鉄道にまつわる怖い話、不思議な話★7 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
秩父鉄道が東武鉄道と相互乗り入れを中止したのは、
過去に秩鉄が経営難になった際、秩鉄から「東武に買い取って欲しい」と申し込んだら、断られた
これ以降仲が悪く、西武の乗り入れを秩父市から打診されて快諾、ATS設置を機械に閉め出した ちょっと前のことだが、JR新小岩駅のホームで変な男を見た。サラリーマン風の男は
「僕の腕知りませんかー」
「僕の腕知りませんかー」
とカン高い大声を上げながらホームを行ったり来たりしている。ちらほらとまばらにいる他の乗客は無視しているのか、男を見ようともしない。
左右どちらだったか思いだせないのだが、男は片腕がないようだった。スーツのアームホールがヒラヒラとたなびいていた。 男から目を離し、携帯を見ている間にどこかにいってしまったのか、男の声は聞こえなくなった。
電車到着の放送が流れ、ホームに向き直すと、耳元で
「知りませんかあ?」
男の顔が俺の顔のすぐ横にあった。俺は腰を抜かしそうになった。
パァーッと警報が響き、直後に電車がホームに入ってきた。よろめいた俺は白線の外に出てしまっていたようだ。一瞬のことだった。
しかし消えてしまったかのように男はいなくなっていた。男の吐息が耳元に残っている。絶対に気のせいではない。
回りの視線がちょっと気になったので、電車は一本見合せた。
ホームをよく見て回ったが、男の姿はなかった。以来その男は見ていない。 今日、電車に乗ってちょっと遠出した。で、買い物したり人に会ったりして、夕方に帰りの電車に乗ったときの話。
座席に座ってると、後ろから
「あーー」「あーーーーー」
って声がする。なんていうか、子供の声とおっさんの声の中間みたいな気持ち悪い声。
気になって振り向くと、2〜3歳くらいの子どもをおんぶした若い女の子が座席で携帯いじってる。その子どもがたぶんあーあー言ってるんだけど、まったく気にもとめてない。 あやすとかしろよ…と思いながらも周りの人は無関心だし、気持ち悪いな、とは思いながらも特に気にしてなかった。
その若い女の子は途中の駅で携帯をいじりながら降りていった。
その時に気づいたんだが、私はてっきり子どもがおんぶヒモ?みたいなもので固定されてると思ってたんだ。
でも、その子どもは若い女の子の両肩に手をかけて、右肩にはさらにアゴをのせて、その三点で女の子にぶら下がっていた。だらーんって。
一瞬状況が飲み込めなくて、!!???ってなってしまったよ。一体なんだったんだろう…
なんかずっと気になって誰かに言いたくて書いてしまった。長文で失礼しました。 夜の9時頃、電車に乗っていた時、寝こけていたらしく、ハッとして目が覚めた。
向かい側の網棚の上に、スーツ姿のおっさんが横になっていた。おいおい、酔っぱらいかよ…とあきれて周りをうかがったけど、誰も気にしていない。
よく見るとおっさんは白目をむいていた。酔っ払いにしてもヤバくね?と思ったら、近くにいた女が大音量でキャーッ!!!と叫んだ。
周りがざわついて女を見たけど、すぐに迷惑そうに皆目をそらして興味を失っていった。 自分も目をそらしたら、おっさんが視界に入った。おっさんの目が真っ赤になっていた。瞳じゃなくて、眼球全体が血みたいに真っ赤。
女がもう一度キャーッ!!!と叫んだ。今度こそ皆、女を完全に無視した。おっさんの存在と女の叫び声で、変に心臓がドキドキしていた。
次の駅に停まって、乗り込んで来た人が網棚に荷物を乱暴に置いた。あっと思った時には、もうおっさんはいなかったし、女は叫ばなくなった。
時々思い出して、夜の電車が嫌になる。 三島-新富士の間の怪現象
確かこんな話だった。鉄道の怖い話、みたいな本で読んだと思う。
新幹線に乗った男が、トイレで席を離れ、自分の車両に戻ろうとしたら
ガラガラだった筈の車両が満席、通路まで人だらけ。自分の席にも
誰か座っちゃってる。どこにも停車してないのに、どうなってんだ?
訳が分からないまま、落ち着こうと煙草を1本吸って戻ったら
車両は元通りのガラガラ。この間、どこにも停車してない。
車掌にこの事を訴えたら
「またですか…列車が新富士と三島の間を通過する時に限って、たまにあるんですよ。
私の乗車した時に起きたのは初めてですがね」と渋い顔で答えられた 信玄公旗掛松事件
大正3年12月に一本の老松が蒸気機関車の影響で枯れたことから、所有者の清水倫茂(しみずりんも)が大正6年に国を相手取り起こした損害賠償請求事件である
この松樹は武田信玄が軍旗を立て掛けたという伝承・由来のある「信玄公旗掛松」と呼ばれていた老松で、国鉄(現JR東日本)中央本線日野春駅(山梨県北杜市長坂町富岡)駅構内に隣接した線路脇に生育していたが、 老松の所有者(地権者)であった清水は、蒸気機関車の煤煙、蒸気、振動などにより枯死してしまったとして、一個人として国(鉄道院)を相手取り訴訟を起こした
信玄公旗掛松(しんげんこうはたかけまつ)と呼ばれた老松がかつて生育していた所在地は、山梨県旧北巨摩郡日野春村字富岡26番地(現、山梨県北杜市長坂町富岡)、今日のJR東日本中央本線日野春駅構内南東側の線路脇である
高さ約15メートル、木の周り約7メートルにおよぶ巨木であり、別名「信玄公旗挙松」、「信玄公旗立松」、「甲斐の一本松」などとも呼ばれた老松であった
ただ、武田信玄の時代よりも後世のものであることが、後述する裁判過程で国側の鑑定により明らかにされた。 しかしながら、見晴らしの良い丘の上に立つこの一本松は、古来から名の知れた名木であることに変わりはなく、甲斐源氏の祖である逸見清光(源清光)が、ここに物見櫓を置き、
戦が始まると、松に軍旗が立てられ農民兵を集めたという伝承が残されており、
武田信玄もまた、この松樹に「孫子の旗」を立て掛け目印とし、周辺の家臣、農民兵を集めたという話が、天明年間に著された加賀美遠清の『甲陽随筆』に見られるなど、古くからこの地域の人々にとって代々親しまれた名木であった。 このような由緒ある古木、名木に隣接した位置に鉄道を敷設するようなことは、自然保護、文化財保護等の理解が浸透した現代の感覚からすると考え難いことである。しかし現実に、信玄公旗掛松の根元から至近距離にレールが敷かれたことによって本訴訟事件は発生した。
院時代の日本における鉄道の役割は、国家目的の遂行、しかも国防上の目的という考え方が背景にあり、一般の人々にとって鉄道は国のもの、「国は悪をなさず」という考え方が強かった。
たとえば、明治42年、中央本線沿線の武蔵野市(当時の東京府北多摩郡武蔵野村)で蒸気機関車の火の粉によるボヤが生じ、被害者が鉄道院に補償を求めたところ、鉄道院はこれを全く受け付けなかったという 信玄公旗掛松事件は煤煙によって被った被害をめぐる煙害事件であり、今日で言う公害問題に属する事件である。
たとえば昭和44年から昭和49年にかけて、当時の国鉄が編纂した『日本国有鉄道百年史』という全19巻にもおよぶ詳細な書物の中でも、わずかに他の公害問題の箇所にこの事件が引用されているだけである。 信玄公旗掛松の所有者であった清水が、国を相手取り訴訟に踏み切ったのは、大正6年1月の甲府地方裁判所への提訴であった。
しかし、この提訴に至るまでの過程には、清水が国、鉄道院に対し、信玄公旗掛松への保全保護対策を行うよう要望する陳情を再三にわたり訴え続けたにもかかわらず、それが受け入れられず、ついに老松が枯死してしまったという経緯が背景にあった 鉄道会社本気になると怖いからね、しょうがないね ちなみにずいぶん前、渋谷で西武線で体育座りしてうずくまってた客を引きずり出してた光景なら見た事ある しかし、この提訴 に至るまでの過程には、清水が国、鉄道院に対し、信玄公旗掛松への保全保護対策を行うよう要望する陳情を再三にわたり訴え続けたにもかかわらず、それが受け入れられず、ついに老松が枯死してしまったという経緯が背景にあった しかし中央本線敷設が計画された一帯は、先祖代々清水家の土地であり、明治35年当時は清水の所有地であった。つまり、そこに生育していた信玄公旗掛松は、清水倫茂が所有権を持つ個人所有物であった。
その一方で地権者であった清水は、鉄道院が作成した詳細な計画図面を見て驚いた。その図面によると、信玄公旗掛松の根元から西側にわずか一間足らずという至近距離に、停車場と線路が敷設される計画であったからである 計画図を見た清水もまた、蒸気機関車の煤煙による信玄公旗掛松への影響を危惧する。計画図通りに敷設されると、松樹から張り出した10数本の枝は、線路上に覆い被さるような形になり、蒸気機関車から噴出する煤煙を枝葉が直接被ることは明らかであった。
また、根元の至近距離に敷設するとなると、施工に伴い老松の根元付近を掘り返したり、盛り土を施す等の工事が予想され、土中にある松樹の根を損傷する恐れもあった 清水は信玄公旗掛松の衰弱や枯死を恐れ、鉄道を敷設するのは松樹から離れた位置に変更してもらえないかと、明治35年5月6日付で、「鉄道作業局八王子出張所長」古川阪治郎宛に「上申書」を提出した LOUDNESS(バンド)
1986年4月3日、4日に代々木オリンピックプールで行われたライブ(後に「8186LIVE」として発売)では当時コレまでに無い大規模な音響設備と照明設備により原宿駅から苦情が来るほどの大音量であった 中央線が「自殺の名所」と紹介されるのはマスコミのせい 国鉄485系(1500番台)北海道で特急「いしかり」として、
走っていた時期があったがトラブル続きで現場は混乱。
しかし「改良」程度(本州仕様の1000番台)では過酷な北海道の冬には太刀打ちできなかった。
機器類に雪が侵入して駄目だった
。北海道の厳冬期の粉雪は乾燥度が高い為、本州の重い雪を想定した耐雪構造は何の役にも立たなかった。
の原因は国鉄の財政難から来るイニシャルコスト削減への要求なのだが、同じ特急用でも気動車のキハ80系は本州仕様からの改造で転用できたので同一視していたフシもある。 キハ181系の 運用初期は山岳区間でオーバーヒートして大変だった
が、付随車の負荷も原因の一部だった
「つばさ」は板谷峠での補機連結解消を目的にこの車両に置き換えられたにもかかわらず、結局エンジントラブルの多発で再度補機を連結するというハメになってしまった
上記のエンジントラブルが原因で、山陰特急に転用される際にエンジン出力を落とされたり、食堂車を外された。 JR北海道のキハ285系(試作車)が開発中止した理由
試作車を製作している間、JR北海道は度重なる事故・不祥事を起こしたから。
@安全対策として最高速度の引き下げを行わなければならなくなった、
A北海道新幹線の開業準備を最優先しなければならない
Bコストが高い上にメンテナンスが面倒
C従来の車両に統一してしまったほうがメンテナンスが楽になる 元プロ野球投手の平野件はロッテにいた頃移動の際に乗った新幹線のテーブルに右手小指をはさんで骨折し一軍登録抹消になり現役引退 山手線のS◯NYのビルが近くにある 駅の噂しってる? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています