神社の下級職人である神人なんかも、
投降させた蝦夷や新羅人などの北方渡来系に、その任に当たらせたものが多いと思います。
ひとつは、神社に入れて監視の目を光らせ、またそのご神気に当たらせることによって、彼らのヒステリックでエキセントリックな気性や恨みがましい性根を少しでも「封じ込め」、「中和」することを目的としたと思います。
外界で悪さをしずらくする、という目的もあったことでしょう。

投降蝦夷・佐伯部に辿らせた道
などからの類推です。

でも明治のドサクサや、戦後のドサクサのせいで
今や、神社界は、
その神人がトップに君臨する
という「逆転現象」が起こるまでになってしまった。

今の神社本庁やその派生組織のトップ連中から、ヤクザ臭がプンプン臭う
のもそのせいです。

三上山の神が
なぜ俵藤太に、瀬田の唐橋で大百足退治を頼まないといけないことになってしまったのか?

あの時と
再び同じ状況になってしまいました。