小さな留学生 1/2

 舞台の端から出てきた娘は両腕をあまり振らずに中央の演台まで歩いていき、演台に手を突いた。
千人弱を収められるホールの中ほどに席をとった私からも、娘の肩がいかっているのが見えて、ああ、娘は緊張しているなと思った。
客席を包むざわめきの波が引き、娘はマイクに顔を近づけた。
「私はリン・ジュンルです。今、私は小学校で児童会長をしています。……この役目に選ばれたとき、私は当たり前のこととして受け止めていました。」
 家族三人で来日してもう六年、いつの間にか私よりも流暢に娘は日本語を話すようになった。
このごろは娘と友達との会話を聞き取れないことがあるほどだ。けれど、このスピーチは完全に聞き取れるし、理解もできる。
この二ヶ月間、娘が練習するのを毎日聞いてきたからだ。
 六年前、私たち一家は日本のことを何も知らないまま生活を始めた。言葉も風習も、本当に何もかも。
帰国の目処はなかったから、夫と私は娘の生きる拠点を作るつもりで、住まいに一番近い公立小学校へ通わせることを決めた。
 登校初日、娘の試練の日々は始まった。手を繋いだ娘を教室の出入り戸まで連れて行き、私の目の高さにはめ込まれた窓越しに室内を覗き込んだ。
先生は教卓に手をついて話をしていたけれど、私の顔に気がついて戸を開けた。
先生は目尻に皺をためて笑って、私たち二人の顔を順番に見ながら言葉をかけた。
ただ、それは私にも娘にもただの音にしか聞こえなかった。娘が私の手を握る力を強めて、額を私の腰に押し付けた。
先生は腰をかがめて娘と目の高さを合わせた。教室の子供たちは、目を大きく見開いてこちらを見たり、席を立ったり座ったり、
教壇まで抜け出していたりとみんな自由に動いていて、だんだんとざわめきも大きくなった。
そして、一人の子が先生の下に走り寄ると、それをきっかけにおそらく半数以上の子が続いた。
先生は背後の変化に構わずに引き続き娘に話しかけていた。でも娘は少しずつ私の後ろに移動して、
おそらく子供たちの目が見えないように、両手で私のスカートを掴んでその間に顔をくっつけてしまった。
先生はきっと辛抱強い人なのだろう、笑顔を絶やさずに娘の手をとった。私も娘の肩を両手で掴んで先生に引き渡した。
娘は大声で泣いた。への字になった眉や力をこめて閉じている目、大きく開けた口と、それに真っ赤になった頬。
娘の泣き顔は赤子と全く同じだった。先生が私を見て困った顔をした。
私はこのとき初めて、娘から離れなければいけないと思った。絶対に振り返らないと決めて、私は後ろを向いて踏み出した。
息が苦しくて服の胸元を掴んだけれど、どうにもならなかったことを覚えている。
 それから娘は毎朝泣いた。脚の力を抜いて抵抗する娘を引きずって教室まで連れて行ったこともある。
転入から三週間ほどたった、いつものように娘が教室の戸から中に入れなかった日のこと。一人の女の子が娘に近寄って手を差し出した。
娘は固い表情をしていたけれど、私は手を繋がせた。女の子は「行こう」と言って笑った。娘は私の顔をじっと見て、それから彼女を見た。
彼女はにこにこして待っていた。娘は私と繋いだ手を自ら離して教室へ入った。その日から、娘は家に帰るたびに、その日に知った日本語を披露し始めた。
私も娘が学校へ行っている間に日本語学校へ通い始め、知り合いもできた。私は娘に少々のリ−ドをとりつつも、二人で新しい言葉クイズをしあうのが日課になった。
 娘は二年生になると先生から留学生向けの日本語の補習学級を勧められ、週に二度、放課後にバスで二十分の距離にある別の学校へ通い始めた。
初日から私は付き添わなかった。娘が一人で通うと決めたからだ。