「視る」系統の話だがレスからおかしな気が漂ってきたのでリンクはどれも開いてないため論点が違うことを言ってしまうかもしれんが
第一に同じ何かを視ても機縁により人型に見える者も動物(神聖獣)型に視える者も聞こえる者も嗅ぐ者も直視する者も片隅で捉える者もいる
だから感覚のない人が現世(うつしよ)の感覚であーだこーだ言っても群盲像を撫でるにさえ至らないばかりかおかしな誤解を固着させてしまい迷いの世界に入り込んでしまいかねない
第二に視たからといってそれが圧倒的体験だからといってそれが絶対ではないことも肝に命じておかないとマズい
以前に知り合いの知り合いがカケラのような視る感覚を得てそれを賞賛する集団に取り込まれかけていて自我肥大の王道を歩み始めたので
知り合いに頼まれその人に会いその人に自力で「視る」ことをコントロールするとても簡単で確実な技を20分ほどで教えてあげたことがある
自分としてはこんなにも簡単で誰にでもできる神秘のかけらもないことだから自我肥大させてもカッコ悪いと自覚してもらうためだった(実際ふつうはそこで正気に返る)
その人はその後わたしからその技を学んだ事を「完全に忘却し」その上に超古代の偉大な伝統の啓示と自分の神秘の能力によりそれができると平然と言い出し
それを賞賛する(利用しているのだろうがね霊的兵器に仕立てたいのかも)集団に持て囃されている

人格的または非人格的なエネルギーは高次のリアリティではあってもけしてそのままで救済や希望をもたらすわけじゃない

うーん今回の書き込みは政治と龍脈についてまで辿りつく時間がないやまた今度!