幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその29 [無断転載禁止]©2ch.net
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幽霊はいるのかいないのかを議論してるようなしてないような、罵りあってるだけの気もするようなしないような、そんなスレです
リターンズ略してRにしてますw
ルールは今のところ1つ
・ 基本的に幽霊や霊に関する話をしてください
脱線し過ぎて何のスレか分からなくならないように
※神社仏閣板の有名荒らしヨウニン・キムベン・聖染、スピ・占い・婚活関連板の荒らし自演ゴキブリ精子ヒス婆(キチガイ詐欺占い師の竹下宏)の書き込み禁止。
※前スレ
幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその28
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/occult/1501680234/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>885
ただ、俺は昔このスレでコテでやってたからわかるけど、ネタ親父はもう少し深いことを考えてる
後で聞いてみたらいいよ >>877
>被験者が幽霊だと思ったものは幽霊だって理屈を持ち出す人いる
これ、言ってる事が分からないでもないです。というのは、既に亡くなっている
いる故人の魂に由来したものでないかと考えてもおかしくない例による、その
幽霊だと思う場合です。 しかしこの場合は幻覚などによるもの、という可能性
もありますが。 興味があればブログを見に来ておくれ 幽霊のことも書いてるよ
http://scoby.blog.fc2.com/ 幽霊の祟りなんて現代の日本人特有の感性なんだよな
欧米じゃ悪魔として扱われるし
日本も昔じゃ狐憑きなんて言われてた
もしかしたら祟りと言われてる物は幽霊以外の原因もあるかもしれん 意識=魂なのか?
意識=幽霊なのか?
魂=幽霊なのか?
>>889
京極夏彦が『妖怪馬鹿』で「フィクションでも祟る」と言っていた様な。
四谷怪談のお岩さんはフィクションらしいとする向きもあるが、祟るというし。
自分が昔、発表した短編小説のキャラクターが呪いみたいな事を起こした経験ある俺。
(尤も最後のは俺の主観がかなり入ってるが)。 そもそも論として、本当に幽霊(悪霊)がいて、祟れるもんなら祟ってみろって思うww >>890
本人の意識とは無関係に祟るに生き霊とかあるに
意識=幽霊と魂=幽霊の等号には疑問があるんだよな
それに創作で祟るのは自己催眠みたいな思い込みも否定できない 本物の幽霊を見ても、それを「見間違い」と認識したら見間違いということにもなるな。
皆が「虚偽、幻覚、見間違い」と認識すれば、幽霊はこの世に存在しなくなるわけだ。 >>894
>皆が「虚偽、幻覚、見間違い」と認識
何をもって上記と見なすかが問題。
感覚的に見間違いなんていうのは意味がない。
何度も再現され、科学的根拠をもって幻覚や見間違いと証明されたのなら、それはそうなんだよ。 え?
肯定派いわく「何かをみて幽霊だと認識したら幽霊」なんだから、「幽霊を見て見間違いだと認識したら見間違い」だろ。 「ゴキブリを見てカブトムシだと思ったら、それはもうカブトムシである」と言ってる奴もいたぞ。 >>898
他の肯定派は批判してなかったから、認めてるんだろ。 >>900
「批判しない=認めた」ではないと思う。 >>896,897
それ認めたら、ただの言ったもん勝ちになるだけじゃんw
頭の悪いアホな意見って切り捨てて良いと思う。 議論が噛み合ない最大の理由は、このスレの構造的ジレンマでしょうね。
スレタイに「本当に〜」と銘打ちながら、スレ主であるネタ氏自身は幽霊を民俗学的視点から捉えているわけですからね。
(´ー`)y-~~ 民俗学なら確かに「居ると信じる=居る」という定義も有りでしょう。
「かつて日本には妖怪や精霊が居た」という表現や「小さな頃には神様が居て…」という歌がある通り
この手の解釈が一種の社会的共感性を得ていることは否定できません。
その意味に於いては、枯れ尾花を幽霊に含める彼らも決してアホとは言い切れない。
(´ー`)y-~~ しかし一方でこのスレは「本当にいるのか」を問うているわけです。
この場合は、必然的に「科学的(物理的)に存在が認められているか」が議題となる。
例え民俗学的に「サンタクロースは居る」との解釈が有り得ても、
やはり「本当」を問われた場合は、「恋人がサンタクロース、本当はサンタクロース」と歌わざるを得ないわけです。
(´ー`)y-~~ 但し、科学的証明を旨とした議論であっても、どこまで科学に証明性を求めるかは判断が分かれるところでしょうね。
その意味で、このスレがゴールを「世の中がいる・いないに統一された時」に設定しているのは大変面白い。
世の中は決してガチガチの科学だけを信奉しているわけではありません。
例えな科学的根拠に乏しい事件であっても、「心証」から死刑を確定することを社会は認めています。
ここで問う幽霊の存在性も、そんなものでいいのでは無いでしょうかね。
民俗学的な拡大解釈でも、科学的な狭量性でも無い、第三の道。
「幽霊は居る」という社会通念の形成は可能か(または既に形成されていると言えるか)にこそ
闊達な議論の道があるのではないか、とね。
(´ー`)y-~~ まあ、当初は物理的にっていう制約条件だったけど
あまりにネタが無さ過ぎて、ネタの人が緩和したという流れ。
元に戻して、科学的、物理的の制約の中で派生議論として民俗学的な話を
する方が平和な気がするけどね。 >>901
だから肯定派には自浄能力が無いと言われるんだよな。
自分は否定派だが、間違った否定論(理屈じゃない。いないものはいないんだ的な)を振りかざす否定派に対しては可能な限り批判するけど。 元情報となりうる当該故人を特定できるならそれはもう幽霊だろう。
ただし、忘れている故人の遺影写真等を見て改めてその人を思い
出した等という話は当然除外しますけど。(^_^)/~ >>902
切ってんの俺だけじゃん。
肯定派が切って、自浄能力を示せよ。
否定派が切っても、いつもの「否定派vs肯定派」の流れになる。
肯定派が肯定派を切って捨てることにより、「肯定派にも認められていないダメな肯定論」という自浄能力が発揮された図式になる。 >>906
客観的な物的証拠も無く、自白や目撃談だけで死刑にはならないけど(少なくとも現在の日本では)。 「心証で死刑になる」というのは、物的証拠により犯人であることが客観的に証明された案件において、有期刑or無期懲役or死刑のどれにするか、「量刑が心証によって決まる場合がある」というだけの話だ。
被告が真犯人かどうか客観的に証明できない場合に、心証だけで真犯人認定し、死刑判決を下す事はあってはならない。 >>907
肯定派にアイデアが無さすぎ。
スマホやGoProなどを使えば、今までと異なる幽霊へのアプローチなどいくらでも試せそうなものだが、そういう新しいアイデアを全く見た事が無い。
前々から言ってるが、スマホとプロトレックがあれば、目撃地点の正確な位置情報や気温、湿度などが簡単に記録できる。
犯罪だって、犯行現場の正確な位置の確定や、周囲の環境の記録によって解決の糸口が見つかる事も少なくないのに、肯定派に言わせると「そんなものは無駄だから記録しない」だそうだ。
新しいテクノロジーが山ほどあるのに、その活用を拒否しているのだから、そりゃマンネリ、ネタ切れになるのは当たり前だろ。
そこで「客観性の判定をゆるゆるにして、ネタを出しやすくする」などという対処療法を行なったら、昔の「何でも言い放題」になるだけに決まってるわ。 恋人とか愛情とか友情とかも、本人がそうだと認識すればあるってタイプの言葉だよな
こういうのは科学的にって言っても難しいしな
幽霊についてもそういう概念的なものだと認識するなら、「幽霊だと思えば幽霊」ってのもありなのか?
まあ、それだと何を話すんだって感じになるけど >>823ネタの人へ
もし見てたら応えて欲しい
>>886の言ってる「もう少し深いこと」って何?
>>903の言う「民俗学的視点」って事だろうか? 科学的&客観的アプローチを何千回と繰り返し、それでも何の結果も出ない→科学的&客観的アプローチで捕捉できない存在かも→人文科学的なアプローチに方向転換
これならまだわかる。だが
科学的&客観的アプローチを何もしていない(目撃情報や体験談の検証すらしていない)→なのになぜか「そんなものは無駄」と決めつけ→人文科学に逃げる
という態度ではねえ 映画やテレビドラマなどで見た事あると思うが、変死体が見つかったときに、警察はその死体の写真を撮ると同時に、死体の輪郭に沿って床にチョークなどで線を引き、また遺留品のあった場所に印をつけ、その写真も撮る。
このような現場の記録が、事件解決の糸口になったり、裁判においては重要な証拠としての効力をもったりするのである。
犯罪捜査などにおいて有力な「証拠や根拠」となる現場の記録が、幽霊目撃談や体験談においてはなぜか軽視され、肯定派の中にはは「無駄」と言い切る者もいる。
科学実験や犯罪捜査では重要な証拠や根拠となる「客観的かつ詳細な記録」を、なぜ幽霊研究において無駄と言い切れるのか。 >>917
ネタの人は自分で可能な範囲で科学的アプローチを実践しようとしてる様に見えると思ったんだけどな
個人情報開示やら人生や現状の生活の継続を掛けてまでやらないと話にならんと
「もしも」そう言うのならちょっと極端に感じるな
勿論ネタの人のレスを盲信する気は更々ないんだけど
オカルト好きとしては話は最後まで聞いてみたいって興味はあるしな
そもそも幽霊が「文化的存在として実在する」って事に関しては
自分も含めてここの懐疑派であれ更には否定派であれ疑義はないんじゃね?
否定派だって科学的な存在としては幽霊は存在しないと断言してても
まさか文化的な存在としては否定してないだろ?
肯定派の多くが自然科学的な実在性と人文社会学的な実在性を
分別する事なくごっちゃにしてそうだとは自分も思うけどな >>911-913
例えば林真須美死刑囚を犯人と断定する「科学的根拠」はあったでしょうか?
複数の状況証拠を犯人性の証拠として採用したのは、つまるところは裁く者の「心証」なのです。
(´ー`)y-~~ 狭量な科学的観点に則ると、カレー事件には別の犯人が居る可能性を否定出来ません。
また、「に」氏らの提起する超科学的観点に則ると、真犯人は宇宙人や超能力者である可能性を否定出来ません。
しかし世の中は、そのどちらの観点も採用していませんね。
一定の合理性さえ満たしていれば、林真須美死刑囚=犯人が社会通念となるわけです。
もちろん現状で合理性を満たす霊的現象は皆無です。
しかし最初から超能力や宇宙人の可能性を引き合いに出すのは、現実の社会通念の形成プロセスに照らして、如何なものでしょう?
(´ー`)y-~~ 確かにどこまでの合理性を求めるのかって程度の問題でもあるのかもな
懐疑派否定派であれ意見の別れる所はあるのかもしれんね
個人的には量子物理学とかで存在の不確定性やら可能性を語られると萎える
そこに置いてあるリンゴは誰が見てなくても実在していて
何らかの作用が働かないと移動しないってレベルでの検証が適切だと思うわ >>922
記録を読んでないから詳細は分からないけど。
カレー事件は、カレーを食って死んだ人がいる、カレーからヒ素が検出された
容疑者周辺からヒ素が検出されたって争いの無い事実があるからね。
ヒ素は本当に成分は一致してるの?とか色々と疑問点はあるけどね。
心霊現象の場合はそういう争いの無い事実からして曖昧なものが多いから
まずはそういうのを集めてはどうか?って段階だけど、嫌がるというか
そういうのは無駄だという人が多い。 「心証で幽霊が存在することをOKにしようぜ」という態度は、「心証で死刑にすることもOKにしようぜ」という態度と同じです。
もしあなたが「林真須美被告は心証だけで死刑判決を受けたが、それは由々しき事だ」と考えているなら、「心証だけで幽霊の存在を認めるのは由々しき事だ」になるはずです。 >>921
無差別殺人事件の裁判ですら証拠の吟味が不十分な場合もあるのだから、他の裁判も、幽霊の研究も、証拠の吟味など必要無い。
と言いたいのですか? 「林真須美被告は、冤罪の可能性もあるのに、心証だけで死刑判決を受けた」
というのであれば「客観的な証拠をもっと重要視し、深く吟味、精査する必要があった」という結論になると思うのですが? 【結論】
事件捜査でも、幽霊の研究でも、客観的な証拠や根拠をしっかり精査しないと、心証による冤罪や、心証による間違った結論にたどり着いてしまう。 >>922
つまり「心証」や「社会通念」は、必ずしも真実とは言えないという事ですわな。
という事は、幽霊を心情や社会通念を拠り所に分析、検証しても、それが真実とは限らない。
ということだな。 真実を追究したければ、心情や社会通念を拠り所にせず、客観的な証拠や根拠を拠り所とすべき。
まあ、当然の結論だな。 ヒ素カレー事件を「心証だけで判断してはいけない例」ではなく「心証で判断することもあるんじゃない?の例」として挙げるバカがいて失笑を禁じ得ない。 >>925
>カレー事件は、カレーを食って死んだ人がいる、カレーからヒ素が検出された
>容疑者周辺からヒ素が検出されたって争いの無い事実があるからね。
しかし犯行の瞬間を誰も見ていないですし
犯行現場に被告以外誰も存在し得ないと「科学的」に証明されたわけではありませんよね。
科学は「ビーカーに何かが混入した可能性」を排除出来ない限り、それを証明と認めません。
しかし「カレー鍋の前に別の誰かが居た可能性」を排除出来なくても、社会は被疑者を真犯人と認めているわけです。
つまり、社会はその基準を「科学性」に置いては居ない。
心証的に「合理的な疑いを差し挟む余地のない」と見做せば、それは立証されたと見做されているのです。
(´ー`)y-~~ >>926-932
一口に「心証」といっても様々なのですよ。そこら辺があなたの限界なわけです。
要証事実への心証が一定基準を満たすプロセスを経て形成されている場合は
それらを軽薄な「思い込み」や「信心」と同一視することは出来ません。
あなたは「犯人が宇宙人である可能性がある以上、林真須美を無罪にするべき」と思いますか?
林真須美に対する死刑判決は「科学的根拠に乏しい、心証によって導かれた冤罪」でしょうか?
もちろんそう思う人も居るでしょう。
しかし社会はそれとは異なる考えで、合意を形成していますね。
(´ー`)y-~~ 要は真偽を図る際に「どこまでの合理性を求めるか」です。
それは必ずしも「科学性」とは一致しない。勿論「超科学性」とも。
人を死刑に出来るような高次の合理性さえ伴えば、例え今の科学で立証が不可能でも
目撃されたそれを「幽霊」とする社会通念の形成され得る。
だからこそ、「肯定派(肯定したい派)」は、我々懐疑派への「説得」から逃げていないで、頑張るべきなのですよ。
(´ー`)y-~~ 犯人が宇宙人である客観的な根拠や証拠があれば検討しなければならないでしょう。
何かあるんですか? >>935
反証可能性のある仮説群の中から最も合理的なものを選ぶに決まってますな。
ヒ素カレー事件において、宇宙人犯人説には反証可能性は担保されてるんですか? 反証可能性のある仮説群の中から、最も合理的な説を選べば科学性と一致しますが。 唯一の問題点は「現時点で反証可能性のない仮説の中に正解があった」という場合だが、その場合は合理的な方法で正解に至ることはできないのだから、反証可能性を担保できるような、新たな根拠や証拠が見つかるまでは、態度は保留されなければならない。 もしヒ素カレー事件に別の真犯人が存在する十分な証拠や根拠があってすら、林真須美被告の冤罪が晴れないのであれば、それは心証や社会通念の問題ではなく、「疑わしきは罰せず」という司法の基本原則が守られていないという話である。
仮に、証拠の捏造や棄損によって冤罪が発生しているのであれば、それも心証や社会通念の問題ではなく、証拠を捏造したり棄損した個人や組織の責任である。 ヒ素カレー事件、もし仮に検察や裁判官が「客観的証拠には欠けるが、社会通念に照らし、国民の心証を鑑みて死刑を求刑し、死刑判決を下した」と言ったら、国民はその判決を支持しない。
そんな司法では、いつ自分が犯罪の濡れ衣を着せらるか判ったものではないからだ。
ヒ素カレー事件が本当に「客観的証拠に欠ける、社会通念と心証だけで判決が下された」のならだがな。 もう一つのスレはキ○ガイが常駐して真面に議論できねぇ
「俺の意見だけが絶対に正しい、それ以外は全部クズだ」
ってのは一番良くない事なんだけどな >>933
ん?
死刑のための立証は、現在の科学的な立証程度よりは低い場合がある
という話なんで、そちらの趣旨と同じですが。
>カレー事件は、カレーを食って死んだ人がいる、カレーからヒ素が検出された
>容疑者周辺からヒ素が検出されたって争いの無い事実があるからね。
↑
この部分は事件、事象があったことは確認済みだが
心霊(現象)はそれすら危ういという話。本当にそんな事象があったのかが検証される前に
その事象があったとするから幽霊はいるという論理になりがち。 >>942
>「俺の意見だけが絶対に正しい、それ以外は全部クズだ」
なんて考えの人間がこのスレにいると思い込み始めたのはいつ頃からですか? 「反証可能性が担保された仮説群の中から、より高い客観性や合理的を保持する仮説をひとつ選ぶ」のだ。 肯定派からよく「どんな証拠を出せば存在すると認めるのか?」という質問を受けるが、この質問こそが、肯定派の誤った科学観を端的にあらわしている。
肯定派は「存在が客観的に100%認められている」か「存在が客観的に100%認められていない」という二元論でしか考えていない。 否定派および科学者は「データを積み重ねていくごとに客観性や合理性を少しずつ獲得していく」と考えている。
レポートの日時は正確か?
周囲の環境や状況が正確に把握された状態だったか?
信用できる第三者は存在したか?
その第三者に連絡し、証言を再確認できるか?
...
こういった「信憑性を少しずつ高める要素の積み重ね」によって、その目撃談や体験談が信用できるものかどうかが決まる。
もちろん、一本のホームランで決まる場合もあるが、そんなことは極めて稀だ。 >>946
>>942は「このスレ」ではなく「もう一つのスレは」と言ったんだ
青猫が同名で勝手に立てたスレの事じゃないのか
せめてちゃんと読んでから反応しろよ >>936
>犯人が宇宙人である客観的な根拠や証拠があれば検討しなければならないでしょう。
その通りです。だからこそ、それが真に超常現象かすら判然としていない内から
その「霊的現象」とされるものが「超能力や宇宙人由来ではないこと」の検討を強いる必要は無いのです。
(´ー`)y-~~ 和歌山カレー事件については被疑者犯人説以外にも反証可能性のある仮説群はありました。
しかし、裁判官は認められた「自由心証主義」に基づき、被疑者を真犯人とする説を最も「合理的」としたわけです。
一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、情況証拠(間接証拠)の積み重ねから導かれた「心証」により
決して被告しか不可能な犯行では無かったにもかかわらず最高刑が確定する…社会にはこのような「決定」のプロセスもあるのですよ。
(´ー`)y-~~ 勿論、あくまで「科学性」だけを正義とし、それ以外を非科学的と見做すのも結構です。
しかしそれが世間一般から共感を得られるかと言うと、また別ですね。
(´ー`)y-~~ どうやら幽霊否定派は幽霊を否定する連中ではなく
例え幽霊肯定派でも少しでも自分に気に入らない意見を言えば否定派になるらしい
これでは大抵の宗教家やスピリチュアリスト、霊能者も否定派になってしまうな
宗教戦争や魔女裁判がなくならない理由の一端が見えてきた気がする >>943
つたない理解力で申し訳ないです。
仰る通り、肯定派には先ずは「実際にその事件が存在した」という所から論証していただきたいものですね。
否定派は認めないでしょうが、情況証拠の積み重ねでも、人の心を動かすことは可能なのですからね。
(´ー`)y-~~ >>949
>その目撃談や体験談が信用できるものかどうかが決まる。
その「どうかを決める」のが、時には「心証」なのですよ。
そもそも合理性にも「科学的合理性」と「社会的合理性」が有り、それぞれに境界が異なるわけです。
決して科学的な妥当性のみで、この社会の様々な問題の解決が測られているわけではありません。
確かに肯定派の検証力の駄目さ加減は目に余るものがありますが、かといって検証性を厳密化すればいいというものでは無い。
それはそれで「答え」から遠ざかることになってしまいます。
(´ー`)y-~~ >>910
>俺だけじゃん。
そうだけど、あまりに自明だからスルー推奨だと思ってたw 林眞須美は死刑執行されないまま死ぬんだろうな
そのあたりが社会的な落としどこだろう 人間は社会で生活していて裁判所もその社会の一部にすぎない
林真須美が証拠不十分で無罪になることには社会的合意が形成されないという
高度な判断があったんだろうな >>958
人間が判断している以上、心証をゼロにはできない。重要なことは、心証が占める割合を100%から10%に、10%から1%に、1%から0.00000001%にする真摯さがあるかどうかである。
「心証による冤罪が起こってもしょうがない」という司法より、「どうやったら冤罪をゼロに近づけられるか」を模索し続ける司法の方がすぐれているのと同じ。 例えば、新薬開発における二重盲検法などは、心証の影響を考えられれる限り最小に抑える工夫のひとつであろう。
二重盲検法の無い世界の新薬開発と、二重盲検法のある世界の新薬開発。平均的に心証の影響を低減できるのはどちらだ? 司法が自白だけでは証拠として不十分と考えるようになったのも、野球界でセイバーメトリクスという統計学を用いるようになったのも、ITにおけるビックデータの活用も、心証や思い込みの影響を低減させ、客観性の度合いを引き上げる為の工夫だ。 ちょっと話がずれるが俺が「地球の生命体の源は宇宙から来た」という説が嫌いなのは(否定しているわけではない)、
地球だけで生命の発生条件が完了していると思われていた前提が崩れ、
外宇宙での生命発生条件を一から考え直さなくてはならないから。
それとほぼ同じで俺が「幽霊は宇宙人が発生させたもの」という説に食指が動かないのは、
物理的心理的に幽霊の存在条件を否定、肯定出来れば全ては証明されると完了すると思われていたのに、
幽霊を証明する為に外宇宙の宇宙人という存在の証明を一から考慮しなければならないから。 「幽霊は宇宙人が発生させたもの」という説には何か(もくろみ)あると思う? >>916
ちと報告の件とか仕事とかでバタバタなので一言だけ
耳が長いからウサギじゃないんだよ
ウサギの耳は長いんだよ
ってことかな
とりあえず工事現場の件は週末ぐらいの報告になりそう
ってことでスレ立ても誰かよろしくw A:シャーマンの感覚で調合された、心証が90%を占める薬草
B:二重盲検法を行わないで開発された、心証が50%を占める新薬
C:二重盲検法を行なって開発された、心証が10%を占める新薬
この中で、病気治療の観点から薬効における客観性や合理性が最も高いと判断されるのはどの薬?
俺はCだな。
でも誰かさんは「どれも心証を完全に排除できないので同じ」と考えているのかな。 客観性も、合理性も、信憑性も
「これさえやれば100%達成」
なんていう満塁ホームランは滅多に無い。
正確な位置情報で+1%、正確な日時データで+2%、信用できる同時目撃者がいて+0.5%、同時目撃者の連絡先が控えてあって+0.5%
手持ちカメラ画像があって+3%、サーモカメラ画像があって+2%、高感度カメラ画像があって+2%、ぼんやり何か映ってて+2%
音声が録音されてて+1%、現場の空気を保存してあって+1%
研究者が信用できる人物で+5%、研究実績が豊富にあって+8%、etc...
こうやって100%に限りなく近づくよう努力を重ねるのが、客観的かつ合理的なアプローチである。 >>962
>「心証による冤罪が起こってもしょうがない」という司法より
>「どうやったら冤罪をゼロに近づけられるか」を模索し続ける司法の方がすぐれているのと同じ。
あなたは冤罪被害者の立場ばかり考えていますね。
しかし、現実の出来事は、様々な角度から見ないといけませんよ。
(´ー`)y-~~ 確かに司法に心証の余地が大きいほど、冤罪が生まれる可能性は高まるでしょう。
しかし、科学的根拠の絶対性を押し通せば、逆に今度は「犯人を犯人として裁けない可能性」が高まるわけです。
犯人性を直接的に裏付ける証拠さえ隠滅せしめれば、例え何人殺しても無罪になれる。
…そのような司法の方が、あなたは果たして「優れている」と言えるでしょうか?
(´ー`)y-~~ もちろん科学的合理性を蔑ろにしていいわけではありません。
しかしそれに固執してしまうと、公共の利益を損ねる結果になります。
一定の合理性を満たしたものを証拠として採用し、そこから導く最終的判断については人間の自由な心証に委ねる。
要はその際のバランスなのです。
心証を限りなく排除しない限り「証明された」とは言えないというのは
実社会の有り様に照らすと非常に狭量な見方と言わざるを得ません。
(´ー`)y-~~ 顔文字の人が言うような心証完全排除主義者はこのスレに存在するのか? >>969
誤解が有るようですが、自由心証主義とは「指紋照合やDNA検査を行わない」ということではありませんよ。
必要な検査は勿論行った上で、その検査結果を心証によって評価し、犯人性の判断を下すというものです。
決して「薬の検査に二重盲検法は要らない」という話ではございません。
ちなみに薬効は必ずしも数値で表わせるとは限りません。
被験者の多くが服用によって「気分が良くなった」と主観的に感じたならば、その薬には「効果が存在する」と認められます。
これもまた、心証による存在性認定を社会が認めている一例と言えるかもしれませんね。
(´ー`)y-~~ 指紋認証やDNA官邸にもちいる薬品名とか化学反応式とかどうせ知らないのにどうして信用できるんですかね。
「正しいっぽい」「理屈にかなってるっぽい」てな感じで、印象のまま使ってるだけですよね。wikiで調べれば式は出てくるでしょうがその意味を本当に理解してますか もちろん程度は違いますが、その「雰囲気でそれっぽく話す」をつきつめていくと結局のところ幽霊の与太話と同じ属性になると思うんですよ
地球上で行われている研究をすべて網羅している人間なんていないわけですし、言ってしまえば日常生活ほぼすべて怪奇現象じゃないんですか >>979
ここにまともなひとってやってくるんですね。
デタラメを長々と語っちゃう人を相手にしないほうがいいですよ。
あのオヤジは科学と裁判(刑事裁判)を区別できない奴ですよ。 林真須美の場合は、もし被害者が一人とかだったら
証拠不十分で無罪というケースも考えられなくはなかったと思う
ところが4人も死んだし、世間も大騒ぎになって
裁判所としても社会的な判断として無罪にはできなかったんだよな しっかり統計取って、プラセボ効果の可能性も潰して、それでも有意な効果があると判明したものでも、効果が主観的な薬は心証扱いなのか?
心証ってそういう使い方する言葉じゃなくね? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。