俺たちは出会った。あの、余り物を取り合う戦いの場で。
 スーパーの弁当売り場、PM7:30分。弁当や惣菜が半額になった頃。俺が掴もうとしたチキンカツ弁当を、寸でのところでその女は先に持っていった。呆然としている俺に女は一瞥、ふふん、と笑う。負けた、俺は負けたのだ。
 次の日、またあの女と出会う。
 今度は俺が一瞬の差でチキンカツ弁当を手にできた。目を丸くしている女に俺も一瞥、薄く笑うと悔しそうな顔をして他の弁当を手にし去っていった。

 俺の名はタカシ。37歳。毎日の仕事に追われ、独身のまま今に至った世間の余り物。
 半額弁当は俺のライフラインだ。特にチキンカツは俺の大好物、取り合いで負けるわけにはいかない。余っていても、美味しいものは美味しいのだ。
 俺が敵と認識した女性は、最近この売り場で頭角を現し始めた女だった。
 少しくたびれた格好の眼鏡女子、歳の頃は30過ぎか。彼女もまた、仕事帰りにチキンカツ弁当を買い求める者だった。
 俺たちは毎日あの戦場で戦った。チキンカツ弁当争奪の覇権を掛けて、夏が過ぎ秋が過ぎ、冬が来て春が来て、また夏になった今、俺たちが目と目を合わせてから一年、ずっと戦った。

 ある日、いつものように俺が戦場へと赴くと、やはりその日も彼女が居た。
 出遅れた、今日は負けてしまう! そう思って小走りに弁当売り場へいくが、やはり先にチキンカツ弁当を手に取られてしまった。
 ああ、またニヤリと勝ち誇られる。そう思ったそのとき。
「どうぞ」
 彼女は俺にチキンカツ弁当を手渡してきた。
 なんだって!? そんなばかな、俺たちは敵同士だったはず。
「どういうことですか?」
 俺は思わず問うてしまった。彼女とはライバル同士、このように譲られる謂われはないのだ。
 すると彼女は寂しそうに笑った。
「ふふ、初めて声をお聞きしました」
 確かに。俺も初めて彼女の声を聞いた気がする。
「そうですね。そう言われると俺もなんか不思議な気がします」
「もうここでは長い付き合いですのにね」
 彼女はやはり寂しそうな顔で言った。俺は殊更その顔を無視して言う。
「だからこそです。俺と貴女は敵同士、譲られる理由がありません」
「私、田舎に帰らなければならなくなりまして」
「えっ?」
 俺は目を丸くしてしまった。驚いたのだ。
 なんとなしに俺は、彼女とのこの時間が永遠に続くと思っていた。そんなはずはないのに、思い込んでいてしまった。
「理由を……お伺いしても?」
「田舎によくある話です。地元に戻って、お見合いをしろ、と」
「お見合い、ですか」
 急に彼女が遠くに行ってしまったようで、頭がクラクラした。
「はい。いつまでも遊んでいるな、と母が。おかしいですよね、私は仕事をしていただけで、遊んでいたわけではないのに」
「そうですよ、貴女は遊んでなんかいない。いつも仕事帰りにお弁当を買いにきて、質素に暮らしているだけの方だ」
「ありがとうございます。なんか不思議です、貴方にはそう言って頂けるような気がして今日は声を掛けてしまいました」
 彼女は笑った。でもその笑顔は、ちょっと寂しそう。
「でもね、母の言うことも少しわかるんです。私も会社ではそろそろお局様なんて言われる歳、余り物扱いですから」
「お、俺も! あの、その! 余り物です!」
「えっ?」
「あの、どうですか。これからそこの公園で、二人でこのチキンカツ弁当を食べるというのは。余り物同士、この余り物のチキンカツで関係をシメませんか!?」
「……いいですね」
 俺たちは公園で語らいあった。夏の夜7:30はまだ絶妙に明るくて、蝉が鳴いている。
 その蝉が鳴きやみ、空が満点の星に変わるまで語り合った。一年喋ることのなかった俺たちは、数時間でその時間を埋めるように喋り合ったのだった。
 そして一か月後。

 俺たちは再びスーパーの弁当売り場で顔を合わせた。
 微笑みを交わしあい、一つ残ったチキンカツ弁当に手を伸ばす。二人で。
「今日は他になにを買って帰ろうか?」
「そうね、タカシさんはなにが食べたい?」
「そうだな俺は――うん、これがいいかな」
 余り物の俺たちは婚約した。もう少しお金を貯めたら結婚する予定だ。だから今日も、半額弁当で節約する。余り物で節約する。

「余っていても美味しいものは美味しいんだ」
 俺は心の底からそう思ったのだった。そして、俺もそうありたいな、と。