★ 秋田の聖母マリア2〜101回の涙の奇跡〜 ★
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聖母マリアへの信心業〜ウィキペディア〜 聖母マリアへの信心業(せいぼマリアへのしんじんぎょう、英: Marian devotions、聖母への信心)とは、キリスト教におけるイエスの母・マリアに対して行われるもので、「信心業」とは一般概念として、 個人の信仰などを祈りによって表す行いを言う[1]。 これらの聖母マリアに対する祈り・行いは、聖母マリアに神への執り成しを求めて行われるとされる[2][3]。 聖母マリアへの信心業は数多くあり、ロザリオの祈りは最もポピュラーなものの一つで、その他にも、聖体訪問、十字架の道行き[4]、 数日間に及ぶ祈祷をするノベナや、ローマ教皇によるマリア像への戴冠の儀式、東方教会によるイコンへの崇敬、 また、祈りの業を伴わないが、スカプラリオを身に着けたり、「聖母の園」(en:Mary garden)を整備維持することなどが挙げられる[5]。 聖母出現を基にしたもの : これらには、「グアダルーペの聖母(スペイン)、(メキシコ)」や「ルルドの聖母」、「ファティマの聖母」、「秋田の聖母」のような著名で公式に認められた聖母出現が挙げられる。 また、インドの「善き健康の聖母」(en:Our Lady of Good Health)から、ポーランドの「リケンの聖母」まで、大陸を横断する範囲で様々な地域のものがある[33][34]。 このような信心業は、たいていの場合において聖母マリアを記念するカトリック教会の建設へと結果的に繋がっていく[35]。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%BF%A1%E5%BF%83%E6%A5%AD バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 秋田のマリアが作られた1963年=卯年 泣きはじめた1975年=卯年 福島の原発事故2011年=卯年 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン 2018年1月15日 掲載 「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、 マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。 マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、 海外でも知られるようになった。 近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、 マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。 http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 秋田の聖母像のメッセージ: (1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金) 教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。 (2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金) 世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。 天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、 貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。 祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。 貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。 (3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日) 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に 大いなる罰を下そうとしております。 そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。 火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に 死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。 その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。 ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは? ■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」 「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。 そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。 この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。 ■マリアの催促!? 第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。 また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。 だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、 「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。 これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。 聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。 http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる 「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、 日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。 涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、 多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。 一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。 奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。 http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html 聖体奉仕会の歌を発見した。 百一度の涙 - 秋田の聖母 Hymn for Our Lady of Akita https://www.youtube.com/watch?v=nqoyfbUwp8Y 世の罪 主を悲しませたり 百一度涙流したもう 聖体奉仕会に漂った異臭は 日本人の罪の臭いだ 東日本大震災は神からの天罰だ 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、 共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。 ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を 足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、 もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、 東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を 予言していたといえるだろう。 ファティマの聖母 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D 聖母からの大きな奇跡があった。 1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。 世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。 居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。 ヤシンタ・マルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88 秋田の聖母マリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、 と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、 天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 秋田の聖母は、安田神父の本によると、 日本を愛しているらしい。 震災と関連づけると秋田の聖母は、 反日と思われるかもしれないが、 安田神父の本によると、 日本を愛しているらしい。 ファティマの聖母、太陽の奇跡があった日が10月13日。 秋田の聖母第三のメッセージ、最後の出現があった日も10月13日。 ファティマの奇跡の3人の牧童の一人、ジャシンタの生誕日に、 秋田の聖母マリア101回の涙を足すと2011年3月11日、東日本大震災の日。 ジャシンタの命日1920年2月20日に101年を足した2021年2月20日に何かが 起こるかもしれない。 【衝撃映像】キリストの赤子像が血の涙で大号泣! 「人類は今すぐ悔い改めよ」神の怒り…人類滅亡の予兆か!?=メキシコ https://tocana.jp/2019/03/post_89483_entry.html 血の涙を流すイエス・キリストの赤子像に世界中が驚愕している。 英紙「The Sun」(3月18日付)によると、メキシコ南西部下ゲレーロ州アカプルコの小さな村に保管されているセラミック製のキリストの赤子像から血の涙が滴る現象が今年の元日から今まで4回も起こったという。 ある地元住民はこの像が血の涙を流している理由を同地域の犯罪率の上昇に関連付けているというが、地元に住むソレダッド・ナチヴィダッド・フロレス氏は現地紙「El Nuevo Diario」に次のように話している。 「神からのメッセージだと言う人がいる一方で、多くの人が悪魔の仕業だとも考えています。いずれにしろ、この像が泣いたということは事実です。像を抱えていても涙は流れたんですから」(フロレス氏) キリスト像やマリア像が血の涙を流す現象は世界中で報告されているが、そのほとんどが売名のためのやらせだと言われている。 これまでカトリック教会が本物と認定したものはたった1つだけ。日本の秋田県秋田市にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」に保管されている「秋田の聖母マリア」だけだ。 秋田の聖母マリアは1975年〜1981年にかけて101回も涙を流し、 1988年にバチカン(教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に“奇跡”と認定されている。 今回のキリストの赤子像の涙が本物かどうかは調査してみない限り分からないが、もし本当に“奇跡”だとしたら、一体何を訴えかけているのだろうか? ちなみに先述した秋田の聖母マリアは、「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。 その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう」という恐ろしい預言を残している。 北朝鮮の核実験再開やロシアのポセイドン、米中関係など、冷戦時代を思い出すような物騒な話題が続く今を憂いてのことなのか……。 キリストの赤子像の涙が神の怒りの表れで、人類滅亡の暗示ないことを願いたい。 ヤシンタのご遺体は死後 15年後と 31年後の2回、掘り返されていますが、どちらの場合も「顔だけはまったく腐敗していなかった」ことが記録されています。 1951年(死後31年後)に掘り返された際のヤシンタの様子 http://tok2.up.n.seesaa.net/tok2/image/jacinta-1951.jpg?d=a1 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 ”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、 秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と は思われない。 ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に 伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。 歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、 人々の好奇心を刺激している現状である。 しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、 聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、 と私は思う” 〜中略〜 ”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、 やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、 姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、 この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、 を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。 聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、 人々は無視してしまったのである。 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を 通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された のである。” インバウンドの聖地 /秋田 毎日新聞2018年6月29日 地方版 「日本人より外国人が続々と訪れている場所がある」と教えられた。それは秋田市北東部の静かな丘の上にある教会。 入り母屋造りの和風建築で、寺か神社に見える。このカトリック修道院「聖体奉仕会」聖堂に、「涙を流す聖母像」が安置されている。 像は1963年、秋田市の彫刻家、若狭三郎氏がカツラの木で制作。台座を含め高さは約1・2メートルで、丸い地球の上に立つ。 十字架を背に、誰でも受け入れるかのように両手を左右に開いている。75年1月4日朝、像の目から液体が流れているのが見つかり、81年9月15日まで101回にわたって「落涙」が記録された。 「涙を流すマリア像」として次第に知られるようになり、今では年間約7000人が訪れる。その3分の2がインドネシアやフィリピン、米国、ポーランドなど世界各国からのインバウンド(訪日外国人)だ。 国内よりも海外での知名度が高く「聖地」となっている。 同会は「訪れた人の心のやすらぎの場になれば」(小川恵子会長)と歓迎しており、今年に入って英訳付きの案内小冊子を作った。私の前で「奇跡」は起こらなかったが、マリア像が放つ厳粛な雰囲気の中で、 心静かなひとときを過ごすことができた。【大槻英二】 https://mainichi.jp/articles/20180629/ddl/k05/070/168000c 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン 2018年1月15日 掲載 「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、 マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。 マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、 海外でも知られるようになった。 近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、 マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。 http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 聖体奉仕会の姉妹達による、ロザリオの祈りのCD発売。 英語版の秋田の聖母のwikipediaでは、 ファティマ第三の秘密=秋田のメッセージが掲載されている。 もはやファティマと秋田の関係は、既成事実となってしまったな。 Our Lady of Akita - Wikipedia The third message communicated on October 13, 1973 was described by Cardinal Ratzinger as essentially the same as the third Our Lady of Fatima message or Third Secret.[a] After this final warning, it was claimed that the statue became animated for an extended period and was witnessed by a number of nuns.[ 1973年10月13日に伝えられた第3のメッセージは、ラッツィンガー枢機卿によってファチマの第3の聖母メッセージまたは第3の秘密と本質的に同じであると記述されました。 この最終的な警告の後、この像は長期間アニメーション化され、多くの修道女が目撃されたと主張された。 https://en.wikipedia.org/wiki/Our_Lady_of_Akita 秋田の聖母の日2019 今年も例年の通り、9月14日、15日に「秋田の聖母の日」を行います。 今年は、土日だから大盛況だろうな。ww バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? ::::::::::::::::::::::::::::,.(⌒ 、:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: :.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.,. ⌒ ⌒):.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.: ̄:.:.:.:.○ :.:.:.:.:.:.:.:.:.:.(⌒ r':.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:r ⌒ヽ.:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.: : : : : : ,.(⌒' : 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Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】 https://www.youtube.com/watch?v=JjGPL_hN2fE& ;feature=youtu.be ファティマ第三の予言の真実 内なる神への自覚 ファティマの予言といえばオカルト好きならばだれでも知っている言葉であろう。 1916年ポルトガルの村ファティマに聖母マリアが出現し、3人の少年少女に数多くの警告を授けたと言われている。 3つの予言と特別な礼拝方法が知られているが、予言に関しては戦争に関する2つの予言しか公開されなかった。秘密の予言はローマ法王が聞くと同時に失神したため、公開されなかったという曰くつきのものである。 後にローマ法王暗殺の予言であったとディスクロージャーされたが、これは聖母マリアから警告を受け取ったルチアが「教会が嘘をついている」と批判した。 それでは、その秘匿された三番目の警告とは何だったのであろうか。 実を言うと同じような事件が日本でも発生している。 1970年代から80年代にかけて、秋田の教会において聖母マリアが出現し、修道女に警告を与え、教会のマリア像から涙があふれたという事件があったのだ。 続きを読みたい人は以下でメルマガをお読みください。いまなら一ケ月無料!!! https://mnsatlas.com/?p=48381 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、 共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。 ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を 足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、 もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、 東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を 予言していたといえるだろう。 ファティマの聖母 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D 聖母からの大きな奇跡があった。 1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。 世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。 居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。 ヤシンタ・マルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88 秋田の聖母マリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、 と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、 天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 【お知らせ】 秋田・聖体奉仕会での「聖母と共に過ごす祈りの夜」(2013年10月12日〜13日) 「聖母と共に過ごす祈りの夜」 既にご存知の方も多いかと思いますが、 是非ご紹介したい祈りの行事が行われます。 2013年10月12日〜13日に、「信仰年」特別行事として、 全世界から選ばれた聖母巡礼地10ヶ所をつなぐロザリオの祈りが行われます。 これは、後援・教皇庁新福音化推進評議会、主催・ローマ教区によるものです。 その聖母巡礼地の一つとして、秋田・聖体奉仕会が選ばれたのです。 秋田でメッセージが告げられて40周年の今年、 このようなお恵みが与えられたことに、心から感謝を捧げたいと思います。 参加を希望される方は、聖体奉仕会まで、 お葉書にて参加をお申込み下さい。(必要事項等、申込方法は下記をご参照下さい) 聖体奉仕会より、ブログ掲載の許可をいただきましたので、 以下に詳細を記載致します。 [E:club] カトリック新潟教区長 菊地功司教様のお知らせより抜粋 ( 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から >> 「聖母とともに過ごす祈りの夜」おしらせ[2013/08/14] ) 信仰年にあたって、ローマでは様々な霊的催しが開催されております。 この度、ローマ教区より、 ローマで開催される行事の一つに新潟教区も参加するようにとの申し出がありましたので、皆様にお知らせいたします。 信仰年の一連の霊的催しの一つとして、来る2013年10月12日と13日は 「聖母マリアの日」とされております。このうち、10月12日(土)の夜7時から9時半(ローマ時間)は「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」として、 世界中10ヶ所の聖母マリア巡礼所を衛星中継で結んで、ロザリオの祈りが行われることになりました。主催するローマ教区から、聖体奉仕会の修道院( 秋田の聖母 Our Lady of Akita )も参加するようにとの呼びかけがありましたので、これを承諾致しました。 【衝撃映像】キリストの赤子像が血の涙で大号泣! 「人類は今すぐ悔い改めよ」神の怒り…人類滅亡の予兆か!?=メキシコ https://tocana.jp/2019/03/post_89483_entry.html 血の涙を流すイエス・キリストの赤子像に世界中が驚愕している。 英紙「The Sun」(3月18日付)によると、メキシコ南西部下ゲレーロ州アカプルコの小さな村に保管されているセラミック製のキリストの赤子像から血の涙が滴る現象が今年の元日から今まで4回も起こったという。 ある地元住民はこの像が血の涙を流している理由を同地域の犯罪率の上昇に関連付けているというが、地元に住むソレダッド・ナチヴィダッド・フロレス氏は現地紙「El Nuevo Diario」に次のように話している。 「神からのメッセージだと言う人がいる一方で、多くの人が悪魔の仕業だとも考えています。いずれにしろ、この像が泣いたということは事実です。像を抱えていても涙は流れたんですから」(フロレス氏) キリスト像やマリア像が血の涙を流す現象は世界中で報告されているが、そのほとんどが売名のためのやらせだと言われている。 これまでカトリック教会が本物と認定したものはたった1つだけ。日本の秋田県秋田市にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」に保管されている「秋田の聖母マリア」だけだ。 秋田の聖母マリアは1975年〜1981年にかけて101回も涙を流し、 1988年にバチカン(教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に“奇跡”と認定されている。 今回のキリストの赤子像の涙が本物かどうかは調査してみない限り分からないが、もし本当に“奇跡”だとしたら、一体何を訴えかけているのだろうか? ちなみに先述した秋田の聖母マリアは、「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。 その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう」という恐ろしい預言を残している。 北朝鮮の核実験再開やロシアのポセイドン、米中関係など、冷戦時代を思い出すような物騒な話題が続く今を憂いてのことなのか……。 キリストの赤子像の涙が神の怒りの表れで、人類滅亡の暗示ないことを願いたい。 ローマの我々のシスターによるコンクラーベ(会議)で、レディーオブアキタとして知られる、 聖なる聖餐の信者であるシスター・アグネス・笹川カツコの精神に語りかけた、 その聖母マリアが警告した最終的な苦難が、日本を襲った破滅的な出来事と一致すると結論づけました。 そして、1988年にそのことをヨゼフ・ラッチンガー枢機卿が概説しました。信仰の教義のための会合でその者は、 彼が法王選出の選挙よりも前にベネディクト法王XVIとして、忠実な信者に向け秋田のメッセージが、 地元の司教達の審査の結果により確かなものだと伝えました。 1973年に、聖母は仙台の司教区当局の下にある湯沢の小さな町の教会に、 3つのヴィジョンでシスター・ササガワの前に現れました。湯沢は新潟県中越地方の南魚沼市にある温泉街です。 現在、破壊された仙台市から144キロメートル(90マイル)の場所に位置しています。 シスター・ササガワのヴィジョンで重要なメモは、 聖母マリアが伝えたメッセージが1917年にポルトガル:ファティマで3人の若い予言者に伝えられたメッセージと一貫していると信じた多くの聖職者と神学者です。 理由は、1969年にシスター・ササガワが病気で入院している間に、聖職者は彼女が各々10年間の終わりに祈る、そのファティマの祈りを言うのを聞きました。 これは聖職者を混乱させました。なぜならば、彼は祈りの起源を認知していたが、それは日本の人々にまだ公表されていなかったのです。 シスター・ササガワは彼に、守護天使がその特定の祈りを祈るように命じたと話しました。 http://higasinoko-tan2.seesaa.net/article/191310500.html 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン 2018年1月15日 掲載 「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、 マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。 マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、 海外でも知られるようになった。 近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、 マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。 http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 秋田とファティマの秘密 - Akita Message is the Fatima Secret https://vimeo.com/293381681 聖体奉仕会の歌を発見した。 百一度の涙 - 秋田の聖母 Hymn for Our Lady of Akita https://www.youtube.com/watch?v=nqoyfbUwp8Y 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。 これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。 すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、 すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、 無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。 とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、 聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。 しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、 このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。 それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。 B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。 いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。 どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。 創造とは神のみが行われる業ではないか。 ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、 最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。 再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、 すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 ”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、 秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と は思われない。 ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に 伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。 歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、 人々の好奇心を刺激している現状である。 しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、 聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、 と私は思う” 〜中略〜 ”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、 やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、 姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、 この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、 を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。 聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、 人々は無視してしまったのである。 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を 通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された のである。” インバウンドの聖地 /秋田 毎日新聞2018年6月29日 地方版 「日本人より外国人が続々と訪れている場所がある」と教えられた。それは秋田市北東部の静かな丘の上にある教会。 入り母屋造りの和風建築で、寺か神社に見える。このカトリック修道院「聖体奉仕会」聖堂に、「涙を流す聖母像」が安置されている。 像は1963年、秋田市の彫刻家、若狭三郎氏がカツラの木で制作。台座を含め高さは約1・2メートルで、丸い地球の上に立つ。 十字架を背に、誰でも受け入れるかのように両手を左右に開いている。75年1月4日朝、像の目から液体が流れているのが見つかり、81年9月15日まで101回にわたって「落涙」が記録された。 「涙を流すマリア像」として次第に知られるようになり、今では年間約7000人が訪れる。その3分の2がインドネシアやフィリピン、米国、ポーランドなど世界各国からのインバウンド(訪日外国人)だ。 国内よりも海外での知名度が高く「聖地」となっている。 同会は「訪れた人の心のやすらぎの場になれば」(小川恵子会長)と歓迎しており、今年に入って英訳付きの案内小冊子を作った。私の前で「奇跡」は起こらなかったが、マリア像が放つ厳粛な雰囲気の中で、 心静かなひとときを過ごすことができた。【大槻英二】 https://mainichi.jp/articles/20180629/ddl/k05/070/168000c 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、 共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。 ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を 足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、 もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、 東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を 予言していたといえるだろう。 ファティマの聖母 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D 聖母からの大きな奇跡があった。 1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。 世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。 居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。 ヤシンタ・マルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88 秋田の聖母マリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、 と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、 天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 AKITA: Another Conspiracy to Silence the Mother of God https://www.youtube.com/watch?v=6MGMx5uVRQg シスター笹川 https://www.youtube.com/watch?v=zL3tg863fSE& ;list=PL05ugvZN3KS66fX-7Mn9_r7q8WzCPW0sd wikipediaのノートとは、どういう意味かよくわからないが、 英語版の秋田の聖母では、ハワード・ディー氏の発言が議論されているようだ。 Our Lady of Akita https://en.wikipedia.org/wiki/Our_Lady_of_Akita ノート 1998年、 ヴァチカン誌の中には、旧フィリピン大使のハワード・ディー大統領が「伊藤はファチマとラッツィンガー枢機卿の延長であったと確信していた」(個人信者の教義を導いたとき) ファチマと秋田の二つのメッセージは本質的に同じであることを私に確認した」 [ 要出典 ] ファティマ第三の予言の内容とは?予言の真実や秘密になった理由は? ファティマ第三の予言をみなさんは知っていますか。ファティマ第三の予言は2005年に公開されたもので、 その内容には疑問が多く残っているものです。今回はファティマ第三の予言の内容や左手に火の剣をもった天使の真相、 日本で起きた出来事について紹介していきます。 ファティマの予言に関して日本でも出来事があったようです。日本で起きたことについて紹介していきます。 ファティマに関する出来事が起こったのは日本の秋田にあるカトリック女子修道院で起こったようです。 内容はこれから詳しく説明しますが、ファティマと秋田は北緯39度近くに位置しておりなんらかの繋がりがあるのではないかと言われています。 またその秋田ではファティマの奇跡から100年を記念してファティマにある聖母像が秋田にやってきたこともあるようです。 https://pouchs.jp/GCfxY?page=4 ファティマの予言の第三の部分の内容 この記事によれば、ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿は西暦2000年、「第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺を予言していた」と公表し、 直接マリア様に予言を聞いたルチア女史は、「第3の予言は喜ばしい知らせです。世界の終わりを告げたものでありません」と親戚関係者に漏らしたそうだ。 ネットでファティマの予言の第三の部分について検索しても、詳しい内容が出てこないが、青山圭秀氏が2000年に書いた小説「最後の奇跡」には、 作品内でドイツの新聞が外交筋から入手したものとして掲載した内容が掲載されている。パウロ六世が1963年に予言の内容を主要国の首脳に送ったとも書かれているので、予言の内容が外交筋から漏れることはありうる。 ※ドイツの新聞に掲載されていたという内容も、パウロ六世が第三の予言の内容を各国の首脳に送ったという事柄も小説のための作り話であるなら、以下の引用はただの創作という事になってしまうが、 著者あとがきには「ここに用いた仙台の聖母出現は架空であるが、ルルド、ファティマ、秋田等、主要な御出現とそこにおける奇跡、メッセージの内容は、 実際に報告されているものを用いた」とあるので、第三の予言とされる部分も、青山氏がどこかで手に入れたものではないかと考える。 以下、文庫本の266ページ引用。 https://kininarukabu.com/archives/17071 ファティマ第三の予言の内容とは?予言の真実や秘密になった理由は? ファティマ第三の予言をみなさんは知っていますか。ファティマ第三の予言は2005年に公開されたもので、 その内容には疑問が多く残っているものです。今回はファティマ第三の予言の内容や左手に火の剣をもった天使の真相、 日本で起きた出来事について紹介していきます。 ファティマの予言に関して日本でも出来事があったようです。日本で起きたことについて紹介していきます。 ファティマに関する出来事が起こったのは日本の秋田にあるカトリック女子修道院で起こったようです。 内容はこれから詳しく説明しますが、ファティマと秋田は北緯39度近くに位置しておりなんらかの繋がりがあるのではないかと言われています。 またその秋田ではファティマの奇跡から100年を記念してファティマにある聖母像が秋田にやってきたこともあるようです。 https://pouchs.jp/GCfxY?page=4 ファティマ第三の予言の内容とは?予言の真実や秘密になった理由は? ファティマ第三の予言をみなさんは知っていますか。ファティマ第三の予言は2005年に公開されたもので、 その内容には疑問が多く残っているものです。今回はファティマ第三の予言の内容や左手に火の剣をもった天使の真相、 日本で起きた出来事について紹介していきます。 ファティマの予言に関して日本でも出来事があったようです。日本で起きたことについて紹介していきます。 ファティマに関する出来事が起こったのは日本の秋田にあるカトリック女子修道院で起こったようです。 内容はこれから詳しく説明しますが、ファティマと秋田は北緯39度近くに位置しておりなんらかの繋がりがあるのではないかと言われています。 またその秋田ではファティマの奇跡から100年を記念してファティマにある聖母像が秋田にやってきたこともあるようです。 https://pouchs.jp/GCfxY?page=4 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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