オカルト真言蔵 劍巻
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【目的】
密教をはじめ、あらゆる宗教のエソテリックな分野について
雑談をまじえながらマターリ議論する場です。霊障から逃れる真言、魔を防ぐ呪文等、
あるいは神仏との感応体験やその方法についての意見交換、自己に内在する霊性を
喚起する呪的言葉の模索等、オカルトな話大歓迎です。
【禁忌】
・ 不特定多数の人が閲覧するネット上での会話です。他者を傷つけるための真言や
口伝・奥義にかかわる内容を興味本位で公開することはやめましょう。
・ 真言は伝授・灌頂で授けられるもの以外のものの書き込みは基本的にはOKですが、
印契の結び方、特殊な(口伝や奥義の)観想は×。
・ 基本的にはsage進行、荒らし煽りはスルーすること常の如し。
【千字文】(次スレは號巻です)
49劍 50號 51巨 52闕、53珠 54稱 55夜 56光
【前スレ】
オカルト真言蔵 岡巻
mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1514232347/ 仕舞いませう☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
明日も皆の1日が息災でありますように
おん さんまらさんまら びまのう さら まかしゃきゃらば うん
『オカルト山 真言蔵寺 劍巻』 閉門! おはようございます☆
『オカルト山 真言蔵寺 劍巻』 ただいま開門致します
また、八識とその対象となるものの関係は三量、三分別の区分がある
三量とは、対象を直覚的に認識する現量、比較対象し推理によって認識する比量、
誤った現量と誤った比量を総括した非量の3種をいう
三分別とは、外界の刺激をそのまま直覚する自性分別、過去の記憶を再現する随念分別、
比較推論などやや複雑な作用である計度分別の3種をいう
8つの識のうち、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識および阿頼耶識は現量であって自性分別のみ、
意識は三量・三分別ともに有り、末那識はただ非量であって計度分別をなすものとされる
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますわ☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
明日も皆の1日が息災でありますように
おん さらばたたぎゃた ねりやだのう ふじゃ めいぎゃ さんぼだら そはらだ さんまえい うん
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世界及び人生の一切の現象は原因が有って結果が起こる、つまり両者の間には密接な関係がある
これは佛教だけではなく、科学や道徳の世界に於いても因果律として重要視されていることである
但し、佛教に於いてはその結果を生じせしめる原因の有り方や内容を明らかにすることを重視する
それが因縁である
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますっちゃ☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
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佛教では、「能生の因、所生の果」という
これは、ものごとが成立する場合には必ずそれに相応しい因縁が存在し、
この因縁が機縁熟する時はじめて果が成立する
すなわち、世界の一切の現象は、全知全能の存在によって決定されるのではなく、
様々な因や縁が相依り、相資けて成立すると考えるのである
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ〜☆ 仕舞いま〜っす☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
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因と縁、そこから生じる果との関係は複雑であるが、倶舎宗では「六因・四縁・五果」を説く
六因とは、能作因・倶有因・相応因・同類因・遍行因・異熟因の6つをいう
物質的な現象は能作因・倶有因・相応因・同類因が、精神的な現象は遍行因・異熟因が原動力である
また、倶有因・相応因は空間的、同類因・遍行因・異熟因は時間的、能作因は両方に通じるものである
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますね☆
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能作因とは、結果を生起させる一切の原因ではあるが、直接的な関係はあまり持たない
この能作因には、結果が成立する為に間接的助勢となる与力能作因と、
結果が生起するのに障害にならないという意味の不障能作因の2種がある
呵々、今天好日 祈安!
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でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますデス☆
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倶有因には互為果倶有因と同一果倶有因の2種類がある
互為果倶有因とは、二つ以上のものが互いに因となり果となるものを指し、
同一果倶有因とは数多くの因が互いに合わさって一つの結果を生起するものをいう
呵々、今天好日 祈安!
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でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますねん☆
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同類因とは、因と果が時間的に同一種類となるものをいう
すなわち、善行の結果良いことが起こり(善因楽果)、悪行の結果酷い目に遭う(悪因苦果)ということ
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますえ〜☆
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相応因とは、心的現象が起こる時、心王(心作用の主体となる識)と
心所有法(心王に従属し、心と相応し、心と同時に存在する種々の精神作用)が
互いに因・果となって相資けるものである
両者はそれぞれが独立して起こるのではなく、常に密接な関係で生起する
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ〜☆ 仕舞いまっすん☆
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遍行因は、煩悩の性質を備えた心所有法の前因と後果について考察したもので、
苦諦について十惑、集諦について七惑、滅諦について八惑を数える
中でも、苦諦に関する十惑の内の7種と集諦に関する七惑の内の4種については、
そのはたらきが強く、一切煩悩を引き起こす原因と考えられており、特にこれを
十一遍行または十一遍使という
呵々、今天好日 祈安!
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でわでわ〜☆ 仕舞いま〜す☆
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古来より「因はこれ善悪、果はこれ無記」という
無記とは、霊魂の有無のように明確な解のないもの、善とも悪とも明記出来ないものをいう
すなわち異熟因とは、善または悪の因が非善非悪の無記の果を引き起こすものである
呵々、今天好日 祈安!
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でわでわ〜☆ 仕舞いますゎぃな〜☆
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因と相依り相資けて果を成立させるのが縁である
縁には大きく分けて因縁・等無間縁・所縁縁・増上縁の4種がある
因縁とは、果が生起される場合にもっとも親しい関係を持つものの総括であり、複雑多岐にわたる
呵々、今天好日 祈安!
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間断することなく連続する心的現象において、前の心と後の心が等同の体を持つ、それを等という
無間とは、後の心は前の心を相続して起こる、つまり、前の心は後の心の原因でそこに間はない
それを総括して等無間縁という
呵々、今天好日 祈安!
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所縁縁は主観的な精神作用を生じる場合の客観的な対象をいう
これは心的現象=精神作用にのみ限られるものである
呵々、今天好日 祈安!
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増上縁は物心両面に通じ、あらゆる場合に存在する故に増上という
そこには、積極的に助力を与える増上縁と、諸法の生起を妨害しない消極的な無力増上縁がある
精神的な現象が生起する場合、因縁・等無間縁・所縁縁・増上縁の四縁が必要であるが、
物質的な現象が生起する場合は因縁と増上縁が必要である
また、所縁縁は空間的、等無間縁は時間的、因縁と増上縁は時間・空間の両面に関わりが深い
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
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因と縁は別物のように考えられがちだが、実はそうではない
たとえば、能作因は増上・所縁・等無間の三縁と同義であり、
倶有・相応・同類・遍行・異熟の五因は因縁と同義である
また、能作因は増上縁に等しく、他の五因は因縁と等しい
よって、六因と四縁は同義異語であると考えてよい
呵々、今天好日 祈安!
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六因や四縁は如何なる果を引き起こすのか
それには、異熟果・等流果・士用果・増上果・離繋果の5種が挙げられる
異熟果とは異熟因による果、すなわち善または悪の業因によって得られる、
善でも悪でもない無記の果報である
呵々、今天好日 祈安!
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でわでわ〜☆ 仕舞いま〜す☆
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等流果とは同類因や遍行因によって引き起こされる果である
したがって、善因楽果・悪因苦果など因と果が同一種類となる
呵々、今天好日 祈安!
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おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
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士用果とは士夫作用(人のはたらき)によって生じる果である
それは倶有因と相応因から引き起こされ、原因と結果の間に必然の相互関係がある故に、
士用果という
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
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増上果は能作因によって助勢され、増上した力で得られた結果をいう
異熟果・等流果・士用果・増上果の4種は、因縁によって生じ、存続・変化し、
消滅する現象(有為法)世界における因果を示すものである
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いまする☆
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離繋果は先の4種の果とは趣が異なる
それは、悟りの智慧(無漏聖道の智力)によって煩悩を滅断したところに現れる果であり、
常住不変の法である無為法(択滅無為)を指すものである
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますので☆
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無為法とは生滅変化の性質を有さないもので、その原語は「作為せられざるもの」を意味する
それに対し、有為法は生滅変化の性質を有するもので、原語の意味は「作為せられたるもの」である
無漏法とは、煩悩を生育増長せしめる性質(漏)を有さないもの、有漏法は漏を有するものである
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますってば☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
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生滅変化の性質を有するものは、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の5種の蘊より成り立つ
色蘊は一切の生き物(有情)における肉体、すなわち物質的な要素であり、
受・想・行・識の4種の蘊は精神的な要素を分別したものである
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますよ〜ん☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
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一切万有の世界が五蘊だけで成り立っているのかといえば、そうではない
感情や意識を有するもの(有情)が認識や感覚を起こすには、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根(器官)と、
色・声・香・味・触・法の六境(対象)の両方が必要である
この六根と六境を合わせて十二処または十二入という
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ〜☆ 仕舞いますよ〜☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
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『オカルト山 真言蔵寺 劍巻』 閉門! 仕舞いまする〜☆
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十二処によって生じた感覚が認識される為には、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識が必要である
それで、六根に六境と六識を加えたものを十八界という
一切の認識作用は、六根・六境・六識の三条件が揃うことで成立する(三事和合)
根・境・識の他に我(常住不変の存在)が有って認識感覚が成立するのではない
呵々、今天好日 祈安!
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でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますデス☆
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蘊・処・界は主観的見解によるものであるが、客観的見解として五位七十五法・五位百法がある
世界の全ての事象を5種に分けたものを五位といい、更にそれを細分化したものであるが、
小乗では五位七十五法をいい、大乗では五位百法をいう
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますよ、よいのよい☆
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五位七十五法における五位は、色法・心法・心所有法・心不相応行法・無為法の5種をいう
これは、色(物質など客観的な対象)によって心(主観的・精神的な心意)が作用すると考えるもので、
法相生起の次第と名付けられている
呵々、今天好日 祈安!
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でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いまっすん☆
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五位百法における五位は、心王・心所有法・色法・心不相応行法・無為法の5種をいう
この並び方からも察せられるように、五位百法においては色は心識によって姿を変え現れるとされる
故に五位百法は唯識転変の次第と名付けられている
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますね〜☆
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五位における色法とは物質的な現象を総摂するものであり、同時に同一空間を占めることは出来ない
そこには、五感・五境と表面に現れない色法(無表色)の11種を数える
呵々、今天好日 祈安!
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心法は大乗では心王といい、心・意・識のことである
心とは、一切の心の作用及び全ての作用を集め起こすはたらき(集起)を指す
意とは、ものごとを思量するはたらき(思慮)を指す
識とは、対境に対してよくその差異を理解するはたらき(了別)を指す
呵々、今天好日 祈安!
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でわでわ〜☆ 仕舞いますじゃ☆
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大乗においては、心・意・識にそれぞれ二義が有るとする
心には、所縁の境に対するはたらきかけを思いはかる「縁慮」と、一切諸法の種子を集め蓄える「積集」の二義を数える
意には、様々な心のはたらきを起こす根拠「依止」と、心の内を常に省み考え明らかにする「思量」の二義を数える
識には先に述べた「了別」と、外界の麁境(客観的世界の諸現象)を識別する「了麁」の二義を数える
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ〜☆ 仕舞いま〜す☆
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心法・心王が対象(対境)の全体的(総相)な観察をするのに対し、心所有法は対象の
部分的(別相)な観察をする
心所有法は文字通り、心法・心王に所有される法であって、精神的作用を分析的に説明した
ものであるから、大乗とかつて小乗と称された上座部佛教ではかなり見解が異なる
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますね〜☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
明日も皆の1日が息災でありますように
おん さんまらさんまら びまのう さら まかしゃきゃらば うん
『オカルト山 真言蔵寺 劍巻』 閉門! おはようございます☆
『オカルト山 真言蔵寺 劍巻』 ただいま開門致します
上座部佛教においては、心所有法を大地法10種・大善地法10種・大煩悩地法6種・
大不善地法2種・小煩悩地法10種・不定地法8種の六類四十六種を数える
大地法とは全ての精神作用に伴い、常に起こる心のはたらきで、受・想・思・触・欲・
慧・念・作意・勝解・三摩地の10種をあげている
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いませう☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
明日も皆の1日が息災でありますように
おん さらばたたぎゃた ねりやだのう ふじゃ めいぎゃ さんぼだら そはらだ さんまえい うん
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受とは、接触により起こる感情であり、7つに分けられる
まず、身に受けるものが苦受・楽受・捨受(苦楽どちらでもない)の3種、
心に受けるものが憂受・喜受・捨受の3種、身心両方で受ける捨受を合わせ七受とする
想とは外界の差別の有様を想像することで、思とは何かをしようと思う(造作)こと、
触は心を対象に触れさせる作用、欲は欲し求めることである
慧はものごとを批判また整理するはたらきであり、念は深く記憶してわすれないこと、
作意は注意する力、勝解はものごとを分別決定する理解力である
三摩地は心をひとつの場所に専従することで、定や等持ともいわれる
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いまする☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
明日も皆の1日が息災でありますように
おん さんまらさんまら びまのう さら まかしゃきゃらば うん
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大善地法とは、一切の善い心を起こす時のみ生じる心的現象である
それには、信・不放逸・軽安・捨・慚・愧・無貪・無瞋・不害・勤の十種を数える
信とは澄み切った心であり、人に自信を持たしめるはたらき
不放逸とは、心を散らすことなく善を修めることに専心する
軽安とは、身心を快適ならしめること
捨とは、心を傾けることなく等しく平らかにする
慚は反省して自らに恥じることで、愧は他に対して恥じること
無貪は貪らぬことで、無瞋は怒りではなくあわれみを持つこと
不害は他のものを害しないことで、勤は善行に勤しみ悪を捨てさせることをいう
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますデス☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
明日も皆の1日が息災でありますように
おん さらばたたぎゃた ねりやだのう ふじゃ めいぎゃ さんぼだら そはらだ さんまえい うん
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大煩悩地法とは煩悩の根源となるもので、一切の悪心(染心)に伴って生じる6種の現象
(痴・放逸・倦怠・不信・?沈・掉挙)を指す
痴とは愚痴・無明と同意義であり、放逸とは善に心を向けず、倦怠とは善の専修を疎かにすること、
不信とは心を濁らせ自信を失わせしめるもの、?沈は暗鬱な心持ちに陥り修行を怠けること、
掉挙とは心が動揺して善行を修められないことをいう
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ〜☆ 仕舞いますね〜☆
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大不善地法とは、一切の善ならざる心が生じる時に限り生ずる心的現象で、無慚と無愧の2種がある
両者は罪を罪としてとらえない
自ら省みぬゆえ恥じることが無いのを無慚といい、他に対して恥じることがないのを無愧という
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますえ〜☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
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小煩悩地法は常時ではなく不定期に起こるもので、悪心によって生じる
忿・覆・慳・嫉・悩・害・恨・?・誑・?の10種を数える
忿とは憤りであり、覆とは自分の罪悪を隠すこと、慳とは物惜しみすること、嫉とは憎しみであり、
悩とは世俗のことに引かれて思い煩うこと、害は他のものを損なうこと、恨は怨みを結ぶこと、
?とは媚びへつらい事実を隠すこと、誑は他人を欺くこと、?は自身に執着し美化することをいう
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いまする☆
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不定地法とは、不定期に起こる心的現象で、尋・伺・睡眠・悪作・貪・瞋・慢・疑の8種がある
尋とは尋求(しつこく知りたがる)であり、伺とは伺察(隠れて様子を窺う)、睡眠とは心を闇くすること、
悪作とは万事に渡って後悔すること、貪は際限なく欲しがること、瞋とは憎悪また害意であり、
慢は自惚れのあまり他を見下げること、疑は万事につけ躊躇いものごとを決められないことをいう
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いま〜す☆
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大乗佛教においては、心所有法を遍行5種、別境5種、善11種、煩悩6種、随煩悩20種、
不定法4種の六類五十一種を数える
遍行は上座部佛教の大地法と同じく、全ての精神作用に伴い常に起こる心のはたらきで、
作意・触・受・想・思の5種をいう
別境は全ての精神作用に共通であるが、常時ではなく特殊な対象に対して時々起こるもので、
欲・勝解・念・定・慧の5種がある
善は上座部仏教でいう大善地法とほぼ同じだが、そこに無痴を加えて11種となる
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いま〜す☆
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煩悩と随煩悩は、上座部仏教でいう大煩悩地法・小煩悩地法・大不善地法に近いものがある
煩悩は根本煩悩(本惑)と呼ばれ、特に貪・瞋・慢・疑・癡・悪見の6種がよく知られている
随煩悩は煩悩に付随して起こるという意味から、枝末煩悩・枝煩悩また随惑とも呼ばれる
これは大・中・小の3種に大別することが出来、小惑は上座部仏教でいう小煩悩地法10種に等しい
中惑は大不善地法の無慚・無愧と同じであり、大惑には掉挙・?沈・不信・懈怠・放逸・失念・
不正知・散乱の8種が挙げられる
不定法については悔(悪作)・睡眠・尋・伺の4種があるとされる
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ では、仕舞いま〜す☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
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心不相応行法は色法でもなく心法でもないものであるが、上座部佛教と大乗佛教では解釈が異なる
上座部佛教では色法・心法各々に独立した主体があると考える
対して、大乗佛教ではそれらの実体は認められず、色法と心法が結合して作用する時に生じるのは
仮の存在であるとする
上座部佛教はこの心不相応行法に、得・非得・同分・命根・無想果・無想定・滅尽定・生・住・異・
滅・名・句・文の14種を数える
得は他の法を身に付けること、非得は逆に身に付けた性質を捨てること、同分は或る同類のものを
全て等しくならしめること、命根はいわゆる寿命である
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ〜☆ 仕舞いますね☆
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無想果とは心心所(心の構成要素・機能)を創造しない作用であり、色界・第4善の無想天の果報
(境涯)がこれにあたる
無想定とは無想化を感得出来る定(対象に心を向けて精神統一し、乱れることがない)のこと
滅尽定とは心心所有を生じさせない作用を遇する、有頂天(無色界第四天・色究竟天の定
生は生成の作用、住は止住の作用、異は異変の作用、滅は壊滅の作用としたものである
名は対象物そのものを表し、句は名によって意義を表す
文は事象を表した事柄をいう
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますよ☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
明日も皆の1日が息災でありますように
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大乗佛教は心不相応行法に、24種を数える
それは得・命根・同分・無想定・滅尽定・無想事・名・句・文・生・住の11種に、
異生聖、老・無常・流転・定異・相応・勢速・次第・法・時・数・和合性・不和合性の
13種を加わえたものである
但し、大乗佛教でいう得は第八識の種子の作用、命根は第八識が或る境界に住する作用、
同分は第八識が或る果報を変現させる作用、無想定・滅尽定は厭心種子の作用、無想事は
第六識は滅しても第七・第八識は滅せず、名・句・文は声の上の作用であるとするなど、
解釈が異なるところもある
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いま〜す☆
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前回の訂正…異生聖ではなく「異生性」、法ではなく「方」ね、ごめんなさい
上座部佛教の心不相応行法の11種に加えた大乗佛教の13種の意味は、大まかにいうと
次のようになる
異生性とは異性=凡夫の備える煩悩の種子(原動力)、老・無常・流転とは有情の変化(四相)、
定異とは善因善・悪因悪果と互いに差別する、相応とは因果の相応(大因大果・小因小果)、
勢速とは一切の有為の存在の生滅変化が迅速であること、次第とは生滅変化には厳然たる順序・
次第があること、方とは方角そのもの、時は時間の分位(過去・現在・未来)、数は量の差別、
和合性とは一切諸法の総ては衆縁和合の理から漏れることなく、不和合性とは一切諸法は総て
各々の分際を守って混乱することがないとする考えである
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますのデス☆
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おん さらばたたぎゃた ねりやだのう ふじゃ めいぎゃ さんぼだら そはらだ さんまえい うん
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無為法とは有為法に相対するもので、作意せられぬもの、生滅変化しないものを意味する
これについても上座部佛教と大乗佛教は大いに見解を異にする
上座部佛教では無為法について、虚空無為・択滅無為・非択滅無為の3種を挙げる
虚空無為とは、一切の所に遍満しながら他のものの障礒とはならず、かつ他の如何なる
ものから障礒されることのない無障礒を本性とし、大虚空または空間と呼ばれる
択滅無為という言葉において、択とは智慧を意味し、滅は寂滅・涅槃を意味する
つまり、無始以来の煩悩を智慧によって断ち切り、本来恒有の涅槃の理を悟り会得する、
それが択滅無為である
非択滅無為とは択滅によって得られた無為ではないものをいう
それは、法は因縁により三世(過去・現在・未来)に生滅し、生起する因縁が無くなれば
生じることは出来ず、不生の法=不滅の法となる
これを畢竟不生の法または縁欠不生滅という
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますよ〜ん☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
明日も皆の1日が息災でありますように
おん さんまらさんまら びまのう さら まかしゃきゃらば うん
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大乗佛教に於いては、6種の無為法(六無為説)を立てている
虚空無為、択滅無為、非択滅無為、不動無為、想受無為、真如無為の6種である
真如の理が一切の障害を離れ自由無碍である、それを虚空無為という
また、無数の智慧を磨いて煩悩を断滅したところに現れるのが択滅無為、縁欠不消滅の
ところに現れる真如を非択滅無為という
色界の第三禅で一切の苦楽無く、そこに真如が現される場合を不動無為という
無色界の頂点に達し、滅尽定を得て想受の心所が無くなった時現れる真如を想受滅無為
という
そして、真如はその実体となるものは絶対的なものである(真実如常)ので真如無為と
呼ばれる
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いまする☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
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おん さらばたたぎゃた ねりやだのう ふじゃ めいぎゃ さんぼだら そはらだ さんまえい うん
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以上、五位法に於いて、万有の構成要素は上座部佛教と大乗佛教で見解の相違はあるものの、
精神的分野に対する考察が主であって、物質についての考察はどちらかといえば第二義的である
佛教では精神に対する考察が重きを占めており、結果、宗教的・修道的色彩が強まって
善悪迷悟という問題が常に念頭に置かれることになったといえる
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ、行って来ま〜す☆ 仕舞いますね〜☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
明日も皆の1日が息災でありますように
おん さんまらさんまら びまのう さら まかしゃきゃらば うん
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前述のように五位では精神的なものに重きを置いていたが、佛教の世界観は必ずしもそればかりではなく、
インドの伝統的な物質的世界観をも受け継ぎ、四大説・五大説・六大説等がある
四大(四大種・四界)は地大・水大・火大・風大の4種の総称であり、これらは佛教でいう色法
すなわち世界を構成する物質面の根本的な素因を指している
この各々について、上座部佛教と大乗佛教ではやはりいささかの差異がある
大とは広大を意味し、体性広大・形相広大・事用広大の3方面が説かれる
五大とは、四大に空大(虚空)を加え色法全体(物質的全世界)を総称したものである
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
でわでわ〜☆ 仕舞いますよ〜ん☆
おやすみなさい、デビルの大好きな人たち☆
明日も皆の1日が息災でありますように
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六大とは、四大に空大を加えた五大に識大(世界を構成する精神的な要素原因・心法)を加えたもの
これはインドの伝統的な説を素材とし、密教(真言)の教義でいわれているところのものである
それは、人が経験的に知覚し得るものの本性や作用になぞらえ、世界や人生の構成要素を考え、
佛教的な意味によって説明したものであって、この6種の要素は全世界の物と心の総てを網羅し、
遍満しているものであって、この六大を以て構成されていないものはないとする
呵々、今天好日 祈安!
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
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