仙人洞窟 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
なにが見つけ出すだ 男好きの浮気女なのに 早く離婚させろ もう、この話はなかったことにして 離婚で終わらせろ わしが身動きとれないだろ >>696 宮殿の寝所を出され、放浪していた妻は、その後どうなったのでしょう。 ○○氏の系図はどこから始まるのでしょうか。 >>697 >夫婦は引き裂かれ、どちらかが殺されたかもしれません。 最後のとき、夫は、妻が裏切ったと聞かされたかもしれません。 そして、こう言ったかもしれません(>>707-708 )。 イエスの 11 番目の弟子、 熱心党のシメオンがアトリビュートとしてヒヤシンス=ジルコンを持っているのはおそらく、 シメオン族のヤキン(jacinth)氏族との関連です。 冶金にはジルコンを必要とします(>>581 )。 ダヴィンチの最後の晩餐で、左端のシメオンは、イエスの右隣の人物の真向かいにいます。 これはシメオンとマグダラの関係を示すとともに、ユダとマグダラの関係をも暗示しています。 864 名前:本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止[] 投稿日:2017/01/15(日) 00:57:25.06 ID:Zu5JDjpD0 [8/21] これがゼウス家の恐ろしさなんだよ 味方であり敵であるんだよ 988 名前:YHVH@無断転載は禁止[] 投稿日:2017/01/17(火) 20:56:26.85 ID:h6ERtmb10 [10/21] >863 仙人のこの発言は、マグダラによるイエスへの裏切りを言っています。 990 名前:YHVH@無断転載は禁止[] 投稿日:2017/01/17(火) 20:59:04.54 ID:h6ERtmb10 [12/21] しかし、事実はまったく異なります。 >>713 鉄鉱石や水銀を産出する地は多くありますが、 珪石、珪長石、つまりジルコンを近辺で確保できるのは伊勢のいしごおりのみです。 これは猿田彦の本拠地を特定するうえで重要なファクトです。 >>661 、>>692 1 つ訂正。 これは○○氏による『○○○世○』自体ではなく、 外宮の○○○氏が後世(17 世紀頃)著したと思われる『○○○世○抄』という注釈書のようなものでした。 「○○七郷トテアリシガ、○○ト云フ里ハ絶ヘテ、今ハ六郷ナリ」とあります。 この地域は神宮の○○氏の本拠地ですので、この○○は当然、○○氏の傍流とされるほうの○○でしょう。 阿射加の海で溺れたとされる猿田彦ですが、実際に亡くなったはこの地だったのではないでしょうか。 ここに○○という里があり、廃絶したことと、猿田彦がこの地に祀られていることの関係はわかりません。 再び訂正 外宮の○○○氏→ 内宮の○○○氏 この抄(注釈書)が書かれたのはおそらく 17 世紀ですので、 ○○という里が消滅したのもだいぶ時代が下ってからのことと思われます。 実際に猿田彦が没したのがこの地であるとすれば、ここに○○という里があったことと、 外宮の○○氏が時として○○氏を名乗るのは無関係とは思えません。 つまり、猿田彦の名字を名乗ったのではないでしょうか。 >>661 >○○命に○○氏が説明する場面がある。 これは勘違いでした。 後世(17 世紀)に書かれた抄でした。 ご承知のとおり、南伊勢の神宮では、 猿田彦は公式に定められた担当氏族によって公式に祀られています。 しかし、この担当氏族がいしごおりに存在した痕跡はありません。 ちなみに、猿田彦については、本当は 2 つの担当氏族が定められており、 1 つは実際に南伊勢で祭祀を担当している○○○○氏で、こちらは男系、もう 1 つの○○氏は女系なのだそうです。 つまり、猿田彦についてはカップル単位であることを、お上も認識しているようです。 これは完全に単なる推測ですが、 南伊勢の○○浦では、何らかの理由によりこの地で没した猿田彦の担当氏族を設定し、 これに猿田彦の本当の名字を名乗らせて祭祀にあたらせていたのではないか。 ところがもう少し時代が下ってから、お上のほうで、上の 2 つの氏族(○○○○氏と○○氏)を、 猿田彦の公式の祭祀担当というか関連氏族として定めることになった。 (記紀などにもそう記録した)。 それで >>719 の氏族の集落は解散、廃絶ということになったのではないか。 そのくらいの理由がなければ、1 つのヴィレッジが消滅するということはないのではないかと考えています。 猿田彦の拠点について 『古事記』 「猿田毘古神、阿邪訶に坐す」 『日本書紀』の一書 「伊勢の狭長田の五十鈴川上に到る べし」 『古事記』の阿射加は一志郡(いしごおり)の阿射加、 『日本書紀』の狭長田は伊勢国多気郡(たけごおり)の佐那(さな)という地に比定されてる。 多気郡(たけのこおり)の佐那の地にはもう一人神様がいたらしい。 そのもう一人の神様が天手力男神。 『古事記』 「手力男神は佐那那縣に坐すなり」 たけのこおりの佐那神社で、 天手力男神を祀っているのは、造○の○ナキ氏。 佐那神社の祀神は二柱。 天手力男と並べて曙立王命という皇族をお祀りしている。 この曙立王命の父方の祖がクロコダイル氏。 そして、このクロコダイル氏の祖を遡ると、 天村雲命 〜 天日別命に行き着くらしい。 そして、 この天村雲命 〜 天日別命というのは、代々二度にわたって、 伊勢津彦を「退治」した人たちなのです。 阿射加の伊勢津彦(おそらくは=猿田彦、さらに言えば≒天手力男)を退治した人たちの子孫(クロコダイル氏)と、 天手力男が並んで配祀されちゃってる。 で、わたしに言わせれば、 造○の○ナキ氏をもじったのがクロコダイル氏。 しかるに、造○の○ナキ氏と、 神官家○○氏の傍流とされる同名の氏族○○氏、 そして測量を司る○○氏は、いしごおりにおいて古くから姻戚関係をもち、ずっと仲良しな関係です。 >>727 曙立王というのは伊勢の佐那造の祖とされているのだけど、 この辺りは大鹿首(おおがのおびと)が支配していた地なのです。 「(クロコダイルは)甚だ歯が鋭く、大鹿が川を渡るとき之を中断する」 −『和名抄』「麻果切韻」− 測量の○○キ氏や造○の○○キ氏に比べ、○○氏は影が薄い。 南伊勢の神官家の傍流とされる氏族と同名の氏族として知られるのみで、 歴史上ほとんど挙げられることのないマイナーな氏族である。 少なくとも伊勢のいしごおりにおいては、○○キ氏と○○キのいるところには常にこの○○氏がいることを知る人は少ないと思われる。 >>739 もちろん、○○キ氏や○○キ氏は身内だから知ってますよ。 ただ、歴史研究家などはこのことを知らないと思う。 それで、九つの鬼とかいて○○と読む○キ氏とつながりがあるなどとトンチンカンな見解を示している。 殿様の○キ氏は中臣○笑系であり、これとつながってるのは南伊勢つまりは日本海側京都の○○氏です。 >>741 >九つの鬼とかいて○○と読む○キ氏 白々しいわね。 O は circle P は semicircle 目と口の O と P は日月(円と半円)でもあります。 ラテン文字の P=ギリシャ文字の R で、 元の形はセミサークル(半円)。 O または A(a) はサークル(円)。 RO(カタカナのロ、漢字の口) は口であり、ゲートであり、Ra(ラー)に通じる。 火口である。 測量の○○キ氏は 2 字で○キ氏と読むこともある。 これはおそらく、古代エジプト語で ruler を意味する heq または heck に由来する。 ruler は「支配者」の他に測量に使う「定規」の意味もある。 heq (heck) は ギリシャに入って、 女神ヘカテ(Hekate)の語源になった。 ヘクは聖女の称号でもある。 聖女、支配者、 卑弥呼はこの一族と関わりがあるでしょう。 “Heq” is pronounced “Sheq”. This was corrupted into “ishak” (arabic) and “isaac” (hebrew). "Heq" は「シェク」と発音し、転訛してアラビア語やヘブライ語の「イサク」になった。 イツァーク(笑う)もヘクと同祖のようです。 The verb is hanak, which normally means "to initiate" or "to dedicate. (Proverbs 22:6) 動詞はハナク(hanak)で、「イニシエート」または「奉る」を意味する。 造○の○ナキ、測量のヘク、笑うイサクは同族であるということです。 興味ある方は、 http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1469251977/ レス番号 300 辺りを参照してください。 イサク←イツァーク イツク、斎奉(いつきたてまつ)る、だから。 イサクはおそらく、ギリシャ文字のクサイ(Ξ ξ)ともかけてる。 ○原だの○部といったいわゆる古名族とされる氏族の姓は明らかに漢字渡来後のものでしょう。 これに対して、ヘク、ハナク、イサクなどの姓は漢字以前に「音」として存在していて、 後から漢字を当てはめたものに思える。 神官家の○○氏は出雲族ではありませんよ。 出雲から来た伊勢津彦を討伐した側ですから。 本当の出雲族は石ごおりと竹ごおりにいる。 竹ごおりの某氏族は常陸の国(現茨城)の筑波山神社で神様のお告げを受け、 醤油製造業を始めて成功した。 亀甲をお醤油メーカーのシンボルマークにしたのもここが最初。 土浦のお城が亀の形をしていたかららしいです。 土浦城は亀城、会津若松は蒲生氏郷の鶴ヶ島城。 氏郷は会津若松の前の領地である松坂に城を建てる前、 松ヶ島城という城にいたのよ。 この松ヶ島城は鶴の首のような形をした風光明媚な土地にあって、 細首城とも呼ばれた。 会津若松の鶴ヶ島城は氏郷の幼名にちなんだ名前とされていますが、 案外、氏郷はこの美しい松ヶ島城を懐かしんでいたのかもしれない。 この松ヶ島城の城主は heck 一族。 葱とキュウリが大膳と繰り返してるのはたぶんこの人。 それが何の当てこすりなのかは不明。 松阪(松坂)のことを地元の人はまつさかではなく「まっつぁか」と発音します。 イサク、イツァクの発音と関係があるのかもしれません。 吾(あ)は五口(いつくち)である。 五口とは何か。 母音を発音するときの人の口の形は五つある。 五口、厳口とは、母なる音を出す(いつす)火の口である。 吾(あ)に魚の N が付くと汝(な)となる。 汝(な)は瑞女(みずおんな)である。 汝(な)は吾(あ)のもう一人の自分である。 吾(あ)と汝(な)は双魚である。 何にしても、 ひろみはこうたまんに逆らうことも拒絶することもできないのよ。 そんな関係性は間違っているとか、そういう人間心で判断できる問題じゃないの。 信仰とは人間のものじゃないのよ。 それは、こうたまんとひろみのもの。 こうたまんとひろみが互いに信仰することを信仰と言っているだけ。 人間には信仰なんてできません。 heck, hanak, issac の 3 氏の組み合わせは日本海側京都の他にもあるようで、 南九州の K 県日置郡伊作村の船木神社では猿田彦を祀っているという。 K 県は○に十字を紋所とする○津氏の国。 >>741 の○キ氏ともつながっているらしい。 日置郡伊作村の猿田彦を祀る船木神社、 近辺には湯田の地名も。 何なんでしょうか。 「九鬼大隅守の因縁がわかりてきたら、どえらいことになるぞよ」と○○ナオさんは言ったそうだけど、 大隅守というのが一般の官位のことか大隅国(今の K 県)の守護職のことかはわからない。 後者の守護職には○津(イサク家)氏と並んで○鬼氏の名が見える(Wiki より)。 乙卯の乙姫、神功と、 丙午のアマテルは同じものです。 うさぎ女が丙午の女として祀られるようになったわけは、 地図と時計でわかります。 東の象意を司る支である卯(うさぎ)は干に乙(きのと)が付くとき最も強くなります。 西の象意を司る支の酉(とり)は干に辛(かのと)が付くとき最も強くなります。 乙卯と辛酉は東西の両横綱と言えます。 卯は午前 5 〜 7 時で大体 6 時前後、酉は午後 5 〜 7 時で大体 18 時前後です。 日の出の頃の卯の刻と日没頃の酉の刻には、時計の短針は 6 の位置に来ます。 南の象意を司る支は午で、午は干の丙(ひのえ)と組み合わさるとき最も強くなります。 丙午の対極の干支は壬子で、方位は北を司ります。 午の刻とは午前 11 時から午後 1 時までで、大体正午、 子の刻とは午後 11 時から翌日の午前 1 時までで、夜中の 0 時です。 午の刻と子の刻の正中では、時計の短針は 12 の位置に来ます。 東西を結ぶ線と南北を結ぶ線は、 地図では垂直にクロスしますが、 時計では、 午の刻と子の刻の正中と、 卯の刻と酉の刻の正中の短針の位置はそれぞれ 12 と 6 となり、一直線上になります。 空間を表す地図では、東と西は左右の、南と北は上下の両端ですが、 時間を示す時計の短針は、東西と南北はそれぞれ同じ位置に来ます。 つまり、時間においては、方位の南の対極は北ではなく、東の対極は西ではないことになります。 これは取りもなおさず、丙午のカウンターパートである壬子、乙卯のカウンターパートである辛酉が、空間的には対極ではなく、時間という概念において重なっていることを意味します。 さらに言えば、イスラエルの地図は(日本でも昔の地図は)東が上です。 つまり、地図の右端は南、左端は北ということです。 サタンは来たのです。 ヘブライ語アレフベートのアトバシュ法は上下左右が鏡になるので、 77 を分割するラインも上下どちらを南北に当てはめるかは一概に決められませんが、 右端の東を上にすれば、南または北と重なる。 つまり、卯と午が同じ位置で表されることになります。 これがウサギ女と丙午の習合の理由と考えられます。 >>790 地図では対極に位置する東西と南北は、時計の短針の位置では一直線になる。 さらに、東(南)の対極である西(北)が 12 時間後に同位置で重なるということは、 丙午を例にとれば、そのカウンターパートである壬子が位置的には対極ではなく、 時間という概念においては同じ位置になるということなのです。 これは、乙姫と壬の王子、浦島の関係を解く鍵でもあります。 東西を結ぶ線と南北を結ぶ線が同一であるとき、空間という概念は意味を失います。 時間という概念のもとに空間を捉えるとき、空間は水平方向に拡がるものではなく、垂直方向に重層的な構造をもつものとなります。 丙午のカウンターパートである壬子は丙午に対して水平方向の対極ではなく、垂直方向に重なった根の国にいるのです。 地球は丸いのだから、一定の方向へ進み続ければ、地球の裏側へ出る。 水平方向に基づいた空間の概念は時間を含めて考えれば意味のないものになるのは当然です。 しかし、水平方向に拡がる空間などないという事実がまずあって、 それゆえに人間は地球が球体であると認識するようにできているのかもしれません。 人間が宇宙を認識する仕方や能力と、宇宙の在り方の関係は、発想が逆なのかもしれません。 子の刻の正中(午前 0 時)に時計の長針と短針は 12 の位置で重なりますが、 子の刻のこの瞬間は見方によっては 1 日に 2 回あります。 まず、前日から当日になる夜中の 0 時、この時刻の一瞬前は前日であり、0 時 0 秒の瞬間に当日になる。 次に当日から翌日にかけての夜中の 0 時、この時刻の一瞬前は当日であり、一瞬後には日付は翌日になりまず。 これに対して、午の刻である正午は子の刻の正中同様長針と短針が 12 の位置で重なりますが、 正午の一瞬を含めて一瞬前も一瞬後も当日です。 丙午を午の刻の正中と見なせば、その瞬間である正午は 1 日 1 回、当日の日付で確実に存在するのに対し、 根の国にいる壬子(みずのえね)は夜中の 0 時に 2 回やって来るように見えます。 いずれもその 1 瞬前または一瞬後は当日の日付には含まれません。 丙午に対するカウンターパート壬子は 2 人いる。 時計の針が 12 の位置で重なる瞬間は三位一体なのです。 この時計盤の 12 の位置における三位一体が、 ダヴィンチの最後の晩餐で中央に描かれているイエスとヨハネであり、 背後の 3 つの窓です。 右端のシメオンと左端のバーソロミュー(ナタニエル、ナタン)は 6 の位置で重なります。 アトリビュートとしてピンクジルコンを持つシメオンはマグダラの対極に来ます。 くどいようですが、 common sense は人を一定の枠に閉じ込める常識とはまったく異なるものです。 むしろ、生の感情や感覚の発露する源泉であるともいえます。 右端と左端が 6 の位置で重なるのは、善と悪の統合などではありません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる