幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその30
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ルール
・基本的に幽霊や霊に関する話をしてください。
脱線し過ぎて何のスレか分からなくならないように。
・心霊現象を否定することが目的の人を生暖かく見守ること。
※前スレ
幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその29
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1504251172/l50 白けムードの無党派層がじつは世直しのカギを握る。
それをふいにしてしまうことの罪深さ。 選挙があるたびに政権を選択できるのが小選挙区制の利点だったはずだ。 そうやって民主主義を深化させることができたはずが・・・。 ほんの一握りの人々を除けば、今後もますます生活は苦しくなる。
「今だけ、カネだけ、自分だけ」の限界はすぐそこではないのか。 地方の財政破綻も待ち構えている。生活の基盤が損なわれる。 現在の貨幣経済は近い将来ぶっ壊れる。これはヴィジョンを得ているひとびとがかなりいる。 IMFの報告書である財政モニターとやらを読むと、ユニバーサル・ベーシックインカム
について取り上げている。 おそらく霊的なヴィジョンを得ているひとびとはそれをキャッチしている。 だから「今だけ、カネだけ、自分だけ」は成り立たなくなる。 現在の50代、60代の連中が死んだ後の世界ではないかと
勝手に想像している。 だからまだまだバカどもによる熱狂はつづくのだろう。
その間、苦しめられる人々は諦めたままなのか。 現在の中東における戦争が第3次世界大戦であるという見方もあるが、
第2次世界大戦のような戦争は起こらない。それをやるだけのカネが
各国にはないからだ。 超大国と呼ばれた米軍がボロボロな様子を見れば火を見るよりも明らかだ。 人々が行きつくところは目に見えない存在に対する敬いの心だ。 聖戦士として死ぬことに最大の喜びを見出す兵と
カネを稼ぐ目的の兵ではどちらが強いかいうまでもないだろう。 自爆攻撃を前に歓喜の涙を流す聖戦士を敵に回すことの愚かさだ。 日本人も血を流せと平然と言ってのける知識人とやらの傲慢な顔を拝む。 「腐敗した権力は、1人の人が事を決める。人の言うことを聞かない。
そして人の大事なものを勝手に奪う」
>>353のリンク記事より抜粋した。 国家は救世観音、観音菩薩であるべきだと思う。そうなれるんだ。 人々の音(声)を観じて、その苦悩から救うという慈悲深い菩薩が観音菩薩。
福祉国家を究めてみてはどうだろう。 負の霊団の働きかけによって魔が差すことがあるという。
奴らは思考に介入してくるから文字通り、魔が差す。 人間と暮らすペットは人霊に近く、魂が進化している。 呪いを跳ね返す方法がある。これは生霊を跳ね返す方法でもある。 その手の書物を紐解くと、自分が多分こうやればいいだろうと思って
実践してきたことが正しかったことを知る。 水場があって高電圧が揃えば、そこには霊が出現する。 霊が出現するというよりも霊が可視化されるというべきか。 霊を人生においてうまく活用すると表現すると霊に失礼か。
霊の協力を得ると表現すべきか。 心霊スポットと呼ばれる場所を探索して超常現象を目撃・記録する
よりも自身の内面と向き合って守護霊と対話するほうが安全であり、
自身の霊能開発になりはしまいか。 仮に寝たきりの状態にある人であっても守護霊と対話することは可能であろう。 幽霊として目撃される未浄化霊にも守護霊がいることを知ってほしい。 某霊能力者があなたには守護霊がいないから守護霊をつけてあげます
というのはデタラメである。 自身の守護霊とはこの世に生まれてくる前からの付き合いだ。
そして死んだ後も付き合いがつづく。 守護霊が自分自身(ハイアーセルフ)でもあるので切っても切れない縁がある。 守護霊なんていないと思ってる人たちは、死んだあと、この私のことを
思い出すことになりますよ。それくらい私はあなたに影響を与えています。 霊が実在し、その霊もかつては生きていた人であるとわかれば
同情こそすれど、恐怖心を抱く対象とはならない。 実際に体験したという話を収集してみると、それらにはだいたいパターン
があることに気づく。そして実に様々なところに霊がいることもわかる。 霊の実在を認めようとしないひとは、そもそも霊について何も調べていない
こともよくわかる。そんなバカな奴とはかかわるだ無駄。 映像に霊が記録されていると主張すると、全力でその映像の不備を
見つけ出そうとし、ひたすらケチをつけて否定しようとする。
その一方で霊とは縁がなさそうな映像については一切疑問視しない。
ダブル・スタンダードを全力で持ち出すバカ。 イソップ寓話のすっぱい葡萄みたいな態度をとるバカ。
もっと素直になればいいのにそれができない見本。 どう考えても映像に記録されている霊は否定のしようがないのだが、
それを否定したつもりになる行為とはいったい何なのか。 映像を霊視して霊が見えるといっているのではなく、明らかに人型のものや
ガス状のものが記録されているのに、それにケチをつけるのは
ただの言いがかりにすぎないことを認めるべきだろう。 霊が映像として記録に残ることはとてつもない発見なのに、
それよりもその事実を否定することに躍起になる奴らはいかがわしいだけだ。 霊を見たと訴える者がその証拠として映像を持っていることは
驚くべきことなのだ。それが監視カメラや車載カメラの映像だったりすると
その信ぴょう性は高い。 ごく当たり前の理屈を受容できない奴らを相手にするのはバカバカしい。
主観的な現象ではなく、映像という客観的な現象を小馬鹿にするのは
ただのバカ。 車載カメラの映像が決め手となる事件はたくさんある。
これが一般となっているのに、そのカメラに霊が映っていると
全力でそれを否定するバカが現れる。 ダブル・スタンダードを理解できない奴らがたくさんいる。 しかし怖い話を聞きながらの作業において、そのお話が全然怖くない。
だから不思議なお話という括りで聴いている。 もう一方のスレッドで、相も変わらず知ったかぶりをしてる人たちか。
あちらには近寄りたくない。悪い感じしかしないので。 >>415
Dowはデリヘルというサービスを日常的に利用するジジイなの?
落ちるところまで落ちてるのね。 金魚だったか熱帯魚の飼育が趣味だったかな。
部屋の中に水槽を置くのはよくないらしいよ。 観賞用に魚類を飼育することにもカルマが生じる。
土木工事なんかで池や沼を埋めるとき、大量に生き物を殺してしまうので
それなりに供養をする業者もあるくらい。 そこは難しい
熱帯魚は自然界の中では平均して1年も生きられない
設備を整えて飼えば何年も生きる
ただし人間に飼われることが幸せではない、という考えもあるだろう 特定外来生物に指定されるものが自然界に放たれると、
生態系に悪影響が出る。それを後押しするような消費行動は避けたほうがよい。
負のカルマの蓄積はいずれ利息付きで返済を迫られる。
逆に正のカルマというものも考えられる。こちらは徳を積むと表現したほうが
わかりやすいか。ラッキーポイントを貯めましょうってこと。 じつは守護霊はラッキーポイントが不足していることでさえ
伝えてくることがあるんだ。そうやって負のカルマの一括返済を
引き延ばそうとしてくれるんだが、ほとんどのひとたちがそんな
守護霊のメッセージに気づかない。 ちょっとした事の積み重ねが不運を遠ざけることにつながる。
道路にペットボトルが転がっていることに気づいたら、自分にできる範囲で
それを拾って処分するとか。些細なことの積み重ねを守護霊は
しっかりとみているんだ。ゴミに気づくということは「さあ、どうするの?」
と守護霊に問われているわけだ。 野良猫の子猫を保護する活動をしている人たちなんか、それだけで
すごいことなんだ。保健所で殺処分されてゆく動物たちをどうにかして
減らす取り組みをしている人たちもすごいことなんだ。
この行いが積もり積もって世界平和をもたらすかもしれないんだ。 自分にできる範囲で善行を積む。無理をしないことが肝心です。 日常的に霊を見ている人たちが霊に関する知識に疎いのが解せない。 たとえば日常的に雑草を目にしている人たちが
その雑草について詳しくないことと同じなのか。 雑草であればたいていの人がそれを目にすることができるのだが、
霊についてはそうでないのだから興味の持ち方がそれとは異なるはずだろう。
なのに霊について深く調べないのはどういうことだろうか。 霊についての知見を深めてゆけば、今とは全く異なる地平が見渡せる
と思えてならないんだが、それは気に食わないということなのか。 たとえば重力波の観測に衝撃を受けるのはほんの一握りの人々
であることと同じようなものか。 霊について考えることは絵空事ではないという、この認識
を持てない人々が多すぎる。 霊の発見は重力波の発見よりも遥かに大きな発見となるはずだ。 この霊を胡散臭い人々のものにしてしまうことはこの上ない
損失といえよう。 また権力者だけが霊に関しての知見を有することも問題ではないか。 スピリチュアリズム(心霊主義)は哲学でもある。
これを実践することで人生を実り多いものとする。 日本人の生活様式に死者との交流がしっかりと組み込まれており、
殊更に心霊主義を導入しなくてもよいとは思うが、
拝金主義が横行する現代においては今一度心霊主義に注目
するのも悪くはないだろう。 かつて福来博士を東京帝国大学から追い出すようなことをしなければ、
いまごろは超心理学の分野において日本が先進的な地位を確立していた
かもしれず、オウム真理教のようなものの出現を逆に封じることも
できたのではないかと思う。 ただ、時系列に沿って考えてみると、不思議なことにオウム真理教の
事件の後にテレビ番組でスピリチュアルコンテンツが注目を集めた
ことは興味深い。 オウム事件を含めて、人間には元来、目に見えない存在に対する
興味があることが種々の事象によりわかる。それを嘲笑する自称
知識人や常識人のいかがわしさも見えてくる。 霊視に長けた人であれば、オウム真理教の事件について一般には
知られていない情報を得ているかもしれないのだ。 今般の北朝鮮の動きについても霊的な感覚を通して
得た情報を持っているかもしれない。 インテリジェンスに能力者が関わっている疑いは消えない。 日本にはかつて卑弥呼という人物がいたのだから大昔から
霊的な能力に長けた人物がいたのだ。 いまだに幽霊現象の見分け方・分類の仕方を求めているバカがいるのか。 霊を見る人たちの見え方はそれぞれなのだからそこに定型的な
ものを求めるほうがどうかしている。無知は気の毒だ。 未浄化な霊の見え方には実在する人間のようにはっきりと見えるひとも
いれば、質感が乏しくまるで半透明の人間のように見えるひともいれば、
人型の影のように見える人もいるなど、それは目撃者次第である。 この程度も知らぬ輩が集まって何ができるというのか。 サンプルを集めることができずにいては何もできまい。 「バカ+バカ+バカ=バカなんだ」と述べた亀井静香先生が引退でしたね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています