>>213 つづき
しゅうしょく かつどう においては
とくべつ それをしたい のでないかぎり じぶんに つごうがわるい ことを めんせつかんに はなしたり こたえたりする のは ふようじゃ
すべての できごとには まえむきな そくめんが ある
おぬしは まえむきな そくめんに ふぉーかすし じぶんを せんでんすれば よい

このばあい じぶん かざりたてるのに ざいあくかんを もつひつようは ない いまの しゃかいの こうぞう それじたいが りっぱなもの とはいえぬ からじゃ
おぬしを きびしいめで めんせつし うえから はんだんするの ものたちの おおく
それは にほんが くうぜんの こうけいきで うかれ みずからの じつりょくを かしんして おったじき にゅうしゃした ものたちである

とうじ きぎょうは じんざいかくとくきょうそう にあり がっこうを そつぎょうする ものたち の かこいこみを しておった
めんせつかんから がくせいへの せったい なども おおく あったのじゃ
このような たいぐうを えた とうじの わかものたちが うってかわって わかい おぬしらを えらぶ たちばじゃ
はでな かざりたてを するのに ちゅうちょは いらぬ

むろん かいしゃよって さいようほうしんは ことなるが どのような めんせつであれ ただひとつ いえるのは
「おぬしは じしんを なくすひつようが ない」 ということじゃ