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講評。

1685文字。氷柱をモチーフとした小品である。

作中、「阿保」といった誤字や、誤読を招く文など、疵は所々に見受けられた。

>僕は、病人が病室から窓の外の木が葉を落とすのを見て、ああ、あの最後の一枚の落ちる時に私も死ぬのよ、ってのじゃないけれど、きっと、このつららがある限り僕は大丈夫だと思った。

上記の一文には、第一に「病人が病室から窓の外の木が葉を落とすのを見て」の主述混乱、第二に「僕は」の重複が見られ、それらが読解を妨げている。
複文・重文を用いた長文作成にあたっては、語句の配置に目を配るべきだろう。

課題は「寒波、落ちあり」であるが、「寒波」は創作の端緒に過ぎない。用法を問わない旨は通知済みであった。

さて、作品内容は、超然とした存在(氷柱)によって主役の落胆が浄化されていく過程である。
通常、読者の共感は、作中人物に「自分と同じ人間性」を観ることによって行われるので、劇的な告白の場面をカットした提出作品は、読者の情動に結び付き難いと言えるだろう。
そのため「落ち」の判定は、主役の心理変移の内実を作者が剔出し得たかどうかに依るものとし、判定作業では特に下記の一文を重視した。

>氷は思ったより冷たかった。十秒も持ってられないくらいだった。氷は氷として、つららでなくなっても、毅然として、己が氷であろうというような、決して僕の体温を受け入れたりしない強い冷たさを持っていた。

この物語が成立を果たす上で必要な要素は、「主役の軽薄さ」と「確固たる氷柱」の対比だ。
つまりは、主役が軽骨な人物であるほど、それを自覚させて導く氷柱との落差が映える。

実際、落差に向けて、作中では主役が叫声を上げたり、大げさに動いたりと「芝居染みた軽さ」を演じているが、
見逃せないのは、それら行動について作者が「今日という日の特殊性」「気障でもなんでもいい」「そう叫んでみた」などの文を付加したり、
後半のキーワードとなる「美しい」を前半で前振りするなど、念入りに人物行動の強引さを打ち消さんと図っている点である。
この言い訳によって前半から後半へと移動する心理の描写は成り、上記に引用した当該文が全体と調和を果たしたため、「落ち」は成立と判定した。

引用文の端正さを評価したことが大きいのだが、何より主役の人物像を現実に繋ぎ止めんとする作者の計算が地盤となった。
ただし、全体として展開は急劇である。

次の課題を提示しておく。
内容は「最後に涙で和解する丁々発止の激しい論戦もの、2500字程度」、評価基準は「激しさと落ちの両立」とする。
期限は三月十日。作者は試験準備中の身だということであるから、くれぐれも行動の優先順位には誤りを無くすること。