【戦国・前世】415総合51
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
〜あらすじ〜
夢で見ていた話を投下してくれていたレス番415・・・
まったり415を待つスレとして発生したこのスレですが、
突如として現れた前世お市を名乗る女とそれに憑いている自称織田信長の霊!
415を取り込むべき所属団体と共にスレに殴り込み!
ついでに恐ろしげな予言を残し消えたかに見えたお市だった。
その間もスレはお市による自演嵐に見舞われたが、415スレも元に戻り、平和が戻ったように見えた。
しかし自己サイトを引ひっさげお市が宣伝に再度現れお市自演で荒れたスレだったが、
飯サイトにはだれも興味を持たずスルーされた。
焦ったお市は燃料投下とばかり煽り、ついには裁判ネタまで出して頑張ったがスルーされまたまた逃亡w
再度サイトを宣伝に来ていたがスレ住民に完全スルーされていたのに、何を考えているのか呟きにあらわれた!
しかし満足なレス一つできずに散り、やはり意味不明な人だったがスレ住人は気にもとめなかった。
その後は謎の従妹やコテのお市情報があったがすぐに話題はかわり、
現在のスレは前世話や雑談をしつつ415を待つスレになっている。 スレ潰そうとしたり
前世話題で逆ギレしちゃう人、人が避けたがる話題を好む人は来ないでください。
前スレ
【戦国・前世】415総合50
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1559548985/ >>332付け足し
このエリアは、
投降蝦夷である俘囚が移された地でもあり、
寛平・延喜期に、国家に対して大暴れした地でもあります。
それを鎮めるために派遣されたのが
藤原利仁将軍や、
平高望(桓武平氏の祖)等であると考えられています。
そんな彼らが
軍事貴族(兵の家枢錘m)の嚆矢になります。 気圧がめまぐるしく変わってグッタリでありんす( >д<) >>331
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
福島も災難が多いです >>335
そうなんですよね。
とくに我が墳墓の地(涙)
国造から和邇、阿倍
藤原の「変遷」を書きたいんですが、
なんとなく自粛しています。 でも鎮守府管轄領域以北なら分かるが、
仙道や海道に
まつろわぬ系譜ってあまり聞いたことがないんだよなあ…
むしろ海道の南の常陸の方が夜刀のようなまつろわぬ系譜がいた。
うーん、鬼渡系だろうか ∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
柿を食べましたぁ
めちゃくちゃ美味しかったので
三つも食べてしまいました 済州島人は元々人種的には縄文人ないしは倭人、
というのは本当なのだろうか?
確かに呉善花さんなんかは、半島人とは全然顔立ちが違って見えるが。 >>338
柿はわたしのところも産地です。
王禅寺柿というんですが、日本で始めての甘柿です。
アルコールなどで人工的に甘柿にしたわけではなく、鎌倉時代に
突然変異で誕生したものです。
色は茶色がかったりしてるし、形も一律ではないので、
正直、見かけは美味しそうには見えないのですが、切って
口に入れると見事に「裏切られ」ます(*^-^*)
もちろん、いい意味で^^ 神はどうして悪魔をぶっ殺さないんだろう?
バアルやその取り巻きなんてあんなのひと思いにやっちまえばいいのに(`ε´) >>339
_
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
昔、NHKの番組で
もろ日本人顔のおじいさんが
日本を罵倒していたのを見て
物凄い違和感を覚えました
でも、チェ・ホンマンみたいな
もろ半島っぽい見た目の人も
いますしね >>340
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
こっちはおけさ柿が有名です
渋柿です
新潟の柿は渋柿ばっかりだなぁ ∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
おけさ柿の栽培に尽力したのが
宮本常一です >>343
糖度は今では奈良のなんとか柿に抜かれてしまったそうですが。
その奈良の柿は人為的な細工はしないで甘い柿なのだろうか >>344
おお、あの高名な民俗学者ですか!
宮本常一はどこか
南方熊楠に通ずるものを感じますね ああ!!
わたしが死ぬほど大好きな
玉置浩一さんの歌番組が始まった
o(^^o)(o^^)oワクワク 第二代・綏靖天皇の和風諡号は、
神沼河耳命
と、なぜ
「沼河」
という越の渡来氏族風のお名前なのだろう?
母君は、媛蹈鞴五十鈴媛命のはずだが。
そして同媛命の
父君は和邇氏(伊勢都族)の八尋大熊和邇命、こと事代主命、
母君は鴨氏の玉櫛媛命(=勢夜陀多良比売命)
のはずだが・・・
『記紀』の系譜から見る限り、母系に渡来系を匂わす痕跡は見当たらないのに。
考えられるのは、
綏靖天皇の幼少時の養育氏族(のちの武家の世でいう乳母的な役割)にあてがわれたのが、大和朝廷に降伏して服属した越の氏族だった
ということか…
(。・_・。)ウーム >>342
元寇の時、済州島にはモンゴル人がかなり入り込んで来て住み着いています。
チェホンマンみたいな韃靼顔の済州人は
その末裔でしょうね。 >>342
それと、
済州島人の「反日」は多分に人工的に作られたものであるようですね。
呉善花さんの『スカートの風」に、それに関連することが書いてあったと思います。
済州人は、もともと日系(縄文人/倭人)民族であるが故に、ほっといたらすぐ日本に親和性を示してしまうので、
半島側からより徹底した反日教育を施された、
ということのようですね。 この時期から11月にかけてはわたしにとっては神社参拝は受難の時期だなぁ…
七五三の家族が多すぎて、
ご拝殿前で落ち着いてお祈りできない
祝詞も、短めの「神社拝詞」ですらとうてい無理(^^;) >>351
_
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
そうなんですね
日系民族だから
差別されたんですかね
今日はお祭りです
天照大御神の幟を立ててきました >>353
>日系民族だから
差別されたんですかね
そのように読んだ記憶があります。
済州人は歴史を通して半島トンスル側に対して反逆的で、
それで半島トンスル人側から恐れられて、徹底的に差別されたようですね。 tvkでダルクのことやってる…
見てるか!宮司!
お前の将来行くところだ!! ■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
今日は雨だったんですが
宮入りのときにだけ
日が差しました
日本酒が効いて
なんとか酷い目にあうことを
回避できました
結局、二本飲んだんですが・・・ >>353
きょうは稚日女様が目に入ってくるシンクロがありました(*^-^*)
>>356
>今日は雨だったんですが
>宮入りのときにだけ
>日が差しました
さすが大神様ですo(^-^)o
かつて、総社様の例大祭に出た時に
まったく同じことがありました。
そして、例大祭が終わった途端、まるでそれまでの分を空中に貯めていたかのようにドッと降り出しました。
そして
無事に終えられましてなによりでした^^ >>357
∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
ありがとうございます
>稚日女様が目に入ってくるシンクロ
とはどういうことですか? >>358
いえ大したことじゃありません。
独立U局のデジタル番組表を見ていたら『ええじゃないか』という番組で生田神社のことをやるという番組説明が出ていたのでソッコーかけたのです^^
でも、ご祭神の稚日女命は、天照大神の幼少時のお名前とか、
あるいは天照大神の妹君のお名前とか言われていますので、
>>353
とシンクロしているな
と思い書きました(*^-^*) _
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
同行者が足を怪我したので
旅行はキャンセルになるかもしれません
せっかく、天気がよさそうなのになぁ(´・ω・`) デモで一度書けて、再び書けなくなったので
こんどはぬこからチャレンジ(・o・)ノ ■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
骨折はしていなかったので
行くことになりました デモから再びテスツ
>>364
良かったですねo(^-^)o
楽しんで行ってらっしゃいませ^^ 四ツ目犬は邪霊の分際で
なぜ
神の領域に達した御方(=正神)に噛みつくことが出来るのだろう
( ・_・)? >>365
∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
ありがとうございます
古いホテルでエレベーターないんですよね
小さいホテルで3階建てですけど・・・
電話して一人足を怪我しましたと言ったら
椅子を用意しますと言われました
部屋は2階で浴場は1階とのことです
高台にあるホテルなので
1階でも景色が良いみたいです _
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
今年はなかなか寒くならないなぁ >>368
こっちは昨夜すごく寒くなりました。
それでいて昼は蒸し暑い(-"-;)
温度差が激しくて“浮いて”います(>_<) >>369
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
こっちも夜は寒くなります
でも、例年よりは温かいかなぁ >>370
もう台風はゴメンです(>_<)
あとは今年は災害グッズ(寝袋とか)たくさん揃えたので
それ使って
例年爆上げになってた冬の電気代節約ですo(^-^)o ∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
首里城が燃えましたな >>372
いま「背景」をいろいろ考えていました。 _
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
今日はスーパーで
國盛の甘酒を買いましたぁ 流言飛語、風説の流布がしばらく飛び交うんだろうなあ…
事が落ち着くまでちょっと静観で行こう
( ・・)
でもこれがもし、
東大寺や法隆寺にまで「飛び火」したら、
さすがに日本人はブチギレて
鮮人/特亜駆除に本格的に動くだろうなあ( ・_・) >>374
そういや、数ヶ月前にパルから買った『國盛』、
しばらく寝かせて「ウマウマ」になってから飲みました(^O^) >>376
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
今、甘酒を飲みましたが
米の風味豊かでとても美味しかったです
「くにもり」と読んでましたけど、
「くにざかり」だということにも気づきました >>377
わたしはどぶろくでしたが、初めて口にした時は、甘酒か白酒の味がしました。それで「えっ!?」となったんですが、あとになって口の中でだんだん、どぶろく特有のコクのある味が広がって来て、「う〜ん、やるな!」となってはまりましたo(^-^)o
あと
わたしも「くにもり」だと思っていました(笑) ∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
これから宮城に行ってきます >>379
楽しいご旅行になりますように神に祈っています(*^-^*) >>381
志波彦神社と左宮と右宮と別宮を参拝しました 石巻の日和山というところに行ったら
鹿島御児神社という神社があったので
参拝してきました
おみくじも引いてしまいました >>384
巫さんが
「宮城県の名草戸畔」
についてのお話を聞かせてくださいました。
魔鬼女(まきめ)
と言うそうです。
つい先日、
巫さんのお友達である、
名草戸畔の著者の方
が仙台に行かれて講演された時に、
その話になったそうです。
そのお友達の方は、
我が氏神様での
奉納舞のメンバーの方でもあります。 >>384
石巻の蛇田小斎というところはわたしの先祖の別れが開発(かいほつ)氏族になって拓いた土地です >>385
_
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
宮崎県にも
名草戸畔の話が
あるんですね >>386
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
面白い名前の地名ですね >>387
∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
×宮崎県
○宮城県 _
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
鹿島御児神社は
奥州藤原氏が滅ぼされた後は
葛西氏に崇敬庇護されてきたみたいです >>385
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
魔鬼女は蝦夷だったんですかねぇ
違うのかな? ∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
しかし、石巻の
海岸付近の復興は
まだまだって感じだったなぁ >>387
わたしもまだ、理解があやふやなんですが、
どうもアテルイだか、その息子の大竹丸
だかの妻だった、ということのようです。
そして
坂上田村麻呂公による討伐を受けた、という伝承があるようですね。
招婿婚(妻問い婚)の時代ですので、
要するに、在地首長である女酋、
ということのようで、
そこが、名草戸畔とリンクして語られている
ということのようです。
わたしの理解があっていれば!
ですが。
>>388
最初の二文字を見た時はわたしも
(」゜□゜)」!となりました。
お住まいになられておられます方、大変失礼なことを申してしまい申し訳ございません
<(_ _)> >>390
鹿島「御児」
ということは、読んで字の如く
タケミカヅチ様の御子様がご祭神なんですか?
だったら金屋子様(天児屋根様)とも繋がってきそうです。
なんだかシンクロしまくりで、乗り物酔いのような感覚になってしまっています。 >>394
_
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
そうですね
武甕槌命と
鹿島天足別命の親子です >>394
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
なぜか、ウィキペディアの
鹿島御児神社のページの
鹿島天足別命のリンクをクリックすると
天児屋命のページに飛ばされます >>390
葛西氏は秩父氏の一族ですので
>>332で述べました
平将常の子孫にあたります。
仙台に星祭りが濃厚なのも道理なわけです。
ちなみに、
やはり平将常の子孫にして秩父一族である
河崎氏の氏神社も、
河崎氏の本拠地であった現在の神奈川県川崎市川崎区に御鎮座しているのですが、そこも、現在の主祭神はタケミカヅチ様です。
よって、どうも、
タケミカヅチ命様と北辰妙見神とはリンクするものがあるようですね。
この河崎氏の別れが
渋谷氏で、現在の東京都渋谷区一帯を本拠地とした氏族であり、
その渋谷氏の氏神社が、以前もお話しました
金王八幡宮です。 ∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
鹽竈神社、なぜか、
一番目立つ社殿で
人が多かったのは
武甕槌命と経津主命を祀る
左宮と右宮のある社殿だったなぁ >>391
いえ、合っていると思います。
わたしもそのように理解しています。 >>397
_
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
そうなんですねぇ
石巻の由来は鹿島・香取の両神宮祖神の
御子が共に命を受けて
開拓経営にあたり、
その乗船がたまたま石巻の沿岸に到着して
錨を操作した際に石を巻き上げたことから
来ているそうです ■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
塩竈で松島行きの遊覧船に乗ったら
当たり前ですが松島に行ってしまって
電車に乗って塩竈まで帰ってきました(笑)
てっきり、遊覧船は戻ってくるものと
思っていました(笑) >>400
石巻ですから牡鹿半島。
以前もお話しました通り、久米族和邇氏の「オガ」である可能性があると思います。
つまり
「鹿島、香取両大神の御子」
とは、
それに仮託した和邇氏が上陸し、
拓いた土地
ということなのではないでしょうか?
牡鹿半島といえば、
あの有名な道嶋宿禰嶋足公の本拠地だったわけで、
その道嶋氏の前姓は、
丸子氏です。
丸子
とは
わにこ。
すなわち、
富士山本宮浅間大社の旧社家である丸部(和邇部)氏とおなじく
「和邇のハラカラ」
という意味です。 >>402
∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
そうでしたねぇ
牡鹿郡でしたね _
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
富谷市にある鹿島天足別神社は
鹿島天足別命は祀られていなく
御祭神は武甕槌命・経津主命の
二神なんだなぁ
まぁ、神社名は明治時代に
付けられたものらしいですが・・・ 丸子
は、多摩川を挟んで東京と川崎市にまたがる地域にもこの地名のエリアがあるんですが、
そのうち、川崎市側が先日の台風19号で甚大な被害を受けました。
ちなみに、
この「丸子エリア」の東京側に御鎮座するのが、
いつぞや、もいんさんとわたしとの間で話題になりました田園調布浅間神社(多摩川浅間神社)です。
浅間神社と丸子地名ですので、
>>402
で述べましたように、この一帯はやはり
丸(和邇)一族が開発氏族であるのでしょう。
付近は武蔵国最古級の古墳群が築造された地でもありますが、
その被葬者は、以上述べて来ました経緯から
多摩川沿岸の開発氏族である和邇氏一族である、というのが当然のわたしの推論です。
武蔵国一宮神社が、
同、多摩川沿岸に御鎮座することとも整合性が取れます。
ちなみにこの多摩川浅間神社、
映画『シンゴジラ』
で自衛隊の本営が置かれた神社でもあります(笑) 以上、
東海、関東〜東北地方にかけての
和邇氏の敷衍は、
久米息長帯姫スメラミコト〜ホムタワケノスメラミコト〜ウヂノワキイラツコノスメラミコトにかけての治世に、
久米政権が東国に大きく版図を延ばした
ということと符合します。
また、
奥州仙道と武蔵国の国造が、
ともに和邇氏族である
丈部姓であることも見事にこれと符合いたします。 >>396
やっぱり…
なんかここ、
すごく霊的なものを感じています。 >>407
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
小高い山なので
津波が押し寄せたとき
多くの人命が救われたそうです >>332や>>397で
平将常や秩父氏やその一族についてのお話をして来ましたのでそれについてちょっと。
桓武平氏初代・平高望の次男である平良持。
その平良持の長男が平将門です。
一方、平高望の末子であるのが村岡五郎平良文です。
この、平将門と、村岡五郎平良文とは
甥ー叔父の関係ですが、
良文が高望の末子であったことから両者は
年齢は同年代、もしかしたら甥である将門の方が上であったかもしれないとも言われております。
この、平将門の娘である春姫と、
平良文の息子である平忠頼とが結婚して生まれたのが
>>332で述べました
平忠常と平将常の兄弟です。
そしてこの二人の兄弟の子孫が、やはり>>332で述べましたように、日本を代表する北辰妙見神信仰の家々になって行くわけです。
ここで、弟の平忠頼の方にちょっと注目したいのですが、
この平忠頼は秩父氏や秩父一族の祖になるわけですが、
やはり上で述べましたように、当時の招婿婚(妻問い婚)の習慣から、平忠頼は秩父地方の首長である知々夫国造家の子孫に招婿婚で婿入りした、
と考えるのが妥当であると思います。 >>409つづき
したがって、
武蔵国四宮である延喜式内社・秩父神社は、北辰妙見神を主祭神として長く祀ってきました。
現在は、「お約束」で天御中主神が主神となっております。
しかし、先述しましたように、秩父氏の母系(=基底)氏族は知々夫国造氏であり、
この知々夫国造氏は、高皇産霊命の裔・天下春命の児である知々夫比古命を祖としております。
この天下春命が、
なにゆえか、わたしの氏神様に瀬織津姫命とともに主祭神としてお祀りされていることに大変、興味を覚えている次第なのです。 >>408
そうですか
それは本当に良かったです!
創建が貞観の大地震の直後なのでしょうか?
東北大の今村教授が述べられていましたよね。
古い神社が、
“津波が来るのはここまで”
という目印になっている
と。 >>411
∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
今の地に遷座したのは
享保19年とのことです >>411
_
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
貞観の時代はどこにあったのか
わからないですね〜
永仁年中に山の南麓に移したと
されていますが・・・ >>412
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
享保20年の間違いでした ∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
ああ、今の場所が旧社地なんですね
ということは、貞観以前にすでに
現在地に鎮座していたということです _
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
じゃー、葛西氏の関係者が
永仁年中に南麓に遷座したと・・・
南麓だから津波が来たら
やられてたんじゃないかなぁ・・・ >>416
旧社地に戻されて幸いでした(*^-^*) 天美津玉照様ってのはあれかなあ?
タケミカヅチ様の娘君様だったのかなあ?
そう考えると、
息長と中臣が、属性が同じ雷であることが確かに説明がつくんですけど。 >>417
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
ああ、すいません
ブログとか見ると
創建は牡鹿郡真野村であったという説が
あるみたいですね >>418
∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
天児屋根命の妻ですね 和邇氏から尾張氏(伊都之尾羽張)が分岐したと考えていますが、
正確には、
あいだに息長氏を挟んでいるかもしれない。
そう考えると、
彌彦様が尾張氏系の神社でありながら、
鎮魂祭を中臣氏流で行うことの説明もつきます。 >>419
>真野
って和邇氏族の名前なんですよ。
やはり!
>>420
はい。
つまり、
天忍熊根様(春日若宮様)のお母君です。 >>422
_
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
おお、そうなんですね
それはすごい
福島県の現在の相馬市鹿島町が
「真野の萱原」であると定説になっているようですね
佐渡に真野鶴という日本酒がありますが、
これも和邇氏と関係あるのかなぁ・・・ >>409訂正
ここで、弟の平忠頼の方にちょっと注目したいのですが、
この平忠頼は秩父氏や秩父一族の祖になるわけですが、
やはり上で述べましたように、当時の招婿婚(妻問い婚)の習慣から、平忠頼は秩父地方の首長である知々夫国造家の子孫に招婿婚で婿入りした、
と考えるのが妥当であると思います ×
↓
ここで、弟の平将常の方にちょっと注目したいのですが、
この平将常は秩父氏や秩父一族の祖になるわけですが、
やはり上で述べましたように、当時の招婿婚(妻問い婚)の習慣から、平将常は秩父地方の首長である知々夫国造家の子孫に招婿婚で婿入りした、
と考えるのが妥当であると思います ○ >>423
真野川沿いなんですね。
「鹿島/真野」
ズバリ!
です。
田村地方(田村郡)の保名や郷名を見ても、「小野」とか和邇氏系がズラリ!
ですし^^
それから
石巻の真野
には
長谷寺(ちょうこくじ)というお寺があって
なんだか「意味深」なものを感じていますo(^-^)o うちの先祖は伊達家に行く前は相馬だったんだよなぁ…
相馬に磯部という地があるんですが
戦国時代の先祖は磯部城主でした。 >>425
∠. ̄~\×
.〜/ 【】【】【】
| l`・ω・l
ヽ  ̄ ̄/
/ し─J
長谷寺は曹洞宗で
十一面観音菩薩があるんですね
奈良の長谷寺と関係あるのかなぁ >>427
さっき(夜中)も、なにかを調べていたら
「はつせ」
という語に突き当たって、ちょっと感じるものがあったんです。 >>426
_
/;;;人
. /;;/ハヽヽ
/;;ノ´・ω・)ゞ
/////yミミ
し─J
城主ですか〜
すごいですね〜
先祖がはっきりしていて
羨ましいです >>429
でもある事があって当時の領地の多くを大幅に召し上げられて、それで怒り狂って伊達家に行ったんです。 >>430補足
ちなみに、
うちは仇討ちの家系
ということを過去ログで幾度か書いて来ましたが、
そのことも>>430にまつわることです。 >>430
■■■
.._■■■_
( ´・ω・) ∫
く. ヽ¶/ρ━
. し─J
そうなんですね
宮城は伊達政宗だらけでした
だて正夢という米もありました(笑)
でも、なぜか、松島で
新選組の格好をした外人がいました(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています