現代人は体格は向上しているのに、昔の
人と比べて圧倒的に体力が低下していると
いわれています。しかもその力とは、
明治期の女性が5俵の俵を担いで
いる
写真が示しているように、
筋力や持久力といった西洋的な手法で計測
できる力ではありません。筋力では
到底無理な重さの物を運んだり、1日
に100kmも歩いたりなど、昔の人々
は現代からは想像もつかないような
身体操作や意識操作の方法を自然に
体得していたと考えられます。

このように昔の人は身体と意識が完全
に繋がっており、日々の生活圧力に対して
身体も意識も十全に機能していたと
考えられます。

逆に言うと、昔では誰もが当たり前に
身につけていた身体技法や感覚が、
現代はことごとく失われてしまってい
ます。そのため現代人の身体は本来持って
いる機能やエネルギーを解放できずに
もて余していると言えます。
江戸時代は誰もが、60キロの米俵を
ヒョイと持ち運んでいた!〜なぜ私たちは
「身体」を見失ったのか?】

・昔の身体観と今の身体観のもっとも
大きな違いは、生活観の違い。かつては
体は生活の中で養われていくので、
わざわざ鍛えるまでもなかった。

・江戸時代、米俵一俵の重
さ(約60kg)が決められたのは、
成人した大人なら男女問わず誰でも
持ち運べる重さだったから。

・現代は環境が整えられているため、
エネルギーを発散させる場所が仕事作業や
労働の他に必要になっている。
(ジムやランニングなど)

・便利で快適な生活になり、
頭脳労働が増え、労働と労力が分断され
た。労力の行き場がない。近現代人は
この力を持て余している。

・現代人は60キロの米を運ぶだけの
集注観を体から失っている。
そのような身体観、体の捉え方が無
自覚に失われて来ている。

・人の諍いや争いは、ゆとりや
余裕→もてあましたエネルギーによって
生じる。