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和風な創作スレ 弐
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0001創る名無しに見る名無し
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2010/11/03(水) 12:56:27ID:eWTAlsEa
妖怪大江戸巫女日本神話大正浪漫陰陽道伝統工芸袴
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納豆折り紙酒巫女巫女俳句フンドシ祭浴衣もんぺ縄文

とにかく和風っぽいものはこちらへどうぞ。二次創作も歓迎

過去スレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1220743518/
↑のHTMLとDATはこちら
http://www26.atwiki.jp/sousaku-mite/pages/866.html
0095『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/14(火) 23:03:17ID:4+2i040B

回想し苦い思いを抱きながら、丹次郎は仕合支度をしていた。
まだ薄暗い、夜も明けきらない時分である。

「こんな早くに、お出かけになるんですか」
朝餉の支度を始めようとしていた妙が、声をかけた。

「……拙者の役目は、件の物取りを討つことです」
目を合わせず、丹次郎は支度を続けながら、ぼそぼそと言った。

「早く始末をして、安心して暮らせる町にしなくてはなりません。大丈夫、気遣いは無用です」

そう言って、丹次郎は出て行った。

妙は旅籠の間口まで出て丹次郎を見送った。
そしてその後ろ姿へ向けて、火打石を打った。


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0096『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/14(火) 23:09:01ID:4+2i040B

朝霧が立ち籠める、早朝である。
春先とはいえ、まだまだ肌寒い。
着物がたちまち濡れて、いっそう寒さを感じさせる。

熨斗は殺して奪ったカネを手に、塒(ねぐら)にしている破れ寺へ戻るところだった。

辻のところで、一人の侍と出会した。
襷を掛け、額には鉢金。あきらかに仕合支度をした武士。

「んだぁ? てめぇ」
熨斗は、酔いの回った頭で絡んだ。



丹次郎が早朝から仕合支度をして出ていったのは、彼なりに熨斗を討つ心算だったからだ。
犯行は深夜に行われている。戻ってくる頃を狙うのだ。
早朝ならば視界もあり、有利に闘える。

しかし、それがこうも早くに当たるとは、丹次郎自身が面食らっていた。

「き、き、貴様!」
思わぬ遭遇に、心の準備は十分ではない。
丹次郎は、うっかりすると震え上がりそうになるのを必死に抑え、気持ちを落ち着けようとする。

「貴様が、こ、殺しをやっている物盗り、だな。せ、成敗、してくれるっ!」



言うが早いか、侍が刀を抜いた。

「しゃらくせぇ!」
熨斗も、太刀を抜いて振り回す。
が、酔いのせいで狙いがまったく定まらない。

丹次郎は次第に落ち着きを取り戻し、相手を見据える。

――落ち着け、道場の立合いと同じだ。むしろ型が成っていないから隙だらけだ!

丹次郎は八相に構え、機を伺う。

熨斗が斬り込んでくる。
しかし所詮、俄剣法である。
斬り込んでくるそこへ、丹次郎は小手を打つ。

熨斗は手首を斬られ、太刀を落とした。
0097『閂(かんぬき)』
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2010/12/14(火) 23:15:08ID:4+2i040B

圧倒的な実力の差に、熨斗は死を悟った。
手首から夥しい血を流し、恐怖に震えながら、命乞いをした。

「ま、待っれくれ、こ、殺さねいでくで!」
酔っているため、呂律が回っていない。

丹次郎は油断なく鋒を向けたまま、熨斗の落とした太刀を見、それをもう一方の手で拾い上げた。


奇妙なことに、峰にも刃が付けられている。
手にずっしりと重いが、それはあまりに分厚い重ねのせいであろう。


おそらく、刀に対する一般的な美的感覚から言うと、それは「醜い」と形容するに等しい代物である。
しかし、なぜだかそれは丹次郎を惹きつける刀身であった。

――どうしたことだ、これは……。無骨な造りであるのに、刃に浮かぶ沸(にえ)が非常に繊細で美しい……


丹次郎は自らの刀を納めると、拾った太刀を握り直し、

「貴様は、良い物を持っていたようだな」

と言って口端を歪め、卑しい笑みを浮かべた。


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0099創る名無しに見る名無し
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2010/12/21(火) 20:19:47ID:onuEy6n9
続編来てた!
この文体読みやすくていいわ
0100『閂(かんぬき)』 ◆BY8IRunOLE
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2010/12/23(木) 22:53:40ID:FGwq7AWp
【第五幕】

この界隈を荒らしまわっていた物盗りが死体で発見された、という報せはすぐに町人に知れ渡るところとなり、
皆、胸を撫で下ろした。
いつか襲われるかもしれないという漠然とした不安が取り除かれたので、町には活気が戻ってきた。

「良かったねぇ、ホントに」
「やっつけたのは、例のお武家さまらしいよ。剣の腕が一流なんだって」
「ずっとこの町に居てくれないものかねぇ」

人々は口々に、咎人を倒した侍を賞賛した。



件の侍は藤屋に逗留していて、嘉兵衛はそこへ、同僚とともにお礼を言いに行った。
その帰りのことである。

「いやしかし、これで一件落着だね。嘉兵衛さん」
同僚が、やれやれという様子で話しかける。

「なかなか気持ちの良い若者だね。まだ独り身のようだし、お妙ちゃんと、お似合いじゃないかい」
「……」
嘉兵衛は黙っている。

「どしたい、嘉兵衛さん。ははぁ、寂しいんだね。あんたにとっちゃ、お妙ちゃんは娘みたいなもんだから」
笑いながら、冷やかした。

「なに言ってんでぇ。まあ、若い二人だからな。儂はただ、見守るだけよ」

たしかに、歳を考えると二人はぴったりに思えた。
年若い侍は、端正な顔立ちで溌剌とした印象だった。

剣の腕が立つ若者が、悪党を倒した。
ただそれだけであるはずなのに、嘉兵衛はどうにも気持ちの悪いものを胸のあたりに抱えている。

――……。

嘉兵衛は、腑に落ちない気持ちで通りを歩いていた。

辻のところで同僚と別れ、うちに帰るつもりだったが――、思うところがあり、足を別の方向に向けた。


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0101『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/23(木) 22:58:30ID:FGwq7AWp

「いらっしゃい!」
暖簾をかき分けると、元気な声が聞こえた。

鮮やかな黄色の髪の少女が、お盆を持ってちょこんと立っている。

「おう、奉公の童(わらべ)か。お妙は忙しいか」
「出かけてる」

嘉兵衛は、ちょっと引っかかった。
もうあと一刻ほどで日が暮れる。普段ならこの時分には、仕込みを始めているはずだった。

「そうかい、……しかしこんな時に出歩いてちゃ、危ねぇな」
「危なくないよ。物盗りは居なくなったんだから」

少女は赤い瞳で、真っ直ぐに嘉兵衛を見つめた。

「ん……まぁたしかに、そうかも知れねぇが……」
嘉兵衛は考えながら、呟いた。

「まだ、悪い奴がいるの?」
彩華の言葉が耳に入ったかどうか分からない。
嘉兵衛は、独り言を言うように話しだした。

「たしかに物盗りは斬り殺されてたが……
 物盗りの死体についていた太刀筋は的確だった。あの侍、やはり剣の腕は相当に立つ。

 実際、番所で立合いを見たから間違いない。……ただ、その斬り口がな。
 まるで鋸を引いたみてぇにぎざぎざなんだ。これは、物盗りが殺しをしてた時の斬り口と同じだ。
斬れねぇ刃物を力任せに振り回した感じのな。

 ……剣の腕が立つ奴が、斬れない刀を持つか? しかも、現場に折られた刀が残ってたんだが、
これはちゃんと手入れもされている立派な代物だった。これは一体、どういうことなんだ……」

彩華は、黙って聞いている。

嘉兵衛は、ふと我に返ると
「おっと、こんなこと話してもしょうがねぇ。また来るよ、これ、良かったら食ってくれ。蜜いるか?」

来る途中の茶屋で買い求めた餅の包みを差し出した。
黄粉がまぶされたもので、黒蜜が添えてある。

彩華は嬉しそうに
「無いほうが好き」
と言い、そのまま頬張った。

嘉兵衛は目を細めて彩華を見ていた。


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0102『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/23(木) 23:01:35ID:FGwq7AWp

寝床で、嘉兵衛は考えていた。


件の物取り、熨斗の屍を検めたのは嘉兵衛ではなく、同僚の同心である。

同僚の話では、熨斗の致命傷は、喉元へ深々と入った突きであった、ということだ。
しかし、それ以外に手首や肩口、脇腹などに浅く傷が入っていた、という。

どれも――「獣が喰いちぎったような」という表現を使った――、ぎざぎざと荒い刃傷だったそうだ。


このことから、熨斗は死闘の末に突きで止めを刺されたのだろうと推察された。

けれど、それは違うのではないか……という、漠然とした考えが、嘉兵衛の頭に浮かんだ。

熨斗を殺った男は、おそらく最初に小手を打つなり太刀を奪うなりして、相手を無力化させたのではないか。

そして突きを入れ、完全にこと切れるまでの間、――まるで刀の切れ味を慥かめるかのように――相手を斬り続けた。

生きている間に斬られたのなら、まだ抵抗したり身を庇う素振りがあっても良さそうだ。
けれど、手首と喉笛の傷以外は、無防備な所へ浅くつけられている。

弄ばれるが如く、だ。


それは、嘉兵衛の想像に過ぎなかった。

しかし長年の経験から、その想像はさほど事実から遠くない線ではないかと思えたのである。


尿意を覚え、床を抜け出し勝手口から厠へ向かう。
用を足して戻る途中、何やら不穏な物音を聴いた。


嘉兵衛は羽織と十手を取り、通りへ出た。
0103『閂(かんぬき)』
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2010/12/23(木) 23:04:55ID:FGwq7AWp

耳を澄ましながら、音のする方へ二十間ほど歩く。


辻のところで、気配を感じた。

咄嗟に横へ飛ぶ。

空を切る音。

人影が、太刀を再び振り下ろす。

転げ回って離れる。


侍か浪人のような姿。
闇に隠れて、相手の顔が分からない。

けれどそれが誰であるか、嘉兵衛は分かっていた。


侍は太刀を片手に、ゆっくりと距離を詰めた。
嘉兵衛は立ち上がり、十手を構えて対峙する。

――無謀だ、こんなことは。しかし、儂はここで逃げることは出来ない。

覚悟を決めなければ、と思っていた。
嘉兵衛はこの町の同心であり、目の前にいるのは町人を脅かす存在なのである。

――あの太刀こそ、物盗りを殺した凶器にほかならない。

侍は、何やらぶつぶつ呟いている。

嘉兵衛との距離が詰められる。

「あと二人は、斬らなきゃならん」
侍の声を聞いた。

太刀が振り上げられる。
それを十手で受ける。

重い金属音。
手にかかる圧力。

十手の鈎の部分に太刀を挟み込む。

が、それは一瞬である。
鈎は折れ、嘉兵衛の腕に太刀が食い込んだ。

激痛に顔を歪める。
鋸で引くような音がして、骨が肉もろとも斬られた。
0104『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/23(木) 23:08:10ID:FGwq7AWp
嘉兵衛は十手を左手に持ち替え、逆手に持ち、房を解いて拳に巻きつけた。

咄嗟にしたことで、その行動の意味するものは嘉兵衛自身にも分かっていない。


嘉兵衛は右腕の激痛に歯を食いしばり、相手を睨む。

「斬って、度胸を付けにゃならん。この太刀も、人の血脂で研がれようというものだ……」
声は笑っているようだった。


嘉兵衛は盗人の犯行現場を検めたときのことを思い出していた。
切れ味の悪い刃物を力任せに振り回した、という印象。

熨斗は剣術の心得のない盗人であったから、それは当然なのかも知れない。
しかし日本刀とは、正しく扱わないと斬ることすらままならないものである。

熨斗は、あらゆるものを切断していた。
いま、その太刀を持っているのは剣術の腕に覚えがある人間だ。

――あまりにも分が悪い。

嘉兵衛が考えることは一つだった。

――この剣を破る術を見出して、残さなければ。

侍が、太刀を最上段に構えた。

嘉兵衛は十手を握る手に力を込め、飛び込んだ。

迫る太刀を躱すが、逃れきれない。

膝を斬られ、肉が抉られる。
動きが止まったところへ、二撃めが飛ぶ。

それを十手で辛うじて防ぐ。

嘉兵衛は解いた房をもって刀身を握りこんだ。

侍は太刀を引く。
わずかに引っかかる。

「っくっ、離せ!」
侍が嘉兵衛を蹴飛ばす。

太刀を振り払う。
左手の指が数本斬られた。

嘉兵衛は痛みに悶えながら、蹲った。


「死ね」

侍は、太刀を嘉兵衛の頭へ振り下ろした。
0105『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/23(木) 23:12:50ID:FGwq7AWp

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床の拭き掃除を終えた彩華は、奥の部屋の柱に凭れてしばし微睡んでいた。
彩華は早起きだが、代わりに昼寝を欠かさない。仕事の合間を見て、少しずつ寝る。

けれど、さっきからドタドタと歩きまわる足音が絶えない。
同時に、何やら不穏な気配を感じてもいる。

妙が慌しく近くを通ったので、尋ねた。
「どうかした?」

妙は少し逡巡して、
「同心の嘉兵衛さんがね、辻斬りに殺されたって……」
青ざめた顔で言った。


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彩華は妙が通夜の準備に行ったため、それに従いて行った。

嘉兵衛の自宅には数人の同心や岡っ引き、それに近所の商店の女たちが集まっていた。

「清次のやつは?」
あっちだ、と同心のひとりが家の裏手へ親指を向けた。
「嘉兵衛の旦那のいちの子分だ、弔いだからって、自分がやるって言ってさ」

同心たちが話している。

それを聞きながら、彩華は妙の側に付き添っていた。

「彩華、こっちは大丈夫だから……宿に戻っておいで」
妙はそう言ったが、その声は弱々しく掠れていた。

「外に居るよ」
そう言って嘉兵衛の家を出、裏へ回った。

0106『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/23(木) 23:15:23ID:FGwq7AWp

「ううっ、旦那ぁ……」
若い男が、みっともなくぐずぐず泣いている。

清次は嘉兵衛の遺体を井戸の水で洗いながら、涙していた。

「手伝うよ」

彩華は清次の側へ来て、井戸水の桶をとった。
清次は泣き面を向けて彩華を一瞥したあと、のろのろと手を動かした。


嘉兵衛の遺体は右腕、左膝、左の手指にそれぞれ斬られた跡がある。
こめかみの辺りに深く刃が入っていて、これが致命傷になったと思われた。

「……?」
指の欠けた左手が、数本の糸か紐のようなものを握っている。

「これ、何?」
「……んあ? あ、ああ……旦那の十手の……房だよ。
くそっ、房までこんなズタズタに……誰がやったんだよ、畜生!」

清次がまたおいおい泣き出す。


彩華はその、引きちぎれたような房を見て考え込んでいた。

0107 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2010/12/23(木) 23:18:45ID:FGwq7AWp
↑ここまでです
間あいてしまった、すみません
多分あと1回で終わりです
0108創る名無しに見る名無し
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2010/12/23(木) 23:35:26ID:yfavLKNt
投下乙!!
0110『閂(かんぬき)』 ◆BY8IRunOLE
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2010/12/28(火) 23:54:29ID:qlrXFup7
【終幕】

彩華は、奉行所の裏手にある門のところに立っていた。

扉は、普段開かれたままの状態になっている。
今は使われていない、通用門である。
元は城を囲む城壁に造られたものだ。
城は幕府の命令によって取り潰され、残った一部の建物は、奉行所として使われている。

「何をしとる」
通りから老人が姿を現し、声をかけた。

彩華は黙っている。

老人はよっこらしょ、と言いながら側に来て、門を眺め渡した。
使われていない扉の木は黒ずんで、下の方は泥に塗れている。

「ああ、今年の桜は早めに散ってしまいそうじゃな」

門の脇に桜の木が植えられている。
老人はゆっくりと幹を眺め、扉に目を移した。
そこでふと、言葉を止める。

「なんじゃ、閂が外されとるな」

「閂?」
彩華は、その言葉に反応した。

老人は扉の裏面に回りこみ、戸の真ん中あたりを指さす。
大きな錠前が錆び付いていた。

「さきの大戦(おおいくさ)の時、この門だけは敵に破られんかった。扉をしっかり閉じていた閂は、
撞木で何度も突かれていくらか曲がってしまったんじゃ……けれど、決して折れんかった」

老人は、昔話をするようにゆっくりと話す。

「錆びて曲がった閂が、その戦の壮絶さを物語っていたんじゃよ」

「……」
彩華は黙ってそれを聞きながら、扉の裏の錠前を眺めている。

「……しかし、閂だけ片付けるなんぞ無粋じゃのぉ」
老人は門を眺め、ふうと息をついた。

ところで、と言いかけ老人は傍らを見る。

さっきまでそこに居た少女の姿は、もう無かった。


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0111『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/28(火) 23:56:50ID:qlrXFup7

妙は丹次郎に付き添われて、奉行所をあとにした。
嘉兵衛の女房は既に他界していて、子供はなかったため、身寄りといえば日頃付き合いのある
近所の人間ということになる。
妙もその一人だったので、奉行所へいろいろと届出を代行していた。


日は既に落ち、宵の口である。
通りにはうっすらと春霞が漂っているようだった。

「妙さん……旅籠の方は、しばらく休まれては」
丹次郎が気遣わしげに言った。

「ええ、でも……」
妙は弱々しく笑うと、蚊の鳴くような声で言った。


その二人に、声をかける者があった。
0112『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/28(火) 23:59:01ID:qlrXFup7

「お妙。その男から離れるんだ」

霞の向こうに、黄色の髪の少女が立っている。

「彩華!? あんた、なんでこんなところに」
妙は目を丸くして少女を見た。

「そいつは、同心の旦那を殺した張本人だ。次はお妙、あんたを殺そうとしてる」

彩華は真っ直ぐに丹次郎を睨みつけ、二間の距離まで近づいて、足を止めた。

「な、なにを言って……」
妙は、何が何だか分からない、というように戸惑っている。

「娘。何の言いがかりか知らぬが……名誉を傷つけるような物言いは、止めたほうがいい」
丹次郎は無表情で、彩華を見つめている。

「お妙!」
彩華の声に、びくっと身動ぎする。
が、どうすればよいか分からず、その場にただ立っていた。
丹次郎は、そっと――妙はそれに気づいていない――妙の手首を握った。


意を決したように、彩華は右手を肩口にやり、素早く二人に飛びかかった。

「!」
背中から、刀と言うには短い、脇差を抜いた。

妙は、咄嗟に身を屈めようとし、

――動けない。両手首を後ろに固められている――、

斬りつけてくる。その刃筋を真正面から受ける形になる。

――丹次郎が、自分を盾にしている。

そのことが驚きだったし、また悲しくもあった。

妙は目を瞑る。


鈍い衝撃が、項に走った。


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0113『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/29(水) 00:01:55ID:qlrXFup7

「峰打ちとは、見かけによらず器用な奴よ」
丹次郎は気を失った妙を突き飛ばし、太刀を抜いた。

ぶん、と太刀が大きく振られる。
身を躱したが、髪がわずかに斬られ、金色の針が散ったような光景を見せた。

彩華は倒れた妙を庇うように立ち、抜身を脇構えにつけながら叫んだ。

「その太刀を捨てるんだ、それは魔が棲む『妖刀』だぞ!」

丹次郎は無骨な太刀を右上段に構え、

「餓鬼が、何を言うか! この太刀こそ、何人も破ることの出来ぬ本物の名刀!」
怒鳴りながら彩華を睨みつける。

――狂ってる。あの太刀に、魅入られてる……力尽くで奪うしかないか?

丹次郎が斬りかかる。
それを脇差で受け、すぐに弾いて背面へ跳ぶ。

――まともに斬り結んだらいけない。競り合いになれば、こっちがへし折られる。

それは、熨斗が行った一連の殺しの様子から容易に想像がつく。

――けれど、妙から離れてもいけない。
離れれば、丹次郎は妙を斬るだろう。
ゆえに、身を翻して躱しながら攻撃の機を作ることは出来ない。


「血が、血脂が、足りぬのだ……」

丹次郎は鬼のような形相で、彩華を睨んでいる。

彩華は身を低くし、後ろ手でそっと妙の様子を確かめた。
0114『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/29(水) 00:05:54ID:F2Q6l1tO

「丹次郎。あんたの心は、そいつに喰われちゃったんだね」


「この太刀は、人を斬ることで切れ味を増す代物よ」

そう呻く丹次郎の貌には、はじめに見たような溌剌とした面影は無かった。

そこに居るのは、ひとりの“鬼”である。


「貴様もそこの女も、こいつの露となるが常道!」

丹次郎が迫り来て太刀を振るう。

間合いは、彩華の脇差がどう見ても不利である。

「そんなこと、させるもんか!」
彩華は左手を懐に入れ、薄衣を取り出し半身に纏った。


脇差を逆手に持ち替え、飛びかかる。

そこは丹次郎の間合いである。

「貰ったわ!」

太刀が彩華の横腹を捉える、まさにその時。

彩華は薄衣を解いた。
0115『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/29(水) 00:08:29ID:F2Q6l1tO

布は太刀に纏わり付き、その動きを制した。

彩華は脇腹に激しい衝撃を受けたが、斬られるには至らない。

激痛に耐えながら、右肘とともに脇差を振り抜く。

鋒が丹次郎の左眼を裂く。

彩華の顔に血飛沫が飛ぶ。

「ちぃっ!」
片目を潰されたまま、丹次郎は太刀を振り回して布を解こうとする。

それをかいくぐり、彩華はさらに脇差を振るう。

斜め下段から腋へ入り、振り抜ける。


右の二の腕から血が噴出した。

それは太刀を握ったまま足元に落ちた。

斬り落とされてもなお、それは太刀をしっかりと握っていて、離れそうになかった。



腕を斬り飛ばされた――

その事実を認識するのに、刹那あった。


彩華はさらに間合いを詰める。
丹次郎の喉元へ脇差をつけ――


そこで手を止める。

丹次郎は失血から目が眩み、その場に倒れた。


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0116『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/29(水) 00:13:12ID:F2Q6l1tO

肋が折られた痛みに耐えながら、彩華は丹次郎の腰から白木の鞘を抜き取る。

手が付いたままの太刀を持ち、鞘に収める。

丹次郎は腕を押さえて呻いている。


彩華は気絶している妙を担いだ。

「……」
彩華は思いつめた表情で丹次郎を眺めたのち、その場を離れた。


やがて人が集まってきて、丹次郎を医者に担いで行った。


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0117『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/29(水) 00:16:13ID:F2Q6l1tO

「お妙ちゃん! お妙ちゃんってば!」

乾物屋のおばさんが、肩を揺すっている。
気がつくと、妙は藤屋の入り口に倒れていた。

「……うん……?」
項が痛んで、怖ろしい記憶が蘇る。

「こんなトコで寝るなんて、あんたよほど疲れてるんだね。幸い泊まり客はみんな今朝方奉行所に行ったから、
少し休むといい」
「奉行所?」
「あの、里部丹次郎ってお武家さま。奉行所の近くで、斬られていたんだよ。
また物騒な盗人とやり合ったのかねぇ。それで、今朝から岡っ引き連中が大わらわさ」


――里部さまが……

妙は頭の中で、混乱している記憶を取り戻そうとした。

背中から刀を抜き、飛び掛ってくる彩華。
自分の手首を掴む、ぞっとするような感覚。
その手の主は……

「里部さまは……?」
「命だけは助かったらしいけどねぇ、なんせ腕をもがれちゃねぇ」

妙は呆けて、辺りを見るとも無く眺めた。
紗で織られた薄衣が落ちている。
それは、ズタズタに綻んでいた。


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0118『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/29(水) 00:18:24ID:F2Q6l1tO

その太刀は、刃がひどくこぼれていてギザギザであった。

細い糸や、それで織られた紗などを斬ろうとすると、それが引っかかって纏わり付くため、斬れない。
斬れなければ、只の模造刀である。

それは嘉兵衛が死に際に残した遺言であった。
遺体を検めた時に見た十手の房は、彩華にそれを伝えたのだ。



「清次」
長羽織を着こみ、菅笠を被った小柄な人影が、若い岡っ引きに声を掛けた。

「んぁ? ……なんだ、藤屋の奉公娘じゃねぇか」
「一番近い海岸はどこ? 潮の流れがうんと早いところがいい」
「うん? そうだな……」

清次は説明しようとして、

「あぁ、めんどくせェ! 連れてってやるよ」

そういって辺りを見回すと、足早に歩き出した。
彩華もそれに続いた。

0119『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/29(水) 00:21:23ID:F2Q6l1tO

「この辺りだな」

切り立った崖の下には、ごつごつした岩が並び、荒い波が飛沫を上げていた。

「身投げする奴らが多いって話だ。あ、もしやおめぇ……」
清次が驚いたように言うのを制して、

「そんなこと、するもんか」

羽織の下から一振りの太刀を取り出した。


反りがきつく、彩華が持つには長すぎる。何の装飾のない白木のままの鞘は、血塗れである。
下げ緒が鍔のところで幾重にも巻かれ、抜けないようになっていた。

「何だそりゃ……不気味な刀だな」
清次は、それを見るなり眉をひそめた。

彩華は無言でそれを海にめがけて力いっぱい、放り投げた。


「あれは、妖刀だ」

彩華は海を眺めながら言った。

「永い時間や激しい自然の力に耐えてきた物。そういう物には、『念』が凝りやすい」

「……」
清次は黙っている。

「その『念』を『精気』にするも『瘴気』にするも、人次第……」


「……なんか、オレにはよく分かんねぇけどよ、あんなの、捨てといたほうがいい」
0120『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/29(水) 00:24:24ID:F2Q6l1tO

彩華は笠を目深に被り直し、先に立って歩き出した。

「おい、町に戻るなら方向が逆だぜ」


彩華は立ち止まって、

「ここでお別れだよ。ありがとう。――お妙に、『世話になった、ごめん』と伝えておいてほしい」
と言った。

「ん。そりゃ、お安い御用だけどよ。おめぇ、行くあてあんのか」

「無いよ。……今のところは、ね」
そういって背を向けようとしたとき、

「おい!」
笹の葉の包みが投げられた。

とっさに受け取る。
「持って行きな。ちったぁ腹の足しになんだろ」
煎餅が数枚、包まれていた。


「無理すんなよ?」
清次は笑って言った。

彩華は、包みを懐に納めると、手を振って歩き出した。






0121『閂(かんぬき)』
垢版 |
2010/12/29(水) 00:26:15ID:F2Q6l1tO
【結】

漁船の網に、妙なものが引っかかった。
金属の棒のようなものであったという。
それはボロボロに錆び、やや反っていた。

ガラクタと判断され、処分されることになった。
しかし、どんな重機もそれを折ることは不可能だった。
結局それは、そのかたちのまま埋め立てられることとなったのだ。

その金属の棒は、長さ約95センチ。
棒というよりは細長い板で、弧を描くように反っている。


今も、どこかの埋立地の中にひっそりと眠っているという。


0122 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2010/12/29(水) 00:34:04ID:F2Q6l1tO
↑以上でこのお話は終了で御座います

※今作品は、↓のスレのレス番274のあらすじをお借りして書きました
http://www26.atwiki.jp/sousaku-mite/pages/253.html
(くどいですが、完全オリジナル作品ではありません)


読んで下さった方、ありがとうございます!
そして、このあらすじを投下してくださった274氏に感謝!
0123創る名無しに見る名無し
垢版 |
2010/12/29(水) 00:39:55ID:YMEcDSKO
乙でした!
妖刀は土の中ですか
彩華の旅はまた続くのだろうか
ともあれおつかれさまでした!
0124創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/01/11(火) 11:53:48ID:iP+ocKQB
完結乙
戦闘シーンが前以上によくなってるな
スピード感ヤバい
ていうか、これ、あらすじスレの奴使ってたのか
0125創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/03/24(木) 13:42:50.01ID:jrpvTc34
新作期待
0126創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/04/09(土) 12:44:46.25ID:SJDzYyCy
保守
0127創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/04/18(月) 21:14:38.58ID:o59wuyit
わびさび!
0128 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2011/05/04(水) 22:43:22.75ID:fxdjr8Jw
お久しぶりでございます
長い間スレを放置してしまってすみません

ビミョーな時代モノの第三弾、投下いたします
0129『渡し船』 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2011/05/04(水) 22:46:30.94ID:fxdjr8Jw
【船】

「悪いなぁ。見ての通り、この天気だ。雨が上がってからだな、船を出せるのは」
波止場の小屋で、老人が言った。

小柄な旅人は、庇の下から灰色の空を眺めた。

西へ向かって旅を続けているが、ここへ来て行き詰ってしまった。
ここから北へ向かい、隣の藩へ入る心算だったのだが、そこには関所が設けられている。関所を通ることは難しそうだった。
別の旅程を考えた末、湾を跨ぐ海路に目星をつけた。

湾を行き来する船は主に商船であるので、紛れ込むことは出来そうだ。素性を詮索されることも無い。
しかし、折りしも嵐が近づいていて波が高く、船が出せない。


数日前から寝泊まりしている、無人の寺へ戻る。船が出るまでの間、ここへ寝泊まりしているという次第だ。
朝は雑巾がけをし、庭を掃き清める。昼過ぎには薪を割り、風呂を焚く。
漁師や農家の仕事を手伝ったりしながら、食べるものはそれなりに手に入った。

――もう、食い逃げをしなくて済むんだ――

そう思うと、気持ちが軽くなる。
寺を掃除するのは、その旅人にとって苦ではなく、むしろ宿賃のようなものだった。


* * *
0130『渡し船』
垢版 |
2011/05/04(水) 22:50:33.66ID:fxdjr8Jw

男は船縁に腰掛け、西の空を見やった。
深い群青色に、うっすらと明るみが差し始めている。

――夜が明けてしまう前に、下流の町まで行かなければ。

船頭に声をかける。
「もう、これ以上待っても無駄だ」

船頭は、戸惑ったような素振りを見せたが、構わず船を出させた。
舫(もやい)が外れ、川面を滑り出す。

朝日の登る方向とは逆側、まだ夜の闇が空を覆っているはずの街並みの一角が、橙に染まって薄く明るんでいる。
何本もの煙が立っているのも見えた。

――あれが、俺たちの「仕事」の後だ。

刻み煙草をふかしながら、暗澹たる気持ちでそれを眺める。


後味の悪い仕事だった。

依頼人に、厭味の一つでもぶつけてやりたい気分だった。

無傷じゃ済まなかった。
はじめの見通しでは、犠牲は出ても一人か二人ということだった。

しかし、おそらく六人近くが殺られた。

あれ以上待っていると、夜が明けてしまう。明るくなれば、たちまち不利な状況になる。
早く岸を離れる必要があった。

残された者が居たとしても、始末されるのは時間の問題だろう。
申し合わせた時刻に間に合わないことは、殺られたか、あるいはこれから殺られるか、ということだ。

0131『渡し船』
垢版 |
2011/05/04(水) 22:52:33.41ID:fxdjr8Jw

男は、予想通りだった、と思った。
噂に違わぬ、侮れない集団である。向こうは竹刀にもかかわらず、鎖骨は折られ、額が割られた。
まともにやりあったら勝ち目は無い。

「……くそったれが」


運河の中洲に設けられた、とある道場を闇討ちする。
将来、有能な剣士――つまり厄介な相手――になりそうな連中を潰しておくためだ。

卑怯な策である。
それでも、雇われの身では何も言えない。
浪人に身を窶した今とあっては、いかなる仕事もしなければならなかった。


薄闇のなか、船はゆっくりと運河を下ってゆく。
彼は生き残った僅かな仕事仲間と共に、じっと座っている。
誰も、一言も口をきかない。
仕事は上手くいったと言えるものだったが、暗く重苦しい雰囲気が船の上を支配していた。

0132『渡し船』
垢版 |
2011/05/04(水) 22:55:49.79ID:fxdjr8Jw
【時雨】

醤油の焦げる香ばしい匂いが漂っている。
網の上には大きな蛤。七輪の上で焼かれ、ぷっくりした身を捩れさせている。

「……なんだ、ガキはあっちへ行きな」
香具師(やし)はシッシッ、と手を振って追い返そうとするが、その童はじっと焼き蛤を見つめて動かない。

絣の着物は所々擦り切れて穴が開いており、継ぎも成されていない。
おおかた貧乏な農民の子供だろうと、香具師は見当をつけた。


童の髪は、結ばれもせずおかっぱに流してある。
その髪の色は、目にも鮮やかな黄色。陽の当たり加減では金色にすら見えるだろう。
年の頃は、十になるかならないか、其の位である。背は低く、華奢な身体だ。

香具師は、商売の邪魔でしか無いその子供をどうやって追い払うか、頻りに思案していた。


ふと、香具師の鼻の頭に水滴が落ちた。

西の空から湧いた雨雲が、たちまち大粒の雨を降らせ始めた。
それと同時に、天空に稲光が走ったかと思うと、空を割るが如き大きな雷鳴があたりに轟いた。

「ひいいっ」

香具師は咄嗟に、腹に手を当ててしゃがみこむ。
その隙を狙って、童は程良く焼けた蛤を二つ手に掴み、そのままその場を駆け足で去った。


降り始めた豪雨に、道はすぐに泥の河と化し、草鞋が何度も水に呑まれかけた。
這々の体で、とりあえず今夜の宿と決めた破れ寺に辿り着くと、先ほど盗んだ蛤を美味しそうに頬張った。
ずいぶん冷めてしまったが、まだ醤油の香りが高く立っている。

盗んできた二つのうち一つの蛤を食べ終わると、もう一つの蛤を口に入れる。
ジャリッ、という音と口内の違和感がした。

「……砂抜きしてない。インチキだ、あの屋台」

噛んだ砂に顔をしかめつつ、少女はお堂の奥へ引っ込んだ。


* * *
0133『渡し船』
垢版 |
2011/05/04(水) 23:00:44.78ID:fxdjr8Jw

町を歩くのは、食べ物にありつける場所を探すためである。
思わず視線が、町外れに出ている屋台に向かう。

川べりに屋台を出しているのは天麩羅屋だ。胡麻油の香ばしい香りが、少女の空腹をより一層掻き立てる。

――どうやって掠め取ろうか。揚げたてがいいけれど、贅沢はいってられない……

天麩羅屋の屋台は、寿司や蕎麦と同じく暖簾をくぐって座る造りになっていた。
こちらは年端のいかぬ少女だ。まず注文する前に怪しまれる。さきの焼き蛤や、鰻の蒲焼とは違うのだ。
それでも、一か八かで座ってみることにした。

暖簾をくぐる。

「いらっしゃい!」

威勢の良い声が掛けられる。

――どうしよう。ひとまず逃げを打つ手を考えながら食べよう。


天麩羅を何串か食べたところで、

「二十文になりやす」
天麩羅屋は勘定を切り出した。

いっぽう少女は、何の策も見出せないでいる。

――仕方ない。

カネを払うふりをして香具師の掌に少女が載せたのは

「ぅわちぃぃっ!?」

猛然と回転するベーゴマであった。
その隙を見て、少女は屋台を飛び出した。

――またやってしまった……
諦めにも似た感情を胸の内に抱かせつつ、少女は走りだした。


その時だ。
手首を掴まれた。

すかさず身を翻すが、相手のほうが上手だった。
関節を外そうとするが、その関節部を狙ったかのようにがっしりと極められている。

――しまった……!

押さえこまれ、動きが封じられる。

痩せて骨張った男が、信じられないほどの力で少女を縛めていた。
素浪人だろうか、頭に月代はなく、ザンバラにして無造作に結んである。
藍の褪せた着流しの腰に、刀の柄が見えた。

男は少女を睨めつけ、
「手癖の悪ぃガキだぜ」
と言った。
0134 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2011/05/04(水) 23:04:23.67ID:fxdjr8Jw
↑とりあえず、ここまでで。続きは後日に



保守ageしててくださった方、ありがとうございました!
(◆BY8IRunOLEの為じゃないかもですが、都合よく解釈しますw)
0135『渡し船』 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2011/05/10(火) 23:15:04.29ID:M03bzvDx
【侍】

「頼むよ旦那、月末になりゃ給金が入るんだ、そうしたら」
土下座して懇願する老人。その鼻面を、浪人風の男が蹴り飛ばした。

「爺さんよぉ。カネが無ぇなら、博打なんてやらねぇこった……」

男は容赦なく老人を殴り、蹴った。
気を失って口角から泡を垂れ流すそれを、川べりに捨てた。


小屋へ戻ると、でっぷりと太った胴元が、目だけ上げて男を見た。
「首尾はどうだった」

男は、首を横に振る。

「そうか。なら、しゃあねぇな」
胴元はにやにや笑いながら――もともとそういう顔つきではあったが――、二朱銀を二枚、男へ放った。


賭場での負け分を誤魔化した奴がいる。そいつを三日前から探し回り、やっと見つけたものの
文無しであったために、せいぜい傷めつける(くたばっても構わないという注釈付きだった)。

その“仕事”は、たかだか四朱の働きであったということだ。はじめの約束は五十匁だったというのに。


奉公していた頃は棒給で禄を貰っていたのであまり気にしたことはなかったが、当然ながら、浪人の身である今は贅沢は言えない。


――俺は一体、何をしているんだ?
 侍とは、正々堂々と仕合い、死ぬことも厭わない存在であったはず。

 それが、今の自分はどうだ。
 我が身かわいさがあったことは否めない。そしていまや、下衆な仕事に手を染めてまで生き延びている。


男は、受け取ったカネを手に長屋へ戻り、延べたままの床に横になった。

「くそったれが」
布団の下でもう一度、呟く。

夜が明け、街に人の声が満ちてくる。
彼は布団を被って、それらの音を聞かないように、無理やり寝入った。


* * *

0136『渡し船』
垢版 |
2011/05/10(火) 23:19:28.45ID:M03bzvDx

「御館様……」

新座主税(にいざ ちから)は草むらに跪き、遠くを見やる。
降り続く時雨が視界を覆い、白く煙っているその先では、分の悪い戦が続いていた。

鎧の間から刺さった矢が、彼の体力を容赦なく奪う。
そこかしこに、敵味方問わず骸が転がっている。
むせかえるような血の匂いに、もう鼻も麻痺してしまった。

背中に掛けた矢筒はとうに空になっている。
敵の騎馬がこちらへ向かってくるのが見えた。
新座は、覚悟を決めた。

「願わくば……一矢報いて死にたいもんだな」

彼は弓を棄て、足元の石を掴むと、すっくと立ち上がった。
全身が痛み、血液が流れ出していく。
彼は怒号とともに、騎馬に向かって走りだし――

眩暈に襲われ、気を失った。


* * *
0137『渡し船』
垢版 |
2011/05/10(火) 23:25:12.27ID:M03bzvDx

新座が正気を取り戻したとき、状況は一変していた。

主君は生け捕られ、人質とされてしまった。
敵方の計らいにより、戦でわずかに生き残った若い下級武士は一斉に領地を没収され、職を失って国外追放されたのである。


新座は城勤めの若党であった。さきの戦によって深手を負っていたが命をとりとめ、良い医者に恵まれて、回復したのだった。

同じような立場の同輩が数人居た。目先の利く者は、新たに他所の大名などに召しかかえられていったが、彼はそうしなかった。
近隣の藩の人間は悉くいけ好かない連中だったし、仕える主君をすぐさま変えることに躊躇いもあった。

かと言って、今さら敵方に仇討ちを起こすほどの力もない。
そうこうしているうちに彼はどこへも勤め先が無くなり、素浪人となってしまったのだ。


新座が命を拾ったのは、もしかすると幸いではなかったかも知れない。
三十も半ばになる。妻と、息子が一人居る。

正しくは、「元・妻と息子」である。妻は、息子を連れ自分の故郷へ戻っていた。
はじめのほうこそ、新座は日雇い人足のような仕事をしながら、どうにか妻子を養える仕官先を探していた。

しかし半年の後、女房から三行半(みくだりはん)を送りつけられ、彼は張っていたものが切れたような感じを覚えた。


* * *
0138『渡し船』
垢版 |
2011/05/10(火) 23:29:43.14ID:M03bzvDx

女房から最後の手紙が送られてきて、ふた月ほど経った後のことである。
人足もやる気にならず、その日暮らしを続けていたが、食うに困って、いよいよ刀を売るべく質屋へ入った。

店主は大小二本の刀を一瞥すると、すぐに興味を失ったようで、今度は新座をまじまじと眺めた。
「兄さん、独り者かい」
新座は、訊かれた意味がよく分からない、というふうに怪訝な顔をした。

「人手が足りねぇらしいんだ。入りは良いよ。良い稼ぎ口だ」
店主は言いながら、奥へ入っていった。
しばし待っていると、店主が顔だけだして、こっちへ来い、と促した。


質屋の奥は薄暗かった。
襖を開けると、小太りの男が爪を切っていた。

「旦那。駒になりそうな若い衆が来たぜ」
店主はそう言い、新座を部屋へ押し込んだ。
男はにんまりと笑い、まあまあ座れと促した。


「『地獄の沙汰もカネ次第』って、知ってるかい」
小太りの男は、新座の顔を覗き込むように言った。
「……ああ」
新座は慎重に答え、目を逸らす。

――嫌な気分だ。

素浪人という身分が、彼に後ろめたい思いをさせている。

「あんた、お侍だったろ。腕に覚えがあるんなら、生かさねぇと勿体無ぇよ」
男は言いながら、別のことを考えているように執拗に、新座の表情を窺った。

「どんな仕事だ」
その返答に満足そうに頷き、言った。


「用心棒だ」


* * *

0139『渡し船』
垢版 |
2011/05/10(火) 23:32:28.71ID:M03bzvDx

夜になり、布団から抜けだすと船場に向かった。
橋の下に小屋がある。夜になると賭場として使われるものだ。

小屋には既に胴元と博徒どもがいた。
「遅ぇじゃねぇか」
「すまん」

胴元は、新座の後ろを覗いて言った。
「……なんだ、そのガキは」
「河岸の天麩羅屋台、捨三がやってる所だ、そこで食い逃げしようとしたのを捕まえた」

新座はやや躊躇ってから、少女を引っ張り、突き出した。
「……どう始末つけるか、あんたに聞いておこうと思ってな」

金髪の少女の両手と両足は、それぞれ縄で縛られている。
少女は胴元をきっ、と睨みつけた。

「ションベンくせえガキだな。こんなんじゃ、売れやしねぇ。まあいいや、夜鷹のとこにでも持っていけ」
胴元はふん、と鼻を鳴らして手で払う仕草をした。

0140『渡し船』
垢版 |
2011/05/10(火) 23:36:59.42ID:M03bzvDx

小屋から少し歩くと、桟橋に船が数隻舫ってある。そのうちのひとつの、簾越しに声をかけた。
「おい、居るか」

しばし後、無言のまま簾が少し開けられたので、新座は少女の腕を引いて屋形の中に潜り込んだ。

「なんだえ、客かと思って損したじゃないかえ」
草臥れた四十絡みの女は、いかにも不機嫌そうに言った。

「このガキなんだが……胴元は、あんたに預けろと言ったんでな」

夜鷹は、少女の髪色を一瞥すると言った。
「こりゃ、毛唐の子供かね? 気味が悪いね。これでも被らせるかえ」

夜鷹は暗い部屋の隅から手拭いを取り出し、新座に渡した。
「……?」
「なにボケッとしてんだよ。おらぁそれに触りたくないんだ」

新座は少女の頭を覆うような形にそれを巻いた。


「『そういう向き』がきたら客を取らせるけど、こんなションベン臭いの買う客、おらぁ御免だね」
そう言うと、夜鷹は新座と少女を追い出しにかかった。
「待てよ、こいつは?」
「あんたのとこで面倒見な、そのガキは。掏摸でも仕込んでみちゃどうだい」

新座の住まいは、同じような素浪人たちが集まっている小さな長屋である。
ただでさえ狭い部屋に、こいつを連れて帰るのかと思うと気が重くなった。

「なんだったら、今夜はあんたが筆下ろししてやったらどうだ」
簾を上げて出るときに、夜鷹が声をかけた。

「こなれて具合が良くなるかもしれないよ」
そう言って卑しく嗤う。

その声に、ますます嫌な気持ちになった。


* * *
0141『渡し船』
垢版 |
2011/05/10(火) 23:44:39.32ID:M03bzvDx

新座の仕事は、賭場の用心棒である。賭場は夜に開かれるので、生活も昼夜逆転したものになる。
客が不届きな行いをしないよう、小屋の中で見張る。争いが起きようものなら、懲らしめる。
「始末する」ことになる場合もある。


賭場の客はさまざまだ。
博打で食っている博徒はもちろん、棒手振りや飴売りなど一般庶民、ときには医者風情が来ることもある。
中途半端に博打を覚えた人間は、引き際を知らずに注ぎ込んでしまいがちだ。

「勘弁してくれ、明日、残りを持ってくるから……」
怯える棒手振りの耳元へ寄り、胴元はドスを利かせた。
「文無しで打ちに来るたぁな……」

胴元が彼に顎でしゃくった。

――愚かな奴だ。

新座は心のなかで舌打ちし、その棒手振りを引き立たせると、恫喝した。
「てめぇ、舐めてんじゃねぇぞ! あ゛ぁ!?」

胆を殴った。
呻いて身体がくの字に曲がる。
鳩尾に膝を打ち込む。
息ができなくなって悶絶する。

そうして死なない程度に痛めつける。歯が折れようが聾になろうが、こちらの知ったことじゃない。
もういいだろう、という胴元の声が聞こえてくるまで、これを続ける。

――なんて下衆な商売だ。

反吐を吐きそうになりながら、棒手振りを嬲っていた。


下衆な仕事、などとは言っていられない。
扶持も無けりゃ、宿も無し。博徒連中に世話してもらわなければ、野垂れ死にするしかない。

そうして得たカネを、別れた女房の実家へ送る。
女房はちっぽけな百姓の家の娘である。

新座が僅かながら送金を続けているのは、彼なりの意地でもあったのだった。

0143『渡し船』 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2011/05/19(木) 18:55:54.60ID:p3NcCexg
【戦国】

その日は客の入りが悪く、暇を持て余していた。
胴元は、
「お前、オモテ立ってろ」
と新座に言った。

見張りである。
この賭場は、非合法な行いだ。もちろん、客はそれを承知でやってくる。しかし、お上の連中が
たまに嗅ぎつけてやってくることがある。
新座は、木刀を掴んで小屋の外へ出た。


持っていた大小二本の刀は、質に入れた。当座の生活のためだったが、この仕事と塒にしている長屋の、
斡旋料という名目で引き取られた。
代わりに木刀を腰に差している。


小屋の外で刻み煙草を吸い付けていると、少女が夜鷹の船から出てきた。
両足は自由になっているが、腰には縄が付けられ、船に繋がっている。

「何してるんだ」
新座は、なんとはなしに声を掛けた。

「お客が来たら呼べって言われた」
「暇なのか」
「うん」

――夜鷹は、よほどこの童が気味悪いらしいな。客が来るまで寝ているつもりだろうが、
 側にいては寝られやしない……といったところか。

ぼんやりとそんなことを思い、そこで嫌な考えが頭を過った。

――こいつは、もう“客”をとったんだろうか。


年端のいかない子供に娼婦の真似をさせるのは、何とも嫌な気分だった。
浮浪児なら遅かれ早かれそうなるのだろうが、それを目の前で見ていたくはない。


ほんの気まぐれだった。
新座は腰から木刀を抜くと、少女の前に差し出した。

「?」
「早く持て」

言われるまま、少女は木刀を握った。
手が覚束無い。

「そうじゃねぇよ、いいか……」
少女の手をとり、力の入れ具合や立つ足の形などを教え始めた。
そうして構えをとらせ、木刀を振らせた。


* * *
0144『渡し船』
垢版 |
2011/05/19(木) 18:59:36.08ID:p3NcCexg

剣の稽古の真似事を始めて、数日が過ぎた。

新座は適当な木の枝を持つと、少女に言った。
「打ち込んでこい」

少女は木刀を持ったまま、きょとんとしていたが、
「来ないならこっちから行くぞ」
言うが早いか、新座はさっと少女の前に踏み込んで、その額を木の枝で痛打した。

「いったぁーーー!! 何すんだこのバカ!」
少女は喚いた。

「だったら打ち込んでこい」
彼は再び枝を構え、少女を睨む。

「この!」

少女は闇雲に木刀を振り上げ、新座に跳びかかる。
が、彼はさらりとそれを躱し、挙句口笛まで吹いてみせた。

「遅い。明日から雑巾がけだ」

木刀がちっとも命中しないことに徒労感を募らせ、肩で息をしている少女は、訳が分からない、という顔をしていた。


* * *


明け方の空気はひんやりとしていて、早くも冬の訪れを予感させた。
雨戸を開け、絞った雑巾を手にお堂の廊下を拭き回る。

大きな寺である。廊下は何十間にも及び、雑巾がけだけでも大変な距離だ。
もたもたしていると、僧たちのお勤めが始まってしまう。
それまでにすべての廊下を拭き終えることは、困難だった。


「こいつに雑巾がけをやらせますんで、いくらか恵んでくれねえですか」
新座の頼みに住職は困った顔をしたが、最後には首肯した。

そして、少女には毎朝明け六つまでに、すべての廊下を拭き終えるよう命じた。


夜鷹は賭場と同じく夜だけ商売をする。夜明けとともに店じまいである。
少女は、夜が明けるとそのまま寺に向かって掃除をした。

夜鷹の仕事は何もしていなかったが――何しろ客が来ないためにお呼びがかからない――、その後にさらに労働をするのである。
日が昇る頃にはすっかり疲れ果て、川べりでそのまま昼寝してしまうことが多かった。


* * *
0145『渡し船』
垢版 |
2011/05/19(木) 19:07:46.09ID:p3NcCexg

寺での掃除を始めてひと月程経った頃。
相変わらず仕事の無い少女は、毎夜、小屋の裏で木刀を素振りしていた。

新座は、それをじっと見ていたが、木刀を振り下ろす瞬間を見計らい、その剣先へ手を伸ばした。

パシッという音とともに、木刀が握りこまれ、捻られる。
「!」

新座の握力の前に、少女はあまりに無力だった。いとも容易く、手から木刀が毟り取られた。
「軽いな」

新座の言葉に少女は悔しそうな顔をし、空(から)になった手を握る。
さらに続けて、
「明日から、薪割りもやれ」
と言った。


新座は少女を伴って湯屋を訪ね、薪割りをやるから手間賃を寄越せと迫った。
「一家に睨まれたいなら、断わってもいいんだが?」

主人は嫌々ながら承諾した。
新座は少女に、
「しっかり働けよ」
と言いつけた。


昼下がりになると、湯屋へ向かう。
陽が傾き始めてから落ちるまでの間に、できるだけ多く薪を割るのが日課となった。

湯屋は朝から繁盛していて、釜にくべる薪はその日の昼過ぎにはあらかた無くなってしまう。だから、翌日に備えて
前日にできるだけ割っておく必要がある。
少女は、その仕事を引き受けさせられたのだった。

斧は少女には重く、薪にする樫や楢の木は固い。
だるい腕を振るって、少女は薪を割った。


もちろん、寺の雑巾がけも並行して続けている。
長屋に帰ってくると、昼寝をする。夕方起き出し、薪割り。それを終えてから、新座とともに小屋に向かう。
それが少女の日常となっていた。


* * *

0146『渡し船』
垢版 |
2011/05/19(木) 19:13:47.02ID:p3NcCexg

ある日、新座はまだ夕時の早い時分に一人で小屋に行った。
中に入ると、この時分には珍しく胴元が居た。

「どうだ、首尾は」
そう言って、手を出す。

その仕草に、新座は懐を探って
「この程度しか稼げなかった」
言いながら、少女が雑巾がけやら薪割りやらで稼いだ小銭を胴元に渡した。

「しけてんなぁ。もっと身なりのいいのを狙えって」
胴元は、未だに少女に掏摸をさせていると思っている。

「まだ未熟なもんでね」
新座は適当に流した。


新座は、少女に掏摸を教えることは無かった。
代わりに、瑣末な便利屋をさせて小金を稼いでいたのである。


* * *


新座は早生の蜜柑をひとつ手に持つと、木刀を素振りする少女を見つめる。
そして、剣の振られる先へそれを放った。
パン、と小気味よい音がして、蜜柑は真っ二つに割れた。

少女は目を丸くしている。
「今の感触を忘れるなよ」

そう言い、木の枝を持って少女の前に立つ。

「打ち込んでこい」

少女は構えをとり、さっと踏み込んだ。
以前とは比べものにならないくらい、素早さを増している。
男はそれを躱し、木刀を打ち払う。
しかし、二の太刀、三の太刀が男の喉元を脅かす。

「どうした、それで精一杯か!」
その声に、少女はきっと睨み返す。

踏み込んで、打ち込む。
再三の飛び込みに、ついに男の鳩尾が捉えられた。

「うぐっ!」
「! 大丈夫!? ごめん!」

よろめいた男に、少女は、木刀を捨てて駆け寄った。

新座は、
「馬鹿野郎! 立合いの時に剣を手放すんじゃねぇ!」
と怒鳴った。
その声にビクっとし、少女は戸惑った表情を見せた。

新座は起き上がって、木刀を拾うと少女に渡し、
「腕を磨けよ。こんな世の中だ、自分を護るのは自分の腕だ」
言ってから、わずかに咳き込んだ。
0148創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/05/19(木) 19:38:58.87ID:UK8fw/lJ
乙乙
0149創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/05/19(木) 20:38:51.68ID:GB9St1ux
0152『渡し船』 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2011/05/25(水) 00:24:28.02ID:a7G/242D
【夜明け】

折れた刀と、空になった矢筒。
こちらへ向かってくる騎馬。

覚悟を決めて走りだした矢先に、目の前が真っ暗になる――


…………


……


目が覚めると、寝汗をびっしょりとかいていた。

――新座主税は、あの時死んだんだ。

寝床の上に胡座をかき、呼吸を整える。
まだ心臓が早鐘を打っている。

――ここに居るのは……どうしようもなく卑怯な死にぞこないだな。

自嘲し、窓を見やる。
午下がりで、日がまだまだ高い。
いつもなら夜に備えてもう一寝入りするところだったが、どうにも寝付かれそうになかった。

新座は寝床から起き出した。
長屋から出ると、表の通りを箒で掃く少女の姿があった。
普段は夜に見ることが多いその髪色が、陽に照らされて金色に輝いている。

「なにしてんだ」
「箒がけ」
「……何のためだ」
「剣が上手くなると思って」


少女の身体には大き過ぎる竹箒だったが、手首を柔らかく使って上手く捌いている。
新座は複雑な気持ちで、少女を眺める。
0153『渡し船』
垢版 |
2011/05/25(水) 00:27:12.12ID:a7G/242D

――カネを稼ぐ方法は、もう分かっただろう。逃げる隙はいくらでもある。

しかし少女は、新座のもとを逃げ出すふうも無く、日々、雑用を黙々とこなしていた。
夜には木刀を素振りする。体さばきもかなり良くなってきていた。


「お前、名前は?」
なんとはなしに、尋ねる。
思えば、新座は少女に名前を聞いたことも聞かれたことも無かったのだ。

少女は首を横に振った。
「……わからない」
「何? じゃあ、住んでいたところとか」
またも首を振る。

新座は、ザンバラ頭をガシガシと掻いた。
「じゃあ、な。俺が適当に付けてやる。名前が無いと、なにかと不便だからな」

少女は頷いた。

「ええと……」
しかし、こういう時にすんなりと思いつかないのが世の常である。

ま、そのうちな……と濁して、新座は煙草を吸い付けた。


「そっちは?」

少女の言葉に、新座は首を傾げる。
「名前」

ああ、といって、しばし考えた後、
「俺の名前は……故郷に、置いてきた」
と言った。

少女は、よく分からない、という顔をする。そして、
「どこに?」
と問うた。

「……ずっと、西のほうだ。良いところだった」
「なんでこっちに来たの」

新座は煙をゆっくり吐き出す。

「さぁなあ。なんでこうなっちまったんだろうな。俺が、碌で無しだからかな」


* * *

0154『渡し船』
垢版 |
2011/05/25(水) 00:37:12.30ID:a7G/242D

「おい、唐変木。あの毛唐のガキはどこに行ったんだえ」

夜になり、いつも通り小屋の外で張り番をしていると、夜鷹が声をかけてきた。
少女は、これまたいつも通り小屋の裏手で木刀を素振りしている。

「何かあったか」
男は、諦めにも似た感情をもって、尋ねる。

「決まってるだろう、客だよ。まったく、おかしな趣味の野郎も居たもんだよ……」

「……客」

新座は、夜鷹の言葉を口の中で反芻し、しばしそこに立ち尽くしていた。

「なにをぼーっとつっ立ってんだえ。ほら、さっさと呼んで来な」

――あいつは船に連れて行かれ、そこで客の相手をする。まだ年端も行かない童だ、しかし仕方ないことかも知れん……

男は少女から預かった木刀を握りながら、頻りに自己嫌悪と戦っていた。

「俺は、どうしようもなく下衆な野郎だ」
夜空を仰いで、呟く。




「ほうら、これが件の娘でさ……」

夜鷹に促され、少女は、よく分からないまま船の中で“客”と面会した。

「ほう……いい具合に幼いではないか……娘、歳は」
客が尋ねる。

少女は怪訝そうに客を見つめ、黙っている。後ろから夜鷹が抓った。
「痛いっ! 何すんだ!」
「何すんだ、じゃないよ! お客さんが訊いてるだろう、答えるんだよ!」

少女が喚くのを夜鷹が引っ叩く。
「もう、やっちまっておくんなまし。さっき言ったとおり、この娘は特別だから四朱いただきますよ……」
夜鷹は少女を取り押さえ、客は少女を押し倒した。

0155『渡し船』
垢版 |
2011/05/25(水) 00:41:00.25ID:a7G/242D

夜鷹の船が、なにやら騒がしい。
と、
「ふざけるなっ!!」

少女の甲高い声。

男が船に走ると、着物を肌蹴た少女が走り出てきた。
続いて夜鷹。新座を見るやいなや、
「このガキを、〆めちまいな! とんだ疫病神だよ、このガキは、黙って股開くことも出来ないなんざ」
夜鷹が毒づいている間に、胴元がやって来た。

少女は、乱れた着物を押さえながら、焦燥に駆られた目で、辺りを見る。
わめき散らす夜鷹。不機嫌そうな胴元。
その子分の博徒たちが、少女を取り押さえる。そして――

「おい。このガキの始末は、てめぇがやれ」
胴元の子分が少女を、新座の前に突き出した。

新座は、ゆっくりと木刀に手をかける。

すると、横から刀が差し出された。
「そいつじゃ上手くないだろう……これはあのお客人からお借りしたものだ、鮮やかに始末をつけてくれ」

胴元は、にやにや笑いながら新座を見ている。

少女に目を移す。

暗紅色の瞳が、怯えていた。
今までに見たことのない表情だった。

新座は、受け取った刀の鯉口を切る。
少女の怯えた表情が一層険しくなった。
けれど、ひとことも声をあげない。
真っ蒼な顔で、男を見つめている。

刀を抜いた。
そして少女に向かって振り上げ――
0156『渡し船』
垢版 |
2011/05/25(水) 00:52:17.04ID:a7G/242D

振り下ろした剣の先は少女を逸れて、それを押さえている博徒の手首を落とした。

続いて、その喉元へ刃を向ける。
振り向きざま、唖然とする胴元の首を的確に斬る。

新座は、少女の目の前で遮二無二、刀を振るった。
命乞いする夜鷹も、容赦なく斬って捨てた。
血飛沫が辺りを汚していく。

そして少女の縄を切って、駈け出した。


* * *


どこをどう走ったのか分からない。
少女は必死に、新座の背中を見て走り続けた。
気がつくと、町中に居た。

新座は質屋の勝手口を押し破り、土足のまま中へ入る。
寝ていた店主を引き起こし、喉元へ刀の鋒(きっさき)を突きつけて、言った。
「俺の刀を返せ」

店主は目を白黒させて震えている。
腹や尻を蹴飛ばされ、埃塗れになりながら、奥の棚から脇差を一本出してきた。

「おい……、ふざけんなよ」
胸ぐらを掴むと、

「い、一本は、大刀の方は、売れちまったんだ、嘘じゃねぇ!」
店主は首を激しく振りながら言った。

ちっ、と舌打ちをして、その脇差をふんだくる。
それを少女に押し付ると、片手で店主の首根っこを押さえつつ、刀を振り上げた。

一瞬、手が止まった。
そして、その峰で店主を殴打した。

気を失って崩れ落ちる。

二人は質屋を飛び出し、夜明けの街をさらに疾った。
0158『渡し船』 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2011/06/02(木) 15:25:07.34ID:PC+afzin

【生まれ変わり】

夜が明け、全体に白んでいる空。運河を一隻の渡し船が滑るように下っていく。
船上には、船頭が一人。そして、その足元に童がひとり座っている。

童の頭は、目にも鮮やかな黄色の髪。短く、乱雑に切られた毛先が耳のあたりで揺れている。

懐から一片の紙切れを取り出した。
折り畳まれたそれを広げると、筆で文字が書いてある。


* * *
0159『渡し船』
垢版 |
2011/06/02(木) 15:27:28.76ID:PC+afzin

街中に、怒号が響き渡る。
「ちっ……やっぱり殺しておくんだったな」

新座が身を寄せていた一家は、この地方では有力な博徒衆である。
おそらく、あの質屋がすぐに一家に報せて、追っ手がかかったのだろうと想像がついた。
胴元を殺して逃げるなどすれば、早晩捕まって殺されてしまう。


三叉路に来たところで、新座は立ち止まった。
「よく聞け。このさき、どっちの道を行っても運河に突き当たる。河岸には下流の宿場まで渡してくれる舟がいるから、それに乗る」

新座は、懐から紙の包みを取り出すと、
「これを持っておけ」
と言って少女に渡した。
五角形にきっちりと折られたそれを受け取って、少女は怪訝な顔をする。見た目に反して、ずっしりと重い。

「その中に、渡し賃として六文入ってる。俺とお前、別々に乗って、宿場で合流する」
「別々?」
「追っ手を巻くためにな」
「でも、」
少女は不安な顔をする。

新座は、少女の腰の脇差を指差して、
「剣を教えただろう。その脇差も貸しといてやる。それから、いいか」
と言ってしゃがみ、目線を合わせた。

「お前が、敵だと思った相手は、容赦なく斬れ」

新座の両手は、少女の両肩に掛けられている。

「情けをかけるな。かけたら……このザマだ」
新座は、ちらりと目を辺りに向けた。
怒号は四方から聞こえてきている。

「そのかわり、お前が誰かに斬られる時も……恨みっこなしだ。そういう覚悟で、生きていけ」

新座は手を離して立ち上がった。
少女はまだ不安な表情で新座を見つめている。

「まだガキのお前には、酷なことかも知れんが……下衆な野郎の慰みものになるよりは、マシだろう?」
そう言って、少女の頭を乱暴に撫でた。
「その脇差なら、チビのお前でも十分扱えるはずだ。――さあ、行け! 川岸まで突っ走れ!」
少女の背中を叩いてそう言うと、新座は一方の道へ向かった。

反射的に、もう他方の路地へ走りだした。


* * *
0160『渡し船』
垢版 |
2011/06/02(木) 15:30:16.82ID:PC+afzin

少女は、船頭をつついて言った。
「これ、なんて読む字?」


紙包みを開くと、小判が一枚入っていた。
船頭は面食らって、そんなに貰ったら釣銭が払えない、子供ならロハで十分、と言ったのだった。


その包んでいた紙を開くと、中心に字が書いてあった。目立たぬよう、小振りな文字である。

船頭は目を細めてそれを見、
「『さい』って字だなぁ、そりゃ。『色彩』とかの『彩』だ」
「さい……」

少女はしげしげと字を眺めた。その下にももう一つ、別の字がおおいにくずした一筆で書かれていた。
「これは?」
「んん……『か』かな? 『華麗』とか『豪華』とか言うときの『華』っていう字だな」
「か……」

少女はそれを反芻し、繰り返した。

「さい、か……さいか……」

0161『渡し船』
垢版 |
2011/06/02(木) 15:32:19.59ID:PC+afzin

舟が橋に差し掛かった。
少女は、ふと舟の上から橋を見上げた。

橋の上に人が立っていて、この舟を見つめている。

「あ!」

新座だった。

「ちょっ……おぉい!」
少女は戸惑って叫ぶが、男は橋の上から手を振るばかりである。

「ちょっと、止めて!」
「無理だ、この辺りは深いし急で、渡しが下ろせない場所なんだ!」

舟が橋の下を通過した。
男は欄干から身を乗り出し、少女に向かって手を振っている。

「……名前!」
少女が叫ぶ。

男は無言で、少女の手元を指差した。
その手には、小判を包んでいた紙が握られている。

「そうじゃなくて! ……!」

それが聞こえたのかどうか、分からない。
笑っていたかも知れない。少女は男を指差すが、彼はひらひらと手を振るのみだった。

舟はみるみる橋から遠ざかる。
少女はさらに叫ぶが、男の姿はもうずいぶん小さくなってしまっている。


* * *
0162『渡し船』
垢版 |
2011/06/02(木) 15:36:16.16ID:PC+afzin
「ちっ……これまでか」

橋の両脇から、次々に松明の照らす明かりが見える。

彼は、自分の身がもはや助からないであろうことを知っていた。
もしかしたら、それを望んでいるのかも知れなかった。
橋の欄干に凭れ、彼は川の両岸を見やる。

――せめて、何かやらなければ。
そんな心の声が、聞こえた気がした。


眼を閉じる。
夜更けから降りだした時雨が視界を覆い、白く煙って見える。
新座主税にとっての、生涯最期となるはずだった、戦の光景である。


嬲り倒した博打客のことを、思い出す。
武士の誇りなど、とうの昔に吹き飛んでいる。
この世の中は、綺麗事だけでは生きていけない。
下衆な真似をしてでもカネを得なければならない状況は、確かに存在するのだ。

しかし、と彼は思う。
――俺は、それを望んでいたか……?
  ひとを踏みつけにするのでなく、誇り高く生き、誇り高く死んでゆく。
  それこそ、侍の本分ではなかったか。


彼は、残した一人息子のことを思う。
別れを切り出した妻のことを思う。
送金が止まってしまうことを、思う。
そして……ほんの気まぐれで剣を教えた、浮浪児の少女のことを思うのだった。


眼を開く。
――俺は、あいつに……「武士としての自分」の生まれ変わりを、見たのかも知れない。


「居たぞ!」
松明を掲げた博徒が、声を上げる。
橋の両岸、すでに囲まれている。

――彩華、お前は自分の生を、全うしてくれ。

抜刀する。
鞘を、欄干の向こうへ放り投げた。

――勝手な話だよなぁ。ま、悪く思うなよ。

「へっ」
薄く笑い、刀を構える。

「願わくば……せめて一矢報いて、死んでやる」

博徒共が、一斉にこちらへ向かってくる。

新座は刀を振り上げ、怒号をあげた。


* * *
0163『渡し船』
垢版 |
2011/06/02(木) 15:39:27.67ID:PC+afzin

「連れ、だったのかい? ……あの橋のところに居た奴ぁ」

対岸の宿場に着けられ、渡し船を降りる。その間際、船頭が声を掛けたのだ。

俯いた少女の肩を、船頭は、元気づけるように叩いた。

桟橋の途中で、足を止める。
「六文あれば、ここまで渡ってこられる?」

船頭は、怪訝な顔をした。
「お客さん勘弁してくれ、縁起でもねぇ」
「?」

「知らねぇのかい。『六文銭』ってのは、あの世に逝く時の、三途の川を渡るときの渡し賃だ。
だから、死んだ野郎には六文だけ持たせるんだ……あっちで困らねぇようにな」

少女は呆然とした。

――はじめから、その心算だったんだ。


* * *
0164『渡し船』
垢版 |
2011/06/02(木) 15:42:55.28ID:PC+afzin

「もし、旅の人。もうすぐ着きますぜ」

船底に身を横たえていた人物が、身体を起こす。
三日続いた嵐が去り、空はすっきりと晴れ渡っている。

「しかしあんた、よう寝られるね。真昼間に、しかもこんな荒れた海だってのに」
老人の声に、笠を脱ぐ。
湾はまだ波が高い。渡し船の動きに合わせて、鮮やかな黄色の髪が揺れた。

「昼寝は得意だから」
羽織を丸めて脇に抱え、船の舳先を見つめる。



少女の名を、『彩華(さいか)』という。

西の方へ、当て所のない旅を続けている。

渡し船の行く手に、蒼く烟る陸地が近づいてきていた。







0165 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2011/06/02(木) 15:56:51.52ID:PC+afzin
以上でこのお話は終了で御座います。

今作品は、三題噺その2
http://www26.atwiki.jp/sousaku-mite/pages/197.html
レス番420:夜明け、船、侍
レス番485:時雨、戦国、生まれ変わり

過去に自分が投下した拙作2本を底にして書きました(当時トリップ無し)


お読みくださった方々、お付き合いいただきありがとうございました!
0166創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/06/02(木) 23:44:11.41ID:bTap+ohu
投下乙!
0167創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/06/03(金) 23:07:50.76ID:PDFjBKS9
乙でした

彩華のなかなかハードな昔話、拝読しました
新座の願った以上に強かに彩華ちゃん生きてるなぁ
0168創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/06/03(金) 23:32:48.89ID:OFLVm/dO
暇なとき、読んでくれたらうれしいな。
群馬の豪族だった先祖の口伝に、ちょっとフィクションを加えたもの。
飽きちゃって、途中だけど・・

「幕末外伝・龍鵬虎譚」
http://haramo.net/talk/zakki/lyu.html
0169創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/06/04(土) 03:22:35.87ID:poPKfcII
>>165
乙!
はじめ時間軸で混乱したけど面白かったよ
三題噺のはまだ見てないけどキーワードがしっかり消化されてるし。

彩華の活躍これからも期待してます
0172創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/08/15(月) 22:23:22.37ID:WQliReHs
乙!
0173創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/08/22(月) 09:45:22.34ID:TEzqA+nL
保守
0174創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/08/23(火) 19:20:48.94ID:djq1Bp1G
>>165
昨日はじめてこのスレに来て三作とも全部読んだよ。読みやすいし面白かった!
新作も期待してます!
0175創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/08/28(日) 01:05:43.53ID:Hwoy/SSk
GJ
0176創る名無しに見る名無し
垢版 |
2011/09/21(水) 03:12:29.81ID:8rAjUss7
保守
0177 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2011/10/07(金) 23:58:26.00ID:JNpjwtJX
お久しぶりでございます。

>>169
時間軸、そうですよねw 
描写の時系列を入れ替えまくった話を、とやってみたのですが
それが何かプラス効果を生んだかというと……疑問。
ただ読みづらくしただけだったかもです。反省 orz

ちゃんと中身を読んでいただいてるなあ、と実感するコメントをいただき、
とっても光栄です。もっともっと精進いたします(`・ω・´)

では、第4弾を投下いたします
0178『鏡鬼』 ◆BY8IRunOLE
垢版 |
2011/10/08(土) 00:01:08.78ID:C8PH18BA
【鞘絵師(前篇)】

ひっそりと寝静まった、夜更けである。
一軒の勝手口から、若い女が出てきた。
人目を憚るように、辺りを窺う。そっと、音を立てぬように戸を閉める。

女は、神社に向かった。鳥居をくぐり、真っ暗な境内をおそるおそる歩く。

「……○○さん?」
怯えるように、潜めた声で呟く。
誰かの名前を呼んだようだ。はっきりとは聞き取れない。

「居るのでしょう? 早くお姿を現して……」
慎重に、歩を進める。

だが――

それっきり、女の声は途絶えた。
その姿もまた、闇に溶けるように消えてしまった。


@ @ @
0179『鏡鬼』
垢版 |
2011/10/08(土) 00:05:05.25ID:C8PH18BA

ひんやりとした風が、足元を吹き抜ける。
山の向こうに、今まさに陽が落ちようとしている。

秋の日は、『釣瓶落し』と言われるが、その通りだと思う。
先刻まで、澄んだ空に茜色が美しく映えていたのに、あっという間に宵の気配が辺りに満ちた。

細い路地は、家屋の陰になっているため、なおのこと暗い。
そこを歩く、小柄な人影がひとつ。
雪駄の上には、朽葉色の馬乗袴。腰には脇差を一本、差している。

「っくしゅん!」
くしゃみをし、鼻を啜って、青鈍(あおにび)の半着の、肩を震わせる。
男物の着物を着た小柄な人影は、あどけない顔だちの少女であった。

歳は、十一か十二くらいであろう。
結わずに、おかっぱの出来損ないのような髪は、鮮やかな黄色である。
項をかすかに隠すくらいの毛先が、切り揃えたふうもなく乱れている。

辻に出た所で、残照が少女の髪を照らした。
それは、稲穂が黄金のごとく輝くのに似ていた。

奇妙な形(なり)である。
しかし何故か、見苦しさは無かった。


少女の名は、彩華(さいか)という。
一人旅を続けている孤児である。
今夜の宿を求め、町の裏路地を歩いている。


「納屋の片隅でも借りられればなぁ」
呟き、路地に並ぶ家並みを眺めながら歩く。
ぐぅ、と腹が鳴った。

思えば、昨日からなにも食べていないのだ。
そんな折に、味噌汁の香ばしい香りが漂ってきたものだから、
宿よりも、食事をどうするかに頭を巡らせ始めた。

香りのもとは、向こうに見える居酒屋である。
彩華は、足を早めた。

と、そこへ、雪駄の先に、コツンと何かが当たった。
0180『鏡鬼』
垢版 |
2011/10/08(土) 00:10:06.58ID:C8PH18BA

「?」

銀色に輝く円筒形のものが目に入る。
拾い上げると、大きさや重さは万華鏡のそれによく似ていた。

「あっ……!」
彩華よりも更に幼い、男の子の声がした。
路地の陰から出てきたようだ。

「あのっ、か、返して! それ!」
男児は、慌てた様子で言った。

「……?」
彩華は怪訝に思いながら、円筒を男児に放り投げた。
男児はそれを引っ掴むと、一目散に駆けていってしまった。

「お礼も言わない。ったく」
少しむっとしたが、すぐに歩き出した。
彼女の目下の問題は、今晩の食事である。


@ @ @


居酒屋の暖簾をくぐる。

「いらっしゃ……い!?」

店の女将は、彩華の髪を見てぎょっとしたようだった。

が、紐に通した銅貨を見せ、
「これで食べられるものが欲しい」
と言うと、合点が行った様子で、席につかせた。それからは何も聞かず、料理を出してくれた。


目の前にあるのは、鯖の切り身を味噌で煮たものだ。箸で身をほぐし、口に運ぶ。
鯖の旨みが味噌で引き立つ。玄米飯を頬張る。温かな香気が、鼻へ抜ける。
まともな食事は、数日ぶりだ。
彩華は、無心になって箸を動かした。
0181『鏡鬼』
垢版 |
2011/10/08(土) 00:14:16.16ID:C8PH18BA

「あの若い絵師さん、最近来いひんね」
空になった銚子を運びながら、居酒屋の女将が呟いた。

彩華の席は隅のほうで、店の中央では常連客らしき連中が酒を飲んでいる。

「流石に、食い詰めてもうたんやないやろか」
厨の奥で旦那が、憐れみを含ませて答える。

「訳わからん模様の絵ばっかし描いとった、ゆう話やから。そんな絵、誰も買わんやに」
「へえ、絵を見たん?」
「ちらっとな。なんや、引き攣れたような線が、紙いっぱいに丸くのたくってて。
何が描いてあるかさっぱり分からん。ありゃ、気が触れてるのかも知らん」
旦那は声をひそめて言ったが、彩華の耳はそれを捉えていた。



勘定を済ませると、女将が彩華を眺めて言った。

「坊や、そんな時分から傾奇者の真似なんてしとると、ろくな大人になれへんよ」
「……気をつけるよ」
「早う、お母ちゃんとこに帰り」
そんな声を背中で聞きながら、店を出た。



辺りはもう、ほとんど夜暗に沈んでいた。民家の格子から漏れる灯りが、僅かに道を照らしている。
四間ほど歩いた所で、神社の鳥居が目に入った。

と、そこで足を止める。
鳥居の向こうに、人の影を見たのだ。


先刻の男児のようだ。

「こんな時分にあの子、何を?」
彩華は暗紅色の瞳を見開いて、闇を凝視する。
遠目は利くが、いかんせん暗すぎる。

そうするうち、人影がさっと視界から消えた。

怪訝に思って、鳥居をくぐろうとする。

しかし、そこで足を止めた。
何がどうとは言い表せないが、なんとなく、気が進まない。
この鳥居の向こう側へ行くことを、何かが躊躇わせた。

――なんだろう、この感じ……?

境内の中は、周りに鬱蒼と茂る杜のせいで、ほとんど漆黒の闇である。
しばし逡巡した後、

――知ったことじゃない。

彩華は男児を探すことを諦め、自らの今夜の寝床を探すことに意識を向けた。


@ @ @
0182『鏡鬼』
垢版 |
2011/10/08(土) 00:21:00.80ID:C8PH18BA

「また、居らんようなったんやって」

朝の勤めを行う同僚の巫女たちが噂している。
綾(あや)は、仕事をしながらそれを横でそれとなく聞いていた。


織部 綾は、この神社でもっとも経歴の浅い巫女である。
歳は十六になったばかり。一番年少で、背も小さい。
緋色の行灯袴は、直しをしてもまだ大きいが、この頃ようやく身体にしっくり馴染んできた。

「綾さん、倉の掃除、しといてくれやん?」
「あ、はーい」
年長の巫女に頼まれ、綾は箒と手桶、雑巾など一式を持って境内の外れに建っている倉に向かった。


社務所にある諸々の道具を集め、倉へ、一旦収めることとなった。
それに先立って、綾は倉の掃除を言いつけられていたのだ。

綾の姿が見えなくなるのを待っていたように、一人の巫女が声をひそめて言った。

「な、あの子、親おらへんのやろ。みんな暇もらうやん、帰るところあるんやろか」
心配しているような口ぶりだが、表情は楽しそうだ。

「お城勤めしとった爺さまがおる、いうの聞いたことあるけど」
もう一人の巫女が、興味なさそうに答えた。

「家、どこなん?」
「この神社の裏あたりやって」

そこへ、さきの年嵩の巫女が諌めた。
「あんたら、人のことはええやん。ちゃっちゃと仕事せやな!」

彼女らが不満気に持ち場へ散るのを見送り、ため息をついた。


秋分を十日ばかり過ぎた。もうすっかり秋である。
いつもならばこの季節は、すっきりと抜けるような青空とともに冷え込んでくるのだが、
今年はまだ暖かな日が続いている。今朝も、朝から晴れ間とともに暖かな空気が境内に満ちていた。


「一人で掃除させに寄越すなんて。うちが神隠しに遭うたら姉さんたち、どうすんのやんかう?」
箒を担いでぶつぶつ言いながら、倉の扉を開ける。

普段は殆ど使っていないので、埃っぽい空気が喉に貼り付くようだ。

朝の光が差し込んで、埃に反射してきらきら光っている。

その輝きの中に、人の姿があった。
0183『鏡鬼』
垢版 |
2011/10/08(土) 00:24:35.58ID:C8PH18BA

「……!!」
綾は驚いた。

倉の隅っこで筵に包まって、片腕を枕にして寝ているのは、あどけない顔の童だった。

その髪は黄金色に輝いている。

――綺麗な髪やんな……

眺めているうちに、綾は、その童の髪色に魅入られていた。

側にしゃがみ込み、思わず手を伸ばす。
額にかかる髪をそっと撫でた瞬間、その童が、目を開けた。

「! だ、誰だっ!?」
不意を突かれた童は、すかさず飛び起きて、脇差に手を掛けた。

「あっ、か、堪忍な」
綾は慌てて手を引っ込める。
「別に、あんたをどうこうしようってんやあらへん」
身を退いて弁解する。

不意に、童が脇差を抜いた。
すかさず、綾に向けて鋒(きっさき)が突き立てられる。

息つく間もない、一瞬の出来事である。

綾の顔のすぐ横、柱に蝮(まむし)が、頭を貫かれている。

脇差を抜くと、足元にぼとりと落ちた。

「ひっ!」
蛇は何度か見ているが、蝮は初めてだ。

童はそれを手で掴んで、倉の外に捨てた。

「寝てる間にそいつに噛まれていたら、毒で命が危なかったかも知れないね」
童はそう言って、綾が持ってきた手桶の水で手を洗った。
「ありがとう」
童は抜き身を納め礼を言ったが、綾は、まだ呆けている。
0184『鏡鬼』
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2011/10/08(土) 00:30:56.64ID:C8PH18BA
「……寝床を、借りただけだよ。駄目なら別のところを探す」

綾はようやく振り向いて、童を見た。

声の高さや顔だちから、少女だと分かる。多分、綾よりも幼いだろう。
脇差を扱う腕は、かなり手馴れた感じだった。それが、あどけない顔に不釣り合いだと感じた。

「……駄目かな?」
背丈の都合上、上目遣いで綾を見つめる。
澄んだ深い紅色の瞳。それもまた、綾の心を捉えた。

綾は、少女の瞳と腰の脇差を交互に眺め、ようやく口を開いた。
「こんなとこで寝とったら、風邪ひいてまうやん。それに……神隠しの話、知っとう?」

少女は首を横に振る。
綾は、事の顛末を掻い摘んで話した。


@ @ @


数日前のことである。
綾が仕えているこの神社の近くで、若い女や幼い子供などが、相次いで行方不明になった。

はじめに居なくなったのは、若い浮世絵師だった。
物静かな青年だったが、絵はさっぱり売れず、苦しんでいたようだった――
とは、巫女の間での専らの噂である。

酒好きなようで、毎日近所の居酒屋に顔を出していたが、ある日ぱったりと来なくなった。
店の主人は、さすがにツケが溜まって来づらくなったのだろうと思っていたが、
どうやら絵師は、町から忽然と姿を消してしまったのである。

夜逃げしたとも考えられたが、彼の住まいであった長屋の一室には、商売道具である絵筆や半紙が
残されていて、しかも作業中のような様子を呈していたという。

「急須に残っていたお茶が、まだ温かかったんやって」
という、誰かが持ってきた眉唾ものの噂まであった。


二人目は、水茶屋の娘だった。
十九になるその娘は、愛嬌があって気立ても良く、店の看板娘として人気があった。
常連客の一人と近々縁談の話もあったという。
この件は、女が相手の知らぬうちに失踪したとあって、巫女たちは別に好きな男が居ただのなんだのと、
とりわけ話題に上っていた。


そして三人目。
それは指物師の息子である。まだ四つかそこらだったということだ。
利発な子で礼儀も正しく、近所で可愛がられていた。

そんな子であったから攫われたのかも知れない――
巫女たちは、このことに憤り半分、興味半分で噂しあった。
0185『鏡鬼』
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2011/10/08(土) 00:34:39.70ID:C8PH18BA

三つの事件には、共通点がある。
いずれも神社へ向かうところを見られているか、そのようなことを周囲に話していたそうだ。
そして、境内の一角から茶屋の娘の簪、別の一角から子どもの草鞋が見つかっている。


“神隠し”が続いている。
これには何者かの良からぬ企みが潜んでいると見て、宮司は神社に縄を廻し、人の立ち入りを禁じた。
そして巫女たちにも暇を出した。安全のために、一旦実家に戻させることにしたのだ。

「……と、いうわけや。あんたも誰かに探されとるかも知れんよ」

少女は黙っている。

――この子、もしかして家が無いんかな?

頭で考えるよりも先に、言葉が出た。
「うちもそれで暇もろうてん。もし寝床がいんねんなら、一緒にうちに来ん?」

少女は目を円くして綾を見た。

「うちは爺ちゃんと二人暮らしやに。なんや物騒やし、あんたは剣の腕がありそうやし……
うちらと一緒にいてたら安心なんやけど」

綾は、実家に戻ることに些か不安を抱いていた。

両親を早くに亡くし、家族は祖父だけだ。
その祖父も、ひと月前に藩主に呼ばれて城へ行ったきり、しばらく帰って来ていない。

彼女にとっては、この不思議な少女の存在は、とても心強く思えたのだった。



「うちは『織部 綾』いうんやけど、あんた、名前は?」
「彩華」
「『さいか』……変わった名前やんね。どこの生まれやろか?」
「……」

彩華は、困った顔をして首を傾げるばかりである。
綾は、それ以上は聞かずに彩華の背をぽんと叩き、一緒に来るよう促した。


かような経緯で、綾は用心棒、彩華は宿と食事を、それぞれ手に入れたのだった。
0186 ◆BY8IRunOLE
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2011/10/08(土) 00:36:31.54ID:C8PH18BA

とりあえずここまでです
先が十分練れていないので、投下間隔が開いてしまうかも知れません
すみませぬ……
0188創る名無しに見る名無し
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2011/10/08(土) 13:34:01.93ID:PVBTAVJu
まってましたー乙!
マイペースで頑張ってください
0190『鏡鬼』 ◆BY8IRunOLE
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2011/10/20(木) 23:15:20.80ID:O845+KBW
【盲の算法家(前篇)】

大きな神社である。
広大な敷地の中に、いくつもの社、札宮がある。
その境内を、一人の老人が杖を持って歩いている。

老人の杖は、地に突かれることはない。足元の少し先を、払うように動く。
しっかりとした足取りで境内を歩き、御堂の前まで来るとぴたっと足を止めた。

「五十八歩か。……ふむ」
老人は呟くと、懐から算盤を取り出した。

顔はまっすぐ正面に向けられたままだ。
瞳が白く濁っている。

ぱちぱちと算盤を弾く。
やがて、老人は口角を曲げ
「まあ、確かめんことには……なんとも言えんのう」

そう言ってニヤリと笑った。


@ @ @
0191『鏡鬼』
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2011/10/20(木) 23:20:32.17ID:O845+KBW

織部甚五郎は、屋敷の一室に座って待っていた。
そこへ裃を着た中年の侍がやって来る。

「織部どの」

声を掛けられ、老人は幾分顔を上げた。
しかし、首は声の主の方に向けられることはない。じっと、声の続きを待っている。

「出納帳は、良い出来だ、と上様が褒めておりました」
侍が告げる。

老人は、じっと銅像のように固まってそれを聞いていた。

「これにて貴殿の仕事は相成ったことになりまする。主君に代わり、今一度御礼を申し上げます。
それから、拙者に算法の手解きを頂けたこと、誠に感謝致します。本当に、お世話に成り申した」

侍は、老人の正面に座って深々と礼をする。

「それはようございました」
侍は顔を上げ、老人を見た。そして、

「故郷(くに)へ戻られますれば、籠を用意致しますゆえ」
というものの、老人はそれには応えず、ゆるゆると立ち上がる。

何かを考えているふうである。

「……如何され申したか?」
侍は訝しがって尋ねた。


甚五郎は、堪え切れない、というふうに噴き出し、次いで大笑いした。
「相変わらず、きさんの丁寧言葉はいちびっとって、まったくかなわんのう」

中年の侍は、心外だ、という顔をする。
「わしだって一応、奉行の立場じゃ。ご隠居と言えど、『親しき仲にも……』」

老人は、抗議する侍を笑いながら制し、
「もうええもうええ、それよりもう下がる時分じゃろう、どこかで酒でも奢りい」
と言った。


@ @ @

0192『鏡鬼』
垢版 |
2011/10/20(木) 23:24:24.76ID:O845+KBW

藩が神社の普請を決めたのは、十日ほど前になる。

現在の勘定奉行――甚五郎より年下の、言うなれば元部下なのだが――が、言いにくそうに切り出した。

「そんなに傷みもあらへんし、建て直すことになったら、かなりの出費になるんやわが……」
甚五郎の盃に酒を注ぐ。勘定奉行は弱り切っていた。

「何故そんなこと、せなならへんのじゃ」
解せん、という面持ちで、盃を口へ運ぶ。

「聞いてへんやろか? 近頃、神隠しが多いいう……」
「それと関係あるかえ」
「どの事件も、あの神社が絡んどる。これは、神社に何者か魔が棲んどるに相違ない、ゆうて、
全部建て直すいう話やで」

勘定奉行は盃をひょいと乾すと、顔をしかめた。


甚五郎も、もとは勘定奉行であった。

若くして視力を失った彼が、その後も勘定方として勤め続けられたのは、
強靭な精神力で盲目の不便を克服したこともあるが、何よりも算法(和算)に長けており、
またそれを人に教えるのも上手かったからに他ならない。
職を退き隠居した後も、度々城に出向いては後進に和算の手解きをしていた。

勘定方は、田畑の面積および作付から刈入れまでの期間、それから取れる作物の量を算出して年貢を決める。
従って、測量や積算は仕事を行う上で必要だったのだが、甚五郎の場合、実務で求められる以上の
数式や定理を証明して見せ、周りの人間を驚かせた。


「測量は、済んどるんか?」
「や、まだじゃ。今の時季は石高を計算せにゃならんし。はあ、この忙(せわ)しい時に」
「ほんなら神社の方は、儂がやったるわ」
「いや、ご隠居にそこまでされられへんよ」
「ちょいと調べたいこともあるやに」

甚五郎はそう言って、濁った瞳で宙を眺めた。

@ @ @
0193『鏡鬼』
垢版 |
2011/10/20(木) 23:27:04.53ID:O845+KBW

境内をうろつく、小柄な人影。
玉砂利を踏む草履が、さく、さく、と音を立てる。

「歩きにくい……。それに苦しい。帯、きつく締め過ぎたな」
歩きながら頻りに胸のあたりの帯を触っている。

彩華は、綾に貸してもらった(半ば強引に押し付けられた)女物の、水柿の小袖を着ている。
柔らかな色合いは、薄暗い境内の中で一際明るい彩りを見せていた。

彩華の鮮やかな黄色の髪は、ひっつめられて、つむじの辺りで結んである。
髪に十分な長さがないため、筆の穂先が頭の天辺に乗っているような、奇妙なかたちだ。
結びに漏れた後れ毛が、項に数本かかって、風に揺れている。

「案外、広いんだ……」
彩華は境内をあらためて見回し、呟いた。
辺りに目を廻らせると、気の早い紅葉などは、もうすっかり鮮やかに色づいている。

彩華は、綾の代わりにここに来ているのだ。
神社を下がるときに回収し忘れた絵馬を、取ってくる役目である。

境内に人影は一切見当たらない。神主や巫女の姿も無い。
理由は明白である、神社の周りには縄を廻らして人払いをしてあるのだ。
『神事の期間につき何人も立入無用』の立て札まで立ててある。

しかし――。

「これ、娘。参道の真ん中を歩くでない」

「!?」
びくっ、と肩をすくめ、彩華は辺りを見回す。

――たしかに今、どこからか、爺さんの声がした。
  人影は無かった筈なのに。

脇差は腰に差さず、左手に持っている。
じっとして、右手を柄にかけようとした。

「阿呆! お宮の中で抜くやつがあるか」

大きな紅葉の木の下である。
まるでそこから湧いたように、老人が姿を現した。
0194『鏡鬼』
垢版 |
2011/10/20(木) 23:29:45.09ID:O845+KBW

杖を手にしているが、歩みはしっかりとしている。
老人は、樹の洞に響くような声で、彩華に話しかける。
「手を戻やんな」

言われ、右手をゆっくり柄から遠ざけた。
しかし油断無く老人を見つめている。

「うとい娘じゃの。左手も離さんかい」
「……」
鍔にかけていた左手の親指の、力を緩める。

「真ん中は神さんの通り道じゃ。儂らは端を歩かなあかへん」

彩華は参道の端の方へ立ち位置をずらしつつ、老人の目を見て、はっとした。
白濁した瞳は、さっき彼女が居た辺りを見つめている。

「なにをしよったんじゃ」
尋ねられ、しばし躊躇った後、答えた。
「絵馬を取ってくるよう頼まれた」

老人は微妙に焦点の合わない視線を巡らせ、
「誰にじゃ」
と続けた。

「『綾』っていう巫女だ」
老人はそれを聞くと、眉を片方だけひょい、と上げた。

「ふむ……何故、そんなことを」
「よく知らない。巫女はしばらく境内に入れない、ようなことを言っていたけれど」

老人は考えるような素振りを見せ、
「ふん、なるほどな。もうすぐ日が暮れるで、あんたも早う帰ったほうがええ。掛け所ならこの突き当たりじゃ」
そういって、参道の続く先を杖で指し示した。

そのままじっとしている。彩華は、老人に背を向けて札宮へ向かった。


@ @ @

0195『鏡鬼』
垢版 |
2011/10/20(木) 23:34:54.18ID:O845+KBW

綾が夕餉の支度をしている所へ、彩華が戻ってきた。

「あ、お帰りー。大丈夫やった?」
綾は手を止め、手を拭いながら迎える。

「ひとつしか無かった」
彩華は絵馬を差し出した。

「お、ありがとー! 助かったわ。奉納せんとね」
綾は絵馬を受け取って、奥の部屋の棚にひとまず仕舞った。


「帯、苦しかった」
彩華は不満気に言った。

「あんた、細っこいからに。ぎゅーっとしとかんと、肌蹴てまうがな」
綾はけらけら笑いながら、出汁の具合を見た。

「頭も変な具合だし」
結んだ“穂先”を手で触る。

「だから、うしろで結ぼか、言ったやん」
「うしろだと、昼寝するときゴツゴツして嫌だ」

彩華はむずがるように頭や帯を触っては文句を言っている。
そんな姿を笑いながら、綾は夕餉の支度を進めた。
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