>>384
おふどうさま は おぬしの おもっている はんいを でることはない じゃろうのう
かりに いがいなところが あったとすれば それは おぬしじしんの もつ そくめんじゃ

「なきながら あくを ふむ」 その いんしょうの とおりである
そして それは いかりに あいたいしておった おぬしじしんの すがた でも あった

ぜん とは あく とは
すべてを うみだした おかあさんの たちばから ものをみると
そこには ぜん あくの くべつなき きょうちがある

さて このせかいを たいけんするために あえて うまれた むすうの おぬし には
おぬしの かずだけの してん や たちばが ある

ふどうみょうおうたる おぬしにとっての あく とは
いかりをもつ あいて にとっての ぜん というみかたも ある

いかりをもつ あいてに とっての あく とは
ふどうみょうおうたる おぬしにとっての ぜん というみかたも ある

なぜ この ぎゃくてんが うまれるか

それは いかりをもつ おぬしと ふどうみょうおうたる おぬしが
「たがいを じぶんの おもうようにかえよう」 という たいりつの たちばを えらぼうとしておった ことによる

この たちばに たがいが さいごまで こだわれば すなわち ついしょうめつ となる

じゃが しんぱいには およばぬ
げんじつてきには いろいろな えいきょうが かいにゅうし たいりつの じくは 「ずれる」
「ずれ」 は また あらたな きょくめんを うみだすであろう

これが せかいの ほんしつの ひとつである