【生活】ドケチの幸せ探し【趣味】
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どんな風に日々を楽しんだり、どんな時に幸せを感じているか、ドケチの生活・趣味を語りましょう。
幸せの感じ方は人によって違います。
そして案外近くにあるものです。
【お願い】
正しいドケチというのはありませんし、何がドケチかは人それぞれです。
ドケチの基準も人それぞれです。
それぞれの価値観・感性を尊重しましょう。
長文、短文、OK。 家庭菜園をやっていると同じ野菜が集中的に採れる
たくさん採れると、ぞんざいな扱いをしがちである
感謝が薄れがちである
けれどそれをしたくない
傷ませてしまったり、腐らせるなどしたくない
必要以上に持ち帰らないことだ
必要以上に持ち帰れば、ラップや袋、手間、管理コストも掛かる
そして家に持ち帰った野菜は、丁寧に丁重に扱いたい
うちに来てくれてありがとうと心の中で思う
白菜
ばっさりと縦半分に切り、一番内側の色の薄い柔らかい葉、これがうまい
とても甘く、瑞々しく、何もつけなくともうまい
こちら白菜の希少部位になります、という感じだ
この部分は生が一番いい 漬け込みウイスキーを仕込んだ
今回はみかんとレモンの漬け込みウイスキー
前回はキウイを使ったが、これもうまかった
人間がするのは、基本的にはウイスキーに砂糖、果物を入れるだけ
あとは時間が仕事をしてくれる
ウイスキーが苦手な人でも、甘さとフルーツのうまみが加わって、案外ストレートでいけたりする
とても飲みやすくなる
ロックもいいし、夏ならクラッシュアイスに注いでミストスタイルもとてもうまいだろう
鍋などをして暖かくなった部屋なら冬でもいけるだろう
漬け込む間にウイスキーの色が変わっていくのも美しい
漬けてある瓶を眺めるたび、とても豊かな気持ちになれる お湯をはって湯船に入るたび、贅沢してるなぁって思う
お風呂のためだけの部屋があるなんて
本当に幸せなことだ
ありがたいありがたい 年を取ると、体は衰えていく、逃れられない
あちこち悪くなったりしてその都度メンテナンスも必要になる
個体差はあれど、人間いつか死ぬのが道理だ
見た目は顕著で髪は抜け、皮膚はしわが増えてシミそばかすも増える、骨格も縮む
命というのは眩しい
新しい命が生まれ育ち、瑞々しく、活躍するようになっていく
老いていく自分を大事してあげなくてはならない
儚いうつしみのこの身体を、命を
無数の命が現れては消えていった大きな流れ、私もその一部にすぎない
朽ちていく美学、老いた皮膚を美しいと言って優しく撫でてあげることができるのは、命のなんたるかを知るものだけだ
あれをすればよかったこれをすればよかったなどと、後悔はしたくないから欲望のままに好きなことをするべきだ、とはあまり思わない
この現世、地上、本当に夢・幻のような世界にも思える
今生きているということに感謝したい
何か憎しみや後悔、そういった負の感情に囚われていてはならない
自分で自分を苦しめる必要はない
ありがたきこの生の喜びを悲しみを噛み締めることがドケチ道 風の谷のナウシカでのとても好きな台詞がある
「この手を見て下され、ジル様と同じ病じゃ。
あと半年もすれば石と同じになっちまう。
じゃが、わしらの姫様(ナウシカ)はこの手を好きだと言うてくれる。
働き者の綺麗な手だと言うてくれましたわい」 96さん
普通の白砂糖を使いました
サントリー、ブラックニッカのサイトがとてもとても素敵で参考になりますよ
http://www.nikka.com/products/blended/blacknikka/recipe/recipe04.html
何か作られたら是非感想など聞かせて下さい 近所の100均見回り
近所の図書館見回り
近所の文房具屋見回り
JSJCJKに癒やされるわ >>97
96ではないけど、サイト見ました。
どれも美味しそうだし簡単に出来そう。
いい情報ありがとうございます。 早朝、優しい気持ちで目を覚ます。
布団がぬくぬくと気持ちがよい。
ねむぅ・・・。
この幸せを手放したくないが、経験から今手放すことが一番幸せになる方法だと知っている。
ここで再びスヤァしてしまうと、ダルゥになっていく。
意を決して着替える。
身体のぬくもりを逃がさぬようテキパキと服を着込み外へ出る。
もう6時になろうとしているのにまだ星がたくさん見える。
昨日は冬至だったしね。
簡単な朝食を済ませてお湯を沸かしホットコーヒーを魔法瓶に淹れて出発。
湿原へ向かう。
日の出後のひと時、この湿原には美しい魔法がかかる
光に照らされ全てが輝き、神秘的ですらある。
祝福の世界が出現する。
まだ冷たく暗い湿原には水草の蔭やあちこちに鴨、じっとしてたり食事してたり。さらに白鳥。ついてる。野生の物達の生活の場。彼らは誰に飼われている訳でもない、自由だ。
周遊路を静かに散策して朝日を待つ。柔らかな落ち葉のじゅうたん、どんぐりやシイノミ。落ち葉の上を歩くとザクッザクッと小気味いい。
この湿原には好きが詰まっていて大好きな場所だ。 どんぐりってかわいいよね
どんぐりかわいいよどんぐり
子供はどんぐりを集めるのが大好きだし、大人だって集め始めたらとても楽しい
持ち帰ったとしたら目の着く場所に飾ろうね
いっぱい拾ったねって楽しかったねって思い出そう 家のキッチンで淹れてきた暖かいコーヒーを外で飲むのが好きだ
なんでだろう
それがあるだけで、その場がしっくり来る
耳が冷たく手がかじかむ朝、暖かいコーヒーが用意されているという幸せ
サンドイッチを持ってハイキングに行くみたいな楽しさってことかな 紅茶のシフォンケーキを焼いた
今は逆さまにして冷やしている
うまく焼けているといいな
明日生地が落ち着いたら、特売で100円以下で手に入れることができたホイップに砂糖を入れて泡立てて、このホイップクリームでコーティングしてあげよう
クリスマスのお菓子は紅茶のシフォンケーキ
バターを使わないから安く作れるのがいい 樹皮ってのは色々で、当然だが木によって違う
失礼しますと木の肌にそっと触らせて貰う
ごつごつ、すべすべ、かさかさ・・・
竹のつるつるの肌、山桜の芸術性を感じさせる樹皮、クロガネモチの象のような表皮、クヌギの彫刻っぽい外殻
みんなこの樹皮の中でちゃんと水吸ってんだよね
この地面の下にでっかい根っこが、私の足元らへんにも根っこが広がってるんだよね
木のテリトリーがあるとしたら完全にその内側にいる感じだ
推し樹皮は山桜(吉野桜が有名)
二推しはクヌギ(椎茸の原木になる木)
クリスマスが来て、正月と来れば、また春に桜が見れる
桜の巨木ってのは美しすぎて畏怖の対象にすらなり得るね
敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花(本居宣長) 今日はとても穏やかな天気だったね
暖かくて気持ちがいい
布団を干して、窓を開けておく
柔らかな風がそっとレースのカーテンを揺らしている
ふわふわと揺れるカーテンを眺めていると幸福感が湧き上がってきた 洗い物がめんどうな時ってあるよね
そんな時は、お疲れ様、ありがとうって声をかける
食器にね
フライパンや鍋、お箸、皆みんな、いつもありがとうって
そうするとね、不思議とめんどくさくなくなるんだよ
道具を道具としてしか扱わないと、自分が使ってやって当たり前って、疑問にも思わない
汚れが落ちない鍋とか、簡単に思い通りにならなければめんどくさいって思ってしまう
使ったのは自分なのに、洗い物がたまればうんざりしたりする、勝手なものだよね
でもこの子達(道具たち)はウチに来てくれて、毎日たくさん幸せを与えてくれるって思えば、感謝が沸いてくるよね
自分のために力を貸してくれている、働いてくれている 昨夜焼いた紅茶のシフォンケーキ、一晩寝かした後、ふんわりと漂う豊かな香を確かめ、手作りの良さを確認する、やはりお菓子を作るというのは良いものだ。
型にそってナイフを入れ取り出そうとする。
が、失敗して周りがボロボロになってしまった。
泣きたくなる・・・。
そんな時、魔法の言葉。
手作りにおいては下手も素朴も味のうち、である。
ぼろぼろだって味のうちだよ。
当然だけど、こんなボロボロになったシフォンケーキなんて売ってないからね、それもよさなんだよ。
そして気づく。
完璧が欲しかったんじゃない。
シフォンケーキを焼くことに一つの幸せの形があるから焼いたんだってことに気づく。
それにね、クリームを厚めに塗れば全然気にならないよ。千切れちゃった生地はカップに詰めて、ほらこうして、ティラミスみたいに生クリームと生地とフルーツを層にして重ねて、ケーキにしちゃおう。
生地には濃い目に溶いたインスタントコーヒーを染み込ませて、フルーツは蜜柑と収穫後に冷凍しておいたラズベリーを。
こうすればもう一品楽しめるね。だから手作りは楽しい。 いわゆるオンボロ車に乗っている。
私の元へやってきてから長い付き合いになる。
オンボロでも決して彼を馬鹿にしない。
相棒である。
感謝して労わる。
今日もよろしく頼むぜ?と心の中で一声かける。
不思議と一体感が全身にみなぎる。
俺とお前、今日も飛ばしていこうぜ(飛ばさない)。
たまにはいい車乗ったらと人は言う。
こいつが気に入ってるんだと答える。
まだまだいける。
彼だって、まだまだ俺はいけるぜ?って言ってる。 丁寧に布団を敷き、ベッドメイキング。(布団メイキング)
ばふっと倒れこみ、顔を押し付けて匂いを嗅ぐ。
いわゆるお日様のにおいがする。
幸せのにおい。
布団を干した日は、これが楽しい。
天気予報の通り、今夜は雨が降りだした。
雨音はショパンの調べという歌謡曲があった。
雨音は落ち着く。
ショパンの調べを聞きながら、お日様のふとんで目を閉じよう。 ドケチはそれ自体が幸せ 幸せは割と小さな所にある、
仕事で1千万円儲けても、生活に余裕のある人にはさほど幸せ感は生まれない
一方、スーパーで特価の安い野菜を見つけて買った時など、顔が緩み幸せを感じられる 日々生活していると、自分にとって大きな価値があった事が大して重要でなくなる事があるのに気づく
趣味やアイドルに対する熱が冷めて・・・とか、定年退職して・・・とか、健康面で、等々
価値は変わる
結局、今その価値を決めている自分次第にすぎない
何でも思い通りに行くことが幸せで、そうでなければあまり幸せとは言えないと思う人は多い
お金があれば大抵のことは思い通りになるのに、お金があれば何でも買ってあげられて幸せにしてあげられるのに、と
人生とは思い通りに行かなかったら不幸なのか?
そんなことはない
いつだって、そこからしか見えない景色がある、喜びがある、味がある
それを見ようとするか、受け取る準備があるかの違いである
不幸なのは価値を見出せないことだ
お金を使った快楽は長続きせずに消え去り、次を求め続ける
感受性はあまり必要としない
ドケチが求めるべきは、この種の快楽ではなく、心を穏やかにし、感受性を高め、今そこにある喜びに触れることだろう
特に感謝の泉に気づいたのなら、幸せが湧き出て枯れることはないはずだ 仮に今大事にしている物を失っても幸せでいられるか?
不愉快な場面に出くわしても、尊厳を傷つけられても?
簡単じゃないかもしれない
訓練は必要だし、それには時間もかかるかもしれない
しかし幸せや喜びにはいろんな形がある
ニコニコしてる時だけじゃない
為末大さんの話だが、スポーツ選手が努力して頑張っても報われないことが多いって言われるけれど、その時一所懸命に頑張っていた自分は輝いていた、それが報酬じゃ駄目かなって感じの事を言ってたと思う
報酬はお金だけじゃない
内なる財産に気づかなければ、持っていないのと変わらない 夜中のキッチンへお茶を入れに行く
夕食の香りが残っている事に気づく
いた時には気づかない
時間を置いて戻った時に気づく
いい香りだ
暖かい香り
いつだって食事は感謝と喜びに満ちているべきだ
孤独のグルメの名台詞
「モノを食べる時にはね 誰にも邪魔されず 自由で なんていうかすくわれてなきゃあダメなんだ 独りで 静かで 豊かで・・・」 いわゆる安月給の仕事をしているとする
お金のために仕事をしているかもしれないし、そうじゃないかもしれない
趣味と実益を兼ねて、自己実現のため、かもしれない
仮にお金のためだけだと思っていたとしても、本当にそれだけしか得ていないのだろうか
人の感情ってのはなんだね、見ようと思えばそこばかり見るし、執着するとそれしか見えなくなる
自分は自分が今本当に大事にしているものを知っているのか、自身に問う ドケチ、人間賛歌を謳う!存在の喜び!生の喜び!
小さな喜びって奴はその時しっかり喜んどかなきゃいけねぇ、うっかりしていると気づかないまま人生が終わっちまうんだ!楽しいことなんて何一つなかったってな! >>109
おひさまのにおいってダニの死骸のにおいだよ >>116
考え方を逆にしてみる
ダニの死骸っていい匂いなんだなってw 食後の時間をくつろぐため、チャイを入れる
仕事帰りに2割引きで特濃牛乳を買ってきたので、これを使う
チャイとはインドの煮出しミルク紅茶のことで、とても簡単にできる
そしてうまい
手鍋にお湯を沸かし濃い目に紅茶をぐつぐつとしっかりと煮出し、同量程度の牛乳を入れ、砂糖をたっぷり入れ、茶葉を漉して頂く
始めから牛乳だけで作らないのは、その方が茶葉の成分が出やすいらしい
私は初めから牛乳のみ、牛乳100%
濃厚
そして砂糖はたっぷりと入れるのがよい
その代わりたくさんは飲まない
小さめのティーカップに一杯
嗜好品というのは、もう少し欲しいぐらいの余韻を残すのがよい
例えばお菓子なども気持ち悪くなるまで食べてしまうのは愚である
もう少し欲しがっている自分を楽しむ
チャイにはシナモンパウダーを一振り加えるのもよい
紅茶にコーヒーフレッシュを添えただけだったり、甘さや濃厚さがないものは、チャイとは違う気がする
熱々で、濃厚で甘く、煮詰まったものがいい
少量のチャイをゆっくりと楽しむ
ファビュラス()な時間が流れる 今日も仕事を終え、車に乗り込む
長い付き合いの彼に、帰りも宜しく頼むよと心の中で声を掛ける
運転は大丈夫かいと気遣ってくれる
まかしておきなよと答える
信号機が黄色から赤に変わりそうだ
彼はストップだボーイと穏やかに私に声をかける
わかってるさ
(君の工場出荷日から数えても私の方が年上なんだけどな、ボーイって年齢でもないしねと思うが、人間の何倍ものスピードで年をとっていく犬のドッグイヤーを思えば、彼はすでに私よりも年上なのかもしれない)
本当にたくさんの思い出や幸せをくれた
ありがとう、たくさんたくさん、ありがとう
俺たち、ずっと一緒だよなと声を掛けてみる
返事はない
二人とも分かっている、永遠なんてないことを
いつか来る別れの匂いを感じ取っている
だからこそ、今、この瞬間を大事にしたい
大切にするからさ
先々週のオイル交換は問題ないかい?
いつも本当にありがとうと思う この時期、冬の海、人はどんなイメージを持つのだろう
寂しさ、だろうか
波打ち際ってのは、思わぬ風景を見ることがある
夜光虫だ
ここ1、2週間のことである
波の中で無数の光が漂っている
いくつも、いくつも
あの光はなんだろうか
波打ち際に青白いその光が打ち寄せられる
すぐにそこをヘッドライトで照らすが何もいない
どうやら夜光虫らしい
もしかしたら蛍イカ?
詳しくは分からない
夜光虫の場合、圧倒的な光の塊を目撃する場合もあるようだ
蟲師で言う光脈筋の如くに
できるだけ明かりのない砂浜、さらにできれば月明かりのない新月の大潮の日がよいかもしれない
新月、大潮、冬の海
波打ち際に不思議な光を見ることができるかもしれない 圧力鍋でサツマイモをふかし、熱いうちに皮をむき、適当に切って網で干す
自家製ホシイモは簡単にできる
冬の乾燥した風が最後の仕上げを行う
2・3日も干せばできあがる
ふかした芋は、干すとねっとりと甘く、とてもうまい
甘い
ねっとり
この季節、ホシイモには最適である
蒸すのはかなりしっかりと行うのがコツ
蒸しあがりはぐずぐずでも干すとちゃんとホシイモになる
ホシイモを食べながら思う
祖父の頃にもホシイモをオヤツにしていたのだろうか
過ぎ去りし時代をことを想像したら胸によく分からない切なさが込み上げてきた
ありがたいありがたい
ホシイモありがたい サネカズラという蔓性(つるせい)の植物がある
浜の防風林で偶然にも野生のサネカズラの生息地を見つけてしまい、時々様子を見たり、少しだけ持ち帰らせてもらい部屋に飾ったりしている
どうやら気づいている人はほとんどいないようだ
このサネカズラの果実、嘘のようにかわいい
嘘のように!かわいい!
そして大きく、真っ赤で、迫力もあり、存在感もある、微量のグロテスク要素も感じ取れないこともない
見事な造形である
つまり、私はこのサネカズラがとても大好きで、とても気に入っている
蔓性というのもよい
名前が分からなかったが、赤い実という検索ワードで写真を見ながら探していったところ、やっと分かった次第
どういう植物なのかが分かるとぐっと親しみが増す 先日、郊外の大型公園へジョギングに行った
現着
そしてジョギングシューズを忘れたことに気づく
かなりのショック
クロッカス風サンダルしかない
せっかくここまで来て、どうする・・・
結局クロッカス風サンダルで走ることにした
スピードを出さなければ問題ない、という考えだ
ちょっとした山もあるので、そこをジョギングで登ることにした
これならトレーニングにもなるだろう
すぐに歩いてしまう
きつい
きっつー
苦しい
だが、この苦しさを求めていた
ある程度の負荷がかからなければトレーニングにはならない
十分トレーニングになる
いい感じ
ジョギングシューズでなければダメだと思い込んでいた自分にとって、クロッカス風サンダルでもジョギングができることは、目から鱗の体験だった 四月は君の嘘というアニメをネットで見てからクラシックにハマり聴きまくってる。
you tebeで探せばタダで聞き放題。 耳が幸せ。
仕事のストレスやイライラも解消するし、キャリアアップの勉強も捗るしいいことだらけ。
酒飲みながら聴くとトリップできるw。 山あり海ありの立地なので散歩が楽しい。通勤の途中も飽きることがない
掃除と整頓も大好きなので仕事でむしゃくしゃしたらそれで解消
あとは図書館で本借りてネトフリ見て10時になったら寝る
テレビはブラウン管が壊れたからいい機会だと思い買い替えずに処分 お金を使わなければできないような事
豪華で華美で賑やかで派手で
華やかさというのは目立つ
そして人が集まる
お金の周りには人が集まる
それだけで何かそれが正しいことのように思えてくるものだ
それこそが本当の幸せであるかのように
人はお金が好きだ
お金は力だ
何かを実現するのにお金さえ用意できれば簡単なんだもの
でもね、いろんな幸せの形がある
あなたの幸せはあなたが決めるだけの事だ
そして人生、色んな生き方がある
目立つ人ばかりが自然と目に入るけれど
ひっそりと生きている人は目立たないどこかで自分の人生を生きている
自然と共に生きる事を選んだ人もいれば、仏門に入る人もいる
己が選んだ己の道を生きていつしか人生を終える時が来るだけのことである
忘れてはいけない
自分が何を望むか、どんな人生を生きようとしているのかを 押入れの宝箱を開くと、砂時計が出てきた
3分を計れる黄色の砂の入った砂時計
子供の頃に大事にしていたものだ
洗面台の鏡の下に置くことにした
歯磨きの時にあっちこっち歩き回る癖が直らない
だからこの砂時計の3分、丁寧にしっかりと磨くことにした
ドケチとしては、虫歯になるなど怠慢の極みである
歯医者は金がかかる
虫歯は色々な病気の原因になるとも聞く
一つのことに丁寧に向き合う癖をつけていかねばと思う テレビを見ながら食事をする人は多いだろう
私もこれがなかなかやめられない
朝晩のニュースを見る時間が食事の時間とかぶるからだ
しかし、せめて食事の始めだけはテレビをつけないように心がけている
そして必要なくなったら速やかに消すようにした
食事の満足感は明らかにあがったし、その時間を大事にする姿勢を取り戻しつつある
人生において、食事の喜びというのは圧倒的だ
これを雑にするのはもったいないことだ
第一そんなに大事なニュースなんてそんなにあるのだろうか
実際知らなくても困らないことが多いし、事故だ事件だの、そんなものは熱心に知る必要などない
食事しながら映画など見るのが楽しいと人は言うかもしれないが、本当にそうだろうか
映画と食事、どちらにも集中するなど無理なのに
何か大切な事の為に食事を犠牲にしているとしたら私にとっては本末転倒のように思える
家族の為に働いていたはずなのに家族を犠牲にしているジレンマのような構造である
雑にする癖は一生の習慣となる
立ち食い、詰め込み食い、早食い、ながら食い
死ぬまで雑な食事を続けるだろう 空き瓶などを利用して、野の草花を持ち帰り飾っている
季節の草花である
名も無き草花などはなく、それぞれに名前はある
特売で買ったドレッシングの空き瓶
風邪薬の空き瓶
贈答品のゼリーのガラスの器
そのサイズや色、形などからそれぞれにしっくりと来る瓶がある
センスよく
ドケチの持てるだけの今精一杯のセンスをそこに試せばいい 今朝、出勤前に足元の植物を観察していた
風がとても強く、雪が舞っていた
ただそれだけで幸せだった
遠くの巨大な雲はグングンと目に見えるスピードで動いていく
空中大陸のようであった
どこにでもある風景
稲刈り後の広大な田んぼは、朝日を浴びて黄金の平野となっていた
鳩の群れが金色の草原に降り立つ
朝日ってのは、世界の本当の美しさを教えてくれる
平穏と美
いつでも見えるわけではなく、見ようとしなければ目には入らない
それはまるで、昼間の星のように
本当はいつでもそこにあるのに、星の本当の輝きを知れるのは、明かりのない闇の中においてだけなのだ いつものスーパー。29、30と通常より1時間開店は早く、閉店時間は1時間半も遅い。大晦日は30分閉店が早いだけ。レジの皆さん大変だろうな。いよいよ年末ですね。もういくつ寝ると、お正月? 門松を作った
庭に細いものだが一応竹が生えているので、それを使ってミニ門松にする
竹をノコギリで斜めに切り、3本を段違いにまとめ、藁で縄を作り巻きつける
土を入れた植木鉢にこれを埋め、松、梅の枝、千両万両の実で飾る
竹は節をまたいで切ると、切り口に節が横一文字に入り、笑っているようになり縁起が良い
こじんまりとしているが、なかなかの可愛さで大いに気に入った
ついでに竹酒用にも竹を切っておく
切り口を大きく斜めに切ると、おちょこに注ぎやすい
1本の竹でおちょこ1杯ちょっと程のサイズ
料亭などのそれと比べればとても小さいが雰囲気はなかなかである
氷の入った容器に竹酒の竹を入れ、笹の葉も少し飾る
もてなしにもよい 炊飯器の中で少し硬くなったごはんやカピカピになった粒、たまに食べる事があると思うけれど、私はそんな時、干し飯(ほしいい)思い出す
ほしいい、とは、薄くごはんを干して乾燥させたもので、戦国時代にも携帯食として食べていたらしく、その話を子供の頃に聞き、わざと乾燥させて作って食べたことがあった
良く噛んで食べる
こういうタイプの粗食(?)にはなんていうか、ロマンがある
ふところに乾燥させたこのほしいいを3枚程と芋の蔓を乾燥させたもの、そして水、できれば少々の味噌(は贅沢かな)
それを持って山中を歩き、水を沸かして芋の蔓を戻し、ほしいいと味噌を加えて食すなど、ちょっと面白い >>135
干し飯何て、戦国時代の人でも食えたもんじゃないって言うくらいの代物やで 映画にはまっていた頃(というより渇いていた)、貪るように何本も見た
とにかく渇いていた
そして何本見ても渇きは癒されない
とにかくいい映画と呼ばれるものを何本でも、できるだけ多く見たいと思った
はまっていたと言ってもさらっと見て、すぐに次の映画を見るという感じだったし、ネットも普及しておらず不特定多数の人の感想に触れることもなかった
今はもう少し吟味した1本の映画を、一つずつ大事に見たいと思う
見終わって良い映画だったならば、愛するように、胸に抱きしめるように、その余韻などを味わいたいと思う 年末年始、テレビ放送の映画で見たいものをチェックした
12/30 teton 山の声
1/2 秒速5センチメートル 星を追う子供(深海誠)
1/3 言の葉の庭 雲の向こう、約束の場所(深海誠)
1/3 アース
1/3 君の名は。(深海誠)
1/5 蠢動-しゅんどう-
深海作品5作は映像も楽しみ
山の声は、「山の声」を聴き「感じて生きる」ことの大切さを心底から語りかける、というキャッチコピーが惹かれて
ネイチャードキュメンタリーのアース、時代劇の蠢動
皆さんは見たい映画とか番組とかありますか? 世の中が浮き足立つ年末年始、相変わらずの質素な生活です。私は今日も元気です。 年末年始、ドケチ的エース級おつまみとしては、トリムネの皮。一口大に切って醤油・酒で揉み込んで低温でじっ〜くり焼く。めっちゃ旨い。酒・ショウガ・ニンニクなんかを混ぜて揉んでもいい。ごはんに乗せても葉野菜で包んでも旨い。 トイレの神様という歌が流行っことがあった
トイレの掃除というのは、大掃除でなくとも心を込めて掃除するべき場所ではあるが、新年という節目を迎える前には納得の行く掃除をしておきたい
トイレは人の汚れを引き受けてくれる場所である
もともと汚れている場所ではなく、汚れているとしたら汚したのはこちらである
雑巾で壁・床を吹き上げる
いつもありがとうと感謝を込めて 近所に85歳位のおばあちゃんがいるとする
独り暮らしで車にも乗らず、畑と家を往復する毎日
野菜や道具やお弁当などを入れる手押し車を押しながらゆっくりと移動する
畑についたらゆっくりと作業する
休み休み、腰を伸ばし、夏も、冬も、秋冬も
趣味はたまのカラオケかな
休みの度に忙しく車であちこち出掛ける若者からしたら、退屈で楽しくなさそうに映ることだろう
なにもない田舎の生活と言うかもしれない
もっと楽しみを見つけなよとアドバイスをしようとするかもしれない
おばあちゃんの心の中に、どれほどの感謝と喜びがあるかは想像はつかないし、知る事はないだろう
外からの刺激を必要とせず、内から湧き出る喜びに日々打たれているとしたら
本当の幸せをおばあちゃんは手に入れていると言えるのではないだろうか クリスマスの音楽の一つとして手に取ったグレゴリアンチャントのCD、もう20年程前になるが、祈りや祝福の静かな声というのは、忙しすぎて騒がしくしている心には物足りなく、あまり聴いてこなかった
忙しく、騒がしく、日々に追われ、悩み、奮闘していた
幸せになるようにと、もっと生活を良くするように、家族のためにと沢山の事を詰め込まざるを得ない(あるいはそう思い込む)
技術が進歩し家電も進歩し、色々なことが簡単に時間がかからなくなっているのに、することは増えている
そしてせっかくの余暇の時間があれば無駄にせず娯楽を楽しむべきだと思ってしまう
詰め込みすぎる
忙しく働き、忙しく遊ぶ
それを美徳とする考えもある
今、心を穏やかに、あれもこれもと詰め込まず、足元の小さな幸せを愛し、静かな気持ちで新年を迎えたい
ココロの休息〜癒しのグレゴリオ聖歌
https://youtu.be/fKLxgRH95Ns 圧倒的な大自然の前では、人は感動し、何かを感じるものだ
夏山、雪山、いずれの季節も登山をすると美しい自然に心を躍らせたり、厳粛な気持ちになったり、徹夜してでも来てよかったと思ったものだ
大自然という舞台装置は日常から離れた非日常である
心を開放するにはもってこいではある
近所の川や、近所の丘、近くの海
日常のすぐ側にある場所でもって、心を開放する者になりたいと願う
おにぎりを持ってふらっと出掛けて、大自然を前に心を打たれる旅人の喜びの如き、静かな落雷に打たれたい 昨夜水に浸しておいたもち米を使いもちをつく
へそ餅、まる餅、あんこ餅と作り、残りを板にのばしてつめる
熱いうちに手に片栗粉をつけて丸める
もち肌というように、つきたての餅の肌は真っ白でとても綺麗
ツヤツヤで、もちもちで、プクプクの柔らかさ
丸めた餅は、すぐに触るとしわが出来るので乾くまで触らない
そっとしておく
そしてつきたての餅で作るあんこ餅はとてもおいしい
とてもおいしい とても久しぶりに障子の部屋で過ごしているのだが、いいものだね
障子ってのは外のわずかな明かりでも障子全体がぼんやり光っていて、なんとも趣がある
外と繋がっている感じがあるね
明日の朝は、明け方のわずかな光でも、朝が近いことを教えてくれるだろうね
布団の中で目を覚まし、明かりをつけずにその様を味わうのもよき いよいよ明日は2017年、大晦日である
一つの節目、である
イエス キリストが生誕したとされる年を紀元元年として、2018年を数えることになる
この人類の歴史は、どこまで続くのだろう
どんな未来が待っているのだろう
技術の進歩は素晴らしいが、個人の感じている幸福感というものは、どれほどの進歩があったのだろう
それほど、個人の内面における幸福という問題は難しい(のかもしれない)
私達は過去から学ぶこともできる
智慧を共有することもできる
「平家物語」の第一巻、祇園精舎の冒頭を振り返ろう
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
沙羅双樹の花というのはとても美しい。
迎えよう、大晦日を、迎えよう、2018年を 多肉植物の生命力ってのはすごいね
朧月(おぼろづき)という品種だが、
葉が一枚ぽろりと土の上に落ちる
そこから増える
たった一枚の葉からね
落ちた葉の付け根にミニチュアの多肉植物がいつのまに生まれている
数ミリサイズ
とてもちっちゃいが、ちゃんと形になっている
そしてとても細い根っこが伸びてきている
母体から離れ落ちた葉は新たな1個の命となる
空に伸ばす細い根がまた可愛らしく、まるで王蟲(オーム)の子が触手を伸ばしているようだ
この朧月が春に咲かせる花はまたとても可憐で可愛らしい
多肉植物はダイソーあたりの100均にも売っているらしい
いろいろ増やしたい気持ちが沸いてくる
天錦章、ヘレイ、子持ち蓮華、パールフォンニュンベルグ、チワワエンシス、仙女盃、グリニー・・・
花に腐肉臭があるものが多く強烈な印象の花をつけることが多いガガイモ科もよい、牛角、ピロサスなど 梅の枝を眺めると、小さな芽がいくつもいくつも花を咲かせる時期をまっているのを見る
なんともよき 特売の新巻鮭を1匹買うことができた
新巻鮭は、大量の塩をまぶして漬けて、水分を抜いた後に水で洗い、しっかりと冬の乾燥した空気で干すことで作ることができる
魚ってのは干すことで旨みが増す
淡白な白身魚なんかも干物だがぐっとうまくなる
そのまま焼いたり、野菜と一緒にホイル焼きにしたり、焼き飯の具にしたり、おにぎりの具にもいいし、鍋や味噌汁の具にもいい
必要に応じて塩抜きをしたり、そのまま使ったりと 障子を開けて外を眺めていると、プランターの受け皿にたまった水をモズが飲みに来ていた
なんともよき
和む
百の舌(百舌)と書いてモズ
他の鳥の鳴きまねがうまいという
枝などに獲物を突き刺すはやにえが有名
宮本武蔵作の水墨画である「枯木鳴鵙図」に描かれている野鳥もモズ
「枯木鳴鵙図」(こぼくめいげきず)
この絵は実に実に素晴らしいね
冬の枯れ枝の先にとまる百舌
400年もの昔に生きた剣豪は、ありふれたこの風景にこれほどの美を見出していた
しみじみと趣深きことだ
ゆっくりと流れる時間の中で、武蔵の見た風景に思いを馳せる喜び 田舎では隣家との境界に生垣として槇の木(イヌマキ)を植えてあるのが一般的かと思う
これをよーく観察すると、違う植物が引っ付いているのに気づく
興味を持って見る人でないとまず気づく事はないだろう
風蘭である
風の蘭と書いて、フウラン
手バサミで槇を剪定している時など気づきやすい
種をまいたわけではなく、気づくといつのまにかそこにいたという感じである
成長は遅いが、古い木にはとても大きな風蘭の群落ができていたりする
木の上に着生している日本の野生種の蘭で、もやしのような太い根が木に張っていて落ちることはない
蘭というと、派手でゴージャスで高価な洋蘭が注目を浴びやすいが、このフウラン、とても味がある
初夏には白く可憐な花をつけ、とても甘い香りを漂わせる
ゆったりとした時を過ごしている状態ならば、姿を見なくともその香りには気づくことだろう
日本、野生、地味、しかし花は可憐、香りはとても甘い、なんとも素敵な要素が揃っている
そこにいてくれたことに気づいたのなら、感謝と共に暖かくその存在を愛でたい 現代の家屋は進歩して、暖かい部屋から窓を通して外を眺められる
網戸だってある
窓を開けても虫の進入も防げる
快適さを得た
しかし得るものがある一方で失っているものもある
網戸越し、窓越しに見るより、思い切って窓も網戸も開けてみると気づく
快適さというのは時に人の感受性を鈍くする
寒さを苦であるのが生存本能とするのならば、それを超えた風情をそこに感じ取る事ができるのが人間の感性の世界である
さっき入れたばかりの暖かいお茶は白い湯気を立たせるが、わずかな時を待たずに冷めていく
冷めるのもまたよし、なのである 聖母マリアの象徴と言えば白ユリ
ウチの庭にも鉄砲ユリが自生しており、夏頃に大きく白い花を咲かせる
白くて美しく存在感がある
鉄砲ユリはキリスト教の祭事にも使われるという
栽培しているならば咲き終えたら球根が消耗せぬよう種をつける前に折り取る
庭の鉄砲ユリは特段に手入れをしている訳ではなく、中には放置しているものもあり、種を実らせてその種を飛ばし、寿命を終えてそのまま立ち枯れる
自然の中でドライフラワーとなる
成長を完全に終え、硬く、温かみのある茶色
花を咲かせていた頃とはまったく別の姿
上向きに何本もの枝を分かち、種をはじいた包皮もまた硬くそのまま時を止めている
しかしその姿も永遠ではなくゆっくりと時間をかけて朽ちて行くのだが、この姿がとても味があり、ドライフラワーにもよい
一本にて抜群の存在感
蓮(れんこん)の実のドライフラワーと肩を並べるほどの存在感である
植物が健康なままに生涯を終え枯れた姿というのは、その生を謳歌していた頃とはまた違った美がある
生き切った生き物の最後の美である
飛ばした種のいくつかが、またどこかで芽を出すことだろう 風呂に入り、今年の汚れを丁寧に落とし、新しい服に着替える
ありがたいありがたい 年越しそばを外食しようかと思っていたが、自宅にて茹でることに
渋滞もない、順番待ちもない
そして結局これが一番うまい 明日、日の出を見ようと思う
世界が祝福に包まれる瞬間を
漆黒が黄金と混じり合い、光の中心がゆっくりとその姿を見せ始める
夜明けだ
朝の光が世界を包み、命在る者も無き者もその全てが光の中で輝く
きらきらと
こんなにも世界は美しいのだと心底思い知らなければならない
海も山も、雲も大地も、人も動物も何もかもが、この暖かい命の光に生かされている
光こそ命の源である
感謝しよう、心から
賛美しよう、この美しさを、奇跡を
人生思い通りに行くも行かぬも関係なく、そこに生の喜びは変わらずに存在する
見ようと思う心さえあれば、誰もが触れられるこの喜び
快楽への執着を捨てれば、それが得られない事に思いわずらう事もない
私達の毎日はきっと喜びで溢れている
感謝し機嫌よくこの喜びを受け取ろう
生命の連続を生み続けるこの世界の不思議に身を委ね、大いなるドラマを見届けよう
祈ろう、安寧を、見届けよう、その美しき新たな夜明けを
暖かい服を来て出かけよう 初日の出を拝む場所として河川敷を考えている
川の西側からである
広大な駐車スペースを考えても混雑はないだろう
いわゆるパワースポットと言えば、屋久島や有名な神社仏閣、様々あるが、地元の川というのも私にとってはパワースポットであると思われる
地元の川
生まれ育った郷土の川
かつての4大文明が川と密接な関係があったことを考えても、この川が私の住む土地を豊かにしてきたことは間違いない
この地に住む者として、川への感謝は忘れてはならない
川の増水にも耐えてきた河川敷の大きな木などに対してもその存在の歴史に敬意を払いたい 地元のお宮さんに挨拶まわり
神社の鳥居をくぐる際には襟を正し、一礼
神の前で穢れ無き心持ちであるようにと意識する
手水で身を清め、二礼二拍手一礼の作法にのっとり参拝する
拍手を打つのは神様を呼ぶためではなく、自分が素手であり、下心の無いことを証明するためのものらしい
日頃のご加護の感謝と新年の抱負を心を込めてお伝えした
人知を超えた大いなる存在を信じて頭を下げるというのは心が落ち着く
参道にひしめく屋台の食べ物は煩悩を刺激されるがドケチとしては買う事はないな 日の出を待つ人々
自転車の中学生、高校生たち、セルカ棒で記念撮影する子たち、ストックを持って歩いている人、家族連れ、大集団、一人でふらりと来た人、ペットを連れた人、スポーツカーのお兄さん、カップル、いろいろな人が初日の出を待っていた
その場に集まったみんながそれぞれに夜明けを待っていた
堤防の上に一際明るくなってくる場所があり、そこから太陽が姿を現すのが分かる
風はあるが、大快晴の日本晴れだった
元旦 大晦日の夜、神様にお供えしておいたありがたいお米を使い、土鍋でごはんを炊く
自分自身に感謝を意識させるための一つの儀式である
土鍋ごはんは水を少し多めにするのがコツ
沸騰したら火力を落として15分
最後に少し強火で10秒程
15分蒸らす
残ったらフタにふきんをかませて置く
少し水加減が多く、かなり柔らかめになってしまったが、おこげも出来てよいごはんになった
ありがたいありがたい 大晦日の夜から元日の朝まで、24時間スーパーのレジでがんばっておられる方、頭が下がる
交通機関や飲食店など他にも働いている人はたくさんいるが、私はスーパーのレジの人の苦労が分かるから、お疲れ様ですと声を掛けたい気持ちがあるが、下手に声を掛けて気分を害されてもいけないと思い、心の中だけにしている 数学と英語の勉強かな。
古本で版落ちの新品同様古書で問題を解く。
図書館やショッピングモールのオープンスペースでやれば光熱費も減らせる。 >>164
どっちもやったことあるが、どちらもすぐ飽きた
もちろん簡単過ぎて飽きたわけじゃないし、難しすぎて飽きたわけでもない
何で今更こんなのを、という気持ちの方が強くて趣味の域まで持っていけなかった 英語の勉強、大人になって何度かやった時期あったけど、動機が弱すぎて続かなかったなぁ
仕事でもプライベートでも特に使うわけではなかったし 部屋のインテリアとかいじりたくなって、これ買いたいって思うインテリア材があるとする
買う事もあるけれど、ドケチ的思考回路では、どうしたらお金をかけずになんとか済ませられないかとか、拾ってきた自然材とかでなんとかならないかとか、自分の今持っている物をもっと愛そうっていう思考に持っていくようにしてる 対人関係においては特に、予想と違うことが起きた時にびっくりしたり、がっかりしたり、腹がたったりする
よくあることだ
思うようにならない事はよくある
アインシュタインの言葉にこういうものがある
「何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。」
そういう事もあるという事を体験し、そこから何を学ぶか
その体験の機会を得たことに感謝することも気持ち次第では可能だ
そして、自分が未熟であるように、相手もまた未熟であり、未熟さの克服というのは自分の体験からも分かっているように、習慣化しているようなことを変えるのはとても難しい
自分に寛容になるように、相手にもある程度の寛容さは必要だ
幸せとは最後まで自分次第の内面的問題であり、心の静けさを失いそうな時は、それに囚われず、自身の心に元の幸せに戻ってくるように声を掛ける
もどっておいでと
過去の恨みや怒りに囚われないよう戻ってくる訓練がうまく行くようになれば、何年も前の出来事を体調が悪い時に思い出して苦しむこともなくなる
悲しみを見つめるよりも、喜びを見つめよう(と思う) 正月は誘惑が多い
安いというだけで買いそうになる
吟味吟味 人間とは愚かなものだ
自分を愚かでないと思っていないだろうか
自分を含め、人間とは愚かなものだという大前提に立てば
自分や他人に腹を立てたり、人を見下したりということも減る(ような気がする) 雨戸を閉めるために窓を開ける
夕暮れのオレンジは相変わらず美しく、吹き込む風に懐かしさを感じる
世界は変わらずそこにある
私の気持ち一つでそれをどう感じるかが変わる
人生には、二つの道しかない。
一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。
もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。
アインシュタイン お風呂の楽しみ方などについて
お湯と水の割合を調節して、少し熱めにお湯を貯める
体を洗い、電気を消し、窓を開けて湯船につかる
外の気配を感じる
湯船から窓の外は見えないが、音が聴こえる
風の音、木の揺れる音、街の音・・・
露天風呂気分を味わう
とてもリラックスする
欲しいものは全て手に入っているような気がしてくる
こんな事を言うと、人は呆れて笑うだろう
顔や頭皮から、汗がじんわりと沸いてくる
体の芯が温まったサインだ
お風呂はありがたい
とてもありがたい
その素晴らしさについて、どれほど価値を認めていたと言えるだろうか
マキで湯を沸かし、湯加減どうですかなどと火の番をしてくれる人がいたような時代からしたら、手軽になったものだ
手軽さはありがたみを薄れさせるものだ
登山において、山頂までのロープウェイができた時のように
神社の森の頂上に、大きな駐車場ができた時のように 今夜の月はとても明るい
綺麗な月だ
明日は満月になる
そして明日は1月2日、書き初めの日だ
自宅にて書き初め大会を行う
書初めはその年の恵方を向いて行うのが良いとされ、今年は南南東
ほぼほぼ南である
文字には力がある
書の展覧会などで見ることのできた壁一面を覆うような大きなサイズの書などは、素晴らしい迫力だった
自分の書きたい文字を気迫を込めて心を込めてしたためる
冬休みの宿題でもなく、誰に強制されるわけでもなく、己の意思で書にしたためるのが重要である
うまい下手とか二の次で
心を込めて 好きな文字を
この日のために、書きたい言葉を日々集めておいた
30ほどある
早朝から始めて昼の休憩を挟んで、午後もじっくりと取り組む
競争ではなく、己、そして文字の持つ意味・世界と向き合う ここに書いてる方のように
自分も日常の小さなことに幸せを感じられる感性がほしい。
豊かな感性って、どうやったら育つんだろうか。
澄み渡った青空を見ても、綺麗なはなが咲いていても、深く感動とかできなくて悲しい。
ちょっとした小さな出来事でもイライラしたり、クヨクヨすることは出来るんだけど。。。 にんじんのラペ
人参の色ってさ、常々思うんだけど綺麗だよね
皮をむくと一層鮮やかなオレンジ
人参のラペってのは簡単に言えば、細い千切りにした人参を塩とレモン汁、オリーブオイルでマリネしたものなんだけど、胡椒をちょっとかけて、ベビーチーズ(4個入り・アーモンド入り)を1個こまかくちぎって混ぜたりするとおいしい
1時間ぐらいおくとしんなりして水が出てオイルも馴染んで食べ頃
シャキシャキした歯ごたえ、レモンとチーズの甘み、人参の癖のある香り、アーモンドの風味、ピリッとした胡椒・・・
人参のラペはとってもおいしい
白い器に盛り付けるとオイルで光るオレンジが一層輝く
色も味も最高 菜の花を摘んできて部屋の外に飾った
元気な黄色
とてもいい
黄色は人を元気にする 長いもは土から堀り立ての新鮮なものよりも、ちょっと乾燥させて水分を抜いたほうがおいしい
とろろにする場合は特に
自然薯のような粘りになる
新鮮なものは大き目の千切りにしてわさび醤油であえるのがおいしい
わさびは後乗せではなくて、醤油に溶かしておいてあえるのがいい
隠し味程度
醤油もかけすぎない方がいい インド原産のキョウチクトウ(夾竹桃)
毒がある
庭に生えている
3メートルほどに成長している
この毒性がかなり危険で、花、葉、枝、根、果実、周辺の土にも毒性がある
生木を燃した煙も毒
腐葉土にしても1年間は毒性が残る
枝を割り箸にして中毒したり、串焼きの串にして死亡した例もあるという
皮膚に軽く擦っただけで斑点になって腫れたという話もある
本当に恐ろしい木
その辺の樹木を適当に料理に使うと危険な場合もある
よく分からないものは下手に手をださないのがよい
料理の飾りなどに使うのは知っているものだけにしておくのがいい
笹などは正月のカニの下に引いて盛り付けると雰囲気がいい うどんがうますぎて困る(困っていない)
つるつるでいくらでも食えそうになる
別バラ状態がデフォ
満腹機能がぶっこわれそうになる
俺にとってうますぎて困る(困っていない)という食べ物があるが、うどんはその一つ 墨と筆
真っ白な半紙に文字を書く
白に黒
姿勢を正し、気持ちを正し、心を込めて、集中して
やはり墨というものはよい
下手なりになかなか味のあるものになった
自分で書いた文字ってのは愛着が沸く
乾いたらダンボールに日めくりカレンダーのようにして貼り付けて重ねていく
自分だけの作品集ができた
その日の気分に合わせて好きな文字のページを開いておくことにする 人参は香味野菜と言われるように香りの強い野菜だ
香りの強い食材や香草というのは、料理をとてもよくする
例えば私のお気に入りはオレガノ
水煮トマト缶とシーチキン缶でトマトパスタを作るのが好きなのだが、チューブニンニク少々、オリーブオイル少々、スライスチーズ少々、この辺りまでは節約トマトパスタの定番材料かと思うけれど、そこに乾燥オレガノを少々加える
このオレガノの香り、とてもよい
料理の奥行きが1段上がる
こじゃれたイタリアンレストランの味かと思うような味だ
オレガノはチキンに揉み込んでも焼くのにもいい 炊飯器から勢い良く湯気があがっている
鮭の匂いがキッチン中に漂う
鮭の炊き込みご飯だ
新巻鮭を色々と楽しんでいる
炊き込みご飯には鮭の頭を縦二つに割ってそのまま乗せてごはんを炊く
味付けは何もしない(お酒少々くらい)
鮭の塩気だけでいい
炊き上がる前の香りもご馳走になる
おいしいに決まってるよねという期待感
炊き上がったら鮭を一旦取り出して身をほぐす
カマ、眼肉、脳天、唇、きれいに取れたら混ぜる
頭は小骨がないのもいい
お茶碗によそったら小口切りのネギなどの薬味を乗せるのもさっぱりとしてうまい 174さん
お花は可能なら少しお部屋に持ち帰って飾ると、ぐっと身近になって楽しいと思いますよ >>172
お風呂の電気を消すと、真っ暗闇になる
でも大丈夫
あったか湯船でじっとしていると、だんだん目が慣れてくる
真っ暗闇じゃなかったことに気づく
もっとじっとしていると、月の明かりがとっても明るいことに気づく
お風呂の窓から明かりが差し込んで、優しい光がとっても心地いい
目が慣れてなかっただけなんだ
電気の強い光になれすぎて
強い刺激は優しくてあったかいものを見えなくしてしまう
そんなものはまるで何もないかのようにね
今日は満月
正月の夜空にまんまるお月様がにっこり浮かんでる 夜遅くの人の少ない駅のホームが好きだ
列車の到着を知らせるメロディがたまらなく愛おしくなる
昼と同じメロディでも、夜に聞くそれがまたいい
昼の喧騒も遠い昔の事のように、静寂を取り戻しつつあるホーム
元気一杯という人はほとんどいなくて、ちょっと疲れてたり、お酒の匂いが少し漂ってたり、家路に向かう人々
おやすみなさい、お疲れ様
明日もきっといいことがありますように
駅員さんも電車もホームもみんなみんなお疲れ様でした
おやすみなさい くたくたになって疲れて帰ってきておまけに頭が痛い
片づけをテキパキとすまし、とりあえず風呂に入ることにする
風呂のお湯がたまるまで暖かいお茶を飲む
おちつく・・・
熱々の風呂に我慢して入る
ここで水を入れてはダメだ
熱いのは最初だけ
風呂から上がると特売で買ってきたピノ・ストロベリー味(6個入り)を食べる
たまんねぇなぁ・・・
ファビュラスな時が流れる
熱々の風呂、そして風呂上りのアイス、これが本物のファビュラスってやつさ
(笑ってもいいんだぜって彼は言うけれど、俺は笑わないさ) 部屋の中をランタンを持って移動して遊んでいる
めんどくさい
だが、それがいい
ランタンの光は暖かい
(電池式ランタン) ザルそばを食べることにした
茹で上がりをザルにあげ、冷水でもみ洗いしてぬめりと取り、しっかりとしめる
和皿に巻きすを敷き、へぎそばの要領で丁寧に一口サイズで盛り付けていく
とてもおいしそうに見える
これだけで、はっきり言って味はワンランク上がる
人の味覚なんてそんなもんだ
ネギとわさびも丁寧に小皿に盛り付ける
照明をランタンにして、少し上から柔らかい光が当たるように置く位置を調整する
盛り付けたそばに暖かい光が当たり陰影が生まれ、とてもおいしそうに見える
はっきり言って味はまたワンランク上がった
人の味覚なんてそんなもんだ
Youtubeで和食店のBGMで検索して琴の音楽を流す
なにこれ、雰囲気抜群
はっきり言って、そば、めっちゃうまかった 近場の低山の山歩きへ
山頂を目指さずに湖とを往復する散策コース、頂上を目指す人が多いためこのコースは人気がなく、復路で一人すれ違っただけだった
様々な表情を見せる山、木々の間から差し込んでくる木漏れ日はとても優しい
照葉樹林の葉は光を反射してそれは美しい
一転、曇ると薄暗くうっそうとして不気味さも漂う
稜線に出れば粉砂糖のように薄っすらと雪が残っていてうれしくなる
しかし爆風
暄風(けんぷう)かな
春を運んでくる風かもしれない
木々を見て歩けば、みな、もうしっかりとツボミをつけている
春近し、かな
稜線の風は山全体がうなり声を上げているかのようにすごい音で、滝つぼの下にでもいるかの様だった
巨岩には地層がくっきりと現れているのを見つける
稜線の開けた岩場の上から湖を一望すると、水墨画の深山幽谷の世界のような壮大な岩塊・岸壁が遠くに見える
粉雪が下から吹き上げる風にのって舞い上がってくる、顔が凍りそうだ
空に浮かぶ大きな雲は、見渡す限りの山々に大きな影を映して流れていく
とても美しい風景 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています