【大峠】日月神示 第六十巻【冬の訪れ】
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人知れず
保守で埋める
御姿に
ただ頭を垂れ
手を合わせる
ありがとうございます。 これもしかして独り言スレ乗っ取って散々荒らしてたキチガイ共か おはようございます。
まだまだ体験は不十分だけど
その時その時の
自分の本当を大切に
生きていきたいな。。と思います。
今日の一日をありがとうございます😊 >>29
おはようございます。
今日も気持ちいい日ですね。 偶然は必然。
その必然を
感性で受け止めていきたい。 悪霊の引き起こす偶然に惑わされて人生踏み外す人がよくいるからね
お前が何を知ってる? 糞偉そうにでしゃばらなくていいから
無根拠なオヤジ ためしに今からカレーのことばかり考えてみたらいい
カレーに関する偶然が頻発するようになる
そしてそんなものには何の意味も無い >>28
寝て起きて、色霊という文字を見てみた。
エロくて艶っぽいと感じてしまう。
お許しを 悪霊はオモチャになる人間を探している
オカルト趣味の凡人なんてのは格好の餌食だ 神示にも霊のオモチャが多いと書いてあるな
偶然を神のメッセージと捉えろとは書いていない
思い上がりなんだよ、それは
自分は神様に何か教えてもらえるような存在だという勘違い 「偶然と申すのは、宇宙世界、星の世界の必然からのものであって偶然ではないぞ、」
「上の、より高いところから来るから奇跡と見へ、偶然と見へるのぢゃ。神からの現われであるから、
その手順が判らんから偶然と見へるのぢゃぞ。偶然の真理さとれと申してあろう。」 悪霊という言葉も幼稚だ。
悪霊という概念を飛び越えねば、霊界の片面、悪神様や幽界、幽界に属する方達の働きを掴むことは出来ない。
何でもかんでも悪霊じゃ、小学生と変わらない。
ここは、シンクロから意味を見出したがるところとは違う。
お前さんがその色眼鏡を通して見ているだけだ。
偶然というものはない。
たまたまというものはない。
すべては然るべくして起きている。
その真実をただ頭に留め置き、観察し、歩みを進めるだけだ。
起きたことに意味を見いだそうとするのは人の悪い癖だ。
そこには魔がさしやすい。
起きたことに意味を決定するのは自分だ。 悪神様の働きなくして、ヒトの成長はない。
騙そうとする存在があるから、審神も磨かれる。
あえて悪の働きを為さることもある。
霊的成長の大きな分岐点の一つだ。 悪霊と言う言葉も可哀想だ。
人は自分にとってマイナス(障る)存在をすべて悪霊とし、力で祓いたがる。
訳あって苦しまれている霊的存在が人に助けを求めすがってくることがある。
すがられた時に、自分にとって負担となる現象は現れやすい。
それは波動が異なるからだ。
人はそうなると、力づくで祓おうとする。
海外の悪魔祓いもそうだ。
彼らは余計に苦しむ。
祓うとは正しく導くことだ。
経緯や経過に耳を傾け、苦しみを癒してやり、本来在るべきところに導く手伝いをするのが祓いだ。
祓い清めだ。
だからサニワな愛を以って導いてやらねばならぬ。
竜音の巻を読め。
そして様々な霊的体験を積み、五行の働きを以って理解せねば、地に滞在する霊のことは中々わからん。 霊のことを知るには、まず「霊的良識」を学び育まねばならん。
刀を手に入れたら鞘を作る必要がある。
そして、鞘にしっかりと納める訓鍛錬が必要だ。
人は力を手に入れれば使用したがる、斬れ味を試したくなる。
中途半端な知識や力は、他どころか自分まで斬ってしまうことになりかねない。
お釈迦様はその理由で弟子達に霊的な事柄に対して戒められた。 文盲らしいな、このバカは
何もわかっていない(笑) お前に何の実績がある
思い上がるなオカルトオタクが 俺はあなたにに怒っているんじゃない。
悪霊とレッテルを張られる方達が可哀想だからだ。
だから怒りを覚えた。 糞みたいな悪霊を持ち上げ、実際の被害は軽視
足りない頭の中だけで遊んでろ、オカルトオタク(笑) カレーのことを考えてる自分の想像したら、笑顔になった。
食いしん坊みたいで、なんか可愛いね。
笑顔をありがとう。 小賢しさは小逆しさとも読める
せこい考えは神示に逆行するばかり 神示を引き合いにマウンティングしたがるのやめたら?
潰すぞマジで >>57
あなたも同じように言葉で言い返せばどう?
実力行使で黙らせる方がお得意なのかな。 >>56
賢 という字は人の又に貝とかいてあるんですね。
アダムとイヴの話思いだいた、賢さを得るとは神とか真理との別離、逆行とも言えるのかもね。
一つ気づけたような気がする。
ありがとうございます。 そしてま生まれ変わった時に、また人と獣が出会うんだろうね
ロマンチック 日月神示にはそうは書いてないなぁ
残念ながら・・・ イワト明け
神無思想の夜が明けて
三千世界の夜も明ける
神の子輝く代となれば
神子嬉しの代となれる
あけよあけよいざ行かん
燦然世界の世にに行かん その前に 立て直しのぶち壊し
神なし思想の方々は三千世界の日が落ちる >>73
違う
そういうことを言ってる人間が淘汰される 金神様は毎日親神様にお願いして、日を伸ばしてると仰られている。
何故だろうか、おそらく一人としてこぼしたくないという気持ち、深い慈愛と言えばいいのかな、神示では厳しいこと怖いことを言われるが、なぜか心地好い、奥にある慈愛のようなものがそう思わせるのかな、などと妄想。
誰一人こぼさないでいい状態とは、皆がほんとの意味での神有思想になればよく、そのために日がな毎日親神様にお願いしてくださってる。愛としかいいようがないです。
誠に感謝します。ありがとうございます。 初心忘るべからず
失敗から学んだことを
忘れないようにしたいと思います。
ありがとうございます。 そもそも何故神様が未来のことを言う必要があるのか
得意気に誰それは獣で自分は大丈夫などと錯覚している心の持ち主こそ要注意 誰彼によらず焼かれるようなものを持っている者は神界との次元融合時に晒される神界の光(メギドの火)によっていっぺんに焼かれる事になる(裁きというより化学反応みたいなもん)から神示読んで少しずつ燃やしとけ(掃除)よって事なのかと思います。
日月神示未来年表
〜 終末予報 〜
https://i.imgur.com/CTOroSI.jpg 終末が火や剣や針穴で表されるのは身を通さない為。
身に囚われた心も身。通れん。
だから改心しろ。肉食うな(肉を心の中に入れるな)と言っている。 メギドの火に似たものが
火の蛇 ( クンダリニー )。 火の洗礼といつても東京の大震災、大火災の如きものを云ふのではない。
大火災は物質界の洗礼であるから、之はやはり水の洗礼といふべきものである。
火の洗礼は霊主体従的神業であつて、霊界を主となし、現界を従となしたる教理であり、水の洗礼を体主霊従といつて、現界人の行為を主とし、死後の霊界を従となして説き初めた教である。 モーセが荒野で蛇を挙げたと同じように
人の子も挙げられねばなりません。
それは
彼を信じる者がみな永遠の命を持つためです。
このイエス様の言葉は
悔い改めを仰られていたと思われます。
悔い改め ( 悪を抱き参らせる )。 >>88
お前より出口王仁三郎の言葉の方が本当だよ >>85続き
何故ならば
イエス様も出口王仁三郎様のように
火の洗礼の意味を判って
仰られていたと思うから。 火の洗礼
水の洗礼
という表現(言葉)は、もう古いからなあ。
当時はそう表現せざるを得なかったけど。
だから言葉にとらわれすぎたら本質が見えなくなる。 >>88
あなたの他の箇所の引用の解釈と説明は参考になっている
でも火に関しては霊だと思う >>92
そうそう
洗礼自体がキリスト教の言葉じゃないのかな
全然馴染みがない表現だよね 悪を憎んじゃいけないっていうけど、座間の事件には本当に戦慄してる
人間の怖さ
自分の身近にもこういう類の冷血動物と思しき奴を数人知ってる
そいつらも社会的な身分がきっちりと守られている時はいいが、底辺に転落したら殺人鬼になりそう 仕組み(プロセス)はとっくに変更されているが、あえて洗礼を引き合いに出すならば、
火の洗礼と水の洗礼を区別するからわからなくなる。
火水の洗礼
洗霊(洗濯)
と考えた方がまだ本質に近づきやすい。 たしかに区別する必要性はないな
火=霊だから、精神的な浄化作用のこと、ともいえるけど >>93
体主霊従の体を一旦滅ぼして、霊だけにしてから霊主体従に戻すのが狙い。
だから体を滅ぼす為の火や剣で象徴される。もちろん物質的な火ではない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています