縄文時代の聖地の上に現在の神社や仏閣が建てられているのだという
(全部じゃないけど)。
では、縄文時代に生きていた人々はどうやってその聖地を選び出したのか。

これは推測ってことで述べるけど、数千年のときを縄文人は現代人とは
比べものにならないくらい感覚的に生きていたんだと思う。
感覚的とは、霊的な感覚を指している。だから霊的な感覚を素直に
使っていたことになる。その感覚に基づいて彼らの聖地を見つけていた。
そこが後に名だたる神社や寺になっている。

私にもおぼろげながらこの霊的な感覚があると自覚している。