0368いち
2017/11/12(日) 15:01:07.07ID:mbcdzmhx0おぬしのいう 「無」 と
おぬしのいう 「有」 とは
あいたいする がいねんのようにも みえるが
おなじものの ことなるそくめん ともいえる
それを ひとつの ことばで ひょうげんするならば
「すべてであるが なんでもない」
である
すべて とは
あらゆるものと そのかのうせいを ふくむ ひとつの ぜんたい すなわち せかい である
その ぜんたい を ていぎ するには そとから ひかりを あてる ことが ひつようとなる
いかにも わし すなわち おぬしは そのように しようとした
せかい を かんさつするために せかい の なかに うまれることを えらんだのじゃ
ところが うまれたことによっても おぬし すなわち わし と せかい は やはり いったい である
せかいの そとから あてたひかり それもまた この せかい の いちぶ であり
せかいは そのぶん ふくらんだ
さて ふくらんだ せかいを ていぎするために また おぬし すなわち わし は うまれる
そうして さらに せかいが ふくらんだ
これが おぬしのいう 「有 が 生まれ続ける」 に ちかい
うちゅう は そうぞう されつづけておる これは かのうせいが ぐげんか されつづけておる と いいかえても ちかい
さて どれだけ ぐげんか されても おぬしの はっする とい が また びっぐばん を おこす
このいみで おぬしのいう 「無 は 残り続ける」 というのも ちかい