>540
修正します。以下本文です。

廃屋の床がきしむ。
土埃で汚れた窓から入る月明かりは、足元を照らすこともおぼつかない。
懐中電灯で廊下の突き当りを照らすと、何かの影が動いて見えて、友哉は思わず足を止めた。
ぬらりと姿を現したのは痩身矮躯の女。
古風な和服に長い黒髪という典型的な幽霊スタイル。
友哉は声にならない悲鳴を上げて、廃屋から這う這うの体で逃げ出した。
友人たちが呼び止めるのも無視して自転車に飛び乗ると、そのまま全力で家へと向かう。
休み明けに友人たちからからかわれるだろうと思ったが、そんなこともどうでも良かった。
今友哉の心を占めていたのは、肝試しになんか来なければよかったという後悔ばかりだった。

翌日、朝日に安心してようやく眠りに落ちた友哉の部屋に、インターホンの音が鳴り響いた。
ひどい悪夢を見ていたような気がする。
体中汗びっしょりで、ひどくだるかった。
応対をする気が起きずに無視しようとすると、さらにもう一度なるインターホンが鳴った。
訪ねてくる人に心当たりはない。
昨日の今日だから、呼び出す機械音ですら、なんだか不気味な響きに聞こえてしまう。
しかしお化けだの幽霊だのというのは、夜に出るのが相場と決まっている。友哉は首を振って、ペタペタと廊下を歩き玄関へ向かった。
左肩が妙に重い気がして、大きくため息をつきながらドアノブに手をかけたところで、もう一度インターホンが鳴る。
「はいはい、今出ます」
声をかけながら扉を開け、友哉はまた後悔した。昨日から後悔してばかりだ。
「昨晩ぶりですね……」
妙な和服に長い黒髪、両手を後ろに回した女がにやーっと笑う。
「うわぁああ!」
慌ててドアを閉めようとすると、女はするりとその間に体を挟み込む。気づけばドアが閉まり、友哉と女は体を寄せ合うようにして狭い玄関に並んでいた。
「よかった、間に合って」
「な、なに、誰ですか!?」
布越しに感じる体温、うっすらと汗をかいている女の顔、わずかに当たる呼気。気が動転していたものの、友哉はこれが生きた人間であると気づいていた。
だからと言って突然訪ねてきて玄関にまで入り込む、みょうちくりんな格好の女への恐怖度が下がるわけではない。むしろ目的がわからない分、危険度はさらに高いくらいだ。
「今はそれどころじゃないの」
そういって女は背中に回していた手を前に出す。
友哉はまたも悲鳴すら上げられなかった。その場でしりもちをついて、荒い呼吸を繰り返す。
女が手に持っていたのは、妙な文字がびっしりと書き込まれた包丁だった。
包丁を振り上げた女は、勢いをつけて友哉の体に覆いかぶさるようにそれを振り下ろす。
親の言いつけを破ったのが悪かったのか。
友人の挑発に乗って心霊スポットなんかに行ったのが悪かったのか。
警戒もせずに玄関を開けたのが悪かったのか。
何も解決しない後悔ばかりをしながら、ぎゅっと目を閉じていた友哉に風切り音が迫る。
しかし、体にはいつまでたっても痛みが襲ってこなかった。
ただ感じるのは、のしかかっている女の重さと温かさだけだ。
恐る恐る目を開けると、女の顔がすぐ近くにあった。
長い黒髪で隠れて分からなかったが、近くで見ると整った容姿をしている。
「もう大丈夫」
視線をずらすと、左耳をかするようにして床に包丁が突き刺さっている。
「除霊完了よ」
よくわからないけれど命が助かりそうな雰囲気に、友哉は混乱しながらもほっとしていた。
女がにやーっと笑う。
安心させようという意図のもとかもしれないが、それはやはり少々不気味なものだった。