【生活】ドケチの幸せ探し【趣味】
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どんな風に日々を楽しんだり、どんな時に幸せを感じているか、ドケチの生活・趣味を語りましょう。
幸せの感じ方は人によって違います。
そして案外近くにあるものです。
【お願い】
正しいドケチというのはありませんし、何がドケチかは人それぞれです。
ドケチの基準も人それぞれです。
それぞれの価値観・感性を尊重しましょう。
長文、短文、OK。 一人だけ幸せになればいいみたいな考えなんだろうねw 書いてる内容は「みんなに感謝」みたいなことだけど
人のためと書いて偽という字になるのはこういうやつのことを言ってんだろうな 公園に大きくて立派なメタセコイヤの木がある
メタセコイヤは、かつて絶滅した植物と考えられていた
1945年まで
それが今、こうしてここにある
大きくて、美しい木だ
夕陽があたる
建物の影にならない上の方、メタセコイヤが夕陽を浴びて、ピンク色に染まる
幻想的な風景になる
より一層、美しい木となる
東から見たら気がつかない
西から木の方を振り返ったときに知る
こんなに素晴らしい表情を見せていてくれた事に
また一つ、この世に用意されていた贈り物に気づくことができた
ドアは開いている
あなたの用意してくださったもの、両手でありがたく頂ける様に、精進していきたい
感謝
ありがとう 野に咲く花
先日、田のあぜ道に生えていたホトケノザに気づき、摘んで帰った
花びらはポロリと落ちやすいので、傷つけぬよう丁寧に、そっと持ち帰る
紫色の花が可憐で可愛らしい
ホトケノザという名前は、葉の形が仏さまの蓮華座に似ていることからついたという
小さな花びらの美しい造形を目を凝らして見る
ナズナも摘んで帰った
小さな白い花、目を凝らして見る
可憐な花だ
野に咲く花
自分の生まれた場所で咲き、散って行く
自分の環境で、精一杯に生きている
人は植物とは違う
自分に合う場所で咲けばいい
この先、どこで咲くべきか迷うかもしれない
少なくとも、咲く場所は自分で選んだっていいし、答えは一つではない
きっと大丈夫 木蓮のつぼみ
ふわふわの毛の手触りがとてもいい
毛皮のようだ
すべすべ
とてもいい ソメイヨシノのたくさんのつぼみ
春が楽しみになる
花が咲くのを待つ時間
それは咲いた花を愛でるのと同様に素晴らしい時間だ
待つことは、信じること
春が来るのが待ち遠しい
桜が日本列島を南から北へ咲き登り、人々が喜びに包まれ、桜の木の下で笑顔になる
風にのった桜の花びらが、あの人の髪を飾るかもしれない
一年に一度の美しい風景があちこちに、日本中に広がることを信じている 長くそこに生きている木
私より長く生きている木
その木と親しくなりたいと思ったら、まず名を名乗る
どこそこに住んでいます誰それですと
よろしくお願いしますなどと頭をさげる
そして何度も会いに行く
また来たよなどと声をかけ、いい日になりましたねなどと世間話をし、茶や弁当を持参して一緒に食事をする
愛のある眼差しからは、愛のある風景が見えてくる
これは、間違いない
愛情をもって育てた果樹から頂く果実なども、そこには私との間に共に過ごした時間があり、歴史がある
うまいまずいを超えた、かけがえのない思いがある
味がどうこう以上の風景が見えてくる
あの子の作る味のしないチャーハンがまずいのに好きだというのと同じである
愛のある眼差しは、様々なものを超越する
間違いない 「感謝」とか「ありがとう」とかの言葉はいいとされてる
けど何を期待して口にするかで効果は変わる
「自分」の幸運をもたらすため、あるいはもっと巧妙に「他人に幸運をもたらすためであっても、その『見返り』として『自分』にも幸運をもたらすためという下心含んでたら、酷い悪運に変わってやってくる
言霊は本心を見抜く しわしわでやわくなったメークイン
黒ずんで傷んでいるところもある
手際よく下処理をし、スッと楊枝が入るまでゆっくり茹でる
頃合を見てザルにざぁっとあける
白い湯気が勢いよく、もくもくとあがる
ほくほくのジャガイモ
熱いうちにゴムベラでつぶして、ビネガーをまぶして、たっぷりマヨ、香ばしく焼いたハムも混ぜて、胡椒も少しだけ
和皿にポテサラと、摘んだばかりの瑞々しい緑や紫のリーフレタス、酸味を利かせた人参のラペ
センスよく盛り付ける
ほんのり暖かい出来立てのポテサラは、幸せな味、家庭の味
優しく、心に沁みてくる
遠い記憶にある、いつか食べた幸せの味
あなたが用意してくださり、私はそれを心を込めて料理する
感謝して両手で頂く
ありがたいありがたい 昨日今日、夕焼けが黄金色に輝いている
本当に素晴らしい
圧倒的な美
この美しさ、誰かが自分のものにしようとしても、誰にもできない
そんな大それた事は誰にもできない
どんなにお金をかけようと、映像に残そうと、それはもう違うものとなる
今、この瞬間に存在する美
大いなる自然
あれが欲しいこれが欲しい、そんなものの何もかもを超越する美がある
耳をすまして声をききたい
祝福の声が聞こえてくる
その時、私もまた、夕焼けの風景の一部なのだと知る
私もまた自然の一部、ひとかけらなのだ 朝早くから、ごみ当番でゴミ捨て場に立ってくれる方、寒い中、忙しい中、本当にお疲れ様です
立たなくて済むシステムがあればいいのだけれどね
ありがとう
ガラス瓶、缶、ごみ捨て方一つとっても人それぞれ
何が正しいとかじゃなくて、色々な人がいる
それでいい
色々な人がいて、人間以外にも、色々な生き物、植物、生命群によって世界が成り立っている
それがいい
だから素晴らしい
己の小さな価値観など、黄金の夕陽の前ではあまりにも小さな存在であるように
この世界の奇跡の連続を、ありがたく受け取るだけである
思い通りになっているときも、思い通りでないときも、いつも喜んでいられるよう、精進しようと思う
感謝 飾っていた花を捨てるのは悲しく、切ない
愛情を持っているからこそ感じるもの
では、美しいままに居てくれる事を望んでいるのか
どれだけの間、そのままでいてくれたら満足するのだろうか
永遠の美、だろうか
それは違う
命を頂いていることを知っている
限られた花の時間を頂いている
私が美として愛でているその花の造形は、時の経過と共に失われていく
散っていく
私だって、今この瞬間、何も失っていないわけではない
生き物は皆、時の中で、何かを失い、また、何かを得ていく
花の命、人の命
大切に愛をもって接したい
優しい眼差しで見つめたい
感謝 寒さにあたった白菜は糖度が増す
じゃぶじゃぶと桶で洗い、6等分に割る
一日冬の風にあて、塩と唐辛子で漬ける
とてもあまい白菜漬け
あまくて、歯ごたえがよく、いくらでも食べたくなる味
冬のご馳走
ありがたい 感謝するのはタダだもんね
ゴミ当番とか、他人事他人事 宗教臭い
もうすぐスレ主による洗脳と勧誘が始まるな 書き込む場としてのスレがあることには全く感謝してないクズw お皿の上にうんこした今日のうんこはバナナうんこ
綺麗な茶色カレーに混ぜてもいけそうなくらい
太陽にかざせば琥珀のように見える宝石うんこ
いろんな命をもらいできたうんこ
ふふっこばえちゃんがボクのうんこの飛び交ってるのを見て少し照れ笑い
そんなにボクのうんこがいいのかい?と思わず空に呟く
そして今日もうんこの香りに包まれ過ごす まー、スレと中身の意味がよくわからないからね
タイトル見ても、完全一方的に日記を書く場じゃないよね 炊き上がったばかりのごはん
しゃもじで切る
ごはんの匂い
部屋の温度に冷えている白菜漬け
きれいな色
ごはんと白菜漬けがそろう
それだけのこと
それだけのことだがそれがよき
炊けたごはんに白菜漬け 神のみかげと拝めば(おろがめば) 愛しく嬉しく尊しや おにぎりは尊い
特別なものである
具はなんでも構わない
誰かが自分のために、その手で握ってくれたおにぎり
なんのおにぎりであろうと、それは尊い
マネージャーの握ったおにぎりはもちろん尊い
彼女、妻、娘など、愛する誰かの握ったもの、もちろん尊い
しかし最も尊いおにぎりがあるとするならば、それは母の握ってくれたものである
私がその尊さに気づくのは、ずいぶん年を重ねてからだった
気づくのに時間がかかった
時間が必要だった
きっと、そういうものなのかもしれない
私もおにぎりを握る
愛を込めて
心を込めて
食べる人を思って握る
握ってもらうことは喜びだが、握ることもまた喜びである
それは親切にされることは喜びであり、親切にすることもまた喜びであるように 時々行く本屋のレジの男性、結構昔からいる
その方が、終始ニコニコと接客しているのに気づいた
あれ、この人昔からこんな感じだったかなと思う
仏教の言葉に、和顔施(わがんせ)という言葉がある
笑顔や穏やかな表情で人に接する事
無財の七施の一つである
おそらく、彼は意識して笑顔を心がけることにしたのかもしれないと思う
実践している人というのは美しい
人の持つ様々な表情の中で、笑顔ってのは本当にいいものだ
自分も人も幸せになる
陸上選手などアスリートはストレスケアに笑顔を心がけているという話も聞く
そういう効果もある
今日一日、何があろうと、笑顔でいることを選ぶ事も、怒ったり悲嘆する事を選ぶこともできる
強制されるものではなく、自分が決めること
笑顔というのは1日、2日、1週間、1年と続けていくうちに、より自然になっていく
にっこり笑顔でありがとう
恥ずかしがることはない
そこから恋だって生まれる 生者は死者の存在の歴史の上にある
歴史というのは尊い
明日は日本の「建国記念の日」である
建国記念の日の趣旨について法律では、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定されている
日本の成り立ちを思う
歴史の重さ、考えるほどに重く、そして尊い
国を愛する心とは愛国心
難しい言葉だ
国を愛し、郷土を愛し、そこに住む人を愛すること
国を愛するということ、考え出すと難しい
一人の人間、郷土、国、大きさは違うが、それぞれ色々な側面がある
自分にとっての嫌な面ばかりを見れば、嫌な人や国になる
神の祝福を得て存在するものと考えるならば、その奇跡の尊さよ
命がけで私を生んでくれた母を愛する時、理由はいらない
何かをしてくれるかどうかで、愛したり愛さなかったりならない
母なる大地を思う時も同様で、理由はいらない
私は生を頂いている
与えられた命
この国に、この郷土において、この両親の元に生を受けた
愛する事に、国を愛する事に理由は必要ない
私はありのままを両手で受け取ろうと思う時、心から喜びが湧き上がるのを感じる 天気のよい午前中
野良仕事
じんわり汗をかく
近くの民家からパンケーキの焼ける甘い匂いが漂ってくる
よき
食べずとも、幸せが伝播してくる お前の肥溜めチラシの裏かよ
ブログで勝手にやっとれ
スレの無駄遣い 早朝の散歩は気持ちがよい
散歩ついでにゴミ拾いをし、家で分別してゴミ箱へ
おそらく、朝の散歩でこうしてゴミを拾っているお年寄りの方は結構いる
捨てる人は一定数いる一方で街が綺麗であるという事は、誰かが拾ってくれているという事
サーファー達などは彼らのホームの海のとても大事にする
よくゴミ拾いをしているのを見る
ゴミ拾いをする人々にとっては自分の家にごみを捨てられたら拾う感覚だろうと思う
根底には愛と感謝がある
昔登山を始めたばかりの頃、圧倒的な美しさに大いに感激し、下山しながらゴミを熱心に拾って帰った
とにかく感謝の気持ちでいっぱいだった
途中、なんでもない場所で500円玉を拾った
そんなこともあった
山からのメッセージを感じた
ゴミを拾うのは自分のため、そして自分の愛するものに感謝するからであり、何かを愛する事は幸せに他ならない 食事の前、手を合わせ、目を閉じ、感謝の祈りをする
手を合わせる時、手のひらの皺がぴったりくっつく様、丁寧に手を合わせる
右手の体温を、左手が感じ取る
左手の体温を、右手が感じ取る
両手がそれぞれの温かさを感じあう
合掌において、右手は仏の象徴であり、左手は自分であるとされる
ゆっくりと、そっと両手が合わさる時、その手の中に、私と神とが一つになるぬくもりを見る
不安になる時、手を合わせれば一人でないことを知る
決して一人になることはない
常にあなたと共にありますとこの身をまかせようと思う時、心には平和が訪れる
幸せはいつも自分の心が決める
合掌、感謝 >>432
お前まさかその500円くすねて無いだろうな?
こんなところで犯罪告白かよ 私よりもずっと年上のその女性
貧しくはないが、裕福でもない
きちんとしている
お弁当も作る
そしてちょっとした事でとても喜んでくれる
何度も何度もありがとうと言い、うれしいうれしいと言ってくれる
美しい人だ、そう思う
人生うん十年、心に傷だってたくさん負ってきただろうし、もしかしたら癒されない傷を抱えているかもしれない
しかしそれでも世を憎まず、感謝し、喜びに生きる
傷は貴方の人生を彩り、今の貴方を作っている
貴方だけの人生の味が花開いている
開花している
女性の若さ、それを華と表現することは多いが、傷つきながらもそれでも生き抜いてきた魂の開花に、真の美しさを見る
私もそのおばあちゃんのように
ありがとうありがとうと言っていたい
してあげたことは言わず、してもらったことを忘れずにいたい
美しい人との出会いは人生の大きな喜びだ
人生、出会い、別れを繰り返していく
今ある目の前の出会いを大切にしていきたい
すべては永遠ではない この日記、いつになったら かゆ・・うま・・になるの? >>436
ただの自慰厨だからポエムとしても人格としても向上は有り得ない ポエマー消えてしまったか
地味におもろくて見てたんやけど ドケチの幸せ探しというか、ドケチならではの幸せ探しとなると、やはり斉藤一人が言ってた「無を使いこなす」ってことかな
遊びにしても商売にしても金かければ簡単だけど、いかにお金かけないで楽しめるか
逆にそれができない人間にいくらお金与えても結局無に返してしまうらしい 1リットルパックの低脂肪乳に1060mlぐらい入っててラッキー おいしいものをたべた時
欲しかったものが安く手に入った時
芽吹いているのをみつけた時
しあわせそうな子犬、子猫、こどもを見た時
性根のいい人に会った時
みんなの無事が確認できた時 ポエムの人、いろんなことを気づくんだね。
偶然に公園のベンチで知り合って話してみたいと思わせるひとだ。
淡々としてるけど味わい深い文章を書く。 おれもこのスレ好きだ
ポエムの人、好き
いつもふとした幸せに気づかせてくれる
ゆで小豆の缶詰買ってみたよ
美味しかった
ありがとう ポエムの人よかったけど、後半ドケチ関係なくなってきたからな・・・ そうは思わなかったな
どれも無料で楽しめる幸せばかりだった 僕の知り合いの知り合いができたパソコン一台でお金持ちになれるやり方
少しでも多くの方の役に立ちたいです
ネットで検索するといいかも『蒲原のロロムムセ』
QW2KV 長文だが味わいがあるね。独自のケチネタもあるし。
なぜか、山頭火の句集を思い出した。青空文庫で無料で読める。
行き、食い、気づき、交流を楽しむ。
それがドケチの幸せなのかも。 金を使わずにゲームしてても結構強くなれるからオススメ
https://goo.gl/wBtUjB ドケチでも幸せならいいよね
つまらな人生はいくらでも耐えられるけど
苦しい人生が続くようになると簡単に耐えられない 小説家になろうで作品を読むのが最高に面白い
どれも無料で読めて素人とは思えないようなクオリティの高い作品が山ほどある なろう作品はアニメ化してるやつも多くていいよね
ポエムの人は私も好き
皆、幸せになる為に生きてる モスバーガーで
紅茶とモスチキンを頼んで食べる。
うるさいお客さん少ないし
店内の雰囲気が好きだね いかにして節約してるって意識しないように支出を減らすか
節約しないとダメだって思ってしまうともう苦しくなる
病気やら何やらで田舎の親への仕送り3万増やさなきゃならなくなった
苦しいと思わないようにどう対応するか、頭の使いどころ
もうね、苦しくさえなければ幸せだと思うようにしてる 親への仕送りとか馬鹿馬鹿しい
親も金が無きゃナマポでいいやろ でも親に対して扶養義務があるから、そうそうナマポにはならない。 そうそう
こっちが働いてて収入がある限り結局は押し付けられる
挙げ句の果てに介護だよ
自分の幸せなんて追求するのはずっと先
まったく何のために税金や年金払って来たんだか 税金の使い道をチェックしようとしない奴の方がクズだよ 仕事は嫌なことが多い。
時々、国内、海外(アジア地域)出張がある。これは結構楽しい。
コミュニケーション取るのは結構楽しい。この前は上海のJD、タイの兄ちゃんと
話した。
プライベートで海外は行った事がない。
まぁ国内旅行も行った記憶は1度ぐらい。 ちょっと愚痴らせてくれ
仕事は楽しい
今の仕事は今までの中でやりがいが一番ある
しかし馬鹿ガキがしでかした後始末をするのはいつも自分
こういう事さえなければ本当に楽しいし幸せを感じるのだ
明日後始末やりたくない仕事行きたくない
こういう事が起きたときは辞めたいと思ってしまう
俺丈なんだろうか 仕事は仕事と割り切るしかないね。全てはゲームだと思ってスキルを磨くと思えば、なんでも勉強になるし楽しみにすらなってくる。会社は集団での稼ぎゲームだから。ブラックでなければ。
若い奴がヘマをするなら育てゲーをしてると思おう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています