学校の「体育」の授業って必要あんの?
思ったとおりだ、>>153を証明するソースは無しだったか。
178さん、それじゃあダメだよ。 >>179
どこがどうダメなのか具体的に説明してみれば?できないの? 体育の授業に出席・参加しましたか?
私は出席だけして、参加はしませんでした。
そもそも、ついていけません。 183さんかな?
ソース提示が無かったですよね
どういうことです?
あなたは「何故体育会系は就職がいいのか 2」でも
体育会系を徹底して侮辱してる常連投稿者だ
だがあなたの証言はいつも大袈裟で怪しい…
>>183さんへ
今後は侮辱は止めよう!
相手が明らかに悪党で、明確な証拠があるなら責めるのも仕方ないだろうが。 体育の授業で、体にもっと力をいれないとうまくならない。
力をいれないからへたくそなんだと、さんざん言われて育った。
あとで、うまくなるためには体の力を、うまく抜く必要があるといわれて愕然とした。
全く逆のことを、体育の授業で教えられていた。
大人になった今いま、それに気づいても、肩の力がうまく抜けない。
いまさら遅いという感が否めない。
体育の授業をサボらずに受けてれば、運動神経がよくなると思って
辛いながらも頑張ってたのに・・・
体育の授業は、「運動神経を伸ばすもの」ではなく、「運動音痴をつくるところ」だと確信した。
体育の授業は、
体の動かし方は一切教えず、
いきなり実技に入ってしまう。
実技=見た目の華やかさがあるから、なのだろうか?
例えば、ボールの投げ方についても
「体重移動のしかた」とか、「体のひねり方」とか、何も教えないので
出来る子はできるが、出来ない子は出来ないまま。
「見た目の華やかさ」にとらわれ、技術や知識を教えないのだったら
TVゲームと何ら変わりない。
うわっ、マニュアルないと何も出来ない、教えられないと何もしない、全く自分で考えないゆとりの極みのご意見だなw
運動好きなのに体育をやらない奴もいた
つまんないらしい
そのかわり、高い金を払ってスポーツクラブに入って
そこでは本気でスポーツやってた
運動好きからも敬遠される、学校体育って何なの? 「体育」と「スポーツ」って名前違う事から理解しような 運痴にとっては
体育もスポーツも同じ
どちらにしろ、努力の有無に関係なく、全くできない 体育があったせいで自分の身体能力が低い事に気付けた >>191
>運動好きなのに体育をやらない奴もいた
>つまんないらしい
そりゃそうだろう。
体育は、体の動かし方を教えるところじゃないからな。
体育は、運動が出来る子が運動能力のあるところを披露する場にすぎないからな。
運動が出来る子は、自分の力を「披露」できるからおもしろいが、
部活動などで、他に披露できる場所があれば
体育はつまらないだろう。
受けたって、運動能力の向上につながらないのだから。
運動能力のない子はない子で
体の動かし方を教えてくれるわけでないので、
技術・能力の向上につながらない。
いくらやっても、できないわけで、当然つまらない。
体育嫌いや運動嫌いを量産するような授業内容にしている
糞教師とカリキュラムが多いってことが問題なんだろうな。 >>197
>体育嫌いや運動嫌いを量産するような授業内容にしている
>糞教師とカリキュラムが多いってことが問題なんだろうな。
体育教科の致命的な欠陥は
教師の欠陥というよりは、カリキュラムの欠陥によるところが多いと思う。
まともな授業を受けられず、
小学校の課程で
体の動かすことの基礎を学べず、それが原因で体育嫌いや運動嫌いになる人が多い。
小学校では、国語も算数も体育も同じ先生が受け持つことが多い。
国語や算数は、特に優等生でなくても、多数の生徒が
50音の読み方・描き方や九九など国語的・数学的思考の基礎を学べるのに
同じ先生が受け持つ体育では、
体の動かすことの基礎を教わらず、義務教育を終えるひとが多数だ。
同じ教師が教えるのに、
基礎を学べる科目と、全く基礎を学べない科目がある。
「体育カリキュラムの欠陥」によるところが大きいと思う。
そこまで言うからには指導要綱は把握してる訳だよね
具体的な欠陥ってどこよ? 音楽の授業で、ソプラノリコーダーやアルトリコーダーを使った人も多いと思う
安い上に、音を出すだけなら高度な技量を要求しない、便利な楽器だ
しかし中には、指が届かず、出せない音がある人も多かった
そんな人は、どんなに練習しようと、絶対に演奏できない曲が出てきてしまう
努力で指を伸ばす事はできない
体育もそれを同じ
努力しても、先天的な要素はどうにもならない
音楽の場合は、リコーダーがダメなら他の楽器を頑張ってみるとか、筆記テストで補うこともできる
しかし体育の場合は、基本的な身体能力がある事が前提のため、できない人はどうにもならない 民間のスポーツクラブやスイミングスクールの方が、はるかに優れた指導をしているぞ。
何しろ営利企業なのだから、不適切な指導で客を逃していては、経営が成り立たなくなる。
素質があり、当人もそれを希望するのであれば、本格的な競技スポーツを教える。
やる気はあっても素質ゼロの奴に対しては、本格スポーツについていけるわけがないため、
健康、体力維持、ダイエットなどを目的とした、競技性ゼロのコースへの変更を勧める。 お前が民間のスポーツクラブを知らない事はよく分かった >>201
>民間のスポーツクラブやスイミングスクールの方が、はるかに優れた指導をしているぞ。
俺もそう思う。
個人的にはマシンジムよりも
スタジオプログラムを受けて欲しい。
特にストレッチ・ヨガ・ピラティスのクラスは、
筋肉の動かし方や、体の意識について教えてくれるのでおすすめ。
●●に意識させて。。という言葉がよく出てくるが、これはすごく重要。
体育の授業では全く教わることはない。
45分〜1時間のクラスが多いが、
そこで学ぶ45分〜1時間は
教育に相当することを全くせず
運動能力のない生徒を晒し者にすることに注力している、
12年間の体育の授業よりはるかに有意義だ。
努力の有無とは無関係に成績がつくのが体育
5段階評価だとすると、できる人は手を抜いても4か5
できない人は必死にやっても1か2 もし授業でやる必要があるとしたら、スポーツを扱うのではなく、
健康について教えるべきだと思う。
体育大学・体育学部を出たスポーツ一筋の教師は不要で、
栄養学や医学を学んできた教師が教えるべきだ。 >>207
保健:小学校から必要
体育:義務教育では不要
ということ。 保健体育?
「教科書読んどけ」だけで終わりだったな。 >>209-210
教科書読んどけ、以上。
だったら、教師ほど楽な職業はないな。
テストも全くやる必要ないし。
なあ、できれば全ての教師が「教科書読んどけ」で終わらしたいだろうね
テストもウザいからしたくないだろうしねぇ
そもそも職業として、死んだ方がマシなクソガキ相手にするのは嫌だわぁ 運動能力の向上のためには、イメージトレーニングでいいイメージを持つことが不可欠。
いいイメージを持つことは、他の科目でも必要だが
運動能力の向上にあたっては、
社会の歴史のように暗記がある適度のウェイトをしめる科目よりも、より重要。
しかし、体育の授業では、それをほとんど教えないばかりではなく、
むしろ、運動に関して悪いイメージを刷り込む教育がなされている。
運動が出来なかった人は
体育の授業で運動に対するいいイメージをもつことは出来ただろうか?
運動が出来ない子こそ、
上達のために運動に対していいイメージを持たせるような教育が必要なのに
「ビリ決定戦」など、
早く体育が終わって欲しい、もう運動をやりたくないという
『運動の悪いイメージを刷り込む教育』が頻繁に行われている。
体育の指導要領には、
保険契約の免責事項のごとく
「いいイメージを持つこと」と数行、書かれているのかもしれない。
しかし、教育の現場でそれが実現されることはない。
日本体育会理事長で、元国会議員の松波健四郎氏は
「運動が出来ない奴」は、頭がかたいので、
「みんなから相手にされない」と自書で公言している。
体育の指導要領をつくるお偉いさんも
運動音痴な奴は、イヤな思いをして仲間はずれになるのは
「当然の報い」と思っている人が多数いるのではないかと疑いたくなる。
>>213
>運動に関して悪いイメージを刷り込む教育
個々のポジティブかネガティブかという精神的な物まで教育の所為にするとはね
ネガティブ人間のロジックそのままだね
自分が不得意なのは他人の所為、自分が嫌いな物は他の人も嫌い、自分がノータリンなのも人の所為、これら全てネガティブ人間のロジック
ネガ的思考だと何事も向上しないのは生理学でも証明されている
結局>>213は「自分の嫌いな誰かさん」を批判したいが為の言い訳に過ぎない 俺にはスポーツは一切無理。
体育の授業で、それを学んだよ。
どうやっても無理だとわかっている以上、スポーツには一切手を出さないし、関わらない。
うかつにスポーツに挑戦して、金や時間を無駄にする事も、
無理をして怪我をする事もない。
体育の授業が役に立っているとすれば、それくらいだ。 小学6年生の時、水泳が出来るようになったときは嬉しかったな
また冬にマラソン頑張ってマラソン大会の順位が10くらい上がった >>213
>「運動が出来ない奴」は、頭がかたいので、
>「みんなから相手にされない」と自書で公言している。
御自身は国会でやじられて相手に水を撒いたんですね。 ほぼ素質だけで成績が決まるわけでしょ?
ならば一旦素質の計測をしてしまえば、後は体育は不要ではないかな?
プロスポーツのスカウト担当者は、日常的な身体の動きを見るだけでも、
その人の素質を一瞬で見抜くと言う。
そういう人に任せればよいのではないか。 中学校の体育の筆記試験が凄かった。
設問は最近のプロスポーツの結果、選手の話題だけでなく、
スポーツや芸能界のスキャンダル情報など、スポーツ新聞そのもの。
完全に体育教師の趣味でやっているとしか思えなかった。
運動馬鹿にとっては、ほとんど解けて当然らしかったが、
興味のない人は1問もわからなかった。
ちなみに俺は、選択問題が偶然正解だったので、100点満点中4点だった。 それでいいんだよ
体育とは、運動馬鹿に活躍の機会を与えるための場だから 体育の筆記試験なんてあるのか
これもゆとり教育の成せる技か >>218
素質だけで決まる、っていうのは極論だと思うけど
体育の授業は、そう思わせる教育しかしていないことは事実だな。
算数は、優等生でなくても義務教育を9年間受けていれば、多くの人が九九が出来て電卓を使うことが出来るが、
(算数教育のない国では、九九も電卓を使うことが出来ない人が多数存在する)
体育は、義務教育を9年間受けても、運動の技術を何も覚えることが出来ない人が多数存在する。
義務教育の9年間で教育に相当することを全くしないからである。
確かに、「立つ」とか「歩く」とか「座る」という動作は、ほとんどの人ができるが
体育の授業で学ぶものではない。
(正しい立ち方、走り方を教えてくれるわけでもない)
教育を受けたのに(実際は受けていない)、何も覚えられない→体育は才能で全てが決まる。
と思う人が多数存在するのだ。
確かに、体育に限らず他の科目も生まれつきの差が少なくとも存在する。
その差を縮めるのが義務教育の役割というものだろう。
体育は、その役割を全く果たしていない。
体育の授業により、
幼年期に、教育を受けたのにできないものがある(実際は、受けていない。)
と勘違いさせ
努力には、無駄な努力がある、と刷り込みを行うのは
他の科目の学習や、人生においても大きなマイナスではないだろうか?
>>222
体育の試験は、ゆとり以前からあったけど。
試験内容の多くは、スポーツのルールや戦術とかについて。
スポーツが好きな人は楽々解けたけれど、興味のない人はほとんど0点だった。
さすがにスキャンダルとか芸能の問題は見たことないが、プロスポーツについての問題はあった。
これまた好きな人にとっては余裕、興味ない人はほとんど解けない。 結局、運動馬鹿に1つでも良い成績をもらえる機会を与えるのが目的なんだろう。
スポーツ新聞みたいなニュースなんて、学のある人ほど無関心だから、
5教科ができる人ほど試験は不利になり、逆に運動馬鹿が有利になる。 >>214さんの何事も人のせいにしない姿勢に感服しました。
プロである、教育者の教え方の問題に関しても、
自分の所為と捕らえ、批判しない姿勢は素晴らしいです。
いまの学科は「詰め込み」だから良くないと教育の所為にし
大きな学力低下を招いています。
「詰め込み教育」批判を行い学力低下を招いた
親や自称教育評論家に、あなたの爪の垢を煎じて飲ませてあげたいです。
体育の授業でも、「結果を人の所為にしている」行為が横行しています。
「あいつのせいで、体育がつまらないんだよとか」
「あいつのせいで、試合に勝てない」とか
あるときは直接、あるときは聞こえよがしに
汚い悪口をいうのも、「結果を人の所為」にしている典型ですよね。
(下記のスレの、1やその息子さんの行為は「結果を人の所為にする」具体例といえますね。)
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/noroma/1325465949/1
プロに対する批難も行わない>>214さんですから
義務教育を受けている一生徒に対しても、
そのようなことは決して「言わなかった」だろうし、
「思う」こともありえなかっただでしょう。
>>214さんのような人が、同級生や教師として多数を占めていれば
体育の授業も、もっと有意義になるに違いないでしょう。
>>214さんは、
球技などの、団体競技でも
成果は違えど、お互いの努力をたたえ合ったに違いない。
隅に追いやったあげく、「おまえボールさわってないだろう」とか
「砂いじりするるな」といった罵声を浴びせることは
絶対になかったに違いないだろう。
>>226-227
皮肉なのか賛辞なのかよくわからんレスだな オランダでは運河に落ちる事故が多いので、溺死する前に岸にたどり着く技術を教えている。
もちろんスポーツとしての競泳ではなく、あくまで生存のための技術として教えている。
スイスでは山岳地帯での遭難が多く、生還率を高める知識を教えている。
雪山での注意点、雪崩が起きた場合の逃げ方、遭難時の救助の求め方等だ。
そういう実用本位の内容なら、体育としてやっても良いのではないかな?
「死にたくなかったら運河に近づくな、雪山に入るな」だけで済んじゃいそうだけど。 運痴をスポーツマンの中にいきなり放り込んでバスケとかサッカーやらせても事実上のプレイヤー数が1減るだけで、
運痴にとっては運動にも練習にもならない。
単調な基礎練習してる方が遥かに楽しい。
なぜか体育だけできる人側に合わせてるんだよね。 スポーツ特対のやつに1時間以上二次関数教えても理解できんときは
まじでいらいらした。というか日本人て世界的に見れば体育会系ほとんど
馬鹿で何も貢献してないのに学校で優遇されすぎだろ。というか
日本の学校体育できるやつは実際は幼児期スポーツ習った奴がほとんど。
日本の幼児の習い事率はスポーツ関係なら世界一だろう。 あ、おれがいってる習い事は球技格闘技のことね
経験値がものいうから。ボールも触れたことないのに
ドッチボールとかは辛かった >>232
他の科目の場合、できる生徒は授業が低レベル過ぎて、退屈ですよ。
できる生徒に合わせたら、大半の生徒がついていけず脱落しますよ。 >>231
>>235
俺は、知恵遅れというレベルではなかったが、言葉を覚えるのがおそかった。
国語や算数等の学科は、
「できない生徒に合わせる」授業のおかげで、そこそこ出来るようになった。
最終的には、上位になったが
「できない生徒に合わせる」授業があったからこそだと、今でも思っている。
「できない生徒に合わせる」ことをしない、
体育の授業は、全くついて行けず、身についたものは全くなかった。
>>231
>単調な基礎練習してる方が遥かに楽しい。
そう言うと、腕立てやランニングしかやらせないのが体育の授業。
ボールの投げ方とか、そういうことは一切教えない。
他の科目と異なり、
「とりあえずやってみろ」とか
俺たちでもいえることしかいわない。
体育の授業体系、カリキュラムの為せる業である。
センスのある生徒はできるが、
そうでない生徒は全く出来ない。
それで、できないとやる気がないとか、
先生や生徒から罵声を浴びせられる。
「体育は他の科目と異なり素質で全て決まる」という、意見もあながちウソではない。
>>226
>体育の授業でも、「結果を人の所為にしている」行為が横行しています。
>「あいつのせいで、体育がつまらないんだよとか」
>「あいつのせいで、試合に勝てない」とか
>あるときは直接、あるときは聞こえよがしに
>汚い悪口をいうのも、「結果を人の所為」にしている典型ですよね。
こういう人のたくさんいるよね。
「汚い悪口をいう心」を育むのが体育の授業
義務教育だから、
能力や経験の多寡を問わず
集団競技に参加させられる。
だから、生徒(特に精神的にまだ未熟な、小中学の教育課程
「汚い悪口」を特定の生徒に浴びせる事象は、必然的に発生しうる。
想定可能な、教育リスクの一つである。
このリスクを抑止するのが、
指導の過程では必須だが、体育の授業では全くそれが為されない。
指導要綱では、「想定外のリスク」として無視しているのである。
2011年3月、
地震や津波、電源喪失のリスクを無視した、
福島第一原発は、東日本大震災により、炉心溶融を引き起こし大惨事となった。
東電幹部は、「想定外のリスク」だったと言い訳をした。
惨事の規模の多寡、質は異なるが
リスクを無視し、子供の健全な教育を阻害している点においては
体育の指導要綱作成者と東電は
同じ穴のムジナといってよいだろう。
どうすれば意図的に風邪を引いてスポーツ関連行事を休めるか考えるうち、
風邪を引き起こすウイルスについて興味を持って調べたり、
人間の免疫系についても調べたりしたものだ。
豪雨でスポーツ行事が潰れて欲しいと思っているうちに、
気象現象のメカニズムや、人工降雨の研究に興味を持って、
関連書籍を読んだ事もあった。
体育そのものはくだらない事だとしか思わなかった。
しかし、そうやって得た雑学知識は、少しは役に立ったかもしれない。 >>224
俺も体育の筆記試験はあった。
毎回、100点満点中10点以下だった。
バスケットボールやらサッカーやらの、細かいルールや
選手の動きを問われても、ほとんどわからないし、問題文に含まれている用語も理解できなかった。
それでも0点にならないのは、選択問題が偶然当たる事があったから。
もし選択問題が全くなかったら、毎回0点だったと思う。 体育ってやり方と避ける方法を学ぶけど、それをやった後処理みたいなことは家庭科任せなんだよねw
さてなんのことでしょうか?w 消の頃はそこまででもなかったけど、厨になって散々馬鹿にされた
それでもこっちとしては必死にやっていた
団体競技では足を引っ張るのでなるべく空気になろうと努めた
しかしやらなきゃ怒られる、渋々やるがやっても出来ない為に笑われる
度々仮病で保健室に逃げたり学校自体休んだり
もともとの要因もあっただろうけどそれからなんだか歪んでしまった気がする
そりゃ何度もやって出来たこともあるけど笑っていた奴らにとっては何の気なしに出来ること
負を生み出すだけの授業なんていらないよ…… 限りなく運動ができないんだから、運動をやっても時間と金の無駄。
運動なんてやらず、時間と金は他の事に使うべきだ。
と言う事を学んだ。
体育の授業から学んだ事は、それだけだ。 国語は、9年間義務教育受けていれば
50音の読み書きができて、
「インターネットを楽しむだけの国語力」は得られるし、
算数は、9年間義務教育受けていれば
60円のお菓子が7個でいくらかっていうのが計算できるようになるけれど
体育は9年間で、それに相当するものは全く得られないよね。
得られるのは、「サッカー」や「ドッジボール」といった競技がある、といった”知識”ぐらい。
そのために9年間も義務教育で労力を費やす必要はないと思う。 完全にトラウマになった
団体競技で浴びせられた罵声の数々が今でもよく記憶に刻み込まれてる
忘れたくても忘れられないし思い出す度に吐きそうになるし気が狂いそうになる
運動が苦手で嫌いな人間があの数々の公開処刑の中でいったい何を学べというのだろうか
忍耐力というにはあまりにも酷すぎる 団体競技なんて、参加しないで離れて見ていたな。
どうせ何もできないのだから、無理に参加する意味がないし、
体育の時間だけは必死になる運動馬鹿達にとっても、
運動できない奴は邪魔なので、いない方がありがたいだろう。 アメリカは体育無いよな。
ない国は多いはず。
俺は小さい頃アメリカの学校に転校
↓
運動しない
↓
体力無くなる
↓
帰国
というパターンだ。 いや、あるんですけど
分かり易い嘘つかなくてもwww あったのかよwww
じゃああれは何だったんだ(´;ω;`) アメリカは州によって制度が違いすぎるし、
学校単位でもまるで違うから、いちがいには言えないでしょ。 アメリカは体育のない学校も多いのでは?
肥満児が多いから、体育必修にしろという意見が出た事もあった。
それに対し、肥満の原因の多くは運動不足ではなく、貧困層が
カロリーだけは高いファーストフードばかり食ってるのが原因だという反論もあった。 バスケットボールをしていた高校生が
心臓発作で死ぬアメリカ.........
ドライブスルーの銀行で下ろした金で
ドライブスルーの店ででハンバーガー
を買うアメリカ
日本はこのスレの住人でも向こうじゃマシ
なほうなのかな。 俺は結構太ってるけどアメリカ行ったら周りがさらに太りすぎてて全然目立たなかったわ >>257 日本でデブって言われてる奴の大半は向こうでは通用しない。
向こうのデブはレベルが違う。 団体競技は、運動馬鹿連中の独断場。
運動音痴は事実上追い出され、1人また1人と参加しなくなっていった。
最終的には、運動音痴とは言えないレベルの人まで、邪魔者扱いで締め出されてた。
結局体育の授業は、出席を取るだけで、後は時間が終わるまで見学だった。 体育なんてやめて、国語か数学か英語を増やした方がいいと思う。
国語は何をやるにも重要だ。
とにもかくも文書を書く能力がないと、困る事は多い。
数学も生きていく上で避けて通れない。
理系の技術職や研究職でなくても、中学レベルの数学は普通に出番があるし、
文系数学の基礎くらいは知らないと損をする事も多い。
英語も、外資や英語必須の職業でなくても、出番は多い。
ほんの少し読めるだけでも、何も知らないよりは、はるかに得られる情報が多くなる。
体育は役に立つ機会が思い浮かばない。
学校体育の必要性さえないのに、
運動部を強制する学校があるのが理解できない。 中学校は、事実上の運動部強制だった。
運動部以外は吹奏楽部しかない上、楽器経験者以外はお断りだった。
しかし強制的に運動部に入れても、全然ついていけない人も多く、
どこの部も1〜3割はその場にいるだけでほぼ参加しなかった。
サボリではなく、本当にできないのだから、ほぼ黙認状態だった。
その後、理由は知らないが、美術部と自然科学部ができた。
元々美術や理科系に興味があった奴だけでなく、
運動音痴の大半も転部したせいで、どちらも大所帯の部になった。 >>268
学ぶための糸口を全く教えず
「本人次第」でしかないんだったら、
体育の授業はいらないね。 体育の授業が原因で自信を喪失したりいじめられるようになった人は全国に大勢いるはず >>269
>学ぶための糸口を全く教えず
と思ってる人間に、何ら学びを教える事などできないわなw
学ぶ為の糸口なんて自分で見つけろよ、何でもかんでも与えられる物と甘えてるからゆとりなんて呼ばれるんだろw >>271
>学ぶ為の糸口なんて自分で見つけろよ、
「学ぶ方法を自分でみつけろ」っていうんだったら授業はいらないな。
授業は何のためにあるのかわからないな。
学ぶ方法を教えない、自分で見つけろ、というんだったら、何のために義務教育としての授業があるのか?
他の生徒に自分の力を自慢して自己満足するためにあるのか?
自分よりできない生徒を笑うためにあるのか?
学ぶ方法、糸口の一つとして義務教育がある事を理解してないんだね
そりゃ授業が何の為にあるのか理解できない訳だ
とどのつまり、自分の能力の低さを過程に於いての結果だと理解できず、全て他人の所為と責任転嫁して自己満足している訳だ
そりゃ、低脳って笑われる訳だ 同じ授業を受けて、テストの点に差が出るのは何でだろう?
単純に個々人の授業受ける姿勢、メンタル、セルフコントロールの差しかないと思うけどな
自堕落な態度で生活し授業を受けていては、学ぶ方法以前の問題だなw
自分の事は自分の責任なのは当然として、それを責任転嫁している時点で成長しようとする人間の態度でない事はどんなアホでも理解は出来るだろ? >>273-274
自分でものごとを考えるという、「思考力・独創力」は、
学校の教科のみならず、普通の生活においても重要だ。
しかし、思考力・独創力を発揮するためには、そのベースとなる土台が必要である。
小学校の義務教育課程では、
国語では、50音の暗記・漢字の暗記など、
算数では、九九などで、
思考力・独創力のベースとなる知識・学び方を身につけていく。
教育熱心な家庭以外では、家で九九を教えることはないが
義務教育でこれらを学ぶため、ほとんどの生徒が身につけることができる。
「自分で見つけろ、考えろ」だけでは、
特に算数の力に秀でた人以外では身につけることはできないだろう。
こうして得た、思考力・独創力のベースを基に、
それぞれの教科に興味の持った者、職業に生かしたい者は
高校・大学・専門学校などの専門教育課程で「思考力・独創力」を磨いていく。
ところが、体育はこのような土台を教えることは全くなく、
「自分で見つけろ、考えろ」とか「体で覚えろ」とかしかいわない。
身体能力に秀でた者は、先生などの手本を見るだけで、
覚えるための糸口を見つけることが出来るが、
そうでない生徒にとっては、どうすればいいのか皆目見当がつかない。
体育は、週に3時間以上行われるが
覚えるための糸口・練習の方法がわからないため、身につくものが何もなく、時間の無駄でしかない。
「自分で見つけろ、考えろ、コツや糸口を教えてくれというのは甘えだ」というのは
能力、興味の有り無しに関わらず受ける
「全員必修の義務教育」としての役割を放棄しているとしか思えない。
>>273
>学ぶ方法、糸口の一つとして義務教育がある事を理解してないんだね
「学ぶ方法、糸口の一つ」
うまい表現ですね。
ドリルを配ってあとは自習、でも「学ぶ方法、糸口の一つ」になるな。
これだけで終わらせるのは
国語・算数では、組合活動にかぶれた教師以外ではほとんどないが、
体育では普通にある光景だ。
>>274
「低脳・ゆとり」な俺たちとちがって
>>274さんは優秀だから、
ドリルを配って、あとは自分でやれ
見本を1〜 >>273-274
「低脳・ゆとり」な俺たちとちがって
>>273-274さんは勉強も運動も優秀だから、
ドリルを配って、あとは自分でやれ
運動の見本を1〜2回やって、あとは自分でやれ
これだけでも、出来るのかもしれないが、
あなたのような優秀な人だけではないということを分かってほしい。