りはその人が自分の思う正しいことをしない時に起こるというお話をどこかのお寺のお坊さんに聞いて
すいませんここ訂正です
正しくは
「怒りは自分の正しいと思う行動を相手がしてくれないときに起こる」
です
すいません
人間はどうして相手をコントロールしたがってしまうのだろう?というお話でした あともう一つだけ書かせてください
オリンピックの事ですが
数年前にアセンションが起こる年だ騒がれていた時
「アセンションは起こるけど目に見えて世界がひっくり返ったりはしないが世の中の無駄なシステムや意識がなくなっていき
愛や金の流れなどエネルギーがインフラ整備したようにスムーズになり無駄なく末端まで届く幸せな世界が来るよ
その改革が起きたのが振り返ってみればアセンションが起きたとされる年ぐらいから流れが変わったと言われる程度だよ」
って書き込みがあってなるほど面白いと印象に残っていたのですが
今回のオリンピックでの数々の暴露は愛のインフラのための大衆を気づかせる切っ掛けだったのではとも思いました
そうなるといいなとドキドキしました >>268,263様
毎回、非常に参考になる観点が多くて驚いています。
それで下記に関して、まだお伝えできる事がありそうです。
今回は2回に分けて投稿いたします。
>>そういう人が自ら目覚めて気が付くって期待ができなと攻撃につながるのかな?って思いました
悪い人ってそもそも自分の内面を考えるって物差し自体が無いっぽいので期待薄ですしね…
どうしても矛盾は残ってしまいそうです
カルマの法則は僕の主観に基づく部分が多いですので、あまり議論をカルマの法則をベースに展開しないようにしているのですが、カルマの法則を考慮にいれますと、その矛盾が解けるかもしれません。
実は、今回の内容は>>249の内容とも関係しておりまして、悪人と観られる人が改心する根本的な原理についての内容です。
>>249では、「なぜ、善人が多くの苦労に見舞われる事があるのか?」についてお伝えしたものです。
結論は、善行により過去や前世等で出来た自我(不要なエゴ)がより速く解消されるために、多くの困難がやってくる傾向があるということでした。 ただ、上記ではお伝えしていない点がありまして、それが、
『善人のエゴが除去されるにあたって、悪人が必要になる』
という事実です。
例えば、過去に誰かを奴隷扱いしていた場合、その時生じた横暴な自我は、今世においては潜在的性格として残っています。
この潜在的性格を改善するにあたり、”自発的に自我を解消しない限り”今世において誰かから奴隷扱いをされる必要が生じています。
これは同時に、悪人と呼ばれる存在がこの世に必要になるという事でもあります。
そのため、悪質な行為をする人(悪子さん)・悪質な行為を受ける人(善子さん)はカルマ上連帯関係が存在しておりまして、どちらの精神の進歩もお互いに影響を与え合うようになっています。
仮に善子さんが精神の進歩を遂げ、潜在的性格の横暴な性質が解消できていた場合、悪子さんが善子さんに対して悪行する必要は無くなります。
さらには、善子さんの精神の進歩は、観えない部分で悪子さんの精神の進歩を間接的に促します。
(ただ、悪子さんとカルマ上の連帯関係にある人は他に数千・数万とおりまして、善子さんだけの進歩のみでは大きな変化は起こりません)
それで、悪質な行為を受ける運命にある善子さんが、”悪質な行為を受ける前に”その原因を解消すると、悪子さんの悪行を未然に防ぐ結果になったりします。
これが悪質な性質を持つ人が改心する根本の原理だと考えています。
そのため、悪質な人を直接責めるよりは自身の精神を進歩させることに集中したほうが根本的に社会は良くなると思っています。
今の社会が横暴な性質の人ほど権力を得やすいのであれば、それは、まだその横暴を許すだけの原因が大多数の人に残っているという事実も示すため、こうした考えは賛否両論だと思います。
ただ、現在の世が横暴な人ほど権力を得やすい根本原理はここにあると僕は考えています。
ちなみに、悪子さんが精神の進歩をした場合でも善子さんの精神に良い影響が起こります。
(悪子さんが善子さんに対して悪行をしそうでも、それを意志で思い留まるなども、善子さんの精神に間接的に良い影響をもたらしています) (この世界の)善も悪も同じ一つのものから生じたからね
統一するにはそれらが絡み合って統合していく必要がある
ざっくり言えばこの世界は悪いものから生まれた
だけどそこに住む者たちの中には開闢以前のものが宿っておりそれを善性という
悪いものと言っても悪くなったのであって最初からそうでは無かった
変質、変性というのが正しいかもしれない 最初は神が遣い即ち天使を創造したが
最後に創造された天使は神から離れていたため堕天した
というのも堕天した天使が神を何とか知ろうとしたため
それで造られたのがこの世界。 しかし器を通して神がその世界にやってくるというわけで
それが唯一の希望となりそこから無数の宗教が生まれた だから悪魔崇拝も堕天はしたものの天使崇拝
実質間接的な神崇拝と言える
神を愛するが故に堕天したといえばこの世界の構造が分かるかもしれない これがルシファーが言ったされる「いと高き御方のようになろう」の真意
取って代わる気なんて毛頭無い
何故なら彼女は十分すぎるほど理解していたから
彼無しでは決して満たされない事を 抗い難く度し難くそれでも尚魂が求めて止まない
そういう存在がやがて来る我々の主であり親である神 >>242
メグ様、お返事いただきありがとうございます。
過去に戻りたいと思ってから色々と調べるうちに、この世界はなんなんだろう?と考えるようになり、不思議とこのスレに惹かれました。
前スレも拝見し、まだ全部は読めていませんが、とても興味深いです。少しずつ読んでみたいと思います。
今後もひそかにお邪魔させていただきます。 >>246 さま
お返事遅くなってしまい申し訳ありません、ありがとうございます。
タイムリープ関連のスレは、半年ほど前からちょくちょく覗いております。夢日記やら明晰夢やらおまじないやら手当たり次第に試してたこともありますが、色々調べるうちに世界の仕組み?みたいなものが気になってこちらのスレに辿り着きました。
別スレにもかかわらず親身なレスをいただき、
>>235様のお力に成れたらと存じます。
の言葉がとても嬉しかったです。なんだか感動してしまいました。 >>271様
アセンションは定義しだいではとても興味深いテーマだと思います。
アセンションを語る多くの人の共通認識は【個々の意識の良い変化が人類全体の環境に良い変化を起こす】か【人間の意識の影響がより物的(社会的)事象に作用しやすくなる】の2つが多いのかなと感じています。
上記の定義(認識)を元に考えた場合、僕は”アセンション”と言われる現象については概ね肯定的な立場かもしれません。
実際に、僕はカルマの法則をベースに>>273のように「個々の人格の変化(精神成長)により、社会全体から悪行をする人が減る」という趣旨の考えを持っていますので、まさしくアセンションの定義通りに現実は進行しているものと認識しています。
とても興味深いテーマですよね。
僕は人類全体の人格向上によって、現時点の人類の想像を超えるような出来事が起こると考えているので、尚更ワクワクするテーマです。 >>274~279まで興味深く拝見させて頂きました。
美しい文章を書かれますね。
神を知ろうとする意識からこの世界が造られたというお考え、非常に深い内容がこもっているように感じました。
というのも、この世で大きな悪行をする人達は”自身の正義”によって行っている面も多く、その正義に照らし合わせて最善とは何か?を追求しています。
これもまた神の行為に近づくためには何か?という視点と近いように感じました。
それらの点を考えると、悪魔崇拝も天使崇拝、間接的な神への崇拝というお考えは、かなり興味深いものだと思います。
個人的には、その”正義”が全体にとって良い影響を及ぼすかは『自身を神(あらゆるものより自身の考えが最善)として捉えるか?』『自身よりも高い存在があるものとして捉えるか?』により違いが生じてくる部分が大きいのかなと思いました。
ただ、何を良いとするかは厳密には難しく、人間の多様性は一度悪を経験する事により広がる面まで考えると、この世界は無限に探究する価値のある面白い場な気がしています。 んなこと事より身近なスピ板等を荒らす奴は何故荒らしを行うのかとかを考えた方が良いんじゃねえか? >>286
良い着眼点ですね
メグさん、俺からもお願いしますよ >>286様
>>287様
面白い問題提起をありがとうございます。
荒らしという行為はとても興味深いものですね。
2回に分けて投稿いたします。
このテーマを考えるにあたってまず荒らしを定義する必要があると思いました。
匿名掲示板での荒らしを定義すると、『人が不快感を催すような書き込みを意識的・無意識に、継続的にする行為』だと思います。
また重要な点として、その書き込みを荒らしと判断するかどうかは本人ではなく、スレを観る他の人間なのだと思います。
それで、僕の定義を基にすれば、不快感を催す書き込みを一度行い、誰かから「そういう書き込みはやめてくれ」と言われて、すぐに止めるのであれば、それは荒らしじゃないという事になります。
その書き込み主を荒らしと判断する場合、継続性がカギになっていて、”人が嫌がっているのが明らかなのにやり続ける”といった継続性が荒らしなのだと思います。 【人が嫌がっているのにやり続ける】というのは日常的に観られる行動傾向でして、その背景には
1・自分のやっている事が正しいと信じてやり続ける
2・相手に恨みがあり苦痛を与え続けたいのでやり続ける
3・自分の至らない点に気が付かないのでやり続ける
4・相手の反応が面白いのでやり続ける
5・自分の行為に反応する人がいることに快感を覚え、やり続ける
6・下卑たものを多くの人に見てもらう事に興奮を覚える性癖によるもの
など、様々なパターンがあるように思いました。
それで、荒らしは全体的に1と4と5と6に該当する事が多く、スピ板ですと、ホモ関連のポルノまがいな荒らしが多いので、4,5、6の可能性が高いと思います。
おそらく4,5、6のいずれかではなく、荒らしの動機にはこれらの全てが複合されているものと推測しています。
ただ、根本的には、荒らしをされる方は5の要素が大きいのかなと感じています。
ここから先はコピペの荒らしに関する内容なのですが、匿名掲示板はやり取りに参加すれば、誰かが反応してくれる確率の高い場所です。
しかし、それをしない場合ですと、《やり取りの中で、自身が否定されること自体は恐れている》《しかし、誰かに反応してもらいたい》といった性質が書き込み主にあるものと考えました。
また、コピペですとその内容を否定されたとしても、作業的にその書き込みをしただけですので、その分、対岸の火事といった心境でその反応を観ることができます。
これらの観点から考えていきますと、コピペによる荒らしは『寂しいけども、人と直接やり取りする気になれない人』が全体的に多くなるのかもしれないと思いました。 超常で在るとか、霊能で在るとか、貴方は私らの本当を見てるし知っていますよね。
規格が5chじゃ合わないのも分かってる。日月神示なんか見受けましたが、それそのものをかむろぎに半霊半物質化にして呼び出し
ギャラリーやさにわの面前で直に見聞させる。また任意のモノを任意で任意の場所に下ろせる。リアでね。私らはみなそんな人間らです。
見てるので知ってますね。私らにすれば神と呼ばれるモノはすぐ横にいるって感覚です。なのでビデオや写真があり機密があります。
今考えると貴方に見せたのは良くなかったのかもしれませんね。そう言ったものに魅せられたのかもしれませんね。
岩戸がどのようなものかなんてのもその目でご覧になりましたよね。そういったことに関しては元々私らは表側にはあまりいない人間らです。
貴方には刺激が強すぎたのかも知れませんね。
オカルトなら予言、予知、テレパス、その他、5chも含め探しても私が私の仲間が求めたものは無かったです。見あたらないし。
なので私達の回りはこう言った公共掲示板あるいは深層から海外勢を含めてみんな一斉に離れました。 因みに、スレ主はどうやってそのカルマの法則を知ったのかな? >>293様
ご質問を頂きありがとうございます。
21歳頃、とある自己啓発本に「人にした事は自分に返ってくる」と書かれているのを目にして、その実験をしてみようと思ったのがきっかけだったと思います。
それから今にいたるまで、人に何を与えたらどのような形で返ってくるか?を確かめる日々が続きました。
ただ、今、このスレでお伝えしているような内容は僕の経験則以上に、最終的には30歳頃に行っていた《寄付を生活が成り立たないレベルでやったらどうか》《ネット上で人を励ます活動をしたらどうか》といった事の検証の際に、自身の心の内側から湧いてきた知識が大部分だと思います。 >>294
いつもご丁寧で有り難い限り。
海外のサイトでは カルマの法則は毎日継続をすることで、将来に大きな変化をもたらすそうなので
これからも頑張って下さいな。 メグ氏に伝言してください。
彼は伝えれば何を話してるかは分かるようになっています。
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私が貴方に能力の相談をした理由の一つは、霊障を解決するために能力を伸ばしたいからです。
能力への興味もありますが、私自身まずは霊障の解決が一番で、霊障が解決して普通に暮らせれば良いのです。
私に芽生えた能力は、まず第一に霊障を解決するために使用可能なことを望んでいます。
貴方の言う魔物との契約は、おそらく私の霊障の原因となっているのでしょう。
ですが、私は意識的に魔物と契約してはいません。
契約が為されているなら、それは魔物側から一方的に結ばされたもの或いは事故的に結んでしまった物でしょう。
ですから、私は契約については何も知らないし、むしろ天さん最強の弟子からそのうち治るかもと言われていたりと、いきなり契約解消しろと言われても混乱するばかりで、詳細がなく、初めて聞かされた側に投げっぱなしが過ぎます。
言うだけ言って混乱させるのは少々不親切ではありませんか?
私が貴方に相談したい理由そのものが「魔物(霊障)問題の解決に繋げるため」であり、能力のことを相談するために魔物と契約解消する必要があるといった順番にならず、むしろ逆である必要があると思われます。
そこを理解して頂かないと。
魔物の契約解消以前に私の能力の話が先に無ければ、根本的に魔物問題の解決などおそらく不可能です。
そもそも、私の力の発現・存在理由が、魔物問題解決のために在るのではないでしょうか?
そして、魔物解決については、私を力をかけて見守る守護も知るはずです。
ならばそちらに聞いても良いはず。
貴方は以前彼らと会話した。
私は最強弟子の言うとおりにそのうち霊障が治らならない可能性も考慮し、能力について貴方に相談したのでした。
返事があるならばここでも別媒体でも構わないのでお願いします。
ちなみに彼も詳細は全く分からない上に中々取り合えない状況です。
ですから、詳細を一番知るのは貴方だけです。
詳細が少なすぎるため、更なる情報をお願いします。
仮に何もしたつもりもない一般人に、いきなり魔物と契約があると言われても混乱するばかりなのは、貴方も分かるでしょう。 >>295様
そのようなお言葉を頂けて救われた気持ちです。
少しでもお役に立てればとても嬉しいです。
カルマの法則にて物的成功が得られる場合では、誰かの願望を叶えた後に《願望を叶えるための力が自身に備わる》という形の影響は少なからず観られました。
以前、多くの人が観るブログを運営していて、そこで様々な人の願望を叶えるお手伝いを無償でしてみてどのような影響が自身に返ってくるかを検証してみた事があります。
(そもそも、そのブログもカルマの法則の検証をしていった結果、何らかの因果関係により、自然と持つに至ったブログだと考えています)
カルマの法則は様々な形で自身の行為に反応を返してくれるので、中々実験しがいのあるテーマだと思います。 >>297様
そうなんですね!
教えて頂き本当にありがとうございます。
荒らしという行為は多種多様な物があって中々興味深いですね。 そのブログって今はもう閲覧出来ないのでしょうか!?! 昨日久しぶりにかあさんと会えたわ
あの世界でもやっぱ心臓悪くなってたんだけど今まで通りリビングで家族で会話できた、でも葬式したのにどうしたんだ?なんて思ったら、生前やってなかったギターの練習するからもう行くねなんて言い出して、そこでハッとして目を覚ましたらソファの上で
ドキドキしてたら玄関から音がして、でもそれも夢の中でまたハッとして飛び起きたらこの世界のソファだった
夢って言うけど、この世界みたいにあの世界も現実なんだよな
超紐理論 超常で在るとか、霊能で在るとか、メグさんは私らの本当を見てるし知っていますよね。
規格が5chじゃ合わないのも分かってる。日月神示なんか見受けましたが、それそのものをかむろぎに半霊半物質化にして呼び出し
ギャラリーやさにわの面前で直に見聞させる。また任意のモノを任意で任意の場所に下ろせる。リアでね。私らはみなそんな人間らです。
見てるので知ってますね。私らにすれば神と呼ばれるモノはすぐ横にいるって感覚です。なのでビデオや写真があり機密があります。
今考えると貴方に見せたのは良くなかったのかもしれませんね。そう言ったものに魅せられたのかもしれませんね。
岩戸がどのようなものかなんてのもその目でご覧になりましたよね。そういったことに関しては元々私らは表側にはあまりいない人間らです。
貴方には刺激が強すぎたのかも知れませんね。
オカルトなら予言、予知、テレパス、その他、5chも含め探しても私が私の仲間が求めたものは無かったです。見あたらないし。
なので私達の回りはこう言った公共掲示板あるいは深層から海外勢を含めてみんな一斉に離れました。 >>300様
ご質問を頂きありがとうございます。
ブログ自体は残っておりますが、こちらを通じて公開はしない予定です。
ご興味を持って頂いたのに大変申し訳ございません。
その理由は
・本名で活動していたためにブログを公開したら自然と本名が明るみに出ること
・内容の専門性が高すぎて普遍性という意味で有益な情報にならず、ここから僕を知った方々であれば、逆に知らない方が良い可能性が高いこと
などが挙げられます。
僕自身は当初本名でこちらに書き込もうと考えていたぐらいなのですが、それであると、ここでの書き込み内容が”過去の活動の宣伝目的”として受け取られ、【本来、伝わった方が良い人に伝わらないリスク】に対し、相応に天秤にかけられるような良い点が無かったので、本名を出さないようにしています。
また、匿名の人間がカルマの法則を伝え、そこから徐々に広まる方が後を考えると良いように感じましたので、現状では本名を出さないようにしております。
僕の本名が明かされる事自体は構わないのですが、それは僕自身がやらない方が良いと考えています。 >>301様
書き込みを頂きありがとうございます。
以前に>>180を投稿された方でしょうか?
夢でお母様に会えたとの事、素晴らしい出来事でしたね!
僕も、人間がこの世を去った後に移行する世界は、この世界と同様に現実味のある世界だと考えています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています