おばあちゃんとの記憶を、思い出しながら書いてみました。
宜しかったら読んで下さい。

「おばあちゃんの目覚し時計」

記憶にある僕のおばあちゃんは、普段着が着物で、黒とシルバーのほどよく混ざった髪を器用にシニオンにまとめ、黄と黒と茶のマーブルな模様のヘアアクセを付けていた。
その当時、着物を普段着にしているおばあちゃんは多くなかったと思う。
僕とおばあちゃんが接する時間は、朝起こしにきてくれた時と、学校から帰宅して親が帰宅するまでと、時々親が出かけた時だった。
確か、おばあちゃんは毎朝欠かさずに起こしにきてくれていたと思う。
その中でも冬の時期が、思い出深く思えた。
冬の朝のまだ暖房がきかない中、「詩音、起きて」と、額に室温と同じ温度のミカンを乗せて目を覚ましに来てくれた。
今思うと、おばあちゃんの褒美付きの目覚ましの発想はユニークで斬新にさえも思え、忘れられない記憶になっている。
そして今になって思うと、ミカンは決して毎回食べるわけでもなかったけれど、そのオレンジが目にも彩かで、気持ちよく目覚められたのかもしれなくて、その程よい温度が僕の目を覚ますのに打って付けのものだったように思えるのだ。
そして後にも先にも、このおばあちゃんの新奇な起こし方には遭遇した事がない。
何故なら僕を起こしに来る母は、おばあちゃんの娘であるにも関わらず、中々起きてこない僕にガミガミした大きな声で起こし、おばあちゃんのおの字もないからだ。
そう思うと僕にとって、あの地獄のような思いで起きようとする中でのおばあちゃんの起こし方は、僕を思うがゆえの神業の目覚しだったのだろうと今思う。
そして僕は今、おばあちゃんのユニークさを受け継いでるのかもしれないと思うと嬉しく思えるのだ。

おわり