>>332>>397
平将常や秩父氏やその一族についてのお話をして来ましたのでそれについてちょっと。

桓武平氏初代・平高望の次男である平良持。
その平良持の長男が平将門です。
一方、平高望の末子であるのが村岡五郎平良文です。
この、平将門と、村岡五郎平良文とは
甥ー叔父の関係ですが、
良文が高望の末子であったことから両者は
年齢は同年代、もしかしたら甥である将門の方が上であったかもしれないとも言われております。
この、平将門の娘である春姫と、
平良文の息子である平忠頼とが結婚して生まれたのが
>>332で述べました
平忠常と平将常の兄弟です。
そしてこの二人の兄弟の子孫が、やはり>>332で述べましたように、日本を代表する北辰妙見神信仰の家々になって行くわけです。
ここで、弟の平忠頼の方にちょっと注目したいのですが、
この平忠頼は秩父氏や秩父一族の祖になるわけですが、
やはり上で述べましたように、当時の招婿婚(妻問い婚)の習慣から、平忠頼は秩父地方の首長である知々夫国造家の子孫に招婿婚で婿入りした、
と考えるのが妥当であると思います。