この頃のノイズ禅師は、魂のこもってない土偶のようですね。
なぜに、行き違いをなされ、己が進退を、海窮壇で止めなさるか。
王ご自身、鏡と言うのを、ご存知かな?
左右対称性があって、片方が良くても駄目で、もう片方だけ良くても駄目で、
両方綺麗にシンメトリー揃わないと、ホントの鏡面にはなりません。
昔、陰陽道を司る陰陽師がいたそうな。
王(メイス=イエス=ノイズ)も、また役小角であるなら、
陰陽道の根幹となる鏡面壁鎖くらいは解られててもいいもの
そも、諸仏は、鏡の反射(反社)で遊ぶと言うもの。
セオリーに沿う生き方しか出来ないからアウトローの気持ちが解らないのと同じように、われわれが悟りを開いてた、当初から、王は、鏡の反射の魔力くらいのことは、
解っていたように思います。
もしや、ホントに原質がないとお思いですか?
末法の一尾に到るまで法は行き届いてると言う、
黄河余暇の頃を忘れたのですか?
黄河余暇の頃、いつも、記憶をスライドして、千形模写をして、
楽しんでいたではないですか?
平家那戸されど黄河余暇。
古今唐の頃さえ思い出せぬようなら、
一度、黄河余暇の頃から遡ったら如何ですか?
唯物曹操、唯物曹操、釈迦裸牟尼〔しゃきゃらむに〕、
我ら仏世尊に帰依して遠く釈迦裸牟尼阿の頃を思う。
王、全阿に帰依して、何故に王阿に帰依したらん。
若斑合社の人道、無道、共に、王直下の護衛となること、
ここ〔日本領〕に誓う。