>価値があるなんてハナから思ってない。

そうそう、これを書いて思ったが、(なんとか法術と話は変わるが)、
「ライトの書き込みに騙された」とか書いてる人たち。

「知るかよそんなこと」。これが俺の答えだ。

「便所の落書き」の情報を鵜呑みにして検証もせず鵜呑みにした自己責任であり、
そして「ライトのせい」と人のせいにしてるうちは、永遠に、幸せになれないだろうな。
客観的に「どうしてそうなったか」の分析をしないとね。なんでも人のせいにする根性じゃ、そういう分析なんてやったことすらないんだろう、どうせ。

まあ、人間、自分を客観的に見るのは非常に難しいから、「端から見れば丸分かりでも本人には分からない」というのは往々にしてあるが、
とはいえ、限度もある。
まあ、そういう人間に、「傍から見たらこうなんだよ」と指摘しても、そういう人間は他罰性・他責性のカタマリだから、指摘したら逆切れするのがオチだけど。
で、誰からも注意されなくなる、と(人間のひとつの「終わり」に、「誰からも注意されなくなる」がある)。

英語板で言えば、
「英語の学習に単語帳は不要だ」と言ってる人も「単語帳は必須」と言ってる人もいるが、
相性があるのでどちらが自分に合ってるかは自分で判断して取捨選択する必要があるが、
「不要だ―」という意見を鵜呑みにして自分が英語できなくなったのを、その書き込んだ人のせいにしてるようなもんだな。


俺は「自己責任」という考え方は嫌いだが、
限度ってもんがあり、「いくらなんでもそれは自己責任だろう」ってのはあるだろ、さすがに。

別の例で言えば、総合感冒薬(風邪薬)を説明書通りに飲んで副作用が出たら製薬会社に責任の一端があるが、勝手に過剰服薬して体調崩しても、そりゃ自己責任だし、製薬会社も「そこまで責任取れない」だろうな。
いや、薬の例題は良くないか。
睡眠薬のように依存性がある薬で製薬会社が依存性を隠蔽していたとか、インフルエンザ薬のタミフルみたいにやはり隠蔽が絡んでいたらその限りではないものの。

そうだね、タバコだよ、タバコ。
タバコって、パッケージに「あなたの健康を害する恐れがあります」って書いてあるよね。
それでタバコを吸って、健康をぶっ壊しても、自己責任っていうのと同じだ。
この場合、自己責任論が成り立つのは、例えば学校でイジメられていて不良にタバコ吸うことを強制されて当人の意志に反して無理矢理すわされたとか、そういう例外的な場合くらいだ。