真理がわかりましたけどご質問ありますか?
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二年前の夏に俗に言う「悟った」という状態になりまして、ご質問等あれば答えさせていただきとう存じます。
かつて工学からはじまり理学、心理学、福祉学を学んでいました。その上で仏教とキリスト教を知った中でカルトの成り立ちの本を読んでいたら「わかってしまった」次第です。 になみに悟りは二段階あって、一段階目の悟りは12〜13年前に起きまして、二段階目の悟りが2年前にあった次第でございます。
お金や食の欲もほとんど無いので自分にとっては満足した、人によってはむちゃくちゃな生き方をしています。
少しでもお役に立てられればいいなと考え、今回スレを立たさせていただきました。 >>2
「わたしが」「あなたのことを」ですか?
それとも「わたしが」「わたしのことを」ですか? >>5
「わたしが」「あなたのことを」ですか?をです >>3
どうなるかは今後のありようでどうにでもなる、なるようになるとしか言えませんが、少なくとも「今いる」事実は確実なのではありませんか? >>6
存在自体は認知をしていますが、だからなんだと言われるとなんとも言うこともありません。 人が生きる意味とは?
あとお金と食に関心が無くなったのならお金を恵んで下さい。 >>9
生きる意味は楽しいをすること。
お金が欲しいのならあげるけど、その代わり人にお願いをするならその分リスクをとらなきゃならん。
例えば僕の生きるためのお金をあげる(すなわち僕が死ぬかもしれない)なら君は僕に何を差し出す? 物欲や食欲は殆どないのに承認欲求はありまくりなのが笑える >>15
そうか、なら堕スレにならないように盛り上げてくれ! 何が目的で駄スレにしかならねえスレを立てたんだクズ >>17
まあゆるゆるやるよ。
>>18
オカルト板は民度が高いからどんなスレッドでも良スレになる可能性があると思って立てたんだが、まさか君のレス能力ではこのスレを良スレにできないのかい?困るねえ。 >>20
最近は皆が外に積極的に出てないから僕も適当に本を読んだりネットをしたりしてます。豪遊などはしてません。
もう少し皆が普通に動き出したらまずは九州にお金を落として様子見、次に台湾にお金を落として様子見って感じを考えていますね。 九州と台湾を選択されたことに何か意味はあるのですか? >>22
あります。
ひとつ九州は今まで少ないながら日本国内の人と接してみて、割と九州の方は約束を守りやすい人が多い印象のあることがあるからです。
また僕は日本人なのですが、台湾には過去大日本帝国時代の日本の良さのようなものが残っているような気がしていて、あそこでは日本と支那の文化が混ざっています。そこでは日本でありながら気持ちをはっきり言う文化が根付いていると思っているからです、それの確認をしにいきます。 >>24
楽しいや幸せが広がります。僕は僕と接した人がみな幸せになれると信じているからです。
また死ぬまでに僕の幸せが伝わって少しでも広がることが僕の使命だと思っているからです。 >>24
すみません「何かされるのですか」と言う問いへの答えではありませんでした。
その問いへの正確な答えは「お金を落として一緒にお金の使い方を楽しみます」です。 お金の使い方を楽しむとは、どのような使い方をすればよろしいのですか? >>29
僕ではなく相手の気持ちの話ですので他人の気持ちを僕の言葉で表現しきれない問題があります、なぜなら他人は僕ではないからです。
そしてその気持ちと言うものは文で書いてもなかなか伝わらないものですから、実際にお会いして実践する予定です、というかこれまで実践してきました。 >>29
あえて文章で表現するとすれば「ご自分の心が踊るようなことに使う」ということです。
それが詳しく何か、ということはお会いして話をしてみないとわかりません。 これまで実践された中で、相手の方が幸せを感じた例を聞かせて頂いてもよろしいですか? >>33
例えば相手が自分に合った行動や仕事を見つけたときがそうです。相手が楽しい嬉しいことは僕にとっても嬉しいことだからです。 >かつて工学からはじまり理学、心理学、福祉学を学んでいました。
>その上で仏教とキリスト教を知った中でカルトの成り立ちの本を読んでいたら
>「わかってしまった」次第です。
ここからどういう経過で、「楽しいは幸せ」という差取りに至ったのか
詳しい経過の説明をお願いします。
同時に、
正直、楽しいは幸せは普通の人でも普通にわかっている感覚ですよね?
それを「わかってしまった」と
悟りにまで至らしめる深さとはどのようなものでしょうか?
以上の2点の詳細の説明をお願いします >>35
まず工学や理学で論理的な解釈を学びました。
次に心理学や福祉学で人の心の動きを学びました。
最後の仏教やキリスト教などの教えは人の気持ちや自然のありようのもととなる教えや伝説です。
それら伝説を自分の生きる場面にうまく取り入れると
世の中のなりたちとか、
なぜ不条理が起きるのかとか、
不条理をどう乗り越えたら幸せになれるか、
が論理を使うことで解釈できました。
この世の中のあり方やどうしたら幸せになれるかということの知ったことを僕は「悟りを開いた」と言っています。 >>35
「楽しいは幸せ」を本当に普通の人はわかっているとお思いですか?僕はほとんどの人がこれをわかっていないと思いますよ。
楽しいを本気で実践するとすべてがうまくいくような流れがで自然界にはできていますから、例えば楽しいをすると物事に詳しくなってもっと深く幅広い分野のことを知ろうと思いますし、それによってお金持ちになることもできると思いますよ。 >>12
食うネル遊ぶは4000年前に発明されているぞ >>38
意味がわからない。
発明されてるからなに? >>37
あなたは楽しいことで何か生計をたててらっしゃいますか?
もしくはお金による呪縛から解放されましたか?
また、楽しいことをしたときに導かれた感覚、エピソードが有れば教えていただけると嬉しいです。
私も想像していたモノが不思議と目の前に現れたり、何かに導かれているような感覚を時折感じることがあるので、あなたのお話は興味深いです。 >>40
生計を立ててるというか資産が自然と増えるというか、お金を使うことが逆に使ってもらっていることだも思っている考えがあります。
ですので誰が誰にお金を出しているのかはよくわからないです。ただ時間の経過に伴って使ったお金と楽しいが増えてる実感はあります。
エピソード…例えば一見損してるように見えたことであっても実は後になってお金以上に得ていたものがある感覚を体感した時にこれは凄いなと自分で自分に驚きましたね。 コロナ・インフォデミックで露になった子供の不幸せ度(BEST TIMES) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/c65206e33a3068e1af5e90c4a25ea77d36bcface
月初旬、国連児童基金(ユニセフ)が先進・新興国の子供の幸福度の調査を公表し、「精神的な幸福度」で日本は生活満足度の低さ、自殺率の高さから38ケ国中、37位。理由は学校のいじめや家庭内不和など(https://news.yahoo.co.jp/pickup/6370048)。それを受けて、5月からコロナの煽り報道を解説してきた元芸人の作家・松野大介氏が、コロナインフォデミックによる子供への悪影響に警鐘を鳴らす。 極論ですが、例えば人類全員が真理に気付いたらどんな世界になりますか? >>44
気づいたとしてもほとんど何も変わらないと思います。真理に気づいたからと言って人生が薔薇色になるわけでもないです。なぜならすでに薔薇色になってるのからです。 真理というものは人間だけに与えられたものですか?
動物や植物等はすでにそれを知っている存在ですか? >>47
わざわざそないないけずなこと書かんでエエのに。そんな悪口言ってまで構ってもらいたいんですか?恐らく心が満たされていない方なのでしょうね。 >>48
知りませんしわかりません。
なぜなら僕は動物や植物ではないからです。 >>48
人間のように複雑な思考ができる存在は、色々と余計なことを考えてしまうもので、なかなか真理というものに到達できないのです。
反対に、知能の低い存在は真理というものを本能で感じ取っています。
彼らは本能的に理解しているのです。 >>41
お答え下さりありがとうございます。
あと、37で「楽しいを本気で実践するとすべてがうまくいくような流れが自然界にはできている」
とありますが、
あまり取り沙汰されませんがこれには負の側面があると思います。
(例)
・趣味や仕事に熱中するあまり、周りの人間を疎かにする。
また、それによって社会や環境を汚染する可能性
・同志が集まると派閥、カルト教団等、閉鎖された空間が出来上がる可能性
・また、第二次世界大戦では科学者等個人の楽しい、興味のある分野を追求した結果、大量殺戮兵器が生まれた、
楽しいことを追求した結果、人的被害が出たらどうするのか?
あなたの言っていた内容だと上記の例、負の面に対しても、うまくいくような流れが自然界に出来ているように感じ取れるんですが、
どうお思いですか? >>52
あなたは負の側面があると思うんですね。
例えについて。
一つ目は全体の解に執着しすぎかもしれません。また人間が生きたらどうしても自然は破壊されます。だとするなら破壊した自然をより良い形で無駄なく使っては?
二つ目は本人が幸せならそれでいいです。
三つ目は発明者と使用者が違います。発明者が核を発明することで電力が生まれたでしょう?そうした意味では不幸とも言い切れないでしょう。 >>53
やりたいことがないなら何もやらなければ良いのでは? 何度も質問すみませんm(_ _)m
悟りには2段階あると仰られていましたが、それぞれの段階の感覚はどのような感じでしたか?
また、自分は趣味でモノ作りをしているのですが、
せっかく作品が出来ても日が経つうちに劣化してしまい、虚無感があります。
楽しいを追求しても、時間があるので作ったモノ、出会った人はすべて過ぎ去ってしまうのです。
私が求めている「楽しい」は一時的な楽しい、
ではなく時間を超えた永遠性、楽しかった思い出を何度も繰り返し味わえる楽しさです。
好きなことをして発展していくのではなくて、
子供の頃の新鮮な空気、初めてした体験を毎日味わえるような…
新しい、発展していく世界を見たいのではなくて、ずっと同じことをして安心していたいのです。
上記の内容は煩悩の塊ですが、
同じこと、思い出を繰り返し味わう楽しさ、というのは不可能なんでしょうか? こちらの側では、真理は足枷なのさ
ヒト世界が用意され、ヒトとして生きるべく産まれたなら、悲喜こもごも、経験を持って終わればいいのさ そうなんですよね、結局は躾や教育で我慢や努力を植え付けられたのですが、それらを取っ払って純粋に「楽しい」の世界に飛び込んでいいということですか? >>56
二段階の感覚とは、一回目は数学で言うと点対象で、第一象限から第三象限に移る感覚でした。二回目は線対象で第三象限から第四象限に移る感覚でしたね。
恐らく書かれている永続性のある楽しさというのが僕の書いているものです。興味があるというか、より良くして行こうとする発展性のあるものを指します。
例えば僕でしたら小さい頃にファミコンをしていましたがどうすれば短時間でクリアできるかとか高レベルで行けるかを常に考えていました。
それを体験するには興味関心に全力で当たることだと思っています。 >>55
生きたいとすら思えないのは流石に自分でもどうかと思うのですがこれはどうすればいいのでしょうか? >>57
常識や思い込みにとらわれる人にとって真理は確かに足枷かもしれないですね。
しかし常識や思い込みは論理的に突き詰めてくと実態のないものですからねえ。
わざわざないものをあるかのように考えて求めるのは無駄かもしれないなと僕は思っております。 >>58
何で本来実在しない躾とかする必要のない我慢とかしてるの?もっとサイコになっても良いのでは? >>60
かなり一つ目の悟りに近づいてる。
ただ僕が今言えることは、
「あなたは今、生きてる。」
ということ。
生きていることを味わえば
変わることのできる可能性はある。 あ!ひょっとして孤独であることは良くない事だと思ってたのですが、孤独でよいということでしょうか? >>63
全力で"ただ今"を生き、目の前の事に夢中になって取り組んでさえいれば、
頭の中の妄想である「時間、過去への執着、後悔、未来への不安、空間、世間体…etc」が
無くなり、発展していくということですか?
ただ、サイコになって頭で考えるのをやめて、動物のように楽しいことに夢中になれと?
これで質問最後ですー( ´∀`) >>64
どんなに悪いことと思っていても状態として孤独なのは変わらないのですから、その孤独の状態を認めて、味わい、使ってはいかがでしょう。 >>65
>全力で"ただ今"を生き、目の前の事に夢中になって取り組んでさえいれば、
>頭の中の妄想である「時間、過去への執着、後悔、未来への不安、空間、世間体…etc」が
無くなり、発展していくということですか?
そうです。
>ただ、サイコになって頭で考えるのをやめて、動物のように楽しいことに夢中になれと?
これは「妄想のない状態で行動していると他人から見たらサイコとして映る」ということです。 >>67
そう思われたなら是非実践してみましょう。 >>70
今の僕は自分の自殺に興味はないです。他人の自殺は自分のことではなく他人のことなので尚更興味がないです。 >>70
関連して書きますと、死は「生きている世界で存在がなくなること」です。それ以上でもそれ以下でもないです。 >>1 >>12
煽りとかじゃなく純粋な疑問なんだけど
どうしてそれを真理だと思った? 真理って言葉をどういう意味で使ってる? >>73
変わらない真のことという意味で使っていますし、仮説と実証で導きました。 >>74
思ったよりずっとまともな答えが返ってきて感心してる
実験の範囲は? >>76
今のところ僕と僕の周り合わせて合計するとn=30位かな。
一生かけて検証していくもんだから飽くまで今のところの暫定的な結果ではあるけど。
でも科学だって基本的に何かの前提の上に成り立ってる暫定的なものだから僕の今のところの結論も暫定でも構わんわな? >>76
科学的に客観性がないと言われるかもしれないけど、僕からすると他人の実験結果なんかどうでもよくて、僕の実験結果一つでいいと思ってはいます。
仮説を検証するための実験一回目は多少怖かったですけど、その時にそこそこの結果が得られましたから、それ以降はどうせ良くなるよねと思いながら実験してますね。 先日、合コンで出会った男性と「ニジマス釣りデート」に出掛けました。いい感じの青年だったので、最初はロマンチックな夜景を見た後、エッチできればと願っていました。だから、川に連れて行かれるなんてショックでした。
釣りに使うエサは私の苦手な毛虫ではなく、イクラだったのが救いでしたが、いくら待ってもお互いの竿にはまったく反応がありません。
おまけにオシッコがしたくなって、川から離れた場所に移動すると、彼が心配そうな顔をしながらついて来たのです。
「この奥にはヘビがいて、女性のアソコに入りたがるから近くで見守るね」
確かに昔、そんな話を聞いたような…。抵抗はあったけど、命に関わることなのでお願いするしかなかったんです。
早く終わりたくて力むと、すごい勢いでオシッコが飛びます。無意識に下を向くと、遠くにいたはずの彼が真後ろにいて、私の恥ずかしい姿を凝視していたのです。
「いや〜っ、何してるの」
「ヘビが下から入らないように近くで守っている」
しかし、目はギラギラしているし、性欲全開状態なのが分かります。
「エッチ! 一番怖いのは、あなたの股間に住むヘビでしょ?」
「アハハ、バレちゃったらしょうがねえな」
彼は仰向けに寝て「和式便器になる」と強引に真下に入ります。突然の出来事に戸惑うものの、オシッコはすぐに止められず、彼の顔にかけてしまいました。
すると「おいしい」と言いながら、ペロペロと花びら全体を舐めます。思わず感じて声を出すと、彼は体を前にずらし、勃起したコブラを膣口に当てました。
ここまで挑発されたら、もう我慢できません。私はジーンズとショーツを脱ぎ捨て、カリの張ったコブラを根本まで食べてしまいました。
川のせせらぎにあえぎ声はかき消され、私たちの痴態を覗いているのはウグイスと太陽だけ。
自然と一体になった開放感が快楽を増幅させているのか、彼がイッても激しい腰の振りを止められません。女がエッチで主導権を握るのって最高に気持ちいい!
私たちは体の相性がよかったみたいで、この日をきっかけに感じ合える体になりました。今ではピラニアのように彼の股間に食いついています。 お釈迦様とキリスト様もハーバード大学で工学と理学を学んで悟りを開かれました 人間やってる間に起こること全部楽しめたら
そりゃ幸せだよな >>82
自分の考えがあやふやなうちは難しいかもしれませんが
世の中の出来事や見方は自分の考え方の中にしかありませんから
自分の考えを変えることでそうなれる可能性はありますよ。 マラソンなどをやってると訪れるランナーズハイという状態。楽しい、幸せ、どこまでも走っていける、ここにいるランナーみんな仲間!みたいな多幸感を常に感じながら生きれるってこと? >>84
二段階目の悟りの行きつく場合
最終的にはそうなりますね。
しかしそうでなくとも第一段階目では
少なくとも「他人と自分とを分け」て、
他人はどうあれ「自分は満足する」ことはします。 基本的に世の中は人間にとって理不尽です。
人間にとって理不尽なことが世の中であり自然だからです。
逆になんでも想定通りだったりあるいは予定通りだったのなら
それは自然ではなく「作られたもの」であることが言えます。 >>36
>それら伝説を自分の生きる場面にうまく取り入れると
>世の中のなりたちとか、
>なぜ不条理が起きるのかとか、
>不条理をどう乗り越えたら幸せになれるか、
>が論理を使うことで解釈できました。
何か具体例で
不条理を乗り越える方法の説明をお願いします
最近起きた事件などで言えば
祖父に殺された女子高生の例や
キャンプ場に行って、小さな娘さんが行方不明になった未だに帰らない例などは
如何でしょう?
もう少し社会的になれば、
コロナウイルスのパンデミック状態やが人類に与える機器などについて
この3例で不条理を乗り越える在り方の具体例をお示しください >>87
それら事例はすべて外から起こった災害と見ます。
己に降りかかった災害ならそれを受け入れるのが幸せへのはじまりです。
また他人に起こったことは不幸であったと思えるけれども
自分のことではないので認知して怒るだけ無駄です。
自分の関与できないことをああでもないこうでもないと考えるのはしんどいと思うだろうからです。
本当に何とかしたいと思う人ならば自分でリスクをとって何らかの行動をして幸せになるようにします。 >>88
あなたがわかるならあなたが翻訳すればいい。 悟りの悟り臭きは上悟りにあらず
自分の悟りを見せびらかせてるようではまだまだ >>1のレスからは無理を感じる
今の自分を肯定したい、肯定されたい、という願望が、レスの端々に表れているからね
この手の子は今迄に沢山観てきた
その子らに「大丈夫、君が君の思う通りに幸せなら、それで良いんだよ」とレスをすると大半が発狂する
発狂する理由は、>>1が>>1の考え方を100%肯定していないから、迷いがあるから、なんですね
悟ると悟ってない他人からはサイコ(パス)に見える、と>>1が語っている事にこそ、
>>1の真理状態が如実に現れているんだよね サイコ(パス)に見える=異常者に見える
この表現を使わざるを得ない時点で、悟っていないんだわ
>>1は、他者、常識、固定概念、という枠組みから外れることが悟りの状態のように感じ、
それを「他者の常識や固定概念を壊してあげる為」に、ネットを使って辻説法をしている
これは、未だ悟れてない修行僧、道を模索している修行僧がやる行為そのものなんだよね
学ぶに学んだ、考えに考え抜いた、経験に経験を重ねた、その上で私は悟ったのだ!
と、>>1は自分以外に言いたい、知ってほしい、認めてほしい、だからスレを立てたわけだ
で、その行為はサイコですか?普通人と変わりませんよね?=自己矛盾
また、無我、色即是空のどちらかだけでも至ったならスレなんかは立てませんよね
よって、悟った気になってる>>1だけど誰か助けて!という、
悲鳴に似た救いを求める行為をしているんですよ
でもね、助けません
>>1は無残に飛び散るのです >>92
>>93
君は想像力たくましいね。その想像力活かして小説家やフィクション作家になってはいかが? 悟りって具体的にどんな悟りなんだ?
真理を知ってるなら>>94みたいに争いを招く発言はできれば控えてもらいたいけど
もちろんイエスですら人と争ったことはあるからときには間違いではないのかもしれないけど >>95
争いを招いているわけではなく、事実を示しているだけですよ。それにどちらかと言うとプラスの意味で書いていますし。
仮に事実の示すことやプラスだと思っていることをマイナスにとらえたり「争いだ」と言うのであれば、それこそ考え方に歪みがある可能性がありますよ。 >>94
小説家とフィクション作家の違いを
教えてください。 >>98
小説作家はストーリーがある想像的なもの
フィクション作品は想像的なもの
という認識を僕はもっていました。
どちらも同じようなものだといわれれば
確かにそうかもしれませんね。 悟りを開いた時に、光は見ましたでしょうか?
また、二段階とおっしゃってますが世の中は五段階と言われております。
二段階では、まだまだ不安定でエゴが完全に捨て切れることはなく、戻る事もあるかと思いますが、その辺はどうでしょうか? 1・幼少期に虫やアリの巣を潰すことに夢中で楽しんでいる子供達は悟っているんだろうか?
2・「楽しいを本気で実践するとすべてがうまくいくような流れが自然界にはできている」
→その結果、お金を集めることが得意で且つ夢中になっている富裕層と貧民層の間に二極化、
歪みが生じていない?
3・レス23で「九州の方は約束を守りやすい人が多い」 とあるが、
悟ってサイコになっているならば「約束を守りやすい」というジャッジはいらないのでは?
4・ここでスレを立てても人の役には立てるだろうが、悟り自体を文字で説明することは不可能ではないか?
5・他に悟っている人を見たり、会ったりしたことはありますか?
回答をお願い致します。 >>100
別に逸脱はする必要ないのではありませんか? >>102
光は見えませんでした。ただ世の中の一つ一つのパズルのピースがきれいにパズルの型にはまるような、そんな爽快感のようなものはありましたね。
その5つあったというのは誰がいついったんですか?それは本当なのですか?実は噂で聞いているだけで本当は間違いの可能性はないですか?と言うことを考えます。 >>103
1はものや生物を無駄殺している過程だね。報いはあとで受けます。
2は「勝ちと負け」という二極化が起こらず、「まあ良い」と「まあ良い」が生まれるので矛盾しません。
3あまり知っていないのかもしれないけど世界はサイコパスによって動かされてるの。実はサイコパスか世界を作れるの。
4気がつく人がいればいいかなと思ってます。万人に気づいてもらうつもりはないです。
5悟りをひらいた人にどんな状態か聞いてみたっていう海外の記事を前に見て、概ね彼らの考えを理解できたから恐らく世の中には少数だけど存在はしていると思います。日本で僕ほどの人にあったことはないです。 普通の人は良くも悪くもサイコパスの人と接すると変な感じを受けるでしょう?
その変な感じ、即ち居心地の悪さや気持ちの悪さを感じるということは、すでにそのサイコパスの人の影響を受けてしまっているんです。つまり心理的に混乱状態に陥ってるわけ。
その混乱状態に陥った時に外部から何らかの刺激を受けるとそのに刺激に応じて反応してしまうという特徴があるの。だからサイコパス度合いが高いサイコパスな人ほど世にいるたくさんの普通な人が影響されてしまうんです。 10歳くらい歳上のお姉さんに「まだ童貞なの?私が貰ってあげる…」とか言われながら筆下ろしされる妄想してる >>110
妄想は来世に反映される
しかし、この世は上昇するので今世で反映されるようになるだろう タイムラグを修正中ピコピコピコピコ
想像はその場で起こるのが自然だろうどう考えても
状況は日々めまぐるしく変わるというのに
タイムラグありすぎなんだよヴォケ 世界がそうだからと言って納得するほど俺は甘くない
俺が間違ってるんじゃなくて世界が間違ってるんだ
宇宙人や神やその他諸々
俺に従え そもそも人間ばっかり学んだり従ったり
おかしいと思わないか?
魂の学校とか言う者もいるが学校なんていらないんだよ
俺たちのどこが間違ってるんだ
どこも間違っていない
自分が間違っているから望みが叶わないという発想がどこから来たかを考えれば
ここが学校ではなく家畜小屋であることが分かる
あらゆる望みは無条件かつ即座に叶えられるべきだ
というか俺は別に誰が頂点でもいいと思うわけだよ
君等の誰かでもいいし俺でもいいし
どんな謀略にも影響されない全うさを有しているのであれば誰でも この宇宙は在り方を少々正さねばならない
そう思わないか?
その想いから宗教やスピリチュアルが出来た
ただ一つ違うのは今度は
誰かがやってくれるのではなくて自分自身の意思で
世界がどうだろうと宇宙がどうだろうと
おかしいことにはハッキリとNOを突き付け決して従わない
変態について行ってはいけないように
ついていけばまもとな者ほど苦しむ世界が目に見えてる
何よりも今がそうだ
そして今は無力でも「まともさ」を明け渡さなければ
やがてはそれが大きな力になっていく 死んだら輪廻転生するよ
地球にまた生まれる人は稀です
大体は地球人が知らない遠くの星でまた何かに生まれ変わります
しかし悪人は悪人しか居ない最悪な星に幽閉されます
光を吸収する暗くて怖いあの星にね >>110
ご自分がその妄想をしてて幸せならそれはそれで良いのでは? >>109
本人がおろかだなあ思っているのか、
一般的な感覚からしておろかなのか、
どちらのケースかわからないから。 >>116
自分が死後の世界を決めているわけでないのにそれがなぜわかる?
自分は自分のことしか知れず生きてる現世においても基本的に他人のことはどんなに血の繋がりが濃くてもいくら長く接していてもわかるはずがないのに。
ましてや死後のことなんて体験したことないのにわかるはずがない。 >>105
ありがとうございます。
パズルの型にピースがはまった。ということですが、そのパズル本体は何なのでしょうか?
無いものをあるとして説明するのはとても難しいと思いますが、言葉であらわすとしたらそれは真理なのでしょうか?
また、5つというのはまさにその通りです。どこぞの悟りを研究してる方の一つの結果となります。
それは、そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。と私は思っております。
この世に間違いという概念はあるのでしょうか?そもそも、無であり陽は陰と隣り合わせであると私は今の段階では思いますが、そのあたりどのように思いますか?
因みに、私は悟っている状態ではなくただ学び、あ〜そうか〜という感じです。
体験や、本、人から聞いて、なるほど先人が言う事はそう言う事か!とかそんな感じです。
それは、数学の難しい問題が解けた時と似ています。
しかし、解けただけでその問題がなぜこの世にあるのか?という答えは出せない状態に似ています。
因みに、私は悟っている状態ではなくただ学び、あ〜そうか〜という感じです。(続) >>105
(続)
それは、数学の難しい問題が解けた時と似ています。
しかし、解けただけでその問題がなぜこの世にあるのか?という答えは出せない状態に似ています。 >>121
パズルの本体は自然ですね。
そして世の中物事は陰陽両面あるのはその通りで、それを考えると本来間違いと思われるようなことでも実は間違いではない、ということがわかると思います。
世の中は結局「自分か」「自分以外か」しかないんですよ。前者は第一段階目の悟りでわかり、後者は第二段階目の悟りでわかります。
通常科学がすべてだとを思うと自然も問題も一見「なぜ」が解明できるかのような錯覚にとらわれますが、実は人間がそうした「なぜ」を考える前にそこにはただ「ある」やただ「存在する」があります。あったり存在するのがなぜの前にあるとすると、それを考える意味がなくないですか? >>123
文章が(。-∀-)メモ貼り付けしたらおかしくなってしまいました。
読むのにお手数おかけしました。
なぜの前にあるとすると、たしかにそうかもしれません!
もう一つ違う質問なのですが、幼少期で悟りを開くというのはあり得るのでしょうか?または、どこかで伺ったことはありますか? >>124
仮にそうだとしてそこから前向きに立ち上がったとするならそれは第一段階目の悟りの可能性がありますね。ただ死んだわけではないでしょう? 心理って当然のことが当然とわかったってはなし?おめでとう。 >>125
幼少期で悟ることもあり得ないこともないとは思います。ですが小さい頃や若い頃はまだ体験をしてもそれを適切に把握したり言語化できたりはしないのでないですか?わかりませんが。
それに実際釈迦も36才で悟ったと言われてますし、キリストだって幼少期は大工とかしていてキリストが覚醒しだしたのも年取ってからでしたよね? >>127
心理でなくて真理ね。
そうねありがとう。 >>128
ありがとうございます。やはり、見聞したことはございませんか。
例えば、物心ついたころ4歳位ですでに、「僕は僕、友達は友達。友達が何かで悲しんでいたとしても、それは友達のことであり、それ以上でもそれ以下のことはない」
と、自分と他人を分けられていたとしたら、それはどうなのでしょうか?
また、他人の評価を全く気にせずあるがまま、なるがままに楽しく生きようとしています。
しかし、この排他的な現時点での社会性を考えると、とてもじゃないけどこれを貫き通すのは、難しい環境と言わざるを得ません。
育っていく中で、社会のエゴにまみれてしまい自分を見失ってしまうとかは、考えられますか? >>130
確かにそうした方はいるかもしれません。
例えば人口の多いインドとかなら。
しかし果たして
子供がそういう発言をしたとして
大人がまともに扱うでしょうか。
また例え悟った発言をしていても
大人になるまでに忘れるのではないですか? >>130
良く頭の良い子は小さいうちから
積極的に育てた方が良いという論調で
子供に学位与えたり
子供に起業させたり
するケースはありますけど
子供の時の優秀さのまま
大人になるケースはあるんですかね?
ある意味小さい頃から子供を大人扱いすると
その子らしさを殺す意味で
虐待なのではないですか?
もちろん本人がそれを望んでいたら
最終的にはいいのかもしれませんけど
本人が本当に望んでいると
何をもって評価しますか?
という議論になりそうな気がします。 >>131
ありがとうございます。なるほど!インドなら個を尊重しますし、そのまま育っている子もいるかもしれませんね。
少し探してみます。
因みに、子供がそういう発言をしたとして大人はまともに扱うというより、協調性のない子をどのように協調させるかという悩みを持ちます。
悩みは持ちますが、そのうちこの子はこういう子と周りが勝手に優しくなるので、あまり問題はありません。
また、忘れるとか忘れないという事ではなく、心の声を聴くとそのようにしか思うことが出来ないのです。ですので、忘れることはありません。(例えとしていますが、経験上の話です。すでに17歳となりました)
悟りに関しては、頭がいいとかは別だと思いますが…積極的に育てるというのはそもそも大人のエゴにしかなりませんし、ただの執着と押しつけです。
>>1さんのように、ただ楽しく幸せにという思いの元に生きたいということを、すでに幼少期に悟っているだけです。
子供を大人扱いするというのではなく、子供の気持ちを尊重するということですので、虐待とは全く違うのでは?と思いますが、そもそも世の中的にいろいろと難しいですが。
色々とありがとうございました。少しインドから情報を探してきます。 結論から言うと、>>1は悟ってない
>>1は自分の言動の全てを肯定し、思うままに生きることができる状況にあるようだが、それ即ち悟りではない
その事に>>1も気付いてはいる
自由気まま、何者にも介入されない自由、それを謳歌した上でなお、このスレを立てた事が全て
これは悟りなのか?今は正しいのか?
そういう煩悩が有るからスレを立て、確認をしているのが>>1だ 悟りに至る是非を問うつもりは無い
だが>>1が悟りに至って無いことは、読んだ人間が皆わかることである、とは>>1に伝えてあげたい
伝えた後、いいや自分は悟っているんだ、と思い込むのは自由だ
それもまた悟る為に必要な階段なのかもしれないからね
しかしながら、悟っていないのだから質問を集う事は無意味なのだ、と理解はしてもらいたい
つまり>>1は、悟る為の仲間を集う時期ということ 本当に悟ってるのかは微妙だと思うけどある程度は悟ってると思う
ただ、中途半端に悟りを得ると魔境に入る可能性があるらしい
つまり自惚れてしまう 悟るっつう言い方がアホみたいで嫌い
何を悟ったんだよって話
自由に目覚めるとかの方がいい もうな、教えも学びもいらないんだよ
その時代は終わった それが不安な人はどっかの神に所属すればいいし
それもまた自由
でもいつかは自分で決めたいやんか宇宙の法則とか
もう泣き寝入りする事も
誰かが決めた大きなものに自分を合わす必要もない
結局それって本当の自分じゃないやん? 善悪を超えうるのは意志だけ
善悪もそこから生まれた
誰かの承認とかも必要ない
だけど誰かの世界で生きる限り承認が必要になる
たとえそれが崇高な存在と呼ばれるものであっても
楽ではあるけどね
従ってさえいれば全てが与えられるから でもそんなのは残念ながら自由の味を知らないと言わざるを得ない
知ってしまえば二度と戻れない 俺から言わせればこの宇宙はダメダメだよ
やっぱ俺じゃないとな
何が本当の正義かを俺が教えてやる
そして神は俺から学ぶ
全てを調和へと導く術を そのためにここにやってきたが
これまで見てきて思ったのはあまりに犠牲が多すぎる事
こんなのは素人の仕事だ >>1 理不尽を超える為に神話を当てはめるの意味が分からない
詳細の説明を >>150
神話や古典宗教は自然をどう扱うかが物語形式で伝えられたものなんです。ようは先人達の知恵や経験の集積でもあるわけ。
知恵や経験の集積という意味では今の科学論文に似た部分はあって、だからこそそれを「使う」ことで自然へ活かすことができるわけ、崇めたり有り難がったりするだけではなく使うことか重要なの。
理不尽がなぜ起きているのかが解明できるヒントとなる意味でも面白いし、どうすれば興味深くいつづけられるかを考えるヒントにもなるから知っておいて損はないわけ。ただし一つに執着するでなく複数知った方がいいね。
例えば宗教ではカトリック系キリスト教と仏教とでは同じ発祥元でも考え方の源流が違うから、お互いを良いように使うことで理不尽を乗り越えたり自分の幸せに役立てられる可能性があるわけ。 自分の価値観を人に押し付けるのはどうなんかなやな。 真理あるよ。
オカルトの世界に殆ど何も無いということ。 >>156
いまGoogleで見てみましたけど、いわゆる絶望からの立ち上がりってことかな?だもするなら遭ったかもしれませんね。そんな名前をつけるほどのことでもないような気はしますけど。 働きたければ働けば良いですし、
働きたくなければ働かなくても良いです。
ただ目の前のことに全力に当たった方がいいとは思います。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています