目標を書いて経過を報告するスレ パート2
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やった経過を書いたり、やらなかった愚痴を書いたりしてください。 第三者は励ましたり煽ったり荒らしたり、 情報を提供したりしてあげてください。 ・経産省の不思議なシナリオ →日本がプラスの経済効果のほとんどないTPPへ参加表明する。 →過去の前例にしたがって条件反射的に反応したEUが、日本とのFTAの交渉に応じてくれる。 →EUの関税が全廃されるが、日本は関税撤廃の例外措置を堅持するなど、有利な交渉結果に持ち込むことができる。 →ユーロ安、ウォン安がどうあれ日本は韓国と対等に戦えるようになる。 →日本の製造業は大不況で消費マインドが極度に低迷しているヨーロッパ市場で、 円高・ユーロ安にもかかわらず、なぜか輸出を伸ばすことができる。 →GDPの2割にも満たない輸出が拡大することで日本経済全体がTPPやEUとのFTAによる損害を補って 余りあるペースで成長するという奇跡が起きる。その間、変動相場制にもかかわらず、輸出拡大による円高の影響はない。 第3章 貿易の意味を問い直す ・貿易黒字信仰を捨て去れ 経常収支の拡大と経済成長とを同一視したり、経常収支の赤字を国の経済力の衰退と見なしたりするような考えを持っている人が多くいる。 しかし、この考えは間違い。 「経常収支の黒字」とは、一国の貯蓄が投資よりも多いことであり、 「経常収支の赤字」とは、一国の貯蓄より投資のほうが多いということを意味するにすぎない。 このため、経常収支黒字が国民経済にとってよいことか否かは、一概に言えない。 経常収支が赤字であっても、国内の消費や投資が増加すれば経済は成長するのであって、 経済成長のためには経常収支黒字がつねに必要というわけではない。 それどころか、経済成長は内需の拡大をもたらし、輸入を増やすので、経済成長が経常収支を赤字化するということもあり得る。 反対に、国内消費や投資が伸び悩み、貯蓄過剰になったために経常収支が黒字になっているのであれば、経済は低迷する。 実際、日本はバブル崩壊後の長期不況にあっても経常収支は黒字であり続けた。 このように経常収支黒字がよいことだとは、一概には言えない。 しかし、経常収支赤字が持続することには、バブルの危険性がある。 経常収支赤字で貯蓄不足の国は、不足する貯蓄を補うために資本流入を必要とするが、もし、その貯蓄不足が投資ではなく、 実体を伴わないバブルによるものだった場合には、バブルがはじけたとたん、海外から流入してきた資金は、 今度は一斉に海外へと流出するので不況はより深刻化する。 また、海外資本の流入によるバブルの場合は、為替リスクを負っているため、 バブル崩壊後による通貨の暴落を引き起こす。通貨が暴落すると返済すべき対外債務の額はふくらんでしまい、大変なことになる。 これを防ぐためには政府は経常収支を適度な水準に均衡させておかなければならない。 アメリカが対外不均衡を是正しようとしているのはそのためである。 『日本は経常収支黒字を減らせ』 アメリカが経常収支の赤字を減らすということは、その裏面として、経常収支黒字国はその黒字を減らさなければならないということになる。 経常収支黒字国が黒字を減らすべく、内需を拡大しなければならないというのは、リーマン・ショックのような世界的金融危機が起きてしまった以上、 世界経済の再建のためにも必要。 デフレ=お金の価値が上昇すること。 今、支出するよりも、しばらくの間、現金を保有していた方が将来においてより得になる。 また今、借金をすると、将来返済するときに負担がより重くなる。 このため、企業は借金をして将来のために支出するよりも、今は支出を控えてむしろ負債を減らそうとする。 その結果、投資は減退する。投資の減退は需要を縮小させるので物価はさらに下落する。こうして発生した悪循環が、持続的な物価下落すなわちデフレ。 ここで注意すべきは、デフレが経済合理的な行動の結果として起きているということ。 デフレの時、投資を抑制するという行動は企業経営上の合理的な判断。 そのため、企業に投資させ経済成長させるためには、企業に無理に非合理的な経営判断をさせるのでなければ、 貨幣価値の下落(インフレ)を起こさなければならない。 「企業がコスト削減や安値競争に終始し、リスクを負って新規事業や新商品の開発に乗り出さないからデフレから脱出できないのだ」という意見があるが、 企業が新規市場の開拓に及び腰になっているのはデフレが原因ではなく、その結果と見るべき。 そのため、いったんデフレの悪循環が発生し始めると、もはや民間の努力だけでは脱出することはできなくなる。 そこで、政府の景気対策が不可欠になる。 『元気が出れば何でもできるか』 政府の景気対策のひとつに金融緩和政策があるが、資金需要がないので資金は銀行、企業に貯蓄されるだけ。 あくまでお金を使う需要を創造しなければならない。そこで政府が巨大な需要を創造する必要がある。これが公共投資。 1929年ニューヨーク株式市場の暴落をきっかけに世界恐慌が発生。 ルーズベルト大統領はニューディール政策によって巨額の公共投資を行い、デフレを4年で食い止めた。 その後、1998年に日本がデフレに陥るまで世界でデフレを経験した国はない。 『貿易自由化はデフレを悪化させる』p.125 デフレ状況下で、貿易自由化より安価な製品を輸入するとデフレを促進してしまう。 アメリカからの安価な農産物の流入によって打撃をこうむるのは農家だけではない。食料品の物価が下落することによってデフレが進み経済全体が打撃をこうむる。 →安価な製品が輸入。 →競合する国産品が淘汰され、国内雇用が失われる。 例:国産米、国産牛が安価なアメリカ産米やアメリカ産牛との競争で駆逐され、コメ農家や畜産農家の多くが失業。 牛丼がより安価になれば、牛丼と競合する他の外食産業は人件費カットで対抗し雇用が削減される。 農家や食品関連産業で失業者が増加すると、労働市場全体が供給過剰になるので賃金が一段と下がり、デフレが悪化する。 デフレとは、需要不足が続くことなので、これを止めるには需要を追加するか、供給を削減する必要がある。 『農産品輸入自由化がもたらす四重のデフレ効果』P.127 1.関税撤廃による価格の低下 2.安価なアメリカ産の輸入による価格の低下 3.ドル安でさらに安くなったアメリカ産の輸入による価格の低下 4.不況により賃金が上がらくなり、相対的に安上がりになったアメリカ製品を輸入することによる価格の低下。 ( ゚Д゚)⊃裁判官の爆笑お言葉集 裁判官が被告に説教したり慰めたり励ましたりするのはちゃんとした法令行為なんだね。 正式には「訓戒」というそう。 爆笑ってタイトルついてるけど真面目な本。 貿易自由化は自国がデフレ不況にあるときにはやってはいけない。 貿易相手国もデフレ不況になる、あるいはその恐れがあるようなときには、なおさらやってはいけない。 『農業構造改革はデフレを悪化させるだけ』p.128 「日本の農産物は品質や安全性の面で優れている。国産の農産物の値段が多少高くても、買ってくれる消費者はいる」という意見もあるが、 デフレにより国民所得が低下していけば、高付加価値の国産農産物の需要は確実に縮小する。 「日本の農業は、構造改革によって農産品の輸入が自由化されも生き残れるように生産性を向上すべき」という意見もあるが、 構造改革によって日本の農業が守れたとしても、安価な農作物の輸入によるデフレ効果を防ぐことはできない。 それどころか日本の農業が構造改革によって生産性を向上させ、安い農作物を出荷できるようになったら、 それだけでも食料価格が下がりデフレが進んでしまう。 そもそも「構造改革」とはデフレを促進する政策である。 構造改革とは、規制緩和、自由化、民営化、緊縮財政などによって市場への新規参入者を増やし、 自由競争を促して産業の生産性を向上させようという政策。 アメリカのレーガンやイギリスのサッチャーが推進した、いわゆる新自由主義。 しかし、アメリカやイギリスが当時直面していた問題はデフレではなくインフレ。 両国政府は自由化によって物価を下落させようとした。 ところが日本はバブル崩壊後の不況でデフレを心配しなければならない状況なのにもかかわらず新自由主義的な構造改革を断行。 結果、今日に至るまで10年以上もデフレから脱却できない事態になった。 デフレになりそうな時にデフレ政策を実施したのだから当然。 戦後の歴史上、こんな初歩的なミスを犯した国は他にない。 なので、戦後日本以外にデフレを経験した国がなかった。 構造改革は生産性の向上を目指すもの。 しかし生産性の向上はいつもよいことであるとは限らない。 生産性の向上は物価の下落をもたらすもの。 インフレのときはよいが、デフレのときはかえって景気を悪化させる。 デフレ時の構造改革派ご法度。 『デフレ脱却が最優先!』p.132 日本の農業は構造的な問題が多く、効率性を上げるための改革は必要。 だが、効率性を上げるための改革に着手するのは日本経済全体がデフレを本格的に脱却してから。 デフレ脱却が先決、農業の生産性の向上はその後。後者を先にするとデフレがひどくなる。 『世界恐慌は保護主義で悪化したのではない』p.137 「自由貿易が国民経済に利益をもたらす」というのは、どんなときでも正しい原理原則ではない。 保護主義が世界恐慌を悪化させたという説があるが、それは間違い。 各国が保護主義に走ると確かに外需は減るが、他方で内需が拡大するのでトータルの需要はそれほど大きく減らないから。 世界恐慌を深刻化させたのは保護貿易ではなく、各国で断行した緊縮財政と高金利政策。 なので「保護貿易はやってはいけないというのが、世界恐慌という歴史の教訓だ」という話は正しくない。 『自由貿易を疑え』p.139 過去のデータを見ると、保護主義の強化が貿易の急速な拡大をもたらしているという事実がある。 それはなぜか? 保護関税がデフレを阻止し、内需を拡大し、その結果、経済が成長したので輸入がかえって増えたためだと考えられる。 貿易の拡大と経済成長については、どちらが原因でどちらが結果なのか、その関係に注意が必要。 経済成長が貿易を拡大するというのは、おそらく正しい。経済成長→国民所得が増え購買力が高まる→貿易量が増える。 反対に、貿易が拡大することで経済が成長するのかどうかは実ははっきりとは分かっていない。 第4章 輸出主導の成長を疑う 『輸出企業はデフレで得をする』 先進国の企業は低賃金労働を武器にした新興国の企業とのコスト競争を余儀なくされる。 激しいコスト競争の中で輸出企業は実質賃金を抑制せざる得なくなった。 グローバルな競争の結果、労働者の賃金はもっとも低い水準まで低下していってしまう。 これは「底辺への競争」と呼ばれる現象。 輸出企業が成長を主導する国では国内の賃金水準も代表的な輸出主導の賃金水準に引きずられる。 これが一国全体の賃金水準を下げるデフレ圧力になり、貧富の格差が拡大。 輸出競争力の強化は労働者の賃金アップを犠牲にしている。 格差問題に対して「輸出企業は稼いだ利益を政府が再配分して、格差を是正すればよい」という意見があるが、 グローバル化した大企業は負担から逃げようとして政治に圧力をかけるため難しい。 「企業の公的負担がこれ以上増えたら我々は海外に出ていかざるを得なくなる」とごねるのはグローバル企業がいつも使う手。 『グローバル企業と国民の利益の不一致』 グローバルに活動する輸出企業が儲かっているからといって、 その企業と同じ国籍の国民も豊かになるわけではないのがグローバリゼーションという現象の本質。 『少子高齢化で輸出主導戦略は破綻』 「日本は少子高齢化で人口が減少する中では内需拡大は望めない。だから海外市場で稼ぐしかない」という意見があるが 人口減少で国内需要を縮小させるのは確かだが、人口減少で縮小するのは需要だけではなく供給力も縮小する。 人間は、消費者であると同時に労働者でもある。人間の数が減ることで、消費者は減るが労働者は減らないとは考えられない。 少子化……労働力(供給)の相対的な減少。 高齢化……需要(消費者)の相対的な拡大。 働き手の若者が減り、働かずに消費だけする老人が増えるのが少子高齢化である。 少子高齢化は、需要過剰、供給不足をもたらす。 日本の供給力は、海外に打って出るどころか、国内の需要も満たせなくなる。 輸出主導の成長は、少子高齢化の進む国が進むべき道ではない。 むしろ、国内の需要を満たすだけの供給力をどうやって備えるかが問題となるはず。 『法人税減税は間違っている』 法人税減税が間違っている理由。 1.グローバル化した世界では、企業と国民の利益が一致しなくなっているので、法人税を減税して輸出企業が儲かるようにしても国民は豊かにならない。 しかもリーマン・ショック後は、世界的な需要不足で、世界中の企業が激しいコスト削減競争を展開。そんなときに、輸出主導で景気が回復できるわけがない。 2.日本経済は、企業部門に貯蓄が累積している。 これはデフレ不況で資金需要がないために企業が貯め込んでいるもの。 そのような中で法人税を減税しても、企業は貯蓄を増やすばかりで投資は行わない。 投資を行わなければ景気は上向かない。法人税減税は国の税収を減らすだけに終わる。 『日本はギリシャにならない!』p.158 なぜ、日本がアルゼンチンやギリシャのように政府債務残高のGDP比が大きいのに、 金利が急騰したり、通貨が暴落したりするような事態になっていないのか? それは国債の保有者や国債の発行の仕方がまったく違うから。 [ギリシャの場合] ギリシャ国債の保有者の7割が外国人。 このため国債の償還金の大半は海外に流出してしまう。 しかもギリシャは経常収支赤字国、つまり貯蓄不足の国なので、政府が海外の債権者に借金を返せなくなる事態が起こりえる。 ギリシャ国債は、自国に通貨発行権がないユーロ建てなので、お金を刷って返すことができない。 [日本の場合] ところが日本国債の保有者は9割以上が日本人。 このため日本人の税金で国債を償還しても、その税金は日本人に戻るので富は国外にほとんど流出しない。 しかも、日本は経常収支黒字国であるうえ、世界最大の純資産国。 また日本国債はすべて円建て。このため最後は円を刷れば返済できる。 日本はデフレを脱却して金利が上がるまで公共投資を拡大すべき。 どうしても金利上昇が心配なら日銀が国債を買えばいい。 そうすれば、国債の買い手がなくなって困ることもなく金利も上昇しない。 「そんなことをしたら、ハイパーインフレになる」と主張する論者がいるが、ハイパーインフレは戦争などで国の供給能力が急に破壊された場合など、 極端な非常時にしか起きないものなので心配無用。 第5章 グローバル化した世界で戦略的に考える 『貿易は本当に互恵的か』 貿易する財の性質や市場の構造によって、両国の力関係は異なる。両国の力関係に変化を与えるような財は「戦略物質」と呼ばれる。 石油……かつては、先進国ではエネルギーとして石油に依存していた。 そのため中東戦争勃発時に中東諸国は石油価格を引き上げて先進国に圧力をかけた。 これが「石油危機」。 生産国が少数で消費国が多数の市場、いわゆる「売り手独占」の場合であって、 かつ財が必需品である場合、生産国は消費国に対して価格支配力を持つことができる。 石油危機後、先進国は中東以外の油田開発、他のエネルギー利用促進、省エネルギー化を進め、中東の石油への依存度を低めた。 もともと中東諸国の石油の生産量は大きいが、石油の国内消費量はわずか。 中東諸国は海外に石油を買ってもらわなければ国の経済が成り立たない。 生産量のほとんどを輸出に回し、しかもその輸出に依存する経済構造の国は貿易相手国に対して強いパワーを持つことができない。 逆に、消費国の方が価格支配力を持つような財や市場もある。 生産国は多数あるが、消費国は一国しかないような「買い手独占」の財であり、かつ、その財が必需品でない場合には、 生産国は消費国の言い値でその財を売らざるを得なくなる。消費国の方が生産国に対して価格支配力を持つ。 『戦略的互恵関係とは?』 戦略的互恵関係とは? 「相互に相手国を自国に依存させお互いに相手国がなくてはならない存在とするような関係」 お互いに相手がなくてはならないような関係になれば、仮に両国の間で容易に解決ができない 難しい問題が生じても全面対決になる前に相互に妥協の道を探るようになる。 ★戦略的な中国とそうではない日本 [日本政府の経済戦略] ・アジアへのインフラ輸出 ・観光客誘致(特に中国) ★尖閣問題発生時の中国の対応 ・インフラではフジタの社員を拘束。 ・インフラ担当大臣会合への出席の取りやめ ・北京市観光当局が訪日旅行の募集宣伝を自粛要請 ・APEC観光大臣会合歓迎レセプションに欠席 インフラ輸出:中国へインフラを売り込みたいのは日本以外に、欧米にも複数存在。 中国が自前でインフラ整備をすることも可能。 中国は日本に優先してインフラ整備を発注する理由は何もない。 観光:日本は中国人観光客を成長の切り札と考えていても、中国にとって日本の観光サービスは必需品ではない。 訪日を禁止しても困らない。 日本は中国の支配力を増す構築に手を貸していたどころか、それを「アジア経済戦略」と題して発表までしていた。 このため、領土問題発生時に中国は次々と対抗処置を発動、日本はあっさり腰砕けに。 ( ゚Д゚)⊃ヘタリア&ヘタリア2 全体的に絵が荒くね? 停波に備えて機種変更してきた。 中古送料込みで4795円で買ったPremier3って機種。 ガラケーのくせにモッサリ感が半端ない。 この機種を選んだのはビエラの番組持ち出しができるから。 たぶん番組持ち出しは1,2回やったらあきると思うけど 1度は番組持ち出しってやつをやってみたかったので。 2年後の「誰でも割」の解約手数料がかからないで解約できる月までPremier3でがんばる予定。 ソフトバンクは電波の関係で問題があるので、解約したらdocomoに乗り換える予定。 機種変更するたびに2100円も取られちゃかなわない。 『食料の戦略性』 ・F1品種の問題 F1品種とは、一代限りの農産物のこと。 F1の種子から育ったF2は生産性が低下し、F3、F4となるにしたがって生産性は低下していく。 現在、市販されている野菜類の9割以上がF1品種。 アメリカのモンサント社がF1品種の種子をほぼ独占。 F1品種の優秀性は一代限りなので、農家はモンサント社からの種子を購入し続けなければならない。 日本の野菜類の自給率は約8割だが、その種子はアメリカからの輸入に依存している。 『水資源問題がもたらす危機』 石油は代替が可能だが、水はそうはいかない。 日本のダムは全部で2700ヵ所あるが、すべてを合わせてもフーバー・ダムの7分の6の貯水量しかない。 「ダムはムダ」ではなく、日本はダム建設を進めるべき。 「食料を確保するために、入手先を多様化するべき」という意見があるが、 1.水資源の枯渇は地球規模で起きているので、輸入先を多様化したところでどうなる問題でもない。 2.穀物市場の国際化ゆえに、一国の不作は世界規模の価格高騰を招く。 さらに、バイオ燃料としてトウモロコシを使用するようになったので トウモロコシ価格は原油市場の影響まで受けるようになっている。 世界不況で資金過剰の今、いつ食料価格が世界的に暴騰してもおかしくない。 日本の農業改革論者が推奨する高付加価値・高品質の農産品はぜいたく品であり必需品ではない。 他方、日本が輸入している穀物や野菜の種子は必需性が高い。 必需性の高い財を輸入して、必需性の低い財を輸出するような貿易関係は、一方的な海外依存でしかない。 農業が輸出産業化したとしても、脆弱な構造は変わらない。 ・禁煙を始めたのが2008年7月1日だから、今年の7月1日で禁煙始めてはや4年になる。 喫煙者の中には煙草はストレス解消に役立つっていう人いるけど、 俺が喫煙者だった時は「煙草なんかがストレス解消に役立つわけ無いじゃん」って思ってた。 でも、禁煙してみて煙草はストレス解消に役に立っていたってことを知った。 例えば、嫌なことがあったり、嫌な出来事が頭をよぎったりした時に タバコを吸うことで、そこで思考停止するというか、ストレスが和らぐというか……みたいな感じになる。 禁煙することで、がんになるリスクは減ったし、お金もかからないし、 部屋も自分も臭くならないし、灰皿片付ける手間も無くなったし、 火事になる心配もないし、その他もろもろいい事ずくめなんだけど、 タバコ以外にストレス発散する方法を持っておかないと禁煙に失敗するのはもちろんだけど 禁煙後にちょっと困ったことになるかもしれない。 俺の場合、禁煙後に資格の勉強を始めてしばらくしてから 酷いフラッシュバックに襲われるようになった。 昔の黒歴史を思い出して「あっー!」って声がでちゃうタイプのフラッシュバックじゃなくて 超超軽度のPTSDっぽい感じのやつ。 複数ある特定のキーワードが鍵になって襲われることが多い。状況によっても出たりする。 そのフラッシュバックのストレスと元々の性格から強迫性障害も発症した。 おそらく歯ぎしり始めたのも、それらが原因だと思う。 自分で思ってた以上にタバコに依存してたみたい。 ____ /⌒ ⌒\ /( ●) (●)\ /::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ※禁煙始めるなら他のストレス発散方法を見つけてから始めましょう。 | |r┬-| | \ `ー'´ / ( ゚Д゚)⊃風の谷のナウシカ 水彩画集 宮崎駿 ずっと欲しかった本。 漫画版ナウシカは聖書。 映画版ナウシカは副読本的なもので、 シュナの旅は外伝的な位置づけで。 [チェルノブイリ事故] ・1986年、ウクライナ。 ・事故後、動員された「リクビダートル」(清掃人)は、累計60万人に及ぶ。 ・ウクライナはソ連の40%の穀物を供給していたので、食物を通して内部被曝する人たちが膨大な数になった。 子どもが汚染された牛乳を飲み、小児がんになった。 ・事故の翌日、1000q以上離れたスウェーデンの原子力発電所でチェルノブイリから出た放射性物質が検出されたため、 ソ連はしぶしぶ事故を公表。 ・汚染された村々では、自分の意志で残った人たち、移住先から帰ってきてしまった人たちが今も生活をしている。 ・チェルノブイリから放出された放射性物質は日本でも検出された。 [チェルノブイリと福島の出力] ・チェルノブイリ4号炉:出力100万kw:停止寸前だった。 福島第一原発1〜4号炉合計:300万kw:普通に稼働していた。 [放射線のエネルギーはものすごい] ・2シーベルト:死者が出始める被曝量 ・4シーベルト:ほぼ半数が死ぬ被曝量(体温を1000分の1℃上昇させるエネルギー量) ・8シーベルト:ほぼ100%が死ぬ被曝量(体温を1000分の2℃上昇させるエネルギー量) ・DNAを相互に結びつけているエネルギーは数エレクトロンボルト(eV)。 レントゲンのX線:約10万eV。 セシウム137:約66万1000eV。 プルトニウム239:510万eV。 DNAを相互に結びつけている数エレクトロンボルトのエネルギーに比べて、 放射線の持つエネルギーは数十万から数百万倍も高いため生命情報がズタズタに引き裂かれてしまう。 アルファ線……紙を透過できない。 ベータ線……紙は透過してしまうが、薄いアルミニウム板で防げる。 ガンマ線・X線……紙もアルミニウム板も透過してしまうが、鉛の厚い板で防げる。 中性子線……紙もアルミニウム板も鉛の板も透過してしまうが、水を透過することができない。 ・中性子線は、主に核分裂反応が起こっている場所で出る。 ・外部被曝では、ガンマ線を出す放射性物質が恐ろしく、アルファ線を出すプルトニウムはさほど問題にならない。 ・内部被曝では、ガンマ線は人体の外に飛び出していってしまう。 内部被曝で、もっとも深刻なのがアルファ線。放射性物質が付着したごく近くの細胞だけが濃密に被曝する。 そのため破壊力は大きくなり、ベータ線・ガンマ線より20倍の危険を持っている。 ・広島の原爆で燃えたウランは800g。 100万kwの原発は1年間に1トン(10億r)のウランを核分裂させている。 ・チェルノブイリは、セシウム137換算で広島原爆の800発分の放射性物質が拡散した。 福島第一原発は、2011年4月までで、セシウム137換算で広島原発の80発分が拡散。 ・チェルノブイリ事故後、1キュリー/平方q以上、日本の法律でいう「放射線管理区域」以上の 放射線量が測定された面積はあわせて約15万平方q。日本全土の4割に相当。 ・しかし、ソ連政府が避難させたのは汚染の激しい地域(15キュリー/平方q)の住民約40万人だけ。 ・現在も、約565万人が「放射線管理区域」以上の被曝環境で生活している。 ・「放射線管理区域」……病院のX線撮影室やCTスキャン撮影室など。 管理区域の中では、一般人の年間被曝限度量1ミリシーベルトに対して、20ミリシーベルトまでの被 曝が許されている「放射線業務従事者」という特殊な人間だけが活動できる。 第3章 放射能汚染から身を守るには [安全な被曝は存在しない] 「ただちに健康に影響を及ぼす量ではありません」……「ただちに」というのは「急性障害は起きない」という意味。 たとえ被曝量が少なかったとしても後々被害が出ることがある。これを「晩発性障害」という。 被曝というのは、分子結合の何万倍、何十万倍ものエネルギーが体内に飛び込んできて遺伝情報を傷つけること。 ちょっとDNAに傷がついた程度でも、その傷が細胞分裂で増やされていくのでまったく影響がない――なんてことは絶対にない。 被曝に「しきい値(症状が出はじめる最低限の被曝量)」は存在しない。 [被曝から身を守る方法] ・原子力発電所から吹いてくる風の向きと直角方向に逃げる。 ・雨が降れば濃密な汚染を受けてしまうので、雨合羽、着替えの準備は必須。 家から離れられない場合は、 ・窓を閉め、隙間を目張りする。空調は止める。 ・ヨウ素剤を服用する。(これは政府が配布しないと無理) ・放射能雲に巻き込まれている間は屋内でも何枚も重ねた濡れタオルをマスクにして、直接空気を吸わないようにする。 ・外部と1つでも多く壁で隔てられている場所に行く。2階よりも1階、1階よりも地下室。窓のそばには近寄らない。 ・飲用水、保存食を確保しておく。 ・放射能雲が到着した後は、井戸水はもちろん水道の水も飲まない方がよい。 ・放射性微粒子は雨や雪にくっつきやすく、雨や雪には放射能が濃縮されている。 雨も雪も、降らない場合に比べて何十倍も地面汚染が強くなる。雨には濡れない、衣服についた雪は払う、水たまりには近づかない。 情報ルートを開拓する。 ・政府、電力会社と癒着している大マスコミの追求は甘い。 激しく追求しているのは、雑誌、ネットメディア、フリーの記者たち。 ・原子力安全・保安院、東京電力の会見はあてにならない。 ・インターネット中継は、テレビなどで報道されない記者たちのやりとりも見ることができるので、それなりに有益。 ・自分で放射線測定器を用意することもできるが、データを得続けることはまずできない。 それより、電力会社社員、原発職員(特に幹部)の家族の動きを注視した方が役に立つ。 ・万策尽きたら、わずかな時間を一緒にいたい人とともに過ごす。 [現実の汚染にあわせて引き上げられた被曝限度量] ・現在の法律の年間1ミリシーベルトという基準は、1万人に1人がガンで死ぬ確率の数値。 10ミリシーベルトだと、1000人に1人がガンで死ぬ確率。 ・緊急時おける原発作業員の被曝限度量は100ミリから250ミリシーベルトに引き上げられた。 100ミリとは、急性障害が出るラインが目安となっていた。 250ミリという数字は「もう急性障害が出たとしても我慢してくれ」ということを意味している。 [子どもに20倍の被曝を受けさせてはならない]p.85 ・文部科学省が定めた福島県内の学校の安全基準。 1時間あたり3.8マイクロシーベルト未満の学校には通常通り校舎校庭を利用させるというもの。 ・3.8マイクロシーベルトという数値を導き出す前提となった、年間積算被曝量20ミリシーベルトというのは異常な数値。 日本の法律で大人が許容されている被曝量は年間1ミリシーベルト。 年間20ミリシーベルトとは、原発作業員が白血病を発症した場合に労災認定を受けられるレベル。 このことで、内閣官房参与の小佐古敏荘東大大学院教授が抗議して辞任した。 [放射能の墓場を原発付近につくるしかない] ・除去した土の捨て場所を、福島第一原発周辺に造ったほうがいい。 汚染されたゴミの問題は、各地で住民同士の争いに発展する可能性がある。 原発周辺の汚染は酷すぎて将来にわたって無人地帯にせざるをえない状況。 周辺住民は戻れない。むしろすぐ戻れるような期待を抱かせるほうが残酷。 ・汚染された農地の再生は不可能 セシウム137の半減期は30年。30年間農地を放置しておいたら再生は不可能。 農業において表土こそが必要不可欠なものなので、土の除染も不可能。 はぎ取ったとしても、あまりにも大量の表土の捨場はない。 [若ければ若いほど死ぬ確率が高くなる] ・細胞分裂が活発な時期に被曝すれば、放射線によって損傷を受けた遺伝子もどんどん複製されていくため、 白血病や小児がんが引き起こされる。大人よりも子どものほうが被害を多く受ける。 ・50歳になると放射線によるがん死の可能性は劇的に低下する。 汚染された食物 ・政府は暫定基準値を設けてそれを超えた食品を出荷停止にし、超えなければ安全と見なしているが、あれはウソ。 レベルが低いから安全なんてことは絶対にない。 ・チェルノブイリ事故後、日本は設定した基準値以上の汚染が確認された食品は輸入規制した。 しかし汚染された食料はなくなるわけではなく、原子力の恩恵を全く受けていない途上国へ流れていった。 ・福島や北関東の野菜などを食べなければ地域の農業、漁業は崩壊してしまう。 汚染されている事実を明らかにしたうえで、野菜も魚も流通させるべき。汚染されたものは、放射線に鈍感になっている大人や高齢者が食べよう。 第4章 原発の常識は非常識 ・日本の原発が生み出してきた電気の総量は7兆kw時。その分、死の灰も生まれている。 放射能の減衰を考慮に入れても、広島原爆の80万発分を超えている。 ・電力会社は、国の原子力委員会が定めた「原子炉立地審査指針」に基づいて立地を選定している。指針には、 ・原子炉から一定の範囲内は非居住区区域であること。・その外側は低人口地帯であること。 ・原子炉敷地は人口密集地帯から離れていること。 国も原子力が危険だということは承知しているため、たとえ効率が悪くても原発を建設する場所は低人口地帯である。 [電力会社が責任をとらないシステム] ・原子力発電が危険だということは最近わかったことではない。 1950年代のアメリカで原発災害が発生した場合のリスクを試算した結果 「数千人の死者。数万人の障害者が生まれる。財産損害は2兆5000億円規模 (当時の日本の歳入は1兆2000億円の時代)」という破局的なものだった。 ・電力会社にこれだけの損害を補償できるわけがないので、原発推進のためにアメリカ政府はたとえどんな破局的な事故が起き ても、電力会社は損害のすべてを補償する必要はなく、電力会社が賠償する上限額を定めた法律を作った。 ・その後、日本も原発リスクの試算をしたら破局的な結果が出た。 そこで日本政府も電力会社を原子力開発に引き込むために1961年に「原子力損害賠償法」を制定した。 ・法律は10年ごとに見直されており、2009年の賠償措置額は1200億円。 ・異常に巨大な天変地変または社会的動乱で事故が起こった時は責任をとらなくてもいい。と書かれている。 ・政府の東日本大震災被災者への賠償計画。 「原子力損害賠償支援機構法」を作り、他の電力会社の資金拠出や公的資金投入で賠償支援を行なうことになった。 ・また、「電力の安定供給(電気料金の大幅な値上げなど)に支障が生じる場合は国が補償を肩代わりできる」という条項も盛り込まれた。 つまり、全国民に電気料金値上げと税金で事故の責任を押し付けることになった。 [原発を造れば造るほど儲かる電力会社] ・減価償却費、営業費、税金などの必要経費に利潤(事業報酬)を足したものが「総括原価」と呼ばれ、 この額すべてが電力会社の懐に入るように電気料金を決めることになっている。 ・電力会社はどうやってこの利潤を獲得するのか? 電力会社は、レートベースに報酬率を掛けて利潤を決める。 レートベース……資産のこと。 資産の何%かの額を自動的に利潤として上乗せしていい、ということが法律で決められている。 ・原発は1基、5000億、6000億円かかる。研究開発などの特定投資も巨額。 これらが資産となって利潤を決める際のベースをつり上げている。 原子力発電をやればやっただけ、原発を建てれば建てただけ電力会社は収入を増やすことができる。 ・利潤は電気料金に上乗せされる。 ・日本のアルミ精錬産業。アルミ精錬は非常に電力を必要とする産業だったので、電気料金の重荷に耐え切れず潰れてしまった。 その後、世界のアルミ需要は急激に伸び、日本は巨大ビジネスチャンスを喪失することになった。 ・電力会社は何をやったとしても絶対に損はしない。 [原発のコストは安くない] 電源別発電総単価(円/kWh)1970〜2007年度 ・水力……3.98 ・火力……9.90 ・原子力……10.68 ・揚水……53.14 ・揚水発電……主に原子力発電のために存在している発電方法。 原子力発電は一度運転をし始めたら稼働率100%でずっと発電し続ける。 なので、夜間は電力が余ってしまうので余った電力を消費するために揚水発電所を造る。 揚水発電は効率が悪いので1kwあたりの単価が桁違いに高い。 [大量の二酸化炭素を出す原子力産業] ・政府や電力会社は「原子力は二酸化炭素を出さない」とPRしてきたが、今では「原子力は『発電時に』二酸化炭素を出さない」と表現するようになった。 しかしこれもウソ。科学的にいうなら「ウランの核分裂反応は二酸化炭素を出さない」とだけ言わなければならない。 ・ウラン鉱山からウランを採掘し運ぶ。ウランを精錬所で精錬する。精錬したウランを濃縮する。ウランを加工して燃料ペレットにし、燃料棒の形にする。 採掘、運送、精錬などに使用されるエネルギーはほとんどが化石燃料なので二酸化炭素を排出する。 ・原発建造に必要な莫大なコンクリート、鋼鉄を製造するのにも大量の二酸化炭素を排出する。 原発建設時にも二酸化炭素を排出する。 ・核分裂反応は、二酸化炭素より直接的に命を脅かす「死の灰」を生む。 ・政府、電力会社の宣伝方法に疑問を持った一人の若者がJARO(日本広告審査機構)に宣伝の正当性の審査を求めた。 その結果、宣伝方法に問題あり、となったがJAROは強制力を持っていないためJAROの裁定を無視して政府・電力会社の宣伝は続けられた。 ・原発はエコでもクリーンでもない。 [地球を温め続ける原発] ・発電量100万kwの原発は、原子炉の中では300万kwの熱を生み出している。その熱は海へ捨てている。 1秒間に70トンの海水を引きこんで、温度を7℃上げ海へ戻している。 ・日本の国土には1年間に約6500億トンの雨が振り、蒸発分を除いた約4000億トンが川に流れていく。 日本の原発は54基。7℃上昇した海水が捨てられる量は約1000億トン。 ・7℃上昇した、これだけの量の海水を排出して環境になんの影響もないと考えるほうがおかしい。現に日本近海は異常な温かさになっている。 第5章 原子力は「未来のエネルギー」か? [石油より先にウランが枯渇する!?] ・石油可採年数推定値。 1930年には18年。 1940年には23年。 1950年には20年。 1960年には35年。 1990年には45年。 最新の推定値では50年。となっている。 ・石炭は使いきるまでに1000年かかる。天然ガスも新たな埋蔵地が次々と発見されている。 メタンハイドレート、深層メタンなど将来性が有望視されている資源も見つかっている。 ・ウランはエネルギー量換算で「石油の数分の一」「石炭の数十分の一」しか地球上に存在していない。 石油より前にウランが枯渇してしまう。 ・太陽光などの新エネルギーを推進しつつ、化石燃料を利用していかざるをえないのが現実。 [核燃料サイクル計画は破綻している] ・核分裂する「ウラン235」はウラン全体の中で0.7%しかない。 そこで核分裂をしない「ウラン238」をプルトニウムに変換して利用しようとした。それが高速増殖炉などの核燃料サイクル計画。 ・高速増殖炉はウラン238をプルトニウムに変換する。使用済み核燃料を再処理して活用でき、 発電もしながら消費した以上の燃料(プルトニウム)を生み出せるので「ウラン資源の有効効率は100倍以上にあがる」と言われていた。 ・高速増殖炉は1967年の長期計画では、1980年代前半に実用化されることになっていた。 1987年の長期計画では「実用化」ではなく「技術体系の確立」が目標と変更された。 2000年の長期計画では、数値をあげて年度を示すこともなくなった。 2005年には、「2050年には初めの高速増殖炉を動かしたい」となった。 [高速増殖炉もんじゅ] ・原子炉を実用化するためには、小型の「実験炉」、少し規模を大きくした「原型炉」、 技術全体を実証する「実証炉」と開発を進めていく。 ・1977年「常陽」という実験炉が運転をはじめた。(現在は事故で停止中) ・続いて原型炉として造られたのが「もんじゅ」 1995年に試験中に事故が発生し、14年5ヶ月の間、もんじゅは停止したままだった。 2010年、再びもんじゅ稼働。基礎的な試験運転だったが936回の警報が鳴り、32個の不具合が発見された。 ・1kwの発電もしていない「もんじゅ」にすでに1兆円以上の金をかけている。 この計画を作った歴代の原子力委員は誰一人責任を取らないまま原子力界に君臨し続けている。 [プルサーマル] ・高速増殖炉がすぐに実現する前提で使用済み核燃料の再処理をイギリス、フランスに委託し、 45トン(長崎型原爆4000発分)ものプルトニウムをため込んでいた。 ※日本は第二次世界大戦後、核兵器に転用しうる原子力研究を禁止されており、日本は余剰プルトニウムを持たないことを国際的に公約させられている。 ・そのプルトニウムを始末するために考えられたのが、原子炉でプルトニウムを燃やす「プルサーマル計画」。 普通の原子炉はウランを燃やして発電するために設計されたもの。 もともと燃やす予定ではなかったプルトニウムを燃やすことになれば原子炉の安全余裕を低下させることになり危険。 ・こんな状況にもかかわらず青森県六ケ所村再処理工場の計画が進められている。 しかし「もんじゅ」は動く見込みがない。でも、六ヶ所再処理工場で取り出したプルトニウムは燃やさなければならない。 その処理のために造ろうとしているのが、世界初のフルMOX原発・大間原子力発電所(青森県大間町)。 ・大間原発はMOX燃料を燃やすために設計されている点は、普通の原子炉でプルサーマル運転をするよりマシ。 だが、プルトニウムはウランの数十万倍の毒性を持っている。 プルサーマルでは炉心の3分の1しかMOX燃料を装荷できないが、大間原発は全炉心に装荷するので危険性は増大する。 ・つまり、高速増殖炉の核燃料サイクル計画の破綻によってプルトニウムが大量に余り、 そのプルトニウム消費のためにさらに危険な原発を造るという悪循環が起こっている。 第6章 地震列島・日本に原発を建ててはいけない [地震地帯に原発を立てているのは日本だけ] ・アメリカの原発は100基以上あるが多くは東海岸で、大地震が起こる可能性のある地域は避けて建てられている。 ・150基以上の原発のあるヨーロッパは地盤の強い地域で、ほとんど地震が起きない。・地震地帯に原発を建てているのは日本だけ。 [発電所の前所停電は絶対に起こらない、といことになっていた] ・「全所停電」は想定不適当事故とされた。そもそも発電所なのだから自分で発電している。ダメなら送電線から電気をもらえばいい。 それがダメでも非常用のディーゼル発電機がある。最悪の場合はバッテリーもある。だから全所停電は起こらない。……しかし現実に発生した。 なんとか復活したもののカーソルキーが反応しなくなった。 電話はかけられるけど不便。 まだ買って数週間だよ。 ・すでに起こったタイプの事故の対策はできるが、未知の事故の対策はできない。 次の事故は必ず想定外の原因で全く違った形で起きる。 ・政府や電力会社は、格納容器が破壊されるような事故は「想定不適当事故」とした。 そのため、環境汚染や住民の被曝は考慮されてなく、広域避難計画の用意などあるわけない。 ・福島の事故のあと、全国の原発に非常用の電源車や発電機が配備されたが、 配備された非常用電源では容量が少なすぎて、ほとんどの原子炉を冷やせないことがマスコミの取材により判明。 [浜岡原発] ・静岡県御前崎市にある中部電力浜岡原子力発電所は想定震源域のど真ん中に建っている。 浜岡原発のあたりでは、100年〜150年周期で巨大地震が発生している。 1500年頃:明応地震 1605年:慶長地震 1707年:宝永地震 1854年:安政南海地震・安政東海地震 ・100年〜150年周期で巨大地震が発生している地域にもかかわらず、およそ150年間もの間、巨大地震が発生していない。 いつ巨大地震が起きても不思議ではない。 ・2011年5月6日、菅直人首相は浜岡原発の全停止を決定。停止期間は2〜3年後の防潮堤完成までの予定。 [六ヶ所再処理工場] ・1997年に操業を開始する予定だったが、トラブルが重なって20回近くも延期されている。 ・使用済み核燃料約3000トンが運び込まれている。 一つの原発が出す使用済み核燃料は1年間に約30トンなので、原発100年分の放射能がためこまれていることになる。 ・3月11日の地震で外部電源が遮断、非常用ディーゼルで冷却システムに給電する事態に。 その際1台の発電機に不具合が発生。4月7日の余震でも外部電源が遮断、非常用ディーゼルで給電する事態が発生。 ・六ヶ所再処理工場は日本独力で建設する予定だったが、結局フランスに建設してもらった。 それでは日本のメンツが丸潰れなので、ガラス固化体製造工程だけは日本の技術を使用することになったが、そこでトラブルが発生。 広島原爆3発分の放射性物質によって建屋が汚染。機材も腐食して動かなくなるトラブルも発生。炉の煉瓦を破壊して落下させるミスも。 ・2012年10月に操業開始が予定されている。 操業を開始したら1年間に800トンの使用済み核燃料を処理する予定。 ・原発では放射性物質はペレットよばれる瀬戸物に閉じこめられているが、 再処理工場では硝酸に溶かした上でプルトニウムを分離するので放出する放射能の量は、 原発が1年で放出する放射能を1日で出してしまうと言われている。 ・イギリスのウィンズケール再処理工場は、約120万キュリー(広島原爆400倍)を越えるセシウム137をアイリッシュ海に流している。 チェルノブイリで放出されたセシウム137は約250万キュリー。 ・チェルノブイリは事故だが、ウィンズケール再処理工場は平常運転で計画的にセシウムを海に流しており、 アイリッシュ海は汚染され、そこでとれる海産物は1970年代から日本がチェルノブイリ事故の際に設定した輸入禁止濃度を上回っている。 対岸のアイルランド政府は再処理工場の停止を求めてきた。 ・この汚染の原因に日本から送られた使用済み核燃料も含まれている。 ・六ヶ所再処理工場も稼働すれば日常的に大量の放射能を放出する。 [放射能を薄めずにそのまま放出] ・原子力施設は法律で濃度規制を受け、放射性物質を一定の濃度以下に薄めてからでないと捨てることはできない。 しかし、再処理工場は規制から除外されており、薄めずそのまま放出していいことになっている。 再処理工場で放出されるトリチウムを規制の濃度まで薄めようとすると、毎日100万トンの水を使って薄めなくてはならない。 それは不可能なので、そのまま放出することが認められている。 ・「クリプトン85」「トリチウム3」「炭素14」らは、排気筒と、沖合3q深さ44mの海底に造った排水口から全量を排出している。 なぜ濃度を薄める作業を行わないのかというと「これらの物質はフィルタで取り除けないから」というのが理由。 しかし、実は現在の技術で十分補足できる。やらない本当の理由は費用がかさむから。 ・六ヶ所再処理工場の当初の建設費用は7600億円。現在までにつぎ込まれた費用は2兆2000億円。 予定通り40年の操業を終えて解体するまでにかかる費用は12兆円超え。 ・計画通り年800トンの使用済み核燃料受け入れて40年間稼働したとすると、3万2000トンを処理できることになり、1トンあたりのコストは約4億円。 イギリス、フランスへの再処理委託は1トン約2億円。 ・現在の計画のまま放出し続けるとしたら、 毎年740人、40年の操業で約3万人が放射能の影響によるがんで死亡する計算になる。 [もんじゅで事故が起きたら即破局] ・「もんじゅ」では冷却に水が使えないのでナトリウムで冷却している。 ナトリウムは「水に触れると爆発する」「空気に触れると火災を起こす」 もんじゅでは、1995年にナトリウム漏れで火事が発生している。地震で配管が大きく破れれば鋼鉄を溶かすような大火災になる。 火災になった場合、水をかけると大爆発が起きるので消火活動もできない。 第7章 原子力に未来はない [日本の原発はコピー製品] ・第二次大戦後、日本は原子力研究を禁止された。 原子力開発が許されるようになったのは1952年のサンフランシスコ講和条約以後。 独力で原子力開発をしてももはや手遅れなので、原子力技術を海外から買ってくることにした。 ・日本で最初の原発は1966年の東海1号炉。しかしそれはイギリスから買ったもの。 ・原子力発電利用国であるアメリカ・フランス・旧ソ連・イギリス・カナダ・日本の中で独自に原子力技術を開発してこなかった国は日本だけ。 ・現在の日本で利用されている技術は、もともとアメリカの「ウェスティング・ハウス(WH)」と「ジェネラル・エレクトリック(GE)」という原子力企業から買ってきた技術。 ウェスティング・ハウス……加圧水型原子炉を製造。関西電力が使用している原発のタイプ。三菱が技術を購入。 ジェネラル・エレクトリック……沸騰水型原子炉を製造。東電(福島第一も)が使用している原発のタイプ。東芝&日立が技術を購入。 ・1970年から三菱は毎年1基ずつ原発を建造。 ・東芝&日立は1年交代で1基ずつ原発を建造。 20年後の1990年、合計40基の原発ができた。 それまでは順調だったが、1990年から20年たった現在、14基の原発しか増えていない。 ・そこで原発を海外輸出することにした。 [原発を止めても困らない] ・日本の電気の約30%は原子力だが、発電設備全体の量から見ると実は18%しかない。 理由は、原子力発電所の設備利用率を上げて、火力発電所を休ませているから。 ・発電所は停止していることもあり、必ずしもフルパワーで動かしてはいない。設備のどのくらいを動かしているかというのが「設備利用率」。 2005年の統計では原発の設備利用率は約70%。 ちなみに原発は一度動かしたら1年間は止めることができない。(それで逆に電力が余ってしまい、消費するために揚水発電所という高コストな設備を造っている) 火力発電所は約48%で、半分以上が停止している。 ・3・11の地震で原発が止まって電力不足になった印象があるが、違う。 火力発電所が被害を受けたことが大きな原因。 火力発電所を復旧し、稼働率を7割まで上げれば電力は補える。 火力発電所の3割を止めておけるほど多くの発電所が日本にはある。 [電力消費のピークは真夏の数日間にすぎない] ・原発がなくても、実は水力発電と火力発電で電力は足りている。 1990年代の一時期、わずかに足りなくなったことはあったが、企業などの自家発電で吸収できている範囲。 しかも、電力使用のピーク時は真夏の数日間、さらにその午後の数時間にすぎない。 その時にどうしても電力が足りないのなら、工場をちょっと休む、クーラーの設定温度を変える、ということだけで十分乗りきれる程度。 ・2000年代になってからは、原発を止めたとしても、ピーク時でさえ水力&火力で電力は足りている。 [廃炉にしても大量に残る負の遺産] ・廃炉にしても、放射能で汚染された大量のゴミが残る。 ウラン採掘でゴミが出る。 ウラン濃縮でもゴミが出る。 原子炉を動かせばゴミが出る。 ・原発は数十年動けば最終的に廃炉になる。廃炉になった原発をどうすればいいか……実はさっぱり分かっていない。 ・低レベル放射性廃棄物…… 使用済みペーパータオル、作業着など。 1年間原発を動かすとドラム缶約1000本出る。 2005年の段階で70万本のドラム缶が出ている。 そのうち20万本のドラム缶を六ケ所村に送り、地面に穴を掘ってコンクリで固めたドラム缶置き場で管理している。 ドラム缶置き場は湿度の高い地下にあるのでドラム缶が錆びてしまう。 放っておくと放射能が漏れ出てくるので、脇に点検路を作ってずっと監視することになっている。 監視する期間は300年間。 漏れてきたら押さえ込んでという作業を繰り返していけばやがて放射能は少しずつ減少するので 「なんとかなるだろう」というのが政府の説明。 ・高レベル放射性廃棄物…… 使用済み核燃料を再処理してウランとプルトニウムを取り出した後の残りかすのこと。 政府は高レベル放射性廃棄物をガラス固化体にかためて地面に埋めてしまうことを考えている。 現在、廃棄物埋め捨て地の引き受け先を探している。 管理期間は100万年。 [核のゴミは誰にも管理できない] ・日本が原子力発電をはじめて45年。 電力会社の歴史は60年。 日本の家庭で電気が使えるようになって125年。 侍が刀を持って、ちょんまげをしていた時代から143年。 アメリカ合衆国の歴史は235年。 300年前は忠臣蔵の時代。 300年間管理するとか無謀。 100万年とか意味すらわからない。 ――おしまい―― 携帯、防水のPT002ってやつを3000円で購入。 これで携帯4台目なんだが、 今まで使ってたw41caがかなり優秀な携帯電話だったってことに気付かされた。 コードレス(コンセント式のやつ)のアースノーマットも購入。 なんでみんなコードありのアースノーマット買うの? 豚のやつとか、丸っこいやつとか。 コードレスの方が掃除するときとか煩わしくないと思うんだけども。 ( ゚Д゚)⊃官僚の責任 読んだけど内容忘れちゃった。 ・ヤクルト10本セット買ってきていっぺんに全部飲んでみたら お腹壊した。 なんかいっぺんに飲んだら腸の悪いものが全部出てって 体調が良くならないかなーって思ったんだよ。 下痢下痢。 FXでドリア8人前(σ・∀・)σゲッツ! 毎月キャンペーンやってくれて本当にアリガタイ 今使ってるパソコンが限界なので 新しくパソコンを購入しようかと考えてる。 事情によりデスクトップは無理なのでノートPCになる。 できるだけディスプレイがでかいやつがいいんだけど 高スペックのノートだと17インチが最大みたい。 ただ高スペックの17インチノートPCを販売してる店がBTOばっかで、 しかもどの店も評判が悪い、特にドスパラ。 16インチにディスプレイサイズを落とせばメーカー製のパソコンが 買えるんだけど、やっぱりディスプレイは17インチは欲しい。 うーん('A`) 先送りできない日本 池上彰 ウルグアイ・ラウンドで日本はコメに高い関税をかけることを認めてもらう代わりに、 ミニマム・アクセスの分だけコメの部分輸入を認めさせられた。 (細川内閣時代)当初は4%、1999年からは7.2%コメを輸入している。 ・ミニマム・アクセス(MA)……貿易の自由化を認めない品目に関しては、 国内消費量に対して一定の割合は輸入をすること。 ・2008年:MA米と輸入され備蓄されていたコメのうち、 カビが生えたりした事故米が食用として転売されていたことが発覚して社会問題となった。 ・2001年中国がWTOに加盟。 ・こんにゃく芋の関税は1706% こんにゃく芋の生産地は群馬県。 過去に4人の総理大臣を輩出している日本一総理大臣にった人の多い県。 農村票目当てのためこんにゃく芋の関税が超高い。 [保護主義は産業を衰退させる] 20世紀前半にアメリカ経済を支えてきたのは、鉄鋼業&自動車産業。 20世紀後半、鉄鋼は日本、韓国、インドなどで安価で高品質のものが作られるようになった。 アメリカの製鉄業は、対抗するために経営努力ではなく、アメリカ政府に鉄鋼の障壁を築くよう働きかけた。 その結果、アメリカの鉄鋼業は国際競争力を失って壊滅状態になった。 自動車産業では1970年代、排気ガスによる大気汚染が問題になり、アメリカで排ガス規制ができた。 これも経営努力ではなく、アメリカの自動車産業は政府に規制基準の緩和や規制実施の先延ばしを働きかけた。 一方、日本の自動車産業は低公害エンジンを開発し、規制をクリア。中東危機で日本車は飛ぶように売れた。 80年代、アメリカの自動車産業は、政府に日本車の輸入規制を働きかけ、政府は日本に数量規制を働きかけた。 そこで日本の自動車メーカーはアメリカ国内に工場を増設し、アメリカ国内で生産を始めた。 やがて、世界最大の自動車メーカーGMが経営破綻に。 [コメ増産から減反への大転換に振り回された農家] 戦後、主食を確保しようということでコメ増産が国策に。 食糧管理法(現在の食糧法)により農家がコメを作れば必ず国が買い上げてくれることになっていた。 コメの政府の買入価格は毎年「米価審議会」で決定。 米価審議会が開催される会場を動員された農家が包囲、価格引き上げを要求。 農家はコメを作れば作るほど儲かるので、ガンガンコメを作る。 結果、政府の財政を圧迫するように。 こうして1969年に始まったのが、「減反政策」。「反」……田んぼの面積の単位。 [お上に逆らってヤミ米を売った農家が儲かった] 秋田県大潟(おおがた)村。 大潟村には大湿地帯があった。その湿地帯を開拓して広大な田んぼにして、 近代的なコメ作りをする計画があった。 全国から試験で選ばれた入植者の入植が1967年に始まった。 入植を始めた2年後に減反政策が始まり、その結果、 大潟村に入植した人たちは「減反受け入れ派」と「減反反対派」に分裂し激しく対立することとなった。 減反政策に反対してコメを作ると農協は扱ってくれない。 反対派は、農協を通さず自力で流通ルートを開拓し出荷。 これを農林省は食糧管理法違反のヤミ米として摘発。 反対派がコメを積んだ車で出発すると農林省が途中の道路で検問して摘発した。 反対派は独自ルートを開拓していき、経営規模を広げ、国に頼らずやっていけるようになった。 やがてこの動きが全国に広がり行政は止められなくなったところで、 ヤミ米は「自主流通米」として認められた。 [日本の農業に起業家が育たない理由] 当時の農業は、コメが余るとミカンの作付けを増やすよう指導。 農家が一斉にミカンを作ると豊作になり価格が暴落。 毎年、行政が指導し→大豊作になり→価格が落ちる。これを毎年繰り返していた。 [農業委員会] ・市町村単位で存在。農地の無秩序な開発を防ぐという役割を持っている。 ・農協はもともと農業技術の普及や、流通支援のための組織。 ・一定の面積の農地を持っている農業者が選挙で農業委員を選出。 ・サラリーマンが農業を始めようとしても、「農家要件を満たさない」人には農地を売ることを認めない。 農業委員の許可がなければ、農地を売ったり住宅地に変更したりはできない。 その代わり、固定資産税は低く抑えられている。 株式会社が農業を始めることは「収益が上がらないと判断すればすぐに撤退して、農地が荒廃する」として認めていない。 [自民党末期には経営型農業を目指していた] ・農家の多くは専業農家ではやっていけなくなった。 平日はサラリーマン、土日だけ田んぼでコメ作り。 農業機械を農協から資金を借りて購入、農協への借金返済に追われる有様に。 ・農業従事者の平均年齢は66歳。 10年もすれば農業は壊滅状態になる。 これはまずいと農水省も自民党も認め、小さな農地を集約して大規模化し、法人化を目指す政策へと転換。 これにより農家は大規模化に向かい、コメ以外の農作物への補助金を高くすることで転作の拡大も進んでいた。 ・2007年、民主・小沢が農家に対する「戸別所得補償制度」を打ち出す。 これはコメ以外の農作物にも補助金をつける制度。 しかし、主食用米の所得補償はその他の農作物よりも高かったため、他の作物を作っていた農家までコメを作り出してしまう。 また、仲介業者が「コメは価格が保証されているのだから、その分安く売ってくれ」となり、農家の収入が増えなかった。 さらに、補償金欲しさに専業農家に農地を貸していた兼業農家が農地を返してくれと土地を取り戻すようになった。 こうして集約化が進んでいた農地は細切れに戻りつつある。 農協は、小泉政権下で行われた平成の大合併で巨大な組織がいくつも誕生した。 (市町村ごとにそんざいする農協も、市町村合併にあわせて合併したため) ・所属している専業農家よりも、農協職員のほうが多い場所もある。 巨大組織をわずかな専業農家と、多くの兼業農家で支えている構図。 ・農協は、コメの生産調整を現場で農家に振り分け、補償金も農協を通じて各農家に配分される。 ・所属農家に農機具を販売し、そのローンを貸し付ける金融業もやっている。 ・農協は国の出先機関になっている。 第3章 国が変わるということ ●韓国の発展は通貨危機がきっかけだった アジア通貨危機で韓国はIMFから支援を受けることになる。 IMFは支援と引き換えに、財政の切り詰めや、産業の自由化や非効率な産業の淘汰などの改革を要求する。 IMFは国際機関だが、中枢はアメリカが押さえている。 建前としては弱体化した経済を立て直す改革となっているが、 実際はアメリカ資本に向けて国内市場を開放しやすくするための改変。 通貨危機当時の韓国は、大手企業の就職競争率が500〜700倍、 地方公務員試験では1000倍を超えた。 十数年前の出来事なので韓国国民は、老いも若きもこの地獄を経験している。 韓国はこの経験があるため、農業をある程度犠牲にしてもグローバルマーケットで 生き残っていかざるを得ないという国民的なコンセンサスを得られたと考えられる。 ●日本の金融業界は保護を外されて力をつけた アジア通貨危機の年、日本では証券会社や銀行が倒産、国有化されたりと、金融不安が吹き荒れていた。 これはアジア通貨危機の影響というよりは、バブル崩壊後、不良債権を大量に抱えてしまったことが原因。 そこで自由競争で国際競争に勝つ体力をつけさせようと、当時の大蔵省「護送船団方式」をやめ、 橋下政権下で金融ビッグバンを断行。銀行、保険、証券の垣根を取り去り、 他業種、外国からの参入も認めた。生き残るために銀行は次々に合併した。 ・スタートを平等にして結果として出てくる格差がある程度容認するのが本来の姿。 それによって生活が行き詰まったりする人たちが出てきたら「社会福祉政策」で救済するのっであって、 「経済政策」で救済するのではない。 第4章 世界が知恵を絞る巨龍との付き合い方 ●レアアース レアアースの生産量の9割以上が中国。世界中にレアアースはあるのに、なぜ中国から輸入しているのか? レアアースの製造過程で放射性物質が放出され、環境が汚染されてしまう。 汚染処理しようとするとレアアースは高価になってしまう。中国は放射性物質を放置しているから安い。 ●チャイナ・リスク 中国のレアアース禁輸で、世界は対中国での連携を強めた。 中国にとって一時的に交渉力や影響力は強くなるかもしれないが、 経済の安定的なパートナーとしての関係づくりには悪影響を及ぼす。 第5章 ものづくり大国日本、新ステージへ ●韓国のマーケティング能力 ・インド向け:サリーが洗える洗濯機。 ・中近東:コーランが表示できるプラズマテレビ。 治安の悪い地域では、施錠ができる冷蔵庫。 ・街頭がないアフリカ:懐中電灯つき携帯電話が人気。 韓国は、その国のニーズに合わない不要な機能を削って、必要な機能は備えつつ価格は半分という商品を生み出している。 ●国内マーケットの大きさがガラケーを生んだ 韓国の人口は約5000万人。日本は1億2700万人。 日本は国内だけでもやっていけるので、国内に特化した携帯電話が誕生した。 ・サムスンは2010年のテレビ部門で赤字転落。テレビは利益が上がらないほどの価格競争になっている。 しかしこれはサムスンの、日本製を蹴落とすための戦略なのではないかと言われている。 ・社内の公用語を英語にすると、何も日本人を採用する必要性はなくなる。 日本の就職活動中の学生の競争相手は、中国の学生や韓国の学生になる。 ・日本企業は技術が高くても製品を魅力的に見せられない。 iPadは特別新しい技術をつかったわけではないが、 あたかもライフスタイルそのものを変える力を持った魔法のツールが登場したように世界に受け止められた。 ●砂の国の2大ヒット商品 @カラシニコフ(AK-47) あえて部品と部品の間に隙間を作り、砂漠の砂が入り込んでも弾が詰まって作動しなくなることがないように設計されている。 シンプルな作りのため、分解も組立も簡単。複製も簡単なので模倣品も含めて圧倒的なシェアを誇っている。 これを日本人が設計しようとしたら一分の隙間もない銃を作ろうとしただろう。 Aランドクルーザー イラク、アフガニスタン、リビアの反政府ゲリラに人気なのはトヨタのハイラックスというトラック。 スーダンで働く国際援助機関の人たちに人気なのがトヨタのランドクルーザー。 ウガンダでは、日本語の文字が書かれている中古車は高く売れるので文字が薄くなったら 現地の人達が日本語らしきものを書き加えている。日本車の塗装がそのままで走っているのは、あえてそうしている。 ●BOPという巨大マーケットを生かす商品開発を BOP……Base of the Pyramid ピラミッドの下の層という意味。 今、世界では貧しかった人々が急速に中流化しつつある。 巨大なBOPを抱えたBRICsでは白物家電が売れている。 どの家庭にも商品が行き渡った先進国で、爆発的に売れる白物家電などありえない。 耐久消費財は、その国で世帯普及率が20%を超えると、そこから先は爆発的に普及が進むといわれている。 「向かいも隣もエアコンを買った、じゃあ我が家も」というのは世界中同じ。 BRICsでは白物家電の多くが20%を超えてきたので、これから先、白物家電の売上が期待できる。 白物家電は品質より価格が優先される傾向がある。 ●ハイスペック市場とロースペック市場は競合しない 航空会社の場合、同じ企業が格安航空会社を新たに作ると、系列会社の中で客の取り合いが起こる。 耐久消費財のように、段階を追ってそれぞれに規模の大きなマーケットがあるなら、 同じ会社が高価格帯と低価格帯の商品を同時に出しても共存することができる。 ・トヨタの成功のマーケット。 最初はパブリカ、次はカローラ、最後はクラウン。「いつかはクラウン」 今の日本はそうではないが、発展途上のBOP市場では「いつかはクラウン」の図式を夢見ている。 ●いまの中国や韓国は昔の日本 第一次世界大戦でヨーロッパは生産施設が破壊されたため日本製品を大量に輸入したが、 粗悪品ばかりでメイドインジャパンは粗悪品の代名詞になった。 第二次大戦後日本は工業化を進め、欧米の先進技術を取り込もうと模倣品を大量生産した。 そうしたら今度は、日本製品は模倣品のイメージがつきまとうようになった。 ・IBMスパイ事件 日立と三菱の社員がIBMからコンピュータ技術を盗もうとして逮捕された事件。 盗んだのはインターフェースに関する情報。 新機種が発売されてからインターフェースを調べていたら、 互換性のある商品を開発するのに3年はかかってしまうという焦りがあったから。 盗んででも追いつこうする姿は今の中国と同じ。 模倣品を作りながら技術を磨いてきたのは今の韓国と同じ。 日本が先進国に移っただけの話。韓国と中国のお手本は日本である。 第6章 今か、未来か? 明日を決めるのはあなた ●高齢化社会の中のゆでガエル カエルを冷たい水に入れて加熱していくと、気づかないうちに熱い湯になって、逃げそこねたゆでガエルが出来上がる。 これが今の日本。 ・日本の国債残高は900兆円。国民の貯金が1000兆円。 団塊世代が退職し、家計の足しにするために貯金を切り崩しはじめたため、日本の貯蓄率は急激に低下してきている。 高齢者が使ったお金は国内市場に回るので、どこかが儲けていることになり、 税収になるなり銀行に還流するなりすればいいが、 労働人口の減少や、予測される企業の黒字減少などを考えると楽観視はできない。 海外資金の流入がなければ、新規国債の資金調達は難しくなる。 ●借金返済の先送りはこれ以上無理 日本の借金900兆円。国民の貯金1000兆円。 2011年予算。総額92兆円。税収41兆円。新規国債44兆円。 社会保障関係費は29兆円と過去最大。 ・子ども手当 2010年からスタート。中学生までの子どもに月1万3000円(当初案は2万6000円)を支給する制度。 支給対象の子どもは160万人なので、全体予算は約3兆円。 しかし財源は確保されていない。 毎年新規に法案を通して支給する方法なっているため、 いつ打ち切られるかという不安があるため、支給されても使わず貯金という動きもある。 ・消費税10%引き上げを前提にして現在の日本の年金制度は設計されている。 基礎年金部分の国庫負担率は[3分の1]だったが2009年から[2分の1]まで国庫負担になった。 これを決めたのは2004年。 5年後に消費税を上げて、年金の財源にすると確約。 しかし増税しないまま国庫負担が引き上げられたため、財政が苦しくなるのは当たり前。 これを決めた総理大臣や厚生労働大臣はいない。これが先送りの構造。 アルミサウナ マスクを買った。 これ顔につけてエアロバイクを漕ぐ。 ○ .(ヽュ' ◎ノ ◎ しかしこの作りで1000円は高杉る。 100円ショップで売ってそう。 これくらいなら自作できる。 壊れたら自作しよう。 ( ゚Д゚)⊃最終兵器彼女1巻 家にあったから読んでみた。 先月はFXで7万円儲けることができた。 プラス炒飯、餃子、ちゃんぽんを(σ・∀・)σゲッツ! あと2万で元金復活。 ( ゚Д゚)⊃最終兵器彼女2〜7巻 マンガ久しぶりに読んだ !!元金復活!! やっと損失分を回復できた('A`) 長かった…… 自分の損失分を取り戻したのはいいんだけど アメリカの景気指数がテラ悪くて一瞬円高に振れたかと思ったら 次の瞬間反転してじわじわと円安に。1時間で60銭も上昇。 中国の暴動が原因らしい。これがチャイナリスクか。 企業が中国に進出するのって 人件費とか運搬費とか市場とかもろもろの数字を他の国と比較した上で それでも中国に進出するのが一番儲かると考えたからなんだろうね。 チャイナリスクって数字に表しづらいものより、 はっきりと数字で示しやすいものを優先するのは 経営上合理的な判断なんだろう、きっと。 ・401k……確定拠出型の年金。 現役時代に確定した掛け金を資金として運用し、最終的な損益額が退職後に受給される。 確定給付型年金は、退職後の給付額を確定し、逆算して現役時代の掛け金を拠出するもの。 ・メディケア……高齢者または障害者向け公的医療保険制度。 メディケアは処方薬をカバーしないため、もっともメディケアを使用する高齢者は自費で処方薬を買うしかない。 ・メディケイド……低所得者向け公的医療保険。 掛け金なし。 第3党から出馬したデニス・クシニッチのオバマの指摘 ・オバマはイラク戦争に反対はしていたが、戦争補正予算には繰り返し賛成票を投じていた。 ・イラク戦争支持者だったジョセフ・バイデンを副大統領に任命した。 無所属で大統領選に立候補したラルフ・ネーダーの指摘 ・オバマに献金している団体やブレーンの顔ぶれがブッシュ政権とそれほど変わりがない。 ・7億5000万ドルの選挙資金の出処をチェックすればオバマ政権の方向性が見えてくる。 小口献金は4分の1にすぎない。4分の3を占める大口献金リストを見ればわかる。 第1章 公教育が借金地獄に変わる ・2009年、カリフォルニア州立大(UC(University of California))で (カリフォルニア州が設置する総合州立大学システムという形であり、カリフォルニア州立大学という単一の大学はない) 数千人の学生らが建物を占拠する事件が発生。 各大学でのデモはそれまでもあったが、全UCが一度に大規模な抗議活動をとったのは初めて。 大規模抗議活動の原因は、年間32%の授業料の値上げ。教員2000人の解雇&賃金カット。によるもの。 100人近い学生が逮捕された。 ・大学側の説明では、学費値上げ、教員のリストラは財政危機が理由。 しかし、UCの2007年の寄付金総額は35億ドル。 にもかかわらず、UCは2年間で学費を79%値上げしている。 2007年、UCの校長が数人の役員に対してUC総予算の12%にあたる総額8億5000万ドルのボーナスを出していたことが発覚。 アメリカの大学の収入源は大きく分けて5つ ・連邦政府からの拠出金。 ・州政府からの補助金(州立のみ対象) ・学生からの授業料。 ・大学の資産運用の収入。 ・学校関係の商品の売り上げ。 ・支出の75%は人件費。 UCバークレイ校の教授の年収:17万5000ドル 准教授の年収:7万7000ドル ・大学側は人件費を削る代わりに学費を上げる。 理由は、学生を集める看板教員を集めるため。 教員の知名度が高ければ高いほど、外部からの研究資金獲得率は上がるため。 州立大学の研究の成果は大学ごとに比較され公開されている。また、専門団体がおこなう大学の評価制度もある。 学費は、1990年以降は毎年5〜10%で上昇し始めた。 ・世帯収入が上がらないのに、学費だけ上昇を続けたため、貧困家庭だけでなく中流家庭も直撃し始めた。 ・アメリカの大学生の76%が通う公立大学の学費を1995年と2005年で比較すると、10年間で59%上昇している。 ・州立大学は、学生の住む場所が州内か州外かで学費が数倍変わる仕組み。 UCバークレイ校では2007年度の州民の学費が4200ドル。 州外の学費が1万4000ドル。 ・知名度の高い教授を獲得できなかった大学は「設備投資」で学生を惹きつける。 ボストンの私立シモンズ大学は2009年、総工費3200万ドルかけて新校舎を設立。 しかし、もともと知名度が低いうえに、授業料を値上げしたことが裏目に。 不況下では学生たちは豪華設備より、授業料が安い大学に流れる。 2008年の同大学の授業料は、全米私立大学の平均3万4000ドルより2割以上高い4万1500ドルだった。 2008年秋、格付け会社2社は赤字を見越してシモンズ大学の学校債の格付けを1レベル引き下げた。 これを受けて大学側は2009年度の授業料と寮費をさらに5%値上げしたが、同大学の学校債はすでに1000万ドルの損失を出している。 ・大学の設備は、全米大学格付け表の評価対象になる。 ・ノートパソコンを導入したり、オンラインで授業を受けられるようにしたりするよりも、授業料を下げることが重要。 高すぎる授業料が学生を苦しめ、教育そのものの質が劣化していることこそが問題。 ・大学は投資家としては初心者レベル。 [広がる大学間格差] ・有名校と公立大学の格差が急激に広がっている。 スタンフォード大学は2006年、アメリカ史上最高の9億1100万ドルの寄付があった。 ・トップクラスの大学の場合、卒業生の多くが年収20万ドル以上の層となり、卒業生からいずれ多額な寄付金となって戻ってくる。 ・入学願書には両親の年収を書く欄があり、家柄や経済力も合否判断の対象として考慮される。 ・公立大学でも経営悪化から入学希望者の奨学金返済能力も合否判断に加える大学が増えている。 [サリーメイ] ・民間金融機関のローンを政府が保証する学資ローンの登場によって、国の教育援助額は増大。 これを受けて1972年にニクソン大統領が導入したのが、金融機関から学資ローン債権を買い取る、通称「サリーメイ」。 ・なぜか、完全国営だったサリーメイは株式公開され、取締役の3分の2は株主で占められるという体制ができた。 ・レーガン政権時に教育予算は12%から6%に減らされ、代わりに学資ローンの限度額が引き上げられた。 同時期、サリーメイは490億ドルの学資ローン市場のうち3分の1を所有、着々と成長していた。 ・1993年、政府からの補助金を受けて利益を伸ばすサリーメイに対する批判が高まり、 クリントン大統領は、学生が国から直接融資を受けられる「政府直接プログラム(FDLP)法」に署名。 学生らはFDLPに殺到し、2年でFDLPが市場の34%まで拡大。サリーメイの市場価値は50%下降した。 ・1995年、サリーメイのCEOに就任したアルバート・ロードは、これに対する反撃を開始。 サリーメイを完全に民営化し、学生たちに政府を通さず直接ローンを貸し始めた。 そして全米の大学に多額の寄付をして、ローンの相談窓口で学生たちにFDLPではなく、 サリーメイのローンを組ませるようアドバイスさせた。 新しくパソコン買って届いたんだけど、 破損してたから修理センターに電話して色々説明してたら 俺の買った新品のパソコンが、実は中古の展示品なんじゃないか疑惑が出てきた。 明日配送業者に引き取りに来てもらう。 何か面倒くさいことになりそうな予感('A`) とりあえずパソコン送り返してきた。 レコーダーいっぱいだったから 海がきこえるを一回観てから消そうと思ったんだけど まぶしすぎて最後まで観てられなくて 途中で消した。 返金官僚。 あっさりお金返してくれた。 なんかパソコン買うテンションじゃなくなっちゃった。 ( ゚Д゚)⊃風の谷のあの人と結婚する方法 須藤元気 須藤元気ってあの格闘家の須藤元気。 こんなキャラだったんだね。 ・サリーメイの新規加入者数が多い大学にはボーナスを出した。 ・校長や役員たちは高級ゴルフクラブで接待。自社株購入権まで与えた。 (サリーメイの株価は95年〜2000年の5年間で、1700%も上昇) ・その結果、利子が安いFDLP利用者は減っていった。 サリーメイはさらに、多額の献金やロビー活動を通して議会に圧力をかけていった。 ・ブッシュ政権下でFDLP予算を凍結。サリーメイへの補助金拡大。 ・2006年、FDLPのシェアは19%まで縮小。その間にサリーメイは、保証会社、 債権回収機構など学資ローン関連事業を買収して傘下に収めていた。 ・2005年、サリーメイのCEOアルバート・ロードが手にした報酬は4億5000万ドルだった。 [イドナ・デイビスの場合(43歳)] ・陸軍兵士の夫と離婚したばかりのイドナに収入はなかったため、2006年に、入学した大学の財務アドバイザーのすすめで 低所得者用の奨学金を申請。足りない分は大学と提携するサリーメイからの借り入れで埋めることにした。 サリーメイから一学期につき5000ドルを3.4%の固定金利で4年間借りる契約を結んだ。 2年後の2008年、サリーメイから一通の電子メールが届いた。固定金利だったはずの3.4%の利子が、8.5%になるという。 イドナは抗議のメールを返したが「拒否した場合、ローンの残高をただちに払うこと。払わなければ債務不履行とみなす」という返事がきた。 イドナはメールの書いてあった電話番号に電話したが音声ガイダンスでたらい回しになる。 通知を無視していると、今度は銀行から請求書が送られてきた。 それにも返事をせずにいると、今度は大学側から単位を凍結するという通知がきた。 激怒したイドナは別の大学に編入する手続きをしようとしたが、 大学側が単位の転送を拒否。成績証明書の発行も、ローンの全額を払わなければ出せないと言われる。 サリーメイが提示した金額は四学期分の2万ドルから2万8000ドルに膨れ上がっていた。 [イドナの息子・カーティス] ・2003年、学資ローンを組んで大学へ入学。学期ごとに6500ドルを7%の固定金利で借り入れた。 しかし、経営難から大学が単位毎の授業料を170ドルから200ドルに、寮費も10%値上げした。 カーティスは別の金融機関でさらなるローンを組んだ。 2007年に大学を卒業したが、不況で職はみつからずピザ屋で店長をしていた。 ・2008年、カーティスは人員削減のあおりをうけてピザ屋の職を失った。 カーティスは支払い猶予をしてもらうために銀行に連絡。銀行は保証会社に連絡するようにと言う。 保証会社に電話をしても音声ガイダンスにつながるだけ。 17回目にしてやっと生身の人間につながるが、相手はろくに英語がわからない海の向こうのインド人。 ・そうこうしているうちに保証会社から学資ローンが債務不履行になったという通知がくる。 ・その後、取り立ての執拗な電話が、友人、親戚、恋人の家にまでかかってくるようになり、 取り立て電話が原因で恋人と別れることになった。 6万ドルだったローンは9万ドルに膨れ上がっていた。 [消費者保護法から除外された学資ローン制度] [アランの場合] アランも大学入学時にサリーメイから3万8000ドル借り入れた。 卒業後、年収3万5000ドルで航空科学研究者の職を得る。 最初は延滞せずに払っていたが、1999年に医療費などの出費が重なり期日までに払えなくなった。 そこでサリーメイに電話で事情を説明すると、 次回の支払い時に延滞料金を一度だけ加算すれば大丈夫、といわれる。 しかしなぜか毎月の請求書に延滞金が上乗せされていた。 そのことで、サリーメイに電話をしてもとりあってもらえない。 アランはローンを支払うため、もっと収入のいい職を探して仕事を辞めた。 その後、アランのローンは債務不履行とされ、アランのもとに届いた請求額は6万ドルになっていた。 サリーメイに電話すると、不良債権化したアランのローンは他の金融機関に売却されサリーメイの手を離れていた。 債務不履行とされてから16ヵ月後、届いた請求書には新たに1万8000ドルが上乗せされていた。 2002年、アランがアラスカの季節労働から帰宅すると、 サリーメイの子会社の債権回収機構から8万ドルの請求書が届いていた。 しばらくして、アランのローンはいくつかの金融機関に切り売りされていたため、 さまざまな会社から催促の電話がかかってくるようになった。 取り立て電話のおかげでアランは職を失った。 2007年、エドワード・ケネディ委員長は、急増する借り手側の抗議を受け、学資ローン業界の取り立ての実態調査をした。 次のような取り立て手法が社員に指示されていたことが明らかになった。 ・借り手の配偶者に対し、払わなければ刑務所行きになると言って脅すこと。 ・借り手が自然災害などで家を失った際には、直ちにそのローンを債務不履行にし、残高には追加延滞金を加算する。 借り手の税還付金や給与の差し押さえを実行すること。 ・借り手が諸事情による支払いの再交渉を求めても応じないこと。 ・借り手の職場には連日催促の電話をする。やめろと言われても続けること。 ・自社内に、借り手に対して正しい情報を与えた社員がいれば、直ちに解雇すること。 ・借り手からローン状況についての問い合わせがあった際は、正確に答える代わりに電話を「たらいまわし」にすること。 ・借り手だけでなくその家族や同僚、隣近所の住民にも嫌がらせの電話をかけること。 ・学資ローンは延滞がきかず、ひと月でも延滞すれば利子が膨れ上がっていく。 ・学資ローンには一切の免除が適用されず、延滞が9ヵ月になると自動的に債務不履行とみなされ、 回収のための法的手続きがとられる。 ・学生が滞納した債権は政府が引き受けて、その97%を民間の保証会社に支払うため、 政府は回収機構を通じてどこまでも学生を追いかけてくる。 そうなるとブラックリスト入りし、クレジットカードすら作れなくなる。 ・政府保証の学資ローンは、通常卒業してから半年後に第1回目の支払い請求書がくる。 10年から長い時には25年にわたり毎月決まった額を返済していく。 ・学資ローンの借り換えは法律で禁止されている。 ・学資ローンには消費者保護法は適用されない。 (1999年にクリントン大統領が署名した高等教育法改正が、 他のローンに適用されている消費者保護法のすべてを学資ローンから削除したため) (2005年、住宅ローンやカードローンなどで使われる借り手が自己破産した場合の 借金残高免責も、学資ローンの適用から外された) ・借り手を保護する法律は、高等教育法が改正されるたびに1つずつ外されていった。 取り立て手法に関する規制を撤廃した理由。 「返済を延滞する学生が増えすぎたため」が理由だが、 これは1980年代終わりに詐欺目的で設立された大学で大量に生徒を入学させ 学費だけを集めて連絡がとれなくなったことが原因。 この法改正での罰則強化はその後返済率が95%に回復した後も引き続き適応されている。 [学資ローン業界に君臨するサリーメイ] ・2000年から2005年にかけて、サリーメイの経常利益は2億8000万ドルから9億2000万ドルと32%上昇。 中身は通常の返済よりも、不良債権化して2倍、3倍の値がついたローンの回収によるものが広く占める。 ・現在、不良債権化した学資ローンの数は全米で約500万件。総額400億ドル。 第2章 崩壊する社会保障が高齢者と若者を襲う ・GMを退職したバリーは、GMが提供する医療保険と月々2700ドルの企業年金を受け取っていた。 (アメリカの労働組合は、企業別ではなく産業別。UAW(全米自動車労働組合)は150万人の会員数を誇る巨大組合) UAWの交渉方法は工場のラインを止めるか、こちらの要求をすべてのむかの二者択一。 経営陣は、将来高齢化で膨れ上がる年金リスクより、目の前の利益を失うストライキを回避する方法を選んできた。 20年で年金は40%増額。 医療保険の企業負担は退職者も含めて50%から100%になり、適用範囲には精神疾患や出産まで加えられた。 ・2009年、GMが破産。 65歳以上の退職者への医療保険提供を廃止。65歳以上の退職者はメディケアへ移行。 毎月の年金額を6割減。バリーの受け取る年金は月々1100ドルになった。 [企業年金の拡大] ・1935年、ルーズベルト大統領はニューディール政策の一環である「社会保障法」を制定。 これにより公的年金制度が導入された。しかし、この仕組には欠陥があり、 加入資格の職業差別、インフレ調整機能がないなど老後を保障する力がなかった。 ・一方、企業は税金対策と離職防止のために年金システムを取り入れ1920年代末には企業年金を確立。 ・保守は議員から公的年金は「社会主義につながる」として反対、 資金がなかった政府にとっても社会保障の中心が官から民へ移行することは願ってもない話だった。 ・その後、労働時間、最低賃金、労使交渉権、団結権、不当解雇、差別待遇などを禁じる「ワグナー法」が制定。 ・1970年代、アメリカ自動車産業を揺るがす存在が現れた。日本自動車メーカーの参入である。 激しい競争を勝ち抜くため、GMは退職者の年金、医療保険の積立金を自社の資金としてつぎこみ始めた。 同時期、アメリカ航空産業は退職金、年金の支払いが経営を圧迫。 2001年同時テロ以降の原油高が最終打撃になり次々に破産。 半年で24社が破産。 年金を廃止する会社は2003年に45社、2004年には71社まで上昇した。 『週刊マンガ日本史 36巻 木戸孝允』 もうブックオフで揃えるのは無理だと判断し マーケットプレイスで購入。 あと2巻で旧シリーズコンプリート。 母親のパソコン買い替えでLenovo買ったんだけど Lenovoの保証期間がおかしい。 普通、電化製品の保証期間って購入日から1年間じゃん? でもLenovoは、工場から販売店に出荷した日が保証開始日になるんだと。 つまり、 1月1日:Lenovoを工場から出荷。 1月2日:amazon倉庫に到着。 6月1日:amazonからLenovoを購入。 となると、保証開始日は1月1日になり、 実質Lenovoの保証期間は半年しかない……ということになる。 これってありなん? ___ ━┓ / ―\ ┏┛ /ノ (●)\ ・ . | (●) ⌒)\ . | (__ノ ̄ | \ / \ _ノ /´ `\ | | | | 買おうとしてたノートパソコンが1万円も値上がりしてるし(ヽ´ω`) Windows8が発売されてから7が値上がりしている。 8載せてるパソコンの方が安いじゃん。 いいや、別にOSにこだわりないから8の買おうっと( ゚ Д゚) 週刊マンガ日本史 田中正造 41巻 田中正造悪人面杉。善人なのに。 東芝のWin8搭載ノートPC買ったんだけど 最新のOS搭載機種は買っちゃダメなんだね。 ソフト、デバイスとかが全然対応できてない。 トラブル事例もまだ少ないから検索してもヒットしないので自力解決。 新製品が発売した途端に 旧製品が値上がりするって商品としておかしい。 フリーだからlibreofficeっていうソフト使ってたんだけど Microsoftofficeに戻した。 ノートパソコンのキーボードが押しづらい。 慣れとかの問題じゃない。 キーの位置が離れすぎで、 キーが平たすぎて押した感触が伝わりづらい。 全国菓子大博覧会で金賞3回受賞したっていう 「水戸の梅」を通販で買って食べてみたんだけど …………ヘ(゚д゚)ノ …………ナニコレ? / ̄ ̄ ̄\ / ─ ─ \ / <○> <○> \. シソとあんが合わなすぎワロエナイ | (__人__) | \ ` ⌒´ / / \ 10人中9人は「おいしくない」っていうと思う。 金賞3回って絶対におかしい絶対に! FXの会社から食料品が届いた。 ドリア、麻婆豆腐、中華丼。 あと小皿に、パスタ計量する奴に、カレンダーに、 線が太くならないように芯がクルクル回るシャーペンが入ってた。 オタク系の油絵を描いてくれるって会社をまとめサイトで知って、 どうしても描いて欲しい絵があったので恐る恐る注文してみた。 オーダーメイドだから結構な額払ったよ、 油絵にしては超格安なんだろうけど。 中国系の会社らしい。 半分は詐欺覚悟。 絵が届くのはひと月後になるみたい。 届かない可能性もゼロではないと思う。 これから1ヶ月間はドキドキしながら過ごすことになりそう。 絵がちゃんと届きますように(-人-) 車の点検いってきたんだけど 担当した年配の整備士にエアコンのフィルターとか要らないものまで交換を勧められた。 料金が高かったからその場は断ったんだけど 家に帰ってきてフィルタの取り替え時期を調べたらまだ全然先。 整備前の説明でも、今回の工賃料金だと無料でメンバーズカード的なの作れますよっていうから 「じゃあ……」って作ってもらったら領収書にしっかり1050円て印字されてる。 整備終わった後も「ウォッシャー液は補充してくれたんですか?」って 訊いたら「補充しますか? ウォッシャー液の補充は無料でやってます」っていうの。 無料のサービスは言われないとやらなくて、有料のものをガンガン薦めてきて不信感。 「ウォッシャー液は水をいれますか? ○○液を入れますか?」って訊かれて 無料なら専用の液を入れてもらおうと、 俺「じゃあ、液で」 年配整備士「○○液ですと100円になります」 有料じゃん。水をいれる場合だけ無料ならそう言えと。 誤解させるような言い方をするんじゃないと。 車に興味がないから整備はショップに丸投げでいいやって 考えてたんだけど、それじゃ鴨だね。 やっぱり自分の身は自分で守らないと駄目なんだね。 今回、俺の車を担当したのが年配の整備士だったんだけど 前に担当してもらった若い整備士の人は、丁寧に説明してくれたんだよね。 あくまで印象だけど、 カーショップって年配の店員より若い店員のほうが接客が親切な気がする。 パソコンの筐体を30センチ以下にバラして 資源ごみの日に出そうとしたけどバラすの大変すぎて途中で諦めた。 屑鉄屋に訊いてみたところ無料で引き取ってくれるっていうから 引き取ってもらうことにした。 途中までバラすのにかかった3時間は徒労ですた。 ( ゚Д゚)⊃週刊マンガ日本史 土方歳三 35巻 やっと週刊マンガ日本史シリーズ全部揃った。 運良くブックオフで大量ゲットできてなかったら そろえるの諦めてたかもしれない。 2009年10月から収集しただしたから、2年以上かかったのか…… ただこれ新シリーズもあるんだよね、50巻。 新シリーズは8冊所持してるけどもう集めんの無理ポ やっと規制解除…… 4ヶ月にもおよぶ規制…… おそらく最長規制だった…… タバコ代がかからなくなったけど 現在精神科に通院中のため、代わりに薬代がかかるようになった。 特にお金が浮いたという感じではない。 Avira Free AntivirusはそろそろWindows8に対応してくれただろうか。 / ̄ ̄ ̄\ / ─ ─ \ / (●) (●) \. 最新OSなんて購入するもんじゃないね。 | (__人__) | いい勉強になったお…… \ ` ⌒´ / / \ ( ゚Д゚)⊃刑務所の謎 ブックオフで100円だったから買ってきた いわゆるコンビニ本 正社員と刑務所の労働を比較したコピペあったけど あれは間違いではないけど、 刑務所内の労働もお気楽なものではないみたい。 労働以外も大変で、とくに人間関係が大変らしい。 囚人同士もそうだし、刑務官に目をつけられると危ない。 最悪、死に至ったケースもある。 人間関係が大変なのはどこ行っても同じみたいだ。 WiMAXに変えようと思う 速度は落ちるけど月に3000円も安くなるし、外でも使える WiMAX使い物にならなかった('A`) 電波にムラがありすぎて不安定すぎた アルミホイルでパラボラアンテナみたいなの作ってみたりしたけど ダメだった…… お金も浮くし、配線もサッパリ(゚∀゚)すると期待してたのに サンドイッチ・トースター ニュー・バウルー(ダブル) と キャベツスライサーを買った。 ホットサンド作るぞ。 1000円のイヤフォン買ってみたんだけどヘ(゚д゚)ノ ナニコレ? 100均のイヤフォンとはぜんぜん違う、音が澄み渡っている これが高級品の性能なのか フレッツ光―→auひかりに変えようとしてるんだけど 手間かかりすぎ。 なんか社名なのかサービス名なのかよくわからないものが増えた気がする スーパーで駅弁フェアやってたから、いろいろ買ってきて食してみた結果…… 「マス寿司」は、前におにぎりサイズのものを食べた時は美味しかったんだけど 駅弁のでっかいサイズのは、なんか大味に感じた。 おにぎりよりもご飯がギュウギュウにお固められてて、マスもはぱさついてた。 まずくはなかったけど、もう一度食べたいとは思えなかった。 「しゃもじかきめし」は、牡蠣が硬くて、ご飯のおかずになるような味じゃなかった。 まずいといっても差し支えないレベル('A`) 「牛べこ弁当」は外箱がデカかったけど、箱の下半分は紐を引っ張ると発熱する発熱ユニット っていうやつが箱の半分を占領してた。 量がすくなすぎて、開けて(´・ω・`)ガッカリ…。 味も「すき家の牛丼よりちょっと美味しいかな……同じくらいかな……」くらい。 スーパーへは、うに丼が主目的で買いに行ったんだけど、 こんもりウニが乗った広告の写真とは違って、実物は下のご飯がすけて見える量のウニしか 乗ってなかったから買うのやめた。 どれもいまいちな駅弁の中で、イカ飯だけは美味しかった(ノ´∀`*) 1000円以上する弁当の中で、イカ飯は500円と安くイカも2個セットで お得感もあってうれしかった。見た目は灰色で地味だけど。 駅弁ってもっと美味しいもんだと思ってた。 旅の情緒がプラスされて、美味しく感じるのかな、あれは。 ついにずっと欲しかったWorkFit-Dを買った。 11万円した! アメリカAmazonなら最安時500ドル代で買えたみたいだけど 送料が実際に注文してみるまでいくらかかるか不明だったので 日本の代理店? で買った。 俺が今まで買ったものの中でたぶん車の次に高い買い物だったと思う。 ノートPCよりも、ハードディスクレコーダーよりも高かった…… でもその価値は、今ん所あったなぁと感じてる。 頻繁に立ったり座ったりを繰り返す自分としては高さ調整が死ぬほど楽になった。 天板も大きすぎず、小さすぎずいい感じ。 ちょっと机の足がぶっとすぎるけど。 椅子も欲しい。 フルフラットになる椅子で、値段はこちらも10万円以上する…… でも机買ったら、椅子も欲しい でも10万円 でも欲しい。 やっとプロバイダと回線業者変更完了した。 手間かかった。 回線業者まで変えたから工事までしなくちゃならなかったから大変。 日本中にWiMAXが普及しますように( ̄人 ̄) クリスマスにインフルエンザにかかった。 前にいつインフルエンザにかかったか覚えてないくらい久しぶりにかかったんだけど インフルってこんなに辛かったのね…… 風邪なんて目じゃない。 38度の熱が出て、3時間の間に、4回吐いて6回下痢した。 下痢は完全な水。 救急車を呼ぼうかって本気で考えたけど、なんとか自力で夜間救急に駆け込んで 見てもらった。朝の4時に。 帰ってきてから薬飲んで寝ようと思っても体中痛くて眠れなかった。 寝付けても途中苦しくて何度も目が覚めるし。 毎年、予防接種は受けようって思うには十分過ぎる経験だった。 人生最悪のクリスマスだった―― あけましておめでとうございます。 年明けの瞬間は寝てました。 さすがに6日ともなると正月気分はないね 精神科の定期検査で心電図にちょっとおかしいところが見つかったので 念のためのホルター心電図検査ってやつをうけることに。 胸に電極と腰に心電図記録する機械をつけて丸一日過ごした。 異常がなければいいけど。 医者は 心電図の波形が、じゃっかん人より高いかな? でも、コンピュータも異常なしって出てるし そこまで気にする程度のものじゃないので、まあ様子見で。 精神科の定期検査で異常が見つかったら そのときは来てください……とのこと。 とりあえず異常なし。 ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!! リスナー歴10年以上のラジオで投稿したネタが初めて読まれた! 耳を疑ったよ。 ネタ自体はあんま受けてなかったけど。 でも、めっちゃうれしかった。 番組グッズが届くのが楽しみすぎる。 副作用の射精困難が予想してたよりもしんどすぎる。 1時間20分がんばったけど、射精にいたらず諦める。 薬の量、増やしてもらおうかと考えてたけど いったん減らしてもらったほうがよさそうだ。 ⌒ヽ / / _ノ ∠______________ / .| /\ \ | .\ \ \ | ○ / \ \ \ | /> / / \ \ \ , "⌒ヽ / /// ./ / \ \ \ i .i / ./\\\ / / \ \ \ .ヽ、_ノ / / .\\ ./ / ∧ ∧ \ \ \ | / \ \\ ./ .(´・ω・) / \ \ \ | / \ \\ ∪ ノ '. \ \ \ | /| / o .\ \\ ⊂ノ/ \ \ \ | / | ./ "⌒ヽ . \\ / \ \ \| / | / i i \\ ○ _\ \/|/ | ./ ○ ヽ _.ノ .\ \\ _,. - ''",, -  ̄ _.| / \ \\_,. - ''",. - '' o  ̄ |/ \ \\ ''  ̄ヘ _ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ○ \ \\//。 \ 雪か…… ゚ o 。 .\ \/ | 。  ̄ ̄ ̄ \______________ 雪のため病院へ行けず薬がきれた。 いったん、薬中止しようかと思ってたからちょうどいい。 薬抜けたら元の薬に戻してもらおう。 イスと電動すのこベッドがやっと届いた。 雪すごかったからしょうがない。 http://ecx.images-amazon.com/images/I/41Bv3ci7KAL._SL500_AA300_.jpg http://ecx.images-amazon.com/images/I/51lFbISnUOL._SL500_AA300_.jpg なぜか電動すのこベッドは、マット付きとマット無しが同じ値段だったので いらなかったけどマット付きのやつを注文した。 リクライニングが電動なのは想像以上に楽。 イスはまあまあかな。 本当に欲しかったのはフルフラットチェアなんだけど10万円するので 妥協してこのイスに。 悪くはない、今のところ。 車検代7万円(TдT) /.: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \ /: : : \ /: : : : \ /: : : : : : \ / : : : : : : : ___ノ'′ ゙ヽ、___ \ l : : : : : :.; '⌒` ´⌒ヽ l | : : .::;;(。o〇 ) ( 〇o。);;:: | この金食い虫がっ! l : : : :°o゚゚~'"´ `"~゜o゚;° l \ : : : : : : 。;゚( j ) ; 。+/ \: : : : : : ::`┬‐'´`ー┬′ + / /ヽ: : : : : : : |/⌒⌒、| イ\ : : : : : : :゚: : : ゚´ ̄~:j ̄` ; \ : : : : . : : . : : ; '"`` + \ : : . : . : . : . : . ° : . : : . : . + トヨタのCOMSにエアコンがついて 時速も100q出るようになったら 買い換えようかな 車検でチラシもってくとエネゴリくんグッズもらえる はずだったのにくれなかった こっちから頂戴とは言いづらい チラシを用もないのに出したりしまったりして エネゴリメッセージを送ってたのに貰えなかった そこまで欲しくはないけど、もらいたくないわけではない 森永キャラメルドリンクがどうしても飲んでみたくて あちこち探したんだけど売ってなかった。ので、ネット注文した。 あんまりおいしくなかった。 ケースでしか注文できなかったので、あと20本近く残ってる……('A`)…… 家具とか買い取ってもらってきた。 ・本3冊:40円 ・ワイヤレスマウス:500円 ・FMトランスミッター:400円 ・マグカップウォーマー(新品同様):100円 ・机(1万円した):400円 ・オフィスチェア:50円 家具はオフハウスで買い取ってもらったんだけど あれって一点一点ちゃんと査定するんじゃなくて もしかしたら不良品かもしれないけどぱっと見使えそうなものは片っ端から 安値で買い取ってる感じだった。 Wi-Fiルータは売れなかった。 パソコンラック:200円 オフハウスの店員がベッドも取り扱ってるっていうから エッセにギュウギュウに、折りたたみベッド積み込んで持って行ったら 別の店員「ベッドは前からずっと取り扱っていません」 ( ゚д゚)「……」 電話で聞いた時は、確かにベッドは取り扱ってないっていってたんだけど その店員は「在庫過剰の時は買い取りしてませんが、今は買取を行っています」って言ったのに…… しょうがないから市の粗大ごみ処理場で引き取ってもらってきた 360円かかった OPIEでアドオンの設定をバックアップ、復元できるっていうから Firefoxリセットしたのに復元できない 設定戻すのに1時間半かかった Windows8.1にした 何が変わったのかまったくわからない 増税だけど何も買いだめしてない その必要もないし 折りたたみベッド強度弱杉 キャスターついてる足が曲がったった('A`) 寝返り打つたびキシムようになってもうた ・だが、全米一の交渉力を誇るUAWが相手の自動車業界では、違った状況が繰り広げられていた。 労使交渉で強気に出られないGMに従業員と退職者の年金と医療保険を負担し続け、 ついに医療費負担は他の業界を抜いて全米一の年間56億ドルにまで膨れ上がった。 自動車一台あたりに上乗せされる年金分のコストは1500ドル(15万円)。 これが競争相手のトヨタUSAに大きく引き離される原因の一つとなり、GMの市場での力は失われていった。 ・2007年、GMはそれまで全米一位だった販売台数をトヨタに奪われる一方で、 賃上げ要求ストライキを起こすUAWに対し、 退職者医療保険基金の特別信託に300億ドルを投入することを約束。 それは組合の歴史に新たな功績として加えられ、 同社の純損失額が前年の20倍の387億3200万ドルに膨れ上がっている事実は、 労使交渉の成功談にかき消された。 ・株主の力が強いアメリカで、経営者は年度末ごとに地位を失うリスクにさらされる。 企業のトップは給与も高いが、株主の望む利益を出せなければ容赦なく首を切られ、 別の雇われ経営者と交代させられる。数字を出すことが何よりも最優先されることで、 長期的なビジョンは見えなくなる。 多くの企業が負担減のために確定給付型年金を確定拠出型年金に移行させてゆくなか、 同社がやっとホワイトカラーの社員の年金を401kに変えたのは、2007年7月だった。 ・GMの破産が報道された時、10万人の生産者の稼ぎで 37万70000人の退職者の年金をまかなうという異常な構造になっていた。 退職生活者からウォール一マー卜の店員へ p.77 ・2009年6月、1728億ドル(17兆2800億円)の負債を抱えたGMは、創業100年目にして破産。 ・GMの2009年の時点で記載されている年金の積み立て不足額の合計は、124億ドル。 ・通常アメリカでは、退職すると企業が提供する医療保険も同時に失うことになる。 GMはそれまで退職後も生涯無料の医療保険を提供していたが、 破産にあたり37万7000人の退職者全員が適用を廃止され、 メディケァ加入のための補助金が出ることになった。 ・GMの前CEOのリック・ワゴナーは、解任された際に、経営不振の責任を取って、 年間の報酬を1ドルに下げた。 しかし、ワゴナーは、今後5年間で受け取る退職金は およそ1000万ドル(10億円)+生涯年金7万4000ドル(740万円)を手にする。 ・大規模な国民の税金を投入したのは、いったい誰を助けるためだったのか? 2日前から寝冷えとは思えない腹痛と下痢。 正露丸効かず。 買い物に出かける予定が狂う。 明日はでかけよう、雨だけど。 竹シーツ購入。 冷たいけど臭い。 今だに散発的な腹痛アリ ずっと前に食べに行ったラーメン屋が24時間営業になってるから ラーメンでも食べに行こうかな ラーメン事態は大好きなんだけど もっぱら食べるのはカップメンばかりの中で 衝撃的に美味しかった記憶がある ただの小規模なチェーン店のラーメン屋なんだけど 単なるチェーン店であんなおいしいラーメンが食べられるのなら 行列の出来るラーメン屋のらめーんはどれほど美味しいのか 増大する退職生活費、貯金できない高齢者たち p.81 ・アメリカでは今、多くの高齢者が将来に強い不安を抱えている。 そこにはいくつかの原因がある。医療技術の向上で平均寿命が上がったことや、 物価や医療費など必要な生活支出が値上がりする一方で、 社会保障の未整備に加え、賃金の上昇が止まったままであることが大きい。 ・メディケアが支払うのは、医療費のみ。処方薬は全額自費。 ・4%という現在のインフレ率も不安要素の一つ。 このまま4%で継続した場合、20年後の生活費は今の2倍になる。 それは、今年退職する人のお金の価値が、その人が亡くなるまでに半分に減ってしまうということを意味する。 ・公的年金しか持たない国民が、退職後に受け取る金額は月々平均1000ドル(10万円)以下。 ・2005年にアメリカ人の貯蓄率はゼロになった。 アメリカ人は将来の貯金よりも、株に投資したり、現役時代を楽しむ方を選ぶ。 将来生き延びるための貯金は、政府や大企業が日常のあらゆる角度から奨励してきた「消費への欲望」にとって代わられる。 そして、長い時間かけて刷り込まれたその価値観が維持されるよう、 企業は毎年何千万ドルという広告費を使って新しい商品を宣伝し、 金融機関はさまざまな特典をつけたクレジットカードを並べ続ける。 ・2009年、アメリカ国内の65歳以上の高齢者が抱えるカード負債額は、 2005年から26%増の平均1万2350ドル(約124万円)、国内のどの年齢層よりも急速に拡大している。 ・子どものころから消費することが幸せだと教えこまれてきた人々が、 高齢になり医療費請求書の額が跳ね上がったからと言って、急にお金を計画的に使えるようにならない。 これは高齢者だけの問題ではない。 アメリカが追い求めてきた消識至上のラィフスタイルのっけが、いま噴き出している。 p.93 ・多くのメディアは、メディケアにかかる費用が上がり続けているのは、 世界中の先進国が直面する高齢化が原因だという。 ならば、アメリカの医療費だけが突出してGDP比15%と高く(日本は約8%)、 メディケアが医療費の5分の1を占めるのはなぜなのか。 ・ここに、政・宮・民の根深い癒着構造がある。 メディケアは、製薬会社や病院経営者団体から非常に強い政治圧力を受けているプログラムの一つ。 彼らのロビー活動や国会議員への多額の献金によって、処方薬や診療報酬についての価格交渉は一切禁じられ、 法外な額の病院の事務手続き費用が設定されている。 ・ある若者の話。 「GMをはじめとするビッグスリーの破綻劇は、私たちから見れば馬鹿馬鹿しいの一言です。 高齢の退職者が一番の犠牲者のように言われていますが、 あんな高額の年金と医療饗つきの退職生活ができたのは誰のおかげですか? UAWの交渉力? とんでもない。 犠牲になってきたのは若い労働者たちですよ。 退職者を守るために若い世代の賃金や福利厚生が減らされるというのは、 今アメリカ国内のあらゆる場所で起きている。そのつけは全部私たち若者に回されるのです」 「その財源は誰が引き受けるんです。 いったい若者の未来より高齢者の晩年に投資する国に、未来はありますか?」 市場の自由と政治的自由 p.97 ・民営化が与えてくれる選択肢というのは個人的なもの。 それによってもたらされるのは、あくまでも個人的利益であって公共の利益ではない。 私たちは、なぜ市民として社会保障税を支払うのか、もう一度考えてみる必要がある。 国民から集めた税金を、みなが安心して暮らせるように予算配分するのに政治家の仕事。 機能しないから民間に丸投げするというのなら、高給取りの政治家など要らない。 ・最終的に自己責任というシステムに将来の保証をかけるのは危険すぎる。 ・アメリカ国税調査局は、1960年に国民の2人に1人だった65歳以上の高齢者の割合は、 2009年では8人に1人、2030年までには5人に1人になるという予測を出している。 ・年金システムは、現役世代の人口が退職する高齢者の数を上回っていたことで機能してきた。 だが、世代間人口比率が逆転し、ギャップが拡大するほどに、このシステムの崩壊は加速する。 ラーメン屋にいったらその店1週間前に閉店してた(TдT) しょうがないから近くの台湾ラーメン屋で トンコツラーメン食べてきた。 特別おいしくもない普通のトンコツラーメンだったよ。 なんか知らんけど閉店したラーメン屋の跡地に別のラーメン屋が できてた。 閉店時間が23時だったから今回は入れなかったけど 今度行ってみようかと。おいしいかもしれない。 スーパー銭湯に行ってきた。 素っ裸になってきたよ ふるちん サウナはいって水風呂入って、 小雨が降る中露天風呂に入ったりジャグジーに入ったり ぬるぬるした温泉に入ったりして最高に気持ちよかった リフレッシュってこういうことをいうんだなと実感 散髪もしてもらってきた 人に切ってもらうのはたぶん10年ぶり以上だと思う 1000円カットだから切り方雑だけど自分で切るよりさっぱりした感じがする 何より自分で切るより時間も短くて済むし、後片付けの面倒もなくて楽 銭湯に タンニングマシンも置いてあったから今度いったときに使ってみようと思ってる 垢すりも頼めるみたいだから垢すりもしてもらいたい 垢すりも10年以上やってないからモロモロ出るだろうなぁ スーパー銭湯気持ちよすぎダワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・*!!!! 第3章 医療改革VS医産複合体 ・2009年:カリフォルニア州が財政破綻で、メディケイド(低所得者用公的医療保障)から 歯科と眼科の適用を外した結果、数千人が治療保障を失った。 ・現在アメリカ国内で歯科医療保険を持っていない国民は、一億人。 約三人に一人いる。 ・歯と貧困には深い関係がある。他の病気と違い、歯には自然治癒というものがない。 放置すればするほど虫歯は悪化し、口内で他の健康な歯も侵食してゆく。 治療を先延ばしにするほどに費用は右肩上がりに上がり続け、 やがてボロボロになって手がつけられなくなる。 ・子どものうちに歯の治療ができなければ、大人になっても普通の職に就く可能性はかなり閉ざされる。 アメリカでは、歯の状態は採用を大きく左右する。 歯が欠けていたり黒かったり、抜けている候補者はまず面接で落とされる。 ・ある老女の話。 「保険をなくしてからというもの、病院に行くと冷遇されるので、怖くて行けなくなっていた」 ・2009年現在。 労働人口の三分の二が無保険または必要な医療を受けていない。 自治体は貧困層への公的医療予算を削減し、医療費や処方薬代は上昇を続けている。 現在の最低賃金は、40年前よりも低い実質時給3ドル。 医療費の増大により、39%の人が貯金を使い果たし、 30%が巨額のクレジット負債を負い、 29%は食費・光熱徴・賃借料など基本的な生活溌の支払いができない状況にある。 収入の1割以上を医療費に使う人が急増、年収2万ドル以下の人では、 2001年には26%だったのが、今ではその2倍以上の53%に達している。 ・2009年。ハーバード大学の医学部研究チームは. 医療保険を持たない国民のうち年間4万5000人、 12分に1人が死亡しているという調査結果を発表。 ・アメリカの公的医療保険制度は、 1965年に作られたメディヶァ(高齢者用)とメディケイド(低所得者用)の二つ。 オバマが解消しようとしている4700万人の無保険者の大半は 「65歳未満、なおかつメディケイドの受給資格を満たす程の貧困状態ではない層」、 つまり職を持ち、ある程度収入のある中流層がメイン。 ここでは現在、年収が2?4万ドルの層で無保険者は41%、4?6万ドルの層でも18%と、年々拡大している。 ・実は、無保険者の主流が経済的に貧しい層や高齢者ではない。 2009年に医療費が払えず破産を申請している国民は約90万人。 そのうち75%が医療保険を持っている。 ・アメリカのように民間の保険が中心の国では、 患者と医師の間には政府ではなく医療保険業界というビジネスが存在する。 彼らは病院の株主のような役割を果たし、被保険者を提供した先の病院や医師たちに 経営方針どころか治療方針にも指示を出す。 そして保険を提供する患者には、年齢や健康状態で保険料に格差をつけたり、 過去の病歴などを理由にして、保険金の支払いをしぶり、利益をあげる。 医療現場を閉塞させ、医療難民や破産者を生み続ける原因は、 利益と効率を最優先する市場原理の力学。 ・単一支払い皆保険制度にすれば、支払う保険料の額は所得によって決まるため、 この累進性が所得再配分機能を果たすことになる。 ・クリントン大統領時代。1993年、ヒラリー・クリントン夫人が旗振り役となって進めた医療保険制度改革は、 世論の支持も高く、成功するかのように見えが、医療保険業界と製薬会社の横やりでつぶされた。 ・オバマ演説「あらゆる人々の意見を公平に聞き、 議論を重ねたうえでこの国にとってベストな道を模索することが重要だ。 一つの意見だけが優遇されることもないが、全員の希望が通ることも難しいだろう。 だが完壁な方法を求めすぎて改革をこれ以上遅らせることだけ琴は、もうできないのだ」 ・大統領の言葉通り、このサミットには、医師や弁護士、医療保険業界関係者、 患者の代表など、さまざまな立場の人々が全米から招待されたが、 「単一支払い皆保険制度の推進者たち」は招待されなかった。 ・サミットから特定のグループを排除した政府ついて、メディアでの報道。 大手メディアでは報道されなかった。それどころか、 選択肢としての単一支払い皆保険制度そのものが扱われなかった。 ニューヨークにある報道監視NPOによると、 国内大手の報道番組で一週間に流れた数百のニュースと一八の特集番組のなかで、 単一支払い皆保険制度について言及されたのは三回、 それもすべてこの制度を厳しく批判する内容。 また大手新聞一○紙でも、この制度について触れた記事は三カ所のみで、 そのうち二つは読者から編集長への手紙欄だった。 ・多くのアメリカ国民は「単一払い皆保険制度」というシステムについてすら、知らされていない。 公衆浴場にいってきた。 田舎の公衆浴場だからか、夕方になるに従って逆に客が減るという現象が起きてた。 6時頃には浴場には俺だけ。 人が少ないのは良かったんだけど スーパー銭湯とくらべると設備はかなり貧弱。 サウナは6人でいっぱいいっぱい、 水風呂は一人しか入れない、 ジャクジーなし、 ヤクザが堂々と入浴してる。 あのヤクザ他の客と親しげに話してたから、おそらく常連。 村営の施設にヤクザが堂々と出入りしてていいのだろうか。 張り紙にも刺青・タトゥーお断りって書かれてるのに。 株式会社運営の施設なら、ちゃんと立入禁止にしてるだろうな、と。 休憩所も48畳間が貸切状態で使えるレベルで人いなくて 過ごしやすかったけど、もうこの公衆浴場にはいかないと思う。 スーパー銭湯の方がいいや。 前に行っておいしかったラーメン屋の別店舗に行ってきたよ 味噌チャーシューメン頼んだ 油が多めでちょっとしょっぱかった チャーシューは、んー、まあまあ。 美味しかったは美味しかったんだけど 前はもっと衝撃的に美味しく感じたんだけどなあ 味が変わったのか、自分の舌が肥えたのか ラーメン屋の帰りにすき家に立ち寄ったんだけど、店員がいなかったよ 呼び出しボタン押しても一向にでてこないから ちらっと厨房入って中も見てみたんだけど誰もいなかった トイレにもいないし 俺が厨房に入ったのが原因だろうけど 店内放送で突然「こちらすき家警備室です。現在監視カメラで監視中です」 みたいな放送が流れてびっくりした 15分ぐらいたっても誰もこないから しょうがないから牛皿諦めて帰ったよ あれはなんだったんだろう バイトが逃亡しちゃったんだろうか、謎 すごい気になるけど この謎は一生とけないんだろうな すき家にいくたびこの出来事思い出しそうでやだな タンニングマシンなめてた 8分で全身真っ赤('A`) シャツがこすれてチクチクする アカスリもしてもらってきた アカスリのおばちゃんが無駄に巨乳 俺の人生の中で一番エロい体験だったよ ちんちんおっきしそうになったけど、なんとかこらえたよ 以前行った公衆浴場にヤクザが入浴していた件で とりあえず村長に苦情のメール出しておいた。 また違う温泉行ってきたら、またヤクザがいた。 スチームサウナでヤクザとふたりきり。 別の汗が出るわ。 とりあえず今回も施設に苦情のメール入れておいた。 施設の設備は貧弱だった。 水風呂が体育座りで三人入れるくらいの広さしかない。しかも浅い。 スチームサウナも好みじゃないし、中も狭い。 ヤクザも出入りしてるからもう行かない。 温泉にいく道すがら、昔あったコンビニがたくさん閉店してた。 そんですぐそばに別のコンビニがたくさん出来てた。 世の中厳しい 図解でわかる! ディズニー 感動のサービス きぐるみの中の人は体力的に厳しい構造の物以外、基本女性なんだって。 記憶に無いぐらいの幼少時と 小学生の時にディズニーランドに行ったことはあるんだけど もう一生ディズニーランドに行くことはないんだろうなーって思うと悲C さぞ楽しかろう うらやま鹿 今この瞬間もディズニーランドでキャッキャ(*´∀`) (´∀`*)ウフフしている人ら でごった返してるんだろう 熱中症には気をつけて また新しいスパ銭にいってきた。 大学と遊園地が近くにあって、夏休みでもあるから人が多かった。 外風呂にもテレビが付いてたのと 水風呂が広かったのがよかったけど、あとはこれといって。 ジェットバスのジェットがずれた位置にあって腰にうまい具合にあたらない。 シェイプアップバスはジェットの勢いが弱い。 香油の蒸し風呂はなんかぬるっとしてて気持ちわるい。 寝湯はつぼ押しようの小石みたいな突起がついてて痛い。 入浴料もちょい高め。 でも、深夜までやってる点はいい。 夜専用のスパ銭にしよう。 潰れた後にできたラーメン屋に行ってきた 北海道系のラーメン屋だった 年のせいか脂がきつかった そこそこおいしかったけどもう行かないと思う またまた別のスパ銭に行ってキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!! 体の半面がつかれる寝湯が気持ちよかった。 空見上げながらぼんやりつかれて(・∀・)イイ!! サウナもまあまあ広い。 水風呂がちょいせまだったのは少し残念だったけど、不満ってほどじゃない。 ジェットバスはジェットが細すぎて、ポイントもずれててイマイチ。 蒸し風呂は全然気持ちよくなかった。 電気風呂はなかった。 不感温の湯に床から噴き出すゆる〜いジェットとのコラボが絶妙。 わりかし深夜までやってるし、会員になれば入館料も600円代になるみたいだし 時間制限もない。 また行こう。 出る直前にタトゥー入れた人が入浴してきたから受付に通報して 追い返してもらった。 刺青タトゥーお断りのスパ銭だったので またまたまた新しいスパ銭に行ってきた ジェットバスの塩素の臭いがきつすぎて頭痛くなった サウナの時計が、真正面じゃないと時計の針が見られないという ちょっと危ない構造になってた。 入浴料が安い けど遠い 休憩室が6人でいっぱいいっぱい 休憩室の隣が喫煙室なので、かなり煙草臭い 風呂上がってから 座敷で独りで醤油ラーメンとメロンフロート食べて帰宅 お盆休みなのか車多いね 公的保険を攻撃するハリー&ルイーズのCM p.120 ・1993年にクリントン大統領夫妻が医療保険改革を進めようとしていた頃に、頻繁にテレビに流れたCMがある。 どこにでもいそうな白人の中年夫婦、ハリー(夫)とルイーズ(妻)が、 食卓に座って皆保険制度について話している。 「ねえ、保険制度が変わったらどうなるの?」と聞くルイーズに、ハリーが答える。 「皆保険制度になって政府が仕切るんだよ」 「えっ、そんな制度が実現したら保険料はどうなるの?」 「もちろん今より高くなるさ。それだけじゃない。自由な選択肢が奪われて政府が仕切るようになるし、 大量の無保険者が入ってくるから、医療の質はぐんと悪くなるよ」 ・医療保険会社が制作したこのCMは、新制度への恐怖をあおり、 皆保険に傾きかけていた世論を一八○度ひっくり返すことに成功した。 ・医療費で破産が出る理由は二つ、医療保険料と医療費が高すぎるから。 医療保険は独占市場で競争が存在せず、保険料は上げ放題になっている。 なので、普通に働いて収入がある人でも、無保険にならざるをえない。 ・アメリカ医師会の調査データによると、全米にある314の都市のうち94%の地域では、 1社あるいは2社の医療保険会社によって市場が支配されている。 15州では1社のみが市場の50%以上を、7州では75%以上を独占している状態。 製薬業界のオバマ・ケア支持と広告費 p.125 ・製薬業界は突然なぜか、積極的にオバマの医療改革に支持を表明した。 2009年前半だけで、製薬業界がロビー活動に費やした広告費は、2600万ドル(26億円)。 今回オバマの医療改革を支持する広告予算には、約1億5000万ドル(150億円)が組まれている。 ・その後、オパマ大統領が、医薬品価格を今後10年で800億ドル値下げする合意を 製薬会社と取り付けたというニュースが流れた。 ・アメリカの医療費高騰、その原因の一つは、 処方薬の値段が企業側の言い値になっていることで、薬価は、年間20%ずつ値上がりしている。 年間20%ずつ薬価が値上がりし続けると、今後10年で見積もられる処方薬の総額は、3兆6000億ドル。 オバマが製薬業界から取り付けた800億ドルの値下げは、そのわずか2%にすぎない。 ・製薬業界が値下げする代わりにだした条件。 オバマ大統領の公約の一つに、メディケァの処方薬に関する値引き交渉を 製薬会社とおこなうというものがあった。まさに製薬業界が最も恐れている政策である。 製薬業界は2%の値下げと引きかえに、 この公約を今後10年間見送ることを合意させた。 ついでに外国から安く薬を輸入するという公約も、オバマは一緒に破棄した。 ・オバマは、全米病院協会のロビイストとの間でも交渉を行い、 病院協会は大統領側から、今後10年間で上限6兆ドルまで医療価格の値上げを許可した。 ・企業の最優先事項が利益だという黄金の原則は、決して変わらない。 医療保険業界と共和党による反オバマ・ケア・キャンペーン p.128 ・医療保険業界と共和党は、オバマ・ケアのなかの「公的保険オプション」自体に 初めから強い反対を表明している。 「単一支払い皆保険」が、医師と患者の間に民間企業を介在させないのに対し、 「公的保険オプション」とは公的保険か民間保険を選択できるようにするもので、 あくまでも民間保険との両立が前提。 医療保険業界は1日200万ドルを費やして国会議員にロビー活動をおこない、 さまざまな形でオバマ・ケアの危険性についての情報を世論に広めていった。 ・都市部を除き、ほとんどの家が新聞を取らず、テレビを主要な情報源とするアメリカでは、 CMは圧倒的な影響力を持つ。 ・CMは国民の感情と無知を効果的に利用した。 反対派デモ参加者の多くは、医療保険に関する知識がほとんどない。 メディケアが公的保険だということさえ知らないアメリカ人はたくさんいる。 ・製薬会社などに公的保険の財源となる税金を課したところで、 こうした大企業は課された税金を消費者に転稼するので、 結局は、被保険者である国民が負担を強いられることになる。 ・単一支払い皆保険制度は議論のテーブルから消え、 いつの間にかオバマの医療改革は、「公的保険十民間保険」か、 「既存のまま民間保険のみ」かという対立軸に変わっていった。 p.136 ・2008年度におけるメディケアとメディケィドの合計加入者数は8560万人で、 前年より460万人増加している。 これに退役軍人向け医療保険を加えると、公的医療保険の受給者はすでに約8800万人に達している。 医療破産で貧困層に転落し、メディケイドを受給する国民が急増するなかで、 予算の半分以上を圧迫される州政府の選択肢は、「給付制限の幅を拡大する」か、 「サービスの量と質を制限する」しかない。 金融危機が失業率の上昇を加速するなか、カリフォルニア州ではシュワルッェネシガー知事が、 メディケイド予算を10%削減した。 その結果、貧困層の多い同州南部では州政府の予算削減で負担が増えた病院が 仕方なく人件費を削減。 診察予約が取れなくなった人々がER(救急治療室)に駆けこむようになったせいで、 倒産に追いこまれる病院が増えている。 ・アメリカ国内でERが使用される回数は、年間平均約1億9000万回で、 1996年からの10年間で32%上昇している。平均待ち時間は1時間。 ・アメリカでは法律で無保険でもERだけは患者の受け入れ拒否ができないために、 経営が苦しい病院は赤字拡大の原因となるER自体を閉鎖してしまう。 その結果、地方ほど医療過疎が進んでゆく。 ・ワシントンやペンシルバニア、クリーブランドなどの州でも、 これと同じパターンで経営悪化と人手不足が進んでいる。 その結果、病院が患者を放置したまま破産するケースが増え出した。 ・どちらにしても、メディケイド受給者の待遇は、適切な医療を受けられないという点で、 確実に無保険者のそれに近づいている。 今のアメリカの医療政策は、失業者増加を抑制するために劣悪な条件の非正規社員を増やす手法と よく似ている。 無保険者をこれ以上増やさないために、限りなく無保険者に近いメディケイド受給者を増やしている。 p.138 ・国民皆保険制度を導入しても、医療現場では新たな大量の患者を受け入れる余裕がない。 しかしオバマは、病院や診療所の経営を圧迫する巨額の医療費と、 財政を最も圧迫しているメディケァについての改革案を何も出していない。 ・医師たちが直面する状況や薬価問題に触らなければ、保険料も処方薬も安くはならず、 病院の人材不足や医師の過剰労働も解決しない。 現場の問題は放置したままで、どうやって4700万人の新規患者を受け入れ、医療の質を向上させるんか。 できなければ責められるのは現場の医師や看謹師。 プライマリケア医師の不足 p.139 ・アメリカでは保険を持っている場合、まずはプライマリケア医師(家庭医、小児科医、内科医)にかかり、 その後専門医に紹介してもらうという形を取らされる。 だが、プライマリケア医師自体が深刻な不足に陥っているために、多くの患者は、 診察予約を取るにも数週から数カ月かかってしまう。 また、医療費高騰で経営が苦しく、プライマリヶア医師自体が保険を取り扱わないケースが増えているために、 多くの病院ではERに患者があふれかえる状況。 ・専門医もプライマリヶァ医師も、処方菱を書き、手術などの医療行為をおこなうが、 圧倒的に違うのはその報酬。 腹痛で内科に行く場合、専門医は予約を入れても平均待ち時間は30分、診察が15分、 自己負担は3割で約180ドルだが、 プライマリケア医師になると、診察30分で自己負担が35ドル程度で済む。 ・メディケァはシカゴで腹痛を訴える患者に三○分の診察をおこなった二人の医師に対し、 プライマリケァ医師には89・64ドル。 内視鏡検査をおこなった専門医には422・90ドルを支払っている。 もちろん一般内科医に比べて、より高度な専門機器を使って検査する専門医の方が費用がかかることは 事実だが、問題はそこではない。 平均20万ドルかかる医学部の学資ローンをかかえる医学生たちの7割が、 ローン返済のために収入の高い専門医を目指さざるをえない。 プライマリケア医師を志望する学生はたった2割。 ・医師の平均年収データによると、 腫傷医が33万5000ドル、 放射線医が39万1000ドル、 心臓外科医が41万9000ドルと高収入であるのに比べ、 プラィマリヶァ医師の平均年収は17万3000ドルにとどまっている。 ・保険加入を義務化して国民皆保険を州レベルで実現したマサチュ−セッッ州。 ただし民間保険を残し、医療費高騰と医師不足問題を放置したままだったために、 結局、財政的に行きづまった。 保険証を手にした34万人の新規患者の需要に対し、医師の供給が追いつかず、 診察予約が取れるまで平均63日待たされる状況になった。 そこへ民間医療保険会社がロビイストを通じた圧力やネガティブ・キャンペーンをしかけ、 結局、州の政府保険は形骸化してしまった。 民間との抱き合わせは、改革への第一歩ではなく、 公が民に食われる弱肉強食の図になることを、マサチューセッツの例は表している。 ・無保険者が最も殺到するプライマリケア医師は、完全に過剰労働。 そうした患者の大半は未払いになり、その分は医師側の持ち出しになる。 過労死しないためには診察を止めるか、診療時間を数分にするしかなく、 その前に赤字で廃業になるケースも多い。 ・無保険者は問題にされても低収入と過剰労働で働く医師は同情されず、 犯罪者として訴えられるか、もっと働けと非難される。 ・医療費高騰とプライマリケア医師不足の解決を阻むものは、医師と患者の間に存在する医療保険業界。 民間の保険会社との事務手続きで、全体の4割の時間を取られる。 政府の国民皆保険一本にすれば、この診療報酬請求の事務作業時間は大幅に減らせ、 医師の過剰労働が緩和される。 なおかつ年間8000億ドルの費用が節約されるという、試算もある。 ・オバマはプライマリケア医師の育成補助に予算を出す方針だが、 数だけ増やしても、根本的な解決にはならない。 過剰労働と低収入という医療現場の現実にメスを入れ、 医師たちに人間らしい働き方ができる環境を整備することが必要。 コンビニクリニック p.145 ・コンビニクリニックの売りは、病院に行かなくてもカウンターで薬を購入できることと、 病院と違い予約を取る必要がないこと。なかには医師を置く店舗もあるが、 たいていは看誰師資格を持つ人間が対応する。 処方ライセンスのない薬局がビジネスで薬を販売することについて問題視される一方で、 サービスの便利さから顧客側の人気は高い。 コンビニ・クリニックでは、待ち時間がなく、 場合によっては受診料が病院より若干安い代わりに、薬価は相場より高く設定されている。 ・だが、コンビニ・クリニックの弊害もある。 医療機関以外から入手した薬の過剰摂取で、ERに運びこまれる子どもの数は年間7万人。 彼らは医師の診療を受けておらず、そのうち7割以上は親が過剰に薬を飲ませてしまった5歳以下の幼児。 ・ERに運ばれる子どもたちのケースは、過剰摂取だけではない。 毎年7000人の子どもが風邪薬の副作用でERに来るが、10人中8人は間違った飲み方をしたのが原因。 小児用ERは特に医師不足が深刻な分野。 全米で758人しかいない小児救急医の育成と環境整備に予算が回らない一方で、 咳止めシロップだけで年間4000万個以上の売上が出る小児用家庭薬は、 巨大マーケットとして拡大を続けている。 p.147 ・メディアはオバマの提案する医療改革が、 公的保険を掲げて共和党や医療保険業界の抵抗と闘っているというイメージを流している。 しかしそこには重大な情報操作がある。 そもそもこの改革が、今アメリカの医療を破綻させている、 医療保険会社や製薬会社などの医産複合体を排除していないという事実。 それができるのは、政府が一括で運営責任を負う単一支払い皆保険制度だけですが、 医療改革の議論が始まると、真っ先に選択肢から外された。 それについてメディアが沈黙したために、国民は外されたことすら知らなかった。 いつの間にか、公的保険オプションという目舷ましの代替案にすり替わっていた。 ・オプションとしての公的保険は、オプションの名の通り、 公的保険と民間保険を選択できるということ。 つまり、医産複合体はそのまま残すという意味。 ・公的保険は民間より安価になると宣伝されているが、そう単純ではない。 民間保険は若く健康な人以外は加入を拒否するので、医療費の高い人は公的保険が面倒を見ることになる。 しかしオバマは財政赤字を一切出さないと主張する。 では財源は? カバーする範囲やサービスの質を下げるか、代わりに高齢者や貧困層の公的保険の財源を削減するか、 保険料か税金を上げるか。 いずれにしても、結局その負担は国民に回ってくる。 ・オバマ・ケアでは、民間保険と公的保険の間の競争が値段を下げると主張しているが、 それも何の保証もない。 アメリカでは薬の値段は完全に自由市場にまかされているが、値段は上がり続け、 政府の薬価支出は毎年20%ずつ上昇している。 企業側の言い値で薬価が設定される同市場では、買い手が多くても値段は下がらない。 処方薬を最も使用する高齢者は、メディケアが処方薬をカバーしないために、高くても自費で買うしかない。 市場原理が必ずサービスの質とコストを自動的に下げてくれるというのは、錯覚。 ・巨大な資金力を持つ民間企業側が自由競争の下でしかけてくるさまざまな攻撃を受けて、 すでに形骸化している政府ローン。 医療改革で同じことが起こらない保証はない。 ・98%の国民に保険加入を義務づけて無保険者をなくすと訴えるオバマ。 実施されれば、従業員の医療保険負担をしない企業に対し、罰金が科せられることになる。 単一支い皆保険と、公的保険十民間保険の公的保険オプションでは、もたらされる結果がまったく違うだろう。 そして恩恵を受けるのはいったい誰なのか? 数千万人規模の新規加入者を一気に得て笑いが止まらないのは、医療保険会社と製薬会社。 ウォール街に7000億ドルの税金をつぎこんだ金融救済法、今度は医産複合体バージョンで実施される。 両業界の共通点はどちらも選挙中オバマに巨額の献金をしていること。 投資に見合ったこれらのリターンは、すべて国民の税金で支払われる。 この国には二種類の奴隷がいる p.150 ・ホワイトハウスが医療保険業界に支配されている現状は、 国民のいのちが大企業に握られていることに等しい。 現在医療識3ドルごとに1ドルが医療保険業界の懐に入る。 重役たちの法外な給与や広告・マーケティング費用、自社株購入権……。 医療に限らず、巨額の献金がロビイストや議員に流れ、政府が骨抜きにされている。 この献金システムこそが、アメリカの抱える最大の不幸。 ・カリフォルニア州では医療費請求の21%が保険会社によって却下されている。 ・今、既存のシステムへの対立軸は、医療費がない、薬が買えないことは人権無視で可哀そうだという論理だが、 数字の上だけで無駄を減らしたり保険証を増やすことは、応急処置でしかない。 すべてを数字で測り、利益と効率至上主義が医療現場から奪ったものは、目に見えるものばかりではない。 患者と医師の間のつながりや、医師のなかに存在するはずの誇り、充実感。 第三世界の医師がなぜ、同じように労働時間が長くても心が壊れないのか? 患者と医師の間に人間同士の触れ合いがあるから。 間に医療保険会社という株主が介在しない世界では、患者は医師を人として信頼し、 医師は患者との交流を通して、いのちを救っているという充実感と誇りを受け取る。 これは数字では測れない、けれど人間が日々生きていくために失ってはならないものの一つ。 エビオス錠を飲み始めた。 なんか空腹になる。 銭湯にはちょこちょこ出かけてる。 岩盤浴も試してみようかな。 ZUCCA×ZUCA(1) 宝塚オタクのあるあるを描いた漫画。 住民税についてわからないことがあったので 電話で国税庁? に問い合わせたら回答できるのは国税のことについてだけなので 他に聞けと言われ、次に税務署に問い合わせたら住民税は市役所の管轄なので と言われ、直接市役所に言って訊ねたら、税務署で聞けといわれ、 税務署で市役所で訊けと言われたといったら、 市役所の職員が税務署の担当の人に電話して 俺に受話器わたして俺が税務署の担当の人に訊いてやっと回答が得られた。 たらい回し('A`) 第4章 刑務所という名の巨大労働市場 p.156 ・刑務所で18カ月半の刑期を務めた二四歳のアラン・ジャクソンにとって、出所はマイナスからのスタートだった。 訴訟費用の未払い金8900ドルと、それに伴う利子と罰金が1万3000ドル、総額2万1900ドルの借金を抱えていた。まず逮捕された日付で、法定手数料300ドルと囚人基金の積み立て金25ドルの請求が来た。 ニューヨーク州は州法により、薬物関連犯罪、窃盗罪および強盗で逮捕された全被告に、 その経済状態にかかわらずこの二つの支払いを義務づけている。 ・刑務所内での労働対価は時給40セント。 そこから、部屋代と医療費で毎日2ドルずつ引かれる。 残高はあっと言う間にマイナスになった。 ・アメリカ国内の刑務所では、社会復帰させるための職業訓練や教育は、コスト削減で真っ先に廃止される。 技術も教育もなしに、巨額の借金だけを背負った若者たちを大量に出所させたらどうなるか? あっという間に再犯でUターン。 〈スリーストライク法〉がこのループを加速させた。 今では刑務所の存在は、連邦や州が直面する財政難の解決策に他ならない。 ・1994年に州法として成立したスリーストライク法は、 犯罪者が三度目の有罪判決を受けた場合、 最後に犯した罪の重さに関係なく自動的に終身刑にするという法律。 ・刑務所が囚人たちに押し付ける負担範囲は拡大する一方。 囚人たちは用を足すときに使うトイレットペーパーや図書館の利用料、 部屋代や食費、最低レベルの医療サービスなど、 本来無料であるへき部分まで請求されている。 ・ペンシルバニア州のパークにある郡経営の刑務所では、 囚人に一日あたり10ドルを請求している。 同じ請求を法的に認める法案は、 カルフォルニアをはじめ、いくつもの州で出されている。 労働者として声を上げる権利を持たない囚人たちには、借金づけになることを避ける選択肢はない。 ・重罪で投獄される犯罪者の8割は貧困層で、経済的困難から罪に走る。 その彼らに刑務所のなかでさらに借金を背負わせている。 その結果、何が起きているか、彼らの6割は、出所してから一年たっても失業したままである。 ・テキサス州フォートワースにあるカースウェル連邦女性刑務所では、 手術直後や瀕死の重病でない限り、車いすの囚人ですら重労働が科される。 時給は12セント。賃上げは一切ない。しかし、生活に必要な 健康や衛生関連の備品は自費で買わねばならず、負債はどんどん増加する。 ・刑務所内の備品は市場価格の1.5倍の値段がつけられている。 歯磨き粉は一本5ドル95セントで、これを手に入れるためには49.5時間労働しなくてはならない。 刑務所ビジネス p.160 ・アメリカ国内の民営刑務所は19世紀までは普及していたが、 劣悪な環境下で囚人たちを奴隷のように扱っていたことから、 禁止する州が増え始め、19世紀末までにはほとんどすべての州で廃止となっていた。 だが、現在民営刑務所は、1990年には5カ所しかなかったが、わずか10年の間に100カ所以上に膨れ上がり、 巨大なビジネスの仲間入りをはたした。 急激な拡大をもたらした背景には、1990年代に盛り上がった自由市場至上主義と、 連邦および州政府の財政難の二つがある。 労働市場の中心がモノ作りからサービス業へと移行するなか、 企業は非正規社員率を拡大することで福利厚生費用を削減し、利益を上昇させてゆく。 ・いまや一握りのエリートが就く職以外は、学位などいらなくなっている。 問題は学歴ではなく、労働市場の構造そのもの。 2004年の株価成長職種トップ10のうち、上位7位までは技術も学歴も必要としない低賃金の職種、 レストランのウェイター、調理係、顧客対応係、レジ打ち係、店員、看誰助手、清掃係の7つだった。 ・ひと昔前のアメリカでは、福利厚生が保障された製造業に就職すれば、 中流の暮らしができることがあたりまえだったが、破綻したGMの例を見てもわかるように、 企業は福利厚生と引きかえに従業員の忠誠心を得る時代から、さらに先へと進んだ。 レーガン政権でおこなわれた過度な規制緩和を皮きりに、 組合つぶしや隣国から発展途上国へと発展した外注革命などが進んで、 労働者にとっての状況は年々苦しくなった。 株主の力が強くなり、雇われ社長は長期ビジョンよりも、 一年一期ごとの数字で成果を上げることを期待されるようになった。 組合化された中流層は、もはや会社にとって忠誠を誓ってくれる財産ではなく、 賃上げや年金、職場環境など人間としての権利を主張して、利益拡大を阻む障害物になっていった。 ベッド(・∀・) コワレタ !! 今年買ったばかりなのに ・初めから組合加入の資格を持たず、福利厚生もなく給料も安くて、 いつでも必要な時に入れ替えが利く非正規労働者は、 そうした企業にとって都合の良い存在として注目され始める。 企業側は政治家への献金やロビー活動を盛大におこない、労働に関する規制は次々に緩和されていった。 2005年の時点で、アメリカ国内の非正規労働者は労働人口全体の約3割。 劣悪な労働環境に対する訴訟はしょっちゅう起きている。 ・訴訟は企業イメージを悪くする。 一度ついた悪いイメージを払拭するのにも莫大な費用がかかってしまう。 そこで彼らは、もっと使い勝手の良い労働力を探し始めた。 すると灯台もと暗し、発展途上国の労働者よりも、非正規社員よりもさらに条件の良い、 数百億ドル規模の巨大市場、囚人労働者にスポットライトが当たった。 ・テキサス州フォートワース助成刑務所で、人気の職は電話交換手。 アメリカ国内の大手通信会社の一つ、エクセル・コミュニケーション社の番号案内に電話をかけると、 ほぼ間違いなくここフォートワース刑務所の女性囚オペレーターにつながる。 彼女たちは25億ドルの売り上げを誇るグローバル企業、エクセル・コミュニケーション社に雇われている。 通常こうした長距離電話会社が電話交換手を雇う場合、 最低でも月に900ドルの給与と社会保険等の経費がかかるが、囚人を雇えば、 最大でも月に180ドルですみ、福利厚生費は一切かからない。 ちなみに、アメリカ国内の企業が従業員一人当たりに提供する医療保険の企業負担額は、 年間9000ドルで、これに企業年金やメディケァ掛け金が加わる。 ・電話交換手は、刑務所内の職で唯一昇給がある。上限の最大賃金は、1ドル45セント。 最初の18カ月で10セント時給は上がり、以降18ヵ月ごとに5セントずつ上がる。 上限額まで上がるには7年半働かなければならない。 ・2005年のデータによると、電話交換手をインドの労働者に外注した場合、 初任給は月に平均159ドル〜204ドルとなり、翌月から昇給を開始しなければならない。 一方、カースウエル刑務所で囚人労働者を雇えば、給与は月36ドル〜最大でも180ドル。 福利厚生は一切ないため経費を大きく節約できる。 ・アメリカの番号案内サービスの利用件数は、年間約26億回、 70億ドル規模の巨大市場は各企業にとって激戦場。 ・長距離電話業者も刑務所ビジネスを拡大する業界の一つ。 一般公衆電話が上げる収益は一台につき年間約5000ドルだが、 刑務所内の公衆電話ならその3倍の1万5000ドルになる。 外に電話をかける際、コレクトコールが義務づけられている囚人たちに、 独占市場を手に入れた企業は相場の約3倍の電話料金を請求するからだ。 その分、刑務所側にはコミッションが支払われる。 刑務所内電話事業を精力的に展開する大手電話会社MCIは、 刑務所内の公衆電話取り付け工事を無料でおこない、 契約相手のカリフォルニア州には32%のコミッションが支払われていた。 ・2002年、カリフォルニア州マセードの最高警備刑務所内で、 囚人たちが自らの手でパソコンを頭上に持ち上げては鉄製の机に振りおろす解体作業を させられていることを明らかにした。 一台のパソコンには、四キロの鉛をはじめ、数々の有害化学物質が含まれている。 囚人たちは防護服も保護メガネもつけず.頭上から降り注ぐガラスのかけらと有害物質を シャワーのように浴びていた。 ・囚人たちを対象にした国内アウトソーシングの拡大は、国内の労働者や組合、企業にとっても脅威になる。 1989年、州刑務所が自動車関連部品会社と契約し、 60人の囚人が海外の大手自動車会社の車部品組み立て業務に使われていることを知った UAW(全米自動車労組)は刑務所労働に対する組織的抗議運動をおこなった。 時給30ドルの組合労働者が、州へのコミッションを合わせても時給2ドルの囚人労働者に勝てるはずがない。 UAWは、刑務所労働を激しく批判。 UAWは他の組合や州議会、メディアなどに精力的に働きかけ、 同社は1992年に同地域の囚人労働市場から撤退。 ・ノースカロライナ州では、12の州刑務所が約650人の囚人を「最安価労働力」として市町村にレンタルしている。 ・囚人は、優秀な労働者。 もし勤務態度が悪いと言われてクビになったら最後、奴隷のような超低賃金の重労働に転落する。 そして自分の後釜を狙う囚人は山ほどいる。 非正規労働者と同じで、切られれば代わりはいくらでもいる。 なので必死に働くし、とても感じがいい。国内にいる他の労働者は、彼らに仕事を奪われてしまう。 ・20世紀末の外注革命で現れた最大のライバルは、第三世界へのアウトソーシングだったが、 囚人たちはそれよりもはるかに強敵。 第三世界の外国人交換手は給料は安いけれど、言語の壁がネック。 マニュアル以外のことを言われると対応できない。 ところが、囚人たちは英語が母国語なので、この問題は完全に解決される。 時給が最安価なだけでなく、対応は丁寧で、サービスは速い。 雇用保険は要らず、低賃金でも文句ひとつ言わないし、ストもやらなければ組合も作らない。 ローリスク・ハイリターン――刑務所は夢の投資先 p.173 ・アメリカの投資家たちは、軍需産業やIT産業と並んで人気急上昇の投資先として、刑務所ビジネスに注目している。 この業界の上位三企業を見てみると、現在全米の民営刑務所の囚人のうち約半数を引き受ける最大手の全米矯正施設会社は、1992年には8ドルだった株価が、2000年には30ドルまで上昇。 ・政府が教育や福祉、公共インフラ予算を削るなか、唯一刑務所の建設だけはどんどん増やされている。 ・アメリカのメディアは、猟奇的殺人や誘拐、暴力事件などを頻繁に取り上げている。 ・だが実際は、暴力犯罪は全体の14%以下で、傷害犯罪は3%以下。 カリフォルニア州で刑務所送りになった犯人の罪状トップスリーは、薬物所持、薬物販売、窃盗と、凶悪犯罪ではない。 ・凶悪犯罪は上位10番目にも入っていない。そうした恐怖をあおっているのはメディア。 ・2008年、FBIの犯罪率統計データでは、前年に比べて2.5%減少している。 一方、囚人数は1990年代から毎年数パーセントずつ上昇し、2008年には連邦刑務所だけで2万5000人増加して160万人になった。 加えて、地方刑務所では72万3000人、全米で10万人あたり740人、ほぼ135人に1人が投獄されていることになる。 ・これらの数字は、アメリカよりも人口が多いにもかかわらず、囚人数約150万人の中国や、人口10万人あたりの囚人数が628人のロシアなどの国をはるかに上回る。 アメリカの総人口は世界の5%だが、囚人数は世界の25%を占める囚人大国。 ・カリフォルニア州だけで、1000カ所を超える刑務所がある。 ・州政府にとって民営刑務所の最大の魅力は、とにかくコストが安いこと。 全米の刑務所運営維持費用は年間570億ドルを超えており、これは国の年間教育予算420億ドルを上回っている。 カリフォルニア州では、この10年間で大学の教職員が10万人解雇される一方で刑務所の看守は1万人増員されている。 ・カリフォルニア州は、現在大学生一人当たりに支出する教育予算は年間6000ドル、囚人一人当たりには、6倍弱の3万4000ドルを支出している。 ・民営にすれば、大幅にコストを削減できる。 最大手の全米矯正施設会社と契約すれば、囚人一人につき一日約43ドル支払うだけで食事に医療に更生教育まですべてパッケージで提供してくれる。 これがカリフォルニア州なら、一日に628ドルかかる。 魔法の投資信託REIT p.178 ・だが、刑務所自体にそれほど費用がかかるとすれば、国も州政府も刑務所建設予算を削減しようとしないのはなぜなのか。 ウォール街で今もっとも価格が高騰している投資信託商品の一つ、刑務所REIT(不動産投礎信託)が原因。 ・REIT、刑務所の建物と土地を所有してテナントに賃貸する、不動産投資信託。この場合のテナントとは、州の自治体。通常これらの刑務所を賃貸する場合、契約期間は10年で中途解約は不可能。 管理費や修繕費はすべてテナントもちなので、美味しい商売。 ・財政難の州政府力刑務所建設を推進することに矛盾するように思えるが、投資信託会社をはじめ、刑務所建設によって恩恵を受ける各業界から巨額の献金を受け、選挙公約に新規の刑務所建設を盛りこむ政治家が少なくない。 ・刑務所は地域住民には職員としての雇用機会を与え、騒音もないから周辺の環境も静けさが保たれる。 囚人は収監されている刑務所の地域住民として数えられるため、国からの助成金も増える。 刑務所新設は政治家にとって、公約にする正当な理由をたくさん与えてくれる。 ・建設費用のスポンサーはウォール街の金融大手。 民営刑務所最大手のCCAはメリル・リンチやアメリカンエキスプレス、シェアソン・リーマンなどがバックアップしている。 さらに〈ベッドブローカー〉という中間業者もいて、州と中間業者、CCAと投資家たち全員がもうかるしくみになっている。 ・2007年には36の州で連邦および州刑務所内の囚人数が増えている。 なかでも増加率がトップのケンタッキー州では、過去30年間における犯罪率の上昇が3%を維持してしるのに対し刑務所内囚人数の増加率は600%。 ホームレスが違法になる p.182 ・2007年〜2008年の間に、アメリカ国内のホームレス人口は12%上昇。 サブプラィムローン破綻による住宅価格の下落と金融危機が原因。 このホームレス人口の増加が、刑務所人口の拡大につながっている。 ・2009年、不況下で急激に増え続けるホームレス対策として各自治体が厳罰化を適用、ホームレスを犯罪者として取り締まり始めた。 ・2007年、ロサンゼルスがホームレスの密集する地区のパトロール要員を拡充するために投じたのは、同年のホームレス支援対策予算570万ドルを上回る600万ドル。 その後、360万ドルの追加予算も組まれている。 ・もし、これらのホームレス取り締まり費用を住宅支援に使った場合、200万人以上のホームレスに住居を供給することができる。 ・フロリダ州オーランドで市議会が通過させたのは、公園内で25人以上が食べ物を共有することを違法とする「炊き出し禁止令」。 慈善精神が根づいているアメリカでは、教会やNPOの積極的なホームレス支援活動によって、餓死者は最後の一線で食い止められてきた。 同様の法律は、2007年にもテキサス州ダラスや、ネバダ州ラスベガスなどでも通過している。 ・ミシガン州カラマズでは、公共の風景からホームレスを消去するという目標の下に、公園で寝泊まりしたホームレスは違反切符を切られるだけでなく、その後、賃貸アパートを借りることもできなくなった。 これに対し、切符を切られたホームレスと市民活動家が市を相手にいくつかの訴訟を起こしたが、それらは2008年にすべて敗訴、ホームレスも活動家もまとめて刑務所に送られた。 ・ゼロ.トレランス法……軽犯罪を徹底的に取り締まることで凶悪犯罪も含む全犯罪の抑止になるとして、 1994年にニューヨーク市長に就任したルドルフ・ジュリアーニが導入した治安対策。 ・増員した5000人の警官による街頭パトロールを強化し、万引きや壁の落書き、 違法駐車や未成年の喫煙、交通違反をさらなる厳罰化によって取り締まり、風俗店を締め出し、 ホームレスを一掃する施策がおこなわれた。その結果、犯罪率が大幅に減って治安が回復したと言われ、 ジュリアーニのこの政策は世界各地から高い評価を得た。 だが実際は、ニューヨークの犯罪率は1990年代初めにすでに半減している。 つまり、ゼロ.トレランス法を導入する前から犯罪率は減少し始めていた。 アメリカの国民は恐怖にコントロールされている p.192 ・冷戦時のアメリカでは、膨れ上がる軍事予算の大義名分として「共産主義への恐怖」があおられ、 軍需産業を潤わせた。 今同じように「テロや凶悪犯罪への恐怖」という新たなマーケティングが、刑務所産業複合体を巨大なビジネスに成長させている。 それに関わるさまざまな事業、前述した刑務所投資信託REITや、通信会社に建設業界、 さらに囚人たちを移送するための輸送業者やセキュリティ関連業界、囚人の衣食住を請け負う各種サービスや医療業界など、 刑務所内の囚人数が増え続けるほどに利益を得る無数の企業が、政治家やメディア、警察や司法などへ圧力をかけるべく働きかける。 権利を持たない囚人の賃金が下げられることで、国内の他の労働者がしわ寄せを受ける。 雇用する側にとってこれ以上ないほど好条件の「労働者」の存在は、一般労働者の賃金を下げるだけでなく、 労働者を分断することで組合を弱体化させ、交渉力を失わせることで、労働市場全体が地盤沈下してゆく。 ・アメリカ国民は恐怖にコントロールされ続けている。 「テロとの戦い」というキーワードにあおられて、膨れ上がる軍事予算と戦線拡大を黙認し、 次々に現れる病気への恐怖から薬づけになり医療破産している。 学位がないとワーキングプアになると思い込まされ、法外な学費を払うために高利で借金をする。 ホームレスになり刑務所に入ったあとも、さらなる借金スパイラルが追いかけてくる。 ・そして今、凶悪犯罪への恐怖におどらされ、新たな刑務所建設や厳罰化を支持している。 ある日突然転落した自分自身が、塀の向こうの巨大な工場を支える囚人たちの一行に加わるかもしれないことなど夢にも思わずに。 気づかなければならない。こうした恐怖というものが作り出されるプロセスと、それによって恩恵を受ける存在のことを。 なぜこの国では税金が、学生よりも囚人を生み出すために使われているのか? 犯罪を減らす最大の政策は「厳罰化」ではなく、「教育」。 国の仕事は道をふみ外したものを更生させ、健やかな市民として社会に戻すこと。 問題そのものを一つの市場にして利益を得ることは間違い。 アメリカが直面している危機は、金融危機などではなく、人間に投資しなくなったこと。 ・アメリカのことわざ、「うるさくきしむ車輪ほど早く油をさされる」ものがある。 大声を出さなければならない。政府はいったい、誰のための政治をやっているのか? 孫たちに残したい未来は、本当にこんな形なのか。 エピローグ p.197 ・アメリカの政治小話。 アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトとの面談を取りつけたある市民運動家が、 自分の提案する法案について大統領に熱心に説明する。 その内容がどんなに正しいか、現状がどんなに苦しく、この案が実行されたらどれだけ社会が良くなるか。 大統領はしばらく耳を傾けていたが、最後に一言こういった。 「君の主張は正論で私も同感だ……。では、私がそれを実行できるよう君が動いてくれるかね?」 自らの主張を同意させるためにリーダーを説得するのでになく彼がそれを実行しやすくなるように外側から働きかけることの重要さを示している。 ・「オバマを私たちと同じ「市民」だと考えるのは間違い。 どんなにチャーミングで元コミュニティリーダーの経歴を持っていたとしても、彼は「政治家」。 私たちがすべきことはオバマに白紙小切手を渡すことではなく、世論やまわりの環境を動かし、彼に軌道修正させること。 ・住宅価格は下がり続け、4軒に1軒は債務超過に、差し押さえ件数は580万軒を超えている。 差し押さえられた物件は新規で購入されるか、または投資家が現金で安く買い叩いたあげく、割高で転売し、大きな利益を上げている。 ・アメリカでは失職状態が1年を超えると失業人口の統計から外される。 パートタイム労働者や調査前4週間以内に求職活動をしていない失業者もすべて入れた場合、現在の実態失業率は戦後最悪の17.5%。 クレジットカード業界は2010年から施行されるクレジットカード規制法に向けて、急激に金利を上げ始めているが、 「巨額の税金で救済された金融機関が、納税者に高い金利を請求するのはおかしい」 アメリカ各地で、月々の支払いを一度も延滞したことがないのに、ある日突然、「金利が7.9%から32・88%に上がります」などという通知を受け取る人の数が急増している。 ・イラク&アフガニスタンで費やした税金は、9000億ドルだが、ノーベル経済学賞受賞者の教授は、 これに帰還兵への障害手当や生活保障、軍備品費用、今後の借入金利息などを加えて、約3兆ドルという額を算出した。 現在この二つの戦場には、正規のアメリカ軍兵士よりも多い人数の州兵が政府の受注によって配備されている。 ・この戦争に関する大手新聞の論説は、戦争継続の是非ではなく、 「第一線はどこの地域にするか」 「戦争業務をどのくらい請負業者に任せるべきか」 「最も効果的な戦い方は」など、ほとんどその戦術が中心だった。 ・アメリカ国内には4200万人の飢餓人口と、4700万人の無保険者がいる。 1500万人が職にあぶれ、1000万人が家を差し押さえられそうになっている。 財界へ流れた分と戦争予算のしわ寄せを受けて拡大する国内の貧困と失業者こそが、大量破壊兵器。 ・「敗北したのは、私たちリベラル派の方でした。単一支払い皆保険が初期に排除された時、 私たちはそのことを抗議し続ける代わりに、内容的にははるかに中道の 「公的保険と民間保険の抱き合わせ案」を広めることでオバマを支援する方を選んだのです。 あれは間違いでした。私たちが最もリベラルな路線から外れて中道へ加わってしまったことで、 国民は選択肢を失ったからです。リベラル派でいることの存在意義はそこにあるのに…… 私たちはどんなことがあっても、決してぶれてはいけなかったのです」 ・リベラル派として反対を貫かなかった理由は何か? 「自分が強く信じていたものが本当はそうでないとわかった時、それを受け入れるのは辛い。 思い入れが強ければ強いほど、違うと認めることで自分が否定されるような気がする。 そんな時、人は無意識に正当化する言い訳を考えて、自分を守るんだと思います。 暗黒のブッシュ時代からオバマに政権交代したことのインパクトが大きすぎたのかもしれません。 あれで自分たちの役目が終ったかのような錯覚におちいっていたのです。 今思えば、「政権交代」はチェンジのスタート地点にすぎなかったのに。 リベラル派の人々の多くが、いまだにオバマが何かを変えてくれるんじゃないかと期待しているのはそのためです」 ・オバマというブランドを手にした人々は、未来は明るいのだという希望と引き換えに、一票を差し出した。 ブランドはイメージがすべてだ。たとえモノ自体が同じでも、モデルと演出を変えることで、結果は出せる。 ・「我々はなんでも支持する」では、ダメ。 ・党派を拠り所にする誘惑に屈してはいけない。 ・だが、このことに気がつき、すでに行動を起こし始めた人々もいる。 新しいものに飛びつくのは速いが、見限るのも早い若者たちは、オバマがあてにならないとわかると、 すぐさま自分たちでネットワーク作りと組織化を強化し始めた。 たった一年で全米約400カ所に支部を広げたくキャンパス・プログレス〉や、 若者のための政治団体であるMAYをはじめ、政治に影響力を持つ高齢者ロビイスト団体に対抗する これらの若者団体が掲げるのは、学費や雇用などピンポイントなテーマが多い。 ・黙って不満を言っているだけでは、政治は若者のためになど動いてくれない。 オバマ選挙は楽しかったけど、その後チェンジは来なかったところをみると、 あれは他のファッションイベントと大差ないものでした。 僕らにできることは、幅広く組織化すること、そして自分たちの仲間を議会に送り出して、 若者代表として政策のテーブルにつかせることですね」 ・「この国では一票とは一有権者のことではなく、一ドル紙幣なんだってこと。 この一年、税金が湯水のように使われた業界は、すべてあの選挙でトップ献金者リストに入っています」 ・ネット世代の若者たちの武器は〈スピード〉。〈IT〉を駆使して闘う。 ・選挙中から熱心にオバマ支持を訴えていた女性反戦団体〈コード・ピンク〉は、 2008年に出していた「オバマを大統領に!」の代わりに、 「オバマを動かせ」という新しいスローガンを立ち上げた。 ・有権者の役割は、選挙中よりむしろそのあとの方が大きい。 ・チェンジは待つものではなく起こすものだという人々が、リーダーに丸投げする代わりに自らのビジョンを描き、 未来を創るプロセスに参加し始めた時、真のチェンジは訪れる。 あとがき p.211 ・肥満児童、医療難民、サブプライムローン、経済徴兵制といった個々の問題をつなぐ 「行き過ぎた市場原理」というキーワード。 ・ますますスピードが加速する社会のなかで、情報は昔よりずっとそぎ落とされ、 仕分けされ、わかりやすい形で差し出されるようになった。 だが、一人の人間をひとことで言い表すことが難しいように、人間が引き起こす出来事を単純化することには限界がある。 高速でやってきては流れ去るニュースは、皮庸感覚で感じることはできても、それ以上つかもうとするほどに、実態が見えなくなってしまう。 たとえば被害者と加害者。わかりやすく描かれた善と悪。 見るからに悪玉ではない、一見真面目そうなリーダーが生まれた時に、 私たちはより本質的な部分で試される。 わかりやすい悪のイメージを持つ人物は情緒的に叩けるが、 とても魅力的だったりカリスマ的な人物の場合、今度はその中身をメディアかどう報道するか 私たちかとう受け取るかという、こちら側の目が問われるからだ。 ・「チェンジという言葉に熱狂し、選挙後は政治に背を向けてしまった」 「前政権の時ほどに、政治の矛盾を追及しなくなってしまった」などの言葉は、 アメリカのあとを追って同じように政権交代を果たした日本の私たちにとっても、決して他人事ではないだろう。 ・「一番こわいものはテロリストでも大不況でもなく、いつの間にか私たちがいろいろなことに疑問を持つのをやめ、 気づいた時には声すら自由に出せない社会が作られてしまうことの方かもしれません」 ・いま私たちが直面している、教育に医療、高齢化に少子化、格差と貧困、そして戦争といった問題をつきつめてゆくと、 戦争の継続を望む軍産複合体を筆頭に、学資ローンビジネス、労働組合や医産複合体、刑産複合体など、 政府と手を結ぶことで利権を拡大させるさまざまな利益団体の存在が浮かびあがってくる。 世界を飲みこもうとしているのは、「キャピタリズム(資本主義こよりむしろ、 「コーポラティズム(政府と企業の癒着主義)」の方 おわり ( ゚Д゚)⊃わが家の母はビョーキです 統合失調症になった母との生活を、娘が描いたエッセイ。 漫画で気軽に読めるけど中身は重い。 電動ベッド壊れたから普通のすのこベッド買ったんだけど なんか不便に感じる。物足りない。 ということで再び電動ベッド買ったんだけど不安要素がひとつ。 楽天では高評価なのにAmazonレビューでは超低評価。 さあ、どうでるか。 電動ベッド届いた(゚∀゚ ) モーター音が前のベッドよりかなりうるさい レビュー100件超えでモーター音も静かですって感想が何件もあったから 買ったんだけどな(´・д・`) 2万円もしたのに……2万円じゃ買えないのか、静かなベッドは…… クッション付きのベッドだったからクッションをナイフで剥がして すのこベッドに改造しよう あと両サイドに手すりつけて、足元か枕元にバーを取り付けよう マンドクサ('A`) モーター音どうにかならんかな マウスガードがもうバッキバキだから 新しく作ってもらわないと 市販のじゃだめだったし ( ゚Д゚)⊃統合失調症がやってきた ハウス加賀谷 スーパービール酵母Zが体に合わないらしい お腹ギュルギュル エビオス錠とミヤリサンに戻そうか ツイキャス見てみたんだけど本当にいろんな人がいる 職業も年齢も国籍もさまざま 田舎に住んでるし、普段引きこもって生活してるから こんなに人が世の中にはいるんだと驚く たまの都会への遠出でも同じような感覚を毎回味わう 小学生もいた ODA援助の現実 1989年発行 外国人研修生の話 ・よく耳にするのは高度に発達した大規模な漁業協同組合よりも 地方の小規模な漁業協同組合の方を見たいという声。 これから漁業協同組合の組織化に取り組もうとするとか、 ないしはその組織化に着手したばかりの研修員にとっては、 日本の高度に組織化された漁業協同組合を見せられても、とまどうばかりで、 あまり参考にならないのではないかと懸念される。 ・日本には開発援助関連の調査・研究機関がないことから、 開発途上国の問題に関する十分な知識・情報が蓄積されていない。 そのため、日本の援助が援助受け入れ国の自然環境とか人々の社会生活とかに どのような影響を及ぼすかについて、十分な検証が行われないままに、 開発途上国に対して援助資金を振り向けることに主要な関心が注がれ、 金額面での実績が重視されることになる。 ・人道的な動機に基づく個人レベル、NGOレベルでの援助のほかにも、 援助は、企業レベル、自治体レベル、国レベルにおいても行われる。 しかし、これらのレベルでの援助になると、人道的考慮という性格は薄れてきて、 経済的、政治的な考慮が入ってくる。 ・多国間援助には、各国の経済的、政治的な思惑が入り込みにくく、 人道的考慮がストレートに全面に出てくるという特徴を有している。 p.215 1.援助理念の明確化 ・「何のための援助か」、「誰のための援助か」という点を明らかにする。 援助の基本理念は、「援助基本法」ともいうべきものを制定し、そのなかで明示されるのがよい。 ・ODAの基本理念の設定を試みるならば、少なくとも次の三つの原則が打ち出されるべきである。 @ODAは、援助受け入れ国の自助努力を支援するものであって、 援助国の国益的考慮が優先されるべきものでないこと。 A援助受入国の「持続的開発」「生態系に適った開発」に寄与すべきであって、 これらの国々の環境を破壊したり、もしくは現地住民、 特に少数民族とか先住民の生活基盤の破壊をもたらすようなものであってはならない。 B最貧国および最貧層への支援を最優先すべきこと。 2.援助実施体制の再構築 ・日本のODAは、複雑な仕組みのもとに置かれている。 込み入った援助実施体制をスッキリさせる必要がある。 このためには「海外援助庁」ともいうべきものを新設し、援助実施体制を一元化するのがよい。 援助は、最貧国への無償援助と小規模プロジェクトへの有償援助に重点を置くべきである。 3.環境・先住民ガイドラインの設定 以下のような環境・先住民ガイドラインを設定する必要がある。 @大規模ダム建設および大規模潅概計画への援助を行わない。 A熱帯林の大規模な伐採につながるような援助を行わない。 B自然林の破壊をもたらすような援助を極力避け、 過去の乱伐により荒れ地化している土地の植林への援助を強化すべきこと。 Cユーカリなどの外来種による安易な植林を避け、可能な限り最大限に土着種によって植林を図るべきこと。 D公害輸出につながるような援助を行わないこと。 E援助国で使用が禁止されている農薬、化学肥料、殺虫剤、除草剤などを援助の名目で輸出しないこと、またこれら有害物質の現地生産に対する援助を供与しないこと。 F現地住民、特に先住民の強制移住をともなうようなプロジェクトへの援助を行わないこと。 4.調査・研究機関の創設 ・国家レベルでの、援助研究機関を作るべき。 国レベルでの調査・研究機関の創設が難しい場合には、民間レベルにおいて、 調査・研究機関を設立し、これにODA資金を割り当てていく方法が検討されるべき。 この際、このようなODAの配分が、 こうした調査・研究機関の独立性を段損することのないよう配慮する必要がある。 6.援助関連の情報公開 ・日本国民には、自分たちが納めた税金なり、積み立てた郵便貯金とか各種年金が、 援助の名目で、日本企業とか政治家の懐を肥やしたり、開発途上国の一部支配者層のポケットのなかに消えてしまったり、 さらには援助受け入れ国の環境破壊ないしは底辺層の人々の生活破壊に使われたりすることの ないよう、チェックする機会が与えられるべきである。 ODAは、公的資金であることから、国民全体の納得づくで使用されるのは当然の事。 それゆえ、ODAに関しては、一切の事柄がガラス張りのなかで進められるべきである。 ・フィジビリティスタディの内容については、その結果を公表するだけではなく、 実施段階におて、NGOを含む各層のコメントを求めるべきである。 さらに、どのような案件について援助が供与されようとしているのかについても、国民の前に提示すべき。 また、このような案件について、援助受け入れ国の国民、 特に現地住民にあらかじめ知らせることが、今後検討される必要がある。 7.事後評価制度 ・開発援助の事後評価に関しては「経済協力評価委員会」があるが、 評価の基準および仕方は極めて偏っており、また評価者のうちには、 現在のODAに批判的な見方をしている人たちは含まれていないために、 公平性に欠けており、また客観性に乏しい内容のものとなっている。 ・援助を効果性、効率性という物差しだけで眺めるのは、誤りである。 このような尺度だけでは測り切れない側面も多い。 このことは、とりわけ教育とか「人づくり」の分野についていえる。 また、自然的、社会的環境への影響を測るうえからも、 このような基準は、必ずしも適切なものとはいえない。 ジャーナリズム崩壊 ・フリーランスという立場での申請では、記者証は発行されない。 記者証がほしければ、どこかの媒体に所属した形にするか、もしくは日本雑誌協会などから間接的に申し込むかのどちらかになる。 空想でしかない「客観報道」 p.18 ・日本でいうジャーナリズム精神とは、海外でのワイヤーサービスメンタリティに相当。 ワイヤーサービス……通信社のこと。速報性をその最優先業務とするメディアのこと。 ・アメリカでは、事件の第一報は通信社の記者の仕事。 新聞の仕事は、ハイジャック自体にどういった背景があるのか、それは政治的なものなのか、単に金銭目当てのものなのか、あるいは無事に解決したのか、悲惨な結果に終わったのか、そういったものをすべて見極めた上で初めて、取材をスタートするかどうか判断を下す。 ・事件・事故が起こるたびに日本のように何十人もの記者が総動員されることはない。 現場に向かうのは1人か2人。 ホワィトハウスを取材する記者も大抵1社につき1人か2人程度。上下院議会・国務省・国防総省などの全政府機関を合わせても、せいぜい10名に満たない。 ・米国の新聞でそれが可能な理由は、新聞社と通信社の仕事を完全に峻別し、自らの仕事をジャーナリズム的な役割に特化しているから。 ・ストレートニュースは、可能な限りワイヤーサービスに依存する傾向にある。米国のみならず、欧州、アジアなど、ほとんどの新聞がそうしたシステムを取っている。海外では、新聞記者と通信記者は、、カメラマンと記者くらい感覚の違う職業。 ・ニューョーク・タイムズは、33人の海外特派員(2000年当時)、すべての記者を合わせても300人ほどの人員で、連日、通常版で約100ページ、日曜版だと300ページを超える新聞を作ることが可能。 ・日本の新聞社。1990年代には、読売新聞で4000人、朝日新聞で3000人の記者を擁していた。確かに全国紙は、地方紙であるニューョーク・タイムズとは根本的に違うのだが、それでも多い。 ・理由は地方支局にも必ず記者を配している上に、個々の記者が通信社的な仕事までこなさなくてはならないから。だが、記事自体はストレートニュースばかりで、分析や批評記事を書ける記者は多くはない。したがって、新聞記事も朝刊で36ページ程度しかない。 ・米紙の新聞記事の一文はとにかく長い。 日本でいえば週刊誌のトップ記事の分量くらいはある。実際にその記事内容も文体も、日本の週刊誌に近い。リードに風景描写を持ってきたり、 プロローグ的に象徴的な寓話を挿入したりして始まることもある。本文に至るまでそれまでの経緯を長く書き込んでいる記事もあれば、いきなり会話文からスタートする記事もある。とにかく個々の記者がその個性を十分に発揮して自由なスタイルで書いている。 それゆえ、記事を読んだだけで誰の文章か読者が判別できるようになったり、さらに進んで特定の記者にファンがついたりすることもある。それがスター記者を生む土壌にもなっている。 だからこそ新聞記者は通信社的な仕事を敬遠するようになるのかもしれない。 締め切りのない米国の新聞 p.25 ・米国の新聞記事は締め切りがゆるい。 今日の夕刊まで、あすの朝刊までといったような絶対的な締め切りはない(そもそも夕刊はないが)。それは、ストレートニュースを通信社に委譲しているために可能なこと。 ・ニューヨークタイムズでは、政治部、経済部、社会部、運動部などというようなカテゴリー分けをされていないため、ひとりの記者が同時進行的にいくつもの取材を行うのが普通。 ・日本の記者は記事のみならず取材ですら、自分の分野以外の取材対象者には自由にアクセスできない。 政治部記者は経済の取材ができないというレベルではない。同じ政治部ですら、与党担当の記者は野党議員にインタビューできないというような状況。 野党議員へのインタビューをしたい場合は、野党担当記者に代役を頼むか、同席が必要となる。 あけましておめでとうございますm(_ _)m 年越しの瞬間は寝てましたな ・米国では取材の終わったものからどんどん入稿していく。 入稿した後にいつ記事化されるかは編集局しだい。 数日、場合によっては数週間、紙面掲載まで時間のかかることもある。 同じ記者の書いた政治記事とスポーツ記事が、同じ紙面に掲載されることもある。 ・個性を主張するゆえ、ジャーナリストといえども、自らの立場を明確にする記者が多い。 保守的かリベラルか、政府寄りか反権力か、いずれにしろ、その前提にあるのは、 客観報道など不可能だという考え方。 ・もちろんストレートニュースは客観的な事実に即して報道すべきだ、という考え方はある。 だが、分析や批評については、記者やジャーナリスト自身の主観が差し挟まれるのは当然という見方をしている。 それは、ジャーナリストといえどもしょせんは人間、人間ならば客観報道など不可能だ、という前提があるから。 ・日本の記者の多くはいまだに「客観報道」を標傍している。 この世の森羅万象の出来事を、また他人の言動や営みを客観的に報じることができるのならば、 それはもはや神の領域である。 事実を知りながら報道しない政治妃者 p.27 ・米国の新聞は、自らの支持する政党や候補者を社説などで事前に明確にする。 2008年、米国の新聞は、予備選の最中にそれぞれ支持する候補を明確にした。 ニューョーク・タイムズは、共和党はジョン・マケイン、民主党はヒラリー・クリントン。 2000年当時の大統領選も同様に全米各紙は、ジョージ・ブッシュとアル・ゴアが大統領の椅子を争った当時、 ニューョーク・タイムズはゴア支持を表明。 ・支持を社説で明確にするにあたって、各党、各候補者のマニフェストや政策、 実現可能性を取材などによって仔細に検討した上で、支持を決定する。 しかも支持を明確にするのは社説だけで、いくら支持であろうと通常の記事で、 その政党や候補者に対しての批判を取り下げるわけではない。 むしろ自ら支持した政党や候補だからこそ逆に厳しい目が注がれることもある。 担当した政治家が出世すれば自分も出世 p.29 ・政治部記者の中には「派閥記者」と呼ばれ、事実上、政治のプレイヤーになってしまっている者がいる。 なぜなら、彼らの出世もまた、担当した政治家の動向に大きく影響されることが多いから。 ・自民党のある政治家が派閥の中で力をつけて、仮にその後、 見事に首相の座を射止めたらその担当記者も同時に政治部内で出世する。 逆に、その政治家が失脚してしまえば、記者も会社での地位を失うことになる。 ・基本的にジャーナリストとして優れた記者は政治部では生き残りにくい。 なぜなら、取材をすればするほど、担当する政治家の不利な情報まで知ることになってしまうから。 仮に、そうして得た情報を読者や視聴者のために報じたらどうなるのだろうか。 おそらく、その政治家は失脚し、同時一に記者自身にも社内で同じような災難が降りかかることになる。 去年は1万8618円の赤字だった……マズイナ('A`)…… 甥っ子たちへのお年玉で1月から出費がすごいことになりそうだわぁ 国民ではなく権力側に寄り添う新聞 p.33 ・日本の新聞が、勝手に「高級紙」と思い込んで崇めているニューヨーク・タイムズでは、平気でスキャンダル報道を扱っている。 クリントン大統領とモニカ・ルインスキーとの関係を、1面トップで掲載したのもニューョーク・タイムズ。 ・ジャーナリズムはあらゆる権力から独立した立場であるべき。 ・新聞が、客観報道という隠れ蓑を利用して、自らの立場を明確にしないことが問題なのではない。 その実は偏向しているにもかかわらず、客観を装っているという点が問題。 客観を装った偏向報道ほど性質の悪いものはない。 記者たちが堂々とカンニング p.36 ・メモ合わせ……異なった会社の記者同士、その記録が正しいかどうか、お互いメモを見せ合うこと。 政治家の声が小さくて言葉が聞き取れない時や、渦中の政治家が重要な発言をした時などによく見られる光景。 ・番記者……特定の政治家だけを取材する記者。 一部週刊誌 p.41 ・記事中の引用にクレジット(引用先)を打たないのは、日本のメディアだけである。 ・宮崎県の東国原知事が自宅マンションに連日女性を泊めていると一部週刊誌が報じたことを問われ 「わたしの家は支援者、後援会、友人、知入いろんな方が出入りしている」と答弁。 もちろんこれは「一部週刊誌」という名の雑誌が報じたものではなく「週刊現代」の記事を指している。 ・事故から約2ヵ月が経過し、「週刊朝日」が発売されたその日、不思議な現象が起こった。新聞各紙が一斉にこの事故を報じたのである。 『美輪明宏さんが今年3月、東京都内で乗用車を運転中にオートバイと接触事故を起こしたとして、 警視庁が先月、業務上過失傷害と道交法違反の疑いで書類送検していたことがわかった』 このように日本の新聞が、共時に「わかった」として同じニュースを報じることは頻繁にある。 それまでは、予兆のかけらすらない事柄を、いきなり各紙揃って記事にするこの種のニュースの場合、その記事に「わかった」根拠が示されることはまずない。 ・ジャーナリズムの世界では、引用先を隠すのは決して許されない行為。 もし引用先を隠すとしたら、それは相当の理由がなければならない。 情報源が著しい不利益を被る、生命・身体の危機が及ぶといった理由。 しかし、すでに公になっている雑誌の情報を隠すのは、当然そのどれにも該当しない。 ・ニューョーク・タイムズは世界中から訴訟を受けている。当時では年間400件近い訴訟を抱えていた。 厳しい海外報道を繰り返しているため、途上国の政府などからも頻繁に裁判を起こされていた。 そうした伝統があるためか、日本のメディアのように裁判を恐れるということがない。 米国は訴訟が脅しになる日本社会とは根底から違う。 常に厳しくチェックされる米国の記者たち p.62 ・本社からは毎週、冊子が送られてきた。 ニューョーク・タイムズに掲載された一週間分のあらゆる記事について検証するもの。 良い例と悪い例に分けて示された記事は、良いものに対してはどの点がよかったのかを示し、 悪い記事についてはどこが悪いのかを、本社の検証の担当者が朱を入れて記者全員に送ってくる。 ・日本の新聞社では「新聞記者」と「企業経営」という、まったく別種の職業が1本のラインで結ばれている。 社内でジャーナリストとしての頂点を目指すとなれば、それは編集局長であるべきはず。 その先の企業経営に足を踏み入れるということは、ジャーナリストという職業を放棄することに他ならない。 ・ニューヨーク・タイムズではそもそも、記者が出世して経営に入るという考え自体が存在しない。 編集部門で働いた人物のゴールは編集局長であり、ジャーナリストとしてはフリーランスだったりすることが多い。 ・ピュリッッァー賞受賞者でもあった記者が、本社のプログラムに従って、編集部門を辞め、経営に参画すると場合、 一旦会社を辞め、経営学修士(MBA)を取得するためにビジネススクールに通い、 その後、再びニューョーク・タイムズに戻り、経営スタッフとして契約、初めてタイムズの企業経営に口を挟める権利を獲得した。 風邪ひいた インフルエンザかもしれないけど 予防接種受けていたからなのか軽度ですんだ 熱も37.2部までしか上がらずに住んだし 去年のクリスマスはひどかったから ゲロ四回吐いて夜間に病院行って ほとんど外出しないのに 帰ってきてから手洗いうがいもすぐしてたのに それでも風邪? インフルエンザ? になっちゃうとか怖すぎ('A`) 宮内庁による「申し合わせ」要請 p.71 ・皇室維持は国民の税金から拠出されている。 自らの資産運用で生活の大部分を賄っている英王室とはそこが大きく違うところ。 だからこそ、記者たちは、その税金の使途を知っておかなければならない。 ・EUは、日本の記者クラブは情報を寡占し、非関税の貿易保護政策に当たる閉鎖的な組織だとして、 毎年のように、「非難決議」を採択。 また日本外国特派員協会(FCCJ)も、30年以上前から再三にわたって相互主義に基づく、 記者クラブの開放を求めて抗議を続けている。 ・日本の新聞は欧米のメディアが「○○によって日本経済は打撃を被るだろう」と報じている……とよく危機を煽る。 ・ニューョーク・タイムズの、約30人の海外特派員は、米国では例外なくスター記者であり、 読者に対して強い影響力を持っている。 その記者たちが、訪日1年ほど前から、社費で日本語スクールに通い、 場合によっては日本文化を学ぶために留学もする。 ・首相官邸は、ニューョーク・タイムズの単独取材を了承した。 ところが、最後になって、小渕事務所の秘書がこう付け加えた。 「内閣記者会にはそちらから連絡し、了解を取ってほしい」。 日本で首相へのインタビューは、同業者の許可がいるらしいということを初めて知った。 ルールはルールということで、クリストフ氏は、日本の慣習に従って、内閣記者会へインタビュー許可申請を提出。 返答は、「記者クラブ会員でもなく、オブザーバーメンバーでもないニューョーク・タイムズの単独インタビューは 認められない。 インタビューをしたいのならば、記者クラブに登録申請をしてからにしてほしい」これが、 当時の記者クラブ幹事社からの正式な回答だった。 ハワード・フレンチ支局長の驚き p.97 ・米国では特派員といえども、通勤は公共交通機関。 ・日本では一部の記者たちはハイヤーで取材をする。 日本では「夜討ち朝駆け」という取材方法があり、政治部記者であるならば、大抵、取材先にはハイヤーで向かう。 ・あんなことで本当の取材ができるのか? あれでは一般市民の目線から乖離してしまうのではないか。 政治家や経営者と同じ視線に立ってしまって、一体どんな記事が書けるというのか。 ・日本にいる海外メディアの記者たちは、電車やバスで移動して、 その間に市井の人々と話したり、街の広告から情報を得たりと、一般の人と同じ目線で動き、考え、 取材活動に活かしている。 ・レビオ ・ラフェルサ口内炎軟膏 効果なし 気休めにもならない メディア界のアパルトヘイト p.102 ・日本外国特派員協会(FCCJ)メンバーたちの間では、もう30年以上にもわたって同じテーマでの論争が続いている。 それは、日本のメディアの記者たちを、FCCJ主催の記者会見に出席させるべきか否かという課題だ。 ジャーナリストの取材源へのアクセス権が保障されるのは、万国共通の常識である。 当然ながらFCCJも、記者会見には誰でも参加できる権利を有していると考えている。 ところが、世界中で日本だけは事情が異なる。結局、そのたびに、FCCJはいかなる人物に対しても、 その取材の自由を奪う権利は所持しない、という結論を出すことになる。 ・FCCJが日本人記者の参加を許すのは、結局、彼らと同じレベルに立つのは建設的ではない、という一点に尽きる。 世界のフリープレスの原則すら守れない日本人記者(記者クラブ所属)は、 実は有楽町では、軽蔑のまなざしで見られ続けている。 ・こうした声も知らずに、今日もまた、日本のマスコミの面々は我が物顔でFCCJを訪れている。 カメラの前を横切ったメンバーたちを脱みつける日本人写真家。 長身の外国人記者に対して、撮影に邪魔だからと身をかがめさせた上、 その記者が我慢できずに背筋を伸ばした瞬間、ちょうどシャッターチャンスだったのだろう、 怒鳴りつけたテレビクルーもいた。 また、世界的にはまったく無意味な質問を繰り出して、満足げに社に戻っていった記者もいれば、 質問の順番が回ってこないで司会者に悪態をつく日本人記者もいた。 ・日本人記者たちは知らないのではないか。 FCCJは、会員の年会費や寄付、さらにはボランティアスタッフによって運営されていることを。 ・記者クラブに対しては、海外のメディアよりもさらに立場の弱いのが日本人のフリーランス・ジャーナリスト。 フリーランスが、内閣記者会主催の記者会見に出席するなどということは、 今の日本にあって至難の業。 むしろ外国人記者が参加するハードルのほうがずっと低いくらい。 ・一部の海外メディアは、オブザーバーという形で記者クラブ主催の記者会見への出席が認められている。 だが重要な会見になると、外国人記者証では入れない、あるいは日本人記者とは別の記者会見のみ出席できる ということがたびたび続いていた。 ・また、仮に記者クラブに入会できたとしても、そのメンバーであることを維持できるのは、 通信社など人員的に余裕のあるメディアに限られた。 なぜなら内閣記者会はスタッフの常駐を条件として求めてきたから。 そのため、ロイター、AP、ブルームバーグなどの通信社以外の海外の報道機関は、 いまだ以前と同じように記者クラブの外からテレビやインターネット放送などで会見を傍聴するのみなのである。 ・実は記者クラブが現在まで続いてきたのには、非記者クラブのジャーナリストたちにも責任の一端がある。 フリーランスや雑誌記者の記事といえども、実はそうした記者クラブメディアの情報によって 成り立っている部分が少なからずある。 雑誌の政治記事の多くは彼らの未使用の情報、換言すれば、「お零れ」にあずかっているのは事実である。 ・評論家の立花隆が「田中金脈追及」を『文蕊春秋』誌で大々的に行えたのも、実は記者クラブがあったからこそ。 仮に、記者クラブ制度がなかったら、とうの昔にその件は記事化されていただろう。 田中角栄にまつわる情報の多くも、実は記者クラブ所属の新聞記者などから寄せられたデータ原稿や 発行済みの新聞記事に多く含まれ、まったく立花氏だけで純粋に情報を集めたものではなかった。 会社員かジャーナリストか p.115 ・米国のメディアで働く者は、報道機関の社員である前に、ひとりのジャーナリストであるという考え方が強い。 そのため、自らの信じるところと会社の方針が異なった場合は遠慮なく衝突している。 自らの意見を述べ、心ゆくまで論争し、上司に食らいつく。その上で、自らを納得させて会社に残 るか、あるいは納得できずに別の道を歩むことになるかという選択を行うだけの話である。 こうしたことはごく当たり前に起こっている。 ・本田氏の武勇談として、たびたび自らの著作でも触れているのが「読売新聞に抗議して辞職した」という「勲章」。 自らの辞職理由をネタにすることだけはどうだろうか。 それは海外では決してジャーナリズムの仕事にはならない。 それは日本だけで通用する愚痴の一種。 ・そんなことがネタになるのならば、メディアを移籍することが当然の世界のジャーナリストたちの著作は、 そうした「勲章」だらけになってしまう。 実際は、そうした内容のものを書いたとしてもまったく評価の対象とはならない。 それはエッセイとして書かれなければならない。 業務スーパー行ってきたけど別にそんな安くなかった……('A`) 業務スーパーで買ってきたグリーンカレー臭い グリーンカレーってこんな臭いすんのか 匂いきつかった、でもデリシャスだった(・´з`・) おいしかったけど缶詰の絵柄では鶏肉が写ってるのに お肉入ってなかったよ、これは詐欺 野菜だけだった あと食べてる途中で基幹に入って死ぬかと思った 辛いものが基幹に入るとシャレにならんね ノド痛すぎ ヒートテックやっぱあったかい。 掛け布団をコインランドリーで洗ってみようかな かなり怖いけど 自宅で洗ってランドリーで乾燥かな やってみよう コインランドリーで布団丸洗いしてきたんだけど 乾燥機能が想像より弱くて400円もかかっちゃった それもカラッカラって感じに乾いたわけじゃないし 布団と一緒に枕もランドリーの中に放り込んだんだけど こっちはちゃんと(^q^)ヨダレのあとも消えてふかふかになった 数ヶ月に一度の頻度で布団丸洗いしようかな 洗濯は家でして、乾燥だけランドリー 夏は自然乾燥で乾くから春秋冬に p.118 ・批判はいい。ただ侮辱はするな。 ・記者室の光熱費、通信費、スペース使用料を都道府県が支払っているという事実が公表された。 これ以降、日本中の記者クラブは無料だったスペース使用料や光熱費を払うようになった。 90年代までそんな簡単なことすらできていなかった。 秘書経験のせいで不採用 p.124 ・日本の新聞は色を嫌う。どちらかといえば、即戦力よりも無色透明な人材を求める傾向にある。 最近になってようやく中途採用の数も増やしたようだが、それでも同業他社からの転職組が圧倒的に多く、他 業種からの採用はまだまだ稀。 ・コネで入社したとしても、それは誇るべきことではなく、恥ずべきこと。 ・米国のメディアにはほとんど新卒がいない。ある記者はNASAに関係している会社から、 ある記者はアフリカ専門の大学教授だった。また別の記者は、銀行から引き抜かれている。 みんなそれぞれ専門分野があるからこそ詳しい記事が書ける。 それぞれの業界のスペシャリストが集まれば、少なくとも大学を卒業したばかりの記者よりは、 情報を集めることは容易い。 人脈もあれば、社会経験もあるので、即戦力になり得る。 ・ジャーナリストとしての訓練は、引用には「クレジット」を打つとか、基本中の基本は日々の仕事の中で体得できる。 日本では記者訓練がどうのこうのと言うが、元々はわからないことがいっぱいあるからこそ、 ジャーナリストをやっているわけだ。取材をしているのも無知だからこそそうしている。 「ジャーナリスト」というと、すべて知っている優秀な人物という歪んだ認識があるのは日本だけ。 自ら名乗って配事の責任を負う p.133 ・米国ではジャーナリストが新聞社で働く場合、「契約」に基づいて労働条件が決められる。 球団と選手との契約に似ている。 ・タイムズやポストの看板を背負わずとも、自分の署名だけで勝負できるようなジャーナリストになる、 それが究極の目標。 そのためには、自らの仕事をまとめ、形にする必要がある。 本の執筆はそうした意味でジャーナリストにとっては極めて重要。 ・米国にも匿名記事はある。だがそれは、通信社の配信などストレートニュースに限られることが多い。 さらに原則として、ジャーナリストの場合、ペンネームも許されない。 相手を本名で晒す以上、自らも本名で勝負するというのが健全なジャーナリストたちの考え方。 ・例外的に、独裁国家や戦地に赴き、自らの正体を明かすことがすなわち生命の危機に繋がる可能性のある場合などは 除外される。それでもそうしたジャーナリストが書いた記事の署名欄には、 匿名にしなくてはならない理由が書き込まれ、読者への説明責任を果たそうとしている。 誰によって書かれたかが重要 p.139 ・日本の新聞社は、米国であったら通信社として扱われる。 ・署名制度といっても、米紙にも新聞ごとのルールがある。 ニューヨーク・タイムズは、記事本文の前に執筆者のバイライン(署名)を、原則1名分だけ掲載する。 複数名のバイラインが入ることもあるが、それは例外的で、さらに協力者の名前を載せることはもっと例外的。 ワシントン・ポストは、取材にかかわった記者の名前を全員載せる傾向にある。 ときに本文の終わりに、ずらっと記者の氏名が並ぶことがある。 ・海外のプロガーたちの多くは本名も、顔写真も、経歴も出していることが多い。 ところが、日本は圧倒的に匿名のプログが幅を利かせている。 やはり、氏名などを出して正体を明かしたほうが、人間、その匿名性に隠れるよりもより慎重であるべきだ という意識が働く。 誰しもが少なからず持っている自己顕示欲によって、自らをよく見せたいという気持ちは必ず発生する。 それがまた自制心に繋がり、相手に対する言葉遣いにも影響が出る。 ・ニューョーク・タイムズでは、原稿を入稿した後、編集主幹などの上司のチェックが入る。 ここまでは日本と同じである。 ところがここからが違う。 仮に、当該記事に明白な事実関係の間違いがあったとしても、上司は、 原則としてその原稿に手を入れることはできない。 修正すべき箇所を記者に知らせ、アドバイスできるのみ。 直すか直さないかは記事を書いた記者本人だけが最終判断を下せる。 ・ちなみに文章の削除だけは編集局の権限で行うことができる。 ただしそれにもルールがあり、後ろのパラグラフから順に削除していく。 だから、記者たちは削られたくない重要な文を、記事の先頭に書くことが多い。 ・仮に、記者がアドバイスを受け入れず、間違いのまま記事掲載となったとしたらどうなるか? すべては、署名記事を書いた記者の責任となり、その記者自らが責任の取り方を考えればいいだけの話。 訂正記事を出すか、突っぱねるか、あるいはクビになるかもしれないし、 自らその新聞社を去ることになるかもしれない。 ・署名である以上、一度の失敗が永遠にキャリアを汚すことにもなる。 だからこそひとつひとつの記事に対して真剣にならざるを得えない。 ・自ら言論の場での論争を放棄して、司法という権力に判定を委ねることは、 反権力を標傍してきた「ジャーナリスト」にとって自殺行為に他ならない。 日本には論争を避けるべきではない職業にありながら、自身が論争の対象となると、 途端に大騒ぎする「ジャーナリスト」や記者が多すぎる。 公人と準公人 p.151 ・最終的なジャーナリストとしての仕事は「権力の監視」だという認識から、 批判は「公人」及び「準公人」に限る。 「公人」の基準は……税金で生活する者、もしくは収入の一部でも税金から得ている者としている。 「準公人」とは……これは筆者独自の基準だが、反論手段を持っている者、 つまり、やろうと思えば記者会見を開いて反論する機会を持つ大企業の経営者や組織のトップ、 あるいは何らかの媒体を持つメディアの人間。 ・ブログについて、それが反論手段かという点については疑問の余地が残る。 確かにプログは強力な武器にもなり得るが、アクセス数などで大きく個人差があり、 よほどのスーパーブログではない限り「準公人」の基準を満たすとは考えにくい。 ・不満があれば、反論すればいい。 そうした論争は、結果として、ジャーナリズム全体を活性化させ、 取材や調査もせずに感覚だけで適当なことを話している評論家やコメンテーターの一群から一線を画し、 結果としてそうした「人種」を駆逐する役割を果たす。 ・日本での「キャスター」は海外ではまったく通用しない概念。 「キャスター」「アンカーパーソン」は編集全般への責任を持つ者のみが許される肩書き。 資格としては相応の取材経験、編集経験が求められる。 単に番組を進行するだけの日本のアナウンサーや司会者は、 海外では「キャスター」「アンカーパーソン」とは呼ばれない。 ・海外ではメディア同士が名指しで意見を戦わせることは珍しいことではない。 現に新聞では「オプ=エド(反対論説)」というページがあり、 連日、記者やジャーナリスト同士の批判合戦が繰り広げられている。 ニューョーク・タイムズのオブ=エド欄には、連日保守論壇の重鎮が寄稿し、 リベラルなニューョーク・タイムズの報道姿勢や過去記事に対して容赦ない批判を加えている。 これはニューヨーク・タイムズの紙面に掲載されているのだ。 同じような記事しか生まれないわけ p.166 ・同じような学生ばかりを採ることになるから、結局は、同じ思考回路を持った偏った人種で組織が構成されてしまう。 政治家もまた同様の傾向にあるため、政治部報道は、ごく一部のそうしたエリート層の論理によって、 作られ、報じられているということはいえないだろうか。 ・日本以上に学歴偏重社会の米国だから、アイビーリーグ出身の記者は少なくない。 だからといって日本のように同窓生同士でつるむということもない。 そもそもどこの大学出身なのかということをきく文化はない。 ・学生よりもキャリアを積んだ社会人を採用するのは当然。 仲間はずれがいちばん怖い p.170 ・日本の政治記者たちは、それほど必要性のないこれらの外遊の場合でも、なぜか、 同行取材をすべきかどうか真剣に悩んでいる。 明らかにセレモニーだけの日程や日本の外交上ほとんど意味をなさないものだとしても、 記者たちは「行く必要がない」という決断ができない。 ・彼らにとっては何を取材するかは重要ではない。 重要なのは、他の記者が取材に行くかどうか。 つまり、単に仲間はずれにならないかどうか気を遣っているに過ぎない。 ・海外の記者ならば、他の記者が取材していたら、自らはそれを避けるだろう。 他社と同じ情報、同じ記事、同じ映像をいくら並べようとまったく評価はされない。 他社と違う切り口、異なったものの見方を提示してこそ、 初めて一人前のジャーナリストとしての存在価値が認められる。 ・記者クラブ制度の現実に疑問を持つような記者たちは、とうの昔に会社を去っているか、 あるいは反発して地方に飛ばされているか、いずれにしろ出世街道に残っていることは皆無である。 ・記者は、政治家との人間関係を気にするよりも、読者や視聴者との契約関係を気にするのが筋。 ・ホワイトハウスにもクラブはあるが、それは単なる親睦団体。 ・権力側が主催した記者会見、たとえばホワイトハウスなら大統領府だが、 そこから「出入り禁止」にされるのは一向に構わない。 なぜならそれは、アクセスを禁じた権力それ自体からのメッセージとなるから。 だが日本は違う。 記者クラブが「出入り禁止」を決定することで、権力側は責任を問われることのない安全地帯に逃げ込める。 知事主催の火曜会見 p.182 ・米国では、権力側が、たとえば、大統領会見などに出席するジャーナリストを選別できる。 逆に、ジャーナリストからしてみれば、どこの組織に所属しようが、フリーランスになろうが、 ホワイトハウスの記者証(プレスカード)さえ持っていれば いつでも大統領への取材のアクセス権利を持っているということになる。 ・プレスカードは、外国人であるフリーランスの記者が行っても申請できる。 まずホワイトハウスの担当者は、申請者ひとりひとりについて、 この人物は本当にジャーナリストとして活動しているか、 あるいはまた過去にテロにかかわったりしていないかなどの経験をくまなく調べる。 ここでOKだったら、プレスカードは発行される。 ・同時多発テロ以降、申請から承認、発行までの期間が少し延びているが、 それでも1年かかるようなことはない。 そして一度カードが発行されれば、次回の申請は比較的容易で、それまではいつでも記者会見に参加できる。 ただし、長い間、記者会見などに顔を出さないと突然無効にされることもある。 ・日本の場合は違う。たとえば東京都。 都庁では知事ではなく、都庁記者クラブが知事会見を主催している。 基本的には記者クラブメンバー以外は、出席できたとしても質問すらできないオブザーバー参加に限られる。 あるのは面子と評価のみ p.186 ・ここ数年、一部の記者クラブが、オブザーバーという形での外部ジャーナリストの参加を認め始めている。 だが、それらはあくまでも、批判を回避するための弥縫策に過ぎない。 質問ができないのならば、そもそも記者会見に行く意味がない。 都庁広報の行っているオンライン中継を見ていれば済む話である。 ・筆者は、記者クラブが廃止されることを望んでいるわけではない。 単に普通に開放されればいいと考えているだけである。 アフガニスタン・ルール p.192 ・ピュリッッァー賞は、ニューョーク・タイムズの頭上にもっとも多く輝いている。 それには理由がないわけではない。 ピュリッッァー賞選考委員会の多くはタイムズ出身者で占められてきた。 タイムズは、評価を定める側にも人員を多く輩出している。 ふたつの記事 p.195 ・1980年頃、ニューョーク・タイムズとコロンビア大学では論争が発生。 1979年からのアフガニスタン戦争で、多くの記者が現地入りし、 アフガン政府や反政府軍の内部情報を記事にしていた。 一方で同年、ニューョークのある消防署の不正経費支出疑惑を追及する一連の記事は、 市民の反応は大きく、取材先からは大きな反発があり、訴訟も含めた激しい応酬が当局との間で発生。 ・このふたつの記事については、タイムズ内でもどちらが優れているかと話題になった。 メディア界では、アフガニスタンの記事のほうが圧倒的に高い評価を受けた。 ところが、ニューヨーク市民の関心はそれほどでもない。むしろ、読者からは消防署の記事のほうがずっと人気があった。 タイムズ編集部は次のような結論を導く。 ・アフガニスタンの記事は確かに優れてはいる。 だが、おそらくアフガニスタン当地では誰も読んでいないだろう。 アフガンでは英語を理解する人々は確かにいるが、それはごく一部の限られたエリート層であり、 そもそもそうした政府要人たちはみな戦闘中である。 自国の新聞はおろか、米国の地方紙であるニューヨーク・タイムズを手に入れて目を通す暇などない。 当然ながら、タイムズに対する反発は皆無であり、検証も不可能。 ・ところが消防署の記事は違う。 多くの読者や当事者たちが共通認識でもって記事の細部まで読んでいる。 当然、わずかなミスに対しても多くの反論が寄せられ、毎回さまざまな論争の材料を提供し続けた。 確かに世界的な影響はなかったかもしれないが、現在進行形の身近な現象を切り取ることの困難さと 重要性を知らせるに十分な記事だった。 ・こうしてタイムズ内ではアフガニスタン・ルールという次のような評価基準が定まる。 遠い外国の政府の記事は言語の違いなどから反論されにくく、また検証も困難なため、厳しい論調で書かれやすい。 同じ理屈で、過去の出来事は現在進行形のものよりも、すでに情報源行地から遠く離れれば離れるほど、 関心も薄まり、検証も難しくなるため自由な筆致で書かれやすい。 ・これらの現象から、最終的な編集権を持つニューヨーク本社から離れれば離れるほど、 比較的取材は易く、取材対象に対しても厳しい記事になる傾向がある。 ・逆に言えば、アフガニスタン・ルールとは、取材対象が新聞発行地に近ければ近いほど、 取材や記事執筆に困難が伴うということ。 ・日本では、ロシアやアフガニスタンなどの海外の事象をテーマにした記事が尊ばれたり、 半世紀も昔の話をテーマにした記事が重宝がられたりしている。 批判精神の欠如した日本独自の「スポーツジャーナリズム」に流れるのも同様な精神の表れ。 地元に新しい道路が開通したんだけど交差点に信号機ないから危な杉 そのうち設置するんだろうか ずっと信号ないままだったらそのうち事故起きるだろうな 木曜日75cc 金曜日40cc 土曜日90cc 日曜日100cc 月曜日50cc 火曜日75cc 水曜日50cc 木曜日75cc 平均70cc ・とりわけ、自身の体験談を書くエッセイを高く評価する昨今の傾向は、 ジャーナリズムの自殺行為ともいうべきものである。 自身の特異な体験を作品にするのはどこの国でもある。 ただしそれは、エッセイと称して、ジャーナリズムとは明確に峻別されている。 ピュリッッァー賞でもそうした部門はジャーナリズムとは別に設けられている。 現在を切り取ることこそ本来の仕事 p.199 ・不断に国内の事象を、自らの取材によって描くというジャーナリズム本来の仕事をしている記者たちへの評価は低い。 もっとも反発の強い現政権への批判記事などは安っぽいとして片付けられる。 ・全世界的に使用される言語で、比較的検証が容易い英語。 それと比して、世界の国々の中でほとんど誰も使わないのが日本語で、 その言語で書かれた新聞記事や著書は検証される機会がない。 ・日本のジャーナリズムは、関係者のほとんどが死んでしまった過去の記事や作品を高く評価する傾向にある。 ・海外では、現在を切り取ることこそジャーナリズム本来の仕事という認識がある。 過去の分析は学者の仕事、専門家、研究者に任せればいい。 そもそも、死んでしまった人間が情報源となるような記事を書いて、一体どうやって検証するというのだろうか。 ・ジャーナリストの仕事は、究極的には権力監視であり、現在を切り取る作業。 それによって、同時代に生きる国民に、権力内部で起きている不正や真実を知らせることが初めて可能になる。 だが、こうした仕事は軽視され、憧れの遠い異国を取り上げた検証不能な記事を、 何の疑問を抱くこともなく喜んで受け入れている。 訂正欄で原因まで徹底的に検証 p.203 ・1970年代以降、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストは「訂正欄」を確立。 訂正欄は、日本の新聞の小さなそれと違って、毎日約1ページにもわたって、 過去の記事の誤報について仔細に検証するスタイル。 どの記事が間違いであったかを提示し、正しい情報を読者に知らせる。 なぜ間違いを犯したのか、原因はどこにあったのか。 ・たとえば政府が故意に虚偽の情報を流していたという類のものであるならば、 新事実を改めて掲載した上で訂正欄に記す。 そのため、1日何件という「訂正」がコレクション欄を埋めることになる。 ときには別の一面を使って誤報を検証することもある。 ニューヨークタイムズのイラク報道検証 p.204 ・大量破壊兵器が発見されず、どうやらイラク戦争の大義はなかったのだとわかった時、 ニューヨーク・タイムズは1面トップで、自らの過ちを宣言し、検証キャンペーンを始めることを告知した。 検証チームを立ち上げ、結果として誤報を書いた記者や当時の編集局長へのインタビューも掲載した。 ・米国の新聞は間違えすぎ。確かにそういった面も否定できない。 確かに、日本のメディアのほうがウラ取り作業は丁寧だと感じたことが多々ある。 タイムズでは、一般記事でのコメントは基本的にそのまま掲載する。 だからコメントが間違っていても、チェックできないことが多い。 これには理由がある。 コメントの「カギ括弧」の中は、発言者の了解を得ずして勝手に手を入れてはいけないというルールがあるため。 だから、明らかに事実関係が間違っていても、そのまま使用し、地の文で事実関係を補うのである。 だが、それにしても、訂正の多さは目に余る。 百均の千切りピーラーめっちゃキャベツが飛び散る(;´Д`) エピローグ p.223 ・2008年、横浜で開催された、第4回アフリカ開発会議。 ・フリーランスは、モニタリングルームに閉じ込められ、会議を取材できないばかりか、 アフリカの首脳たちと接触する機会すらない。 遥か遠くからやってきたアフリカのジャーナリストたちは、モニタリングルームに閉じ込められ、 見たくもない森喜朗議長代理の顔や、聞きたくもない他国の首脳の演説ばかりを見せつけられていた。 ・あらかじめ質問者を決めておくこうしたスタイルは、記者クラブの会見では「常識」。 質問は各社持ち回り、20分前に内容を打ち合わせ。 その時に総理秘書官の一人が立ち会い、「その質問には総理は答えられないでしょう」などと助言する。 総理がやってくるとまず秘書官と答えをすり合わせ、会見開始。 質問して総理が2回はぐらかしたら、次の質問に移るのが慣例。 総理が『以上です』と言えば、皆で礼をしておしまい。 ・1993年、スーダンを大飢鍾が襲っていた。悲惨な現状を世界に伝えるため、多くのジャーナリストが現地入りしていた。 その中には、カメラマン、ケビン・カーター氏の姿もあった。 同年、ニューョーク・タイムズは一面トップにカーターのその写真「ハゲワシと少女」を掲載。 この写真を機にスーダンへの支援を表明するボランティアが次々と現れた。 また、タイムズには寄付が集まった。 だが、そうした声の中には、なぜ少女を助けなかったのかという批判も少なからず含まれていた。 翌1994年、この写真がピュリッッアー賞を取ると、論争が再燃。 なぜ、その場で少女を助けなかったのかという問題提起は、最終的には「報道か、人命か」という大テーマに発展。 ピュリッッァー賞受賞式の1カ月後、カーターが自殺し、少なくともジャーナリズムの世界ではこの論争に終止符が打たれた。 結論は次のようなもの。 ・ひとりの少女の生命を救うことで、同じ境遇のさらに多くの子どもたちの生命が危機に晒される可能性がある。 それを避けるためにも、ジャーナリストは対象(被写体)に触れるべきではない。 カーターが写真を撮ったからこそ、アフリカへの関心が高まり、多くの子どもたちが救われた。 取材現場にいて、そうした自制心を常に働かせることは容易いことではない。 だが、取材対象とのそうした距離感を保つことこそ、ジャーナリストに求められていることではないだろうか。 ・新聞記者は権力と寄り添うべきではないし、かと言って、敢えて敵対する必要もない。 ただ、事実だと信じるところを、政治家のためにではなく、読者や視聴者のために報じればいいだけの話。 結局ジャーナリストは政治家とは友人にはなれない。 それは職業上、当然といえば当然のこと。 終わり ジャーナリズムの思想 原寿雄 1997年発行 ・事実の報道も論評も、現実に対する批判性がなければジャーナリズムとしての機能を果たしえない。 ・日々の報道や論評がどうしてこういう形で生まれてくるのか、何がどうして取り上げられないのか。 ジャーナリズムはテーマの選択から視点、表現、取扱いの大きさまで、 すべて主観的判断による選択作業なのに、その選択の基準になるジャーナリストの価値観を問題にすることなく、 表面的な流れを批判していても核心に迫ることはできない。 ・ジャーナリストが、民主主義の政府は民衆が選挙で選んだのだから野党性を旗印にするのは時代遅れだといって、 権力を監視すべき番犬が眠りこけていたのでは、ジャーナリズムは民衆から見放される。 第1章 ジャーナリズムの倫理観 p.2 ・他を批判するジャーナリストの倫理は、社会の最高水準のものでなければならないこと、 同時にジャーナリストの倫理は、しばしば市民モラルと衝突する面があってもやむをえない、 という二つの点。 ・他人の非を摘発する警察官や検事をはじめ医者も弁護士も、 それぞれの職業倫理として「世間の良識プラス・アルファ」の厳しい倫理を求められる。 ジャーナリズムの世界もまた、職業上の倫理がなければおかしい。 ・アメリカには、贈り物、招待旅行など「値打ちのあるものは何も受けてはならない」と、 細かい注意書きまでした職業ジャーナリスト協会の倫理綱領もあり、 企業と離れた独立の綱領となっている。 ・日本でも企業ごとの細かい基準作りは広まっているが、 個人としての放送人共通の職業倫理という考え方とは違う。 日本には、一人一人の新聞人や放送人が企業を越えて依拠すべき、 ジャーナリストとしての職業倫理基準はないに等しい。 そのため企業の論理が個人の倫理観より優先しがちになる。 ・ジャーナリズムによる批判の自由は、法律で具体的に保障されている。 記事や番組の内容が問題化したときでも、公共性のある問題で、 公益をはかる目的があり、真実であると認められる場合には、刑法の名誉殴損から免責される。 判例では、真実と認められない場合でも、きちんとした取材の上で真実と信じる相当の理由が 報道陣にあると認められれば、民事・刑事とも名誉段損の責任は問われない。 社会に対するジャーナリズムの批判的活動は、そこまで期待されている。 ・言論・報道は、何らかの形で公共性のある事柄を対象とする。 全くの私事は本来、対象になるべきものではない。 「のぞき」はジャーナリズムではない。 そして公共性のあるテーマでは、批判性こそジャーナリズムの存在価値である。 各界で、ジャーナリストの存在が時に煙たがられるのは、ジャーナリストにとって決して不名誉なことではない。 そういう他を批判する者が、みずからも一段と厳しく律することを求められるのは当然である。 ・「平和より戦争、秩序より混乱、日常性より異常性」が選ばれ、明るい話はニュースになりにくい。 当事者にとっても社会にとっても不幸なニュースほど歓迎されやすいのが今の新聞・放送界の実情。 人間としての倫理的自覚がよほどしっかりしていないと、倒錯を起こしかねない。 楽天カード申し込んだ 不二家でケーキ買ったんだけど 俺が入店した途端奥から店員が出てきて 商品決めるまでずっと目の前で待機 客俺しかいないのに あれやめて! 公共性と商業性 p.8 ・私企業である新聞に比べると、公共の電波を使う免許制の放送のほうが いっそう厳しい倫理を要請される。 さらにテレビは、即時性や映像と音による衝撃度など、 そのメディア特性からくる社会的影響力の大きさを考えると、一段と高い倫理水準を求められる。 ・また公共放送であるNHKの場合は、私企業の民放に比べてより公共性が強く 倫理基準も一段と厳しくて当然。 ・日本のマスメディアは、NHKや共同通信、徳島新聞を除いて、ほとんどが株式会社である。 メーカーや商社など一般の企業と全く同じような営利主義ではないとしても 資本の法則から逃れることはできない。 それなりの利益追求努力なしに経営は成り立たないから、 ニュース競争、視聴率競争をはじめ、広告獲得、販売拡張の戦いも激しい。 ・こうして、企業としての商業性とジャーナリズムの公共性とが対立するとき、 公共性を担保する職業意識が弱ければ、ずるずると商業主義的な偏向を許すことになる。 ・公共性を上位に置こうと努力。 ・憲法第二一条は言論・報道の自由を優越的に保障しているが、 ここで特別に保障されているのは、公共性の高い「ジャーナリズムの自由」であって、 メディアの「営業の自由」ではない p.18 ・冷酷な記録者としての選択をした場合、その意義は歴史に向かって主張できることであっても、 そのときの良識的な社会規範からは責められる。 どんな場合にも冷酷に記録者のポジションを守ってファインダーをのぞき続ける、 そういう人間の存在価値を社会がいつも受け入れるとは限らない。 それをしも、やむをえないと言い切るだけの厳しいジャーナリスト・スピリッッが、 日常的に脈々と読者・視聴者に伝わるような活動を積み上げているかどうか。 その実績なしに、世論に向かって反論・説得するのはむずかしい。 ふだん「商売のためにやっている」「功名心で衝撃的な特ダネを狙っているに過ぎない」と 人びとが理解する程度の報道活動では、ジャーナリストに対する社会の深い信頼は生まれない。 テロへの対処 ユナボマーと大使公邸ゲリラ p.19 ・テロリズムとの関係についても、人道主義の良識だけではすまない場面にジャーナリズムは遭遇する。 95年、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストは、テロ犯の要求を受け入れて 「産業社会とその将来」と題する論文を全文掲載した。 「ユナボマー」と呼ばれたテロ犯は、それまでの17年間に小包爆弾で26人の死傷者を出し、 95年、この論文を両紙のどちらかが全文掲載すれば犯行をやめる、と脅迫。 ジャーナリズムの自由か人命優先かの岐路に立ち、結局、両紙は捜査当局の強い要請を受け入れる形で掲載に踏み切った。 この対応について、米新聞界は支持と批判に分れたが、 批判論は何よりも連鎖反応によるメディアジャックの続出を恐れた。 「テロの圧力で編集の自由が奪われたらジャーナリズムたりえなくなる。 人命第一主義ではテロ犯の思うつぼにはまってしまう。 毅然として拒否することが長い目で見て社会の利益になる」という考え方である。 しかし、もし拒否してテロによる殺傷事件が起きたら、世論は両紙を非難するに違いない。 本来、テロの犯行はメディアが責任を負わされるべき性質のものではないはずなのに、 この場合、米社会の常識が二つの新聞を免責にしてくれる見込みはほとんどない。 楽天カード届いたのでさっそく使ってみたんだけどこれ超便利 勝手にポイントも貯まっていくし もっと早く作ればよかった またベッド新しくこうた 樹脂製折りたたみすのこベッド 気持よく眠れる 高かったよ 押入れの積まれてる布団の間に手を入れると 気持ちいいし落ちつける 低脂肪牛乳おいしくない もう買わない 8個入りとあんま変わらない値段で10個入りの冷凍焼きおにぎりが売ってたので そっち買ったんだけど一個が小さかった…… 騙された……('A`)…… まあでも総重量的に考えたらお得なのかな なのだろう そうに違いない 初めてkindle版の本買ってみた うんこにコーンが混じってるのを初めて見た 噂には聞いてたけど実際に目にするのは初めてだった なんか軽く感動 気まぐれで長ネギをペットボトルで育て始めたらグングン伸びて面白い ネギが伸びる伸びる 大きめのペットボトルに入れ替えた 日光と水でここまで育つとは なんか食べたものより出ていくうんこの量のほうが多い気がする、夏 さすがにfirefox限界か…… Chromeに乗り換えよう メンドクサ('A`) ダメだ…… あまりにもメンドクサすぎる ヤメヤメ('A`)ノシ ネギ育てるの秋田 なので今度はえのきをペットボトルで育て始めた が、よくよく見るとえのきの集団の断面図がちょっとアレだったのでえのきは捨てた トースターがぶっ壊れた Amazonで調べたら評判が星ひとつの商品だった 俺は不便を感じたことはなかったが http://ecx.images-amazon.com/images/I/411e1f2ETNL._SY300_.jpg これこうた 缶コーヒー毎日一缶飲むんだけど 砂糖の量が気になる年になったのでこれをこうた 工場の機械みたいな音が出てワロタ かなり大げさな音がする 味はスタンダードな豆でとりあえず作ってみたんだけど うーん('A`)……缶コーヒーの方がおいしいかな 今のマメ使いきったら他の豆もとりあえず試して見ようとは思ってるけど ちょっと期待はずれ http://www.onoman.co.jp/02otukuri/s-02/ikashiokara2_s.jpg しょっぱさ抑え目のこの塩辛がちょうどいい 以前にも一本造り何回も食べてたんだけど 特別意識することなかった でもスーパーで色んな塩辛食べてみるとしょっぱすぎるものが多かったので この塩辛がちょうどいい なくなったらまた買おう ・ジャーナリズムは報道すべき対象について、常に直接取材を原則とする。 ジャーナリストが事件の現場に行き、その目で状況を確かめ、関係者にインタビューして話を聞くのは、 真実追求に不可欠の条件。 ・映像のすばらしさは、新聞など活字の比ではない。 そのためにテレビは映像に寄りかかり過ぎて「絵」に偏向する。 重要でも絵にならないものはニュースとして敬遠される。 何も起きない平和はニュースではなく、破壊や雑酬の戦争がニュースになる点は新聞も同じだが、 映像を主体とするテレビのほうがその傾向は強い。 議会の議論より、院内座り込みや与野党衝突のほうを映像にしやすい。 血友病のHIV薬害問題でも、次々と400人の死者を出しながら、なかなか大きな社会問題にはならなかった。 患者たちが、厚生省前で命がけの座り込みデモによるアピールをしたのが全国に伝えられ、 その後の運動に弾みをつけた。 新聞も大きく伝えたが、テレビでより強い感銘を受けた人たちが多い。 こうして社会にアピールするためには、議論より行動を必要と考える傾向が強まるのは避けられない。 テレビ時代は言論より事件・イベント創出の時代になりやすい。 ・個は描けるけれども全体に描けない。 特殊は描けるとれども普通は描けない。 具象に描けるけれども抽象は描けない。 これを描けるのは、言葉だけ。 ・91年の火砕流で亡くなった16人の中には新聞の写真記者もいたが、大部分はテレビの人たちだった。 この殉職は戦争報道の犠牲者と同じ性質のものだろうか。 いい映像を撮るために命をかける撮影者たちの意欲は理解できても、 衝撃的な絵を求めてやまないテレビ業界の商業性が背後にあることを、考えないわけにはいかない。 ・視聴者の映像への信頼は、「写真は真を写す」「百聞は一見にしかず」という信仰の上に成り立っている。 ところが、映像によるトリックの可能性は大きい。 乱闘シーンをどの時点から放送するかによって、どちらが先に手を出したのかも変わりうるし、 警官隊とデモ隊の衝突をどちらの側から撮影するかでも映像の質は変えられる。 集会の模様を、参加者がいっぱい座っている場所を写すか空席の多いところを写すかによって、 視聴者が受け取るメッセージの意味は違ってくる。 この点は新聞の写真でも同じだが、やはりテレビのほうが、影響は大きい。 放送人は映像の限界について視聴者を啓蒙すべき責任がある。 視聴者も映像信仰から目を覚ます必要がある。 ・大衆の喜びそうなものは何でも食いついてゆく。 そこには価値判断というものはない。量があって質がない。 ・活字は理性、知性に働きかけるのに対して映像は感性に働きかける。 テレビが感性に傾斜しやすいのは否定できない。 ・「低い視聴率でよいから良質の番組を提供したい」という良識派スポンサーの声が 「前後のスボットCMに悪い影響か出るから」と断られるのが現状。 その場合、番組提供料をそのぶん増額してもらう方法がないわけではないが、 もともと高い提供料への上乗せはむずかしい。 さらに放送局としては、低い視聴率の番組を持つことで局全体のイメージを損なうのは避けたい。 結局、「低い視聴率で良質の番組」は実現しにくい。 ・新聞の広告欄とその上に掲載されている記事は無関係で、編集の自由を確保している。 同じように、テレビも広告からの自由をきちんと制度化すべき。 イギリスの民放では、スポンサーが時間を買い切る形の「番組提供」を認めず、 特にニュースでは前後の番組とのあいだのスポットCMしか認めていない。 ニュースの途中にCMに入らないということである。 ・放送界は、みずから積極的に社会的なチェック・システムをつくってその成果を示さなければ、 公権力による規制を避けることができないところまで、情勢は切迫している。 何よりも「自由の旗」を p.91 ・日本のジャーナリズムの自由のゆがみは、市民革命を経験していない日本社会の不自由を反映しているが、 ジャーナリズム固有の要因もある。 一つは、フリー・プレスが米占領軍から与えられ、みずから血を流して勝ち取ったものではないこと、 もう一つは、自由主義を血肉化する歴史が浅いまま社会主義幻想にひかれて、 いわゆる進歩主義ジャーナリズムが戦後マスコミの大勢になってしまったこと。 さらにジャーナリストの一人一人が近代的市民になりきれず、 自由を妨げるものにはどんなときでも敏感に抵抗する「自由の抗体」が未形成のままである点。 ・読者にとって、報道されるものは批判の対象にすることができるが、報道されないものは批判の対象になりにくい。 何がどうして報道されないのかについて、社会が議論するのは不可能に近い。 ・中立というのは、右と左の真中に立って、どちらからも憎まれないようにする卑怯な態度ではないか。 責任回避、ごまかしではないか。 ・殺気立った状況においては、自分のいうことに一○○%同調しないものは全部敵だというふうに感ずるもの。 ・それぞれの主張に正しい点もあるが、しかし間違っている部分もある、だが、国民の立場からいうと、 お互いの主張の中から間違った点を除いてベストのものにすべきだという態度を貫いて行くと、 激突する左右勢力の両方から敵としてたたかれることになる。 ・真理は常に中間にある。 田中角栄氏の言葉。 「世の中は白と黒ばかりではない。敵と味方ばかりではない。その間にある中間地帯が一番広い。 そこを取り込めなくてどうする。天下というものは、このグレーゾーンを味方につけなれば、決して取れない」 ・考え方の対立する双方にとって読む価値のある報道を。 左右両派のいずれにも有用な客観報道こそ、追求すべきジャーナリズムの基本的あり方。 ・一部でも多く売るためには無党派性が必要。 その結果、言論機能を後退させ、報道機能を前面に出すような商業主義路線をたどることになった。 ・新聞の自主独立を守るためには必要とあれば、戦わなければならない。 しかし、戦う姿勢さえとっていれば新聞の使命は達せられるように思うのは、時代錯誤だ。 今日存在していない古い権力の幻影を、今なおあるかのどとく錯覚して、 何でも反政府、反権力、反体制の論調を張っていればよいと考えている新聞人がいる。 こういう人々は、世界と日本の政治、経済、社会的な構造的な変化を認めようとしない。 現在の日本に新聞の自由、言論の自由を物理的に弾圧できるような軍や警察の権力は存在しない。 むしろ新聞の力のほうが強くなっている。 政府のやることでも良いものはこれを明確に支持すべきであって、何でもかんでも政府のやることにケチをつけ、 反対していれば新聞の使命が果たせるというものでもない。 もちろん、政府が国民のためにならないことをやろうとすれば、 読売新聞は内閣のひとつや二つつぶしても反対するし、その力をもっている。(渡辺恒雄) p.108 ・大量のマスコミ関係者が政府や自治体の審議会に参加している。 新聞人は紙面でものを言うべきである。 ・審議会からなかなか足を抜けないのは、委員になると貴重な情報が手に入りやすいことが大きな魅力。 ライバル各社が参加しているのに自分のところだけ抜けるのは競争上不利になる、という不安が強い。 これはジャーナリストとして実におかしなこと。 社会にとって貴重な情報なら、堂々と正面から公開を要求するか取材で入手すべき。 それをしないで、特権的な委員のポストと引き替えに特別な情報サービスを受けるというのでは、 「知る権利」の代行者とは言えない。 ・そのジャーナリストが勲章を欲しがって、政府に顔を向けるようになったらおしまい。 ・「審議会に参加しても論調や報道姿勢にはなんの影響も受けない」という釈明も聞かれるが、これは建前論。 本人の個人的善意や意図を越えて役所にとってプラスの効果が確実にあるからこそ、 中央政府も自治体も、審議会へのマスコミ人の参加実現に熱心。 ・多様性は、多角的で多様な報道活動によってはじめて真実追求が可能になるという考えに基づいている。 それはバランスのためではなく、真実追求に不可欠なものである。 ・今の日本で自由な発言ができると思っているのは、実は、自分が多数派の一員だから不自由を感じないですんでいるだけかもしれない。 p.121 ・ジャーナリズムが現実を変革する方向に機能せず、 逆に政治をバカにする空気を培養するのに役立っている。 マスコミを通して政治への関心を強めながらも、それが政治参加に結びつかず、 一億総評論家作りに終わっている。 ・候補者の過去の政治実績を丹念に追跡したり、当面の政策への態度を具体的に聞き出したり、 政治資金を誰に依存しているかの実態を追及するなど、 有権者に代わって取材し報道すべき材料には事欠かない。 選挙になると全般的に候補者の主張ばかり報道されるのが 現代の選挙報道の仕組みだが、似たふうな公約を並べるだけの報道では 有権者の投票意欲は強まらない。 逆に新聞も放送も、有権者が問いただしたいことを選挙報道の重点にすえ、 実績を点検しながら政党や候補者に具体的な回答を迫るべき。 ・日本では「不偏不党」が特別のプラス価値を持つかのように考えられている。 「政党にはコミット(かかわり合うこと)しないほうが賢明」と思っている人は多い。 そういう社会では、政党への参加者も少なくなる。 政治家に対する蔑視感がこれと重なって、政治一般について蔑視するのが、 より知的と見られるような風潮を生んでいる。 知識人に多い政治へのシニシズム(冷笑主義)はその象徴。 その政治蔑視を強めるうえで、新聞・放送は大きな役割を果たしている。 政治家蔑視が政治蔑視を生み、アパシー(政治的無関心)を強める。 その陰で、政治は一握りの政治家たちの勝手な振舞いを許してしまう。 ・「不偏不党」や「公平」にはそれなりに意味を認めても、 ジャーナリズムはそれを終着点にしてはならない。 「不偏不党」「公平」を突き抜けて真実に迫り、観客民主主義から参加民主主義への道を切り開くために、 新聞も放送も大きな転換期に来ている。 p.129 ・一国のナショナリズムは必ず周辺国のナショナリズムを強める。 ナショナリズムは相乗作用によってエスカレートする。 アジアのナショナリズムの動きは、日本のナショナリズムをいそう強める作用を果たす。 ・国益(ナショナル・インタレスト)と政府益(ガバメンタル・インタレスト)とは峻別されなげればならないが、 政府は政権の利益のために「国益」を口実にしたがることか多い。 ・支持者から推進者へ。 ・フォーククランド紛争のときの、BBCの報道。 「イギリス軍の士気を高揚させたり.国民を国旗の下に結集させることがBBCの役割ではない」 「ポーツマスの戦争未亡人の悲しみはブエノスアイレスの戦争未亡人の悲しみと同じである。 BBCはイギリスの現政府からも、ほかの何者からも、愛国心についてのレッスンを受ける必要はない」 ・ジャーナリズムにとっての「敵」とは、言論・報道の自由を弾圧する者、 「真実の報道」を阻害する者だけである。 ジャーナリストが忠誠を誓う相手は「国」ではなしに、「真実」でなけれならない。 p.144 ・言論活動と、事実の報道とをはっきりと分ける。 ・知的な活動が一部知識人だけに限られていた時代には、 新聞にも上から下への教育・啓蒙的な役割が求められた。 新聞は社会のリーダー役を自認し、読者は新聞に指導性を期待してその言説に判断を仰いだ。 今でもそういう読者はいるようだが、大勢は「新聞も放送も事実を正確に知らせてくれればよい。 判断は自分自身でする」という時代になった。 ・主観的な仕事だからこそ、一人一人のジャーナリストの質が重大視される。 そこにジャーナリストの責任も生きがいも生まれるし、ジャーナリズムの危険性も潜んでいる。 ・日本の新聞ではみんな企業記者であり、一人一人の記者が独立の職業人として扱われていない。 記事は、書く記者個人の作品ではなく、デスク、整理、編集幹部のチェックや修正を受ける集団作業と理解されている。 ・匿名の記者に対外的な責任は直接及ばず、読者・視聴者への社会的責任は企業幹部が取るという考え方が一般的。 ・1980年、ワシントン・ポストのクック記者が「ジミーの世界」でピューリッッアー賞に決定しながら、 それが偽レポートと判明したとき、対外的責任を取って辞めたのは当の記者だけだった。 社主も、編集主幹も辞めるようなことはなかった。 これに比べて、89年に起きた珊瑚写真デッチ上げ事件では、朝日新聞の社長が辞任しており、日米間に大きな違いがある。 朝日のカメラマンは懲戒免職となったが、これはどちらかといえば社内としての責任を追及したもので、 対外責任をとった形ではない。 ジャーナリズムの責任の取り方が、日本は集団主義的であり、欧米の個人主義的な対応とはまったく 異なる思想からきている。 社説の「虚構」 p.168 ・「社説」というもの考えてみると、社長の意見でもなければ、全社員の総意というものでもない。 社長が任命する論説委員グループが論議してテーマと主張を決め、担当者が執筆する仕組みが普通。 「法人組織としての新聞社の主張」というのは虚構。 ・「署名論説」ではあくまで個人的見解にとどまり、「社説」のような権威がない、 という声も聞かれるが、「社説」に特別の権威があると思うのは、長いあいだに作られた一種の信仰。 ・市民革命を経験していない日本社会は、全般に自由より秩序を優先する考え方が根強い。 新聞や放送の犯罪報道が、司法手続きに基づく裁判の結果を待たずに、 容疑者に対して懲罰を加えてしまう「プレス・トライアル」(報道裁判)について、 長いあいだ日本社会はきわめて寛容だった。 ・重大犯罪事件でない限り容疑者の顔写真は報道しない方針を決めたところも多い。 手錠の写っている容疑者の連行シーンも、今では新聞・放送とも報道しない原則を決めている。 ・「非難された者には弁明の機会を与える」 容疑者側の主張を報道しようとする視点が欠けていた。 ・日本のジャーナリズムはこの点で、犯罪者の更生を重視した「教育刑」の刑罰思想ではなく、 犯罪者は罪を償うために相応の懲罰を受けるべきだとする「応報刑」の思想に立っている。 ・逮捕された人物に頭からジャンパーなどをかぶせたシーンは、いったい、 どういう情報価値があるのか。 写っているのは連行の刑事と、しばしば、それよりもずっと多い報道陣の姿だけ。 ・日本では裁判での有罪率が100%に近いため「容疑者は犯人」と見なされやすい事情がある。 実際は、容疑者として逮捕されても検事の段階で裁判に持ち込まれない不起訴・起訴猶予が少なくないのに、 その点が軽視されている。 ・「裁判で有罪が確定するまで、すべての人は無罪と推定される」 というフランス革命以来の法理は司法の領域のもので、ジャーナリズムはその法理に拘束されるべきではない、 という考え方も強い。 確かに、司法の原則はそのまま報道の原則にはならない。 推定無罪の原則を厳格に適用すれば、有罪が確定するまで犯罪事件は報道すべきではない、 ということになりかねない。 ここにジレンマがあるのは確か。 ・全米被害者センターは89年、被害者本人と家族、近親者に取材拒否権があることを宣言している。 日本でも、東京弁護士会が87年に「取材される側の権利」をまとめ、 ジャーナリズムに対する取材拒否権を明らかにしている。 p.186 ・身体的特徴を笑いものにしている芸能番組。 ・「差別とは自分に責任がないことで社会的に非難、軽蔑されたり、 不利益な取扱いを受けること」と理解することにしている。 白バイ隊員とワゴン車の中年夫婦が家の前で大げんかしてた 一時停止をしたとかしなかったとかで 中年夫婦のごねが通ったみたいで白バイ隊員は 走り去るワゴン車を見送ってたわ なんかあの夫婦ゴネるのになれてる感じがしたな 軽微な違反はあのごね方で幾つか逃れてるんじゃないかと思うレベル まだ取り締まりのノルマってあるのかな 警察官も大変だ 久々に迷子になったわ 遠出した先でジョギングしたら道わかんなくなった 碁盤の目になってる土地で方向感覚なくすと終わり 足が棒 心細かった スマホの調子が悪いからリカバリした 調子が悪いのは直ったけど 設定元通りにするのがクッソ面倒くさかった 多少調子が悪いくらいならそのまま使ってたほうがいいわ ホントめんどくっサイ もういやー 楽天カード入会ポイント最近やっともらえたんだけど ポイントが使える期間が8月までって短すぎだろ 10日間しかないじゃん ポイント使わせずに消化させることを狙ってやがる 楽天カードマンの裏の顔を見た もうこういう商売の仕方やめてくれや('A`) ユンケル効かない 即効性あるものじゃないのかな 飲み続けなきゃ効果ないとか エスタロンモカも効いてるのか効いてないのか わからんちんこ フルグラ久々に食べたらすごく美味しかった なんかうんこもたくさん出た エスタロンモカ気休めにもならない 日本の10大新宗教 島田裕巳(しまだひろみ) 2007年発行 天理教 ・創設年:幕末維新期の1838年10月26日。 ・創設者:中山みき(女) ・本部:奈良県天理市。 教義 ・教会本部の中心は「ぢば」と呼ばれる。 天理教の教えでは、このぢばは、人類が発祥した場所であるとされており、 天理市の教会本部に礼拝に行くことは、「おぢばかえり」と呼ばれ 駅には「お帰りなさい」という看板が立てられている。 ・天理教には、90歳で亡くなった教祖、中山みきの魂は今でも教祖殿にあって 人々の暮らしを見守っているという信仰がある。 この信仰にもとづいて、教祖に対しては一日三度の食事が供えられている。 ・天理教の教団が、1838年10月26日を立教の日と定めているのは、 その日、教祖の中山みきが「神の社」に定まる(みきが神そのものなった)という決定的な出来事が起こったからである。 ・天理教の主宰神である天理王命は、人類全体を生み出した存在であることから「親神」であるとされており、 みきもこの親神と同一視されている。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) ・人間の身体は親神からの借りものであり、心だけが自分のものであると説く。 心の使い方によって、ほこりがたまると説き、自己中心的な心づかいを慎むようすること。 ・すべての人間関係は、親子・夫婦関係を基本として培う事が理想であるとされている。 ・天理教では「人助け」が基本理念にあり、それが「自らが真にたすかる道」とされている。 ・人には前生・後生があり、生まれ変わる。 教団では、死ぬことを出直しと呼称し、人間は死亡しても、またこの世に生まれ変わるからと説いている。 歴史 ・宗教の発生する時期と、その宗教が広く信者を集め、拡大していく時期とが必ずしも重なっておらず ずれが存在する。 天理教の場合も、誕生したのは幕末維新期でも、勢力が拡大していくのは 大正から昭和の時代になってからのことで 立教の時期と拡大した時期とのあいだにはおよそ80年の開きがある。 ・天理教発祥地である奈良県天理市は、今でこそ人口7万人の小都市だが 天理教が誕生した時代には、そこは丹波市という村であり、 教会本部も教祖が嫁いだ中山家の屋敷にすぎなかった。 周囲も農村で、そうした地理的環境では、急速に信者を増やすことはできない。 教団が急拡大をとげるには、都市という地理的環境が必要であり 天理教も、大正〜昭和にかけて大阪を中心とした都市部で拡大していった。 新宗教は、基本的に都市の産物であり、急激な都市化という背景がなければ、その勢力の拡大は見込めない。 カインズホームのセルフレジでやったら 猫のエサ一個分多く計算されて500円余計に取られた あれって重さで計算しているらしいから こんなこと起きるはずないのに 証拠がないので猫のエサ一袋分丸損 あと花粉症なので カインズのPBブランドのやわらかふんわりティッシュ買ったら 普通のガサガサしたティッシュだった 天理教の誕生 p.34 ・立教の日に先立つ十月二十三日、みきの長男秀司が足の病にかかり、 修験者が中山家に呼ばれて、祈祷が行われた。 その際、巫女の代理をみきがつとめたところ、みきに神が降り、 みきを神の社としてもらい受けたいと言い出した。 この申し出を受け入れるなら、世界中の人間を救うが、 拒むなら中山家を破滅させるという。 家族が申し出を拒むと、みき自身が苦しんだ。 そこで、みきの夫、善兵衛は、二十六日に、みきを神の社として差し上げると返答し、 それでみきの苦しみもおさまった。 ・この立教の出来事は、教団公認の教祖伝である「稿本天理教教祖伝」の冒頭に記され、 現在の教団においては、啓示という位置づけがなされている。 しかし、この出来事について述べた文書が登場するのは、 みきや信者たちが警察からの厳しい取り締まりを受けるようになる1881年になってからのことで、 立教の出来事はその時期に創作された可能性が高い。 実際、神の社と定まったはずのみきは、すぐには宗教家として救済活動をはじめることはなかった。 周辺地域で妊婦をお産の苦しみから救う「お産の神様」として知られるようになるのは、 そのおよそ20年後のことで、教団組織が誕生するまでには、さらに20年の歳月がかかっている。 みきは、妊婦を救う際に、「をびやゆるし」と呼ばれる行為を行った。 それは、妊婦の腹に三度息を吹きかけ、三度腹をなでるというもので、 まじないと変わらなかった。 それでも、をびやゆるしによって救われた人間たちがみきの信者となり、 その名が地域に広まっていった。 みきは、民間宗教家の一人として注目されるようになったのである。 ・みきがお産の神様として地域の信仰を集めるようになると 同業の民間宗教家と対立するようになり、迫害も受けた。 そこで、みきの長男の秀司は、京都まで出向き、神社の総元締めである吉田家に入門する。 吉田家の権威によって、周囲の民間宗教家からの迫害を避けようとしてのことだった。 ・1873年に国から、禁厭祈祷を禁止する法令が出された。 翌74年には、呪術的な信仰治療に頼って医者や薬を否定することが禁止された。 ところが、当時の天理教においては、「ビシャッと医者止めて、神さん一条や」と言われ、医者や薬を拒絶し、 祈祷や呪いによる信仰治療が実践されていた。 そのために、取り締まりを受けたのであり、天皇制とはまったく関係がなかった。 ・取り締まりを受けることは教団にとって痛手だった。 しかも、教祖は高齢で、逮捕はその健康を害する危険性があった。 そこで、1880年に、既成仏教宗派である真言宗の傘下に入ることで、迫害を避けようとした。 ところが、翌年、その試みの中心を担っていた秀司が亡くなるという出来事が起こる。 ・秀司がいなくなることで、みきに代わって矢面に立つ人間がいなくなった。 そのためみきの存在が社会的にクローズアップされていく。 高齢になったみきの振る舞いは尋常なものではなかった。 しかし、信者たちは、みきが激しい神懸りをくり返す姿を見て、それこそみきが神である証であると考えた。 信者たちは、みきが神であることを前提とし、 その前提の上にみきのふるまいを解釈し、 そこから意味を引き出し、救済の可能性を見出していったのである。 ・1887年にみきは90歳で亡くなっている。 みきは生前、人間の寿命は115歳までと公言していた。 そのため、九十歳での早すぎた死に直面して、信者たちは、呆然としてしまった。 みきには後継者が定まっていた。 それが、大工の棟梁だった「飯降伊蔵(いぶりいぞう)」という人物。 彼はみきの生前から神懲りをし、その死後は、天理王命のことばを伝える役割を果たすようになる。 その伊蔵に、みきの葬儀が行われた翌日の二月二十四日に神が降り、 みきが百十五歳の寿命を二十五年縮めて信者たちの救済にあたるのだという意味のことばを下した。 ・このままでは、人間の寿命は百十五歳までだというみきのことばは信懸性を失ってしまう。 それは、みきが神であることへの疑いを生む可能性があった。 そこで、みきの早すぎる死を宗教的に解釈するメッセージが伊蔵から発せられることで、 教団は決定的な危機を回避することに成功したのである。 ・これと同じことは、キリスト教におけるイエス・キリストの死の場面でも起こっていた。 神の子であるはずのイエスは、十字架にかけられて、むざむざ殺されてしまった。 死に際しては、何も奇跡は起こらず、イエスはただ殺されただけだった。 しかも、イエスは三十歳前後で若かった。 そこで、埋葬されたイエスは三日後に蘇ったとする「復活」の信仰が生み出されていく。 この復活の信仰は、キリスト教の核心に位置するもので、 その点では、これによってキリスト教という新しい宗教が誕生したとも言える。 今日から参加します。 @英語勉強 AIT系勉強 B肌髪手入れ等 C風呂で筋トレ D間食なし E部屋掃除10min F水を2リットル飲む G電車で勉強1h Hオナ禁 これをとりあえず年末まで習慣づける。必要なら随時追加予定。 目標をもう少し具体的にできればいいのですが… @英語勉強 △(今から) AIT系勉強 △(今から) B肌髪手入れ等 ○ C風呂で筋トレ ○(次からは1セットやる) D間食なし ○ E部屋掃除10min × F水を2リットル飲む ○ G電車で勉強1h × Hオナ禁 ○ 一言:今からやるものがいくつか… やばい、しばらくできてない・・・ 明日からがんばります・・・ 一応さげときます 何もできない自分が一度に全部やろうとするのがいけないのかなぁ とりあえずまずはこれだけ。 @英語勉強 ○ AIT系勉強 ○ B肌髪手入れ等 ○ C風呂で筋トレ × D間食なし ○ E部屋掃除10min × F水を2リットル飲む ○ 体重を計測。52.3だった。目標は49kg。 3連休はちょうど予定入れていないので全てやれそうです 搾取の宗教として p.45 ・みきの死後、天理教は、公認をとりつけるための活動に それまで以上に積極的に取り組むようになっていく。 そのためには、社会秩序を乱すことのない体制に順応した宗教であることを印象づける必要があった。 教団では、教部省が出していた教則のなかにある「天理人道を明らかにすべき事」ということばにもとづいて その名称を天理教に改めた。 ・1908年に、悲願だった独立を果たし、教派神道として公認されることになる。 公認を得る前から、天理教は社会的に認知されることを求めて政府に協力していった。 戦争が起これば、航空機などを寄附したり、志願兵の応募に積極的に応じたりした。 満州国が誕生すれば、満蒙開拓団にも参加した。 教義の面でも、独自の創造神話などを表に出さず、 教典も国家神道の体制に迎合するものに改めて布教を展開した。 この教典は、「明治教典」と呼ばれ、現在の教典とは区別されており、 独自の神話を封印し、天皇とその先祖を神として記ることを強調する内容になっていた。 ・天理教が急速な拡大を見せていた時代、天理教は「搾取の宗教」とも言われた。 というのも、天理教を信じるようになった人間たちは、 大半は庶民だが、信仰の証として布教活動にすべてを費やし、稼いだ金はみな教団に 献金してしまったからである。 その背景には、「貧に落ちきれ」という天理教の教えがあった。 「天理教教祖伝」には、みきが際限のない施しを続け、 それによって中山家は没落したと記されている。 この教祖の振る舞いがモデルになり、天理教の信者には、教団への献金が勧められた。 しかし、みきが際限のない施しをしたという証拠は存在しない。 地主であった中山家が没落したことは事実だが、 それは米や綿の相場に手を出し、それで損失を被ったことが原因になっていた。 戦後における布教の失敗 p.47 ・天理教では、教団が発展していくにつれて、教祖の伝記を編纂し、 それを信仰の基盤に据えようと試みるようになる。 ところが、天理教は基本的に庶民の宗教であり、 教祖伝を執筆できるような知識人は、教団のなかにはいなかった。 そこで、教団外部の学者や小説家などに教祖伝の執筆を依頼し、 それが書物になって信者のあいだで読まれていくようになる。 小説家の場合には、物語を盛り上げるために、勝手にエピソードを創作したりした。 そうした教団外の執筆者による教祖伝は「流布本」と呼ばれ、 教団公認の教祖伝である「権威本」とは区別された。 ・天理教の特徴は、分派の数が多い点。 原因は、みきの跡を継いだ飯降伊蔵の後、神のことばを取り次ぐ存在が 天理教の教団のなかに途絶え 誰もが天理王命の啓示を受けたと主張できるようになったからである その他 ・天理教は、天理市へ使用目的を指図していない寄付を行っている。 この寄付金は税収入と同様の形で天理市の毎年の一般会計予算の中に組み入れられている。 ・天理教の天理市への寄付についてのyahoo知恵袋。 天理市には数多くの参拝者がやってくる。 道路、上下水道、ごみ処理などの社会インフラを整備しなければならない。 天理教がこの程度の経済的負担をするのは社会的責任からいえば当然ではないか。 大本 p.50 ・創設年:金光教から独立したのが、1897年。 ・創設者:出口なお(女) ・本部:京都府綾部。 ・大本の2つの聖地。 梅松苑(大本本部 綾部祭祀センター) 天恩郷(大本本部 亀岡宣教センター) 教義 ・型の大本……大本教内で起こったことが日本に起こり、 日本に起こったことが世界に起こるという法則。 これを使って世の立て直しが可能となる。 ・立替え・立直し……終末論と理想世界建設。 歴史 ・戦前は「皇道大本」。 戦後は「愛善苑」。 現在の正式名称は「大本(おおもと)」 ・大本は、大正と昭和の二度にわたって、権力による過酷な弾圧を受けたこともあり、 権力に徹底して抵抗した新宗教として、とくに反権力の傾向をもつ人々からは好感をもって迎えられてきた。 大本が、そうした高い評価を受けるにあたっては、高橋和巳の小説「邪宗門」の影響が大きい。 『邪宗門」であつかわれているのは、架空の宗教教団の歩みである。 教団が権力からの厳しい弾圧を受ける点などで、明らかに大本がそのモデルになっていた。 『邪宗門』の単行本は、政治運動、学生運動が勢いを増していた一九六六年に刊行されており 左翼の学生たちによく読まれた。 そこから、大本=反権力=反天皇制の宗教というイメージが定着した。 ただし、小説のなかのひのもと救霊会のイメージと 現実に存在した大本の実態とのあいだには相当に開きがあった。 ・天理教の場合は、庶民が中心だった。 大本の場合にも、病気治しを行っており、それに引かれて、庶民も信者となっていった。 ただし、それにとどまらない面があり、大本にはインテリ層も多数集まってきた。 最初は学生たちで、さらには知識人や軍人も王仁三郎の周囲に集まってきた。 大本には、たんに宗教団体にとどまらず、精神革命、社会革命の運動としての性格があり そこから陸軍や海軍の軍人たちのなかにも賛同者が生まれた。 金光の信仰から p.58 ・大本の教祖である「出口なお」は 天理教の中山みきが神憑り(神霊が人に乗り移ること)をするようになった1836年に 京都の大工の家に生まれた。 なおは、綾部の出口家に養子となり、婿養子を迎えた。 二人のあいだには8人の子どもが生まれたが、生活は貧しく、 なおが五十三歳のときに夫が亡くなり、生活は困窮した。 そうした状況のなかで、なおは、みきと同じように神憑りするのだが 最初に神憑りをしたのは、他家に嫁いでいた三女で、初産がきっかけだった。 続いて、やはり他家に嫁いでいた長女も神懸りした。 そして、なおは五十七歳のときに神懇りする。 ・この地域では「金光教(こんこうきょう)」が勢力を伸ばしていた。 金光教は、天理教と同様に、幕末維新期に生まれた新宗教の先駆けの一つで 教祖である「赤沢文治こと金光大神」は、天地金乃神を信仰していた。 この神は、もともとは陰陽道系の崇り神である金神だった。 金光教の教祖は、金神が本当は幸福をもたらす神であると解釈し直し、それを信仰の対象とした。 くにたちのみこと ・なおは、この金光教に影響され、自らに宿った神を「艮(うしとら)の金神(こんじん)」としてとらえた。 艮(丑寅)は崇り神が潜む鬼門の方角。 なおは、この艮の金神のことばを伝える役割を果たすようになった。 注目されるのは、この艮の金神が、実は、国常立命(くにとこたちのみこと)であるとされている点。 ●国常立命は、天理教の主宰神、天理王命を構成する神々の筆頭に位置づけられていた。 ●天理教に影響を与えた吉田神道では宇宙の根源神とされた。 ●『古事記』においては天地創造のおり、最初にあらわれた神とされていた。 ・つまり、名称は異なるものの、神道でも、天理教や大本のような新宗教でも、 神道系であれば、国常立命という同一の神を根源的な神として信仰の対象としてきたわけである。 ・最初、なおは、金光教の枠のなかで宗教活動を展開していた。 病気治しを行って、信者を増やすとともに、やがて、神懲り状態で筆をとり、神のことばを書き記すようになる。 内容は、それまで崇り神として鬼門に封じ込められていた金神が世にあらわれたことを説き 世の立て替え、立て直しを進めることを求めるものであった。 ・金光教の場合には、人の願いを神に取り次ぐことが宗教活動の中心で、 終末論的な世直しの傾向をもってはいなかった。 そのためなおは、次第に金光教との違いを意識するようになり、1897年には金光教から独立する。 王仁三郎 ・王仁三郎は、1871年に京都府亀岡の貧農の家に長男として生まれた。 王仁三郎は、なおの五女、すみと結婚し、宗教活動を展開したものの、 なお側近の幹部たちと対立してしてしまう。 幹部たちは、あくまでなおの終末論的な予言を信じ、現存する社会体制を否定した。 ところが、王仁三郎には開明的な部分が強く、社会変革の方向性をもっていたために、相いれなかったのである。 その対立から、王仁三郎は一時大本を離れる。 その間に、神職の資格を得て、神社の主典や神道系の宗教の役員になったりした。 そして、1908年、2年ぶりに綾部に戻ってくる。 王仁三郎がいないあいだ、すっかり活動が停滞していた大本は、これで息を吹き返す。 王仁三郎は、『神霊界』という機関誌や『綾部新聞』という新聞を発行し、 それを使って布教拡大を行っていった。 建物も次々と建設した。 第一次大本事件(1921年) ・大正時代に入ると、日清、日露の二つの戦争に勝利をおさめた日本は、経済的にも大きく発展し 産業が勃興し、都市化も進んだ。 そこに、「大正デモクラシー」と呼ばれる自由な文化が花開いた。 しかし、一方で急速な近代化、工業化は、社会矛盾を拡大し、労働争議が頻発し、米騒動も勃発した。 そうした時代のなかで、大本は「大正維新」のスローガンを掲げて、 社会の根本的な革新を説いた。 そして、1920年には、大阪の有力新聞『大正日日新聞』を買収し、その影響力は格段に高まった。 これによって、大本ブームが起こり、学生や知識人、軍人や貴族が入信するようになった。 ・1921年には、世界が壊滅的に破壊され、その後に、 新しい理想の世界が出現するという終末論的な予言が主張され、 熱狂的に信奉されるようになる。 日本にかぎらず、新しい宗教がこうした終末論的な予言によって、 急速に勢力を拡大していくことはよく見られることである。 一般には、予言が外れることで、多くの信者は教団を去り、残った人間が、 予言が外れたとを正当化する新たな教えを作り上げることで、 危機を脱していくというのが典型的なパターンとなっている。 大本の場合には、その過激な言動が警察権力による弾圧を招き、 王仁三郎や幹部たちは、不敬罪や新聞紙法違反などで逮捕、起訴され、神殿も破壊された。 これが、「第一次大本事件」である。 アジアへ p.63 ・なおの方は、王仁三郎が表に立って活躍するにつれて、表舞台から退き、 事件が起こる前の1918(大正七)年に八十三歳で亡くなっている。 ・王仁三郎は、大陸進出を果たしていく。 1924年には、内蒙古にわたった。 蒙古に進出した目的は、新蒙古国を作り、日本の失業者の問題や食糎問題を一挙に解決することにあった。 こうした計画を進めるなかで、王仁三郎は、中国の軍閥や日本の右翼の大物、 頭山満や内田良平などとの関係を作り上げ、中国や日本のなかにそのネットワークを広げていく。 なおは、外国の影響を忌み嫌っていたが、王仁三郎はそれとはまったく反対の方向に大本を引っ張っていった。 大本はブラジルやメキシコ、ヨーロッパにまで布教師を派遣して進出し、 王仁三郎の方は、アジア各地をまわり、南洋諸島の開発にまで手を染める。 先進的なのは、メディア・ミックスの方法を用いて宣伝活動を展開した点で、 音楽部を作ってレコードを出したり、映画製作にも乗り出したりした。 第二次大本事件(1935年) ・日本を含め、アジア各地においては、さまざまな形で社会矛盾が噴出していた。 大本には、当初から世の立て替えという考え方があり、社会変革の志向性があった。 そのため、1934(昭和九)年には、今度は昭和維新を掲げて「昭和神聖会」が組織される。 昭和神聖会は、決して反体制的な政治運動ではなく、 会の賛同者には、大臣や貴族院議員、衆議院議員、陸海軍の将校なども名を連ねていた。 具体的な活動計画が明確ではなかったものの、この昭和神聖会が瞬く間に急成長したことは、 国家権力にとっては脅威であり、1935年、大本は国体の変革をめざしているとして 警察の大々的な取り締まりを受け、王仁三郎以下教団の幹部たちは不敬罪や治安維持法違反で逮捕された。 大本の施設は徹底的に破壊され、メディアはいっせいに反大本のキャンペーンをはることになる。 これが「第二次大本事件」である。 いつのまにか家の裏山に続く行き止まりの路地までストリートビュー化されてる…… すごいと思うと同時にちょっと恐怖を感じた てくてく歩いてチャリンチャリン1歩1円 が地味に面白い さすがテレ東 やっぱり休日に買い物にいくべきじゃないわ 道路も店も混みすぎてきつい 遊びに行くんならいいけど 食料品とか必要なもの買いにいくだけなのに あのひとゴミはきつい 俺以外の人みんな楽しそうに見えるし きつい 平日万歳 ・国家の総力を結集して戦争にあたらなければならないなかで 大本のようなアジア全体に広がりをもつような運動は ときに日本の国益に反する活動を展開する可能性があった。 この第二次大本事件によって、王仁三郎の破天荒な活躍には 芸術の分野を除いて、終止符が打たれることとなった。 裁判にかけられた王仁三郎は、法廷で裁判長と珍問答をくり広げたりした。 しかし、1940年、一審では王仁三郎に無期懲役の判決が下されたほか、 信者たちは有罪判決を受ける。 王仁三郎は、六年八ヵ月にわたって獄につながれ、日本の敗戦によって、控訴中に恩赦となった。 大本のその後 ・戦後、大本の教団は再建されるものの、1948年に、王仁三郎は亡くなっている。 王仁三郎なきあとの教団は、すみや直日(なおひ:第三代教主)のもと、 農業運動や平和運動に力を注ぐものの、王仁三郎生前の時代のように 運動として大きく発展することはなかった。 しかも、内紛から教団は分裂し、その点でも力を失っている。 生長の家 p.68 ・創設年:1930年 ・創設者:谷口雅春(たにぐちまさはる) ・本部:東京都渋谷区 教義 ・生長の家の教義は、谷口雅春の著作、特に「生命の実相・甘露の法雨」を基礎とする。 生長の家は、神道、仏教、キリスト教、天理教、大本等諸宗教は その根本においては一致するという「万教帰一」という思想を主張・布教している。 歴史 ・生長の家は、戦前と、戦後の一時期、勢力を拡大した。 しかし、時代が変化することで、信者数を減らすことになってしまった。 ・生長の家の創立者である「谷口雅春」は、893年、神戸市に谷口家の次男として生まれた。 谷口は、叔母のもとに養子に出され、子ども時代には養子先の石津を名乗っていた。 中学生のときに、国語の教師の影響もあって文学に目覚める。 文学を志すために早稲田大学の文学部へ進学する。 谷口雅治は、早稲田在学中に一人の前科者の女性と出会い、学業を捨ててまで、 彼女を不幸な境遇から救おうと考える。 だが、経済力がないために果たせず、そのうえ、二人の関係が郷里に知れたことで学資を止められる。 やむなく大学を中退し、摂津紡績に入社する。 摂津紡績時代の谷口は、工場で低賃金の労働者として働く一方、 大学で学んだ英語の知識を生かし、イギリスで発行されている紡績関係の雑誌を読んで知識をたくわえ、 記事を翻訳し、雑誌に掲載して原稿料を得ていた。 しかし彼は、三角関係に陥ったり、資本主義の世界に対する疑問から、 工場長と激論したことをきっかけに工場をやめる。 そして、心霊治療や催眠術に関心をもつ。 やがてそれは大本への入信に結びつく。 ・大本で文才が認められた谷口は、機関誌の編集や聖典である『大本神諭』の編纂作業に当たり、 大本の霊学の体系化にも力を注ぐ。 個人の罪の問題に強く関心をもっていた谷口には 神による最後の審判を強調する大本の路線には違和感があった。 精米してきたんだけど 「もみ殻付きの米を精米した場合、罰金5万円請求する」って精米機に書いてあったのが、 罰金50万円に値上げされてた。 誰かが、もみ殻付きの米を精米しちゃったらしい。 なんか機械のブレードかなんかがダメになったみたいな事が書いてあったな。 http://ecx.images-amazon.com/images/I/41kryulUirL.jpg このタレおいしい ・「第一次大本事件」で、谷口は逮捕を免れたが、出口王仁三郎は中心人物として逮捕された。 王仁三郎が勾留の執行停止で出獄中、『霊界物語』の口述をはじめ、 谷口はその筆記に当たるが、大本への信仰に疑問を持っていた彼には その仕事は苦痛以外のなにものでもなかった。 大阪の控訴院から大本の開祖である出口なおが神懸りで記した「御筆先」と、 それを王仁三郎が漢字混じりに書き直したものとを比較対照し、 不敬罪に該当する箇所がないかを調査する作業を依頼され、 谷口は御筆先をすべて読むこととなった。 彼はその作業を通して、教団の発表した予言にくいちがいがあり、 前年の予言のうちで当たったものだけが機関誌に掲載されている事実を知った。 さらには、御筆先のなかに、「天照皇大神宮、地は出口の血すじで治めるぞよ」といったことばを発見し、 出口家を天皇家に代わる地上の権力者にしようとする啓示に決定的な疑問を感じる。 ・谷口は、大本で結ばれた夫人の「輝子」とともに脱退の決意を固める。 大本の教団のなかで最後の審判が起こると予言されていた1922年5月5日は、 すでに何事もなく過ぎてしまっていた。 谷口夫妻が大本を去ったのは、その年の10月のことだった。 その前日の夜には、教団の青年たち数名が谷口を襲撃しようとして、 まちがって別の人間に重傷を負わすという事件もあった。 ・関東震災後(1923年9月1日発生) 輝子はそのとき子どもを身ごもっていて、郷里で女児を出産し、 夫婦で神戸に戻って、養父母の家に同居している。 しかし、育児をめぐって養父母と対立し、谷口は神戸のヴァキューム・オイル会社に翻訳係として雇われ、 経済的な自立を果たし、養父母と別れて阪神沿線の住吉村に居をかまえる。 そこで彼は宗教的な悟りを経験し、その根本的な思想である「実相論」を確立するにいたる。 生長の家の誕生 p.75 ・谷口は、出勤前に近くにあった本住吉神社に参拝するのを日課にしていた。ある日彼は、 「色即是空(この世にあるすべてのものは,固有の本質をもっていないという,仏教の基本的な教義)」 ということばを思い浮かべながら合掌していた。 すると、どこからともなく声がして、「物質はない!」と聞こえた。 つづけて「空即是色」を思い浮かべると、また、「無より一切を生ず」という声が返ってきた。 彼は、この問答を通して、彼自身がコントロールに苦労してきたこころというものが実在せず、 その代わりに実相があり、その実相こそが神であると悟る。 すると、「お前は実相(真実の本性)そのものだ」という天使たちが自分を讃える声が聞こえてきた。 ・谷口は、自らの悟りを広く伝えるために雑誌の刊行を考える。 正治から雅春へと改名したのも、この頃であった。 谷口は、こうして雑誌「生長の家」創刊号を刊行する。 1929年の大晦日に一千部の雑誌が刷り上がった。 彼は、正月早々、賛同した仲間を中心に、「生長の家」を無料で進呈していく。 生長の家の運動の目的は、「心の法則を研究しその法則を実際生活に応用して、 人生の幸福を支配するために実際運動を行ふ」こととされた。 ここに、生長の家という新しい宗教運動が誕生した。 現世利益実現の宗教へ p.77 ・実相の世界は、完全円満な神の世界とされた。 ところが、現象の世界に生きる人間の「念のレンズ」は歪み、 その結果、神の世界と人間の世界とに不一致が生じた。 谷口は、「汝ら天地一切の物と和解せよ」と言い、迷いという念のレンズの曇りがなくなれば、 地上にも神の世界が現れると説いた。 雑誌の『生長の家』は、「雑誌の形をした聖書」であるとされ、 雑誌を購読する会員、誌友の間では「神誌」と呼ばれるようになる。 その神誌を読んで、谷口の説く実相の世界について学ぶための組織として各地に支部が作られていった。 雑誌『生長の家』が神誌として受け入れられたのは、 雑誌を読んだだけで病気が治ったという人間があらわれ、 それに感謝する手紙が多数谷口のもとへ寄せられたからだった。 谷口は、こうした反響を踏まえ、すべての病いはこころの影、 つまりは想念の曇りによるもので、病気は本来実在するものではないと説いた。 ・1933年には、生長の家の芸術運動を推進するために、『生長の家」の姉妹誌『生命の芸術』が創刊された。 松本竣介は、父や兄の勧めもあって、熱心な生長の家の信者になり、 兄とともに「生命の芸術」の編集に携わった。 しかし、三年ほど信者を続けた松本は、生長の家を離れる。 彼は、生長の家を通して結ばれた妻の禎子に対して、 「谷口先生は神様になって遠くへいってしまわれた」と語っていた。 彼の父も、谷口の言行不一致に怒りをあらわにしていた。 松本は谷口に別離の手紙を書く。 松本親子が反発を感じたのは、生長の家が哲学を説く思想団体から次第に現世利益を強調する宗教団体へ 変質してしまったからである。 かつてない誇大広告 p.79 ・1934年、谷口夫妻は神戸から東京に移り、 自分たちの運動を「人類光明化運動」と名付け、 その主体となる組織として「株式会社光明思想普及会」を結成。 そして、最初の事業として、翌年から『生長の家』の合本である聖典「生命の実相」 全集普及版全十巻の刊行を開始する。 しかし、雑誌「生長の家」が刊行され、大宣伝の効果もあって、 多くの読者を獲得すると、谷口の姿勢も変化していった。 彼は、各地で講演会を開いていったが、そうした場に集まってきた人間が望んでいたのは、 難解な哲学ではなく、現実の社会でよりよく生きるための具体的な方法であり、 彼もそうした読者の期待に応えていった。 「万病が治り、すべての危険が避けられ、就職は絶対確実で、貧乏が向こうから逃げていく」 という宣伝文句に魅かれて、「生長の家」の読者は急増した。 天皇への帰一(きいつ:別々の事柄が、同一のものに帰着すること) ・1940年に宗教団体法が施行され、生長の家が宗教結社として認められると、 天皇信仰を強く打ち出す。 すべての宗教の元は同じだとする考え方があり、彼はその根源を天皇に求めようとした。 ・太平洋戦争が勃発すると、谷口はそれが「聖戦」であると主張し 中国軍を撃滅するために「念波」を送ることを呼びかけた。 さらには、米英との和解を断固退け、文部省が編纂した 「国体の本義(文部省が天皇中心の国体護持の立場から編集・発行した国民教化用の出版物)」 の内容が手ぬるいとして、文部大臣を機関誌の誌上で叱ったりもした。 だが、あまりに過激な天皇信仰の主張は、体制側には好まれなかった。 しかも、戦時体制のもとで、印刷用紙が不足したことが、雑誌を核にして運動を展開してきた生長の家に とっては決定的な痛手となった。 1944年には、雑誌も単行本もいっさい発行できなくなってしまった。 ・皮肉なことに、谷口が聖戦としてとらえた太平洋戦争に敗れることで、 雑誌の復刊が可能になり、生長の家は、雑誌を通しての活動を再開させることができるようになった。 谷口は、「日本は決して負けたのではない」 「ニセ物の日本の戦いは終わった」と敗戦を合理化し、 国体(国家の状態・国家の根本体制)が滅びたのではないことを強調する一方で、 生長の家の教えのなかには、「本来戦い無し」のことばがあるとし、 生長の家が平和主義を説いていたと主張した。 中国人と白人見かけたんだけど、中国人は中国人っぽい服着てて、 白人は白人っぽい格好してた。 外国人からみたら日本人も日本人っぽい格好してるんだろう なんか手を強く握りしめて寝てたんだけどなにこれ パソコン調子悪いイライラする 時代の変化と運動の衰退 p.84 ・ところが、国際情勢の変化は、生長の家に新たな活躍の場を与える。 東西の冷戦によって、日本の国内でも、六○年安保などをめぐって、 保守と革新、右翼と左翼の対立が激化すると、生長の家の天皇崇拝や国家主義、 さらには家制度の復活などの主張は、保守勢力に支持され、社会的な影響力を発揮するようになった。 戦後の生長の家は、100万人を超える大教団へと成長していく。 ・生長の家は、海外にも進出していくが、もっとも成功をおさめたのは、 ブラジルにおいてである。 ブラジルでの活動は1932年にはじまるが、戦後になるまで、目立った活動は展開していなかった。 ところが、日本が戦争に敗れ、ブラジルに移民した日系人の民族的なアイデンティティが問われるようになると、 生長の家は、それを与える運動としての役割を果たすようになる。 そして、1960年代に入って、ブラジル人に対して積極的に布教活動を展開するようになり、 生長の家を信奉する人間の数は、250万人にも及ぶようになる。 生長の家は、ブラジルの社会に深く浸透しているカトリックの信仰を否定していない。 つまり、カトリックのまま生長の家に入れるわけで、彼らが生長の家の信者であるとは言い切れない。 ・一方、日本の生長の家は、さらなる時代の変化によって、衰退を余儀なくされていく。 谷口は1985年に亡くなり、彼が崇拝の対象とした昭和天皇も亡くなる。 また、ベルリンの壁やソ連の崩壊によって、生長の家が敵としてきた共産主義の脅威も過去のものとなった。 そうした時代の変化は、生長の家に大きな打撃を与える。 天皇信仰や反左翼、反共産主義の政治運動が衰退すれば、生長の家の存在意義も薄れていかざるを得ない。 教団自体も改革を迫られ、1992年には、二代目の総裁となった谷口清超の長男、 雅宣(現副総裁)が、太平洋戦争を侵略と認め、聖戦論を否定する見解を発表した。 これは、天皇主義の右翼的な教団という旧来のイメージから脱皮しようする試みではあったものの、 教団のなかでも議論を呼んだし、それに代わる新たな教団のイメージを強く打ち出すことには成功しなかった。 そこに生長の家が衰退していかざるを得ない理由があったのである。 その他 ・生長の家は、1980年代に、誇大な数字を改め、実情にあった信者数を発表するようになった。 その結果、300万人とされていた信者数は80万人程度にまで激減した。 これは、大量の脱会者があったからではなく、数字を調整した結果。 ・生長の家の特徴は、海外における信者数の多さ。 海外の信者数は、数百万人に達すると言われる。 国内の信者数よりも多く、逆転現象が起こっている。 こうした新宗教の教団は、日本ではめずらしい。 生長の家は、国内では沈滞していても、国際化には成功している。 天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)と璽宇(じう) p.86 天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう):踊る宗教・ノンプロ主義・現在は中規模教団 ・創設年:1945年 ・創始者:北村サヨ ・本部:山口県熊毛郡田布施町 教義 ・サヨの言行録である『生書(せいしょ)』のなかで、儀礼化した既成宗教のあり方や、戦後の風潮を批判。 組織的にまとめられた『神教』というものもあり、この2書が教義。 ・天照皇大神を「最高の神」として、他の一切の神仏は否定している。 ・「現世は霊界との因縁によって結ばれている」などと言い、 この世で多くの利己闘争が起きる原因は「宇宙が悪霊で充満しているから」。 そこで、現世の乱れをなくすためには霊界の掃除をしなくてはならない。 そして人間は、それぞれの因縁によって悪霊に取り憑かれているなどとし、 煩悩(ぼんのう)・苦悩の原因である悪霊を断ち切れば苦悩から脱せられる……とのこと。 歴史 ・北村サヨは、昭和天皇が人間宣言を行う46年前の1900年、山口県の農家に生まれる。 格別宗教的な環境が整っていたわけではなかった。 サョは、1920年に田布施の北村清之進と結婚。 清之進は、一時、ハワイに移民していたことがあった。 山口はハワイヘの移民が多い地域で、後に天照皇大神宮教がハワイに進出するのも、 そうした地理的な環境が影響していた。 ・サヨの姑は1940年に91歳で亡くなるまでの三年間、寝たきりで、サョはその介護にあたらなければならなかった。 その姑から解放された1942年、家の納屋で不審火があった。 サョは、その原因を突き止めようとして祈祷師のもとを訪れ、それから深夜に神社に参拝する丑の刻参りなどを実践した。 1944年:祈祷師から生き神になると告げられる。 生き神になると告げられた年に、彼女の吐のなかに何ものかが入り込み、しゃべり出すという不思議な体験をする。 サョは、吐のなかに入り込んだものと話をするようになるが、それは命令を下すようになり、 サョがその命令を拒むと、体が痛んだ。 命令にしたがうと、痛みは消えた。やがて、吐のなかのものは、サョの口を使って直接語り出すようになる。 そして、天照皇大神宮という神であり、宇宙を支配する神であることを明らかにする。 そして、戦後サョが公衆の面前で実践したように、岨の世の中に対する厳しい批判をするようになった。 ・1948年:東京のど真ん中に「踊る宗教」なるものが出現した。 月末には、踊る宗教こと天照皇大神宮教の教祖である「北村サヨ」は、神田で説法会を行った。 サョは、当時48歳で、教団のなかでは「大神さま」と呼ばれていた。 彼女の説法は、ナニワ節を思わせる歌による説法で、それが延々四時間も続いた。 説法の内容は、敗戦直後の日本の状況を踏まえ、新しい世界が訪れたことを、風刺を込めて歌い上げたものだった。 サョは、「岨」や「岨の乞食」といった表現をよく使った。 それは利己心に固まり、神のことを理解できない人間のことをさしている。 この世界に起こる現象は、すべてそこに神がかかわっていることから「神芝居」と呼ばれた。 (天照皇大神宮教の一行は、山口県の田布施から上京した。 最初の上京の際には、生長の家の本部を訪れ、谷口雅春に問答を仕掛けようとして、弁当を食べて帰ってきた。 戦前にサョは生長の家に入っていた。数寄屋橋公園に出現したときは、三度目の上京だった) (数寄屋橋公園に出現する前の1946年、サョは、食粗緊急措置令違反に問われ 懲役八ヵ月、執行猶予三年の有罪判決を受けたことがあった。 姐虫に食わせる米はないと、信者たちに米の供出を拒否するよう呼びかけたからである。 サョは、法廷で、歌説法を行い、無我の舞を披露した) 天皇に代わる現人神 p.90 ・サョは、自らを総理大臣よりも上位に位置づけ、そのことを疑っていなかった。 それは、彼女の吐には神が宿っていて、歌説法を含め、すべてはその神の言うことだとされていたからである。 その神こそが、教団の名前にもなった天照皇大神宮で、それは天皇家の祖神とされる天照大神に由来する。 ・戦前においては、天皇は現人神とされ、崇拝の対象になっていた。 1946年1月1日、天皇は「人間宣言」を行った。 突然、神国の中心にあった天皇が神の座を降りることで、そこに空白が生まれた。 サョに宿った神が、天照皇大神宮を称したのも、その空白を埋めようとしたからである。 知識人にも人気の生き神さま p.92 ・肝のなかに神が宿っているということは、サョ自身が神であることを意味し、 彼女は生き神として人々の信仰を集めるようになる。 サョに伺いをたてると、よく当たると言われ、生き神であるサョに祈れば、病気が治るとも言われるようになる。 天照皇大神宮教は、もっぱらこの生き神としてのサョの魅力によって信者を集めていく。 体系的な教義が作られ、洗練された儀礼が形成されていったわけではなかった。 ・天照皇大神宮教が踊る宗教として広く知られていた時代、その評判は決して悪くなかった。 概して新宗教に対して批判的だった評論家の大宅壮一も、 天照皇大神宮教が信仰による金儲けをめざしていないことをさして 「ノン・プロ主義」と呼び、その点を評価している。 実際、神殿を建てる際には、サョ自身がもつこをかつぎ、建設作業に従事していた。 これだけ好意的に見られてきた新宗教は、かなりめずらしい。 その後 ハワイでも歌説法 p.101 ・天照皇大神宮教の方は、その後も活発に活動している。 1951年にサンフランシスコ講和条約が発効になると、日本の新宗教教団は、海外布教に乗り出す。 天照皇大神宮教も、本部のある田布施と縁のあるハワイに進出する。 進出したのは52年のことだが、船で到着するやいなや埠頭で歌説法を行い、無我の舞を披露した。 サョは、ラジオや新聞に頻繁に登場し、仏教を広めようとハワイに入っていた開教師とも激論を戦わせた。 その後も、サョはハワイをたびたび訪れた。 サョは、アメリカ本土にも巡教にでかけている。 ほかに、台湾、タイ、インド、中近東、ヨーロッパ、アフリカ、中南米と、世界中を巡教し、 各地に支部が生まれたが、中心は日系人であった。 サョは、1967年に亡くなっているが、その後は、孫の清和が継いでいる。 彼女がサョの後継者となったのは、高校二年の十七歳のときのことで、教団内では「姫神さま」と呼ばれた。 しっかりとした後継者が定まったことで、天照皇大神宮教は、教祖の死後にありがちな分裂を経験しないですんだ。 現在では、それほど目立った活動を展開しているわけではないが、中規模の教団として存続している。 ・「天照皇大神宮教」も「璽宇」も、天皇の人間宣言という出来事が起こることで、 そこに生じた精神的な空白、現人神の消失という事態を補う方向で、その宗教活動を先鋭化させた。 天皇に代わって権力を奪取しようとしたわけではないが、 空白となった現人神の座を、生き神として継承しようとした。 その点で、二つの教団は、極めて戦後的な新宗教であった。 ヒゲソリ壊れたから同じやつ買い直そうと思って Amazonで見たら4000円も値上げしてル━━━━(゚∀゚)━━━━?? 円高だったから安かったのかもしれんが、こんな高いヒゲソリだったとは…… いいや、やっすいやつ買おう 他にも電動歯ブラシとかスマホも買わんといかんし、 甥っ子たちへのお年玉も待機してる…… お金ガ━━━━(゚∀゚)━━━━ナイ!! すっかり忘れてた…… シェーバー前買ったやつは安くて評判良かったの以外に、音が静かだったから買ったんだった…… 届いた1000円ちょいのシェーバー始動させてみたら ヴィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ! ( ゚д゚ ) これは夜中に使うのには躊躇する音量 幸い短時間使うだけなら大丈夫だろうからこれ使うけど、次は絶対静音のシェーバー買おう ただ、 →静音シェーバー買う →すっかり忘れて五月蝿いシェーバー買う。 「ああああああああああああああああああ」 →次はちゃんと静音シェーバー買う。 →でもまたすっかり忘れてうるさいシェーバー買う。 「あああああああああああああああああああああ」 →静音シry ……を死ぬまで繰り返しそう 璽宇(じう):双葉山・呉清源・呉の妻&妻の妹がGHQに特攻・腰巻きにまで菊の紋・スコットランドヤード山田専太・現在は停滞 ・創設年:1941年 ・創始者:峯村恭平 ・本部:神奈川県藤沢市? 教義 ・教団の世界観 璽宇では、人間は四つに分類されるという「人間四段階説」をとっていた。 ◆天責者……璽宇が掲げる「世直し」を助ける存在である。全世界で30人いるとされている。 ◆地責者……天責者を助ける存在である。全世界で3000人いるとされている。 ◆邪霊……一般人のことで、魔霊に惑わされやすい存在とされている。 ◆魔霊……諸悪の根源といえる存在で、全世界で3004匹いるとされている。 璽宇では、その内の数匹を飼い馴らすことで、社会に害悪を流すのを防いでいるとしており、 信者の何人かは「魔霊」とされている。 ・擬似国家 璽宇では璽光尊の住まいを「璽宇皇居」と称したり、 「霊寿」という独自の元号を定めたり、「璽宇内閣」を組閣するなどしていた。 ・教団の宗教活動 璽宇では布教を禁止していた。 そんなことをしなくても、最終的には他宗教全てが璽宇に帰依するものという考えからである。 また、教団の運営費は信者の自発的な寄附に委ねられており、 寄附の強要はもちろん、勧誘すらしていない。 歴史 ・璽宇の前身となったのは、鉱山関係の実業家で、 神道系の行者であった峰村恭平を中心とした「皇道大教(こうどうだいきょう)」 皇道大教が、1941年に「璽宇」と改称するが、その時点で、二つのグループがそこに加わった。 ●一つは、大本系グループ。 そのなかに、呉清源(囲碁の名人)も含まれていた。 呉は、当時、中国の世界紅卍字会道院の信者だった。 この世界卍……は、大本が連携した慈善団体、世界紅卍字会の宗教部門。 呉が結婚する中原和子は「峰村恭平」の親戚で、呉は当初から璽宇にかかわっていたことになる。 ●もう一つのグループが、やがて璽光尊となる長岡良子(ながおか ながこ)を中心としたグループ。 良子は真言密教系の霊能者として病気治しなどを行っていた。 神道系の大本と真言密教系では直接の結びつきがないが、 良子の信者に鉱山関係の事業をしている人間がいて、 それをきっかけに「峰村恭平」と知り合った。 峰村は、病もあって、璽宇から退き、良子がその中心になっていったのである。 双葉山の大立ち回り p.94 ・天照皇大神宮教が踊る宗教として世間の注目を集める前に、 璽光尊(じこうそん)こと長岡良子(ながこ)を中心とした璽宇(じう)も騒ぎを起こしていた。 ・1947年:騒ぎは、金沢(石川県)で起こった。 その発端となったのが、元横綱双葉山の璽宇訪問。 双葉山は、囲碁の名人、呉清源(ごせいげん)にともなわれ、当時東京杉並区にあった璽宇を訪れる。 ●呉は、戦中からの璽宇の有力な信者で、夫人の中原和子は、神懸りして神示を伝えるなど、 璽宇のなかで重要な役割を果たしていた。 ●双葉山は、日蓮宗の熱心な信者で、もともと信仰の世界に関心をもっていた。 彼は、璽宇で拝礼しているときに、霊的な現象を体験した。 ・璽宇は金沢で天変地異の予言を行い、双葉山が呉清源とともに、 「天璽照妙(てんじしょうみょう)」と唱えながら、街中を練り歩き、 神楽舞(かぐらまい)を披露したことから、人々の関心を呼んだ。 報道が地元紙から全国紙に拡大したことから、大きな騒ぎになっていった。 警察は、璽宇の動静に注目していて、 1947年、金沢玉川署のが教団幹部の身元調査や信者の所持品の調査を行った。 そして、璽光尊に出頭するよう求めたが、璽宇の側がそれに応じなかったため、 警察は検挙のために捜査に入る。 その際に、双葉山は大立ち回りを演じ、幹部たちとともに検挙されている。 双葉山は、翌朝、朝日新聞の記者にもらい下げられ、説得されて、璽宇を離れることとなる。 璽宇の幹部たちは不起訴となった。 腰巻きにまで菊の紋章 p.96 ・璽光尊は、国粋主義(自国民および自国の文化・伝統を他国より優れたものとして,それを守り広げようとする考え方)の 傾向が強く、皇室を崇拝していたが、戦時中、日本の敗戦が濃厚になってくると、 生き神としての自覚をもつようになり、自分が現人神としての天皇を補佐することで 理想世界が実現すると考えるようになった。 ところが、日本は戦争に負け、さらに、 1946年元旦には、昭和天皇の人間宣言が行われた。 璽宇は、皇室に代わって自らが世直しを代行するものと考えるようになり、 璽宇のある場所を「皇居」と呼び、引っ越しをすることを「遷宮」と呼ぶようになる。 家具や日常使う物にも菊の紋章をつけた。 璽光尊の腰巻きにまで菊の紋章が染め抜かれた。 神聖政治を行うための内閣も組織された。 天皇が現人神から人間に変化することで生じた空白を、璽宇もまた埋める方向で動き出した。 その点で、天照皇大神宮教の場合と共通するのである。 璽宇では、自分たちの存在をアピールするために、「行軍」を行うようになり、 独自の年号として「霊寿」を使うようになった。 ・行軍はGHQにまでおよんだ。 呉清源夫人の中原和子と、その妹でやはり信者の叶子は、 マッカーサーに璽宇へ「参内」するよう呼びかける神のお告げ 「神示」を授けようと、アメリカ大使館に出向く。 姉妹は、大使館の前で、マッカーサーの帰りを待ち受け、戻ってくると、車の前に立ちふさがった。 車が止まると、和子は車内に飛び込み、神示をマッカーサーに手渡すことに成功する。 姉妹は捕まったものの、すぐに釈放されている。 さらに中原姉妹は、GHQの総司令部に行き、マッカーサーとの面会を要求し、 受付で押し問答になる。 ところが、そこに誰だかはわからないがアメリカ人が出てきて、姉妹を部屋に入れ応対した。 姉妹は、璽宇のことなどを説明した。そのアメリカ人は、警察が彼女たちを捕まえようと待っていたので、 裏口から逃がしてくれたという。 この当時にあっては、璽宇のGHQに対する二度の出陣は、社会的な事件であったが、 逆にそのために報道されなかった。 しかし、このことは口コミで伝わり、信者を増やす一因にもなった。 中原姉妹の果敢な行動は、強権をもって戦後の日本を支配するGHQに対する反抗として、 復員軍人らに支持されたのである。 ・これによって、璽宇の志気はあがり、教団のなかには、世直しへの期待が高まった。 しかし、一方で、GHQの事件で出し抜かれた警察は、璽宇に対して厳しい監視の目を光らせるようになり それが、金沢での取り締まりに結びついたのだった。 大本の流れ p.98 ・璽宇は、取り締まりを受けたものの教祖も幹部も起訴されず裁判にはかけられなかった。 だが、連日マスメディアで報道され、璽光尊は精神病者で、璽宇は邪教であるというイメージが広まった。 そのため、世間から白眼視され、各地を転々としなければならなくなる。 金沢を引き払った後、山中湖、青森、箱根、横浜、鎌倉市、藤沢市へと移り、 最終的に横浜に落ち着くまで続く。 ・また、呉清源が読売新聞の専属棋士であったことから 読売は呉に璽宇から離れるよう説得を行った。 その結果、まず夫人である和子と叶子の姉妹が璽宇を抜け、呉もやがて璽宇を離れる。 しかし、呉は、必ずしも璽宇を抜けたくはなかったようで、戻りたいという意思を示した手記を記したこともあった。 璽宇の側からも働きかけがあったようだが、今にいたるまで呉の璽宇復帰は実現していない。 すでに呉は九十三歳である。 その後 ・横浜に定着した後の璽宇は、それほど目立った活動を展開することなく、 小規模な宗教集団として存続した。 ただ、1956年に入信した山田専太という人物を通して、璽宇は海外へ広まる。 山田は、柔道と合気道の師範で、ロンドンのスコットランド・ヤードで教える際に、璽宇の教義も教え、 それが「ハーモニー・オブ・スピリット(精神の調和)」に結びつくことを示した。 そこから、山田の弟子や孫弟子のなかに、璽宇に関心をもつ外国人があらわれ、 彼らは日本までやってきて、璽宇を訪問するまでになった。 ただ、1984年に璽光尊が八十一歳で亡くなり、山田専太が教団を去ると活動は停滞し、 世間からは完全に忘れ去られてしまった。 立正佼成会(りっしょうこうせいかい)&霊友会(れいゆうかい) p.103 立正佼成会[霊友会から独立・反創価の宗教が集結した 「新日本宗教団体連合会(新宗連)」の中心教団・自民党支持・吹奏楽の甲子園] ・創設年:1938年 ・創始者:庭野日敬(にわのにっきょう)&長沼妙佼(ながぬまみょうこう) ・本部:東京都杉並区和田二丁目11番1号 (東京都杉並区和田も、天理ほどでないにしても、一種の宗教都市) [大聖堂] http://www.kosei-kai.or.jp/images/headquarters/daiseido.jpg [普門館](吹奏楽の甲子園) https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b1/Rissho_Kosei-kai_%28Fumon_Hall%29.jpg 教義 ・立正佼成会の本尊(ほんぞん:寺院などで、礼拝の対象として安置される最も主要な仏像。 曼荼羅(まんだら)などの場合もある)については、 長沼妙佼の霊感によってコロコロ替わってきた経緯がある。 歴史 立正佼成会への信仰の系譜 p.108 ・庭野日敬は1906(明治三十九)年に新潟県の農家に生まれ、十八歳のときに東京に出てくる。 村に戻ったり、四年にわたって海軍に入隊したりした後、東京中野の漬物屋で働くようになり、 結婚し、独立して店をかまえる。 日敬に転機が訪れるのは、長女が中耳炎をわずらい、手術を受けたときで、 その経過が思わしくなかったため、修験者を紹介され、不動信仰の修行を実践する。 日敬はそれ以前に易(占い)を学んでいて、修行を進めるのと並行して、姓名判断も学ぶ。 そして、霊友会のことを教えられ、入会して、先祖の霊を祀ると、子どもの病気がよくなった。 さらに、霊友会の支部長の法華経の講義を聞いて感動し、熱心に布教活動を行い、 新井支部の副支部長にも抜擢される。 ただ、布教に熱心になるということは、商売をおろそかにすることに通じる。 そこで、時間の融通がきく牛乳屋に転業する。 そして日敬は、子どもを亡くし、自身子宮内膜炎に苦しんでいた妙佼と出会う。 妙佼は、1889(明治二十二)年に埼玉県に生まれ、上京して二度目の結婚をし、渋谷区で夏は氷をあつかい、 冬は焼芋を売る店をやっていた。 彼女は、日敬に出会ったときには、天理教を信仰していたが、霊友会に移り、 日敬とコンビを組んで布教活動を展開するようになる。 新たな都市民のための先祖供養 p.112 ・二人と行動をともにしたのは30人ほどだった。 中野区の日敬の店の二階に本部をかまえた。 日敬は妙佼を自転車の荷台に乗せて走り、布教活動を行った。 41年に妙佼のお告げで、本部を和田に移す。この時代の会員数は、まだ1000人前後。 高度経済成長の時代がはじまると、立正佼成会は、急速に信者の数を増やした。 1945年(敗戦の年)1500人程度。 50年:6万人。 55年:信者数は30万人。 ・立正佼成会の布教の武器になったのが、 ●「先祖供養」 ●「妙佼の霊感」 ●「日敬の姓名判断」 ●「法座」。 ・立正佼成会では、霊友会の伝統を受け継ぎ、総戒名をそのままとりいれ、先祖供養を実践した。 これは、地方から大都市に移ってきた人間には理解がしやすい信仰の形態だった。 というのも、故郷の農家では先祖供養が営まれているからである。 ・総戒名は、夫と妻の家の先祖を平等のものとして祀るもので、 その点で、一般の農家で実践されている先祖供養とは異なっていた。 農家では、基本的に夫の家の先祖しか供養の対象とはしない。 しかし、都会に出てきたばかりの人間たちが作った新しい家には、記るべき先祖がいなかった。 立正佼成会は、そうした新しい都市民に、夫婦それぞれの家の先祖を記る新しい先祖供養の形式を教えることで、 信仰の基盤を作り上げていった。 タイツあったけ――(゚∀゚)――!! 見た目がバレリーナっぽけど暖かい 想像以上だわ 買ってよかった タイツってか長ズボンのブリーフか 今年も終わりか…… 世が浮かれてるときは特に孤独を感じますな ('A`) / ̄ ̄ヽ、)  ̄ ̄  ̄ ̄ 新年は無視されるkとからスタート(^o^) 世の中に屁をぶっこいてやる ('A` ) ブッーーーー ノヽノ) =3 くく ・しかし、先祖を祁ったからといって、それだけで豊かさを獲得していくことはできない。 生きていれば、さまざまな問題が起こる。 その際に効力を発揮したのが、妙佼の霊感であり、日敬の姓名判断であった。 それによって、問題の原因を明らかにし、それに対処する方法が示されたのである。 ただ、こうした救済の方法は、社会から批判を浴びる可能性があり、 教団の近代化を進める上で妨げになるものであった。 妙佼が1957年に亡くなっていることも影響し、しだいに立正佼成会は そうした霊的な救済手段を表に出さないようになっていく。 妙佼死後の日敬は、教義の体系化を進めていくが、 その際に、仏教学の世界で学問的に追求されてきた釈迦の時代の仏教、 「原始仏教」への関心を深めていく。 法座 p.114 ・法座も、立正佼成会が霊友会から受け継いだ方法であり、立正佼成会の活動の核になっている。 法座には、十人〜二十人くらいの会員が集まり、車座になって話し合いを行う。 「法座は佼成会のいのち」とも言われている。 ・法座に通うことで、信者はそこに集ってくる人間に対して強い仲間意識をもつようになる。 法座の仲間がいれば、いつでも相談することができるし、 リーダーは、問題を解決するために尽力してくれる。 法座は、人間関係のネットワークを与えるという機能を果たし、高度経済成長の時代、 都会に出てきたばかりの人間たちを救うことになったのである。 ・戦後に勢力を拡大してからの立正佼成会は、創価学会と対抗し、 反創価学会系の新宗教教団が集結した「新日本宗教団体連合会(新宗連)」の中心教団として活動を展開した。 また、自民党と公明党が対抗関係にあった時代には、 自民党の候補者を応援し、新宗連を代表する議員も出していた。 公明党が連立政権に入ってからは、民主党の方にシフトし、民主党候補を推薦するようになってきたが 自民との関係を切ったわけではなく、推薦する議員のなかには自民党候補者も含まれている。 平和運動や宗教間対話の運動にも熱心で「世界宗教者平和会議」には、その創立以来関与している。 その他 ・立正佼成会が巨大教団へと発展したのは、高度経済成長の時代。 立正佼成会が誕生する母体になった霊友会の場合も同じ。 立正佼成会の最大のライバルである創価学会が急成長したのも、 やはり1950年代なかばからはじまった高度経済成長の時代だった。 ・こうした新宗教の教団に信者として吸収されていったのは、 産業構造の転換にともなって、地方から都市に移ってきた新しい都市住民たちであった。 彼らは、労働者として、不安定な立場にあった。 大企業に就職することができず、大企業の雇用者や公務員が中心の組合にも入れなかったからである。 都市に新たな人間関係のネットワークを築く上で、新宗教の信者になることは大いに役立った。 ・ここまで見てきた天理教から璽宇までの教団は、仏教と混交はしているものの、 どれも基本的には神道系の教団であった。 仏教とかかわりをもつ場合にも、真言密教の系統と結びついていた。 ところが、高度経済成長の時代に巨大教団に発展したのは、いずれも日蓮系、法華系(ほっけけい)の教団だった。 庶民の信仰から p.107 ・都市の庶民、町人のあいだでは、もともと法華信仰が盛んである。 法華信仰が受け入れられたのは、それが、浄土信仰とは異なり、現世における救いを強調したからである。 霊友会[源流・二代目会長は東京大学印度哲学科博士出身・現在は三分割・意図的な教祖・インナートリップ] ・創設年: 1925年 ・創始者:久保角太郎(くぼかくたろう)&その兄嫁である「小谷喜美(こたにきみ)」のコンビで発足。 霊友会のもとを作ったのは「西田無学(むがく)」 ・本部:東京都港区麻布台1-7-8 (東京タワーのすぐ近く) https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Main_hall_of_Reiyukai_as_seen_from_Tokyo_Tower.jpg 教義 ・よくわからない…… 歴史 ・霊友会のもとを作ったのは、「西田無学(むがく)」という人物であった。 無学は、三重県に生まれた。彼は横須賀に出て、法華信仰をもつようになり、布教活動を展開するようになる。 無学の法華信仰の特徴は、法華経による先祖供養を強調したところにあった。 その信仰が具体的にあらわれたのが、「総戒名」と呼ばれる独自の戒名である。 無学は、布施の額に応じて戒名に院号(戒名の上位)がつけられている現状を批判し、 すべての戒名に院号をつけることを主張した。 しかも、総戒名には、夫の祖先と妻の祖先の両方を含むものとした。 無学はまた、法華経が長くて、在家の信者が読調するのには向いていなかったため、 主要な部分を抜き出して、簡略化した。 さらに、祖先の戒名を書き出していく「霊鑑」(過去帳)も定めた。 簡略化された経典・総戒名・霊鑑は、立正佼成会はじめ霊友会から分かれた教団にも受け継がれていく。 その源を作ったのが、無学だったのである。 ('A`)インフルエンザにかかったかなって思ったらただの風邪で助かった 風邪って一日でなおんだね 久しぶりに風邪引いたんで 人間ってすげえな 霊友会とその分派 p.111 ・無学は、1918(大正七)年に横浜で亡くなり、その教えは弟子の増子酉吉に受け継がれる。 久保角太郎は、1892(明治二十五)年に千葉県で三男として生まれ、 久保家に養子に出されるが、その前に一時酉吉のところに預けられていた。 それが彼を宗教家としての道に進ませることにつながった。 久保家の養母であるシンは精神錯乱を起こし、つきものがつくことがあった。 そのときには、若月チセという行者が呼ばれ、祈祷が行われた。 角太郎は、このチセらと組んで、「霊の友会」を立ちあげるが、うまくいかず、 1925年には兄、小谷安吉・喜美夫妻とともに、「大日本霊友会」を発足させる。 角太郎は、喜美に宗教家としての能力があることを見出し、彼女にひたすら戒名を集めてこさせたり、 断食させたりといった修行を実践させた。 そのなかで、喜美は死者の霊のことばを聞くシャーマン的な能力を体得(たいとく)していく。 これまで見てきた女性教祖の場合には、精神の病を自然発生的なものであったが、 喜美の場合には、意図的に教祖に仕立て上げられたとも言える。 ・大日本霊友会は1930年には赤坂に本部をおき、その4年後には1000名の会員をかかえるまでになる。 戦時中の、大日本霊友会は、戦争を積極的に支持したことから、弾圧を受けることもなかった。 しかし、喜美の性格がきつく、また、大日本霊友会のベースになっているはずの法華経に対する理解がなかったため、 会を離れる人間も出てきた。 ●1935年:岡野正道がぬけて孝道会(現孝道教団)。 ●36年:高橋覚太郎がぬけて霊照会(現日蓮誠宗三界寺)。 ●38年:井戸清行がぬけて思親会。 ●1938年:日敬&妙佼も「大日本立正交成会」を結成する。 日敬は、「法華経の講義なんか時代おくれだ、そんなことをするのは悪魔だ」と言い放つ喜美に疑問を感じたことが、 独立のきっかけだったと述べている。 インナートリップの霊友会 p.118 ・これに対して、霊友会の方は、立正佼成会などが分かれていった後、 戦時中の1944年に久保角太郎が癌で亡くなる。 霊友会の場合、喜美が神懲りする霊能者で、角太郎が組織をまとめる組織者であった。 二人は役割分担をしながら教団の運営を進めてきたわけで、角太郎の死は大きな痛手であった。 そして、戦後の1949年〜53年にかけて、次々と分派が生まれていった。 ●鹿島俊郎の普明会教団。 ●宮本ミツの妙智会教団。 ●関口嘉一の仏所護念会教団。 ●石倉保助の大慧会教団。 ●寮藤千代の法師会教団(現法師宗)。 ●佐原忠次郎の妙道会教団。 ●山口義一の正義会教団。 ……などが次々と分派した。 さらに、 ●50年には金塊隠匿と脱税が、 ●53年には赤い羽根共同募金の横領が発覚した。 ・戦前の分派の際には、分かれていく集団に属する人間の数が少なかったものの、 戦後の分派の場合には、支部をまとめあげている大幹部が多くの信者をともなって分派していったため、 霊友会は大きなダメージを受けることとなった。 逆に言えば、霊友会は、さまざまな教団を生み出す源流としての役割を果たしたことになる。 ・相次ぐ分派によって勢力をそがれた霊友会は、1971年に会長の喜美が亡くなると、 久保の息子である久保継成(つぐなり)が二代会長に就任。 継成は、東京大学の印度哲学科の博士課程を修了したインテリだった。 継成は「インナートリップ路線」を掲げ、若年層をターゲットに宗教活動を展開していく。 インナートリップは、若者向けの人生論雑誌のタイトルでもあったが、それは今なら「自分探し」に相当する。 ・1971年といえば、大阪万国博と連合赤軍事件のあいだにはさまった年で、 若者たちの関心は、政治的な問題から、ファッションや消費に変わりつつあり、 そのなかで、個人としていかに生きるべきかを説く宗教への関心も高まっていく。 ・73年のオイルショツク以降には、 終末論や超能力の取得を売り物にする新しい新宗教「新新宗教」が登場するようになるが、 霊友会のインナートリップ路線はそれを先取りするものだった。 継成は、さまざまな改革をし、先祖供養を中心とした古い体質の霊友会を刷新しようとし、 在家主義仏教を強く打ち出す。 国際仏教学研究所や国際仏教学大学院大学などを設立したが、他の幹部と対立し、 2004年には、「在家仏教こころの会」を作って、霊友会から独立している。 ・その前年には、松本廣(ひろし?)を中心とした集団が「Inner Trip REIYUKAI International」として独立しており、 現在の霊友会は三分割されている。 霊友会の未来 ・戦後社会において、核家族化が進行した。 霊友会系は、そうした核家族を前提に、核家族にフィットする先祖供養の方法を武器にして、その勢力を拡大した。 しかし、時代はさらに進み、核家族さえ解体しつつある。 そうした状況のなかでは、霊友会系教団の先祖供養という武器は、十分に機能しなくなっている。 そこからいかに脱皮するか。インナートリップ路線は、その一つの答えだったわけだが、 若年層のあいだでの人間関係の希薄化のなかで、集うという行為さえ成り立たなくなってきた。 その点で、霊友会系教団は大きな転換点にさしかかっていると言える。 教義 ・創価学会は、日蓮大聖人(1222〜1282)の仏法を信奉する団体。 日蓮大聖人は「自分の幸福を願うならば、まず周囲の平和を祈るべきである」と述べ、 個人の幸せは世界の平和・安穏なくしてはありえないと説いています。 その意味で創価学会は、一人一人の幸せのみならず、真の平和・幸福社会の実現を目指しているのです。 ・会則:第3条……牧口常三郎初代会長、 戸田城聖第二代会長、 池田大作第三代会長の「三代会長」は、 広宣流布(こうせんるふ)実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。 ・広宣流布……死後の世界に浄土を求めるのではなくて、 法華経の教えによってこの世に仏国土を建設していこう、という理想。 同じ日蓮系だけれど p.123 ・霊友会や立正佼成会の信者から布教されることはないし、投票依頼を受けることもない。 立正佼成会では、議員を推薦したりしているものの、独自の政党を組織していないため、 外部の人間に投票依頼の働きかけをすることは少ない。 その他の面でも、創価学会と他の日蓮系新宗教とのあいだには相違点が存在している。 そのなかで一番重要なポイントは、先祖供養に対する姿勢の違いである。 ・霊友会系教団では、先祖供養が信仰活動の核にあり、 総戒名のような独自の供養の形式を定めている。 ところが、創価学会は先祖供養に関心を示していない。 1990年代のはじめ、その創立以来六十年にわたって外護してきた日蓮正宗と決別状態に陥り、 会員の葬儀に日蓮正宗の僧侶を呼ばなくなったときにも、会員が読経し、 戒名を授からない「友人葬」に切り替えることができた。 それも、先祖供養に対して格別関心をもってこなかったことが、 友人葬への切り替えに抵抗感を生まなかった原因になっていた。 ・この点で、むしろ先祖供養を核としている霊友会系教団とはまるで対照的である。 霊友会の信仰のもとを作った「西田無学」は、さまざまな職を転々とした庶民であった。 創価学会の場合、その創立者となった「牧口常三郎」は、 小学校の校長を歴任した教育者であった。 牧口は、新宗教の教祖としてはめずらしくインテリであった。 その点は、創価学会の発展する方向に大きな影響を与えていく。 そもそも、創価学会が創立されたとき、その名称は「創価教育学会」というものだった。 名前からわかるとおり、当初は宗教団体というよりも、教育者の団体としての性格が強かった。 そもそも、「学会」という名前の付け方が、宗教団体らしくない。 ただ、牧口は、創価教育学会を創立する以前から宗教に関心をもっていて、 創価教育学会もしだいに宗教的な活動を展開するようになっていく。 ・日蓮正宗は、日蓮宗のなかの小規模宗派であり、教団としては日蓮宗から独立していて、 独自の教学の体系を築き上げていた。 日蓮正宗の特徴は、 ●日蓮を本当の仏であると考える。 ●日蓮の教えは日蓮正宗の代々の法主にのみ受け継がれてきているという信仰をもっていた。 ●日蓮正宗を国教とすることを主張。 ●自分たちの信仰に合致しないものは、真っ向からそれを否定し、排他的な性格を強くもっていた。 牧口の関心 p.125 ・牧口は、「日蓮正宗を国教にする」ということには関心をもっていなかったが、 日蓮正宗の信仰を広めることに力を注いだ。 彼はひたすら日蓮正宗の信仰を貫き、その信仰に外れた振る舞いに出れば、 かならず罰を受けるという「法罰論」を展開した。 ・一方で、牧口は、霊的なものについては関心をもたず、先祖供養を行うことで、霊による崇りを防ぎ、 それで病気治しなどを行うという、多くの新宗教が採用する救済のシステムをとらなかった。 霊的なものへの信仰は、邪教、邪宗として完全に否定された。 一番重要な点は、先祖供養の重要性を否定したことで、それによって創価学会は、 特異な信仰世界を築き上げていくことになった。 ・その際に、日蓮正宗との関係は重要な意味をもった。 日蓮正宗は、出家した僧侶の集団であり、儀式を営むことができた。 もし、創価学会が、他の宗教や宗派を全否定し、なおかつ出家集団との関係をもたなければ、 葬式や結婚式などの儀式をどうするかという問題に直面しなければならなかった。 ところが、日蓮正宗の僧侶との関係があったために、すべての儀式を彼らに頼むことができた。 勝ち負けという原理 p.137 ・創価学会には、「仏法は勝負だ」という言い方があり、勝ち負けを問題にする。 「聖教新聞」でも、勝利ということばが見出しや記事に使われていることが多く、 選挙でも公明党の候補者の全員当選は「完勝」と表現される。 仏教を勝ち負けで考える点で、創価学会は日本の仏教のなかで異色の存在である。 そして、名誉会長をはじめ会員たちは、中国の「三国志」や「水滸伝」を好む。 歴史 ・牧口が学んだ学校のあった札幌では、キリスト教の信仰が盛んだった。 しかし、牧口が僕心を寄せたのは、「日蓮主義」の運動だった。 牧口は、日蓮主義の講演会に何度か出かけているが、内容に納得できなかったのか、 会員にはならず、日蓮宗の一派「日蓮正宗」に入信する。 戸田というカリスマ p.130 ・1954年、創価学会の青年部員、一万三千人は、富士山の裾野で「出陣式」を行った。 彼らは、創価学会の歌をうたい行進を行ったが、彼らの前に白馬に乗ってあらわれたのが、 創価学会の二代会長「戸田城聖(じょうせい)」であった。 戸田は、初代会長の牧口の弟子で、最初は小学校の代用教員をしていたが、 すぐに学校を辞め、今で言う教育産業に転じた。 戸田には、実業家としての才能があり、受験産業のほか、 出版社や食品会社にも出資し、手形割引の会社まで作った。 それでかなりの収入をあげていたが、稼いだ金は、創価教育学会の活動に使った。 そして、牧口が捕らえられたときには、戸田も他の幹部たちとともに逮捕され、獄につながれている。 牧口の方は、戦争に行った息子が戦死したことにショックを受け、その後老衰と栄養失調で獄死してしまう。 戸田は、その牧口に代わって戦後、組織の再建に取り組むが、 その際に名称を「創価教育学会」から「創価学会」に改めている。 ・戸田は、牧口とは異なり、教育者というよりも実業家であり、性格の面でも、明るくてざっくばらんだった。 ・戸田は、信仰しさえすれば豊かな生活が送れるようになると約束することで、急速に信者を増やしていった。 戸田は、日蓮正宗の教えだけが正しいとして、他の信仰を切って捨て、 「南無妙法蓮華経」の題目さえ唱えていればいいという単純な教えを説くことで、 創価学会を巨大教団に発展させていった。 高度経済成長という社会背景があり、真面目に働いていれば、収入が増え、豊かになれるという可能性が存在した。 そうした背景がなければ、戸田がいくら信仰による「現世利益」の教えを説いたとしても、会員は増えなかったであろう。 ・よく「苦しいときの神頼み」といった言い方がされる。 たしかに、人が宗教に頼るのは、悩みや苦しみを抱えているときである。 だが、本当に苦しいときには、人は神頼みはしない。 不況が長く続き、深刻化しているときには、豊かになれる見込みがないので、神仏に頼ったりはしない。 むしろ、経済が好調で、豊かになれる見込みがあるときに、人は神仏に頼る。 高度経済成長は、まさに神頼みが絶大な効力を発揮した時代だったのである。 政界へ進出した理由 p.133 ・戸田は、創価学会の二代会長に就任した1951年、創価学会の会員は千世帯前後にすぎなかった。 戸田が1958年に亡くなったとき、創価学会の会員世帯は100万に到達していた。 ・戸田は、急速に拡大する組織の力に支えられて、いろいろと仕掛けていった。 ●1955年:創価学会の幹部と日蓮宗の僧侶が教義をめぐって議論を戦わせた際には、 組織を総動員し、創価学会が日蓮宗に勝利したというイメージを作り上げるのに成功する。 ●1955年:地方議会に会員を立候補させ、東京都議会議員一名を含む52名を当選させている。 これが、創価学会による最初の政界進出で、やがては公明党の結成に結びつき、 地方議会から国政へと進出していくことになる。 ・創価学会が政界へ進出したのは、国立戒壇の建立(日蓮正宗を国教とすること)が目的だった。 しかし、戸田は、参議院に議員を送り込むことは認めていたものの、衆議院への進出は否定していた。 しかも、政党を結成すること自体を否定していた。 実際、最初に地方議会に進出したとき、創価学会の会員は、日本民主党と右派社会党から出馬している。 戸田は、国立戒壇の建立だけが創価学会が政界に進出する目的だとは述べていたものの、 創価学会が政党を組織して、政権をとり、それによって国会で国立戒壇の建立の議決をしようとは考えていなかった。 創価学会から出馬した議員は、別々の政党に属し、普段はそれぞれの政党の政治理念に従うものの、 国立戒壇建立にかんしてだけは一致団結してことに当たる方向性を考えていた。 たしかに戸田が生きているあいだには、政党も組織されなかったし、衆議院への進出もはかられなかった。 この二つ(衆議院への進出&政党結成)を実現したのが、三代目の会長に就任する「池田大作」であった。 捏造された戸田の遺訓 p.135 ・池田は、敗戦直後に入信し、戸田の作った出版社や信用組合で働き、 そこで経営立て直しなどに尽力し、頭角をあらわす。 1954年には、創価学会の参謀室長に就任し、その活動の中核を担うようになる。 ・池田は、1957年の選挙で戸別訪問の容疑で逮捕されるが、無罪になっている。 1960年、戸田が亡くなった後、第三代会長に就任する。池田は、このときまだ32歳だった。 池田は、戸田の考えとは異なり、1964年には公明党を結成。 公明党を結成する段階で、衆議院への進出の意思も表明。 池田は、衆議院に進出する意思を表明する際に、「時きたらば衆議院へも出よ」という戸田の遺訓をもちだしている。 しかし、戸田はこうしたことばを残していないし、それは、生前の戸田の考え方とはずれている。 言論出版妨害事件 ・創価学会では、自分たちの組織に対して厳しい批判を展開する人間や組織を「仏敵」と呼び、 仏敵に対しては激しい攻撃を加えた。 それが行き過ぎたのが、1969年〜70年にかけて起こった「言論出版妨害事件」である。 創価学会と公明党が、藤原弘達の著作「創価学会を斬る」に対して、当時の自民党の幹事長、 田中角栄に依頼してまでその出版を妨害しようとしたことから社会問題化し、 最終的には池田が公に謝罪せざるを得なくなった。 そして、創価学会と公明党との政教分離を明確にしなければならなくなり、 公明党の議員は創価学会の幹部の職から離れ、二つの組織は人事面で分離されていった。 もうすぐバレンタインデーじゃん だからなんだよ 自分と無関係の日って覚えないよね さすがにクリスマスはわかるけど その他の祝日とか、なんとかの日とかは全然わからないわ ゴールデンウィークもいつなのかわからない 休日平日関係ないし 休日だから遊ぶに行くわけでも遊ぶ約束があるわけでもないし どうでもいいや ポッキーの日は11月11日 信仰の継承 p.138 ・創価学会は、新たな会員を獲得していくことから、会員のどもや孫に信仰を継承させることで組織を維持、 発展させていく方向に転じ、そしてそれが成功する。 組織の活動に熱心な会員は、日ごろ創価学会の会員としかほとんど付き合わない。 そうした家庭に生まれた子どもたちも、創価学会の子どものための組織である「未来部」で活動することで、 同じように創価学会のネットワークのなかで友だちを見つけていく。 会員同士で結婚すれば、絆はますます強くなる。 しかも、日蓮正宗という僧侶集団と密接な関係をもっていたため、 葬儀を契機に元の仏教宗派の信仰に戻るということもなかった。 さらに創価学会では、十代、二十代の若者たちがマスゲームを行い、 人文字を作る「世界平和文化祭」を開くようになり、それは、若い会員の信仰を覚醒する役割を果たした。 また、創価大学をはじめ、学会系の学園が開設され、 会員のための教育環境が整えられていった。 創価大学では、まったく宗教教育は行われていない。 しかし、学生の大半は学会員で、そのなかから後に幹部となる熱心な学会員が輩出されていった。 創価大学出身者の絆も強くそれは組織内のエリート養成の役割も担っている。 ・言論出版妨害事件で創価学会と公明党の政教分離を明確化しなければならなくなる前、 池田は公明党の事実上の党首と見なされていた。 メディアも、そのようにとらえ、池田の見解が公明党の見解と同一視されていた。 しかし、事件以降、池田の公明党に対する影響力はしだいに低下していく。 1970年代に、創価学会と共産党がお互いに誹誇中傷をしないといった協定を結んだことがあり、 それは「創共協定」と呼ばれたが、公明党の反対で、その内容は実質的に反古になってしまった。 ・現在の創価学会では、池田が日中国交回復に多大な貢献をしたと宣伝しているが、 実際に貢献したのは竹入義勝を委員長とする公明党の方だった。 政教分離以降は、池田が公明党の委員長を独断で選ぶこともなくなり、 委員長、代表のなかにも、池田とはっきり距離をおく人間があらわれるようになる。 前代表の神崎武法などは、「神崎は正月くらいしかこない」と池田を嘆かせるほど関係は疎遠だった。 ・70年代後半に、創価学会と日蓮正宗が対立し、 そのときには創価学会の側が教義からの逸脱を謝罪して事をおさめているが、 それは池田の会長辞任に結びついた。 神格化とポスト池田 p.141 ・1990年代に、ふたたび創価学会と日蓮正宗が対立し、今度は二つの組織がお互いに決別の道を歩むようになると、 創価学会の内部では、むしろ池田を「神格化」する動きが盛んになっていく。 日蓮正宗との関係が切れ、組織を統合するためには、 神格化された池田を組織統合の要として使う必要があっためである。 ・池田を、海外の知識人や大物政治家と対話を重ねる平和運動家として押し立て、 その証拠として池田に贈られた名誉称号の数の多さが強調されるようになった。 ただし、名誉称号は、池田の活動が評価されたというよりも、創価学会の関連団体である創価大学、 民音(民主音楽協会)、東京富士美術館などの活動が評価され、池田がそれを代表して授与されているものである。 こうした関連団体は、池田が創立者になっており、その点で、結局は池田が評価されているのだという 理屈も成り立たなくはないが…… ・創価大学などは、海外の大学と交流協定を結ぶことに熱心で、 それが池田に対する名誉博士号の授与に結びついている。 創価大学と海外の大学との交流には、交換留学などの実質がともなわないものも多く、 名誉博士号獲得のために協定が利用されていると批判されても仕方がない面がある。 ・池田の性格はざっくばらんである。 外部の有識者との対談では、どういった質問がむけられても素直に答えているし、 対談の場に一人であらわれることもめずらしくはなかった。 逆に、組織としては都合の悪いことも洗いざらい話してしまうので、 教団組織の側が外部の人間との接触を制限している部分がある。 その点では、池田の神格化は、池田の「封じ込め」としての性格を併せ持っている。 その他 ・創価学会の布教活動は、「折伏(しゃくぶく)」と呼ばれる。 地域の住民に映画会に誘われ、出かけてみると、池田大作会長(現在は名誉会長)の活動について紹介した 映画の上映会だったり。 選挙が近づくと、元同級生から電話で連絡があったり、直接訪問を受けることがある。 ・昔の創価学会による折伏は相当に激しいものだった。 創価学会は、日蓮正宗という日蓮宗の一派と密接な関係があったことから、 一般の日蓮宗の寺院に集団で出かけていき、寺の住職に問答を仕掛けるというようなこともあった。 キリスト教の教会に出かけていって、キリスト教は間違っていると言い張ったこともあった。 ・宗教教団に属している人間が布教活動を行うのは、ある意味当たり前のことである。 信者となった人間は、その信仰が正しいと考えるから教団に所属しているわけで、 その信仰を他人にも伝えようとする。 その点では、創価学会だけが特殊なわけではない。 むしろ、積極的に布教活動を行わない教団の方が問題だとも言える。 ・創価学会の場合、現在では、婦人部が組織としてはもっとも強い。 ・創価学会は、信仰しさえすれば豊かになれると説く現世利益追求型の教団のため、 現在の経済状態では、信仰しても豊かになれない状況が生まれているわけで、 創価学会はその壁に直面している。 創価学会が、立正佼成会をはじめとする霊友会系の教団以上に一時、 時代の流れと合致していたがゆえに、かえって時代の変化の影響をもろに受けている面がある。 果たしてこの危機を創価学会は乗り越えられるのか。ポスト池田が注目されている。 スマホ買い換えたんだけど 設定メンドクサすぎ('A`) これ毎回思うんだけどいいかげんボタン一つで もとの設定にできるように各社で話し合ってくれないのかな アプリもアプリでバックアップできるといっておいて できないこともままあるし パソコンもそうだけどどうにかしてよ 買い替えが嫌いな原因一位が再設定もめんどくささ('A`) ほんとこれいや 誰かが再設定やってくれるかわりに42.195キロ走れって 言われたら走るレベルで嫌 マジ嫌超嫌疲れちゃったよ('A`) スマホケース間違えて買っちゃって1200円をドブに捨てるの巻('A`) 車検の台車がミライースだったんだけど フロントガラス全面にダッシュボードが映り込んで 視界がしろっちゃけて見えて危ない ガラスの角度もきついからエッセより見づらい 寝ぼけてダイハツからの電話に出たら 車検代10万かかるって言われたような気がするけど…… 俺の記憶違いかな('A`)? 10万なんて払えるか 新しく買ったスマホにガラケーのSIMカード入れようとしたら 入らんかった なんか今一回り小さいマイクロSIMカードみたいなのがでてんだね しょうがないからショップ行ってカード交換してもらおうとしたら ガラケーのプラン変更して月6000円も払うことになるって 言われたからやめた ガラケーとスマホ1台にまとめようと新しいスマホ買ったのに 無駄になった 新スマホのOSがAndroid4.4なんだが 4.4だとプリインストールアプリ以外での外部SDカードの中身の編集ができなくなってる スマホもPCももっと気軽に扱えるものにならないかな アレルギー用じゃないけど 清涼感強いから目の痒みおさまるかなって 疲れ目用の目薬買ったんだけど 目がツーーンとするけど目の痒みは治まらない やっぱり花粉症用の目薬買わないと 世界救世教 [箱根美術館、MOA美術館(3つの国宝)・ 岡田茂吉は大本の元信者・大日本観音会→大日本健康協会→世界救世教・3つの派の包括法人] ・創設年:1935年 ・創始者:岡田茂吉 ・本部:静岡県熱海市桃山町26−1 ・本部 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dd/Kyusei-Kaikan.JPG/250px-Kyusei-Kaikan.JPG 教義 ・「霊界の昼夜逆転」 この世界には、人間の住む「現界(げんかい)」と、目に見えない「霊界」の二つがある。 霊界には昼(善)と夜(悪)があり、今までは霊界の夜の時代であっ たが、 これがまもなく転換して昼の時代となり、この霊界の善が現界におよんで、 この世に地上天国が出現する。 そして、この一大転換期に世を救うために出現したのが教祖・岡田茂吉。 歴史 ・熱海の観光スポットの一つに、MOA美術館がある。 MOA美術館の目玉となっているのが、美術館に所蔵されている三つの国宝。 ほかにも、MOA美術館はかなりの数の重要文化財を所蔵しているし、 豊臣秀吉ゆかりの黄金の茶室が復元されたりしている。 MOA美術館の「MOA」が何の略称なのか。英語表記でも、MOAとはMuseum of Artとなっているだけである。 MOAとは「Mokichi Okada Association(団体・会・組合)」の略称である。 岡田茂吉とは「世界救世教」の開祖である。 そして、MOA美術館の建設された場所は、「瑞雲郷(ずいうんきょう)」と呼ばれていて、 世界救世教では「地上天国」のモデルの一つとしてとらえている。 世界救世教は、箱根に「箱根美術館」も所有しているが、 こちらも「神仙郷(しんせんきょう)」という地上天国のなかにある。 分派と分裂の繰り返し p.146 ・世界救世教の場合、開祖の岡田茂吉が、 世界救世教の前身となる大日本観音会を結成する前に、大本の信者だった。 岡田は、大本の大森支部長をしていた。 ・世界救世教と神慈秀明会が行う手かざしは、そもそも大本に遡るもので、 出口王仁三郎は、患部に手をあてて、病を治す手当て療法を行っていた。 地上天国という考え方も、世界救世教が大本から取り入れたものである。 ・それぞれの新宗教教団は、独自の救済システムを作り上げ、それによって人々を救い、 信者を増やしていく。 しかし、そうした救済システムには特許が与えられるわけではなく、 とくに手かざしのような方法には、特別な修行も必要とされない。 大本、そして世界救世教に分裂、分派が多いのも、この手かざしのもつ特徴による。 お光さま p.148 ・岡田茂吉は、東京の露店商の家に生まれ、一時は画家を志すが、 肺結核となり、十年にわたって闘病生活を送る。 その後、岡田商店という卸問屋を営むが、第一次世界大戦後の反動的不況で経営危機に見舞われる。 そのころ、大本が積極的な宣伝活動を行っていて、茂吉も大本の講演会に出かけ、興味をもつようになり、 1920年に大本に入信した。 茂吉は、熱心に活動していたが、甥の彦一郎が大本本部がある綾部に修行に出かけたおり、 水死したため、一時大本から離れる。 しかし、宗教に対する関心が失せてしまったわけではなく、 大本の開祖である出口なおの「御筆先」を読み込み、そこに「東京はもとの薄野になるぞよ」という予言を見出す。 その予言は、1923年の関東大震災で現実のものになる。 そこから大本の信仰に戻り、神霊学を学ぶが、26年には自ら自動書記を体験する。 茂吉はさらに大本で説かれた鎮魂帰神法の修得に心血を注ぐ。 1931年:夢で啓示を受けた茂吉は、千葉にある寺に参詣し、山の頂上でご来光を仰いだとき、 霊界において夜の時代から昼の時代への転換が起こったことを知る。 そして、霊の世界で起こったことが、そのあと現実の世界に現れるとする「霊主体従の法則」と、 大本の御手代を発展させた浄霊法を確立して茂吉の活動が独自性を発揮するようになったため、 大本のなかで批判が起こり、 1934年には、東京で「岡田式神霊指圧療法」を開始し、 大本を脱退して、翌年には大日本観音会という宗教結社を立ちあげた。 ところが、医師でもないのに治療行為を行ったとして二度検挙され、 それ以降は、大日本健康協会と改称し、指圧に専念する 戦争が終わると、熱海に日本観音教団を再建する。 ・この時代の世界救世教(当時は、日本観音教団)は、組織として統合されおらず、 有力な支部がばらばらに活動していて、そのなかから独立するものも少なくなかった。 ('A`)花粉症がつらすぎる アルガードさしても痒みが治まらなくて 氷で冷やしてやっと痒み収まった 手帳型スマホケース俺には剥いてないかも オシャレなんだけどひらくのめんどい('A`) スパ銭の1000円カット利用してるんだけど 風呂あがりにもみあげがなくなっていることに気がついた まあ別にいいが もみあげのところに俺ホクロあったんだね どうでもいいけど 世界救世教の誕生 p.150 ・世界救世教への改称は、観音信仰からの脱皮をめざしてのことであった。 岡田は、観音に由来する大光明如来を、宇宙の創造神である大光明真神へと改め、 教団の近代化、を進めていった。 その直後に、脱税や贈収賄容疑で執行猶予付きの有罪判決を受けると、 地上天国の建設や、箱根美術館やMOA美術館の設立に結びつく美術品の収集、 そして、自然農法の普及といったことに力を入れていく。 ・地上天国の建設は、現実とは異なる別の世界を作ろうとするユートピア思想にもとづくもので、 そこには現実の社会に対する批判がこめられている。 それは、世直しを説いた大本から引き継いだもので、手かざしによる浄霊も、 間違った世界を浄化する手段として位置づけられる。 そして、自然農法も、農薬や人工肥料に依存した現在の農業に対する批判にもとづくものだった。 こうした自然志向も、世界救世教系の個々の教団に受け継がれている。 ・1955年:岡田が亡くなると、もともと教団としての統合が弱かったために、独立する者が出てきた。 ●佐賀の教会長が独立して晴明教。 ●兵庫の支部長が大本光之道。 ●京都の教会長が救世主教……を設立する。 さらに、1960年代、世界救世教が「一元化」と称する中央集権化を押し進めようとすると、 それに対する反発が起こり、離脱、独立が相次いだ。 そのなかでもっとも大きな勢力をともなって独立したのが神慈秀明会だったのである。 ほかにも、 ●小野田松造の救世真教。 ●後藤英男の救世神教。 ●大沼祐子の救いの光教団……などが独立している。 ・そして、世界救世教の内部でも分裂騒動が起こり、 三つの派に分かれて、それぞれが正統性を主張した。これは、裁判に持ち込まれたが、和解が成立し、 2000年には、世界救世教を包括法人とし、 そのなかに、三つの派が世界救世教いづのめ教団、東方之光教団、世界救世教主之光教団という 被包括法人として所属する形態がとられることになった。 興味深いのは、この三つの教団が2010年には再統合を計画している点である。 分裂もするが、再統合も可能なのが世界救世教の特徴である。 神慈秀明会 ・創設年:1970年 ・創始者:小山美秀子(みほこ) ・本部:京都府京都市左京区鹿ケ谷下宮ノ前町 上記が正式な住所だが、信者らが称する本部とは、[滋賀県信楽町の神苑]の事を指す。 京都府のは、登記上および実務上の本部。 ・京都府本部。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a7/Syuumeikai5989.jpg/220px-Syuumeikai5989.jpg ・滋賀県本部(びっくりするぐらいの山の中にある) http://www3.pf-x.net/ ~ruusan/sub3/310.jpg 教義 ・信者が教団の活動に参加することで、様々な不幸に対し、幸福になるということを説く。 精神面や人生観に関する教えを説く事は少なく、活動主体の団体。 教団の目標は「人類救済、地上天国建設」。 歴史 ・日本には、世界救世教以外にも、もう一つ天国の美術館をめざしているところがある。 それが、滋賀県にあるミホ・ミュージアムである。 MOA美術館が日本美術を中心にして、時代も広くとっているのに対して、 ミホ・ミュージァムの方は、エジプト、メソポタミア、エーゲ海、インダス、 中国の古代文明に由来する品々を中心に集めている。 美術館としての方向性は異なるものの、MOA美術館とミホ・ミュージァムは、 地上天国に作られた美術館ということでは共通している。 それもそのはずで、ミホ・ミュージアムを作ったのは「神慈秀明会(しんじしゅうめいかい)」という 世界救世教からの分派なのである。 ミホ・ミュージァムの名称は、神慈秀明会を創立した小山美秀子(みほこ)に由来する。 神慈秀明会は、世界救世教に対する強い対抗意識があり、 ミホ・ミュージァムの建設もMOA美術館を意識してのことである。 神慈秀明会の歴史と活動 p.152 ・神慈秀明会を創立した小山美秀子は、1910年に大阪で生まれ、 学校を卒業した後、キリスト教主義にもとづく東京の自由学園で学んだ。 小山晃吉と結婚し、家庭に入ったが、三人目の子どもを出産する際に体調を崩し、 岡田の弟子から浄霊を受け、大日本健康協会に入会する。 美秀子は、自宅で浄霊を行い、やがて岡田の直接の弟子になっていく。 戦後には、京都に移り、1949年には、自宅が布教所から教会に昇格し、 それは秀明教会と呼ばれた。 そして、教会員の数を増やしていき、離脱する前の年、1969年には、 1万8千人を超える人間を抱えるまでになっていた。 ・神慈秀明会の二代目会長となる小山壮吉は、晃吉・美秀子夫妻の長男に生まれ、 同志社大を卒業し、アメリカのUCLAに二年間留学した経験あった。 そして、世界救世教から離脱後は、海外で教勢を伸ばすことに成功したが、84年に48歳で亡くなっている。 ・その後を継いだのが、妹の小山弘子。 また、世界救世教からの離脱後には、街頭での浄霊を積極的に押し進めることで、 教団の勢力を拡大していき、美術館の建設を可能にする財力を蓄えていったが、 なかには布教に専心することで、学業を辞めてしまったり、仕事を放棄してしまう人間が出てきて、 社会的な批判を受けることにもなった。 そこから、神慈秀明会はカルトと見なされるようになり、教団内部ではその点を反省し、 1997年には新体制への移行を宣言している。 真光系教団 ・創設年:1959年 ・創始者:岡田光玉(おかだこうたま) 世界真光文明教団の創設者 [世界救世教の岡田茂吉とは別人] ・本部:静岡県伊豆 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d9/Sekai_Mahikari_Bunmei_Kyodan_20111016.jpg 教義 真光の業(手かざし)と正法の教えの実践に励み、病・貧・争・災より解放され、 健(無病化)・和(無対立)・富(脱貧)を実現する事によって地上天国文明を建設するとする。 歴史 元軍人の開祖 p.154 ・世界救世教は分裂や分派をくり返しているが、浄霊や聖地の建設、自然農法への関心といったところで 共通しているのが、世界真光文明教団(岡田光玉)や崇教真光(岡田恵珠)といった真光系教団である。 実際、その創立者となる岡田光玉(おかだこうたま)は、 一時、世界救世教の有力な信者、布教師であった。 ただ、光玉が世界救世教の影響を受けていることは間違いないにしても、 教会ごと脱退しているわけではないので、分派とは言えない (世界救世教を脱退してから、新たに教団を設立したみたい) ・光玉は、1901年、陸軍少将主計総監までつとめた岡田稲三郎の七人姉弟のただ一人の男の子として東京に生まれた。 光玉は、陸軍に入隊し陸軍中佐にまでのぼりつめた。 その後、実業界に転じる。 この時期に宗教に関心をもち、生長の家や大本、そして世界救世教とかかわりをもった。 ・1959年のある日、光玉は5日間高熱にうなされたなかで、神の啓示を受ける。 58歳のときである。 光玉は「L・H陽光子友之会」を創立。事業家としての活動を続けながら、宗教活動を展開。 1963年には、名称を世界真光文明教団に改めた。 若者が関心をもった新宗教 p.156 ・光玉は、不幸の原因が悪霊によるによるものだととらえ、浄霊によってその悪霊を取り除くことができると説いた。 (浄霊は手かざしのようなもので、誰でも簡単にできる) ・光玉は、1962年から、神による裁きである「火の洗礼」がはじまったとする終末論的な予言を行った。 こうした予言は、七三年のオイル・ショック以降、 世の終わりに対する恐れを抱いた若者を教団のなかに取り込んでいく上で重要な役割を果たすことになった。 しかし、1974年に光玉が七十三歳で亡くなると、後継者が決まっていなかったため、内紛が起こる。 それは、裁判沙汰にまでなり、 教団は弟子の関口柴が継承。 光玉の養女であった岡田恵珠(けいしゅ)が独立して崇教真光を名乗った。 崇教真光 手前の白い建物が教団本部 http://www.news-postseven.com/picture/2013/02/suukyoumahikari1.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/Sukyo_Mahikari_Headquarter_01.jpg 光神殿 http://kura42.com/swfu/d/hi1.jpg ・世界真光文明教団からは、依田君美(よしだきみよし(男))神幽現救世真光文明教団が独立している。 鼻かみすぎて頭痛い((´д`)) パブロンの舐める錠剤を水で飲んでた 食道がすごいスースーするからなんかおかしいなとは思ってたんだけど パブロン速溶錠糞不味い('A`) あとひくまずさ 味どうにかしろ(# ゚Д゚) 世界救世教・神慈秀明会・真光系教団 まとめ ・浄霊には組織による活動を必要としない。 法華系の教団では、法座や座談会を通しての人的ネットワークの形成が極めて重要であり、 その点で、組織は共同体的な性格をもつ。 ところが、世界救世教系・真光系では、そうしたものはない。 一時、真光系の教団は、新宗教としてはめずらしく若者を集めているということで注目された。 それも、組織活動への参加を強く求めない点で、若者たちは、比較的気軽に教団にかかわっていくことが できたからである。 しかし、簡単にかかわれるだけに、抜けていくのも簡単である。 その点で、組織の永続性を保つことが難しい。 そして、世界救世教のように、一元化という教団組織の引き締めを行えば、 教団内に反発が生まれ、分裂を引き起こすし、信者を勧誘へと駆り立てれば、 神慈秀明会のようにカルトとして社会からの批判を浴びることになる。 そこに、こうした教団の組織運営上の難しさがある。 PL教団 p.159 ・創設年:1925年・御獄教徳光大教会本部を設立。 1931年・扶桑教ひとのみち教団を立ちあげる。 1946年・パーフェクト・リバティー教団として再建。 ・創設者:御木徳一(みきとくはる) ・本部:大阪府富田林市 ・「大本庁」 http://www.perfect-liberty.or.jp/slideshow/seiden.jpg 「大平和祈念塔」 http://blog-imgs-54.fc2.com/y/a/n/yansu777/DSC00284.jpg 教義 ・PL教団の教義となる「PL処世訓」。 これは、徳近が神から啓示されたものとされ、その第一条が「人生は芸術である」。 「人は平等である」 「世界平和の為の一切である」 「一切は進歩発展する」 「真の自由に生きよ」 ……といったところには、戦前とは異なる戦後的な価値観が示されている。 「男性には男性、女性には女性の道がある」のように、伝統的で保守的な教えも含まれている。 ・1.神示(みしらせ)……神が警告として人間に与える苦悩。 2.神宣(みおしえ)……教祖等によって授けられる、神示の原因を教える神の言葉。 3.身代り……教祖等が、信者や教師に突発的に起こった苦悩を、本人に代わって引き受けること。 4.祖遂断(おやしきり)……これを唱えると、神や教神の余徳と教祖の力が授けられ、苦悩や災難からまぬがれる。 5.遂断(しきり)……信者が物事を行うまえに、必ず成し遂げることを神に誓う。 ・信者は必ず班に所属し「教座(きょうざ)」と呼ばれる座談会に出席し、教団の教えを学習する。 信者は、神に何かを願うとき、お礼を言うときには「宝生袋」に任意でお金を入れ献金する。 これをすると、教祖の祖遂断によって利益が得られるなどとしている。 社会との調和 p.169 ・芸術や自己表現の強調は、教団のイメージアップには役立つが、 信者を集める武器になるものではない。 やはり、新宗教が信者を集めるのは信仰による病気治しの実践を通してで、 PL教団の場合にも、その点は重要な意味をもっている。 ・PL教団では、まず病を「みしらせ」としてとらえる。 これは、病を神からのメッセージとしてとらえる見方にもとづくもので、人が心得違いをしたとき、 神が警告を発すると考えられている。 これは、PL教団にかぎらず、多くの新宗教で採用されている考え方で、すでに天理教に見られた。 天理教では、病はすべて親神が人間の心得違いを直させるために引き起こしたものだと考えられている。 病が神からのメッセージだとしても、一般に信者には自分がどういった心得違いをしているかがわからない。 そこで、PL教団では、「みしらせ願」を出し、担当の教師から、 原因と対処の仕方について解説をしてもらうことになる。 これが、「みおしえ」である。 ・さらに、「お身代わりの神事」というものがある。 病による苦痛を一時、教団の教祖の肉体に引き取ってもらうものである。 こうした病気治療の考え方は、迷信と言われかねない部分をもっている。 ・PL病院は、三百七十床のベッド数を誇り、六十八名の常勤医師を擁する総合病院に発展している。 医学を否定しないことで、社会との摩擦が起こることを事前に防いでいる。 そして、儀式にかんしても、結婚式や葬式、地鎮祭や七五三など、独自の形式を作り上げた。 また、各地域での座談会や本部での研修も実施。 およそ、新宗教の教団がやりそうなことをすべて取り入れた。 PL教団から、修養系の団体を除いて、分派が生まれてこなかったのも、 このシステムを全体として実践するには組織としてかなりの規模が必要だからであろう。 歴史 徳光教という母体 p.164 ・PL教団開祖の「御木徳一」は、1871年、商人の家に生まれた。 ところが、父親が商売に失敗し、近くの寺の養子になった。 その後、寺で修行し、諸国を遍歴。 その間に名前を何度か変えたが、最終的に徳一を名乗り、最初に得度した寺の住職になるが、 貧乏寺で生活が立ち行かなかった。 そこで、二十三歳のときに結婚した妻と三人の子どもを連れて、 僧籍を離れ、大阪に出て商売をするようになる。 そして、徳光教という宗教を開いていた金田徳光と出会い、その信者となって活動するようになる。 この徳光教が、PL教団の原点となり、教団のなかで徳光は、「幽祖」と位置づけられている。 徳光教の金田徳光 ・「徳光」は、丁稚に入った店の主人の影響で、弘法大師信仰をもつようになり、真言宗の修行を行った。 そして、1912年に、教派神道の一派、御獄教に所属する「徳光教会」を設立。 徳光は、相場の予想や商売のコツを伝授したり、病気治しを行っていた。 病気治しは、病気を自分の体に引き受け、それで治そうとするところに特徴があり、それは、「お振替」と呼ばた。 ・御木徳一は息子の御木徳近(御木徳一の息子)とともに徳光教で活動したものの、1919年に徳光が亡くなる。 御木徳一は、その後を継ぎ、1925年には御獄教徳光大教会本部を設立し、 1928年には扶桑教(ふそうきょう)に移り、31年には扶桑教ひとのみち教団を立ちあげる。 ひとのみち事件 p.166 ・ひとのみち教団は、中国や朝鮮半島にも進出し、各地に支部が作られていった。 ひとのみち教団がこれだけ発展したのは、体制に対して極めて従順だったからである。 ・しかし、ひとのみち教団が100万人を超える信者を獲得し、 社会的な影響力をもつようになると、国家はその動向を危険視するようになっていく。 1935年には第二次大本事件が起こっており、国家は新興の宗教教団に対する統制を強めていた。 それはひとのみち教団にも及び、 37年、教団本部に特高警察が入り、教祖をはじめ幹部たちを逮捕し、教団は解散させられた。 ひとのみち教団は、体制に順応する姿勢を示しており、不敬にあたるような信仰など保持していなかった。 それでも、教祖の徳一は、厳しい取り調べを受けて、保釈中に死亡。 御木徳近が懲役四年の有罪判決を受けたほか、教団幹部にも有罪判決が下った。 徳近は入獄し、敗戦によって不敬罪が消滅するまで、獄にいた。 PL教団としての再生 p.168 ・1945年に徳近が出所すると、教団の再建が始まった。 教団名称は、ひとのみち→パーマネント・リバティー教団に改称。 パーマネント・リバティーはすぐにパーフェクト・リバティーに改められている。 ・1970年:富田林の本部に建設された高さ百八十メートルの「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」は、 徳近自らが原型をデザインしたもの。 http://pds.exblog.jp/pds/1/201203/30/96/e0264696_8322891.jpg 1970年は、大阪万国博が開かれた年で、大阪には岡本太郎の太陽の塔と、 この大平和祈念塔という特異な二つの塔が出現したことになる。 名門PL学園 p.161 ・全国の私立高校のうち、およそ三分の一が宗教団体を経営母体としている。 そのうち6割がキリスト教系の学校。 仏教系はキリスト教系の半分。 神道系はごくわずか……である。 新宗教系は20校ほどに過ぎない。 ・天理高校の創立が1908年であるのに対して、PL学園の創立は1955年と歴史は半分である。 各高校が、甲子園出場に力を入れるのは、基本的に、生徒の募集に役立てるためだが、 PL学園の場合には、PL教団の教義「人生は芸術である」ということが影響している。 人生を芸術としてとらえるということは、自己表現を重視することであり、 教団ではスポーツにも力を入れている。 その代表がゴルフで、大阪富田林市にある本部に隣接して、 教団グループが経営するゴルフ場、聖丘カントリークラブがある。 このグループでは、ほかに三つのゴルフクラブをもっている。 日本一の花火 p.162 ・PL教団を有名にしているのが、毎年8月1日に行われる花火大会。 打ち上げられる花火の数は12万発。 隅田川の花火大会が2万発。東京湾大華火祭が1万2000発。 PLが打ち上げる花火の数は、東京湾の十倍である。 ・この花火大会は、客寄せや観光行事としてではなく、あくまで宗教行事として営まれている。 正式名称は「教祖祭PL花火芸術」と言う。 PL教団の初代教祖の御木徳一が晩年、自分が「死んだら嘆いたりせずに花火を打ち上げて祝ってくれ」と 話していたという。この遺志にしたがって、教祖の亡くなった日に、花火が打ち上げられている。 ・コンピュータの導入にも熱心で、1966年に導入されている。 それは、「宗教は科学と一致する」という考えにもとづくものから。 ・56年には、PL病院を開院し、70年代には、東京と大阪に健康管理センターを作っている。 これは、会員制の健康管理組織で、会員は定期的に人間ドックを受けられるようになっている。 ・ほかにPLランドというレジャーランドを作ったこともあるが、これは閉鎖されてしまった。 ・宗教法人としての認証を受けるには、アルファベットの表記が認められておらず、 PL教団の正式な名称は、パーフェクト・リバティー教団である。 パーフェクト・リバティーとは「完全なる自由」という意味。 ・PL教団は、戦前に弾圧を受けたということは、教団の歴史のなかに深く刻まれており、 今でもその点を忘れてはいない。 オウム真理教の事件後、宗教法人法が改正になり、各宗教法人は、 財産目録や収支計算書などをを所轄庁に提出しなければならなくなったが、PL教団はそれを拒否している。 教団としては、この法改正が、宗教の不当な取り締まりに結びつくことを懸念してのことで、 そこに戦前の経験が影響していることを認めている。 辯天宗[智弁学園・智弁和歌山] ・「奈良代表の智弁学園」と「和歌山代表の智弁和歌山」は、「辯天宗(べんてんしゅう)」を母体にしている。 辯天宗は、真言宗の僧侶だった大森智祥とその妻、清子が戦後に開いた仏教系の新宗教で、僻財天を祀っている。 清子は、子どもを生んだ後に体調を崩し、拝み屋で見てもらったところ、 僻財天を祀るように言われ、それを実践。 そして啓示を受け、救済活動をはじめた。 信者数は、公称で30万人程度で、それほど大きな教団とも言えない。 むしろ智僻学園や智涛和歌山の方が名高い。 両校は兄弟校で、理事長は同一人物。 金光教 ・もう一校、二○○七年夏の大会に出場したのが、金光大阪。 金光大阪の母体となっているのが、岡山に本部がある「金光教」。 金光教は、幕末維新期に誕生した。 金光教は、金光大阪以外にも、金光学園、金光八尾、金光藤蔭という高校をもち、 金光学園には中学もある。 さらに、関西福祉大学という大学も作っている。 真如苑(しんにょえん) p.172 [創価学会と対立・明確な目標なし・立川の土地・創価、立正についでNO3の新宗教] ・創設年:1936年→立照閣 1948年→まこと教団 1953年→真如苑 ・創設者:伊藤真乗(いとうしんじょう) ・本部:東京都立川市柴崎町1-2-13 ・本部 https://www.shinnyo-en.or.jp/images/information/img01_1.jpg ・真如苑が取得した武蔵村山の土地 http://project-murayama.jp/images/outline/main-img.jpg 教義 ・真如苑では、伊藤夫妻の死亡した2人の息子を「両童子」と呼び、崇拝している。 両童子の霊界からの働きによって、信者の苦しみを取り除き、代わりに受けると説く。 ・教団では「三つの歩み」を信者に義務づけている。 (1)「お救(たす)け」……布教・勧誘活動。 (2)「歓喜」……金銭の寄付。 (3)「奉仕」……教団のさまざまな活動に労力を提供。 これらを行うことによって、自身の持つ「悪因縁(あくいんねん)」を断ち切ることができると教えている。 日常的な宗教 p.178 ・信者たちが施設で体験する修行は、入神した霊能者によって霊言が下されることになる。 そうきくと、シャーマンのようにお告げを下す場面が想像されるが、そうではない。 霊能者は特別な格好をしていないし、入神するのに本尊にむかって印を結び、唱え言をするだけ。 教団では、誰もが霊能者になることができるとしている。 霊能者が一人の信者に相対する時間も三分程度で、霊能者が発する霊言の内容も、 教えを再確認したり、先祖の不幸を聞き出したり、信者の健康状態を確かめるといったものである。 霊能者自身、霊からのことばを仲介しているというよりも、 自らの直感にしたがってアドバイスを行っていると認識している。 そして、自らの接心が終わると、信者たちはその場を去っていく。 霊能者にしても、接心が終われば、入神を解き、やはりその場を退いていく。 こうした接心は、シャーマニズム的というより、カウンセリングに近い。 ・もし創価学会で活動していた人間が、真如苑にやってきたとしたら、 ひどくもの足りない思いをするのではないだろうか。 創価学会では、選挙の場合に一番よくあらわれているように、組織による活動が中心になっている。 活動の核にある座談会にしても、雰囲気は極端なほど明るく、信者は皆積極的である。 そうした宗教に慣れた人間は、真如苑に接して、肩透かしを食ったように思うのではないだろうか。 逆に、真如苑の信者であれば、創価学会員の積極的な活動についていけないと感じるはずである。 歴史 ・真如苑のことが最初に広く知られるようになったのは、80年代半ば。 当時、人気の絶頂にあった沢口靖子をはじめ、 高橋恵子や鈴木蘭々、松本伊代、大場久美子といった女優、 タレントが真如苑に入信していると伝えられたから。 ・バブル時代には、高度経済成長の時代ほどではないにしても、 人口の都市への集中という現象が起こり、新宗教に信者拡大の余地を与えた。 そうした社会的な変化が、真如苑(本部・立川)と、創価学会(創価大学は八王子。東京西部に強い地盤をもつ)との 対立を生んだ。 ・真如苑は、霊的な能力の開発を売りにしていた。 バブル時代の宗教ブームでは、霊能の開発を売り物にした教団が注目されることが多かった。 バブル崩壊後、宗教ブームも下火になった。 そして、地下鉄サリン事件が発生し、宗教は危険だというイメージが強まった。 世間の新宗教に対する関心はさめ、むしろその動きを警戒するようになった。 911テロは、それに拍車をかけた。 宗教ブームを煽ったメディアも、宗教の動きを伝えることがなくなり、 研究者も新宗教の研究から手を引くようになっていった。それにともない、 90年代に入ると、真如苑が注目されることもなくなった。 それでも、2001年には、真如苑が、立川市と武蔵村山市にまたがる日産自動車村山工場の跡地を 購入したことで話題になった。 工場跡地は全部で約百四十ヘクタールに及び、真如苑はそのうちのおよそ四分の三、百六ヘクタールを取得した。 取得金額は739億円にのぼると言われている。 新宗教のNO.3 ・信者数公称で90万人。 200万と言ったことで、かえって危険視され、それがメディアによる批判に結びついたりした。 そこで、教団は施設を訪れる人数を、磁気化された信徒カードをもとに割り出し、90万人と称している。 日本の新宗教のなかで、創価学会、立正佼成会についで第三位の教団ではないだろうか。 ・創価学会や立正佼成会の場合、教団を巨大化させる上で、高度経済成長という要員が大きかった。 ところが、真如苑の場合、その創立は、二つの教団と同様に戦前に遡るものの、 大きく発展したのは高度経済成長の時代の後。 創価学会や立正佼成会の著しい伸びが止まった後に、真如苑は巨大教団への道を歩みはじめた。 真如苑が、高度経済成長の時代ではなく、そののちに発展したということは、 それだけ今の時代に適合しているということを意味している。 修験としての出発 p.180 ・真如苑の創立者、伊藤真乗(いとうしんじょう)は、 1906年、山梨県北巨摩郡秋田村(現北杜市)の農家に生まれる。 伊藤家は、村の名家だった。 伊藤家には、代々易学が伝えられ、真乗の母親は天理教を信仰していた。 真乗は十七歳で上京し、石川島航空機に勤務するが、 石川島航空機が立川に移転し立川飛行機になったため、1931年に立川に移る。 その翌年、真乗は従兄妹の内田友司と結婚する。 友司の伯母の玉恵と祖母の内田きんは、ともに霊能者で、友司自身、その資質を受け継いでいた。 真乗は、家に伝わってきた易の「甲陽流病麓紗」にしたがって周辺の人々の相談に乗っていたが、 真言宗の僧侶、大堀修弘と出会い、1935年には自宅に不動尊像を祀るようになった。 年が明けると、真乗は、会社を辞め、宗教家としての活動に専念する。 信乗のもとに集まってきた人たちを組織し、自宅で不動尊像を祀り、そこを立照閣と称した。 ・1936年:真乗・友司夫妻を不幸が襲う。 長男の智文を1歳のときに失った。 この子どもの死は、後に大きな意味をもつ。 真乗は、宗教家として病気治しなどを実践していたわけで、自らの子どもを亡くすことは、 その宗教家としての能力への疑いを起こさせる可能性があった。 しかも、52年には、智文の死後に生まれた次男の友一も15歳で亡くなっている。 なぜ不動尊に帰依し、修行を行っているのに、子どもを失わなければならないのか。 そこに大きな矛盾が生じた。 その際にもちだされたのが、子どもたちが人々の苦しみを代わりに引き受けるために亡くなったという考え方。 子どもたちには、救済者としての役割が与えられ、教団の宗教活動のなかでも重要な役割を担うようになる。 これは、天理教で、教祖である中山みきの死後、二十五年の寿命を縮めて、 人々の救済にあたるという教義が確立されたのと似ている。 真乗は、子どもの死を乗り越え、講員も200名ほどに増えていった。 真言宗からの独立 p.183 ・1938年に真乗は、立川に、真言宗醍醐派立川不動尊分教会を設立。 既成仏教の傘下にあったため、弾圧や取り締まりを受けることはなかったが、逆に大きく発展することもなかった。 ・既成仏教の傘下にあっては、独自な活動を展開する上で限界がある。 戦後すぐに、真乗は真言宗の傘下を離れ独立を果たす。 戦後、醍醐寺は、真言宗醍醐派として独立したが、立川不動尊分教会はそこに所属せず、 真乗は、教会を真澄寺と改称し、真如苑の前身である「まこと教団」を設立する。 ・1950年:ところが、修行中にリンチを行ったとして真乗は幹部の一人から告発され、逮捕されるという事件が起こる。 教団は現在でも無実を主張しているが、真乗には執行猶予付きの有罪判決が下った。 この事件は大きく報じられ、教団は大打撃を受け、離反する信者も少なくなかった。 52年には、次男の友一が亡くなる。 悪化した教団のイメージをアップさせるため、真乗は53年に教団名を「真如苑」に改める。 ・1967年、友司が亡くなる。 友司の死後、真乗が後妻を迎えようとして、娘たちと対立し、長女や次女が離反するという出来事も起こるが、 やがて友司は「霊祖」と位置づけられ、霊界において救済を司る存在としてとらえられるようになっていく。 これは、早世し、両童子として信仰の対象となってきた二人の息子が負っていた役割を引き継ぐものであった。 真乗の方は83歳まで生き、89年に亡くなっている。 あとを継いだのは、真乗・友司夫妻の三女、真聴(しんそう)であった。 その他 ・真如苑は、創価学会などとは異なりある時期に爆発的に伸びたわけではない。 けれども着実にその勢力を拡大していった。 ・さらに重要な特徴は、真如苑には、世直し的な側面がいっさい見られない点。 一般に、新宗教が勢力を拡大するのは、社会が危機に陥ったり、不安定化している時期である。 新宗教は、社会の問題点を批判し、このままの状況が続けば決定的な危機が訪れることを強調し、 世界の根本的な刷新が起こるという予言を行うことで、信者を集めていく。 それが基本的なパターンだが、真如苑にはそうした面はまったく見られない。 ・教団は将来の危機を予言したりしないので、信者が熱狂したりすることはない。 それは、教団の安定に寄与している。 教団が終末を予言し、それで信者を集めたとしたら、必ずその予言が外れるときを経験しなければならない。 それは教団にとって根本的な危機であり、予言が外れたことに失望した信者は教団を去っていくことになる。 あるいは、終末への危機意識が強くなりすぎると、一部の信者が暴走し、社会問題を起こすこともある。 ただ、世直し的な側面をいっさい強調しないということは、教団の活動の目標を立てにくくしている。 真如苑に、将来に対する明確な目標はない。 ・目標の不明確さは、新たに取得した武蔵村山の土地の計画にもっともよく示されている。 その土地は、交通の便はよくない。 将来においてそれが改善される見通しもない。 応現院をそこに移すことに、それほどのメリットはない。 したがって、武蔵村山の土地をどのように活用するか、明確なプランは立っていない。 ・真如苑は、決して危機にあるわけではない。 むしろ、これからも発展していく可能性がある。 そのスタイルが、現代に適合的だからである。 しかし、そのあまりに日常的な光景は、かえって不安を生み出していく。 教団全体がそのまっとうさに、どこかで飽きてしまうのではないか。 日常の退屈さをいかにしのぐかが、現代の人間の根本的な問題である。 極めて現代的な真如苑という教団は、退屈さをしのぐ機会は与えてくれそうにはないのである。 GLA(God Light Association)p.190 ・創設年:1969年 ・創始者:高橋信次(たかはししんじ) ・本部:東京都台東区雷門2-12-9 https://www.gla.or.jp/about/map/images/sogo.png 教義 ・時代が変わっても変わる事のない「神理」、すなわち釈迦、イエスが説いた教えに戻れと主張。 歴史 ・高橋信次は、1927年、長野県の農家に生まれた。 兄弟は10人いて、高橋はその真ん中で次男。 十歳のときに原因不明の病で生死の境をさまよい、その際に、臨死体験をしたことが、 高橋が宗教の世界に関心をもつ原因になった。 戦後、日大工学部の電気学科に学んだ。 1950年:二十三歳の時に、ラジオや電蓄の組み立てを行う小さな町工場を、東京の大田区池上に作った。 これがのちに高電工業の設立に結びつく。 GLAを生んだ宗教的な環境 p.195 ・高橋の兄弟姉妹の多くは、創価学会の会員になっていた。 きっかけは、50年代に、高橋の義兄が腎臓結核となり、片方の腎臓を摘出しなければならなかったことにある。 高橋の姉とその義兄の夫婦は、創価学会に救われたと考え、入信。 高橋が言うには、姉夫婦の折伏は狂信的で、その結果、兄弟姉妹の多くが創価学会に入信した。 高橋自身は、創価学会に入信はしなかったが、姉などに折伏されたことで、仏教についての認識を深めていった。 ・創価学会とのつながりはあるものの、教えの中身ということでは、根本的な違いがあった。 創価学会の場合には、霊的な現象に対する関心は希薄で、 一般の新宗教で言われる先祖の霊といった側面はまったく見られない。 GLAの場合には、むしろ霊的な現象への関心を特徴としていた。 ・高橋には、十四代前の先祖があらわれ、武田信玄によって殺されたときのことを語り出した。 高橋の義弟には、紀元前千三百年、エジプトで生まれた「ワン・ツー・スリー」という霊が下って、 人間のあり方について教えられた。 また、高橋の守護霊が四世紀ごろの中国にいた「フワン・シン・フワイ・シンフォー」であることを教えられる。 ・普通、新宗教で霊と言えば、先祖の霊が基本である。 高橋にも先祖の霊が降りてはいるが、それよりも重要な働きをしたのが、 古代エジプトや中国の霊である。 こうした霊が下ることは、新宗教ではめずらしい。 そこに、GLAの新しさがあった。 ・高橋のもとには、そうした話を聞いて、霊現象に関心をもつ人間たちが集まるようになった。 GLAの特徴は、実際に高橋や会員たちに霊が下り、古代のことばで霊言を語ることにあった。 高橋に下った松下幸之助の霊は、イエス・キリストの弟子ルカの生まれ変わりであると言い出したりした。 ・1969年:四月八日の釈迦の誕生日に、「大宇宙神光会」が発足。 翌70年に、会の名は、現在のGLAに改められている。 ・高橋は、GLAが宗教法人になる以前、71年から大阪にあった宗教団体、 「瑞法会」で講演をするようになっていたが、この瑞法会は、霊友会から独立した教団だった。 瑞法会は、教団ごとGLAに帰依するようになり、まるごとGLAの関西本部となった (高橋の死後、独立し、高橋の教えをもとにしながら独自に活動している)。 瑞法会には数千人の会員がいたものと思われる。 ・東京にあったキリスト教会が、宣教師と建物ごとGLAに移ってしまったこともあった。 ・GLAが発足して六年にして、高橋の健康は悪化し、76年に亡くなっている。 高橋の宗教家としての活動歴は、10年にも満たなかった。 この時点で、GLAの信者数は9千人弱だった。 高橋が亡くなると、事業の方は、妻一栄が継いだ。 GLAの方は、当時日大の哲学科で学んでいた娘の「佳子」が跡を継ぐこととなった。 ・後継者となった佳子は、「ミカエル・ポーイズ.アンド・ガールズ」という親衛隊を作り、 彼女が登場すると、親衛隊は、「ビバ・ミカエル」と叫び、肩を組んで歌を唄ったりした。 それはまるで、アイドルを取り巻く熱狂的なファンといったおもむきだった。 しかも、佳子自身が「父、高橋信次の教えは無意味である」などと発言したことから、 古くからの会員の反発をまねき、GLAを去って、別の団体を作るという動きが生まれた。 ●園頭広周の「国際正法協会」 ●堀田和成の「借和会」……などが分裂した。 ただし、GLAという母体自体規模が小さかったこともあり、こうした分派は発展せず、 国際正法協会は園頭の死後、解散している。 その後、GLA本体の方は、アイドル路線を脱し、活動はより現実的なものになっている。 ・佳子の講演会は集団的なカウンセリングに近いもので、佳子は、一人の参加者の人生の歩みを分析し、 その方向性に対して示唆を与えていく。 GLAらしさが出るのは、佳子が亡くなった人間の霊を呼び出し、その霊のメッセージを伝える場面である。 しかしそれは、神懸りして霊言を語るといったものではない。 テレビ番組「オーラの泉」で、スピリチュァル・カウンセラーを称する江原啓之が、 霊界からのメッセージを伝えるのに似ている。 ・こうしたGLAの講演会は、宗教というイメージからはむしろ遠い。 佳子にしても、ビシッとスーツを着こなし、新宗教の教祖というよりも、有能な女性経営者という雰囲気に近い。 そもそも、GLAでは、神や仏といった存在は表に出てこない。 ・ただ、活動が現実的である分、教団は大きくは伸びていない。 信者の数も2万人台で、大規模な宗教施設も建設していない。 総合本部は、浅草の雷門の近くにあるが、普通のビル。 その他 ・2003年:白装束集団。 教祖、千乃裕子。 千乃がGLA(ジー・エル・エー総合本部)の元信者で、教祖である高橋信次が亡くなったときには、 後継者争いに敗れ、それで千乃正法会という団体を設立したとも言われたが、 GLA側は彼女がGLAの信者であったことさえ否定している。 この場合には、GLA側が言うように、千乃は信者でもなければ、 後継者争いにかかわったこともなかったと考えていいだう。 ・しかも、GLAには、真如苑の場合と同様に、世直し的な側面は見られない。 開祖である高橋の考え自体に、その傾向はあった。 GLAが、これまで社会的な問題や事件を起こしてこなかったのも、 世の終わりが近づいていることを説き、急激に信者を増やすことがなかったからである。 その点でも、GLAから千乃正法のような集団は生まれない。 ファンの多い教祖 ・不思議なことに、高橋信次の場合、GLAの外側に熱心な信奉者がいて、 高橋は死後にその人物の前に出現し、メッセージを残したりしている。 ・「経済界」という雑誌を刊行してきた佐藤正忠は、高橋とはその生前に付き合いがあったが、 高橋の死後十六年目に、「奇跡の復活高橋信次」という本を刊行している。 これは、高橋が佐藤の前に出現し、生前に自分が語っていたことには間違いがあるとし、 その正しいメッセージを記録したものだとされている。 ・同種のものとしては、一時幸福の科学が刊行していた高橋の霊言集がある。 その数は十六冊にも及ぶが、生前の高橋を知る人々からは激しい反発を受けた。 ・千乃も、機関誌で二回にわたり、幸福の科学批判を展開している。 現在では、幸福の科学から高橋の霊言集は刊行されていない。 経営者としての側面 p.193 ・GLAに特徴的なことは、高橋が生涯にわたって専門の宗教家にはならなかった点である。 高橋は生前、町工場の経営者であった。 その町工場は、現在、高電工業株式会社として存続している。 社員は全部で100名弱。 ・GLAの信者数は多くはない。 高橋が存命中、10万人と言われたこともあるが、れ以降示される数字は次第に減少しており 2006年時点で、公称2万6千人である。 ・現在のGLAの活動は、ひどくまっとうであり、問題にすべきところもほとんどない。 これからの新宗教が進んでいくべき道を示しているとも言える。 しかしそれは、現代社会に対する批判性を失っているからだとも言える。 批判性を失い、日常化した新宗教が、どこまで信者の関心をつなぎとめておけるのか。 それは、GLAだけの問題ではなく、新宗教全般にあてはまる課題である。 風呂掃除の棒はプラスチックじゃダメ 力入れると曲がっちゃうから次は金属のやつにしないと スポンジが固定されてて棒が金属のやつ 土曜日か 曇ってるわぁ 死ぬまでこんな生活送るんだろうか俺 あとがき ・新宗教がカルトとして糾弾されるのは、その教団が、世直しの思想や終末論を強調したとき。 世直しの思想や終末論は、新宗教がその勢力を拡大する際の最大の武器である。 この世界に終わりが近づいていて、世直しの必要があると説くことで危機感を煽り、 世の終わりへのカウントダウンがはじまっていると期間を限定することで、信者を熱狂させるとともに、 新しい信者を呼び寄せていく。 今信者にならなければ救われないと説き、入信を促す。 そうした手段をとれば、信者を急速に拡大することができる。 しかし、危機感を煽ることは、信者に過激な布教方法をとらせることにつながり、社会問題を引き起こしやすい。 あらゆる手段が正当化され、違法な手段が奨励される。 そして、仕事を辞めたり、学校をやめて入信してくる人間も出て、家族などと軋轢を生む。 しかも、終末が近づいているという予言は必ず外れるわけで、 失望感や教団に対する不信感を生むことにもつながる。 ・もう一つ、新宗教が問題を起こすのは、積極的な金集めを行ったとき。 新宗教の大きな特徴としては、巨大建築物を建てようとするところにある。 そうした建築物を作るには多額の費用を必要とする。 それは、信者からの献金によって賄われるわけで、ときに強引な金集めが行われることがある。 教団の側が強引な手段に出なくても、信者の側は、献金の額の多さと信仰の強さを結びつけ、 多額の献金をすることを信仰の証としてとらえる。 逆に、献金の額が少ないことは、信仰に熱心ではない証拠としてとらえられ、批判の対象にされていく。 なかには、相当に無理をして献金をする人間も出てきて、やはりそれが家族との軋轢に結びつくことがある。 ・教勢の拡大に勢いがついている時代には、とくに問題を起こしたり、 社会から警戒されたりしやすい。 そして、弾圧や取り締まりを経験することで、自分たちの教団のあり方にも反省を加え、 社会性のある行動をとるように変化していくのが普通である。 こに新宗教の成熟の過程を見ることができる。 逆に、成熟を拒めば、いつまでもカルトとしての批判を免れることができない。 オウム事件以降 P.210 ・最近では、格差社会ということが言われ、社会に新たな貧困層が生み出されているが、 新宗教がそうした人間たちを信者として取り込むようにはなっていない。 日本の新宗教は、むしろ経済発展が続く海外の諸国でその勢力を拡大している。 日本では衰退しつつある教団でも、海外ではめざましい発展をとげている例がある。 海外の諸国では、日本で新宗教を爆発的に拡大させた高度経済成長と同じことが起こっているからである。 新宗教のこれから P211 ・新宗教が勢力を拡大するのは、社会が混乱した状況や過渡期にあるときで、 とくに経済発展が著しいときに伸びていく。 その点で、現在の状況は、新宗教が活況を呈するものにはなっていない。 各新教団も、信仰をいかに下の世代に継承していくかで苦労している。 ・創価学会のように、人間関係のネットワークを作り上げ、 子どもたちもそのなかで成長していくという環境が作られれば、 信仰をそのまま受け継いでいくが、多くの教団はそこまでのネットワークを作り上げてはいない。 現在、その勢力を拡大しているのは、真如苑のように、比較的穏健で、 癒しを与えてくれる上に、集団行動をあまり要求しないような教団である。 ・あるいは、現在でも終末論を説き、強引な布教活動で問題を引き起こしている「顕正会」の場合には、 創価学会を批判して、国立戒壇の建立を主張しているが、伸びている地域は首都圏の周辺に限定され、 主に高校生などの若い層をターゲットにしている。 ただ、顕正会の場合にも、集団的なエネルギーの爆発のようなものは見られない。 むしろ、行き場を失い、将来に対する展望が開けない若者たちが、逃げ場を見出しているという感覚が強い。 ・一時中国で爆発的に伸びた法輪功のように、インターネットを媒介にして広がっていくような新宗教もある。 ・新宗教に集まってくるのは、その時代の大きな流れについていくことができなかったり、 社会のあり方に不満をもっている人々である。社会が変われば、不満の中身も変わるし、 どういった人間が不満をもつかも変わる。 その点で、新宗教は時代を映す鏡としての性格をもっている。 その鏡に何が映るのか。私たちは新宗教のこれからを見つめていかなければならないのである。 ・新宗教は既存の宗教的な伝統の上に登場するものである。 ・新宗教は、基本的に都市の産物であり、 急激な都市化という背景がなければ、その勢力の拡大は見込めない。 ・信者たちは、みきが神であることを前提とし、その前提の上にみきのふるまいを解釈し、 そこから意味を引き出し、救済の可能性を見出していったのである。 ・日本にかぎらず、新しい宗教がこうした終末論的な予言によって、 急速に勢力を拡大していくことはよく見られることである。 一般には、予言が外れることで、多くの信者は教団を去り、残った人間が、 予言が外れたとを正当化する新たな教えを作り上げることで、 危機を脱していくというのが典型的なパターンとなっている。 ・宗教法人を管轄しているのが文化庁の宗務課。 宗務課では、毎年、「宗教年鑑」を刊行しており、 そこには宗教法人としての認証を受けている各教団の信者数も掲載されている。 ただ、宗務課では実態調査を行っているわけではなく、 各教団が申告した数をそのまま載せている。 それは、「公称」の数字であり「実数」ではない。 ほかに、宗教法人の信者数についての調査はない。 それは必要なことかもしれないが、それぞれの教団は地盤とする地域を異にしており、 そうした調査を行うなら全国調査を実施しなければならない。 それだけの規模の調査はとても無理だ。 最近では個人のプライバシーの問題が言われ、信仰の有無や、 その対象を問うような調査はかなり難しくなっている。 ・宗教教団に属している人間が布教活動を行うのは、ある意味当たり前のことである。 信者となった人間は、その信仰が正しいと考えるから教団に所属しているわけで、 その信仰を他人にも伝えようとする。 その点では、創価学会だけが特殊なわけではない。 むしろ、積極的に布教活動を行わない教団の方が問題だとも言える。 ・さらに重要な特徴は、真如苑には、世直し的な側面がいっさい見られない点。 一般に、新宗教が勢力を拡大するのは、社会が危機に陥ったり、 不安定化している時期である。新 宗教は、社会の問題点を批判し、このままの状況が続けば決定的な危機が訪れることを強調し、 世界の根本的な刷新が起こるという予言を行うことで、信者を集めていく。 それが基本的なパターンだが、真如苑にはそうした面はまったく見られない。 ・教団は将来の危機を予言したりしないので、信者が熱狂したりすることはない。 それは、教団の安定に寄与している。 教団が終末を予言し、それで信者を集めたとしたら、 必ずその予言が外れるときを経験しなければならない。 それは教団にとって根本的な危機であり、 予言が外れたことに失望した信者は教団を去っていくことになる。 あるいは、終末への危機意識が強くなりすぎると、 一部の信者が暴走し、社会問題を起こすこともある。 ただ、世直し的な側面をいっさい強調しないということは、 教団の活動の目標を立てにくくしている。 真如苑に、将来に対する明確な目標はない。 ・あらゆる宗教は、最初、新宗教として登場する。 ・新宗教が、既成の宗教とはまったく異なる完全に新しい宗教であるかと言えば、そうではない。 日本の新宗教は、神道か仏教の影響を必ず受けていて、多くはどちらの影響も受けている。 キリスト教系を除けば、神道とも関係がなく、仏教とも関係がないような新宗教は存在しない。 ・新宗教の大きな特徴は、分派が多いということと、教団同士のあいだに対立が起こりやすいということ。 新宗教では、その宗教教団を生んだ特定の教祖がいることが多く、 その特殊なカリスマが吸引力になって教団を統合している。 ところが、教祖がいくら神格化されたとしても、人間であることに変わりはなく、 いつかはその寿命をまっとうする日が訪れる。 教祖の死は、新宗教の教団にとってはもっとも大きな危機であり、 それを契機に、後継者争いが起こったり、分派が生まれたりする。 とくに分派が生まれやすいのは、教祖が生前神憑りをし、信者に神のお告げを下していたような教団の場合。 教祖が亡くなれば、新たに神のお告げを媒介する存在が求められる。教団では、新たな人間を神のよりしろとして定めようとするが、そうした人間が教祖の家族から出るとはかぎらない。そうなると、教祖の家族と新しいよりしろとのあいだに対立が起こったりする。 また、教団の外側に、自分こそが新たな神の依代であると主張する人間が生まれやすい。 ・手かざし等、特別な修行なしに実践できるものは、分派や分裂が起こりやすい。 ・信仰は批判的な意見にも耳を傾けたうえでも崩されることのないものであるべき。 【日本の10大新宗教・おしまい】 今年の冬は電気毛布とファンヒーター買い換えなきゃ お金ばっかかかる ゴールデンウイイイイイイイイイイイイイイクウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ 予定なし! 10年以上予定なんてない 反貧困 湯浅誠 2008年発行 第1章 ある夫婦の暮らし p.3 ・結果だけを見て結論を急げば、そこには必ず自己責任論が入り込む。 「現在の望ましくない結果をもたらした責任は、本人自身にある」という主張だ。 しかし、人々の「生」は、そこまで単純なものではない。 「知る」とか「判断する」というのは、もう少し丁寧な作業でなければならない。 ・50日間のネットカフェ生活で一番辛かったのは、泊まり始めて二週間後ぐらいから 店員の対応が急にぞんざいになったこと。 「隣に並んだ客には丁寧に受付するのに、自分はもう「客扱い」ではなかった」。 きちんとした接客サービスをしなくても明日も来る人だと思われたからか、 それともネットカフェで暮らさざるをえない人たちへの差別意識か。 貧困は自己責任なのか? p.15 ・小学生のときに両親を失う.貧しい家庭に育ち、精神的な疾患を抱える。 このような事例は、しばしば「極端な事例」「レアケース」として個人的な不幸・不運の問題と片づけられがち。 また、数年間にわたって非正規労働を転々とする、具合が悪くて仕事が続かないといった部分は、 根性が足りない、計画性がなどと非難されやすい。 だが、そのような見方では、まじめに働き続けているのに少年期・青年期の不幸・不運がその後の人生で修正されず、 這い上がろうにもそれを支える社会の仕組みがない、という問題を見落としてしまう。 誰にも頼れない状態の放置をそのまま正当化するのが自己責任論だが、 自己責任論を声高に主張する人も、自分一人で生きてきたわけではないだろう。 官・民にわたるサポートの不在は、本当に肯定されるべきものなのか。 現代の日本社会に人々が貧困化する櫛造的な要因があるのではないか、という疑念を生じさせる。 第2章 すべり台社会・日本 p.19 三層のセーフティネット ・第一:雇用のネット……正規雇用者、非正規雇用者。 ・第二:社会保険のネット……厚生年金、健康保険、雇用保険、労災保険。国民年金、国民健康保険、介護保険。 ・第三:公的扶助のネット……生活保護。 雇用のセーフティネット p.21 ・1990年代の長期不況以降、正規から非正規への一雇用代替が急速に進み、 非正規労働者はこの10年間(1997?2007年)で574万人増え、正規労働者は同時期に419万人減った。 非正規労働者は今や、全労働者の3分の1(1736万人)が非正規であり、 若年層(15?24歳)では45.9%、女性に至っては、5割を超えている(53.4%)。 また、米価も暴落(1990年代前半には「60キロ2万円」:2006年には「1万4000円台」、約30%減)するなど、 自営業主の生活の厳しさも露になっている。 ・フリーターの平均年収は約140万円であり、年収200万円以下の給与所得者が2006年、1022万人に達した。 ・このような雇用状況は、人々が望んで作り出したものではない。 未だかつて正規雇用を募集しても人が集まらず、非正規雇用を自ら望む人たちが多数を占めたという時期はない。 「自由で多様な働き方」を求めて、人々が非正規労働に流れていったとする考え方は後付けであり、実際のプロセスを歪曲している。 ・実際には、1990年代の長期不況の中で、企業による労働者の非正規雇用化が徐々に進行していった。 当時の経団連が一部の主力正社員以外は派遣や請負による非正規でまかない、それによって人件費を 軽減して企業業績を好転させようと提唱した。 その後、事態はその提言どおりに進行した。 企業が生き残り、日本経済が不況を脱するためには非正規化もやむなし、 という風潮のもと、働く人たちの意思とは別のところで非正規化が進めらていった。 ・また、非正規労働が蔓延する中で、正規労働者の地位の切り崩しも進んでいる。 「働きたい人は他にいくらでもいる」と言えば、多くの人は黙ってしまうからだ。 残業代を支払わないために、役職だけ管理職名をつける手法も横行している。 社会保険のセーフティネット p.24 ・社会保険のセーフティネットにも、大きな穴が空いてしまっている。 失業給付。法律上は、たとえ非正規であっても、 一定の要件を満たしている場合には雇用保険・健康保険等の加入義務が生じるが、 実際には非正規労働者がフルタイムで働いているにもかかわらず、加入しない会社がたくさんある。 ・失業給付に至っては、1982年には失業者の59.5・%が受け取っていたが、2006年には21.6%にまで落ち込んでいる。 原因は、失業給付の受給資格を持っていなかったため。これも、自己責任と言うには無理がある。 ・国民健康保険も同様。国民健康保険料については、 2006年で480万世帯(19%)、金額で9.85%という高い滞納率が問題となっている。 一部の新聞報道は「払わない」人たちが増えたと強調している。 しかし、その背景には、加入者の49.4%が60歳以上、53.8%が無職、 世帯主が雇われて働いている世帯の61.5%が年収200万円未満という中で、 国民健康保険料と、それが所得に占める保険料負担率が上がり続けている、という事情がある。 ・保険料の長期(1年以上)滞納者に対する「被保険者資格証明書」の交付は、34万世帯(2007年)に上っている。 調査対象となった3600余世帯のうち、年収200万円未満が67%(100万円未満が38%)である。 路上で暮らす野宿者は言うまでもなく、いわゆる「ネットカフェ難民」の73.2%は健康保険に加入していない。 もちろん、この人たちが民間の医療保険に加入できる可能性は、さらに低い。 ・その結果、過去一年間で「具合が悪いところがあるのに 医療機関に行かなかったことがある」低所得者層(年収300万円未満、貯蓄30万円未満)は40%。 ・資格証を交付されている世帯の医療受診率は、交付数一位の神奈川県で3%程度、 二位の福岡県で0.9%程度と、事実上、医療受診の機会が奪われているのに等しい。 ・保険証がなく医療費を支払えないために受診が遅れた末に死亡した人は、 2005?2007年の2年間で少なくとも29人いたとされている。 ・さらに国民年金保険料の実質納付率は2006年度に5割を切り、 無年金者は近い将来80万人に達すると一言われている。 公的扶助のセーフティネット p.28 ・生活保護受給世帯は、1995年に過去最低の72万世帯88万人で「底打ち」して以降、 この十数年増え続け、2006年には107万世帯151万人に達している。 ・北九州市で、生活保護を受けられずに、または生活保護を廃止されて餓死するに至った事件が3年連続で発生。 実際に生活保護基準以下で暮らす人たちのうち、どれだけの人たちが生活保護を 受けているのかを示す指標に「捕捉率」がある。 政府は捕捉率調査を拒否しているが、学者の調査では、日本の捕捉率はおおむね15?20%程度とされている。 ●20%として約400万世帯600万人、 ●15%とすれば約600万世帯850万人 の生活困窮者が生活保護制度から漏れている計算になる。 15?20%しかカバーできていないのでは、もはやネットの「穴」と言える状態ではない。 ・この背景の要因のひとつが、自治体窓口で申請させずに追い返す「水際作戦」が全国で横行していることである。 日本弁護士連合会の電話相談の結果によれば、自治体窓口で保護の申し出を拒否されたうち、 66%が自治体の対応に生活保護法違反の可能性があった。3人に2人が違法に追い返されている可能性がある。 ・2004年度の「申請率(相談に訪れた人たちのうち、どれだけが申請に至っているか)」の全国平均値は30.6%。(会計検査院) ・生活保護と言うと「必要のない人が受けている」「不正受給者がいる」と言われることがあるが、 生活保護の不正受給件数は2006年度で1万4669件である。 必要のない人に支給されることを「濫給」と言い、本当に必要な人に行き渡らないことを「漏給」と言うが、 1万4669件の濫給問題と600万〜850万人の漏給問題と、どちらが問題の性質として深刻か、見極める必要がある。 すべり台社会 p.30 ・非正規化が進んだ後に労働市場に出ていった若者たちにとって、 正規雇用職に就くことはかつてよりずっと難しくなっている。 正規雇用のパイが減っているのだから当然だ。非正規で働けば、より高い失業リスクにさらされる。 派遣労働の合間、または企業業績のわずかな変化の影響で、失業の憂き目に遭うことがある。 しかし彼らの多くは、非正規であるがゆえに雇用保険に加入しておらず、 失業しても失業給付を受けることができない。 失業しやすく雇用のネットからこぼれ落ちやすい非正規労働者ほど、 実は社会保険のネットにも引っかかりにくい。 失業給付の受給資格をもつのは、現実には失業のおそれの低い大企業の正社員が中心であり、 失業給付はその意味で、格差是正機能を持ち合わせていない。 ・つまり、三層であるべきセーフティネットが、雇用のネットで非正規労働者の足元に空いている中央の穴が、 社会保険のネットでも公的扶助のネットでも同じ位置に空いているのである。 「三層」と言えば、一つをすり抜けても次で引っかかる三段構えの安全網をイメージするが、 非正規労働者にとって三つのネットはワンセットであり、そこから丸ごと排除されている。 一段目から落ちる人は二段目も三段目も素通りしてしまう構造になっている。 OECD(経済協力開発機構)は、税と社会保障移転による相対的貧困率削減効果が 日本では極めて少ないことを指摘しているが、 その原因は、このようなセーフティネットの排他性にある。 彼らは、一度雇用のネットからこぼれ落ちたが最後、どこにも引っかかることなく、どん底まで落ち込んでしまう。 日本社会に広がる貧困 p.33 ・年間を通じて働いているのに年収200万円未満という人が1000万人を超えている。 年収200万円未満が総数4753万世帯の18.9%、898万世帯を占める。 ・高齢者では、無収入が5.3%、月収10万円未満が40.0%に達している。 ・子どもの貧困率は、ユニセフの2005年度調査で、OECD加盟24ヵ国中10番目に高い14.3%。 1990年代を通じて2.3%上昇。 ・家計貯蓄率(可処分所得の中から貯蓄に回した割合)。 2006年度で3.2%と9年前の3割以下に減少した。原因は、昼雇用環境の悪化。 企業業績は、2006年度に売上高で前年度比3.9%増の1566兆4329億円、 経常利益も5.2%増の54兆3786億円といずれも過去最高を記録している。 にもかかわらず、日本の労働分配率(経常利益等に占める人件費の割合)は、 1998年をピークに2001年以降減り続けている。 ・1998年の70.9%から、2006年は61.7%まで下落している。(農林中金総合研究所) ・日本では2002年から景気回復が始まり、名目GDPが14兆円増える一方、雇用者報酬は5兆円減った。 だが、大企業の役員報酬は一人当たり5年間で84%も増えている。 また、株主への配当は2.6倍になっている。ということは、パイが増える中で、人件費を抑制して、 株主と大企業の役員だけが手取りを増やした。 その結果、戦後最長の景気上昇期間を経験していながら、従来であれば好況期には減少していくはずの 生活保護受給者が増大していく、という異常事態に立ち至っている。 ・2006年のOECDによる対日経済審査報告で、2000年時点の日本の相対的貧困率は、 加盟25ヵ国中5位の15.3%、また18?65歳の生産年齢人口について見れば、 データのある17ヵ国中アメリカに次いで2位(13.5%)となった。 食うための犯罪 p.39 ・三層のセーフティネットがいずれも機能不全に陥る中で、刑務所が第四のセーフティネットになってしまっている。 第一から第三のいずれのネットにも引っかからなかった人たちが 「塀の外では食べていけない」ために、生きるために罪を犯し、刑務所に入っている。 ・刑務所を満期出所した65歳以上の高齢受刑者の約7割が、出所後に罪を犯して再入所していたことが、 法務総合研究所の調査で分かった。 高齢受刑者対象のアンケートでは半数以上が金銭的に困窮していたと回答。 法総研は「再犯の背景は経済的に不安定なことなど。 司法の枠を超えた対策が必要だ」と指摘している。 ある国選弁護人の話。 ・彼は現在53歳で、ここ数年間、都内の公園で野宿者として生活していたのですが、 今月、饗銭泥棒を行っていたところを逮捕され、現在刑事被告人となっています。 過去にも同種の罪を犯し裁判を受け執行猶予中の身でしたので、今回は実刑判決が避けられない状況です。 彼は、前回の裁判後、定職に就き、社会復帰しようとそれなりに努力したものの、 高齢のホームレスを雇ってくれるところが見つからず、職探しを断念したという事情があるようです。 私は、彼の今後の更生・社会復帰のためには、住居と職を確保することが必要不可欠であると考えていますが、 前回の経緯をみても、彼一人でこれらを行うことは非常に困難であると思われます。 ・被告人Kさんの行った「饗銭泥棒」による被害額は150円。 わずか150円のために起訴されている。 検察はそのような彼にも1年6ヵ月を求刑した。 さすがに判決は10ヵ月に短縮されたが、それでも前の執行猶予が取り消されたために、 Kさんは以後3年近く服役することとなる。 ・高齢刑法犯が10年で3.7倍に増えた北海道では(うち万引が52%)、 警察が「万引の被害店舗が全件届け出をするなど毅然と対処して再犯を防ぐことが必要」と呼びかけていた。 「どんな理由があろうと、罪を犯してはいけない」というのは、正論である。 たとえ150円であろうと、金を盗んだ以上、Kさんは「自己責任において」罰せられても仕方ないのかもしれない。 しかし社会の目的は、彼を刑務所に送ることではなく、犯罪を減らすこと。 彼が再び刑務所に戻らないために本当に必要なことは、 彼が饗銭箱に手を伸ばさなくても生きられるようにすることではないか。私がKさんに差し入れたのは、自分で書いた生活保護申請のノウハウ本だった。 「刑務所に入りたい」が動機となった刑事事件は、2005年〜2007年に報道されただけで66件。 いずれも生活さえできていれば、犯さなっただろうと思える犯罪が少なくない。 ・治安悪化が「神話」であることは、すでに指摘されている(『犯罪不安社会』光文社新書2006年)。 現実に進行しているのが「塀の外では食べていけない」ことによる貧困を原因とする犯罪だとすれば、 刑務所新設よりも効果的な治安維持策があるはずだ。 「愛する母をあやめた」理由 p.44 ・日本の多くの人たちにとって、すべり台の途中にある歯止めは、公的なセーフティネットではなく、家族・親族。 家族の支えがあるかどうかが、決定的な分かれ道となってしまっている。 それは、家族の支え合い機能の重要性と同時に、日本社会が家族に異常な負担を強いる 社会であることを示している。 ・2006年、北九州市でミイラ化した遺体で発見された56歳の男性は、複数回福祉事務所に相談に行き、 申請意思を明確に示していたにもかかわらず、次男および長男の援助を受けるよう言われて、 申請を拒否された末に餓死した。 次男は、夜間のコンビニアルバイトが唯一の収入だった。 『2006年、京都市内の河川敷で、54歳の男性が86歳の母親の首をタオルで絞め、庖丁で首を切って殺害した。 その後、ナイフで自分の左首、腹、左手首を切り、さらに近くの木で首を吊って自殺を図る。 しかし、男性は意識を失って倒れているところを通行人に発見され、一命を取り留める。 男性は、幼少期から父親に「他人に迷惑をかけてはいけなどと言われて育ったという。 38歳のときからは、月収20万円弱の給料で彼が両親を養うようになるが、44歳のときに父親が他界。 そのころから母親に認知症の症状が出始める。 47歳で会社をリストラされた彼は貯金を食いつぶす生活に突入し、1年で生活費に事欠くようになった。 それでも派遣会社に就職でき、月収18万円の給料をもらって生活を立て直す。 母親の症状が徐々に悪化する中、2005年からは介護のために週に数日は一睡もできない状態になり、 六月には母親の俳掴行動をきっかけに仕事を減らした。 七月下旬にはデイサービスを利用することとし、仕事と介護の両立を図ったが、 新しい環境に戸惑ったのか母親の症状は急激に悪化し、九月上旬には仕事をやめ、 失業給付を受け取る道を選んだ。 この間、男性は七月中旬に京都市の福祉事務所を訪れて生活保護の相談をしているが、 職員は「がんばって働いてください」と言うのみだった。 八月から九月にかけても同様の相談に行っているが、対応は同じだった。 失業給付はわずか3ヵ月。 何とか年を越したものの、二月分の家賃3万円をどうしても支払うことができなくなった。 一月下旬、他人様に迷惑はかけられない、もう死ぬしかない、と観念する。 母親に「もうお金もない。もう生きられへんのやで」などと話しかけると、母親が「そうか、アカンか」 「おまえと一緒やで」などと答える、という会話が繰り返された。 男性は、一月三一日最後の親孝行にと車椅子の母親を連れて繁華街を散策し、 帰宅することなく夜に犯行現場となった河川敷に到着。 早朝まで覚悟が決まらないまま、母親と前記同様のやり取りを繰り返していた。 早朝、母親が「わしがやったる」と発言したことで意を決し、犯行に及んだ。 男性は、生活保護を受けさせなかった国を恨み、この国に生まれたことを恥じる内容などを書いた遺書を残していた。 男性は、承諾殺人罪を問われ、2006年7月21日に京都地裁で判決が出た。 裁判所は「結果は重大だが、行政からの援助を受けられず、愛する母をあやめた被告人の苦しみや 絶望感は言葉で言い尽くせない」と述べて執行猶予付とした他、 「日本の生活保護行政のあり方が問われているといっても過言ではなく、 この事件を通じて何らかの変化があるものと思う」と異例の説諭を行った』 ・社会保障の脆弱さのツケを家族や親族が背負わされている。 NPO誇大広告エクセル(スポンサー問い合わせ)国交省長ハローワーク指導員バイトレベル提携製薬会社(アニメ話不真面目不必要)五輪チャイナタウン https://www.youtube.com/watch?v=DCUeqBJjldE 虎の門いじめ宇ドナルドクリントン王室 NOP渋長ハローワーク財団指導員 https://www.youtube.com/watch?v=W0YDIbRKBv0 NOP渋長ハローワーク指導員(JA道路公団引き伸ばし)新橋飲酒運転アジア所沢練馬偽装ニュース スチュワーデスサービス不足わがままげいのう横浜市支部たにチャイナタウンキャスター 40代「共産党マイナス金利撤退」弁解社員(財団研究員すしランチ) 40代排気ガス排出中国ヘルメットトラック騒音エンジン電車 40代★契約書★報道ギルガメッシュナイトニュース 児童虐待の原因 p.48 ・児童虐待の原因は親の人格の問題、平たく言えば「とんでもない親がいたものだ」と受け止められる傾向にある。 しかしそこにも「すべり台社会」の中でどん底まで落ち込んでしまった家庭の苦悩が反映しているケースが少なくない。 ・2003年:調査対象となった17児童相談所で実施された一時保護510件の中、 生活保護世帯・市町村民税非課税・所得税非課税の家庭は全体の44.8%を占める(不明・無回答を除けば65.5%)。 また、神奈川県における児童養護施設・乳児院入所児童の扶養義務者の所得階層状況を見ても、 同世帯は2003年で87.7%に上り、その比率は1990年の76.0%と大きくは変わっていない。 児童虐待問題が社会的に認知されるようになった1990年代末以降、 全国の児童虐待相談件数は増え続け、2006年には3万7323件に達した(1990年は201件)。 ・ペルトン氏「20年以上にわたる調査や研究を経ても、児童虐待やネグレクトが強く貧困や低収入に 結びついているという事実を超える、児童虐待やネグレクトに関する真実はひとつもない」 ・雇用のネットで支えられずに「働いていれば食べていける」状態にもなっていないにもかかわらず、 社会的なサポートが得られない。そのために家族内部にストレスが増幅し、誰も望まない結果をもたらす。 「どんな理由があろうと、児童虐待は許されない」というのは正論。 しかし本当に必要なことは、子どもの虐待をなくすことであって、 親の治療や処罰はそれに必要なかぎりで行えばいい。 ・「悪いことをしたから罰する」という短絡的な厳罰主義ではなく 「被害をなくすために本当に必要なことは何か」ということのはず。 「あの人たちは受けるに値しない」と親たちを福祉サービスから排除することによって、 誰にとっても望ましくない結果を招いている。 ・子を奪われた親が傷つき、親と引き離された子が心に傷を負うだけではない。 社会的なコストとしても、「生活保護で親子が生活する時以上の税金(18万円弱)が、 子ども一人のみの施設生活(20万円弱)にかかってしまうという経済的な非効率さ」がある。 ・児童虐待やネグレクトを減らすためには、少なくとも貧困ラインの上まで家族の収入を増やすこと。 ・貧困と児童虐待とに密接な関連がある。 社会保障の不在が家族内部のストレス・矛盾を高め、 それがもたらした結果に対して公的機関がさらに誤った対応を行い、 問題を取り返しのつかないところまで追いやってしまう。 その悪循環を見ることなく、親たちの個人的な問題として片づけ、親子を不必要に引き離しているのだとしたら、 社会の罪はあまりにも重い。 p.53 ・生活保護法は、住所不定状態の場合に、現在いる場所での生活保護申請を認めている(一九条一項二号)。 したがって「自分で住所を定めてからでないと、何もできない」というのは、明らかな違法対応。 ・夫婦を車中生活に放置すれば、いずれは心身が疲弊して働けなくなり、 子どもも親と切り離されて施設で育つことになる。 他方、早めに生活保護を適用して住居を確保すれば、仕事を見つけて再び働き、 親子が一家として暮らすことが可能となる。 どちらが子どもにとって、親にとって、行政にとって、社会にとって、望ましいものであり、かつ〃得〃なのか、考えるまでもなく明らか。 ・北九州市の生活保護受給世帯に占める母子世帯比率は、他の政令指定都市に比べて極端に低い。 (札幌市15%、さいたま市2.2%、千葉市7.4%に対して、北九州市1.8%)。 貧困の世代間連鎖 p.55 ・生活保護受給者(世帯主)が育った家庭も生活保護を受けていたという世帯は、 ●390世帯中98世帯(25.1%)。 ●そのうち母子世帯については、106世帯中43世帯(40.6%)が二世代続けて生活保護を受けていた。 ・経済的に困難な家庭に生まれる子どもは、豊かな家庭で成長した子訓どもと同等の機会や発達条件、 将来の可能性から排除される危険の高い生育環境にある。 ・貧困の世代間連鎖には構造的な要因がある 「ネットカフェ難民」調査でも、「困ったことや悩み事を相談できる人はいますか」という問いに対して 「親」と答えたのは、わずか2.7%。「相談できる人はいない」が42.2%。 ・生まれ育った家庭の貧困は、子どもの学歴にも影を落とす。 現在、大学卒業までの子育て費用は、一人当たり平均2370万円かかる。 GDPに占める学校教育費は3.5%と、OECD30ヵ国中29位であり. それが国立大学標準で年間53万5800円(2006年)という世界一高い学費をもたらしている。 年収に対する在学費用の割合は、年収200万?400万円の世帯で57.3%に達する。 ・公立高校に通うにも学習費総額(授業料・通学費・学習塾費等)で年平均52万円が必要で、 年収400万円未満の低所得者層でも年間43.4万円を支出している。 ・授業料減免率は全日制で8.6%(20万人)。 就学援助は、全児童の12.8%:133万7000人(2004年度)に及んでおり、 しかもそれで学校関係費のすべてがまかなえるわけではない。 ・生活保護世帯に対して高等学校等就学費が出るようになったのは2005年度から。 社会全体の高校進学率は97.7%(2007年度)に達しているにもかかわらず、生活保護世帯では約70%に止まっていた。 ・生活保護の世帯主の学歴で、中卒か高校中退が390世帯中283世帯(72.6%)を占めた。 ・「ネットカフェ難民」調査でも、中学卒が19.2%、高校中退が21.4%に達している。 ・厚生労働省「ホームレスの実態に関する全国調査」(2007年)によれば、ホームレスのうち、中卒者は55.5%に上る。 ・日教組のアンケート調査:家庭の経済力の差が子どもの学力に影響していると感じている教職員が、83%に達している。 ・日本は「お金がなければ高い教育を受けられない」「親が稼いでくれなければ、 子どもが努力しても学歴がつかない」社会である。 貧困家庭の子どもは、低学歴で社会に出て、スタートラインからセーフティネットに空いた穴の淵で、 崖っぶちの生活を送ることになる。 そして、そうした低学歴者に不利益が集中し、そのまま次世代に引き継がれてしまっている。 第3章 貧困は自己責任なのか p.59 五重の排除 1.教育課程からの排除。この背後にはすでに親世代の貧困がある。 2.企業福祉からの排除。。雇用のネットからはじき出されること。 3. 家族福祉からの排除。親や子どもに頼れないこと。頼れる親を持たないこと。 4. 公的福祉からの排除。その人が、本当に生きていけるかどうかに関係なく、 追い返す技法ばかりが洗練されてしまっている生活保護行政の現状がある。 5. 自分自身からの排除。 第一から第四の排除を受け、しかもそれが自己責任論によって「あなたのせい」と片づけられ、 さらには本人自身が「自分のせい」と捉えてしまう場合、人は自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる。 ・どこにも誰にも受け入れられない経験を繰り返していれば、 自分の不甲斐なさと社会への憤怒が自らのうちに沈殿しやがて暴発する。 精神状態の破綻を避けようとすれば、その感情をコントロールしなければならず、 そのためには周囲(社会)と折り合いをつけなければならない。 しかし社会は自分を受け入れようとしないのだから、その折り合いのつけ方は一方的なものとなる。 その結果が自殺であり、また何もかもを諦めた生を生きることだ。 生きることと希望・願望は本来両立すべきなのに、両者が対立し、 希望・願望を破棄することでようやく生きることが可能となるような状態。 「そんなふうに考えなくてもいいじゃないか」と個人の問題をどうしても見出してしまい 「自分は絶対そうはならない」と言って切り捨ててしまう。 貧困問題を理解する上で、一番厄介で、重要なポイントである。 ・日本社会で9年連続3万入超の自殺者が出ていることはよく知られているが、 遺書を残した1万466人の中で「経済・生活」を理由としている人が、 28.8%の3010人いることから、全体としても3割の約1万人が生活苦を理由とした自殺ではないかと推計されている。 ・「どんな理由があろうと、自殺はよくない」 「生きていればそのうちいいことがある」と人は言う。 しかし、「そのうちいいことがある」などとどうしても思えなくなったからこそ、 人々は困難な自死を選択したのであり、そのことを考えなければ、たとえ何万回そのように唱えても無意味である。 p.73 ・犯罪、児童虐待、自殺、そして生活保護受給者すべてに対して、 これと同じ理屈で自己責任論を展開することが可能だし、実際に展開されてもいる。 「他の選択肢があって、それを選べたずなのにあえて選ばなかった」という部分が、この場合には成り立たない。 なぜなら貧困とは、選択肢が奪われていき、自由な選択ができなくなる状態だからだ」 センの貧困論 p.74 ・ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センという学者がいる。センは、次のように言う。 腎臓障害を抱えて透析治療が必要な人Aは、その障害を持たない人Bと同じ暮らしをしようとすれば、 そのハンディキャップのために、Bよりも多くの所得を必要とする。 それゆえ、AはBより高い所得を得ているのに、Aのほうが不自由な暮らしを強いられる、という場合がある。 貧困に陥らないために十分な所得とは、個人の身体的な特徴や社会環境によって異なるのである。 ・「ニューヨーク市のハーレム地区の人が40歳以上まで生きる可能性は、バングラディッシュの男性よりも低い。 これは、ハーレムの住人の所得がバングラディッシュ人の平均的な所得よりも低いからではない。 この現象は、保健サービスに関する諸問題、行き届かない医療、都市犯罪の蔓延など、 ハーレムに住む人々の基礎的な潜在能力に影響を与えているその他の要因と深く関連している」 ・国連が「絶対的貧困」だという一日一ドル以上の所得を得ているホームレスの人は、少なからずいるだろう。 しかしそれは、貧困ではない、ということを意味しない。 なぜなら、そこには生活上の望ましい状態を達成する自由(潜在能力)が欠けているからだ。 たとえ、より所得の少ない人に比べれば、いくらか多い所得を得ていたとしても、 その所によって望ましい状態を得られる選択の自由を持っていなければ、その人の潜在能力は奪われた状態にある。 ・医師のいない離島でいくらお金を持っていたとしても、満足に医療にかかることができなければ、 その人はすぐに医療にかかれる環境に暮らす人たちよりも「満足な医療にかかることができる」という「機能」から遠い。 それは、お金がなくて国民健康保険料を長く滞納した結果、資格証を発行されて 事実上医療機会を奪われてしまった人たちと同じである。 医療にかかるという選択肢が奪われている、という点で、両者はともに基本的な潜在能力を奪われた状態にある。 それが「貧困」だ、とセンは言う。 精神科の担当の先生が変わったんだけど 前の先生は患者呼び出し用のマイクがあるのに使わなかったな 病室から出て直接患者を呼びに行っていた 担当患者数も相当いるのにちゃんと顔を覚えてんの 今度の先生は普通にマイクで患者呼び出すんだけど 精神科病院に自分のフルネームが響き渡るのはけっこうくるものがあるわぁ 別にこの先生は普通で前の先生の仕事が親切すぎただけなんだけど 前の先生イケメンやったな 背も高くて無精髭はやしててイケメンと渋さを両立していた それプラス親切ときたもんだ どうしたらあんなパーフェクトヒューマンになるのか不思議や 間違えて舐めるタイプのパブロンこうてきてしまった…… 錠剤タイプと見分けにくいのでパッケージ変更シテクダサイヨ ジャージのズボンの裾が長いなー Lサイズだからしょうがないかって思ってたら ズボンMサイズだった 脚が短いだけだった ・「潜在能力の欠如」(自由に選択できないという不自由)は、個人的な要因であると同時に、 社会的・環境的な要因でもある。 ニューヨークのハーレム地区でたまたま70歳や80歳まで生きる人がいるからといって 「他の人たちには努力が足りない」と、平均寿命の短さを早く死んでしまう人たちの自己責任で裁断することは 妥当ではない。 ・必要なのは、その地域や個人の諸条件を改善して、長寿を可能にする環境を整えること。 それゆえ「開発/発達」とは、単に所得を上げるだけでなく、望ましいさまざまな生活状態に近づくための 自由度(潜在能力)を上げていくことだ、とセンは言う。 ・「開発/発達とは、人々が享受するさまざまの本質的自由を増大させるプロセスである」 ・「開発/発達の目的言は不自由の主要な原因を取り除くことだ。 貧困と圧政、経済的機会の乏しさと制度に由来する社会的窮乏、 公的な施設の欠如、抑圧的国家の不寛容あるいは過剰行為などである」 「溜め」とは何か p.78 ・大きな溜池を持っている地域は、多少雨が少なくても慌てることない。 その水は田畑を潤し、作物を育てることができる。 逆に溜池が小さければ、少々日照りが続くだけで田畑が干上がり、深刻なダメージを受ける。 このように〃溜め〃は、外界からの衝撃を吸収してくれるクッションの役割を果たすとともに、 そこからエネルギーを汲み出す源泉となる。 ・有形・無形のさまざまなものが「溜め」の機能を有している。 頼れる家族・親族・友人がいるというのは、人間関係の〃溜め″である。 また、自分に自信がある、何かをできると思える、自分を大切にできるというのは、精神的な〃溜め″である。 ・貧困とは、このようなもろもろの〃溜め〃が失われ、奪われている状態。 金銭的な〃溜め〃を持たない人は失業に見舞われた場合、すぐに働くところを見つけなければならない。 職種や雇用条件を選んでいる暇はない。 窮乏度がひどくなれば、月給の仕事を選ぶか、日払いの仕事を選ぶかという選択肢は、事実上存在しなくなる。 月給仕事を選ぶためには、最初の給料が入る一ヵ月または二ヵ月後まで生活できるだけの〃溜め〃が必要になるからだ。 ・三層(雇用・社会保険・公的扶助)のセーフティネットに支えられて生活が安定しているとき、 あるいは自らの生活は不安定でも家族のセーフティネットに支えられているとき、 その人たちには〃溜め″がある。 逆に、それらから排除されていけば、〃溜め〃は失われ、最後の砦である自信や自尊心をも失うに至る。 〃溜め″を失う過程は、さまざまな可能性から排除され、選択肢を失っていく過程でもある。 それゆえに、低賃金で昇給も昇格もない劣悪な諸条件の職場を長く転々とし、 いつまでも選択肢のない状態を脱することができない。 貧困は自己責任ではない p.82 ・自己責任論とは「他の選択肢を等しく選べたはず」という前提で成り立つ議論である。 他方、貧困とは「他の選択肢を等しくは選べない」ことによって起きる。 ・貧困状態にある人たちに自己責任を押し付けるのは、溜池のない地域で日照りが続く中、 立派に作物を育ててみせろと要求するようなもの。 ・健全な社会とは、自己責任論の適用領域について、線引きできる社会のはず。 ここまでは自己責任かもしれないが、ここからは自己責任ではないだろうと正しく判断できるのが、 健全な社会というもの。 寝坊して会社に遅刻したことは自己責任論で片づけられるかもしれないが、 子どもが夜急に熱を出して、朝まで救急病棟に張り付いていたのであれば、同じ遅刻でも事情は変わってくる。 ・多くの人たちが自分の経験に照らして心当たりがないから、それはきっと自己責任なのだと即断してしまう。 なので、自己責任論の濫用を防ぐ条件として「(それを)多くの人たちが知っている」ことが重要になってくる。 そのためには、貧困の背景・実態を多くの人たちに知らせる必要がある。 公的セーフティネットの機能不全ぶり、五重の排除という背景、〃溜め″がないという状態、 それらが広く伝わって初めて、貧困には自己責任だけでは片づけられない多様な要因のあることが 社会的に共有される。 3見えない「溜め」を見る p.84 ・「見えにくさ」こそが、貧困の最大の特徴。 貧困層のほうから富裕層を、たとえばテレビとか雑誌の表紙とかで、簡単に見ることができるのに、 富裕層が貧困層を見ることはめったにない。 ・見えないだけではない。貧困は積極的に隠されてもいる。 オリンピックやサミットなどの国際イベントは、必ずその地域の野宿者の排除を伴う。 ・学校給食費・保育料・医療費を支払えない人が出ると、多くの場合、本人が払おうとしないことが強調され、 背後にある貧困問題は隠される。 ・貧困問題解決への第一歩は、貧困の姿・実態・問題を可視化すること。 ・「おれだって大変なんだ.あんただけじゃない」lこうした言葉は、日常的に耳にする。 それは多くの場合、自分が頑張ってきたことを認めてもらいたい、という承認の欲求に根ざしているが、 素直にそれを表現できない人たちは、しばしばそれを他者に対する叱責として表現する。 ・人情としては、仕方のない面もある。 大学受験に合格した人が「合格できたのは、高い教育費をかけてくれた親がいたからだ」と考えることは少ない。 やはり「自分が頑張って受験勉強に耐え抜いてきたからだ」と考えるし、考えたい。 ・昔貧乏で今成功している人たちも、「それができたのは、家族や地域・友人の有形無形の援助があったからだ」と考え るよりは、やはり「貧乏でもこつこつと頑張っていれば、必ずいいことがある」と考えるし、考えたい。 それは自然なことでもある。 ・困るのは、それが条件の異なる他者に向けられるときだ。 「おまえも頑張れ」という言い方は、多くの場合、自分の想定する範囲での「客観的状況の大変さ」や 「頑張り」に限定されている。 そのとき、得てして自他の〃溜め〃の大きさの違いは見落とされる。 ・ネットカフェ暮らし七年間の三四歳の男性。 彼の場合も親に頼るという選択肢はなかった。 彼は母子家庭の育ちだったが、高校一年生のときに母親が家に帰ってこなくなった。 生活保護の相談に行くという選択肢は、連れてきた人から聞くまで考えたことはなかった。 それまでの人生で、誰からもそんな選択肢があることを教わったことがないからだ。 自分の人生を考えてみれば、誰かが何とかしてくれるなどと思えなかったのだろう。 そんな世の中だったとしたら、どうして今まで自分にはそれが訪れなかったのか、説明できないからだ。 つまり、誰も何もしてくれない世の中なのだ。 三四歳の健康な男性が、ネットカフェで暮らしていて「今のままでいいんスよ」と言っている。 典型的な「自分からの排除」である。 これはしばしば人々の反発を買う。「現状に甘んじている」「覇気がない」「根性がない」など……。 このテーマであれば、人々はいくらでも焼舌になれる。 まさに自己責任論がもっとも得意とする場面である。 見えない〃溜め〃を見る p.90 ・「じゃあ勝手にすれば」と彼を突き放したところで、状況は何も変わらない。 自己責任は、過去を問うばかりの後ろ向きの理屈である。 その人の現在・未来に関わり、将来の展望を開くものではない。 彼がそのままの生活を続けて、四○歳になり五○歳になって心身ともに疲弊しきり、 事故や病気をきっかけにその後一生生活保護を受ける、 あるいは罪を犯す、あるいは世をはかなんで自殺する、という結果がもたらされたとして、 それは誰にとっても幸せで満足のいく結果ではない。 ・「がんばるためには、〃溜め〃が要る」という極めて単純な事実。 「がんばる」ためには、それを可能にする条件がある。 「自分は今のままでいいんスよ」という言葉が、現状への充足感を表現しているのか、 それとも拒絶・不信感に基づくものなのか、 それはその人の〃溜め〃を見ようとする努力の中で見極められなければならない。 そして後者の場合、その言葉は何よりも〃溜め〃を回復するための条件整備を求めている。 そのとき、〃溜め〃を増やすことなく、「がんばれ。誰だって大変なんだ」と唱えても、 状況を好転させることはできない。 ・多重債務問題も基本的には同じ。 (二○○五年)借入れの最大要因は「生活苦・低所得」であり(24.47%)、 (月収では5万円未満が33%、20万円未満が79%)。サラ金から借りなくても生活がちゃんと成り立つなら、 サラ金になど手を出さない。 本人たちも、できることならそんな選択肢は避けたいと思っている。 しかし、それを可能にする〃溜め“がないために(貯金がない、銀行もローンを組んでくれない、 借りられる家族・友人がいない)、不利とわかっていても選ばざるを得ない。 そこに、選択肢を奪われた〃溜め〃のない状態が示されている。 〃溜め“を見ようとしない人たち p.92 ・特に、種々の政策立案を行う議員や行政、それに広い意味での援助職に属する人たち (学校教員、ケースワーカー、ソーシャル・ワーヵー、ケアマネージャーなど)には、 〃溜め“を見る努力が求められる。 ・教室に並ぶ子どもたちは、一人一人の〃溜め〃の大きさは違う。 「みんないい成績を取って、いい大学に入って、いい就職ができるようにがんばりなさい」と言ったところで、 同じ効果は期待できない。 ・三一歳の男性の生活保護申請に同行したら、対応した福祉事務所職員が 「私にも同じ年齢の子どもがいるけど、うちの子は働いているわよ」と言った。 その職員には「うちの子」と生活保護の申請をしなければならないほどに追い詰められたその男性との ”溜め“の違いがまったく見えていなかった。 三一歳の男性たるもの、すべからく働いていなければならない/働けるはずだ、という思い込みが、 今現在働ける状態にない人たちをますます、働ける状態から遠ざけている。 ・たとえ企業に対する奨励金をいくら用意しようと、実際にそれを利用する人たちの諸条件(〃溜め〃)を 整備しなければ、利用する人は出てこない。 4貧困問題をスタートラインに 貧困を認めたがらない政府 p.98 ・日本では、収入がいくら以下の水準だと貧困とみなすというような貧困ラインが存在しない。 そのため、憲法二五条に基づいて生存権を保障している生活保護法の定める基準(生活保護基準)が、 国の最低ラインを画する最低生活費として機能している。 つまり、生活保護基準は、生活保護受給者が毎月受け取る金額であると同時に、国全体の最低生活費でもある。 したがって、日本における絶対的貧困とは、生活保護基準を下回った状態で生活することを指す。 ところが、日本政府は捕捉率を調査していないので、どれだけの人が最低生活費以下の貧困状態にあるか、 公式な数字が存在していない。 ・二○○七年、厚生労働省はついに一般世帯の消費実態と生活保護世帯の生活保護基準を比較する詳細な 分析を公表した。 それによれば、所得の低い6〜8%の人たちは、生活保護世帯よりも貧しい暮らしをしていた。 しかし、その分析結果は「生活保護を受けていない貧乏な人たちがこれだけいるのだから」と、 生活保護基準(最低生活費)切下げに向けた材料として「活用」された。 p.102 ・最低生活費以下で暮らす人が膨大に存在すること、 それは一言でいえば憲法二五条違反の状態である。 国には、当然にその違憲状態を解消する義務が生じる。 日の出とともに洗車はじめないで毎朝 宝くじ初めて買ったけどハズレ 宝くじあたってたらワンルームマンションでも買おかと考えてたのに 第4章 「すべり台社会」に歯止めを p.107 ・また現実に墜落していく人たちの立場からは「五重の排除」として表現できる。 だとすれば、貧困を解消するためには、その逆を目指すものとなる。 ぼろぼろになってしまったセーフティネットを修繕して、すべり台の途中に歯止めを打ち立てること、 貧困に陥りそうな人々を排除するのではなく包摂し、〃溜め〃を増やすこと。 これは本来、政治の仕事である。 ●「働いていれば食べていける」状態を作るために労働市場を規制すること。 ●失業給付の対象や期間を拡大すること。 ●国民健康保険・国民年金制度を立て直すこと。 ●生活保護の運用を改めること。 ・貧困の広がりは、政治によって進められてきた面がある。 日本経団連を始めとする財界が、献金や寄付、各種提言を通じて政界に積極的に働きかけてきた結果、 政治はこの間、貧困を拡大・深化させる方向で動いてきた。 それに対して、私たちも選挙やその他のさまざまな回路を通じて政治に働きかけていく必要がある。 その意味で、これは「社会」の仕事である。 ・世の中の誰かにちゃんと受け止めてもらえるという信頼感をもてなければ、 何かを訴える意欲は出てこない。 十分な資金力を持たない一市民が政治に働きかけていくためには、社会や世論を媒介させる必要がある。 個々の小さな活動も、マスメディアを始めとしたさまざまなメディアを通じて伝えられ、 多くの人の目に止まって現状や認識が共有され、社会化され、「世論」となることで、 無視できない「力」となる。 個々の活動とは「小さい」話であり、政策とは「大きい」話である。 小さい話をしていても仕方なく、大きなところでどうするかを考えなければならない、と。 しかし、大きな話を引き寄せるのは、個々の小さな活動である。そして、そこからしか見えてこないものもある。 最初の「ネットカフエ難民」相談 p.110 ・ネットカフェで暮らしながらアパートに入る一時金を貯めるのは、 「その気になればできるはず」と暢気に言う人もいるが、実際は簡単ではない。 ネットカフェでの暮らしは、低収入であると同時に、高支出である。 毎晩1000〜1500円の宿泊費、三食の食事代はもちろん、風呂代、荷物を預けるためのコインロッカー代、 仕事上の身なりを保つためのコインランドリー代、その他もろもろの経費がかかる。 いわば、常時旅行しているような状態だ。 なんとか5万?10万円貯められたと思ったころに、無理がたたって体を壊してしまう。 風邪をひけば、仕事に行けないから収入はなく、しかし日中も滞在するから支出は増える。 リクライニングチェアで毛布にくるまっていても、十分な休息は取れない。 夏はクーラー、冬は暖房が一日中効いている。 寝汗をかいてもすぐには洗濯できない。 暖かく胃腸にやさしい食事もとりづらい。 住所不定状態で国民健康保険に入っていないので病院にも行けない。 ・こうした中で、貯金は一気に目減りする。 またがんばって、またを体を壊して、というサイクルを繰り返し、徐々に芯から疲弊していく。 p.115 ・厚生労働省がネットカフェ難民の調査を実施。 ネットカフェに週3,4回以上宿泊する「常連的宿泊者」が全国に5400人いると推計した。 平均月収10万7000円、4人に3人が就労していて、うち6割が日雇いという実態が明らかになった。 しかし、具体的な求職活動をしている人は4人に1人。 理由は「日払いでないと生活費が続かない」 「現在、履歴書に書く住所がない」 「面接用の交通費等の当面の金がない」 「携帯電話がない」からだった。 ・この調査結果を受けて、厚生労働省は自治体と連携して対策を実施した。 p.117 ・ネットカフェに暮らしている人たちは、同時に路上や会社寮、サウナなどの居所を転々としている。 いわば広義のホ‐ムレス状態にある。家やアバ‐卜にもいなければ、路上にもいない。 このような中間形態で起居する人たちは膨大にいて「ネットカフェ難民」はそのごく一部にすぎない。 厚生労働省調査は、この中で週の半分以上宿泊している人たちを強引に括り出して 「常連的宿泊者」と類型化したが、週の半分以上か半分以下かを分ける内容的な違いは、何もない。 ある週はたまたま仕事が続いたために、一週間ずっとネットカフェで寝ていたという人が、 翌週には仕事からあぶれてずっと路上にいた、という事態はいくらでもある。 生活保護制度の下方修正? ・真っ先に対策を発表した東京都の最大二○万円貸付というのは、二つの懸念がある。 一つは「正規雇用先を見つけるなど安定的な生活が見込める人を対象に」というように、対象者を絞り込もうとしている点。 「ネットカフェ難民」調査でも、20代に次いで多かったのは50代。 「常連的宿泊者」の学歴は、中卒2割、高校中退2割、高卒4割。 実際問題として中卒や高校中退の人たちが、そう簡単に正社員になれるような雇用状況にあるだろうか? ・正規雇用に就く見込みがないと貸付は受けられないのだとすれば、 条件の悪い人たちほど施策から排除されることになる。 「就けそうだから支援する」という順番を入れ替えて「支援して(たとえ正規雇用でなくても)就けるようにする」しかない。 そのときに利用できる制度は、日本の全制度を見回してみて、現行では生活保護制度しかない。 ・しかし、ここに第二の懸念がある。こうした施策ができるとき、それは副作用として、 人々に生活保護の申請をさせないための防波堤的機能を持ってしまう。 給付(生活保護)に対する貸付(ネットヵフェ対策)は、生活保護よりも内容が劣り、生活保護の下にネットを張る「下方修正」にすぎない。 実際、2000年から先行して行われている「ホームレス自立支援事業」では、窓口となっている各自治体の福祉事務所が 「ホームレス状態にある人は、自立支援事業を利用してもらうことになっている」として、生活保護を申請するという本人の選択の余地を奪っている。 ・相談員が、「正規雇用の見込みがある」とは言えない人に出会ったとき、その相談員はどうするのか。 路上生活者になれば自立支援事業を利用できるからと、より厳しい状態になるのを待つのか、 追い返されるのを承知で福祉事務所を紹介するのか、 それとも、福祉事務所に付き添って生活保護申請をサポートするのか。 ・施策は必ず次への課題を残す。満点の施策などありえない。 それを一歩前進と見るのか、まだまだ不十分だと不足部分に着目するのか、 あるいは踏み出した方向自体が誤っていると全面的に批判するのか、 問題提起し、施策を行わせると同時に、それを検証するのが私たち市民の役割である。 反貧困」の活動分類 p.123 @それぞれのセーフティネットから排除されている個々人に対応し、 それを通じてセーフティネットの在り方に批判的に(見方によっては補完的に)関わる取組み。 Aネットの欠落部分を自分たちで創出する取組み。 B個々の対応ではなく、より社会的に広く訴えていくための取組み。 ・活動の主な性質に応じた分類。いずれも便宜的な仕分けにすぎず、いずれの活動も横断的な射程を持っている。 2.起点としての〈もやい〉 p.125 ・〈もやい〉の活動は、住所不定状態にある人たちに対するアパート入居時の連帯保証人提供と、 生活困窮者に対する生活相談の二本柱。 ・連帯保証人提供は、6年半で1300世帯を超えた。毎年200世帯のペースで増えている。 対象は、野宿者を始めとする広義のホームレス状態にある人たち。 野宿者が7割、DV被害を受けて居所を逃げ出してきた人たちが2割、残り1割を精神障害者や外国人労働者、 路上にはいないがアパートもない「ネットカフェ難民」など。 ・当初、この活動は多くの人たちから心配とも批判とも取れる忠告を受けた。 ホームレス状態にある人たちの連帯保証人になどなったら、お金がいくらあっても足りない。 しかし、実際に滞納などによる金銭的トラブルになるのは5%前後。 95%の人たちが、連帯保証人に金銭的な負担をかけずにアパート生活を継続しているという事実は、もっと広く知られていい。 ・「好きでやっている」と自己責任論で片づけられてきた野宿者も、アパートに入れさえすれば、 そのほとんどが連帯保証人の世話になどならず、アパート生活を維持できる。 だとすれば、彼らをアパート生活から遠ざけているものは何なのか。 ・本来、アパート入居時の連帯保証人提供といった問題は、小さなNPO法人の手に負えるものではない。 実際、連帯保証人を用意できずに苦労している人たちは、私たちが対応しているを件数の数十倍、 数百倍に達するはず。 ・自治体でも入居保証をする制度を開始したところもある。 しかし、多くの場合に対象者が高齢者や障害者手帳を有する者などに限定されている上、 「区内に住民票を設定してから2年を経過している者」という住民票要件が課されているために、使い勝手が悪い。 ・横浜市「民間住宅あんしん入居制度」は、その中で唯一使い勝手のいい制度を作っている。 ・また、多くの自治体がサービス発足時に小さく広報誌に載せる程度で、 利用呼びかけをほとんど行っておらず、制度そのものが知られていない。 さらには、民間の債務保証会と利用希望者を橋渡しするだけで、自らが対応するわけではなく、利用料も高い。 ・その結果、2006年度の累積利用件数が、東京都と二三区すべての入居支援制度の利用者を合わせても、 大半がボランティアで運営されている一民間団体である〈もやい〉の実績に及ばない、 という冗談のような事態が続いている。 ・もし、各自治体が、ほとんど利用されないサービスのために使っている費用を〈もやい〉の運営に充ててくれるならば、 今の数倍の人たちが連帯保証人問題で蹟くことなくアパート入居を果たせる。 しかし、発足後6年半、行政からの資金は一円たりとも入っておらず、 メンバーの大半が無償ボランティアで活動を支えている。 人間関係の貧困 p.128 ・当然人は野宿にならないようにあがく。 それでもどうにもならなかったとき(そして自殺しなかったとき)、人は路上に出る。 野宿者数は、現実に貧困状態に陥ってしまった人たち全体の数パーセントに過ぎない。 ・全体のわずか数パーセントに過ぎない人たちがそのペースで増えていくということは、 その背後に膨大な数の貧困層が生まれていることを意味している。 ・なぜ貧困状態にある人は、連帯保証人を探すのに苦労するのか。 この問いは「貧困」を単に経済的な「貧乏」と同一視している限り、答えられない。 しかし事実としては、貧困状態にある人たちの多くは、連帯保証人になってくれるような頼れる関係 (人間関係の〃溜め〃)を持ってなかった。 ・「人間関係の貧困も貧困問題である」 ・「貧困」と「貧乏」は違う。 自己責任の内面化 p.130 ・どうしてもっと早く相談しなかったのか、と言うのは簡単だ。 しかし「なんとか自分でがんばらなければいけない」と思い込み、選択肢がなくなる状態になるまで SOSを発信してこない。 ・彼らは、よく言われるように「自助努力が足りない」のではなく、自助努力にしがみつきすぎたのだ。 ・過度の自助努力を求める世間一般の無言の圧力がこうした結果をもたらすことは当然である。 自己貴任論の弊害は、貧困を生み出すだけでなく、貧困当事者本人を呪縛し、問題解決から遠ざける点にある。 その結果、〈もやい〉の生活相談でもっとも頻繁に活用されるのは、生活保護制度となる。 本人も望んでいるわけではないし、福祉事務所に歓迎されないこともわかっている。 生活保護は、誰にとっても「望ましい」選択肢とは言えない。しかし、他に方法がない。 ・目の前にいる人に「残念だけど、もう死ぬしかないね」とは言えない以上、残るは生活保護制度の活用しかない。 申請同行と「水際作職」p.133 ・生活保護の相談は「面談室」と呼ばれる個室の中で、担当職員と相談者が一対一になって行われるのが原則。 同行・同席は、そこに第三者の目を持ち込むことで、面談室の密室性を開放する意味を持っている。 市町村議会議員のような身分のないものでも、実際には誰が行っても「第三者がそこにいる」というだけでそれなり の意味を持つ。 ・だから私は、面談室に監視カメラを付けるべきではないかと考えている。 あとで相談者本人の要望に基づいてチェックできるようにすれば、「水際作戦」は即座に解消するだろう。 ・監視社会は望ましいものではないが、それは権力者が市民の動向を見張るために監視カメラが活用されている点に 問題がある。 ・各自治体で生活保護を担当している福祉事務所職員も、全般的な社会保障費の抑制、 自治体の緊縮財政化と公務員バッシングの中で、常に限界を越える仕事を抱えている。 「水際作戦」の問題が単に担当公務員の資質の問題としてのみ処理されてしまうのであれば、 結局は公務員の身分保障を切り崩すことに利用されるだけ。 それだけに、公務員の人たちには、きちんとした公共サービスを行うためにこそ自分たちの存在が必要なのだ、 と積極的に示したほうがよい。 「水際作戦」のような違法行為は、何よりも自分たちの首を絞める行為なのだということを自覚してもらいたい。 居場所作りp.138 ・さまざまな事情で、温かく迎え入れてもらった経験をほとんど持たないといった人たちは、 たとえ生活保護を受けて最低限の生活基盤を確保したからといって、 翌日から「二四時間戦えます」と変貌することはあり得ない。 ・また、路上にいたときはまだ生き抜くために食べ物を融通しあうなど、 他人と交流する機会のあった高齢者が、アパートに入ったために、かえってその関係が切れてしまい 誰とも話さなくなった、という場合もある。 ひっっっさびさにジーパン履いたらむっちゃキツくなっててびっくりしたよね 太ったね 哀しいね 睡眠時の呑気症で朝起きるとお腹張ってる ゲップもすごい出るし苦しい 「コーヒーポットとカップがあれば居場所は作れる」 ・冷たい視線を浴びたり、迷惑がられたり、厄介者扱いされずに済む場所。 あたりまえに自分の居場所をもっている人にはなかなか理解できないかもしれないが、ない人には決定的に、ない。 ・一年半ネットカフェで暮らした三一歳の男性が「ここは自分が宿無しだということを隠さなくてもいい」と 感激していたが、たったそれだけの場所が、なかなかない。 ・〈もやい〉は、誰が来てもいい喫茶店を開いているが、最近ではそこからコーヒー培煎をする共同作業や、 女性・若者のそれぞれの居場所が派生していった。 いわゆる「支援者」が説教を垂れるのではなく、当事者同士が出会える「場」のもつ力には特別なものがある。 それはさまざまな分野で「ビアカウンセリング(類似の経験をもつ当事者同士がカウンセリングし合う)」の 手法が採り入れられていることにも示されている。 ・もちろん、居場所に来られない人たちの存在に敏感でなければならないし、 また万人にとって居心地のいい居場所というのは存在しない。 居場所の適正規模とは、せいぜい10〜20人程度ではないか。 その意味で、居場所作りは「質より量」である。 数多くの居場所が存在し、人によってはそれらを渡り歩くことで常にどこかで他人と接点をもてる状態を作ることが 必要だ。 居場所と「反貧困」p.138 ・「不当な扱いを受けたんだから、怒らなきゃいけない」という怒りの強要は、 「誰だって、その気になれば再チャレンジできるはず」というチャレンジの強要と基本的に変わりはない。 必要なことは、怒りにしろ再チャレンジにしろ、それが可能になるまで〃溜め〃を増やすことである。 ・闘うためには、闘わなくてもいい場所が必要であり、それが居場所である。 ・貧困状態まで追い込まれた人たちの〃溜め〃を増やすための組織的、 社会的、政治的ゆとり(〃溜め“)が日本社会全体から失われているのではないか。 国も、地方自治体も、企業も、社員も、学校も、家庭も、今や誰もが「サバイバル」を口にし、 一瞬でも気を抜いたら負けてしまうと危機感を煽っている。 個人の〃溜め〃を増やせないのは、その組織や社会が〃溜め〃を失っている証拠。 ・「社会資源の充実」&「当事者の自分自身からの排除」から回復できる居場所作りが並行して行われる必要がある。 この両者が車の両輪のように噛み合わなければ、「反貧困」の活動はうまくいかない 第5章 つながり始めた「反貧困」 p.143 日雇い派遺で働く ・派遣は、現場における一番の素人だし、段取りも見えていないから何かあると「アルバイト」の責任になり 「使えない」というイメージが固定化されていく。 ・指示系統がはっきりしない。初めての人ばかりなので、誰に何を聞けばいいかわからない。 高い中間マージンを取られる。仕事ができない、使えない、と軽く見られる。 誰もやりたがらない手間のかかる仕事をやらされる. 日替わりゆえ、蓄積がない1日雇い派遣には、人々のやる気を削ぐ要素が満載されている。 低賃金で雇用が不安定というだけではない。 低賃金・偽装請負・違法天引き ・エム・クルーで紹介される仕事の大半は、建設業。 労働者派遣法で禁じられている業種のため、エム・クルーは取引先と請負契約を結んでいる。 ・「派遣」と「請負」の最大の違いは、労働現場での業務遂行に関する指揮命令を誰が行うか、という点。 「派遣」の場合は、派遣先企業が行う。「請負」は請負業者が行う。 ・エム・クルーでは、常に派遣先企業の指示にしたがって作業をする。 つまり、エム・クルーの就労実態は派遣。 にもかかわらず、派遣禁止業務を行っているために、形だけ請負契約を結ぶ。典型的な偽装請負。 ・また、エム・クルーは、労働者の賃金の中から一回働くごとに「安全協力費」として100〜300円、 「福利厚生費」として200円を天引きしていた。 エム・クルーの日勤単価は8時間労働(9時間拘束)で1万1900円。 それに対して、労働者の手元に渡るのは7700円。中間マージン率は35.2%、 ・エム・クルーでは週当たり延べ約1600人が稼働、その全員から最大天引き額500円を天引きしていたとすれば、 それだけで80万円。年間約4000万円の賃金が不当に搾取されていた計算。 ・朝6時半から午後5時までの拘束時間10時間半で取れば、一時間当たり505円。 東京の最低賃金である時給719円(2007年)を大きく下回る。 ・エム・クルーは寄宿舎(学生・会社員などが、共同生活をする宿舎。寮。)と称して「レストボックス」という 宿泊施設を経営してもいる。 二段ベッドの並ぶ相部屋で、宿泊費は一泊1880円。 室内コインシャワーの使用料が3分間100円。 ロッカーもなく私物は置けないので、外のコインロッカー代も必要になるし、朝食と夕食代もある。 結局、手元に残るのは一日1500〜2000円。 1ヵ月22日稼働したとしても、毎日レストボックスに泊まれば、一切の娯楽と無縁で暮らしても 1万円程度しか貯められない。 もちろん、国民健康保険料や国民年金保険料を支払う余裕はない。 貧困から脱却させない「貧困ビジネス」 ・ホームレス状態に至ったフリーターが一定の数に達すれば、それを対象にしたビジネスが成立する。 レストボックスの誕生は、ホームレス化したフリーターが社会の中で一定の数に達したことを示していた。 ・エム・クルーのようなシステムは、日雇い労働者の間では、古くから「飯場システム」として知られているものに近い。 日雇い労働者を集め、「飯場」と呼ばれる寄宿舎に寝泊りさせ、そこから工事現場に派遣して、 建設現場の肉体作業をさせる。 わずかな賃金の中から寮費・食費を差し引くところ、あえて待機期間を作って 賃金と寮費・食費が相殺されるように仕組むところ。 (例:賃金8000円で寮費・食費を3000円取り、3日に1日しか働かせなければ、 15日の間に5日働いても”会社に5000円の借金を背負う) さらには周囲に売店などがないのをいいことに、タバコや酒を割高の価格で売りつけるところなどがあった。 労働運動と「反貧困」p.151 ・貧困問題はながらく労働団体の関心事とはならなかった。 そのため、非正規労働者が増えるにしたがって組織率も低下した(2006年で推定18.2%)。 ・非正規労働者を見放してきた労働組合がこれまでの見方を改め. 雇用のネットを張り直す修繕屋の仲間入りを果たすことで、 労働組合を見放してきた非正規労働者の見方を改めるキッカケを作る必要がある。 学生時代失敗するとその後そこそこの人生歩めても 敗北感は拭えないのか カップヌードルの、そーめんあんま美味しくなかったな たぶん俺がそーめんがあんま好きじゃないっていう理由が大きいと思う ・エム・クルーと団体交渉した結果、違法天引きを廃止する代わりに今度は日給単価を7700円から7400円に下げた。 日給単価そのものを下げて、違法天引き分の不当利得を合法的に継続しようとした。 日雇い派遣の構造 ・労働者派遣法は、1999年、2003年と禁止業務を解禁していった。 ・九○年代末にはまだグッドウィルは無名であり、中小企業の一つにすぎなかった。 そのグッドウィルが破竹の勢いで成長し、会長の折口雅博が日本経団連の理事に名を連ねるまでの企業になったのは、 国が日雇い派遣の可能な業種を次々に広げてきたからである。 ・派遣業種における規制緩和は、「雇用の安定的確保」や「中間マージン率の上限設定」 「派遣先企業の責任の明確化」など、規制強化とセットでなされなければいけなかったが、そうではなかった。 労働者の商取引化 ・派遣業者から派遣先企業に派遣された労働者は、派遣先企業に対しては基本的に労働者としての権利をもたない。 派遣される労働者の賃金は、会社の経理上「人件費」ではなく「資材調達費」などに分類されることが、 その立場を象徴している。 そこで労働者は、倉庫に置かれた在庫物資と基本的に変わらない存在となる。 ・日雇い派遣で生計を立てている人たちの中には、今日明日の仕事に就かなければ、 今日明日の生活に窮してしまう状態の人たちがいる。 紹介された仕事を断わるという選択肢は、最初から存在しない。 日々失業の日雇い雇用も、交通費込みの低賃金も、またサービス残業も甘んじて受け入れ、 どんな現場にも喜んで出向く便利な商品として振る舞わなければ、いつ仕事が回ってこなくなるかわからない。 派遣会社にとっては、どんな労働条件でも声をかければすぐに飛んでくる労働者こそが「優良」な労働者である。 ・最底辺の雇用状態が人々の周辺に蔓延すればするほど、より安定した雇用の基盤もまた、掘り崩されていく。 「自分だけ安住できると思うなよ」という脅しが現実味を帯びてくる。 2 互助のしくみを作る――反貧困たすけあいネットワーク 労働と貧困 ・反貧困たすけあいネットワークは、首都圏青年ユニオンという若者を中心とする個人加盟の労働組合の書記長と 私が呼びかけ人になって発足させた団体。 〈たすけあいネット〉の活動内容の中核をなしているのは「互助制度」。 この互助制度には二種類ある。 ●病気やケガで収入が途絶えたときの給付金としての「休業たすけあい金」と、 ●生活困窮時の無利子貸付金としての「生活たすけあい金」。 ・〈たすけあいネット〉は労働組合の形式を取っており、組合員は毎月300円の組合費を支払うと、 1日1000円、10日分までの「休業たすけあい金」と、 1万円の「生活たすけあい金」をそれぞれ年1回受け取ることができる(6ヵ月の組合費納入が前提)。 ・組合費は収入や余力に応じて、月額300円、600円、900円と300円単位で選択でき、 毎月600円を納めれば各2万円、900円なら各3万円を受け取ることができる。 ・メンバー(組合員)は、労働や生活に関する情報を週一回程度発行するメールマガジンで受け密取りながら、 必要に応じて「たすけあい金」を活用する。 ・病気やケガによる休業の立証は、通常、医療機関の領収書などで行われるが、 少なからぬ人たちがそもそも病院にかかれない中では、利用希望者を排除することになる。 私たちの制度は「なるべく支払わない」ための保険ではない。 薬局の領収書でもいいことにした。 身分証確認手続きなども不要とした。 ・「それではパンクしてしまうだろう」という運営上の懸念と「一人でも多くの人が利用できるシステムに」の間で葛藤して、 どうしても外せないと考えたのが「たすけあい金」の受け渡し時における面談だった。 (病気で寝ている最中に「事務所まで来い」とは言えないから事後でも可) ・「支払った者しか受け取ってはいけない」という自己責任原則が強固に内面化してしまっている現在、 「手助けを求める」ことには多くの人が抵抗感を抱く。 「支払っていたんだから受け取っていい」という心理的機制の働くことは、アクセスに当たってのハードルを大きく下げる。 「たすけあい金」は、自分が支払い続けてきたことの結果として受給の資格を得る。 生活保護申請には多くの人が抵抗感を持っても、失業給付を受け取るのに躍路するという話は聞いたことがない。 だとすれば「自助努力の過剰」を逆手に取るようなサポートの仕組みを考えればいい。 そこで、心理的なハードルを下げることを企図した。 ・「たすけあい金」は急場をしのぐことはできても、生活再建ができる金額ではない。 しかし、その後の先行きが立たない場合には生活保護申請につなげるなどすれば、 事態の深刻化は回避できる。それには本人の「説得」が必要。 「たすけあい金」を通じて本格的な生活再建につなげられれば、給付金額は「焼け石に水」の場合でも 「たすけあい金」はそれ以上の意味を持ってくる。 社会保険のセーフティネットに対応する試み ・社会保険のセーフティネットは、日雇雇用保険が日雇い派遣労働者の生活安定に不可欠であるように、 同時に生活保護への防波堤的・予防的役割を果たしている。 ・相互扶助(共助)の「美しい助け合い」は、しばしば公的責任(公助)の不在を正当化するために〃活用〃されがちだ。 スポンサー問い合わせ)国交省長ハローワーク指導員バイトレベル提携製薬会社(アニメ話不真面目不必要)五輪チャイナタウン https://www.youtube.com/watch?v=DCUeqBJjldE 虎の門いじめ宇ドナルドクリントン王室 NOP渋長ハローワーク財団指導員 https://www.youtube.com/watch?v=W0YDIbRKBv0 NOP渋長ハローワーク指導員(JA道路公団引き伸ばし)新橋飲酒運転アジア所沢練馬偽装ニュース スチュワーデスサービス不足わがままげいのう横浜市支部たにチャイナタウンキャスター 40代「共産党マイナス金利撤退」弁解社員(財団研究員すしランチ) 40代排気ガス排出中国ヘルメットトラック騒音エンジン電車 40代★契約書★報道ギルガメッシュナイトニュース 平日にウォーキングで5キロ歩いてマクドでマックシェイク飲んで 5キロ歩いて帰ってきた ラジオドラマ聴きながら 3 動き出した法律たち p.167 ・〈もやい〉から連帯保証人の提供を受けた人たちは、アパートに入ることで住民票を設定し、住所不定状態を解消する。 しかし、住民票を設定することで浮上してくる問題があり、その一つが借金。 それは「五重の排除」を受けた末に貧困状態に陥り、それでも野宿はしたくないと、もがいたことによる結果である。 ・消費者金融を始めとする業者からの借金は、最後に返済してから5年で原則として消滅時効にかかる。 しかし、路上で暮らす多くの人たちは、この事実を知らない。 ましてや、消費者金融が設定していた二五?二九%の高金利が事実上違法状態にあり、 利息制限法を越えつる部分については返す必要のないお金であるどころか、 場合によっては「過払い金」として返輝還される事実なども知らない。 ・アパート入居後に住民票を設定したら、10年前、20年前の借金の督促状が送られてきて、 時効を援用できると知らずに債務を承認してしまうケースが出てきた。 ・被害者たちは「嫌がらせが怖くて抗議できなかった」という声は非常に多い。 解雇撤回闘争を闘う労働者と同じで、生活保護受給者は抗議の声を上げた後も福祉事務所と 付き合っていかなければならない。 〃仕返し〃が怖くて被害実態を訴えられず、それがまた違法行為を助長し、 最後には絶対に声を上げられないところ(つまり、死)まで追い込まれる。 ・このような悪循環を断ち切るためには、各地の生活保護支援ネットによる個別対応の充実を通じて 事件性のあるケースを掘り起こしつつ、同時に社会的に訴えかけていく必要がある。 ・「泣き寝入りしない」というメッセージが常に発信し続けられることによって、 役所にも緊張感が保たれ、当事者が声を上げていく可能性も広がっていく。 最低賃金と最低生活費 p.184 ・厚生労働省の主張には、大きな問題点がある。生活保護を受けていない下位10%の人々の暮らしの質である。 厚生労働省は二つの世帯類型で生活保護のほうが高いと主張していたが、 引き合いに出されている「夫婦子一人(有業者あり)世帯」で見ると、この所得グループの人たちは、 子どもの教育費に平均して月742円しか使えていない。 子どもにドリル一冊買い与えたらその月はもう何も買ってやれず、筆箱一つ買ったら、 ドリルは次の月まで買えないという暮らしである。 ・また「単身世帯(60歳以上)」では、1ヵ月の食費が2万2650円となっていた。 一日三食とすれば、一食計算約200円である。 ほうれん草一束買ったらおしまい、という食生活だ。 こういう世帯と比べて高いから下げていいというのは、こういう暮らしをしろということだ。 ・しかし本当に必要なことは、教育費1ヵ月742円、食費一食200円という暮らしを引き上げて、 貧困が世代間連鎖していかない社会、年を取っても安心して暮らせる社会を作ることのはずだ。 ・次に、生活保護基準切下げがもたらす波及効果。 この問題の射程を理解するためには、最低賃金を引き合いに出すのがわかりやすい。 日本の場合、最低賃金は以前から労働者の家計(生計費)を支えるに足るものではなかった。 最低賃金が想定していたのは、主婦パート・学生アルバイトのいわば「お小遣い」であり、 それは老齢年金が高齢者の「お小遣い」扱いだったのと対応していた。 主婦・学生は、夫または親の庇護下で生計を立てるべきもの、 高齢者は子どもまたはそれまでの資産で生計を立てるべきもの、 というのが日本の「常識」であり、それゆえに、以前から夫に頼れない母子世帯、親に頼れないフリーター、 子に頼れない高齢者は数多く貧困化していた。 ・しかし、雇用が融解する中で非正規労働が爆発的に増え、 パート・アルバイトなどの非正規労働で家計を支えざるを得ない世帯が、一般世帯の中にも広がってきた。 ・人々が最低賃金にどのような機能を読み込んでいたか、そして最低賃金引上げにどんな期待を込めたか、という点。 一つは、最低賃金に張り付いた条件で働き、暮らしている、とりわけ地方の女性たち、若者たちの生活の向上を もたらすという機能。 もう一つは、労働条件全体の「底下げ」に歯止めをかけ、逆に底上げを図るためのナショナル・ミニマムとしての機能。 この二つの機能が最低賃金への注目をもたらした。 逆から言うと、この問題が現在最低賃金で働いている人たちだけの問題で、 自分はそうではないから関係ないと考えていた人はいなかったはずだ。 だからこそ、すべての働く人たちにとっての関心事となり得た。 実は生活保護基準も同じ機能を持っている。 ●生活保護受給者の月額収入であるという所得保障機能と、 ●日本国内で暮らす人々の最低生活ラインを定める最低生活費(ナショナル・ミニマム)としての機能。 しかし、後者の機能はあまり知られていない。 最低生活費としての生活保護基準 p.188 ・アメリカでは連邦政府が毎年「公的貧困ライン」を発表し、それ以下で暮らす人たちを貧困層と定義し、 その数を割り出している。 日本で「公的貧困ライン」に相当するのが、生活保護基準である。 したがって日本のもろもろの低所得者向けサービスも、生活保護基準を基点に定められている。 ●例:就学援助。2005年で公立小中学校に通う子どもたちの13%に当たる138万人が受けている就学援助は、 多くの自治体で受給資格を「収入が生活保護基準の1.3倍まで」という形で設定している。 ●例2:地方税の非課税基準も、生活保護基準を下回らないように設定されることが法律上明記されている。 生活保護基準以下の収入でも住民税が課税となるようになった時期が20年ほど前にあり. そうならないように定められた規定 ・生活保護基準が下れば、連動して住民税非課税基準額(月収10万円まで非課税だったのが、 月収5万円以上の世帯には課税されることになる……ということ)が下がることは確実。 非課税が課税になれば、たとえば地方税の課税額によって利用料や負担金を決めているすべての 制度「国民健康保険料」「保育料」「介護保険料」などが上昇する。 (※ 市町村で実施される低所得世帯向けの減免制度の多くは、生活保護基準の"何倍"というように 適用基準を定めている。生活保護基準が引き下げられれば、減免制度の適用基準額も下がりるので、 今まで減免制度を利用できていた低所得世帯の中にはこれらの減免制度が使えなくなる世帯もでてくる。 地方税の非課税基準、国民健康保険の保険料、介護保険料、学援助の給付対象基準などなど) ・最低生活費の切下げは、生活保護受給者の所得を減らすだけには止まらない。 生活保護基準と連動する諸制度の利用資格要件をも同時に引き下げるため、 生活保護を受けていない人たちにも多大な影響を及ぼす。 ・しかも、収入が増えたわけではないのに就学援助等の低所得者向けサービスを受けられなくなった世帯にとって、 それは実質的な負担増を意味する。 そのしわ寄せは、食費や光熱費、交際費等の圧縮となって現われ、消費は冷え込む。 より低い人たちの消費実態を理由に生活保護基準を下げれば、今度はその影響でより低い人たちの消費実態が さらに下がる。 ・つまり、どこまでいっても「下向きの平準化」さえ図られることがなく、 お互いがお互いを下げあうという文字通りの「底辺に向かう競争」が展開される。 これが、最低生活費としての生活保護基準を切り下げることの意味である。 ・わずか150万人の生活保護受給者だけの問題だと考えることは、 事態をあまりにも過小に評価していると言わざるを得ない。 炭鉱のカナリア p.205 ・路上で活動していれば、野宿生活がいかにキツイかは、すぐにわかる。 冬場に底冷えが伝わってくるコンクリートの上に体を横たえていれば「好きでやっているのか、 やむを得ないのか」といった論議が、いかに抽象的なおしゃべりであるかは、体で理解できる。 ・一人前の福祉国家であれば、失業と野宿の間には膨大な「距離」がある。 社会保険・公的扶助のセーフティネットがあり、さまざまな福祉サービス・民間団体のネットがあるからだ。 つまり野宿者の存在は、日本社会の「底抜け」ぶりを裏側から立証していた。 ・リクルートが「フリーター」という言葉を作った八○年代末から九○年代を通じて、 フリーターは一貫して増え続けたが、それを社会全体への警告として受け止めることは、最近までなかった。 ・労働組合は、増え続ける非正規労働者を自分たちへの脅威と考えることはあったとしても、 ともに手を組む相手とは捉えなかった。 ・先駆けて警告を発する者たち(ニート、ひきこもりもそうなのか……)を自己責任論で切り捨てているうちに、 日本社会には貧困が蔓延してしまった。 最近になってようやく、切りつけていたのが、他人ではなく自分の手足だったことが明らかになってきた。 ・野宿者が次々に生み出されるような社会状況を放置しておくと、自分たち自身の生活も苦しくなっていく。 労働者の非正規化を放置し続ければ正規労働者自身の立場が危うくなる、と気づき始めた。 しかし同時に、今度は「生活保護受給者がもらいすぎている」 「給食費を払わない親がいる」と、依然として新たな悪人探しに奔走して手近に悪者を仕立て上げて、 末端で割り食った者同士が対立し、結果的にはどちらの利益にもならない「底辺への競争」を行う。 強い社会を p.207 ・アルバイトや派遣社員を「気楽でいいよな」と蔑視する正社員は、厳しく成果を問われ、長時間労働を強いられている。 正社員を「既得権益の上にあぐらをかいている」と非難する非正規社員は、低賃金・不安定労働を強いられている。 ・人員配置に余裕のない福祉事務所職員とお金に余裕のない生活保護受給者が、お互いを「税金泥棒」と非難しあう。 ・財政難だからと弱者切捨てを推し進めてきた政党が、主権者の支持を失う。 ・これらはすべて、組織や社会自体に〃溜め〃が失われていることの帰結であり、 組織の貧困、社会の貧困の表われに他ならない。 ・駅にエレベーターをつけたり、歩道の段差をなくすバリアフリーは、障害者の人たちが「かわいそう」だから進めるのではない。 「変わらなければならないのは、不具合を不具合のまま続けている社会のほう。 なすべき社会の援助がうまく機能していない。 そのような意味で社会に「障害」はあるし、「障害」は人間ではなく社会のほうにしかないということ」 少なからぬ人々が普通に外を出歩けない状態は、その人たちの側に「問題」があるのではなく、 社会の側に「問題」がある。 その意味で、社会の「障害」である。 貧困問題も、本人の「問題」ではなく「社会の問題」である。 ・貧困状態にまで追い込まれた人たちの中には、立派な人もいれば、立派でない人もいる。 それは、資産家の中に立派な人もいれば、唾棄すべき人間もいるのと同じ。 立派でない人たちは「保護に値しない」のなら、それはもう人権ではない。 ・貧困が「あってはならない」のは、それが社会自身の弱体化の証だからに他ならない。 貧困が大量に生み出される社会は弱い。 そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていかないからである。 誰も、弱い者イジメをする子どもを「強い子」とは思わない。 人間を再生産できない社会に「持続可能性」はない。 私たちは、誰に対しても人間らしい労働と生活を保障できる、「強い社会」を目指すべきである。 パソコン重くてイライラするわ( `_ゝ´) ニコ動有料会員になろうかしら FireTV買ったことだし、野球の実況でも垂れ流しとこうかな なんか寂しいし 糞みたいな防水テレビ掴まされたわ こんなもん売らんでくさい コロニー5のレビューでネタバレすんなや! 結構好き系統のB旧映画だったのに楽しみ半減したわ('A`) ゆるさんぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお ・dynabookを買ったのが2012年12月ってことは、まだ3年6カ月くらいしか経ってないのか…… もっと長いこと使ってるかと思ったけどまだ3年か 買い換えるのは早いかな お金はいいとして、買ったパソコンの設定するのが死ぬほどめんどいんだよねえ いつかは買い換えなきゃいけないときがくるんだよねえ めんどくさいねえ 超めんどくさい('A`) auは、2年縛りだから違約金無しで契約解除できるのは2018年の1月…… 先なっがい シンプルな携帯契約方法できないかな 基本料1000円で電話1分10円です、みたいな 反貧困のネットワークを p.213 ・夫の多重債務が原因で離婚して母子家庭となり、パートで働ていても十分な収入が得られずに 保育料を滞納してしまい、福祉事務所へ相談に行ったら追い返され、 生活を維持するために自らも多重債務者になる、といった複合的な困難を生きている人たちが現実に存在する。 〃溜め″がなければ、失業したらすぐに家賃が払えなくなってしまうというように、 一つのトラブルが次々と異なるトラブルを誘発し、容易に進退窮まる状態まで追い込まれる。 ・問題は相互に連関し、絡み合っている。 それを多重債務問題か、シングルマザー問題か、パ−ト労働者問題か、保育料滞納問題か、 生活保護問題かと切り分けることは、便宜的な意味しか持たない。 「対立」のリストは、いくらでも増やすことができる。 ●[日雇い派遣会社の内勤労働者]と[日雇い派遣労働者] ●[生活保謹受給者]と[福祉事務所職員] ●[外国人労働者]と[日本人失業者]など。 「おれのほうが大変だ。おまえは怠けている」あるいは「既得権益の上にあぐらをかいている」と言い出せば、 双方が相互に引き下げあう「底辺への競争」「下方への平準化」にしか帰結しない。 たとえ相手を引きずり下ろしたとしても、自分の暮らしはよくならない。 私たちが求めているのは、誰かを引きずり下ろすことではなく、貧困問題を解決することだ。 矛先を向ける先は「政治」である。 ・本書の執筆に必要な素材を多くの人たちから提供してもらった。 ときには具体的な資料として、ときにはその生き様で。 本の執筆とは、その意味でいつも共著なのだと感じる。 ・私の知っている活動者たちは、そのほとんどがワーキング・プアである。 〈もやい〉でどれだけ膨大な相談件数をこなしていても、一銭の儲けにもならない。 〈もやい〉は、月額わずか六○万円の人件費を四人、五人で分けている有様だ。 ・多くの人たちを虐げて莫大な利潤を上げる人たちがいる一方で、彼らの活動が、 この日本社会の生きづらさを、それでもこの程度に押し留めている。 本当に必要なことをしているのは、政治家や官僚たちではない。 ・問われているのは〃国の形“である。 一つ一つ行動し、仲間を集め、場所を作り、声を上げていこう。 近道はない。それぞれのやっていることをもう一歩進め、広げることだけが、 反貧困の次の展望を可能にし、社会を強くする。 ・人は神のように社会全体を俯瞰する位置に立つことはできない。 そこからしか見えてこないものがある。 ・労働組合に「なんともならなくなるまでアクセスしない/なんとかなったら離れる」ではいけない。 ネット調べ ・都心に住む高齢者夫婦の場合、生活保護支給額は月に18万円前後。 生活保護受給者は社会保険が控除されるので、実際は月に20数万円ほどの収入レベルと同程度の生活ができる。 一方、夫が平均的収入のサラリーマンで、40年間厚生年金を払い続けたとすると、 厚生年金と夫婦の老齢基礎年金を合わせた額は、月に約23万円程度。 生活保護でも年金生活とそれほど遜色のない生活が送れる。 ・逆に、自営業などで国民年金にしか加入していなかったりすると、 夫婦合わせても月の年金受給額は13万円ほどにしかならない。 これでは生活保護支給額のほうが7万円以上も多いことになってしまう。 ・国民年金の保険料を40年間支払うと、65歳から満額で月額6万6008円の老齢基礎年金が支給される(平成21年度)。 これに対して65歳の単身者が生活保護を受給すると、月額6万3000円〜8万円(地方で低く都市部で高い)が 生活扶助として支払われ、これに家賃相当分の住宅扶助を加えると、 東京などでは扶助総額は月額13万円を上回る。 さらに年金受給者は、医療や介護サービスの一部が自己負担になるが、生活保護なら全額公費で賄われる。 ・国民年金は、「正直者がバカを見る」制度になってしまっている。 この矛盾を解消する方法は、生活保護の扶助を減額するか、 老齢年金の支給額を増額するか、論理的にはふたつにひとつしかない。 生活保護は、「生活できる最低水準」を維持するのに必要不可欠な金額、とされている。 これを大幅に減額することは、生活できない社会的弱者を大量に生み出すことになり、 国民年金の大幅な引き上げには莫大な税金の投入が必要になる。 ポケモンGO配信スタート 外でWi-Fi使えないから俺は遊べない 指を咥えてみんなが遊んでるのを眺めてるしかできない 今までも指を咥えて見てるだけの人生だったような気がする 別にいいけど 指おいしいし ちらほらポケモンGOやってみる人見かけた 車でやってるらしき人も見かけたけど あれ危ないし、なんか違う気がする そのうちドラクエGOみたいなのとかでるんだろうね 友達とやったらさぞ楽しかろう ゲームの中に入って一緒に冒険できるんですもの 電脳コイルの世界に近づいてきた ・国籍別では韓国・朝鮮人が最多。 国民年金に加入していなかった在日韓国・朝鮮人の「無年金世代」が高齢化しているのが最大の要因。 ・伸び率が急速なのは、1980年代以降に来日したフィリピン、中国、ブラジル人らの「ニューカマー」 と呼ばれる人たち。 東海地方で自動車などの製造ラインを担っていた日系人らの多くがリーマン・ショック後に失業、 生活保護になだれ込んだ。 ブラジル人居住者が全国最多といわれる浜松市ではリーマン後に一時、ブラジル人の保護率が8%に達した。 ・単純労働に従事する外国人ほど景気の波に左右されやすく、言語の壁から次の就職先もなかなか決まらない。 雇用保険の給付期間を挟んで、失業が生活保護に直結しているのが現状。 ・日本人の配偶者だったフィリピンや中国出身の女性らが夫婦関係の悪化やDV(配偶者間暴力)などの 理由で離婚しても、子供が日本で教育を受けていれば、シングルマザーとして国内にとどまることに。 この場合、「配偶者」から「定住者」へ資格変更して、生活保護を受給するケースも多い。 「母国に帰っても生活保護の水準まで稼げない人が多い。フリーライド(ただ乗り)感覚の外国人受給者もいる」(ある自治体の担当者)といい、外国人の場合も保護の長期化が懸念されている。 生活保護基準引き下げのどこが問題? Q:働いている人も影響を受ける? ・最低賃金の金額は「生活保護にかかる諸施策との整合性を図る」(最低賃金法9条1項)とされており、 1ヶ月フルタイムで働いた場合に生活保護基準を上回るよう定められている。 最低賃金額も生活保護基準と連動していますので、基準が引き下げられれば最低賃金も引き下げられ、 給与所得が減少します。 Q:消費が冷え込むなんて、大げさでは? ・生活保護基準引き下げにより、生活保護利用者や労働者の収入は確実に減ります。 そして減免制度を使えなくなった低所得世帯は減免が使えない分、支出が増えます。 そうすれば生活費を削って補うしかありません。 何百万人、あるいは1000万人以上の人たちの消費が落ち込むことになれば、その影響は甚大。 生活保護は211万人のいのちを支えるほか、生活費や家賃を通して消費に回され、 商店や流通にお金を落としているという、経済面での効果も見過ごせません。 不正受給に関して ・不正受給率が0.4%だと発表されていたが、これは不正受給が発覚した件数。 ・不正受給率がたった0.4%ではなくて、不正が見つかってないだけっていう方が正しい。 行政の人数がほとんど変わらないのに、生活保護の件数は増えている。 つまり、それだけ仕事量が増えてるということ。 そうすれば、一件一件に手が回らなくなり、当然、不正も見過ごされやすくなる。 反社会勢力も生活保護ビジネスに手を伸ばしている。 おのずと潜在的に不正が年々増加しているということになる。 食生活アドバイザーの資格取ろうと思ったんだけど これ過去問売ってねえぞ 過去問欲しい人は願書申込みと一緒に頼まないといけないらしい しかも願書来るの8月下旬? らしい めんどくさい (゚∀゚)つきのうの世界(下) 恩田陸 上巻はkindleアプリで読んで、下巻はgoogleブックスで読んでみた。 googleブックスの方が使いやすいかな、多少 googleは読み上げ機能が気軽に使えるのがいいわ kindleも読み上げできるんだけど手間かかるからそこがいや 恩田陸作品って前半までは超面白いよね 後半はグッダグダになる展開が多い気がするが きのうの世界は土地と記憶の話 結構好き 食い逃げされてもバイトは雇うな(上) 山田真哉 2007年発行 ・『テストでいうと100点を取れるかどうかはわかりません。でも75点は取れるようになります。 うまくなるコツは”99%の意識と1%の知識”です』 仮に、数字を使っていなかったら、この文章はつぎのようになる。 『テストでいうと満点を取れるかどうかはわかりません。でも、まあまあ取れるようになります。 うまくなるコツは〃たくさんの意識とちょっとの知識″です』 とても押しの弱い、漠然とした文章になってしまう。 ・そこで、インパクトと説得力を出すために「100点」「75点」「99%」「1%」という数字を活用した。 これが、数字のチカラ。意識して数字を使うことで、効果的な表現が可能になる。 ・映画の宣伝でも「みんなが泣いた」というよりも「9割が泣いた」というほうが印象に強く残る。 ・「ビタミンCがたくさん入っています」or「レモン1000個分のビタミンCが入っています」 「タウリン1グラム配合!」or「タウリン1000ミリグラム配合!」 では、どちらのほうが信用度が高いか? ・数字は信用の発生装置となっている。 ・数字がうまい人は、他人が使った数字に対しても敏感。 数字のチカラを利用して自分を説得しようとする相手に対し、その数字の正当性を見極めようする。 ・数字は絶対的であるがゆえに人に恐怖を与えることがある。 「ノルマは一日50軒訪問」「60点以下は再試験」「10位以内に入らないと引退」などという表現は具体的であるがゆえに、 人に猛烈なプレッシャーを与える。 ・これが「ノルマはたくさん訪問」「できなかったら再試験」「売れなかったら引退」なら、 まだゆとりがあり精神的にもきつくはない。 ・これは、「数字は変化しない(数字は絶対的である)」ことから派生したもの。 数字を使う際は、この「数字の暴力性」という副作用を考慮して使わなければ、 想像もしていないところで人を傷つけてしまうことがある。 数字は慎重に使う必要がある。 本のタイトルに数字が使われる理由 p.50 ・『若者はなぜ3年で辞めるのか?』 ・『99.9%は仮説』 ・『江戸三○○藩最後の藩主』 これらの本のタイトルから数字を取ると…… ・『若者はなぜすぐに辞めるのか?』 ・『ほとんどが仮説』 ・『江戸の最後の藩主』 といったようなタイトルだったら、はたしてベストセラーになっていただろうか。 本の編集者は「タイトルを決める際には、どうにかして数字を入れられないかといつも悩んでいる」そうです。 ・タイトルの数字には、なにか必然性があるようで、実はあまりない。 「タイトルに数字を入れられれば、なんでもよかった」というのが正直なところ。 とにかく数字が入っていれば、あとは読者が「その数字にはなにか特別な意味があるのでは?」と 勝手に推測してくれ一度気になれば、読んで確かめようとするのが人の心理だから。 《クイズ@》 あなたは、あるサッカーチームの広報担当です。 チームの成績は現在1勝2分け。 今週末のホームゲームにより多くの観客を呼ぶために、あなたならいったいどんな広報活動を行いますか? 正解――「3戦無敗」 あっという間に、パッとしなかったチームが強豪チームに早変わり。 チームの実力はまったく変わらないのに、表現を変えるだけで印象がガラリと変わってしまう。 ・サッカーのスウェーデン代表は、強豪イングランド代表を相手に1968年以来、一度も負けておらず、 無敗神話をつづけている。 スウェーデンがイングランドと戦うと必ずこの「39年間無敗」という表現が使われるが、 ふたを開けてみると、実は神話といえるほどの記録ではなく、 「12戦4勝0敗8分け」。 39年間で12試合しか戦っていない。(しかもたったの4勝。ほとんどが引き分け) 《クイズA》 あなたは、たった1教室しかない、町外れの小さな塾の経営者です。 あなたの塾は、有名高校Aに毎年約20名の合格者を出しています. そんなある日、駅前の大手進学塾が、「A高校に毎年1OO名合格!選べる市内10教室!!」という チラシを大々的にまきました。 あなたの塾はこれにどう対抗しますか?どうやって自分の塾をアピールしますか? 正解は――「割り算を使う」 弱小塾20名÷1教室=20名 大手塾100名÷10教室=10名 「某大手塾の2倍の合格実績!」といったアピールの仕方が可能になってくる。 ・自社にとって有利な数字を見つけることこそ、広報部や企画部の仕事だといっても過言ではない。 ジョギングポーチ買った 仮面ライダーベルトみたいでかっこいい ポケットにモノ入ってないだけでかなり走りやすくなった 入ったラーメン屋に客俺一人できつかった 客俺一人ならテーブルに座って厨房に背を向けてラーメン食べたかったのに、水をポンッとカウンターに出されてカウンターで食べざるをえなかった そのラーメン屋夫婦でやってるらしくて、厨房に夫婦2人VSカウンター独り俺 落ち着いて食べられやしないから舌火傷するし、スープはしょっぱいし、麺は業務用のだし、チャーシューはパッサパサ、スーパーのもやし&海苔 それで700円も取られた 150円のカップヌードルの方が断然おいしい あそこの店そう長くは持たないと思う カップヌードルよりおいしくないラーメン出す店は 遅かれ早かれ潰れちゃうんだろうな、と カップヌードルってあの価格であの味出せるって改めて考えるとすごいな そのラーメン屋、水が一番おいしかった 今日は山の日、休日 渋滞でも見に行こうかな クイズB ライバル会社が、買い物時に代金の5%を還元するというキャンペーンをはじめました。 これに対抗するために、あなたの会社もキャンペーンをすることになりましたが、悲しいことにお金がない。 せいぜい2%還元分の予算しかありません。 もし、このキャ ン ペーンの責任者に任命されたなら、あなたはどのようなキャ ンペーンを行いますか? 正解は……「50人に1人無料!全額 キャッ シ ュ バ ック キャ ンペーン中」と大々的に宣伝すればいい。 ・100分の2は、約分すると50分の1。 ということは、客全員に代金の50分の1ずつ還元するわけだが、発想を転換して、 お客さん50人のうち1人に代金の全額を還元してしまっても、かかる費用は同じ。 ・例えば、50人のお客さんが立てつづけに1万円の商品を買ったとする。 2%還元なら、それぞれのお客さんに「1万円×2%=200円」ずつ還元することになるので、 トータルすると「50人×200円=1万円」が総還元金額になる。 だったら、50人のうち1人だけに1万円全額を還元してしまっても同じだということ。(他の人は還元なし)。 当然、総還元金額は同じく1万円になる。 50分の1ずつ還元: [50人×1万円×2%=1万円] 50人のうち1人に還元: [50人×1/50×1万円=1万円] ・また別の考え方をすれば「50人に1人無料なら、買い物を50回すれば1回は確実にダダなる」ということ。 (それに無料といいつつも、たいていは上限金額が設けられているので、全員に還元するよりは安くすむ)。 ・予算がないときは、数字をこねくりまわして、費用対効果の高い宣伝方法を考えるとよい。 《クイズC》 コストを削減したい。AとB、どちらのほうがお得でしょうか? A:1000円のものを500円で買う。 B:101万円のものを100万円で買う。 正解は――「B」 ・値引率でいえばAは50%、つまり半額なのに対して、Bはたったの1%弱。 値引率の高いほうを選ぶ問題なら、Aが正解。 だが、これはコスト削減の問題。いくら値引率が高くても、削減できるコストが微々たる金額であれば意味がない。 値引きのパーセンテージではなく、いくら得したのかという金額が優先される問題。 ・金額でいえば、Aは[1000円-500円=500円]安くなったのに対し、 Bは[101万円-100万円=1万円]も安くなっている。 〈SOS株式会社 ○年度決算〉 A事業部利益:前年比10%減少 B事業部利益:前年比25%減少 C事業部利益:前年比130%増加 この資料を見ると、SOS株式会社は2つの事業では苦戦しているが、 C事業部の躍進がそれをカバーしてあまりあるように見える。 しかし、金額で見てみるとつぎのようになる。 〈SOS株式会社 ○年決算〉 A事業部利益:2億円減少 B事業部利益:8000万円減少 C事業部利益:600万円増加 A事業部とB事業部の利益減少額があまりにも大きく,C事業部による利益の600万円増加は焼け石に水。 ・ビジネスの世界は特にそうだが、数字を発表する側は自分にとってもっとも有利な数字を提供する。 これに惑わされない方法のひとつが、金額という絶対的な価値尺度のみで判断する「金額重視主義」。 この年になって野糞することになるとは思わなかった 公民館? 図書館? の駐車場の角の 木が生い茂ってる場所でうんこしたわ しかも深夜3時30分に しかも下痢 夏の思い出が野糞 ・人は大きな金額を前にすると感覚が麻痺してくる。 大きな金額のものほど節約効果が大きいので、小さな節約は無視してでも大きな節約を心がけるべき。 100万円と101万円は違う。 数字がうまい人は、ちゃんとこの1万円を意識できる。 《クイズCのまとめ》 ●節約や会社の成長は、パーセンテージではなく金額で考える。 ●大きな金額のときほど、節約をすると効果が大きい。 《クイズD 近所に、いつ見てもお客さんがほとんどいないボロボロのラーメン屋があります。 どうして澱れないのでしょうか? ・仮に、1時間に2人しか客が来ない、として計算をしてみる。 客1人あたりの売上高は、ビール代なども含めて平均1000円。 開店時間は1日10時間、開店日数は週1日の休みでひと月26日間とすると…… 2人×1000円×10時間×26日=52万円 ・このように計算してみると、1時間にたった2人のお客さんしか来なくても、月52万円は売上を確保できることがわかる。 材料費や水道光熱費などで半分を使ったとしても、月26万円は手元に残る。 店主1人で、自宅でお店を開いているのであれば、人件費も家賃もいらない。 ボロボロのラーメン屋なので設備も新設していないと考えると、手取りが26万円あれば、なんとか一家で暮らしていける金額。 ほとんどお客さんがいないラーメン屋でも、なんとか潰れずにやっていくことは可能。 ・客がほとんどいなくても、現実に潰れずにやっているのであれば、必ずなにか儲けのカラクリがあるはず。 正解・不正解はとりあえず無視して、なにか疑問に思うことがあったら、まずは試しに計算してみる。 そうすれば、カラクリがぼんやりと見えてくる。 ・大事なのは、感覚や印象ではなく、実際に数字(金額)で考えてみること。 今回のように売上に関する疑問であれば「人数」「時間」「日数」を掛け算することで、その全体が見えてくる。 《クイズE〉 クイズDのラーメン屋は、お客さんがいるのに、店主が出前に出てしまうことがあります。 その間、お店がカラになるので、食い逃げをする人がたびたび出てしまいます。 そこで、なじみのお客さんが、「食い逃げする奴が多いから、バイトを雇ったほうがいいんじゃないか」と アドバイスしました。 しかし、店主は見張りのためのバイトを一展おうとはしません。 なじみのお客さんは、「いい人だけどバカな店主だなあ」と笑いました。 さて、この店主は本当にバカなのでしょうか? ・お客さんが食い逃げする確率を20%(5人に1人);バイト代を時給800円とすると、 1日あたりの金額はつぎのようになる。 お客さんの数: 2人×10時間=20人 食い逃げの被害額: 20人×20%×1000円=4000円 バイト代: 800円×10時間=8000円 →食い逃げの被害額「4000円」 < バイト代「8000円」 ・食い逃げ防止のためにバイトを雇うほうが高くつく。 また、食い逃げは事前に予測できないので、食い逃げを防ぐためにはバイトを毎日置かざるを得なくなる。 そうなると、その人件費は8000円×26日で、月20.8万円にもなる。 このように、金額だけを見れば、バイトを雇うより食い逃げ犯を見逃したほうがお得になる。 どっちが損か? 秤にかける ・食い逃げに限らず、ビジネスでは商品を売ったのにお金が入ってこない、 つまり「貸し倒れ(未入金)」の問題が頻繁に発生する。 そのときは、貸し倒れの金額と回収コスト(督促のための人件費や交通費、弁護士費用等)を比較して、 回収コストのほうがかかるのであれば、貸し倒れはあきらめるという金額重視の判断が必要になる。 ・貸し倒れの問題は、基本的に、事前に行える予防(取引先・入金方法の選別)のほうが、 事後的な治療(督促・回収)よりもお金がかからない。 あの牛井屋にはなぜ食券機がないのか? ・実際に、食い逃げの被害でこまっているお店はとても多いので、どのお店も前払い制などの予防策を取っている。 しかし、とある有名牛丼店チェーンでは、いまでも店員による後払い制をとっている。 食い逃げも発生しそうなのに、どうして食券機を置かないのか? 話によると、食券機を置いてしまうと、なにもいわずに帰ってしまうお客さんに対して 「ありがとうございました」とちゃんといえないから、ということだそう。 ・しかし、また別の話によると、以前に試したところ、昼食のかき入れ時に食券機の前で行列ができてしまい、 入口が大混雑。 その入口の様子を見たお客さんが、「これでは混雑しすぎで食べられない」と思い、他店に行ってしまう、 という機会損失が発生したため、全店への導入は中止したのだとか。 ・つまり、「食い逃げされても食券機は置くな」です。 食い逃げによる被害額と機会損失額との比較による判断。 もしこの話が本当だとしたら、金額重視主義による経営判断が、食券機を置かない理由。 ※機会損失とは.売り逃し、売り損ないのこと。 チャンスロスともいう。 売上のチャンスをみすみす逃す行為なので、売れ残ることよりもよくない場合がある。 エホバの証人がうちにきた 老夫婦だったんだけど その人の娘が父親の教え子だったんだと 父親に似てるとか言われたわ 教え子の担任の家まで布教しにくるかね 親父はとっくに死んでるけど 家に来たあとも近所を布教して回ってたみたいだ、迷惑。 ・普免 ・電工2種 電工1種 ・工事担任者 AI・DD総合種 情報通信エンジニア ・秘書検定2級 ・パソコン検定3級 ・YESプログラム これだけ資格取ったけど何一つ役立てられてない('A`) たべることがめちゃくちゃ楽しくなる! 栄養素キャラクター図鑑 栄養素のこと大雑把にわかった 読んでいく端から忘れてったけど 映画の吹き替え翻訳って局によってだいぶ違うね テレ東のアイ、ロボットの吹き替え翻訳味気なかった テレ朝のアイ、ロボットの翻訳の方が登場人物にあったセリフのような気がした 翻訳者調べたらテレ東版が栗原とみ子って人で、テレ朝が久保喜昭って人だった 翻訳者の違いなのか、演出家がビミョーにニュアンス変えてんのか Vikiが人類を守るためには人間を管理する必要があるって言うくだりでロボットのサニーが返すセリフが、 テレ東版は「それはわかりますけど…それは心がない」 テレ朝版は「わかりますViki。しかしそれはあまりにも……心がない」 ってな感じ。 テレ東版のカルビンは博士に対して結構あっさりしてるけど、 テレ朝版は、スプーナーが博士のことを爺さん扱いすると声を荒げたり 登場人物の印象がガラッと変わるレベルで違ってた プーマのポロシャツ1000円で(σ・∀・)σゲッツ!!できたぜ やったぜ 歯の食いしばりが最近また酷い 起きた直後は大丈夫なんだけど 数時間後に凄まじく眠くなる(つ∀-) 子供の時みたいにぐっすり寝てみたい あーめんどくさい 「食い逃げは追うな」と書かれたマニュアル? ・というのも、牛丼のような単価の低い商品の場合、食い逃げされてもその被害額はたかが知れている。 食い逃げ犯を追いかける時間、説教する時間、店に戻るまでの時間などを考えると、 どう考えてもコストがかかりすぎる。 《クイズF〉 近所に、お客さんが1日に数人しかいない小さな古本屋があります。 どうして潰れないのでしょうか? その理由を、最低でも2つお答えください。 ・会計の目的は、お金の動きを集計、分析して、経営に役立てること。集計することだけが目的ではない。 家計簿にとりあえず金額だけは書いているけれど、月ごとに比較もしていないし、 見直してもいないということであれば、その家計簿は実力の半分も発揮できていない。 ちゃんと分析して、経営や家計に役立ててはじめて、会計の目的は達せられる。 [会計の大原則・損益計算] 収益−費用=利益(損失) ・会計における数字の集計は、まず、さまざまな数字をこの公式にある「収益」か「費用」に集めることからはじめる。 ・具体的には、売上、株取引の売却益・配当益、銀行の利息といった、お金が入ってくるものを「収益」に集め、 人件費や仕入れ費用、家賃、交際費といった、お金が出ていくものを「費用」に集める。 ・そして、「収益」から「費用」を引いて、プラスであれば「利益」、マイナスであれば「損失」と呼ぶのが、会計の大原則。 ・専門用語ではこれを、損失の「損」と利益の「益」で「損益計算」と呼ぶ。 会計の大原則は、シンプルな引き算。 ※「損益計算書(P/L)」は損益計算の内容を細かく書類にしたもの。 この損益計算の結果が示すところはなんなのかといえば、プラス(利益)が出れば会社はほぼ潰れない。 マイナス(損失)が出れば会社はいずれ潰れる、といった単純なこと。 ・「潰れない」→「なぜ?」→「利益が出ているから」と考えていくのが会計的思考。 では、利益が出ているとはどういうことか? 公式通りに考えるなら、意外に収益が多いか、意外に費用が少ないかのどちらか(もしくは両方)になるはず。 ●この古本屋は、実は収益が多い。なぜか? ●この古本屋は、実は費用が少ない。なぜか? ・収益が多い場合の代表的な解答例 @インターネット販売 A単価の高い商品の販売 @インターネット販売については.実はキャッシュポイント(収入源)が、店頭という1カ所ではなく複数あるということ。 現代では、むしろ、いかに顔を合わせないお客さんを囲い込むかが焦点になっている。 現実世界の店舗はいわばただの在庫置き場であり、お客さんが来れば儲けものといった感覚で、 売上の大半はインターネットでの通信販売だといったお店も多くなってきている。 なので、いつもお客さんが入っていないお店でも、大きな売上を出すことは十分に可能。 名簿はポロ儲け ・A単価の高い商品の販売とは、美術書や写真集、古文書などもあるが、代表的なものは名簿の販売。 学校の卒業者名簿、同窓会名簿、会社の職員名簿、資格者名簿、町会名簿といった名簿類が、 一部の古本屋において高値で取引されている。 もともとダダで配っているものも多いので、仕入れ値はせいぜい数千円。 それを5万円、10万円といった高値で販売するので、月に2,3冊でも売れれば、 たとえお客さんが少なくても大きな売上を出すことが可能になる。 ・ただ、問題がまったくないとはいえません。 単価の高いものには常に大きなリスクが伴う。 売上を単価が高いものに頼っていると、万が一その供給が絶たれたとき、につちもさつちもいかなくなってしまう。 名簿でいえば、2005年に施行された個人情報保護法により、学校や企業において、 名簿そのものが作られなくなったケースが多くなっている。 すると、商品の供給が絶たれてしまうので、どうしようもなくなってしまう。 数字は「読む」のではなく「探す」 p.180 ・あらかじめチェックすべき数字を決めておいて、その数字を、決算書という数字の大海原のなかから探し出している。 ・家計でいうと、家計簿をつけていて、年々電気代が増加していることがわかれば、 エアコンの使いすぎなのか、 新しい電化製品が意外と電気を食うのか、 誰かが夜遅くまで起きているせいなのか、と原因を推測できる。 このように、増減が激しい数字を見つけたら「どうしてなのか?」と考え、 「こうかもしれない」と仮説を立て、目星をつけて調べてみる。 集計し、決算書を作ることが会計の目的ではない。 その数字を比較・分析し、ビジネスに役立ててはじめて、意味が出てくる。 《クイズG》 p.184 A社、B社、C社という3つの会社があります。 当年の売上高はそれぞれ10億円、7億円、4億円です。 あなたは新規事業のリーダーです.業務提携するならば、A社、B社、C社のどの会社がいちばんいいでしょうか? 〈前年、前々年の売上高〉 A社:前年5億円、前々年1億円 B社:前年5億円、前々年6億円 C社:前年7億円、前々年11億円 売上の推移だけを見る ・A社は、1億、5億、11億と倍々ゲームで売上を増やしている。「成長企業だな」というのがわかる。 ・B社の売上は、6億、5億、7億とほぼ横ばいで推移している。売上にブレがないという意味で、「安定企業」といえる。 ・C社は、11億もあった売上が7億に減り、たったの2年で半分以下の4億円になってしまっている。 誰が見ても、これは「衰退企業」でしょう。 ・このように売上高の推移を見るだ一けで、A社は成長、B社は安定、C社は衰退といった評価が可能となる。 業務提携するならば、ふつうはA社かB社。 将来性を考えるならA社、安定を求めるならB社になる。 C社と提携するといったら、袖の下でももらっているんじゃないかと噂されてしまう。 利益の推移も見る p.187 ・毎年売上高を増やしている「成長企業」のA社は、 当期純利益も1000万円、1500万円、2000万円と増やしているので、まったく問題ないように思える。 ここで注目すべきは、利益額ではなく利益率。 野球選手でいうなら、安打数ではなく、打率が重要。 ここでは、当期純利益を売上高で割って出す「売上高利益率」を計算してみる。 この数字は企業の“稼ぐ力”を示すものであり、会社の打率といえる。 〈A社:売上高利益率〉 前々年 → 1000万円/1億円=10% 前年 → 1500万円/5億円=3% 当年 → 2000万円/10億円=2% 〈B社:売上高利益率〉 前々年 → 5000万円/6億円≒8.3% 前年 → 6000万円/5億円=12% 当年 → 1億円/7億円≒14.3% 〈C社:売上高利益率〉 前々年 → 5000万円/11億円≒4.5% 前年 → 1000万円/7億円≒1.4% 当年 → 100万円/4億円=0.25% ・A社は利益率で見ると、実は10%、3%、2%と毎年減っている。 ということは、どういった見方が可能になってくるか? 簡単にいえば、事業は拡大しているけれど、逆に仕事の効率が悪くなっている会社という見方ができる。 急激に会社を大きくしたので、中途採用などでコストの高い人材をたくさん採り、人件費が高くなったのか? もしくは、M&Aで急拡大したはいいが、すぐには利益の出ない会社を買ってしまったのか? それとも、利益に余裕があるうちに新規事業に積極投資をしたのだが、なかなか芽が出ていないのか? など、A社に関するたった6つの数字(3年間の売上高と利益)を見るだけで、いろいろな推測ができる。 ・B社の利益率は8.3%、12%、14.3%と毎年増えている。 ということは、仕事の効率が著しく向上している会社と見なすことができる。 こういう会社は、ちょっと売上が下がったくらいでは赤字にならない筋肉質な体制ができあがっているもの。 稼ぐ力をたくさん持った「安定企業」。ぜひ、おつきあいしたい会社だといえる。 ・C社は4.5%、1.4%、0.25%と、売上高や当期純利益だけではなく、利益率も毎年減少をつづけている。 かろうじて黒字だが、来年はどうなるかわからない。 倒産危機、さらに隠された秘密が…… p.192 ・C社の数字からは、もうひとつ読み取ったほうがいい数字がある。 C社の当年の売上高利益率。――「0.25%」 売上の0.25%というのは、会計操作でどうにでもなる金額。 ・たとえば、3月決算の会社で利益が足りないとき、本当は4月1日に発生する売上を1日ずらして3月31日に してしまおうとか、本当は3月の経費を4月にしてしまおうということは、少 額ならやろうと思えば簡単にできてしまう。 決算期をずらすことによって、0.25%ぐらいのお金ならすぐに動かせる。 そして、売上高4億円のC社にとって、0.25%にあたる100万円という数字は少額。 ということで、利益が黒字ギリギリの100万円というC社には、粉飾決算の疑いも出てくる! 売上高利益率が1%を切った会社は要注意。 銀行から融資を引きあげさせないために、または上場するために、もしくは株価を維持するために、 無理やり黒字にした可能性がある。 これは中小企業に限った話ではなく、大企業でも同じ。 ・2007年初頭、日興コーディアル証券の不正会計が騒ぎになったが、このときの数字は190億円の売上水増しだった。 (2006年・純営業収益)。 190憶円ときくとすごい金額に思えるが、日興コーディアル証券は売上高4900億円の大企業。 100億ぐらいの金額なら実際どうにでも動かせる。 カネボウの粉飾決算事件でも、2003年に80億円もの売上の水増しがあったが、 その年のカネボウの売上高は5300億円。 多額の粉飾のように見えるが、会社から見れば1.5%にすぎない。 (とにかく赤字を隠すために、カネボウは、さまざまな粉飾手法を駆使して、 2002年の決算では、260億円の赤字を7000万円の黒字というギリギリ利益が出る数字に変えた)。 《クイズGのまとめ〉 p.199 ●決算書は、「読む」のではなく「探す」 ●知るべき「指標」を決め、決算書から数字を探していく ●「比較(過去比較、他社比較)」することで問題を浮き彫りにする ●割り算で「比率」を出す オリジン弁当のオカズ料理の見本写真にはキャベツがのってるのに 実物買ったらキャベツ入ってなかった ショック 利息9円もらった 食生活アドバイザー過去問 プリンタで印刷した紙をホッチキスで止めただけのようなもんが2100円だか2600円だかもする しかも協会からしか買えない さすが民間資格(;^ν^)ぐぬぬ… (´Д`)つ「やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方」 それ実は必要ないじゃね? っていう一種の断捨離漫画 どっかで見たこと読んだことあるようなことしか描いてなかったなぁ 今日からやります。じつはちょうど一年前にもやってたものです。 トリップ覚えていないので変えました。 当面は英語勉強、美容健康等の目標の予定です。 また野糞したわ…… 深夜3時、便意をもよおしコンビニまで走るも トイレを借りられなくて 野糞できる場所を探してる途中にうんこ(下痢)が出てきて 公園の建物脇で仕方なく噴出 ジャージにうんこついたし、なにより手にうんこがついた…… 花粉症用に持ってたポケットティッシュで尻拭いたけど 下痢便だからティッシュが足りなくて履いてたジャージでも尻吹いた ジャージで尻拭いたティッシュを集めてゴミ箱へポイ 帰宅してトイレに行くと、うんこしてる時は暗くてよくわからなかったけど 脚にもうんこついてた…… ふくらはぎと太ももに 糞まみれになってジャージのズボンも失う パピナリン薬局に売ってない なんでまだ11月始まったばかりなのにクリスマスムード出してくんの 字書くのってこんなに時間かかったっけ? 食生活の知識は一生モノのの知識にした方が いいと思って、ちゃんとノートにまとめてるんだけど なんか想定してたよりめっちゃ時間かかる このままではジリ貧や 字といえば、 『30日できれいな字が書けるペン字練習帳 (TJMOOK) 大型本 ? 2009/12/4 中塚 翠涛』 初めて効果あったと感じられたペン字練習帳。 まだまだほんと字下手くそなんだけど、 これやってからは相当マシになったよ なんとか見られるレベルにはなった……かな DSの美文字トレーニングもけっこう長くやってたんだけど こっちは全然効果なかた 評判はいいみたいだから、俺に合わなかっただけなんだろうけど 手書き間に合わないからWord使うことにした Word2002だよ さすがに買い換えないと 父親が買ってきたWordをずっと使ってる 別に重要書類作るわけでもないので事足りてた でも2002年はさすがに古すぎるか 試験終わったら一太郎に買い換えようかな 計算したら今日中に70ページやることになってるんだが…… ____ ━┓ / ― \ ┏┛ /ノ ( ●) \ ・ | ( ●) ⌒) | | (__ノ ̄ / | / \_ ⊂ヽ∩\ /´ (,_ \.\ | / \_ノ 近所である事故が発生したんだけど そのことをtwitterで検索をかけてみたところ お隣さんのアカウントを発見 あともう一人、近所にガクト好きな主婦が住んでいることがわかった これストーカー行為に使えるね 使わないけど その人の近所でわざとボヤ騒ぎでも起こして消防車を出動させる ↓ twitter検索 ↓ (*゚ー゚)「なんか近所でボヤ騒ぎがあったみたい…… 消防車いっぱい来てた。怖かったよ-」 | | ↓ 彡(●)(●) 見ーつけたー…… 試験受けに新宿まで行ってきたんだけど なんで駅も街もあんなに初見殺しな設計になってるの 迷ってたどり着いた先が違う試験会場でまいった バイク事故したばっかりで股関節痛いのにめっちゃ走ったわ もっと、わかりやすさが重視される世の中にならないかな テレビのリモコンひとつとってもボタン多杉 テレビがみられるだけでいいって人もいらん機能の分のお金も払わないけんし 携帯の料金体系なんて、いかに客を煙に巻くかに全力じゃん みんな順応性高いよね 使えないやつが悪いみたいな風潮 わかりづらいものにはみんなもっとガンガンクレームいれたらいいのに そしたら、いろんなものが使いやすくなるのに 世の中のすべてのものは 俺が初見でも扱えるくらいに優しく設計するべきなんだ 一太郎、スマホアプリは製品買わないと使えないのかよ アプリの評価も最低 やっぱりWordにするか 選択肢がないがな('A`) 右折禁止場所で右折して罰金取られた 3日後にスピード違反で罰金取られた 右折禁止は7000円で スピード違反は15000円も取られた 計22000円なり 右折禁止場所は標識見なかった俺が悪いけど スピード違反は40キロ道路で62キロで違反取られたことには納得できない(`・ω・´) そもそも法定速度がおかしい 法定速度を守れば煽られるし渋滞が発生するし 違反すれば減点&罰金取られるってどうすりゃいいのさ('A`) 法定速度の上限上げるか 車に40キロ以上でないようにリミッター搭載でもしてくれ 車なんて高速でも100キロ以上出る必要ないんだから なんで軽自動車なのに140キロ以上出るように設計されてんだ(#・∀・) あとスピード違反取り締まる側の人らも絶対にスピード違反してるよね まあそれは、指示に従ってるだけなんだけどさ。さっ! はやく自動運転実用化されないかな 車の運転ほんと嫌い (・∀・)つアル中病棟 吾妻ひでお 失踪日記の続編みたいなもの 面白おかしく描かれてるけど 実際相当悲惨そう アル中恐怖 俺は酒飲まないけど 鮭のアジを知ったら鮭に逃げそうなので 鮭のアジは知らないままの方がいいかもしれない 酒飲まないタバコ吸わない女遊びしない 遊びに出かけない友達いない精神疾患あり 俺も別方面でアル中なみに人生終わっとる めっちゃ使う機能だったのに Word2016、水平線の機能が縮小されてるじゃん…… オッホ 資格として成立しちゃってる時点でソフトとしてお かしいっていう書き込みあったんだけど、その通りだと思う フォトショップは別として、文書、家計簿作るだけなのに資格ができちゃ うくらい使い勝手が悪いってどういうこっちゃねん OSの時もそうだったけど、Word2016が発売してから旧バージョンのWordの 値段が上がってるわ…… 人生の3分の1くらいは説明書読むのに費やされるような気がしてきた Word2016、「・」打ってからエンター押すと、数年前に書いた長文がコピペされるバグがあるんだが。 ヘ(゚д゚)ノ ナニコレ? なので、Word2002で文章書いてから、Word2016で開いてから 印刷するという意味不明な方法で使ってる Word2002だと印刷時に文字化けする箇所がでてくるから使い続けられないし 2002と2016が混在してるから発生するバグかなって思ったけど違うみたいだし 2016がアップデートされるまで こんなめんどうくさい方法で使っていくしかないのかお(#^ω^) 「発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉かけ」 発達障害児の育児のアドバイス本 6歳過ぎてもするおねしょは夜尿症って 正式な病気? になるらしいんだけど 夜尿症と発達障害には関係があるとかないとか 俺、小6までおねしょしてたんだよね それだけが理由じゃないんだけど確実に俺発達障害 他の発達障害の本も読んでみたんだけど 発達障害児ってイジメに合う確率がめちゃ高いんだって まあ、そうだろうなとは思うけど 俺の場合、周囲にいた人がいい人が多かったから それなりに生きてこられた感じがする 特に男子のリーダー格の人がイジメするような人じゃなかったのが大きい のかな その人、真面目じゃないけど、不良でもなく、 頭良くもないけど、悪くもない 先輩後輩不良真面目グループ全方位と意識せず自然にコミュニケーション が取れる人だった 今思うとあのカリスマ性ハンパないな…… 俺はカースト底辺にいたから、トップがあれな人だと最悪死んでた可能性 がある 俺が在学してる時期より4年ぐらい前になるけど実際 隣町の中学校でイジメ殺人が発生してんだよね 隣町の中学校は代々荒れてることで有名だった 俺がその子のように殺されてた可能性も十分にあった 当時を振り返ると周りの人に守られてた感が強い 運が良かった 当時の男子の同級生たちには感謝しかない 全員じゃないが…… 女子の方は、まあ控えめにいって最悪だったかな ちまき、あまりおいしくなかった.... あー.... 天獄の島っていうWeb漫画ただだったから読んでみたんだけど ラスト超展開すぎてついていけない 途中まで面白かったけど最後に、 うわぁああああああぁぁぁ!!!!!!!! って放り投げやがった 最後まで責任を持て タダだけど Amazonレビュー基本参考にしてるんだけど 寝具のレビューだけは信用ならねえ 甥っ子に「◯◯おじちゃんだけ、なんでママがいないの?」って聞かれたわ 甥っ子がいうママっていうのは母親じゃなくて配偶者のこと 三兄弟の中で俺だけ独身だからね なかなか痛いところをついてくるね、幼児のくせに まあ、弟はいろいろあって離婚したんだけど グース羽毛布団買ってみた ('A`)あったけぇ〜…… ちゃんとして羽毛布団ってこんなにぬくたいのか 綿布団と全然違う 電気毛布の暖かさとも全然違って 優しいぬくもり ■目標 ・メンタルトレーナーがないかを把握する ・Linuxサーバの初歩を習得する ・Windowsサーバの初歩を習得する ・毎週進捗を確認する ('A`)つダンナ様はFBI ('A`)つツレがうつになりまして。 FBI心理分析官 猟奇連続殺人犯に直接面談して、今では当たり前になったプロファイルを確立した人が書いた本。 ハンニバルのジョディ・フォスターのモデルになった人だそうだよ、著者男だけど。 有名所だと、テッドバンディ(IQが糞高く自分で自分の弁護をした人)、 ジェフリー・ダーマー(ミルウォーキーの食人鬼)、ジョン・ゲイシー(ピエロの人)とか出てくる。 この3人はたぶんアンビリバボーで取り上げられたことがあったような気がする、 ぼんやり観た記憶が。 著者は、映画ハンニバルに不満みたい。 ハンニバルだけじゃなくてプロファイルを扱ったドラマ映画とかは、 プロファイラーを魔法使いみたいに犯人を簡単に割り出せるみたいに扱ってることが不満らしい。 実際のプロファイルは分析官の経験の積み重ねによるところも大きいから、 対応表のように、このケースだから犯人はこの年齢層人種職業……みたいに簡単にはいかんらしい。 現場の刑事とかからも、ちょいちょいプロファイルの対応表を作ってくれって言われて著者困惑。 シリアルキラーの手口は様々だけど、殺人の動機は実はシンプルで すべて性犯罪に該当するらしい。 人肉食も(異常な)性欲を満たすために行うことで、 純粋に食料として食べるシリアルキラーは存在しないと。 だから、ハンニバルレクターみたいなタイプのシリアルキラーは実際には存在しないらしい。 シリアルキラーの家庭環境も詳しく書いてあったんだけど、 それ読むとやっぱり生まれながらの殺人鬼はいないんだと感じた。 スマホで使える1000円のマイクロスコープ買った もちろん耳の中に突っ込んだんだけど イヤースコープよりちゃんと見える 生まれて初めて自分の鼓膜見たよ これで映像見ながら耳かきできたら射精しちゃうレベルで 気持ちいいんだろうけどそれはムリ スコープで耳穴いっぱいいっぱいになるから 耳かきもピンセットも入る隙間ない もっと耳かき関連商品進化して欲しい 需要の割にこれといった商品が開発されていないような気がする スコープ今度鼻の中にも突っ込んでみよう アルガードの安い目薬全然効かないから 2000円もする目薬買った アルガードよりも効くけど 劇的に効くって感じではない Panasonicのスポットクリア買ってみたけど全然使えなかった(;´Д`) 母親にあげるか 【累犯障害者】 知的障害者って罪を免除されたり減免されたりするもんだと、なんとなく思い込んでちゃったけど 実際は障害があろうとばんばん刑務所にぶちこまれてた 取り調べや裁判で反論するだけの知能がないから、いいように調書つくられちゃって 警察が自白を捏造したケースまで出てくる 今の制度だと身元引受人さえいれば、刑期の3分の1務めればまず出られるのに 犯罪を犯すような知的障害者だと身内からも見捨てられているケースが多く 身元引受人がいないので、刑期を満期まで努めて出所するケースが健常者の服役囚と比べて何倍も多い。 女性の知的障害者は昔から水商売に利用されてきてて、それは今でも変わらない。 幼少時からレイプされ、風俗店で働かされて、しまいには偽装結婚で逮捕。 でも本人は偽装結婚がなんなのかもわからない。 それでも、私を抱く男はみんな自分のことを『かわいい』と言ってくれるので好き、と話す。 ろうあ者だけの「組」ヤクザが存在する。 そのろうあ者だけの組がターゲットにするのは、同じ障害を持つろうあ者。 同じろうあ者同士なら信用されやすく、また罪が発覚しづらいため。 刑務所内の知的障害者には「刑務所が一番暮らしやすかった」と話す者。 出所しては舞い戻ることを繰り返し54年のうち50年を刑務所ですごす者。 自分が服役していることが理解できず、『施設』にいると思い込んでいる者。 マスコミは努力する障害者は、美談として頻繁に取り上げる。 たしかにそれも障害者の一つの姿だが、一方で、健常者と同じように問題行動を起こす障害者もいる。 GDP比にみる日本の障害者福祉予算は、スウェーデンの1/9、 ドイツの1/5、イギリス・フランスの1/4、 社会保障制度の不備が指摘されるアメリカとくらべても1/2以下である。 これからの正義の話をしよう ちょっと前に流行ったよねハーバード白熱教室 その人が書いた本 道徳について考えようって話 『凶悪』 人を殺し、その死を巧みに金に換える“先生"と呼ばれる男がいる── 雑誌記者が聞いた驚愕の証言。 だが、告発者は元ヤクザで、しかも拘置所に収監中の殺人犯だった。 信じていいのか? 記者は逡巡しながらも、現場を徹底的に歩き、関係者を訪ね、そして確信する。 告発は本物だ! やがて、元ヤクザと記者の追及は警察を動かし、真の“凶悪"を追い詰めてゆく。 概要だけ読むと小説かなって思うけど 恐ろしいことにこれノンフィクション 現実にこんなことがあるのか…… こんな凶悪な人間が実際に存在することも恐ろしいけど 検察警察が頼りなさすぎるのも別の意味で怖い 花畑牧場の生キャラメル今さらながら注文して食してみたんだけど ほんとに今さらなんだけど おいしいけど、わざわざ注文してまで食べるものではないね あんだけブームになったんだから どんなものかと思ったけど 「なんで働かないといけないんですか?」と聞いた学生への、とある経営者の回答。 http://rfdyy.tribit-field.jp/1703.html 電動歯ブラシでの磨き方が悪かったのか 歯肉炎になった 歯肉炎になったこといままで一回もないのに 自分には電動歯ブラシむいてない ということで手磨きに戻した 自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版) 単行本(ソフトカバー) 2015/6/11本田 秀夫 (監修) 最近はアスペルガー症候群とか高機能自閉症とかそんな細分化しないらしくて 『自閉症スペクトラム』(スペクトラム―→あいまいな境界をもちながら連続していること) で一括りにされてるらしい、医学的診断では。 広汎性発達障害も自閉症の一種だと。 自閉症スペクトラムに学習障害、多動性障害も入るんだったっけな? そこんとこは忘れた 別にいいや、医療関係者でもないし 診断名より一般人は対処法を学ぶ必要がある 自閉症は症状そのものより、症状から生じるいじめとかの二次被害が深刻 ただの変わり者扱いですめばいいけど いわゆる「空気読めない奴」になる可能性がマジ超高いから それでイジメられると、自己評価の低下、ひきこもりになる可能性も超高くなる 今は自閉症の人が社会性を学ぶカリキュラムもあるので ある程度までは対処が可能 ・医学では生物学的・機能的異常や生活上の支障を 総合的に判断して障害とすることが多いが、 行政では生活上の支障を障害の基準にする。 同じ障害でも、医学と行政では定義が違う。 ・「変わる」と「治る」の違い。 自閉症スペクトラムの特徴は、先天的なものであり、生涯治ることはない。 支援によって対人関係の問題がある程度改善したり、 知的能力が上がったりする子もいる。 そのような変化について「自閉症スペクトラムが治った」と表現する人もいるが、 あくまでも生活面の変化であり、自閉症スペクトラムの特徴が消えたわけではない。 自閉症スペクトラムという集合体のなかでの変化でしかない。 ・対人関係の調整や、場の状況に応じた行動などは、 支援をしても伸びにくいので、その点では、 まわりの人に協力を頼めるようにしていく。 ・親には、原因に対する責任はなくても、その後の経過に対する責任はある。 「90分でわかる会社のしくみ」 会社の基礎の簡単な説明 また野糞した しかも一回出した10分後に2回目の野糞 一瞬、車のヘッドライトに浮かび上がる野糞中の俺 これスマホですら支えられないじゃん..... 2千円もしたのに クッソ ほんとは先週行かなきゃならなかったんだけど 一生病院通いしなきゃならないのかなって嫌になって 行かなかった そんでも今週病院行って薬もらってきたけど 断薬してみようと昨日からパキシル飲んでない 昔の酷かったころの感覚思い出せば 一生の病院通いも受け入れられるようになるかもしれない また先生変わったんだけど その先生、外科医でもあるみたい 医療とは無関係の分野で本も数冊出版してて賞も取ってる 超人ですな 雲の上の人 『極窓記』 山本譲司元衆院議員の服役体験 累犯障害者のいっこ前の著作。 辻元清美の汚さのことも書いてあるけど、 服役してる障害者の介護体験がメイン。 認知症、知的障害、自閉症の服役囚がやる刑務作業が無意味すぎる。 ・ひとつはろうそくの仕分け作業で ごちゃまぜになってる6色のろうそくの破片を 色ごとに6つの箱に取り分ける作業。 色分けされたロウソクは溶解して新たなロウソクとして再生される。 ・もう一つは、紐の結び目をほどく作業。 五十本の紐を束を渡され、ただひたすら紐の結び目をほどく作業。 ほどいた紐は、紙袋の取手として使われる。 ……と思ったら、仕分けされたロウソクは別室で再び ごちゃまぜにされて次の日のロウソクの仕分け作業に回される。 紐も別室で再び結び目をわざわざ作って、また結び目をほどく刑務作業に回される…… 要は、 ・ロウソクの破片を仕分ける→再びごちゃまぜにする→再び破片を仕分ける→再びごちゃまぜにする→再び(ry ・紐の結び目をほどく→再び紐に結び目をつくる→再び結び目をほどく→再び結び目をつくる→再び(ry 生産性のある刑務作業に付く能力がないから、無意味な永久ループをやらされている。 母親と同じもの食べてて俺だけひどい食中毒になったんだけど 母親に毒でも盛られてんのかな 離脱症状でてる 吐き気は全然大丈夫なんだけど、ふらつきがひどい 風邪から熱とだるさをひいたみたいな感覚が一日中続いてる なんか緩いジェットコースター乗ってるみたいで楽しい 耳、ムヒ塗ると治る ステロイド入ってるからかな プリンタの不具合直したら なぜかランチャーがファイルごと跡形もなく消えて泣いた(TдT) ダメ元でシステムの復元したらランチャー復活した システムの復元って昔はヘルプなみの役立たずだったのに 見直したわ復元 ほんと助かった(≧∇≦)b ノンアルコールビールというものを買ってきてみた 酒はまったく飲まないからそもそもビールの味がわからないけど 牛乳、コーヒー、お茶、炭酸水、コーラ、サイダー野菜ジュースをときどき くらいか、俺が飲むものって あと年に数回マックシェイクを飲む程度 深夜ジョギングで刑務所まで行ってきた 刑務所で人生終える人も収容されてるんだろなあ、と 塀を眺めながらしみじみ アレグラ全然効かない 鼻水とまらない もう買わない マンゴープリンなかなかおいしかった 丸亀製麺いってみたい ここ数日脚のムズムズから息苦しさで目が覚める 断薬と関係あるのか 禁煙して9年経つけど 今だにかなり強いストレスを感じるとタバコを吸いたい 気持ちになる 吸わないけど タバコでこれなんだからヘロインの依存度なんて 呪いを受けるようなものか 丸亀製麺行ってきた 初体験だったことに気がついた、 サクサクのエビ天を食べることが! ほら、弁当のエビ天って……グショォ……ってなってるじゃん あんなエビ天しか俺は今まで食べたことなかったから 衣がサクサクなだけであんなにも別の食べ物に生まれ変わるなんて(゚∀゚)! 丸亀製麺のエビ天はいわずものがな超美味しい よりショックだったのはかき揚げ かき揚げは美味しいものだったのだと 家製のかき揚げは揚げたてだとしても美味しいと感じることが一度もなかった 理由はよくわかんないけど、丸亀製麺のかき揚げと材料自体がなんか違ってた ……今思うとアレ何入ってたんだろう('A`)…… 安い! 釜揚げうどん大、エビ天、かき揚げ(結構デカイ) これだけ食べても670円 何枚か集めればサイドメニュー一品タダ、または割引されるサービス券までもらえたし また絶対行くお(^ω^) 天ぷらを全種食してみる 製麺っていうけど、天ぷら専門店でもやってける丸亀 ただうどんは別に普通だった うどんのつけ汁もしょっぱすぎたし 麺はいまいち チェーン店の天ぷらでこんだけ美味しんだったら 政治家とか有名人がいくメガ高級店の天ぷらって きっと神の食べ物だよ 「ななな」 著作・ジョイマンのジョイマンの方 ジョイマンのジョイマンの方が書いた詩集 詩集なんかだしてたんだね 「この世界には、シュークリームにしか解決できない種類の事柄がある」 足のムズムズと腰のムズムズが同時にきてそれプラス犬が顔ペロペロしてきてまったく眠れず 100回くらい目が覚めたんじゃないか 丸亀製麺また行ってきたんだけど おかしいな....あんまりおいしいと感じなかった(・_・) かしわ天、ちくわ、イカ、半熟卵天ぷら食べたんだけどどれもう〜ん....だった おいしいのはエビ天とかき揚げだけなのか うどんはぶっかけ頼んだんだけど うどんは前回と同じく普通な感じ 発達障害の子どもたち 杉山登志郎 2007年 ・あなたが、自分が参加しようとしても半分以上は理解できない学習の場にじっと居ることを求められたとしたら どのようになるだろう。また自分が努力しても成果が上がらない課題を与え続けられたら どのように感じるだろう。 子どもにとってもっとも大切なものの一つは自尊感情である。 子どもの自信を、そしてやる気を失わせないことこそが重要なのだ。 ・「通常学級でやってみてダメなら特殊に移せばよい」と言う。 このアイデアは私は賛成できない。 ダメだったときは自己尊厳を著しく傷つけてしまい、子どもはぼろぼろになっているからである。 人生の早期に子どもに挫折体験を与えて良いことは一つもない。 ・通常学級に在籍して特殊学級に出かける(これを一般に通級という)のは、 特殊学級の担任にとって員数外の負担が増えるという理由から現在でも困難が多いのに対して、 特殊学級に在籍をして参加可能な科目は通常学級に出かける(これを一般に交流という)ことに 関しては支障が少ない。 交流を利用して参加が可能なものは出かけていき、 すべての科目が参加可能になったらその時点で通常クラスに移行するということは、しばしば実践されている。 ・問題は何のために通常学級に行くのかということである。 無理に健常者として就職をするよりも、ハンディキャップの存在を会社側に知らせた上で就労先を探し、 就職をしていればもっと安定した就労が最初から可能であったのではないかと悔やまれるのである。 養護学校のほうが、就労を巡るビフォア・アフターケアがむしろ手厚く、 企業間との話し合いも緻密であり、何よりも企業サイドもきちんと働ける障害者を求めている。 また現在、障害者職業センターが就労に際してはジョジョブコーチを派遣してくれるようになっている。 このような就職に際しての手厚いケアは、通常教育では望むことが困難である。 ・これまでの研究では圧倒的に生物学的な素因の持つ重みが環境因よりも大きいことが示されてきた。 たとえば非行のようなわが国では環境的な要因として考えられることが多い問題に関しても、 生物学的な素因と環境因とを比較すると、実は前者のほうが 圧倒的に高いということはすでに結論が出ているのである。 ・知的な能力が低いほど情緒的にも不安定になりやすい。 ・このように適切な特別支援教育を受けて、知的障害を持っていてもきちんと就労し、 ついに幸福な結婚と子育てが可能となった者と、その逆の道を辿った者とその道のりを見ると、 発達障害の適応を決めものは 実は情緒的なこじれであるという事実がより鮮明に見えてくるのではないだろうか。 ・少年非行の事例において、正常知能を示すものはまれで、ことごとく境界知能を示す。 非行の事例においては、学習の遅れを伴う者が多く、特に国語力の不足が内省力の不足に直結し、 悩みを保持することができず非行に走りやすい傾向を生むという状況をしばしば認める。 ・高機能広汎性発達障害の児童は激しいいじめの標的となることが多い。 われわれの調査ではじつに8割が深刻ないじめを受けていた。 また薬飲み始めたしゃーない 完全にOCD、PTSD、加害被害恐怖おさえこめるまで 薬の量を増やそう 副作用の射精障害がきついし金もかかるから あまり薬の量増やさないようにしてきたけど そっちの方が総合的にストレス少なく生活できるかもしれない ・健常児とは脳の異なる部分を用い、異なる戦略を用いて「心の理論」課題を遂行していることが確かめられている。 われわれが直感的に速やかに他者の心理を読むのとは異なって、 自閉症グループの児童、青年は推論を重ねながら苦労して読んでいるようなのである。 ・不登校五六名中五〇名(89パーセント)までが、受診のきっかけは不登校であった。 つまり高機能広汎性発達障害の診断でフォローアップしていた児童が不登校を生じたという例は非常に少なく、 不登校を主訴にして受診した児童、青年が実は高機能広汎性発達障害であったという場合が圧倒的に多かった。 ・もちろんこれだけの限られた情報できちんとした判定を行うことは無理があり、 また子どもの暮らす地域の事情で判断は大きく変わってくる。 しかしながらこの三人の教育的ニーズについて、もしあなたが教師で、これだけの情報でも、 ある程度子どもの姿を思い描くことが出来ないのであれば、子どもの教育を担当することや、 学校の選択を判断するには大きな不備があると言わざるを得ない。 ・通常クラスとは四〇人の子どもに対して原則として教師が一人で、 学習指導要領に沿ったカリキュラムをこなしていくという集団教育の場である。 当然ながら、個々の子どもたちへの配慮というのは無理な部分が多い。 つまり通常クラスで個別の対応がなっていないという文句にはそもそも無理がある。 ・特別支援学級はそれに対して少人数学級である。 しかし案外知られていないのは、教師は通常の教員が中心であり、 発達障害の専門性については高いとは言えないことである。 一方特別支援学校は教師と生徒との比は先生一人に対して生徒四人となっている。 一クラスの単位は小さく、普通、複数担任制を取っている。 また特別支援教育教員免許状という特別支援教育の専門免許状を持つ教師が原則として配置されており、 教育の中心を担っている。 ・「参加してもしなくても、何が何でも通常学級」と言われる保護者の方々は、自分がまったく参加できない会議、 たとえば外国語のみによって話し合いが進行している会議に、 四五分間じっと着席して、時に発言を求められて困惑するといった状況をご想像いただきたい。 これが一日数時間、毎日続くのである。 このような状況に晒された子どもたちは、着席していながら外からの刺激を遮断し、 ファンタジーへの没頭によって、さらには解離によって、自由に意識を体外へ飛ばす技術を磨くだけであろう。 ・テストを受けてみて五〇点以下の成績をいつも取る場合。 これはカリキュラムが不適切となっている可能性があり、要注意である。 三〇点以下、さらには一桁の点数しか取れない場合、これは明らかに不適切なカリキュラムの中で 過ごしているのであり、これも貴重な学童期の時間を無駄に過ごすことになってしまう。 そこそこに学習への参加が可能な、別のカリキュラムが可能なクラスに移る必要がある。 参加ができるクラスを選ぶということは、学習の成果という問題にとどまらない。 達成感がない状態で長い時を過ごしていて、子どもが幸福を感じられるであろうか。 さらに無力感と自己イメージの歪み、そして情緒的な問題に展開する。 子ども自身が、自分はそこそこにやれているという自信を持てなくては、結局、 情緒的なこじれに向かってしまうのである。 ウィンターソルジャー吹替で観るんじゃなかった 溝端淳平酷杉内..... 竹中米倉がうまく聞こえるレベルでドイヒー 観てる人を、喋るたびに現実に引き戻す力がある > 観てる人を、喋るたびに現実に引き戻す力があるwクッソワロタw逆に見たい >>563 スーパーナチュラル、篠田麻里子並に酷かった。 ブレーキングバッドシーズン1見終わったけど、自分には合わなかった Netflix1,3倍速で見られるようにならないかな 濃厚なものが食べたい しょっぱいとか辛いとかじゃなくて パクパクローラーが届かない はよコイキング HTC J butterfly HTL23壊れた 1年と4ヶ月しか持たなかった 買い換える金はともかく また設定しなくちゃいけないのが今からめんどくさい(-_-)ゲンナリ 聖の青春 29歳で逝去した伝説の棋士、村山聖の生涯を描いた作品 スマホ「Huawei P9 LITE」買ってアプリインストールして 設定し直してるんだけど まーーーーーーーーーーーめんどうくさい!!!!! ブラウザhabitって奴使ってたんだけど どうやっても設定インポートできないんで諦めてChrome使うことにした もう全部google製品でまとめようかな ほんといや PC買い替えた時もそうだったけど この設定をし直すのがほんといや googleが独立国家創ってアカウント一個で 税金医療年金教育電子機器の設定ローンなんでもかんでも 簡単に管理できるようにしてくれないかな PCのメインブラウザはfirefox使ってるんだけど 重すぎるからChromeに乗り換えようとしたんだけど 設定とアドオンでカスタマイズしすぎたせいでChromeじゃ無理だった もうfirefoxで現役で使ってるアドオンのいくつかは更新完全停止してるし firefoxがgoogleツールバー使えなくなった時も大変だった このめんどくさい作業が人生であと何回か何十回かやってくると 思うといまから('A`) 『将棋の子』 夢破れて奨励会を退会になった元棋士たちのその後を追ったノンフィクション 司法書士になった者、 将棋関係の仕事についたもの アマゾンに移住してアメリカの将棋大会で優勝して名前だけは確認できたもの、 数百万の借金背負って兄弟にも勘当され古紙回収で『月収』1万円稼ぐのがやっとにまで落ちたもの など、いろいろ。 成功者じゃなくて失敗者をクローズアップしてる。 馬鹿にした取り上げ方じゃなくて、夢を叶えた人ばかりじゃなく、そうじゃない人も頑張ってんだよ、的な。 藤井4段とは逆の位置にいた人々。 Netflix無料の1ヶ月で解約した 作品数少ない 海外ドラマ映画によく出てくる、 悪夢見て(;・∀・)ハッって飛び起きるシーンは 見飽きたから個人的には入れないでほしいかな 本編に特別関係してくるわけでもないし スマホのバンカーリングっていうの便利ね 使いやすいや スタンドにもなるし 夏がくると今年もあとわずかって気になる イスラーム国の衝撃 2015/1/20 池内恵 ________________________________________ ・奴隷OK ・奴隷のレイプOK ●メディナ……メッカとともにイスラムの2聖都。 ●ヒジュラ……移住。622年、ムハンマドのメッカからメディナへの移住。 ●ムハージルーン……移住者。 ●ヌスラ……イスラム教の戦闘における勝利のための支援。 ●アンサール……支援者。ムハージルーンとして逃れてきた人たちを迎え入れ、 ムハンマドとムハージルーンが行うジハードに加わって支援し、勝利に導いた人たちのこと。 ●ムジャヒディン……聖戦士。ジハードを行うもの。 ●ウンマ……イスラム共同体。イスラム国家のこと。 ●ジハード……本来、「努力」「奮闘」の意味であり、「聖戦」と訳されることが多いが厳密には正しくない。 自分を自ら律する内面での戦いを「内へのジハード」、 イスラム世界を防衛し、拡大するための戦いを「外へのジハード」という。 ●タウヒード……アッラーが唯一神であると信じる唯一神信仰のこと。 モースル陥落 ・2011年の「アラブの春」以来、イラクに注目が集まった。 2014年、イスラム国がイラク第二の都市モースルを制圧、その後、シリア北東部までも制圧した。 イスラム国は、シリアでは、他の反体制勢力との戦闘を激化させた。 カリフ制を宣言 ・イスラム国指導者がカリフを名乗ったということは、全世界のイスラム教徒の指導者の地位を主張したことになる。 ・イスラム教の理念にそったカリフの実態を備えていたのは4代カリフの632~661年まで。 その後、4代カリフのアリーの血統のみを正当な指導者と認めるシーア派が分派した。 ・イスラム法では、カリフの存在の必要性は明確に規定されている。 バグダーディーを自らを指導するカリフと認めるかという問題とは別に、 世界各国の社会の隅々から、現状を超越したいと夢みる若者たちを集めるには効果がある。 ・ネットで、イスラム国が宣言した月は、ラマダーン月の初日。 ラマダーン月は宗教感情が高まる時期でもあり、テレビの視聴率が高まる時期でもある。 各局は1年かけてこのひと月のラマダーンドラマを準備しているといっても過言ではない。 領域支配 ・イスラム国は、アルカイダに合流。 しかし、その後、アルカイダと競合する勢力として分離。 ・アルカイダは、あくまで小規模な地下組織として単発的なテロやゲリラ的な攻撃を行っていた。 広範囲を支配する勢力となったことはなかった。 イスラム国は、イラクとシリアの特定地域で実効支配を行っている。 ・イスラム国には、外国から戦闘員が流入している。 それらの戦闘員が出身国に帰還したり、第三国に流出したりすれば、 そこで「国際テロ組織」としての活動を行う可能性はある。 ・アルカイダは、アフガニスタンのタリバン政権(1996~2001年)をジハード戦士のための拠点とした。 タリバン政権は、資金源としての期待などからアルカイダに活動の場を与えた。 イスラム国は、アルカイダの国際テロ組織としての性質&タリバンの内戦紛争で台頭してきた領域支配を行う性質を 兼ね備える存在となった。 処刑映像を公開する理由はなにか? ・「米国をイラクとシリアでの戦闘に引き込む」or「米国を威嚇して介入を思い止まらせる」ことにあるのか、 分析者の立場によって解釈は分かれる。 著者によれば、両方ではないか、とのこと。 敵がイラクやシリアの政府や他の武装組織に限定されず、米国が参戦してくることは、 世界規模でイスラーム教徒から支持を集めるために好都合。 また、イラク戦争後の反米武装闘争が、やがては米軍の撤退をもたらした経験から、 テロを繰り返していけば米国の意思も潰せる……という考えではないか。 征服地での異教徒の奴隷化を正当化 ・実際にイラク北部のヤズィーディ教徒を奴隷化したと宣言。 奴隷化はイスラム法上、明確に規定された行為であり、過激派のみが信奉する教義ではない。 近代においてイスラム諸国でも、奴隷制を定めている国はない。 しかし人間が制定した法律は可変で誤謬を含んだ「規則」にすぎないとする観念は、 「穏健派」「中道派」とされるイスラーム主義者にもかなり共有されている。 この観点からは、奴隷制を規定するイスラーム法学の反して奴隷制を否定する近代の法体系そのものが、 違法・誤謬である。 イスラム国の来歴 アルカイダの分散型ネットワーク ・2001年911テロ後、米国によりアルカイダは大きな打撃を受け、行動の自由を失った。 しかし、アルカイダ本体は、具体的な行動を行うというより、イデオロギー的なシンボルとしての様相を強めた。 アルカイダの思想に共鳴して、自発的に各地で行動する諸勢力や個人が次々に現れはめた。 呼応し、模倣した勢力がなんらかの作戦行動を立案実施し、 その後、公開の場でアルカイダ本体にジハード運動の一環として認めるよう求める。 それにアルカイダが応じることで、物理的なつながりがない諸勢力がネットワーク的に広がった。 ・さらに、個人や兄弟親戚程度の範囲内で実行される「ローンウルフ(一匹狼)」型のテロも発生。 テロ後に、本人の意識や客観状況から、それがアルカイダに感化された行動であることが明らかになる。 これは、アルカイダとのつながりはないため、事前に察知することは困難である。 追い詰められるアルカイダ ・911テロからひと月後、アフガニスタンを実効支配し、アルカイダをかくまうタリバン政権を空爆。 米国は、タリバン政権と対立してアフガン内戦を戦ってきた北部同盟と協力。 北部同盟……アフガン北部を拠点とするタジク人など少数派民族主体。 タリバン……アフガンで多数を占めるパシュトゥーン人主体。 ・北部同盟のマスード将軍を、アルカイダの構成員が暗殺。 これは、タリバン政権の敵である北部同盟マスード将軍を殺害することでタリバン政権に恩を売り、 911後に米国からビン・ラディンの引き渡し要求があってもはねつけてくれることを期待した作戦だと思われる。 米軍に支援された北部同盟は、またたくまにタリバン政権の主要都市を制圧していった。 ・11月、アルカイダはターリバーン勢力の一部を含む1000人程度の軍勢とともに、アフガニスタン東部トラ・ボラ洞窟に立てこもった。 12月、すべての洞窟を制圧し、200人のアルカーイダあるいはターリバーン兵の屍体が見つかった。 しかし、ビン・ラディンは逃げ延び、10年後の2011年5月2日に殺害されるまで、 公の場には姿を表さず、ビン・ラーディンは直接の司令官というよりは、象徴的な指導者として、 アイコンとして機能するようになった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる