幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその29 [無断転載禁止]©2ch.net
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幽霊はいるのかいないのかを議論してるようなしてないような、罵りあってるだけの気もするようなしないような、そんなスレです
リターンズ略してRにしてますw
ルールは今のところ1つ
・ 基本的に幽霊や霊に関する話をしてください
脱線し過ぎて何のスレか分からなくならないように
※神社仏閣板の有名荒らしヨウニン・キムベン・聖染、スピ・占い・婚活関連板の荒らし自演ゴキブリ精子ヒス婆(キチガイ詐欺占い師の竹下宏)の書き込み禁止。
※前スレ
幽霊は本当にいるのか(いないのか)Rその28
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/occult/1501680234/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured まア野暮ついでにネタ氏の吐血ネタ(>>706,708)について言いますと
家人のものではない大量の血液が宅内で発見されたら、どういう経緯にせよそれは常識的には警察案件なわけですよ。
どこかに大量の血を失った人間が居ると考えられるわけですからね。
それについて「弁護士」や検査をした「研究室」から何か言われた様子が伺えないのが、なんともね。
そういうところがこの手の「ネタ」のリアリティに欠くところなわけです。
他にも、「安物」の「ドス黒くなってる、血染めの枕カバー」を、わざわざ「洗濯」して使おうとする嫁とかもね。
普通は捨てるでしょ。量的にも時間経過的にも、洗ったところでもう落ちませんよ。
(´ー`)y-~~
>>706
>枕カバーと布団がドス黒くなってるし
>ついでに嫁に洗濯される直前の枕カバーを回収出来たので ま、ネタ氏が結構「議論相手をやりこめる為なら虚も辞さない人物」ということは
昨夜の「に氏」とのやり取りからも推し量れるわけで
吐血ネタの追加情報にしても、私のような「疑い深い懐疑派」を言い伏せたい一心で
心ならずも…という感じなのかもしれません。
追いつめてしまったのなら申し訳ないですが、折角の議論の場ですから
過度な「ネタ」は自重して頂きたいものですね。
(´ー`)y-~~ >>1のバカは「スレに書き込まれた本物か嘘か判断できない情報から個人を特定することは難しい。だから、2chで何かを証明することはできない」と言いたいのだろう。
つまり「本物か嘘か判断できる情報」なら可能という事だ。 >>722
乗り遅れた感もありますが、自分は「定義2」ですね。
世間の関心も「それって本当に今の科学で説明出来ない現象なの?」という点にこそあると思うので
もしそれをクリア出来る実例が本当にあると認められるなら
今この時代に於いては「幽霊は居る」との社会通念が築かれていると見做して差し支えないかと。
勿論それら観念は超ESP仮説などの実証で将来覆されるかもしれませんが
今に生きる我々が設定すべきゴールは、そこら辺で良いのではないのでしょうかね。
(´ー`)y-~~ 例えば、一定の個人情報や経歴、顔写真などを公開している個人(仮にA氏と呼ぶ)が運営し、国内のオカルトファンから高い評価を得ているオカルト研究サイトがあるとする(仮に「サイトA」と呼ぶ)。
そのサイトAにある日、下記の告知が行われる。
「これからは、SNSやオカ板でも積極的に発信を行います。まずは10/10の22時頃より、オカ板の議論スレに書き込みますのでよろしくお願いします。当サイト運営者名A、トリはxxxxxxです」
そして10/10の22時にその名前、そのトリで書き込みが行われたとしたらどうだろう。 >>722
全部違う。
幽霊とは、人の心(魂)が肉体を離れても存在し続けることができたらこういうものであるという、あくまで概念的な存在である。
概念としては存在するが、実在するものではない。 もちろん、A氏の名を騙り、トリを解析した別人かもしれない。
だが翌日、サイトAに「昨日のオカ板での議論は楽しかった。次の書き込みは10/12の22時を予定しています」と書き込まれたらどうだろう。
A氏名を騙り、トリを解析した別人なら、サイトAには「自分ではない者が名を騙り書き込んだ」と書き込まれるはずだ。
その後も予告通りにA氏が現れ、議論内容がサイトAでリポートされたり、スレで発案された実験が、サイトAで行われるような事が繰り返された。 そんな事があれば、サイトAの運営者A氏と、A氏の名前とトリでオカ板に書き込まれる内容は、高い確度で紐付けが可能と思われる。
もちろん、何らかの理由で「A氏と結託したB氏が、A氏の許可のもとでA氏になりすましている」という可能性もあるが、それがバレた時にはサイトAは信用を落とす。なので、そんな事が行われる可能性は低い。 社会的に信用の高い人物が書き込んだ内容は信頼できる可能性が高い(見間違いなどの可能性は残るが)。
>>1のように、ウソばっかりの人生を歩んで来た者の書き込みは、誰も信用しない。
それだけの話だ。 これも繰り返しになるが、「ネットだけで証明しなければならない」などという、バカな>>1の意見は無視して構わない。
何かを客観的に証明する方法は無数にあり、違法性やモラル上の問題がなければ、証明するプロセスが「ネットだけ」だろうが「ネットとリアルの両面」だろうが、客観性がしっかり担保されていれば何の問題もない。 もし「ネットだけで証明しなければならない合理的な理由」があれば話は別なので、何か理由があるなら説明責任を果たせ。 >>841
特別好きなのはないが、4と5は同じようなものではないか。 >>841
それは、主観と客観を混同した考え方です。 幽霊だと断定できない時点では「科学的に説明できない現象が確認された」としか言えません。
それを「とりあえず死者由来の超常現象にしておく」というのは、恣意的な決めつけに過ぎません。 >>851
定義4は残留思念説とかのことではないか
ある人が死んだときに何らかの念を出してそれが残ってるというやつ
定義5は死者の魂が幽霊として出てくる 722の定義1 「幽霊として報告されるものは全て幽霊である」
これだと幽霊はいるってことになるし、このスレも必要なくなるな カブトムシとして報告されるものは全てカブトムシである。
これは正しいだろうか?
カブトムシ以外の昆虫や生物を、誤ってカブトムシであると報告している可能性はいくらでもある。 幽霊の定義に幽霊を用いるのは典型的なトートロジー(循環論法)だという事に誰も疑問を挟まないスレ。 「幽霊とは死者由来の現象」というのにはウソ、幻覚、見間違いにより、人の死に関する超常現象だと勘違いされた知覚現象を含む。 「幽霊と報告されたものは全て幽霊である」とすると、幽霊を見ていないのに見たというウソをついている場合も「幽霊と報告されたから幽霊」ということになる。
という事は「幽霊が存在しなかった場合も、報告がある限り幽霊は存在した」となる。
つまり「幽霊がいない=幽霊がいた」の公式が成り立つことになる。
この公式が成り立つ唯一の解は「幽霊=ゼロ」の場合だけである。 結論:幽霊はゼロ
つまり「無い」という事が証明される。 「幽霊と報告されたものは全て幽霊である」
という定義からは、幽霊=ゼロ(無)という結論が導き出されることを論証。 >>863
確かにトートロジーではあるけど、
この定義1は、見た人が幽霊だと思ったらそれは幽霊って意味だろ なら、ゴキブリを見てカブトムシだと思ったら、その虫はカブトムシなんですか? >>866
そう
つまり「幽霊を見た」と主張する人がいれば、それが幻覚でも錯覚でも
枯れ尾花でもなんでも「幽霊はいる」ということにしようという
かなり乱暴な考え方
上ではネタ親父もそういう考え方みたいだけどな 「幽霊と報告されたものは全て幽霊ではない」とすると、幽霊を見ているのに見てい
ないというウソをついている場合も「幽霊ではない」ということになる。
という事は「幽霊が存在した場合も、幽霊ではないと断定される限り幽霊は存在しない」となる。
つまり「幽霊はいる=幽霊はいない」の公式が成り立つことになる。
この公式が成り立つ唯一の解は「幽霊=存在」の場合だけである。 幽霊の声ってエコーかかるんだな。 怪奇現象が頻発する部屋にレコーダーしかけたら
「しねぇシネェシネェ・・・」 「消えろキエロキエロ・・・」とエコーがかった女の声が録音されていたからさ >>869
その公式が成り立つのは、やはり「幽霊=ゼロ」の場合だけですが? >>872
だから、この定義というか考え方は乱暴だと言ってるだろ ただ、スレ主のネタ親父がこういう意見だからな
>自称スレ主の俺自体は「全ての幽霊を肯定する(虚言だろうとCGだろう
と幽霊と言われたら幽霊)」って絶対肯定派なので、 ゴキブリ=(目撃者がカブトムシと思っていても)ゴキブリ
これは「ゴキブリ=ゴキブリ」となる。
ゴキブリ=(目撃者がカブトムシと思えば)カブトムシ
これは「ゴキブリ=ゴキブリじゃない虫」
となる。
「ゴキブリを見てカブトムシと認識すればカブトムシである」という論法は、「ゴキブリ=ゼロ(無)」という結論に結びつく。
だがゴキブリが無でないことは間違いないので、「ゴキブリを見てカブトムシと認識すればカブトムシ」という理屈は間違っている事が証明される。 もちろんまともな考え方としては
幽霊を見たと主張する人がいる=幽霊はいる
ではないんだが、もしかしたらこのスレの肯定派で
そういう合意が得られるのかもしれしwww 定期的に「被験者が幽霊だと思ったものは幽霊」だって理屈を持ち出す人いるよな
いつも枯れ尾花とゴキブリカブトムシで反論されて黙るけど
同じ人なんか御新規さんさんか分からんが >>877
そうすることが肯定派にとっては楽なんだろう
それだと何でも話せるわけだし あと、に がさっきから出してるゴキブリとカブトムシの例だと
ゴキブリもカブトムシも生物学上の定義は決まっている
それに対して幽霊については、現在定義のすり合わせを行っているところだから
極論だと思うが、「被験者が幽霊だと思ったものは幽霊」
という意見を出しても悪くはないだろう
多数の賛同を得られるかどうかはしらんが 人間にはそれぞれの生育歴があるから
Aさんの考える幽霊とBさんの考える幽霊というのはおそらく細部で違っている
それでも「Aさんが幽霊を見たと思ったらそれは幽霊」
「Bさんが幽霊を見たと思ったらそれは幽霊」
とにかく幻覚でも錯覚でもCGでも、「それが誰であっても幽霊だと思ったものが幽霊」
というのが定義1ってことなんだろ >>879
勿論意見を言う事が悪いとは思わないってのを前提にしてだけど
でもその理屈はどうだろう
例え仮に「幽霊」の定義のすり合せが完了したとしても
幽霊と見間違えた枯れ尾花が実際に枯れ尾花だと判明しても
それはやっぱり幽霊なのだとまで言う肯定派もいるもんだろうか
それとも実際に枯れ尾花だと判明するまでは「幽霊」だって理屈なのかな >>881
そこは難しいな その目撃した瞬間には本物の幽霊が枯れ尾花に憑依してたのかもしれんwww
結局は「見たと思った気持ちがあれば、それは幽霊体験だ」
みたいなことを言いたいんじゃないかという気がする
ただし、俺もこの意見は幽霊の実在を問うというのとは違うと思うけど >>863
キミがいくら否定してみても真実は微動だにしません
キミのゴキブリカブトムシ論?からすると
キミが人だと認識したものが本当は幽霊だった可能性は否定的ないな まあ、定義1に関しては
「それはさすがにダメだろ」という人が多ければ廃棄されるわけだけど >>882
んーなるほど
そう主張してる人からすると「狐の嫁入り」は昔からそう呼ばれてる
「サルノコシカケ」も昔からそう呼ばれてる
だから狐が関係なくても猿が座らなくてもそう呼ぶべきで
何か怪現象自体を昔から「幽霊」って呼んでたんだから
被験者が「幽霊」だと思えば「幽霊」だって主張なんかなー
どっちにしろ俺もこのスレ向きの定義ではないと思うけどw >>885
ただ、俺は昔このスレでコテでやってたからわかるけど、ネタ親父はもう少し深いことを考えてる
後で聞いてみたらいいよ >>877
>被験者が幽霊だと思ったものは幽霊だって理屈を持ち出す人いる
これ、言ってる事が分からないでもないです。というのは、既に亡くなっている
いる故人の魂に由来したものでないかと考えてもおかしくない例による、その
幽霊だと思う場合です。 しかしこの場合は幻覚などによるもの、という可能性
もありますが。 興味があればブログを見に来ておくれ 幽霊のことも書いてるよ
http://scoby.blog.fc2.com/ 幽霊の祟りなんて現代の日本人特有の感性なんだよな
欧米じゃ悪魔として扱われるし
日本も昔じゃ狐憑きなんて言われてた
もしかしたら祟りと言われてる物は幽霊以外の原因もあるかもしれん 意識=魂なのか?
意識=幽霊なのか?
魂=幽霊なのか?
>>889
京極夏彦が『妖怪馬鹿』で「フィクションでも祟る」と言っていた様な。
四谷怪談のお岩さんはフィクションらしいとする向きもあるが、祟るというし。
自分が昔、発表した短編小説のキャラクターが呪いみたいな事を起こした経験ある俺。
(尤も最後のは俺の主観がかなり入ってるが)。 そもそも論として、本当に幽霊(悪霊)がいて、祟れるもんなら祟ってみろって思うww >>890
本人の意識とは無関係に祟るに生き霊とかあるに
意識=幽霊と魂=幽霊の等号には疑問があるんだよな
それに創作で祟るのは自己催眠みたいな思い込みも否定できない 本物の幽霊を見ても、それを「見間違い」と認識したら見間違いということにもなるな。
皆が「虚偽、幻覚、見間違い」と認識すれば、幽霊はこの世に存在しなくなるわけだ。 >>894
>皆が「虚偽、幻覚、見間違い」と認識
何をもって上記と見なすかが問題。
感覚的に見間違いなんていうのは意味がない。
何度も再現され、科学的根拠をもって幻覚や見間違いと証明されたのなら、それはそうなんだよ。 え?
肯定派いわく「何かをみて幽霊だと認識したら幽霊」なんだから、「幽霊を見て見間違いだと認識したら見間違い」だろ。 「ゴキブリを見てカブトムシだと思ったら、それはもうカブトムシである」と言ってる奴もいたぞ。 >>898
他の肯定派は批判してなかったから、認めてるんだろ。 >>900
「批判しない=認めた」ではないと思う。 >>896,897
それ認めたら、ただの言ったもん勝ちになるだけじゃんw
頭の悪いアホな意見って切り捨てて良いと思う。 議論が噛み合ない最大の理由は、このスレの構造的ジレンマでしょうね。
スレタイに「本当に〜」と銘打ちながら、スレ主であるネタ氏自身は幽霊を民俗学的視点から捉えているわけですからね。
(´ー`)y-~~ 民俗学なら確かに「居ると信じる=居る」という定義も有りでしょう。
「かつて日本には妖怪や精霊が居た」という表現や「小さな頃には神様が居て…」という歌がある通り
この手の解釈が一種の社会的共感性を得ていることは否定できません。
その意味に於いては、枯れ尾花を幽霊に含める彼らも決してアホとは言い切れない。
(´ー`)y-~~ しかし一方でこのスレは「本当にいるのか」を問うているわけです。
この場合は、必然的に「科学的(物理的)に存在が認められているか」が議題となる。
例え民俗学的に「サンタクロースは居る」との解釈が有り得ても、
やはり「本当」を問われた場合は、「恋人がサンタクロース、本当はサンタクロース」と歌わざるを得ないわけです。
(´ー`)y-~~ 但し、科学的証明を旨とした議論であっても、どこまで科学に証明性を求めるかは判断が分かれるところでしょうね。
その意味で、このスレがゴールを「世の中がいる・いないに統一された時」に設定しているのは大変面白い。
世の中は決してガチガチの科学だけを信奉しているわけではありません。
例えな科学的根拠に乏しい事件であっても、「心証」から死刑を確定することを社会は認めています。
ここで問う幽霊の存在性も、そんなものでいいのでは無いでしょうかね。
民俗学的な拡大解釈でも、科学的な狭量性でも無い、第三の道。
「幽霊は居る」という社会通念の形成は可能か(または既に形成されていると言えるか)にこそ
闊達な議論の道があるのではないか、とね。
(´ー`)y-~~ まあ、当初は物理的にっていう制約条件だったけど
あまりにネタが無さ過ぎて、ネタの人が緩和したという流れ。
元に戻して、科学的、物理的の制約の中で派生議論として民俗学的な話を
する方が平和な気がするけどね。 >>901
だから肯定派には自浄能力が無いと言われるんだよな。
自分は否定派だが、間違った否定論(理屈じゃない。いないものはいないんだ的な)を振りかざす否定派に対しては可能な限り批判するけど。 元情報となりうる当該故人を特定できるならそれはもう幽霊だろう。
ただし、忘れている故人の遺影写真等を見て改めてその人を思い
出した等という話は当然除外しますけど。(^_^)/~ >>902
切ってんの俺だけじゃん。
肯定派が切って、自浄能力を示せよ。
否定派が切っても、いつもの「否定派vs肯定派」の流れになる。
肯定派が肯定派を切って捨てることにより、「肯定派にも認められていないダメな肯定論」という自浄能力が発揮された図式になる。 >>906
客観的な物的証拠も無く、自白や目撃談だけで死刑にはならないけど(少なくとも現在の日本では)。 「心証で死刑になる」というのは、物的証拠により犯人であることが客観的に証明された案件において、有期刑or無期懲役or死刑のどれにするか、「量刑が心証によって決まる場合がある」というだけの話だ。
被告が真犯人かどうか客観的に証明できない場合に、心証だけで真犯人認定し、死刑判決を下す事はあってはならない。 >>907
肯定派にアイデアが無さすぎ。
スマホやGoProなどを使えば、今までと異なる幽霊へのアプローチなどいくらでも試せそうなものだが、そういう新しいアイデアを全く見た事が無い。
前々から言ってるが、スマホとプロトレックがあれば、目撃地点の正確な位置情報や気温、湿度などが簡単に記録できる。
犯罪だって、犯行現場の正確な位置の確定や、周囲の環境の記録によって解決の糸口が見つかる事も少なくないのに、肯定派に言わせると「そんなものは無駄だから記録しない」だそうだ。
新しいテクノロジーが山ほどあるのに、その活用を拒否しているのだから、そりゃマンネリ、ネタ切れになるのは当たり前だろ。
そこで「客観性の判定をゆるゆるにして、ネタを出しやすくする」などという対処療法を行なったら、昔の「何でも言い放題」になるだけに決まってるわ。 恋人とか愛情とか友情とかも、本人がそうだと認識すればあるってタイプの言葉だよな
こういうのは科学的にって言っても難しいしな
幽霊についてもそういう概念的なものだと認識するなら、「幽霊だと思えば幽霊」ってのもありなのか?
まあ、それだと何を話すんだって感じになるけど >>823ネタの人へ
もし見てたら応えて欲しい
>>886の言ってる「もう少し深いこと」って何?
>>903の言う「民俗学的視点」って事だろうか? 科学的&客観的アプローチを何千回と繰り返し、それでも何の結果も出ない→科学的&客観的アプローチで捕捉できない存在かも→人文科学的なアプローチに方向転換
これならまだわかる。だが
科学的&客観的アプローチを何もしていない(目撃情報や体験談の検証すらしていない)→なのになぜか「そんなものは無駄」と決めつけ→人文科学に逃げる
という態度ではねえ 映画やテレビドラマなどで見た事あると思うが、変死体が見つかったときに、警察はその死体の写真を撮ると同時に、死体の輪郭に沿って床にチョークなどで線を引き、また遺留品のあった場所に印をつけ、その写真も撮る。
このような現場の記録が、事件解決の糸口になったり、裁判においては重要な証拠としての効力をもったりするのである。
犯罪捜査などにおいて有力な「証拠や根拠」となる現場の記録が、幽霊目撃談や体験談においてはなぜか軽視され、肯定派の中にはは「無駄」と言い切る者もいる。
科学実験や犯罪捜査では重要な証拠や根拠となる「客観的かつ詳細な記録」を、なぜ幽霊研究において無駄と言い切れるのか。 >>917
ネタの人は自分で可能な範囲で科学的アプローチを実践しようとしてる様に見えると思ったんだけどな
個人情報開示やら人生や現状の生活の継続を掛けてまでやらないと話にならんと
「もしも」そう言うのならちょっと極端に感じるな
勿論ネタの人のレスを盲信する気は更々ないんだけど
オカルト好きとしては話は最後まで聞いてみたいって興味はあるしな
そもそも幽霊が「文化的存在として実在する」って事に関しては
自分も含めてここの懐疑派であれ更には否定派であれ疑義はないんじゃね?
否定派だって科学的な存在としては幽霊は存在しないと断言してても
まさか文化的な存在としては否定してないだろ?
肯定派の多くが自然科学的な実在性と人文社会学的な実在性を
分別する事なくごっちゃにしてそうだとは自分も思うけどな >>911-913
例えば林真須美死刑囚を犯人と断定する「科学的根拠」はあったでしょうか?
複数の状況証拠を犯人性の証拠として採用したのは、つまるところは裁く者の「心証」なのです。
(´ー`)y-~~ 狭量な科学的観点に則ると、カレー事件には別の犯人が居る可能性を否定出来ません。
また、「に」氏らの提起する超科学的観点に則ると、真犯人は宇宙人や超能力者である可能性を否定出来ません。
しかし世の中は、そのどちらの観点も採用していませんね。
一定の合理性さえ満たしていれば、林真須美死刑囚=犯人が社会通念となるわけです。
もちろん現状で合理性を満たす霊的現象は皆無です。
しかし最初から超能力や宇宙人の可能性を引き合いに出すのは、現実の社会通念の形成プロセスに照らして、如何なものでしょう?
(´ー`)y-~~ 確かにどこまでの合理性を求めるのかって程度の問題でもあるのかもな
懐疑派否定派であれ意見の別れる所はあるのかもしれんね
個人的には量子物理学とかで存在の不確定性やら可能性を語られると萎える
そこに置いてあるリンゴは誰が見てなくても実在していて
何らかの作用が働かないと移動しないってレベルでの検証が適切だと思うわ >>922
記録を読んでないから詳細は分からないけど。
カレー事件は、カレーを食って死んだ人がいる、カレーからヒ素が検出された
容疑者周辺からヒ素が検出されたって争いの無い事実があるからね。
ヒ素は本当に成分は一致してるの?とか色々と疑問点はあるけどね。
心霊現象の場合はそういう争いの無い事実からして曖昧なものが多いから
まずはそういうのを集めてはどうか?って段階だけど、嫌がるというか
そういうのは無駄だという人が多い。 「心証で幽霊が存在することをOKにしようぜ」という態度は、「心証で死刑にすることもOKにしようぜ」という態度と同じです。
もしあなたが「林真須美被告は心証だけで死刑判決を受けたが、それは由々しき事だ」と考えているなら、「心証だけで幽霊の存在を認めるのは由々しき事だ」になるはずです。 >>921
無差別殺人事件の裁判ですら証拠の吟味が不十分な場合もあるのだから、他の裁判も、幽霊の研究も、証拠の吟味など必要無い。
と言いたいのですか? 「林真須美被告は、冤罪の可能性もあるのに、心証だけで死刑判決を受けた」
というのであれば「客観的な証拠をもっと重要視し、深く吟味、精査する必要があった」という結論になると思うのですが? 【結論】
事件捜査でも、幽霊の研究でも、客観的な証拠や根拠をしっかり精査しないと、心証による冤罪や、心証による間違った結論にたどり着いてしまう。 >>922
つまり「心証」や「社会通念」は、必ずしも真実とは言えないという事ですわな。
という事は、幽霊を心情や社会通念を拠り所に分析、検証しても、それが真実とは限らない。
ということだな。 真実を追究したければ、心情や社会通念を拠り所にせず、客観的な証拠や根拠を拠り所とすべき。
まあ、当然の結論だな。 ヒ素カレー事件を「心証だけで判断してはいけない例」ではなく「心証で判断することもあるんじゃない?の例」として挙げるバカがいて失笑を禁じ得ない。 >>925
>カレー事件は、カレーを食って死んだ人がいる、カレーからヒ素が検出された
>容疑者周辺からヒ素が検出されたって争いの無い事実があるからね。
しかし犯行の瞬間を誰も見ていないですし
犯行現場に被告以外誰も存在し得ないと「科学的」に証明されたわけではありませんよね。
科学は「ビーカーに何かが混入した可能性」を排除出来ない限り、それを証明と認めません。
しかし「カレー鍋の前に別の誰かが居た可能性」を排除出来なくても、社会は被疑者を真犯人と認めているわけです。
つまり、社会はその基準を「科学性」に置いては居ない。
心証的に「合理的な疑いを差し挟む余地のない」と見做せば、それは立証されたと見做されているのです。
(´ー`)y-~~ >>926-932
一口に「心証」といっても様々なのですよ。そこら辺があなたの限界なわけです。
要証事実への心証が一定基準を満たすプロセスを経て形成されている場合は
それらを軽薄な「思い込み」や「信心」と同一視することは出来ません。
あなたは「犯人が宇宙人である可能性がある以上、林真須美を無罪にするべき」と思いますか?
林真須美に対する死刑判決は「科学的根拠に乏しい、心証によって導かれた冤罪」でしょうか?
もちろんそう思う人も居るでしょう。
しかし社会はそれとは異なる考えで、合意を形成していますね。
(´ー`)y-~~ 要は真偽を図る際に「どこまでの合理性を求めるか」です。
それは必ずしも「科学性」とは一致しない。勿論「超科学性」とも。
人を死刑に出来るような高次の合理性さえ伴えば、例え今の科学で立証が不可能でも
目撃されたそれを「幽霊」とする社会通念の形成され得る。
だからこそ、「肯定派(肯定したい派)」は、我々懐疑派への「説得」から逃げていないで、頑張るべきなのですよ。
(´ー`)y-~~ 犯人が宇宙人である客観的な根拠や証拠があれば検討しなければならないでしょう。
何かあるんですか? レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。