「おれはにほんごについて、前から気になってたことがある」
この文章はえいご化すると多分
「おれは気になってた、前から、にほんごについて」
の順になると思う。これはなにかがおかしいだろうと
こくごもちゃんとべんきょうしてないので知らんが
にほんごは(基本)主語目的語目的語目的語述語
えいごは(多分基本)主語述語目的語目的語目的語
の順に語ったり書いたりするらしい。そんな感じはする
倒置法、と言ってちょっとバカにされたりする言い回しは、実は世界の ふつう なのである

(まあにほんごは人称をかっとばしても「お前はオレ(ワタシ)並のちしきとちのうはあるんだから伝わるよな?」で全然伝わる、という、ある種の甘えが許されるというか当たり前なのでますますわけがわからないブレイクをしていくというのはあるとしても)

どうもこのわれわれの、主語目的語述語の順の文法をもつ言語は特殊らしい
ものしりの検索さんが教えてくれた例は、トルコ語とハンガリー語だけである
実際には他にもあるかもしれんが、それで検索さんを見下すのは違う。それだけ稀な例なのだろうし、検索さんを見下すことはここではテーマではない

思うのは、主語目的語述語の順のほうが、述語がきたときにドラマティックにならないか、という
また、跳んだかなあ?w述語でひっくり返したりできるからね

最初の文だが、まあ、どっちもウゼェって感じだったろうとは思うが
おれらはウゼーしゃべりをし続けた結果「テメェまず結論(述語)から言えや!」と(にほん人のパイセン方に)言われるようになり
やってみたら、あ、先結果言っちゃえば説明すんのめんだくせーんだな、とか思うようになり
「は?何言ってっか全然わかんねーんだよ!(目的語垂れれや!)」とキレられるようになり……

てまあ、どっちのキレ方するパイセン方が多かったかってことで、言語の文法て固まったんじゃないかとら思うんだけど
としたとき、目的語を最後にもってくる(多数)派、述語を最後にもってくる(少数)派の、民族性とかコーサツしてみるとおもしろいかもしれませんよ
言語が育まれて何千年とかだろうけど、そんな(性格の悪い)観点で研究した人って、どれくらいいるんだろうね?