ムーンサリンパワー
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私は遂に悟りの境地に達する事が出来た。
私はこれをゲダツオッケーと呼称して居る。
この、ゲダツオッケーをする為のテクを今から皆さんに余す所無くお教えしようと思う。
ゲダツオッケーをする為の力、それこそがムーンサリンパワーなのである!!
では、そのムーンサリンパワーとは一体何か!? 野茂は、無口で有名である。
これは日本男児の一つの姿であると言って良いだろう。
無言実行タイプである。
これはあれこれ考えたり喋ったりせずにただ、黙々と行動あるのみと言う、
思考を放棄して行動時の感覚感情に浸ると言う、
禅の極意なのだろう。
昔から、日本には男は黙して語らず只実行あるのみと言う美徳概念が日本には有った。
これも禅の極意の賜物であろう。 馬鹿に成ると天才に成る場合が有る。
これはパトグラフィとか言う精神病理を分析する分野とかで研究されているとか言う話を
昔、どこかの本で読んだ事が有る。
多重人格者、サヴァン症候群、自閉症、読字障害者(アインシュタインやエジソン等)
これはら時には天才に成ってしまう事が有る。
ある意味馬鹿に成る事が天才に成る事でも有るのだ。 負の心は基本的に持つべきではない。
しかし、時には負の心が天才への道に成る時もある。
負の心から逃れる為にハイの嗜癖を全力で行う様に成るからである。
ハイの嗜癖に飢え全力で行動する様に成る。
優れた芸術家等はこの様に、ハイを嗜癖し、中毒者に成るほどのめり込むが、
それは心のどこかにある負の心理から逃げようとする動悸がどこかに在る場合もある。 風呂へ入った時に、ムーンサリンパワーを駆使してより深くリラックスするのも良い事だ。
風呂の内部では水圧を皮膚へ感じる。
その為に全身の末端へと弛緩の気が行ってるかどうかが良く解る様に成る。
血流が行届く脈の感覚、ドクッドクッと言う感覚が良く感じれる様に成る。
そして、弛緩の気が行くと、その感覚がより強く成るので自分で弛緩出来てるかどうかが良く解る様に成る。
風呂は暖かいので気持ちが落ち着きやすいと言うのもある。
風呂で、ムーンサリンパワーの気を練るのも良い事である。 日本人は科学文明を作れなかった。
日本人は良くいわれる様に斬新な発明や発見はできないと言われている。
西洋から見ればサルまねのイエローモンキーだと言われてしまう。
それに今の学校教育は、良くいわれる様に只管暗記、記憶、計算の正確さ、
など、下らん低レベルの脳の能力しか教え鍛えてくれない。
実際、考える力そのものは教える事もテストをする事も難しい。
地震兵器スレのコピペ君見たいな、
只管他者の言葉を引用し、己では何一つ考える事が出来ない馬鹿に成ってしまう。
コピペ君は馬鹿だから引用しかできないし、自分の考えはゼロ。
しかも、2,3行ずつコマ切れにコピペして、そのレス数の多さを誇ると言う可哀想な頭の
人物であった。
しかし、こうなるのも、元々日本人が自分独自で考えると言う主体性自立性を持って居ない民族だからであり、
そして、同調圧力が強く、何時も他者の顔色をうかがい、何一つ己では考え無いと言う、性質があり、
その上学校教育では何一つ考える力を教えてくれないと言う今の世の中の影響もある。 そこで、ムーンサリンパワーである。
先程の弛緩の中に発明、発見のコツがあると書いた様に、
脳の中心へ気を送って試して見て欲しい。
その前に精神的に主体性、自立性を高めて、自分の考えで自分は行動すると言う、
人格を養う事が大切かも知れない。 日月神示と言う名前はムーンサリンパワーの極意、
月から太陽に成れと言うのと同じである。 https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1555037122/l50
【パヨク悲報】世界の革新技術企業トップ100 日本39社でダントツ一位に
しかし、こんな情報もあるんだから、日本人も捨てたものではない。 人間は年をとる程、眠れなく成って来る。
しかし野球の野村監督なんかな、一日10時間は寝ると言うのだから、
寝れる人は寝れるのだろう。
彼はだからこそ、あれだけ高齢でも元気に現役で活躍出来て居るのだろう。 年をとると寝れなくなるのは、これも煩悩の一種で有ろう。
人間年を取る程、緊張が残り己を癒し辛く成って行くのだろう。
やはり、ムーンサリンパワーできちんと弛緩をするべきなのである。 人間はとにかく、強気やポジティブな思考を誇り誇示し、
弱気やネガティブな気持ちは隠したがる。
例えば人前で泣きたくないとか接客業では何時もニコニコ明るくして無くては行けないとか。
そのせいで、己の本当の気持ちを抑圧し、隠蔽してしまう。
これを他者に対してだけ隠蔽し、己自身では解って居るのならば問題無いが、
人は他者を騙す事に依り己をも騙してしまう事が有る。
そのせいで、己の本当の気持ちが解らなく成って行く。
その心の歪みが少しずつ蓄積して行き、やがては生活習慣病や神経症等に移行して行くのである。
これらも煩悩である。
自分の本当の気持ち、もう疲れた、やってられない、かったるい、悲しい、寂しい、憂鬱だ、
等の本当の気持ちに時には向き合い癒す事が大切である。 他者や世間の評価を気にするあまり、己の本当の気持ちが解らなくなる事が人には有るのだ。
しかし、それを抜きにしても、人は、単純にポジティブな気持ちが心地よいから、とか
苦しい気持ちは嫌だから、等と言う理由で、
ネガティブな気持ちを否定し、ポジティブな気持ちだけを肯定する様に成る。
この様な煩悩に依り、人は病気に成って行くのである。 私も実は有る業界でアイデアを出す職業に就きたいと考えて居た事が有る。
しかし、その夢は叶わなかった。
だがしかし、努力をする過程でアイデアを出す能力はかなり鍛えられた。
上手く能力が発揮されると次から次へと思考が進みアイデアが浮かび、、
逆にもう、止めようと思っても中々思考が止まらずにアイデアが出続けてしまい、
メモを手放せなくて困る、と言う状態に成る事が有る。
これが、ゾーンとかフローとか三味とか言われる状態なのであるが、
それには経験から脳内麻薬のハイの嗜癖とある種の弛緩が関係して居ると言う事が解って居る。
こうなると、逆に脳内麻薬中毒で有り、もう眠ろうと思っても中々眠れなかったりする。
困った状態でも有る。
これが行き過ぎると不眠、神経症、病気へと至ってしまう。
困った状態でも有る。
正に馬鹿と天才は紙一重なのである。
しかし、この状態を上手くコントロール出来れば、最高で有る。
この状態は、オタク、学者、研究者、科学者、発明家、芸術家、等と言われる人たちならば、
多かれ少なかれ、経験した事が有る状態だと思う。
創造する時の精神状態であり、同時に気持ちの良い状態でも有る。 __ ____
`ア´ ``ー 、、
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〃 ' / ,' /⌒ヽ-、 、ハ
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{i | 斗-乂jヽ」-‐-jレイ ii
八 乂yチ圷 圷メv__彡八 ムーンサリンパワーと共にあらんことを
`¨ハヘVツ, Vツj´ Y i ハ
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rr‐‐<i ¨´ トiー'^¨´ ____
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/, || \ル'´  ̄| i 〈¨´ 神経の中枢である脳が弛緩をしないと、人は結局体全体も弛緩できない。
で、あるからリラックスをしたいのであれば、先ず、脳の中心へと気を送るべきなのである。
体を癒したい時も先ずは脳へ、である。 発明、発見のコツとは、考える楽しさ、推理する楽しさ、
思考する楽しさのドキドキワクワクの脳内麻薬を嗜癖する事である。
その感覚に深く共鳴すると脳はより効率的に機能する様に成るだろう。
その為にもムーンサリンパワーを注いで貰いたい。 ,.-'''´`、
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{ _,.‐-''''`´~ `''-‐‐ノ ノ,)
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./ / / ̄ヽヽヽ \ ~ヽ /// \{
/ / / ヽヽヽ \ ヽ /// }{ 悩みは万病の元
と言う言葉が確か有ったと思う。
これは煩悩を持って居ると結局は病気になると言う事である。 気の迷いは心の病気に繋がる。
これも煩悩の事を言って居るのだろう。 人間は本当は生きる喜びを求めるものである。
本来はそうだ。
それが子供の心で有り、仏教で言う煩悩を排除した心で有る。
しかし、人間は色々な理由で心が腐ってしまう。
時には義務意識や責任感、惰性=いつもやってるから、
計画だから、スケジュールだから、等と言う理由で行動をする様に成る。
しかし、これは本来は良く無い事だ。
人間は本当は行動をした結果、喜べる状態へと持って行く為に行動をするのである。
その本来の目的を忘れてはいけない。
人はついつい、うっかりして忘れてしまう。 人は時には怒りや憎しみの原理で行動をしたりする。
仕方なくそう言う状態へ嵌まってしまったならしょうがないが、(例えば、理不尽に他人から殴られる等)
しかし、どちらも選べるのにも関わらず、わざわざ怒りや憎しみを選ぶ場合もある。
例えば、喧嘩を売って回る等。
これは、アドレナリン中毒の様な状態なのだろう。
過去の経験から本当の最高の喜びを忘れてしまい、いつの間にか、下らん刺激、刹那的なハイに
心が囚われてしまう。 自分が本当は何をしたら喜べるのか?
今本当に自分を喜ばそうとしているのか?
これを常にチェックする意識が大事だ。 聖書。
「喜びに満ちた心は治療薬として良く効き、打ちひしがれた霊は骨を枯らす」(箴言17:22)。 一般論として気は頭へ上げてはいけない事に成って居る。
気は何故、頭へ上げてはいけないと言う事に成って居るのだろうか?
これは、勘違いがあるのだと思う。
一般的な日本語として頭に来る、と言えば、怒りの感情を持つ事である。
確かに、そう言う時に、頭へエネルギーが注がれている感覚が有るはずだ。
又、頭を使う行動、勉強とかゲームとかをして興奮して居る時にも実際、頭へエネルギーが
来ている感じが有るはずだ。
確かにそう言う時には何かが頭へと来ている感じが有る。
しかし、良く観察し感じて見れば解るはずだが、本当はその時に何が来ているのだろうか?
実際にはその時に来て居るのは興奮の気なのだ。気は確かに来ているが興奮の気が来ているのである。
これは、有る程度は良いが、確かに行き過ぎは良く無いし、
一般的に人間は興奮し易いもので有るからである。
だから、人間はリラックスメソッドを歴史を通じて模索して来たのだ。 興奮の気が過剰に成るのは良く無いし、一般的に気は頭へ集まり易い、だから、体へと降ろせと言われている。
しかし、この発想自体が間違いなのである。
要するに興奮が良く無いのであって、弛緩の気を送れば良いだけなのだ。
頭の興奮を落ち着かせる為にこそ、むしろ頭へ弛緩の気を送れば良いのだ。
一般的な気功や瞑想の間違いとは気が行く=エネルギーが注がれる=興奮する事だ、
との勘違いが有るのである。
そうでは無くて、気が行く=エネルギーが注がれる=弛緩し落ち着ける、
と言う事もあるのだと言う視点が足りないのである。 人が生きる理由と言うものには、客観的な根拠の様なものは無い。
過去の偉人や宗教、書物にはもっともらしい事は色々と書いてあるが、
だがしかし、琴線に触れないと言うか、痒いところに手が届かないと言うか、
なんか的外れな感じが有るはずである。
科学が幾ら進んでも客観的なデータとして人が生きる理由を説明する事は一切できないし、
書物を読んでもピンと来ない。
これは生きる理由を外へ、他者へと求めるから間違いなのである。
生きる理由とは、論理とか、科学的に観測できる対象とか、そう言うものではないのである。
生きる理由とは主観的なものであり、内へと求めるものなのである。 生きる理由とはエネルギーそのものであり、
それは単純に言えば、
生きる意欲の事なのである。
理由と言うよりも、それは動悸であり、本人の心の状態なのである。 意欲が足らないのは何故かと言えば、
疲労が溜まって居るとか、そう言う単純な理由なのである。
だから、ムーンサリンパワーに依り癒せば良いだけなのだ。
生きるのに理由は要らないし、そもそも生きるのに理由なんか無いだろう。
有るのは、求めて居るのは、意欲と言う動機だけなのである。 人はもし、人生で失敗ばかりで何一つ成功しなかったとしても、
それでも意欲に溢れ行動しようと言う精神エネルギーが満ち溢れて居たらやはり、
生きようとするだろう。
だから、究極的には、生きる理由を求めるのは間違いであり、
生きる意欲を養えば良いだけなのである。 生きるのに理由とか論理とか言葉、考えを求めてもしょうがないのだ。
そんなものは無いか、有ったとしても一見もっともらしい事を言っているが、
実際には何の役にも立たない御題目、の様なものに過ぎないのである。
己の内の意欲、精神エネルギーそのものが足りないだけなのである。 もし、人生で失敗続きで有ったとしても、何時もひたむきに生きて来たのならば、
少なくとも私は何時も全力で生きて来たと胸を張って死ねるのではないだろうか?
やはり、理由とか成果とかは必ずしも必要ではないのである。
最低限の生命維持にひつう様な衣食住が有れば、人生は何とかなる。 しかし、これは喜びが必要無いとかそう言う事では無い。
先の例で言えば、私は何時も一生懸命生きて来た誇りと言う喜びを持っている。
やはり、この場合でも、喜びが有るから生きたのだと言える。
人はやはり、喜びを求める為に生きるのである。 人間は平和で幸せ過ぎると、怠惰に成り、真剣に全力で生きようとは思わなくなったりする。
だから、天才を生むには時には過酷な不幸を経験して、全力でハイを嗜癖しようとする状態に
精神が成る事が良いのかも知れないな。 前に、意欲が有れば良い、生きるのに理由は要らないと書いた。
では、意欲と喜びの関係とは何か?
意欲が有れば、別に喜びは無くても良いのだろうか?
それはつまりこう言う事なのである。
人に取って喜びは薬である。
そして、生きる意欲を向上させるには、喜べる事が大切なのである。
喜べないと生きる意欲が減る。
意欲と喜びの関係とはこの様なものである。
喜べない事を惰性や義務意識等で行って居ると、人の心はすり減って行き、
そして、精神が病み、生きる意欲が減衰して行き、鬱になったり自殺したりする様に成るのである。 何を喜べるか?は人に依って全然違う。
だから、生き甲斐は人それぞれで有り、他者が決める事では無い。
自分が本当は何を喜べるのか?と言う事は、自分で判断をするしかないのだ。 思い上がり、不遜に成り、喜べる理由を間違えると人は心が病み不幸に成り、苦しみ、死んだり暴れたりして、破滅へと至る。
例えば、資産100億の人が事業等に失敗して、資産1億に減ってしまったら、ショックを受けて悲観し、
鬱になったり自殺したりする可能性が有るだろう。
しかし、私の様な貧乏人が1億もの資産が手に入ったら有頂天に成り舞い上がってしまうだろう。
この様に過去の経験から心が不遜になったりプライドエゴが強まったりして人は喜べたことが喜べない様に成る。
そして、人は簡単に喜べなくなると、生き辛く成り、心が病む原因が増えて行く。
謙虚さとか大切なのだ。
貧乏でも、能力が低くても、小さい事に子供の様に喜べる感性が人には大切なのである。
近所に花が咲いたとか、天気が良くて雲が雄大で気持ち良いとか、そう言う普段の当たり前の日常を
喜べる感性こそが、心の強さ、生きる意欲に繋がるのである。 又、多様な喜びも大切である。
栄養学で食べ物の栄養に関して多品目から多様な栄養をバランスよく摂れと言われる様に、
人間の心の栄養=喜びに関しても、多様な栄養をバランスよく摂取する事が大切なのである。
何か一つの事に打ち込み、それしか頭に無いと、その一つが失われると人は鬱になったり自殺をしたり、
破滅へと至ってしまう。
例えば一つの職業しか見ないとか、一人の女しか見ないとか。
プロの歌手とかアスリートに成るとかそれしか見てない人はそれが失われると人生に生きる希望が無く成る。
一人の女しか見てないと、振られたり先立たれたりした時に、破滅へと至ってしまう。
生きる喜びは一つに限定をする必要は無い。
色々な事で多様な喜びを感じれば良いのである。 喜べる事が多かったりすれば、それは結局生きる理由が多く成る事を意味する。
そして、それは結局は意欲の強さであり、心の強さそのものへと繋がるのである。
そして、それはそのまま生きる理由の多さ、強さに繋がるのである。
人は喜べたら生きてて良かったとか、生きよう、生きたいと思うからである。 結論を言えば、生きる理由とは喜ぶ為だと言って良いだろう。
人は本当に喜べたら、生きてて良かったとか思うし、
喜べるような事が有れば生きたいと思うからである。
例えば愛する子供が生まれたら少なくともこの子が大きく成るまでは生きたいと思うだろうし、
その子が大きく成って立派に独り立ちして今まで育ててくれた事を感謝すれば、ああ生きてて良かったと思うだろう。 結局生きる理由とは主観的に喜べる事に有ったのである。 生きる理由が解らない人とは、何が自分に取って喜べる事なのか解らない人で有ったり、、
鬱になったりして、気力、意欲の減退した状態で有ったりする。
前者ならば、色々と経験して喜べる事を探せば良いし、
後者ならば、ムーンサリンパワーで癒せば自然に意欲が湧き、喜べる為に行動をしようと言う意欲が自然に湧くだろう。 生きる理由とか人の存在理由等に関して人類は歴史を通して色々と考察をして来た。
それは確かに哲学、宗教、心理学、人生論、等のそれらの分野で色々と研究されて来て居り、
人類にとって重要であり高尚な問題である。
一生を掛けて学者が研究するに値する重要な問題でもあると言えるだろう。
しかし、その様な問題に関しては結局は客観的な答えと言うのは無いのである。
それは内面にしか無い。
そして、それは喜びに依り高められる生きる事への意欲なのである。
喜びによって高められる生命エネルギーだと言っても良いだろう。 生きる理由に関して高度な理論や御題目、有りがたい神様や人生の先輩の言葉等を探しても意味は無い。
己の内面を模索すれば良いのである。
己の外には無い。 生きる理由に関して高度な理論や御題目、有りがたい神様や人生の先輩の言葉等を探しても意味は無い。
己の内面を模索すれば良いのである。
己の外には無い。 人類の歴史を通して、人の生きる理由をここまで解り易く説明出来たのは、
史上俺だけだ。 ,,: ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ;,
,,; ; ; ; ; ; ; ゙; ; ; ; ;,
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,; /⌒ ヽ; ; ;, ,イ三ヨ _j /,z、
,;,{ , ; ; ; ィぇッ { ,.`,′
; ;ヘ ゞ、 Yム ゝ- / / .ゞイ ムーンサリンパワーを駆使して
'; ; ム 爻彡 -‐' , ' .i 生きる意欲を高めよ。
゙;,; ` 从三v /ー ¨ -'
;; ミ巛彡ムィv_厶尨彡
ィ{ ミ爻三彡ム、, , , , j;;
,,.... //:::\ 三尨爻巛从川キ
_,,..ィ:::::/ / |::::::::::::> ヽ戔川尨彡′
:::::::// / .!:::::::::::::::::::::::::::>:::::7ゝt-‐':::\r::.、
/::::::i / V::::::::::::::::::::::::::::::::: | |::::::::::::::::::::::::>、
::::::::::::| / V::::::::::::::::::::::::::::::::| |:::::::::::::::::::::::::::::::::> 病は気から、と言う言葉が有る。
悩みは気の迷い、と言う言葉もある。
悩んでばかりいると気が迷い病気に成るのである。
思考を放棄して健全な精神を手に入れよ。 生きるのに理屈を求めてもしょうがない。
己の内の意欲を求めよ。 喜べる理由を高く掲げ過ぎると、小さい事で喜べなく成り、
心の健康に取って悪い。
小さい幸せで喜べる様に成る必要がある。
それの究極的な姿が、己が只存在する事自体を喜べる事である。
只、今、生きて居る事自体を喜べる感性が持てれば最高である。 子供は理由も無いのにニコニコ楽しそうにしている。
これは大人になると忘れてしまう感性である。
親は子供がただ、存在するだけで嬉しいものである。
神が居るとしたら、人間をその様に見ているのではないだろうか? 人間は確かにドラッグドリブンである。
苦痛から逃れて快感を求めるのである。
しかし、より賢く理性的な人間は将来の多いな喜びの為に、
今の苦痛を我慢すると言う事が出来る。
いや、その場合は苦痛を我慢する事がむしろ喜びになったりもするのである。
だがその様な場合でも、結局は大きな喜びを得るためであり、
人間の駆動システムがドラッグドリブンで有ると言う原則には変わらない。
愚かで己の心をコントロールできない場合は目先の快感、刹那的な喜びに振り回されて、
将来の大きな喜びを手に入れられない。
しかし、理性的な人間は己の心をコントロールし、今の苦痛を我慢し、将来の大きな喜びを手に入れられる。
その結果、総体としては苦痛よりも喜びの方が勝るので我慢する価値が有ると計算出来るのである。
しかし、本当に立派な人間ならば、苦痛を我慢する立派さと言う事に喜びを感じるので、
今は我慢をして居ると言う感覚も無いはずである。 生きる意欲は大事だな
日照の少ないところでは自殺が多いというし ランナーズハイ等のハイとは意味が無く出て居るわけではない。
何の意味も無く気持ち良く成って居るわけでは無くて、それには合理的な意味が有るのだ。
体の機能を向上させ、限界まで使いこなす為に出て居るのである。
それには意味があるのだ。
その機能を最大限に効果的に伸ばそうとする為にはハイに心を集中し増幅すれば良いのだ。
ムーンサリンパワーに依り。 聖書によればこの世の神とは悪魔の事だと言う。
この世で力を得るものはサタニストなのである。
これがひふみ神示等で言うこの世はあべこべの世界と言う事なのである。 >>417
これを見れば解る様に、LSDを決めると発明発見が出来る。
何らかのハイの嗜癖と深い関係が有るのである。 LSDはインスタント禅とも言われている。
禅で弛緩ハイを嗜癖する事が発明発見へと繋がる事がこれで解ると思う。 トリップはトラップに通ずる。
ハイを嗜癖してトリップして居る間は良いが、
それに依存すると喪失した時にバッドトリップを経験すると言うトラップが待っている。 動物や子供は、単純に喜びを求めて行動をするし、
行動し、経験した時に得られる感情に関してあれこれと思考をしないでありのままに受容する。
それが、本来の心の在り方である。
心の基底状態である。
しかし、人間は理性が発達しているが故に、感情を理性で暴走させてしまう事が有る。 それが煩悩なのである。
例えば、少し嫌な事があると、苛々しだして、私は何時も付いて居ないな。
何でかな?あの時もこの時も私は何時も不幸であった。
私は神様に認められてないのかな?
そう言えば、あいつもこいつも私にはいつも冷たいし憎まれて来た。
くそー、皆がそうなら、いつか私も復讐してやる、などと
どんどん思考が積み重なり、破滅へと暴走してしまう事が有る。
これを止めようとして居るのが仏教で有る。 人間の高度な理性が、心をどんどん高度に発達して行き、基底状態からどんどん離れて行くのだ。
思考が感情を産み、その感情が又思考を産み、鶏と卵の様に、お互いを産み合い、どんどん暴走をして行くのだ。
感情は思考を産み、思考は感情を産むものだからである。 これを抑えて基底状態へと戻せ、思考を無にしろと教えてくれているのが仏教で有る。
しかし、馬鹿と天才は紙一重と言う様に、
この暴走のメカニズムを上手く使えば天才へと至る事が出来るのである。
それが、学者や研究家、発明家、芸術家、クリエイター等である。
自分の理性、思考の力を使い、何らかの考察をする。
それに対して次の様な感情が湧く。
ドキドキワクワク、考え出した時の喜び等で有る。
推理小説等でドキドキワクワクした事のある人も居ると思うし、
テレビゲーム等でも同じ種類の感情を感じる事が有るだろう。
理性の力で思考、推理、考察をする事も人間にとっては大いなる喜びであり、
脳内麻薬が出る瞬間なのだ。
その、感情が再び理性を呼び起こし、更なるハイを嗜癖する為に思考を始める。
その循環で鶏と卵の様にお互いを産み合う。
その結果思考が暴走するが、この場合は非常に生産的であり、
己にとっても社会に取っても、役に立つ事でも有る。 ある意味、計算された狂気、とでも言う状態、
心の暴走、脳内麻薬の嗜癖状態、薬中ジャンキー状態に
酷似した状態。
それこそが天才への道である。
私もその様な状態に嵌まる事が有る。
皆さんもテレビゲームに嵌まったりすれば、似た様な状態に成るでしょう。
同じ様なハイの嗜癖を独自の研究とかでもできる様にすれば、天才へと至る事でしょう。 しかし、この様な状態に嵌まると、今度は中々止めるのが難しく成る事が有る。
そうすると、不眠になったりする。
病気の元である。
天才の衝動とはコントロールの難しい狂気に近似したものであると言える。
ムーンサリンパワーを駆使して己を癒す気持ちを忘れてはいけない。 http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51909527.html
このサイトを見れば解る様に、
この予言は2015年からずっと言われ続けて来た。だが全部外れて来た。
しかし、5月11日が休日になるのは、2019年の今年に成って初めてである。
しかも、直ぐ近くにゴールデンウイークがあるが、今年のゴールデンウイークは、
10連休と言う歴史上はじめての休日であると言える。その直後なのだから、
休日と深い関係が有る日だと言っても良いかも知れない。 今年の5月11日は非常にやばいと言えるのではないだろうか? >>706
アメリカが?
なんのためにそんな事を?
金にでもなるのですか? 現代社会は情報社会で有り、
目を酷使する社会である。
だから、我々は特に目にストレスを受け易い。
これほど目を酷使する社会は人類の歴史上無かった事だからである。
その為、特に目を癒す様にした方が良いと思う。
目に重点的に気を送り苦痛に積極的に共鳴すると、目に抑圧して来た苦痛を感じる様に成る。
すると、今まで気が付かなかった目の苦痛が思った以上に感じ始めてかなり目にストレスが溜まって居た事に
気が付き自分でも驚いたりするだろう。 ここしばらく、イベントが全く発生して居なかったが、
今度の5月11日はかなりの期待が持てそうだな。
5月11日はどこかの公園にでも行って1日中過ごすとかした方が良いかも知れないな。
テントを持っている人は公園にテントを張ってその中に籠るとかした方が良いかも知れない。
最低限の金と食料、印鑑、通帳等を持って行ってな。 地震の最初の危険は建物の倒壊に巻き込まれる事だからな。
それさね乗り切ればとりあえずは、しばらくの延命は確実に成る。
後は救助を待つだけだ。 タイで逮捕された俺俺詐欺グループのメンバーの共通点は、
借金だと言う。
正にリアルカイジだな。 ー=ミ
_云⌒ー-=ミ`气
/> ´ - ⌒ー弍x,
≪二ニ≡ー -==ー ./ V彳_____
` <_ ≠ 才__, `Y j{_ ff^ー ァ^ ムーンサリンフォースの叡智によれば、
ハ だァイ if迩x }ー=彡 5月11日が東海大地震の日じゃ!!
. / ∧ .ィ `ーヘ 八
. / \><二^ イハヽ
{ー-==ミ\ー-=ァ".∨ }/
{/ ⌒\__ ヽ: : {:: : :.V{{
人 ー- ..,_` <: : : : :.{.}i
. )ヽ ` <: }.}i http://nawa-fumihito.com/
確かこのサイトのどこかに日本の江戸時代頃の美徳の話が有って、
金の計算とか数字の計算とかをするのは日本人にとっては美徳では無い事だった、
と言う話が有った。
日本人の指導者は先ず、仁義とか正義とかそういう観点から物事を考えるのであって、数字の計算は部下にやらせる仕事、見たいな話だった。
キリスト教でもお金に関しては適当であり、金を愛する事は間違いだと採算に渡り教えて居る。
清貧の美徳が有るのは日本であり、そう言う意味でも日本はキリスト教の国で有ったと言えるだろう。 https://tocana.jp/2019/04/post_91849_entry_3.html
5月11日の大地震の予言の話し。
まあ、トカナの予言は外しまくってるからな。
しかし、今回は当たりそう。 2020年5月11日はなんと、月曜日で有る。
つまり、休日に成る5月11日は近年では今年しか無い。
来年は無いものと思って良いのでは? 消費税総勢、レジ袋の有料化、こう言うのは全て陰謀である。
https://www.tbs.co.jp/watatei/
私定時で帰ります。
こう言うドラマが放映されるとか、コンビニが夜の営業を止めるとか、
こう言うのも陰謀であり、秘密結社のシナリオである。 日本の経済力を弱めて、弱小国家に貶めようとする策略である。 ドラマは4月16日から始まる。
足して11。
奴らの好む数字である。 コンクリート打ちっぱなしの家は寒いのだと言う。
そして、コンクリート打ちっぱなしを日本に広めた建築家は
自分はそう言う家には住まないと言って居ると言う。
恐らく、コンクリート打ちっぱなしの家とは、
単に秘密結社の連中が安上がりの為に広めたのでは> 日本語ではほっと一息つく、と言う言い回しが有る。
人は落ち着く時に息をほっと吐いたりする。
人は落ち着くから息をほっと吐くと思っているが、
実はこれは正反対なのである。
ほっと息を吐くから落ち着くのである。 脳と身体の感覚が弛緩するだけでは無く、落ち着く感覚に浸るのも大切である。
弛緩と落ち着きは少し違う。似て非なるものである。
脳へムーンサリンパワーを注ぎ弛緩すると同時に身体感覚が落ち着く様に、
落ち着く感覚に意図的に共鳴するのが大切だ。 日本語には溜飲んが下がるとかほっと一息つくと言う言い回しが有る。
これらは落ち着く時の身体感覚を示している。
日本と言う国は身体知とでも言うべき文化が元々はしっかりと有ったのである。
日本のありとあらゆる伝統文化には仏教の本質が隠されて居たのだ。
しかし、今や形骸化し、その本質は忘れられてしまって居る。
特に戦後の白痴化計画に依り更に馬鹿に成ってしまって居る。 だが、今こそ、忘れられた過去の叡智を取り戻す時である。
ムーンサリンパワーこそ日本文化の真の本質である。
トゥルークールジャパンである。 弛緩するだけでは落ち着く事は出来ない。
弛緩と落ち着きは違うからだ。
意図的に落ち着く感覚に浸ろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています