ハングリー精神というのは明治以前や残存という意味ではバブル期までの日本では勝利とその果実としての利益と無形の喜びを家族や友人そしてゲゼルシャフトとゲマインシャフトを問わず大は国家や地球共同体とともに分かち合おうとする意志のことで
これは「希望」の感情が支配しているアジアアフリカ地域ではまだあるし「恐怖」の感情が社会的感情となっている西欧とUSAでも夢として家族や友人そして小さな共同体とともにできたら国家や宇宙船地球号とともに種の垣根さえ超えて分かち合い頑張りあおうとするものがある
しかし日本の「ゆとり世代」にはこれがなく自分しか居ないから周囲にいる存在としては困っているんだという話ですのよ
勿論ハングリー精神は大きな物語(イデオロギーや世界宗教)に利用されやすいが「つながり」でありそこには生命のエネルギーが流れている
これに対して日本の「ゆとり世代」には生命が流れていない
自己防衛以外のことを考え行動できる人が日本全体でもこの世代にだけは驚くほど少なくなっていてビビるよ
その後の今の10代はまた違ってきてるんだが…
これは龍脈がこの世代の時におかしな事になっていてこの世代には「つながり」「いのち」が理解できないまま生育したせいかと考えたのだがな