中川家剛のパニック障害で仕事がほぼなくなって、唯一残ってたのが京都でのラジオ。
ラジオならなんとかこなせるものの守口からの京阪電車が辛かった
だから礼二は各駅停車を選んで、発作が起こったらすぐに降りて、何十分でもホームで待っててあげた。